●ねがわくば
適度に湿り気を含んだ心地よい風が、花の香りを運んでゆく。
塀の外で眠り続ける人々の上も、わけ隔てなく。
「すぐに助けに来ますから」
勝気な眉をきっと引き締め、六道 鈴音(
ja4192)が囁いた。
人々を傷つけないよう慎重に壁を越えた撃退士達は、庭園の南東側から塀を越え二手に分かれる。
「知ってたか?孔雀は堕天使の象徴なんだぜ」
小田切ルビィ(
ja0841)の身体から煌めく銀の粒子を内包する真紅のオーラが溢れだし、全身を覆う。
彼らの班は、光纏状態の撃退士を攻撃してくるという護衛サーバントのサイレンをおびき寄せつつ庭園内を巡回する囮担当だ。
高野 晃司(
ja2733)は、そっと拳を握りしめる。
(天使……俺の故郷の近くに居座ってる奴らの仲間…)
彼の故郷は天使の勢力に脅かされ、荒れ果てている。だが口に出したのは、その悔しさを微塵を感じさせない言葉。
「孔雀だか何だか知らないけどさ。結局はハーゲハーゲが関わってるんだろ?あのハゲが…」
ハゲ…旭川を襲った天使ギメル・ツァダイに、久遠ヶ原の一部学生たちの付けた呼称である。
旭川での行動は京都襲撃の前哨戦ではなかったかという噂もあるが、実際のところは判らない。
在るのは旭川での術の大規模な物が展開されつつあるらしい、という危機感だけだ。
ともすれば他人に威圧感を与える容貌に似合わぬ物静かな口調で、十八 九十七(
ja4233)が宣言する。
「決戦への橋頭堡、しっかり確保させて頂きますの、ええ、はい」
九十七にとって大事なのは正義の遂行だ。天魔の抹殺は人類にとって正しく正義であり、遂行されて然るべきもの。所詮他人の評価など彼女にとっては無価値である。
通信機の入ったポケットに思わず手をやる仕草に、アーティア・ベルモンド(
ja3553)の僅かな不安が表れる。
(この中で一番の経験不足ですから、慎重に、足を引っ張らないように、頑張りたいですね…)
こちらの班には、回復役がいない。連携が取れなければ命取りになりかねないのだ。
そこに流れてくる、不思議な音色。
「…何だ?この音楽――いや、歌声か?…何処からか響いて来やがるぜ。これがメレクタウスって奴の鳴声なのか?」
ルビィが精神を研ぎ澄ます。
奴の居所を掴むまで、護衛サーバントを引きつける。危険は承知だ。やるしかない。
突然耳障りな音が響き渡った。五色の翼に長い尾羽の人面鳥、サイレンだ。
斥候役だったのか、ほど近い巨岩の上で大きな翼を広げ、天に向かって啼いている。
「単体か…カッコ悪いんだけどな。仕方ない」
音楽プレイヤーを耳に当てて尚、不快感を湧き起こすその声に晃司が眉をしかめる。
滲み出た黒いオーラは一瞬不吉な死神の形を取り、彼の全身を包んだかと思うと、その背中に黒い翼が出現した。
地を蹴って浮かび上がると…常人の目では捉えきれない程のスピードで翼ははためき、辺りに大量の黒い羽根が舞った。何故か彼がこの浮遊スキルを使うと、やや残念な形になってしまう。
確認されているだけで、サイレンは5体。それ以上いると考えるべきだろう。多勢に囲まれる前に1体でも叩いておきたかった。
本来相手に叩きつけるハンドアックスに、アウルをこめる。
「闇に沈めッ!」
放たれた光が、正確に敵の翼を貫いた。化鳥が、先刻とは違う絶叫を響かせる。
九十七のショットガンが漆黒のオーラを纏い、必殺の一弾を発射。
「ブッッッ飛べヤァぁァごルゥァァア!」
片翼を潰され飛ぶ手段を失ったサイレンの頭が上半身ごと弾け飛ぶ。岩を覆う柔らかな苔を押しつぶし、残った身体がどさりと落ちた。
「次が来る」
可視化された風のように近づいてくる黒い影を認め、ルビィが美麗な長剣の感触を確かめるように、握り直す。
