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冷え冷えとした風が高い塀を縫って吹き抜けていく。
小野友真(
ja6901)は思わず身体を震わせた。
「さぶぅううっ!?」
「大丈夫ですかー? あと少しですから頑張りましょうねー?」
アホ毛を風に遊ばせながら、櫟 諏訪(
ja1215)がいつも通りに笑う。
色々と思惑もある依頼だが、眉間に皺を寄せていては小青が不安に思う。何よりも久々に知人に会うことは楽しみだった。
「大丈夫? どこか苦しい?」
御召茶に紅梅柄の振袖姿の竜見彩華(
jb4626)が、小青の様子を窺う。眉間に皺を寄せているのは小青だった。
「……歩きにくい」
彩華の見立てで振袖を着たものの、草履に苦労しているようだ。それでも脱ぎたいとは言わないあたり、気に入ったらしい。
「上手よ。もう少し頑張って!」
彩華は帯を少し直してやる。伸び行く若松の帯に、着物の模様は幸福を意味する牡丹柄。彩華の祈りを籠めた着物だ。
「めっちゃ可愛いし! 似おてるし! ほんま、お正月ってカンジするな!」
友真が満面の笑みを向けると、小青もまんざらでもない様子で背筋を伸ばした。
「いいねえ、女の子の晴れ着姿! 華やかだねえ」
加倉 一臣(
ja5823)が人好きのする笑みを浮かべると、月居 愁也(
ja6837)がまぜっかえす。
「加倉さんも振袖着ても良かったんだぜ?」
「それは何の罰ゲームなのかな?」
小青が暫く一臣をじっと見つめ、それから軽く俯きながら首を振った。
「まって。勝手に想像して勝手に幻滅するのやめて……?」
それでも初対面の一臣にも馴染んでいる小青に、内心安堵する。
愁也が明るい笑い声をあげた。こんな風に笑える日を、どれだけ待っただろう。
本当は小青の頭を撫でまわしたかったが、簪や花飾りまで付けた頭をくしゃくしゃにしたら、彩華と二人がかりで半殺しにされかねないので自重する。
「ついたー! しっかし相変わらずでっかい玄関やな!」
友真がインターホンのカメラに思いきり顔を近づけながらピースサイン。
「やっほー、デリバリーサービスでっす! 真弓さんいてるー?」
ややあって、重い扉が開く。そこには口元に手を当て、笑いを堪える池永真弓の姿があった。
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その頃、夜来野 遥久(
ja6843)と六道 琴音(
jb3515)は池永邸の向かいにある家に向かっていた。
歩きながら琴音が低く呟く。
「池永さんがまだご存命なのは喜ばしいことなんですけど。例えば、小青さんのように、何か天界の不思議な力で生かしているとしたら……」
「可能性はあるかもしれませんね」
遥久もその点は考えないでもなかった。
「でも既に天使の力のほとんどを失っている真弓さんに、天界がこだわる理由があるとも思えませんけれど」
琴音は自分自身に問いかけるように目を伏せたが、遥久に促されて顔を上げた。
インターホンを鳴らすと女の声が応じる。
「はい、どちらさま?」
遥久が丁寧に口上を述べた。
「初めまして、近々引越予定の黒田と申します。ご挨拶させて頂きたいのですが、少し宜しいでしょうか」
この家の家政婦は、以前に近所の噂をもたらしてくれたと聞いていた。顔を覗かせたエプロン姿の中年女性に、遥久が紳士的対応の柔和な笑みを向ける。
髪を下ろし、地味だが品の良いスーツを着込んだ遥久は、実際の年齢より大人びて見えた。
「お忙しい所すみません。これ、つまらないものですが」
琴音が丁寧に菓子折を差し出す。二人はこの近くに引っ越し予定の若夫婦という設定だ。
「あらご丁寧に。あちらのお宅?」
指さすのは、池永邸の隣家である。
「ええまあ、まだ正式に決めてはいないのですが」
曖昧に返事しながら、遥久は笑顔を崩さない。
(誰かが引っ越してきても不思議ではない家なのか?)
