●一
女の言葉を、Robin redbreast(
jb2203)は一言も聞きもらすまいと息を詰める。
ひと通り聞き終え、ジョン・ドゥ(
jb9083)が尋ねた。
「今部屋の中に見えるモノ、教えてくれるか?」
レジスタンスふたりと、若い両親と幼い子供の親子三人がいる九の部屋は、土を固めたようなつるつるの壁と床、そして天井。他には何もないという。
「了解、この部屋と変わらねえな。何か変化があったらすぐに連絡頼むぜ」
「ごめんね、もうひとつ。天斎、転移した後どうだった? 尻餅ついたりした?」
『いや、気がついたらこの部屋に立ってた。転んだりもしてねえ』
「わかった。もし敵がそっちに行ったりしたら、連絡して。……なるべく急ぐから」
Robinは部屋を見渡す。いやにつるりとした部屋には、前方の扉以外何も見当たらない。
「ただの暇つぶしってだけじゃねぇんだろう」
向坂 玲治(
ja6214)が淡々と呟く。
「向こうはこっちを見てる。どうせ楽しむなら、いろいろ纏めてやるんじゃないか?」
「色々ねえ」
相槌をうつジョン自身も悪魔であり、ロンブルの思考も多少は予測できる。
何をすれば相手の感情を揺らがせることができるか。これは化かし合いでもあるのだ。
「悪魔というのはルールを定めるのが好きだねぃ」
皇・B・上総(
jb9372)が皮肉っぽく言って、壁を撫でた。
「まあ、裏ルールもありそうだが」
「裏ルール?」
神谷春樹(
jb7335)の確認に、上総は説明を続ける。
「ゲームなら、ディアボロにも定められたルーチンがあるはずだねぃ」
例えば、こちらと遭遇した場合。
真っ直ぐこちらを攻撃してくるのか、様子見して来るのか。
ある程度ダメージを受けたら? 撃退士が扉、或いは落とし穴に近付いたら?
ディアボロが落とし穴に落ちたら?
「自動で最後の部屋に転送……て所じゃないかとは思うけどねぃ。証明は簡単なのよさ」
「どうするのですか?」
黙って聞いていた鳳 静香(
jb0806)がそっと先を促す。
「ディアボロの死体を使って落とし穴を捜す。ま、やらない方がいいだろうねぃ。……最後の部屋に飛んだ挙句復活しました、なんかもありえる」
眉をひそめる静香に、上総は軽く肩をすくめた。
「悪趣味とはそういうこと。告げていないだけで嘘は言っていないってのもあるのよさ」
「スイッチも親玉のいる部屋だったりしてな」
ジョンが付け加えると、静香が穏やかに、だがきっぱりと言い切る。
「ゲームならばわたくし達にも勝ち目はあるのでしょう。ルールに則って、人質の方々を取り戻してみせますわ」
のんびりしている暇はない。
敵と遭遇したら変化を確認し、全て倒す。
落とし穴は代表者一人が確実に潰し、防御の不得意な者が単身で敵と遭遇しないよう安全をはかる。
部屋に残った者は、スイッチを捜索してから先へ進む。
これらのことを話し合い、静香はヒリュウを呼び出した。
「お留守番よろしくお願いしますね?」
前の部屋には戻れない。
万が一スイッチを見落とした場合、ヒリュウに再確認して貰うつもりだ。
「ちょっとごめんね」
春樹は静香以外にマーキングを使う。これで対象のおよその位置や距離が掴める。
「出来るだけ早くスイッチを発見しよう。絶対に助けるんだ」
頷き合い、まず玲治が扉に向かう。
●二
古い木製の扉のようだが、恐らく実際は何か違うモノだろう。
静香は翼を開き、床を踏まないようにして進む。自らを非力と考える静香は、足手まといにならぬこと、また後方から確実に支援することを選んだ。
Robinは扉を抜ける同行者達を殿でじっと見つめる。
場合によっては二部屋を跨いで攻撃できないものか――だが、誰かが抜けると同時に扉は現れ、視界を遮った。
「そう上手くはいかないよね」
Robinは事実を淡々と確認し、自分も扉を通った。
二番目の部屋に入ると、ほぼ対角線上の壁際に次の扉があり、フード姿のディアボロが佇んでいた。足元には僅かな隙間がある。敵は床を踏まないらしい。
「扉を通った瞬間を襲ってくる、てのはないようだねぃ」
上総が呟いたが、たまたま近くにいた場合はまだわからないとも思う。
春樹は部屋を見渡した。部屋の大きさ、中の様子、それらは一の部屋と変わらない。
(これなら誰かが飛ばされてもどの部屋にいるか予測できるな)
静かに頷き、声を上げた。
「攻撃のときには余り動かないように気をつけてください。どこに罠があるか判りませんから」
(壁や天井を壊されると何か困るのか……? 床はどうなのか)
ジョンは悪魔の思考を予測する。
(転移できる落とし穴か。ゲート的なものなのかね?)
