甘い香りを含んだ湿った夜風が、春の宵の気だるい雰囲気が、軽い苛立ちを呼び起こす。
ディーラーのリッキーこと中山律紀(jz0021)がカードテーブルで待ち受ける。
「皆様、お賭けになる物はお決まりかしら?」
機嶋 結(
ja0725)は椅子の上で身じろぎした。身体を包む絹のロングドレスの立てる衣擦れの音が、皆に聞こえる程の静寂。白銀の髪を揺らし、軽いため息とともに吐き出す。
「あったとして…得体の知れぬ貴女に、言います…?」
「ああ、おっしゃる必要はございません。私には判りますので」
マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)の鋭い金の瞳が、ちら、と女を見る。
黒い軍装を彩る銀の髪が、落とした照明を受けて映える。
(…趣味が悪いですね。ですが…まぁ、良いでしょう。終わらねば出られないのならば)
「そう言う貴女の望みは何なのかねえ。私達だけ覗かれているのは、不公平かと思うのだが」
黒い衣装で全身を覆った鷺谷 明(
ja0776)が、大仰なポーズで両手を広げる。
「私の望みですか?そうですわね…何かを失った人の絶望の表情を見ることかしら?」
なるほど、と頷き笑う明。
「では少なくとも貴女との勝負は、私の勝ちだな。賭け事は愉しんだ者の勝ちだ。つまりこのゲームを愉しんでいる私の勝ちは確定というわけだ」
女が声を立てて笑った。
「あらこれは、一本取られたかしら?ではどうぞ最後まで楽しんでくださいな」
女が次に鳳 静矢(
ja3856)に声をかけた。
「こちら素敵なお召ですこと」
「訓練中でもなければ、こんな格好ではなく洋服の方が場に合ったのだろうが…」
羽織袴姿で組んだ手の上に顔をもたせかけている。
「あらよくお似合いですわよ?」
(なかなかに奇妙なゲームだな…面白い)
既に心理戦は始まっているのだ。
結が無駄だと感じつつも、悪態をつく。
「そろそろ始めませんか?おしゃべりなど時間の無駄です」
…この空間は居心地が悪い。神経が逆なでされる。
自分の意に反し何かを命じる存在自体が、耐えがたいのだ。
この気持ちはおそらく女に伝わっているだろうが、隠す気持ちは毛頭ない。
「あら失礼。そうね、春の夜は短いわ。そろそろ始めましょう」
「それじゃ、ゲームといきましょうか♪」
ビールのグラスをテーブルに置き、雀原 麦子(
ja1553)が座り直す。
正直なところ、状況はよく判らない。でもなんだかゲームは楽しそうじゃない?やるからには楽しみましょ。それが彼女だった。
ディーラーが帯封のままのカードを取り出した。それを脇のプレイヤーに滑らせる。
「イカサマはしませんという儀式ね。封を確認したら指で軽く叩いてくださいな」
順にカードが回されて行く。
箱をこつこつと指先で叩き、藍 星露(
ja5127)も隣へ回す。
(何か、勝てる気がしないんだけど…。何だかわけ解らないし、ちょっと気持ち悪いな…)
流す脚を、居心地悪そうに入れ替える。白い肌が、お気に入りのチャイナドレスのスリットから見え隠れするのに、気を留める余裕もないようだ。
(願いと言っても、勝てる気がしないんだから。あまり大事な可能性は賭けたくないなぁ…)
ゲームが始まる前にとにかく何か願い事をと、大真面目。
(うーん…今度のテストで100点取りたい?)
…大事じゃないような、すごく大事なような気もする望みであった。
興味深そうにカードの箱を持ち上げ眺めるのはフューリ=ツヴァイル=ヴァラハ(
ja0380)だ。
カードゲームなんて正直よく判らない。だけど、勝負事なら勝ちに行く。
目指すは史上最高のチャンピオンベルトの獲得。憧れの人に少しでも近づきたい!