3時方向から1、9時方向から1、そして12時方向から2。
凄まじい音量の不快な声に、ともすれば掻き乱されそうな意識を集中し、クレイモアに力を籠める。満を持して振り切れば、花弁と千切れた若葉がごう、と渦を巻く。
黒い衝撃波を受けて、正面のサイレンの片脚が吹き飛ぶ。一団は、ルビィを敵と認識した。
片脚から血を滴らせたサイレンが、真っ直ぐに突っ込んでくる。咄嗟にシールドスキルを展開するが、重い一撃を受け止めるのが精一杯だ。腰を落としたルビィの身体が、そのまま後方に押しやられ、岩に激突。一瞬息が止まり、口中に嫌な味が広がる。
が、すぐさま体勢を立て直し、手負いのサイレンを袈裟掛けに叩き斬る。
他の3体が回り込み、彼の側面を狙う。
「しっかりしろァ!」
サイレンの鋭い爪が、九十七のショットガンから放たれた非致死性の弾で吹き飛ぶ。万が一ルビィに当たっても、怪我をさせない援護射撃だ。驚いた一体が距離を取り旋回するが、別の一体の爪が、ルビィの肩を掠めて飛び去る。服が千切れ、赤い飛沫が地に落ちる。
「小田切さん!」
「大丈夫だ」
思わず声を上げたアーティアに、ルビィが普段と変わりない声で答える。
軽く口元を拭うと、全身に力を籠める。真紅のオーラが一際輝くと、出血は止まった。『剣魂』による応急処置だ。
その間にアーティアがスクロールから放つ紫光が真っ直ぐ突き刺さり、飛びかかる別の一体の翼の付け根から、鮮血と五色の羽根がばっと舞い散る。
「守護を司る騎士よ力を…」
晃司の黒いオーラが変化し、バランスを失いながらも突進してくるサイレンにハンドアックスの重い一撃が打ち込まれた。骨が砕ける感触が、柄を通じて伝わる。
とどめを刺さんと得物を引き抜いたその時、旋回してきた別のサイレンが襲う。
九十七の威嚇射撃も物ともせず、激突。そのまま晃司の身体を薙ぎ倒し、サイレンは上空に舞う。
再び降下し晃司を狙うサイレンの爪を、回り込んだアーティアがアウルを籠めた障壁を展開し、弾く。
「…オルァア!このクソ鳥共ォ−−−!!」
空に向かってショットガンの乱れ撃ち。あちこちに傷を負いながらも、化鳥は九十七に向かってくる。
恐れを知らぬように。いや、そもそも『恐れ』などという余計な感情は与えられていない存在なのだ。
サバイバルナイフを取り出す九十七の周りで踊る黒いオーラが、闇の色を濃くしてゆく。
「この■■■がァ!■■■って死にくされやァアアアアア!」
擦れ違いざまに心臓に突き立つナイフと、脇腹を抉る爪。
一瞬舞い上がった化鳥が、羽をばたつかせながら地に落ちた。
●はなのしたにて
鈴森 なずな(
ja0367)は、極楽浄土を目にする事の出来る幸せに思わず感嘆の声を上げる。
「これこそ撃退士の醍醐味ってやつだよね。なんだかのんびりしたくなっちゃうよ…冗談、依頼だもんね。お仕事はするよ、きっちりとね」
「そうよ、天使の連中に思い通りにはさせないんだから!ちゃんと本当の京都を取り戻さなくちゃ」
会った者に強い印象を残す黒い瞳に力を込め、鈴音がきっぱりと言い切る。
そう、これは京都開放戦の先駆け…
「何としても成功させねばな」
周囲を警戒しつつ、鳳 静矢(
ja3856)が頷く。
庭は若葉を広げた木々や大小の奇岩で遮られ、見通しが悪い。
だが小川のせせらぎと調和するような、不思議な音色が耳に届く。
春の光景を称えるかのような笛に似た調べは、浮世離れした雰囲気を醸し出す。
花菱 彪臥(
ja4610)の猫耳のような赤い髪が、ほんの少し、へにょりと萎えた。
「なんだか変な音が流れてるよ…?」
それでも気合を入れ直し、戦闘意欲を掻き立てる。にーちゃんねーちゃん達と一緒に、敵を倒すのだ!