個人的には興味もあるが、まずは目の前の敵の排除だ。
まず玲治が仕掛けた。
「お前はどっちだ?」
蒼い光を纏う矢が、真っ直ぐに敵を貫く。カオスレートを天界寄りに変え、物理的な攻撃を弱める『破魔の射手』ならば、初撃を敵に真似されても損はない。
陰気なローブが淡く光り、アウルの矢を受け止める。
と同時に、ディアボロは錆色の大鎌を振り上げ突進してきた。
どうやらこの部屋の敵は死神人形のようだ。鎌の魔法の刃を玲治の構えた槍ががっちり受け止める。
「これぐらいなら……!」
肩が軋む。物理的な攻撃を弱めたとはいえ、魔法属性の刃の威力は変わらないようだ。
だが玲治の固さが勝る。
上総はじっと敵の動きを見据えた後に、手をかざす。
「なるほどねぃ。こいつは雑魚。さあ、ちゃっちゃと片付けるとしよう」
床から幾本もの腕が伸び、敵を絡め取る。『異界の呼び手』にかかったディアボロの身体が硬直し、床に立つ。身を捩るが、敵は動けない。
玲治はその隙に鎌の刃を捻るようにして払い、そのまま槍で貫く。
ディアボロは崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
息を整えると、玲治は慎重に部屋を歩いていく。
突然、その姿が消えた。
ほんの暫くの後、春樹が息を吐く。
「たぶん四番目の部屋です」
「そんなに離れてはいないですね。急ぎましょう」
静香が促し、ジョンが扉へ向かった。
春樹はじっと身構え、部屋の様子を確認する。
(部屋を抜けても、特に何も変化はない……?)
スイッチが「ない」ということを確認するのは難しい。
こちらの行動でスイッチが現れる仕掛けを疑うが、今の所落とし穴を踏んでも、扉をくぐっても、部屋には変化がなかった。
悪魔の高笑いが響いたような気がして、春樹は唇を噛みしめる。
●三
今度の敵は真正面にいた。扉はその左手の壁にある。
「やっぱり動かないか」
ジョンは闇の翼で空中に浮かび、ウェルテクスボウを引き絞る。
小回りの利く比較的小さめの弓だが、威力は高い。
まずは一矢お見舞いする。肩口を貫かれた敵は、鎌を振り上げて突進して来る。
「こいつも人形だぜ」
ジョンは同行者から意識を逸らすように、中空を移動した。
敵は身体の向きを変えてジョンを追う。天井までの高さは普通の家屋程度、鎌のリーチなら十分届くのだ。
「今のうちに動きを止めるね」
Robinが一歩踏み出したときだった。突然、床を踏む足の感覚がなくなる。
「Robin様っ!」
静香の声が響く。Robinの姿は三の部屋から消え失せていた。
ジョンは小さく舌打ちし、敵を見据えた。
背後に時計の文字盤の幻影が浮かび上がり、無数の赤い針が槍となって敵を貫く。
『終焉(ジ・エンド)』の名の通り、文字盤が壊れて消え失せた後に、敵は凍りついたように身じろぎ一つ出来なくなっていた。
だが石化の影響は、良いことばかりではない。
敵は固くなり、その分だけ倒すのに意外と時間がかかってしまった。
銃を握り締めた手の甲で額を拭い、春樹が報告する。
「隣の部屋に向坂さん、その先の五の部屋にRobin redbreastさんがいるはずです」
「確かにイイ趣味してやがるぜ」
ジョンはどこか楽しんでいるような風情で言い、次の部屋へと進む。
●四
飛ばされた部屋で、玲治は敵と単身斬り合っていた。
足が床に触れる感覚を取り戻した瞬間、刃が襲ってきたのだ。