「よくわからないけど〜勝てばい〜んだよね〜。最後に勝つのはこのあたしなんだから〜」
満面の笑みで、カードを次に渡す。
受け取った博士・美月(
ja0044)は儀式的に指でカードを叩き、すぐに回す。スリムな赤いドレスが良く映える。ストールを軽く直しながら、隣のマキナを伺った。
「例えマキナちゃんでも、勝負事となれば手加減しないわ」
「運に左右される勝負事と言えど、加減はありません。全霊です。お互い、恨み言はなしで行きましょう」
受け取ったマキナも指でカードを叩き、回しながら応じる。
「結、だから貴女も如何か全霊で。――さぁ、では始めましょうか」
結がほんの少しだけ視線を動かした。
ディーラーが封を切った一組から2枚のジョーカーを抜いて見せ、脇に伏せた。
シャッフルされたカードがテーブルを滑り、正確に8人の手元に届く。
ゲームが始まる。
「ねえリッキーちゃん、ディーラーとの賭けはできないのかしら?私が負けたら言うこと何でも聞いちゃうんだけどな♪」
早くも麦子が、ディーラーを引き込み始める。
「私が勝ったら…そうね、一晩お姉さんと付き合ってくれるっていうのはどうかしら?」
正確にプレイヤーの手元に集まっていたカードがほんの僅か、逸れる。
純情な少年をいたぶる、悪いお姉さんである。
喜色満面の笑みでカードを眺めるフューリは、勝利を確信している。
(チャンピオンベルトが〜あたしに近づいてるう〜!!)
幾度もゲームを繰り返し、勝負するかどうかもゲームのうちである正式なポーカーと異なり、今回は変則ルールだ。それにしても顔に出過ぎではある。
明はある意味、年中ポーカーゲームのようなものだ。いやむしろ、彼は笑う男…テーブルに伏せられたジョーカーに似ているかもしれない。
「このゲームにレイズがないのが残念だわ♪」
麦子が手札を見て、声を上げた。
星露は戸惑う。ジャックのスリー・オブ・ア・カインド。普通なら結構強いカードだ。
その耳に、満面の笑みでビールを追加する麦子の声。
(…こういう時、アルコールに頼れる成人メンバーは羨ましいわ。あたしは未成年だから、飲むわけにはいかないし)
ふと見渡すと、結が黙って手札の2枚を自分の前に伏せる。静矢も1枚。
ディーラーが、その手元にカードを投げて寄こした。
「あのっすみません、あたしも2枚交換を!」
直後、しまったと思い赤面。何も給食のおかわりのように、声を上げることはないのだ。
投げられたカードを祈るようにめくる。…新しい役にはならなかった。
(…あー、何かもう、全部駄目な気がしてきた。早く帰りたい…)
静矢は慣れた手つきでカードを繰る。
(…他人の可能性を得るだけで、それが必ず実現する訳ではないのか…利益の少ないゲームではあるな)
ポーカーそのものは嫌いではない。だが、賭けの内容そのものに魅力はない。
(可能性、か…)
人生に関わるほど大きなバクチではないが、自分の中で本気で望む可能性。
それが彼が賭ける『可能性』だ。
1ゲームが終わる。ショー・ダウン。手札が公開される。
ストレートフラッシュのフューリが、高らかに勝利宣言する。
「あたしの勝ちだね〜よゆ〜よゆ〜」
「え〜っちょっとフォー・オブ・ア・カインドで負けるとかありー!?」
麦子が声を上げた。
「おや幸先いいと思ったが、上がいたか。これは残念だねえ」
そう言って笑う明の手札も、フォー・オブ・ア・カインド。
ゲームは続く。
マキナの手札がストレートフラッシュを作った。
(これが私の望む『可能性』を与えると?)