最後尾には中山律紀(jz0021)が控える。
この5名が北周りでメレクタウスがいると思われる北西を目指す。
予め、別れた別動隊に連絡する約束だった地点に到達する。庭園のほぼ真ん中と思われるあたりだ。
鈴音が通信機のスイッチを入れる。
「使い方はこれでいいのよね?」
向こうの担当のアーティアに連絡を入れようとしたそのとき。
『キィーー―ギャーーーー!』
なんとも形容しがたい、耳障りな音が辺りに響いた。
…サイレンとは上手く表現したものだ。静矢は、思わず苦笑する。
「私、もともと集中力なんてないんだけどね」
鈴音が肩をすくめた。それにしても苛立つ酷い声だ。
涙目の彪臥が耳栓を取り出したが、余り役には立たないようだった。
直後、岩陰から薄紅の花弁を撒き散らして、早い影がよぎった。
撃退士の鋭敏な視覚がその数を捕える。4体が別動体の方へ向かったようだ。最初に鳴き声を上げた物と合わせて5体をあちらが引き受けている。
この隙に、急いでメレクタウスを見つけなければならない。
「こちらA班、B班応答願います。予定ポイントに到着しました」
鈴音の呼びかけに返答がない。顔を上げ、皆を見渡す。
「B班から応答がない!なにかあったのかも」
応援に駆けつけるべきか?それとも当初の目的を優先すべきか?
一瞬の迷い。
それは間近の気配により、断ち切られた。
「きた!9時方向よりサイレン!」
地に伏せた鈴音の頭上すれすれを、化鳥が滑空してゆく。
サイレンは岩を蹴り、方向転換。邪魔者共をつまみ出すべく、向かってくる。
「六道さんは呼びかけを続けてくれ!」
その身に紫の霧を纏いながら、静矢が鈴音の前に立ち塞がる。
手にした剣の輝きが強くなると、紫の大鳥を模った必殺の衝撃波がサイレンを襲った。
正面から攻撃を受け、仰け反るように宙を舞う化鳥。
だが空中で体勢を立て直すと、身体の前面からおびただしい血を滴らせながら再び向かってくる。
「来たな人面鳥っ!不気味な騒音、黙らせてやるぜっ!!」
彪臥がオレンジ色の火花を弾かせながら、飛び出す。
手負いの化け物がどれほどの威力で襲いかかって来るかは判らない。今、通信でがんばってる鈴音ねーちゃんには、攻撃させちゃだめだ!
可能な限り気力を集中させて、サイレンに敵は俺だと思わせる!こっち来い、化け物!!
彪臥の纏うオーラに、サイレンは気を取られた。
『キィイイイイーーーー!!』
体当たり。それを瞬時に展開したシールドで受けるが、サイレンの勢いに小柄な身体が吹き飛ぶ。
地面に叩きつけられ、気が遠くなる。その眼に映るのは、傍らのスミレの花。
(あ…スミレ、潰さなくてすんだ…)
吹き飛ばされた彪臥を目の当たりにし、鈴音の黒い瞳に電撃が走った。
通信機のセットははめたままに、魔法書を取り出す。
「ケシズミになりなさい!」
怒りをこめた光の矢が、手負いのサイレンにとどめを刺した。
「新手が来たよ、気をつけて!」
苦無を構え、なずなが叫ぶ。撃退士の光纏に惹き寄せられた2体の化鳥が現れる。
その初っ端の一撃からなずなと鈴音を庇おうと、静矢が回り込みシールド。弾かれた2体は、それぞれ位置を入れ替え、曲芸飛行のようにクロスする。
「叩き落としてあげる!」
鈴音が翼を狙って電撃。
それを避けた1体が、すい、と身を翻し、爪を構える。彪臥の傷を癒そうと屈みこむ、律紀を狙って。
「中山君、危ない!」
回復役は彼しかいないもの、絶対守らなきゃ!