敵はこちらが扉から現れると動かないが、落とし穴を経由すると即座に襲い掛かってくるらしい。
頑丈な玲治であればこそ、初撃を受け止める余力があった。
(注意するように伝えた方がいいな)
そう思いながら、またも『破魔の射手』を試す。
それから斬り合うと、体感的に最初の敵よりも「固い」と思った。
どうやらこいつが無貌の人形で、玲治の固さまでコピーしたようだ。こちらの槍先を受け止めることすらやってのける。
そこに後続が到着した。
「向坂様、大丈夫ですか!」
静香が驚いたのも無理はない。一撃ずつは大したことはないが、玲治は幾筋もの傷を負っていたのだ。
「大丈夫だ。どうやらこいつが無貌の人形らしい。確実に当てて行くんだ」
玲治が簡単に理由を説明する。
「わかりました。足元に気をつけて参りましょう。Robin様が単独で飛ばされてしまいました」
「何だって」
玲治が唸ると、上総が頷く。
「なんとも悪趣味なダンジョンだねぃ。悪魔らしいというか……」
声はそこで途切れ、上総の姿もまたその場から消えていた。
●五
Robinが送られたのは五の部屋。
内部を確かめるよりも先に、大鎌の刃に襲われた。
避けようとしたのとほぼ同時に横腹に刃が食い込み、血が噴き出す。
咄嗟に魔法の筆で短剣を描き、フードに覆われた空洞を狙った。敵が避けた隙に距離をとり、パサランを召喚する。
「……ちょっとの間、お願いだよ」
現れたパサランは敵を丸呑みして、ぶるぶると震えだす。
その間にロビンはスイカを取り出した。
「また飛ばされたら面倒だからね。……これで作動するかどうかはわからないけど」
ゴロゴロゴロ。
大きなスイカが床を転がっていき、やがて部屋の隅でかき消えた。
ロビンはほっと息をつく。これでこの部屋の落とし穴は作動しない。
できれば傷を治したかったが、パサランが敵を抑えておけるのはほんの少しの間だ。
油断すれば意識が遠のきそうになる。
(傷は結構深いね……でもここで倒れるわけにはいかないんだよ)
Robinは自分の状況を後続に伝える。
そして顔を上げたときには、パサランの分泌液でべとべとになったディアボロが、じりじりと迫っていた。
キッと敵を見据え、Robinは身構える。
敵を引きつけておいて、確実に一瞬の隙を狙う……そう心を決めたとき、扉が開き、こちらも血まみれの玲治が飛び込んで来た。
「……遅くなった」
血濡れのRobinの目から光が失われていないのを確認し、玲治はそれだけを言葉にする。
「落とし穴はもう大丈夫だよ」
「わかった」
多勢に無勢、ディアボロの動きは鈍い。
仲間が敵を抑えるうちに、Robinは自分の手当てを済ませ、どうにか立ち上がった。
スターショットの強い一撃でとどめを刺し、春樹が声を上げる。
「次の部屋に皇さんがいます」
●六
上総が部屋で見たものは、床を濡らす赤い液体だった。
「なんともシュールな光景だねぃ」
鉄臭い匂いはなく、甘い果実の匂いが満ちている。
Robinのスイカが上総より先に部屋に出現、敵はスイカに突進し、上総は出会い頭の攻撃を免れたのだ。
「ま、とりあえず。もう遠慮は無用さね」
仲間が追いついて来る前に、上総は敵の動きを封じにかかる。
●七
無謀のディアボロは既に居ない。
翼の限界が来て、今までと勝手の違う戦い方で静香が多少傷を負ったが、それ以外には特に問題なく敵を倒す。
撃退士達は改めて部屋を見渡した。