…茶番だと思う。このようなもので己が渇望を晒すと言うのも矜持に反する。
渇望、それは『終焉』。
『戦いをなくす為に戦う』と言う矛盾が故に、尾を喰う蛇の如く円環を成す無間の修羅道の。
理不尽を、不条理を砕くべく、自ら望み戦場を駆け抜け続ける自分。
延々と、永劫と。何時までも何処までも。
終わりたい。終わらせたい。自分が自分である理由の自壊と廃絶の渇望。
だが戦奴ではなくなった自分とは何か?…そこに潜む真の望みは彼女自身、知るや否や。
ショー・ダウン。
ジャック4枚を投げ出し、美月が溜息を漏らした。
(あたしが信じるものは何?運?才能?…違う、そんなものは信じない)
仮に今回のポーカーが、手札の一部を公開するルールなら彼女に有利に運んだことは間違いない。見えるカードから、各人の役ができる確率をはじき出し、勝負に出るかどうかを決定する。論理的思考は美月の得意とするところだ。
だが、数ゲームをこなすうちに、各人の癖などもおよそ判って来る。
(筋道立てて考えるのよ。そして想像するの、勝てる手を。信じるの……あたしの、これまでの人生を!)
カードが配られる。
「ふ〜ん、ここで勝負して大丈夫なの?」
カードを交換しない静矢に、悪戯っぽい流し眼をくれる。
「さて、どうかな。もうひと波乱あった方が面白いとは思うがね」
静かな表情はハッタリ故か自信の表れか。
「そりゃそうね。起こして見せましょ、大波乱♪」
「嵐を呼ぶ女?さて、これは愉しみなことで。まさか貴女の望み、世界中の麦酒を独り占めではなかろうねえ」
潔く5枚を投げた明の笑い声。
「ああ、それ負けたときのダメージ大きすぎるから却下ね」
麦子が新しいグラスを手に笑う。
「ん〜…わずかな可能性でも、可能性がゼロでないなら賭けるしかないよね〜」
相変わらずその表情は感情丸出しで、フューリがカードを睨んでいる。交換を3枚にするか5枚にするか迷っている時点で手札は…。
(可能性が無くなる、ね)
結は会話を耳に、カードを眺める。
勿論勝負は真剣に受けて立つ。多少の心の痛みは感じるが、例え知人を蹴落とすことになっても。
だが結局の所実利が無ければ無意味であり、このゲームは…最終的に参加者には損しかない。
(本来の願いは、現状から私を引っ張り出してくれる存在が欲しい…ですけれど、言った所で叶う筈もないなら、言わぬが華ですし)
口にしなくても望みが判るというなら、思いついたことが賭けの対象なるのかもしれないけれど。敢えて、別の『望み』を念じてみる。
それを言葉にする瞬間を思うと、場を見渡すディーラーの動作にすら、鈍くて苛立つ。目があった瞬間、何か?と尋ねられて思わず返す。
「ん、手早くお願いします…かな」
その声は飽くまでも冷たく、固く。
「ちょっと、また明ちゃん一緒!?今度こそ勝てると思ったのにー!」
3から始まるハートの5枚を広げ、麦子が嘆く。
「残念ながら一緒ではないな、よく見たまえ私の勝ちだ」
明がスペードの5から始まる5枚を指で示す。
それを見て、星露がふるふると震える。
「え…えと…これって私のが強いんですよね…?」
広げた4枚には、ダイヤの10、J、Q、K、Aが並んでいた。
感嘆のざわめきに、星露はほんの少し後悔する。
(もっといい願いごとを頼めばよかった…かしら…?)