なずなは分身の術を使う。実体でない方はよく見れば判るが、サイレンからは敵が二体に見える。
自分が攻撃を食らうことを覚悟の上の突進だったが、幸いにも挟撃を警戒し、サイレンは降下をやめた。そのはばたきが地面を打ち、砂埃と花弁が舞い上がる。
紫光を纏う大太刀を手に駆け出す静矢の左肩に、激痛が走った。足が体重を感じない。
静矢は無言のまま、大太刀を逆手に構え己が脇から突き立てる。腹を抉られて尚、爪を立てるサイレンを、力任せにそのまま翼まで切り裂く。
岩に飛び移り、地面に降りようとした静矢の目に、ついに目的の物が映った。
「メレクタウスを発見した!」
左腕から血を滴らせながら息をつく。差し延べられた律紀の手を押しとどめると、静矢は自ら傷を塞ぐ。別動隊と連絡が取れない状況を考えると、回復術は可能な限り残しておきたい。
「六道さん、連絡はとれたか?」
「待って…ベルモンドさん?そっちはどうなの!?」
●…死んでたまるか!
ようやくお互いの状況が伝わる。
囮班に負傷者がいることが判ったため、メレクタウス捜索班が合流する。
負傷の度合いを確認し手当てが済むと、静矢が発見したメレクタウスの居場所へ向かう。
それは枝垂れ桜のカーテンを背景に、立っていた。
艶やかな模様の羽根をいっぱいに広げ、誇らしげに2つの喉から天界の旋律を奏で続ける。
ルビィがその姿を目にして、呟く。
「『Melek Taus』…人類を救う為、天に反逆した孔雀天使を気取るのか?名前負けにも程があるぜ!」
「念の為、回りを見てきます!」
晃司が黒い翼を具現化する。もう本当にサイレンがいないのか、辺りを警戒するためだ。黒い羽根が飛び散り、晃司の身体が宙に浮く。
別方向からなずなが神経を集中させて索敵するが、メレクタウスの気配以外は感じられなかった。
鈴音が鋭く囁く。
「急ぎましょう、本当にサイレンが全滅したなら増援が来るかもしれません」
頷くや否や、静矢の纏う紫の光が一際光度を増す。必中の気合と共に放たれた光が、メレクタウスの身体を過たず切り裂く。
「オラオラオラァアア!ブッ飛べ化け物がァ!!」
「偽りの楽園は要らない。――消えろ、この世から…!!」
九十七のスラッグ弾がメレクタウスの羽根を散らし、ルビィのクレイモアの一閃が冠羽根を頂く首を、永遠に胴体から切り離した。
――メレクタウスは、その瞬間まで歌っていた。
ただ逃げもせず、抵抗もせず、命じられたままに歌っていた。
彪臥は猫耳のような髪を揺らして頭を振り、敵に抱いた奇妙な気持ちを振り払う。
あの睡眠術のせいで、外の人達は眠らされてるんだ…!
それに、この庭。…こんなに綺麗なのに。
緑の苔が覆っていた小川の傍の石は剥き出しになり、散った花弁は泥と血に汚れている。その上に散るのは色とりどりの化鳥の羽根。
荒れ果てた庭に、今の京都の様子を思う。
「京都には、いっぱい珍しい建物があるんだよね。…天使たちに壊されてないと良いな」
なずなが彪臥の頭を、ぽふんと叩く。
「私もどうせなら、普通に京都観光したかったなぁ!私さ、芸者遊びしたかったんだよねーあの帯を引っ張って『あーれー』っなるやつ。皆も興味あるだろ?」
…何やら色々混ざった京都イメージである。
「その前に、まずは京都の大掃除ですねぃ」
普段の静かな口調に戻った九十七が言った。メレクタウスのいた場所から、辺りを見回す。
何故、サイレンたちは人間の存在をこの庭から徹底的に排除したのか?
アーティアは任務の完了を学園に報告し、倒れた人々の救助を依頼した。
彼女も九十七と同じ疑問を抱いている。
だが、化鳥達は何も語らない。
手探りで、それでも撃退士達は天界との戦いに赴く――。
<了>