「ここまでスイッチは見当たらず、か……」
春樹は念のためにサーチトラップを使うが、そもそも罠といっても今回のは種類が違う。
「次の部屋にロンブルがいるんですね」
先に六の部屋から飛んだ玲治が、そう告げていた。
「行きましょうか……と、その前に。この部屋にも落とし穴はあるんですね?」
「行く先は八か九の部屋だろうがな」
ジョンが部屋を歩き回り、やがて消えた。
その先には今までの物とは違う、両開きの扉が待ち構えていた。
●八
悪魔はアンティークの椅子に悠々と掛けていた。
「これはこれは、お疲れ様です」
秀麗な顔に浮かぶ笑みは、冷たく輝く。
「随分と手の込んだ仕掛けだな。楽しかったか?」
あわよくば、何か今後の役に立つ情報を。玲治は尋ねながら、じっとロンブルを見つめた。
単なる優男のようで、底知れぬ混沌を感じさせるのは、強力な悪魔と聞いているからか。
「初めまして、鳳静香と申します。貴方様の事は弟から何度か聞いていますわ」
静香は丁寧に話しかけた。
「貴方様は好事家であるとお聞きしていますが、今回はどういった趣向がおありでしょうか?」
悪魔がくすくす笑う。Robinは無表情のまま尋ねた。
「楽しかった? じゃあ代償に、何がしたかったのか教えてよ」
「退屈凌ぎと、実験を少し。それはほぼ達成しましたよ」
ロンブルがゆっくりと立ち上がり、椅子が消えた。悪魔は親指で背後を示す。
「スイッチはこちらですよ。警告して差し上げたのに、罠を全て踏み抜かれるとは意外でしたねえ。では失礼」
ロンブルの姿は笑い声を残し、壁の向こうへ消えた。
●九
「ま、俺が興味を持ってるヤツは今の所悪魔勢力には一人だけだからな」
ロンブルに遭遇し損ねたジョンは、そう言って苦笑いを浮かべる。
部屋には不安げな若い男女と、若い女、そして天斎がぐったりとした幼児を抱いていた。
「子供の様子がおかしい。スイッチはあったのか?」
ガコン。
突然天井から音が響き、光が漏れる。
梯子がするすると降りてくると同時に、小さなピンポン玉状の物がすうっと浮かびあがり、光の中へ消えていった。
●エピローグ
姿を見せたロンブルを、リザベルが冷ややかに一瞥する。
「実験とやらは終わったの?」
「ええ。首尾は上々。さすがはドクター・プロホロフカ、見事な御見識です」
そして経過を報告する。
設置が容易な転移用疑似ゲートは、予想通りに作動した。
必要なエネルギーも現地調達で十分賄える。
「現地調達ですって?」
リザベルの片眉がピクリと動いた。
「ええ、ええ。たった一人分のエネルギーで、数回の転移に使用できるのですよ。尤も今回は短距離ですので、距離を伸ばし、精度を高めた場合は計算上……」
「とても使えないわね」
リザベルがぴしゃりと言い放つ。
ゲート自体が吸収したエネルギーは、ゲートの維持に使われてしまう。
ただ消費するだけのシステムなど、天界・人界との火花散るような睨みあいの渦中にあるリザベルにとっては、ほぼ無意味だ。
「ともあれ必要なデータは頂戴しました。私はこれにて」
ロンブルは笑みをたたえ、リザベルに向かって恭しく腰を屈める。
そのとき一瞬、リザベルはロンブルを引きとめ、手持ちの戦力とすることを考えた。
だがその考えはすぐに頭から追い払う。手元に置くには予測不可能すぎる駒だ。
「博士に宜しく」
「有難うございます。では御機嫌よう」
影はゲートへと消えた。
<了>