だが結局、8ゲームを終えた時点の勝者は彼女ではなかった。
結と静矢で決戦が行われる。先に3勝した方が勝者だ。
「鳳さん、私が勝ったらあなたの望む可能性もいただけるんですね」
手札の役はストレート。見知った相手とあって、結の物言いも多少柔らかい。
「そういうことになるかな。逆に機嶋さんの望む可能性が私にくることもあるがね。…フラッシュだ」
他のメンバーも固唾をのんで勝負の行方を見守る。
現在、2勝ずつ。次で勝負が決まる。
再びカードが配られる。
「私の望むこと…実は鳳さんに渡っても構わないんです」
結の手元のカードが9・4のフルハウスを作っていた。
2枚交換するか?だがこれ以上に強い手はそうはないはず…。
(これで勝てなければ仕方ない、か)
「それはちょっとずるいかもしれないな。まあそれは彼女が決めるだろう」
静矢は口元に薄い笑みを浮かべ、仮面の女を横目で見遣る。
ショー・ダウン。J・6のフルハウス。
「ふむ…私の運も結構な物だな」
大した感慨も籠らぬ声で、静矢が静かに呟いた。
「…やっと終わりましたね。まあ、ゲーム自体はそれなりに楽しめましたけれど」
結がゆっくり立ち上がった。
「本当に叶えたいこと位は、自分で何とかしますし。ただ、今の望みは…あなたの死です!」
椅子を蹴って跳躍。
幾重にも纏う光の輪の中に、重なっては崩れる怨嗟を浮かべた亡霊の姿。
太刀が女を真っ二つにするかと見えた瞬間、微笑を浮かべた口元が見えなくなる。
現れた巨大な白銀のシールドに、結の太刀は跳ね返された。
そのまま突き出された盾に、小柄な身体が吹き飛ばされる。
テーブルに手をついて身体を捻り、結が体勢を立て直す。
女が盾から顔をのぞかせた。
「あら、怖い。まあ確かに、それなら誰に渡っても同じことですわね」
さも可笑しそうに、クスクスと笑う。
「でもいつか私の命は尽きますわ。つまらない可能性を賭けられたこと」
結が無表情のまま光纏を解く。どの道当たれば幸いの、嫌がらせだ。
ともかくゲームは終わったのだ。
突然、高らかな拍手が響く。明だった。
「最後まで中々楽しかったよ。私の『可能性』は、鳳氏に喜んで進呈しよう」
舞台俳優のようにマントを摘み、静矢に手を差し伸べる。
「受け取りたまえ、『平穏無事な人生』だ。いや残念、波乱万丈の方が残ってしまったよ」
絶えることない愉悦の笑み。
本当に望んでいたのか?あるいはそうかもしれない。だがこれからも彼は愉しみ、笑い続けるだろう。
「可能性は潰えたのね…分かった、受け入れるわ」
美月が髪を掻き上げた。
「『学園中に認められるアウルの使い手となる事』、鳳さん頑張ってくださいね。あたしはそのかわり」
傲然と言っていい態度で胸を張る。
「世界中で認められるアウルの使い手を目指す!学園で認められる事が不可能なら、世界でね!」
仮面の女を、キッと見据えた。
「屁理屈?当然!屁理屈だって立派な理屈。あたしは絶対に諦めない!今より可能性が低くなったって!」
女の表情が、ふと和らいだ。
「…素敵ね。そういうの、好きだわ」
美月の傍に歩み寄る。
「そう、屈しない心さえあればどんな物でも掴むことができる。…私に勝ったのは貴女かもしれないわ」
その指が、軽く額に触れた。瞬間、美月の姿が消える。
「鳳さん、そういうこと。『天魔に殺された家族・知人が皆よみがえる』…貴方自身が信じなければ、可能性はゼロ。本気におなりなさい。まずはそこからね」
静矢の姿がかき消えた。
「それにしても…大変な可能性を得たものね。雀原さん、貴女の無茶振りが彼に行ってしまったわ」
「ほんと残念♪せめて彼が叶えたところをぜひ見てみたいわ〜」
麦子の望み、それは『誰もが憧れる偉大な英雄のハーレムの一員となり他の側室たちとも仲良く暮らすこと』だった。
「単に飲み放題に憧れただけじゃなくて?」
女の溜息と共に、麦子の姿も消える。
「皆さん、お付き合い感謝します。とても楽しい一夜でしたわ。明朝目覚めれば、今宵のことは春の一夜のただの夢。それをどうするかはあなた方の…」
プレイヤーたちはそれぞれの寝床で目覚める。
夢は単なる夢なのか、それとも…
それは誰にも判らない。
<了>