女性は特に警戒する様子も無く頷いた。
「そうなんですか。いつの間に引っ越しされたのかしらねえ」
暫く適当な会話をかわし、遥久は本題を切り出す。
「実は、この辺りで地震の予兆があったという噂を耳にしまして……妻が地震を怖がりますので決めかねているんです」
「あらまあ。この辺りは地震はめったにありませんよ」
「そうですか、それなら安心です」
そうして事前に聞いていたことを幾つか確認し、二人はその家を辞した。
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諏訪と愁也は真弓に挨拶しつつ、自分達より前に小青を押しだす。
「真弓さんお久しぶりですねー!」
「お久しぶり! 小青も元気ですよ!」
色々な感情が入り混じった顔で、小青は真の主の顔を見上げた。
「元気そうですね、小青。随分綺麗にお着物を着せてもらったこと」
穏やかな真弓の笑みが小青を落ち着かせる。
「ご無沙汰してます! といっても俺はほとんど初めまして、かな」
一臣が言うと真弓は目を細めた。
「あら。その節は有難うございました。……ところで皆様お揃いですか?」
事前に人数を伝えてあったためか、真弓が僅かに首を傾げた。
「あー……ちょっと寄りたいところがあるって、遅れて来るんです。すみません」
真弓は特に不審がる様子も無く邸内へ招き入れた。
「あーっとその前に! 小青、こっち向いてな!」
友真がカメラを構え、坪庭の前に真弓と一緒に並ばせた。
せめて写真の中でいつも一緒にいられたら、二人とも少しは慰められるだろう。
ダイニングの大きなテーブルには既に料理が並んでいたが、一角が空けてあった。
そこに持ち込んだホットプレートを設置、友真が腕をまくりする。
「たこ焼きは任せろー! ……あ、焼くほうだけです、すんません」
タネは他人任せらしい。真弓が心配そうにテーブルを見渡した。
「足りないものはありませんか? 一応、教えて頂いた通りに揃えたつもりですけれど」
チキンにケーキ、お重に入ったおせち料理に、水餃子。クリスマスとお正月、それも日本と、小青の故郷のお正月のごちゃ混ぜだ。
「これが日本のおしょーがつというものなのか」
小青が目を白黒させていた。
「正しくはないですけど、こういう色んな文化を吸収するのが日本らしいといえばらしいですねー?」
諏訪の説明に、小青は不思議そうな顔をする。
「それにしても立派なキッチンですね!」
一臣が感心したようにキッチンを覗き込む。ダイニングから独立したキッチンスペースがある作りだ。だが余り使われている形跡はない。そこに何か鍵があるような気がして、一臣は痕跡を探す。
インターホンが鳴り、遥久と琴音が合流した。
「真弓さん、お久しぶりです。お元気そうでなによりです」
琴音は万感の思いを籠めて、ただ真弓に笑って見せた。
「有難うございます。六道さんも」
最後に別れたとき二人の周りには血の匂いが満ちていた。こうして笑いあえること、それは喜ばしいことに違いない。
「六道さんもお着物、いかがですか……!」
彩華のキラキラ光る瞳に促され、琴音も続き部屋を借りて、クラシカルな晴着に着替えた。
遥久が大きな月餅の箱を小青に差し出す。
「お年玉です」
「オトシダマ? 爆竹の火薬だけではなく弾まで使うのか、日本では」
激しい誤解があるようなので、遥久は丁寧に説明する。
「ああそれから。ご当主にもご挨拶させて頂きたいですね、年長者二人だけでも」
遥久がにっこり笑って一臣の肩に手を置く。一臣は年賀の熨斗紙を巻いた箱を両手で持ち上げた。
「そうですそうです。騒がしくしますし、ひとことご挨拶を」
「まあご丁寧にすみません。今日は病院に行くと言って出かけましたの。気を利かせたつもりみたいですわ」
真弓は穏やかに微笑んでいた。
「お元気なら良かったです。ちょっと安心しました」
彩華がそう言って溜息を漏らす。嘘は苦手な性質だ。不自然に体調が良いと聞いて、一番心配したのは「消える前の蛍光灯は明るい」ということだった。
彩華の表情が緩むのと同時に、一瞬真弓の表情に翳が過る。遥久はそれに気付かないふりをした。
「そうですか。随分とご回復されてるのですね。良いお薬があったのか……喜ばしいことです」
「有難うございます」
真弓はもういつも通りに微笑んでいた。
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賑やかにたこ焼きを焼き、ケーキを食べ、笑い合う。
琴音は、初めてのたこ焼きに目を丸くしている小青の前に、具の載った皿を置いた。
「小青さん、たこ焼きには好きな具を入れるといいですよ。チーズやお餅、明太子なんかも美味しいと思います」
――邪道や。
友真は内心そう思ったが、ぐっと我慢した。その代わりに、元気よく串を取り出す。
「好きな具入れたら、こうやって焼くんやで」
くるんくるんと器用に返すと、丸いたこ焼きが出来上がる。小青の目も丸くなっていた。
「どや! やってみたい人募集ー! 挑戦も大事やでプロの俺が教えたげよう。もしくは勝負でもええんやで?」
「俺は食べる方で貢献します」
一臣は早々に離脱宣言。愁也が焼き上がったたこ焼きを皿に取りながら、ぼそりと呟いた。
「ちょっとレシピは違うけど、明石焼きってこれを出汁につけるんだよねー」
「え、なんのことだか」
一臣が目を逸らした。最初に真弓に会ったとき、出汁を巡って騒いだのが思い出される。
諏訪が小青に串を握らせた。
「こういうのは失敗しても、皆でワイワイ焼くのが楽しいですよー? ほら、やってみましょうねー」
「お袖が邪魔かな。こうしておくといいですよ!」
彩華が長い袖が邪魔にならないように世話を焼いた。
「どろどろが固まるとこうなるのか……」
「せやで! うん、なかなかうまいこと回してるな。合格や!」
友真が太鼓判を押した。
お腹が膨れた頃合いを見計らって一臣が手を叩いた。
「片付けは皆でぱぱっと済ませて、ちょっとゲームでもしようか!」
「お任せ下さい」
遥久の笑顔が、眩しすぎた。取り出したのは福笑いである。
「なんだこれは」
小青が不思議そうに覗きこむ。
「これは福笑いという、お正月の遊びです。日本では『笑う門には福来る』という言葉があるのですよ」
友真が真っ先に目隠しをした。
「よっしゃ、俺が手本見せたる!」
どんなことでも勝負事に手は抜かない。狙撃手スキルの緑火眼まで使うが、それ、目隠ししたら意味なくね?
友真の実例(※お察し)を元にルールを聞いて、小青が目隠しをせがんだ。
「簡単だ。小野よりは上手くやるぞ」
自信満々で並べ始める小青。だがパーツの見極めは簡単ではない。
当然出来上がったのは、得も言われぬ面相のおかめだった。
「うわー……」
小青は余りの出来に、笑うよりドン引きしている。可哀そうになって、諏訪は思わず慰めの言葉をかけた。
「これは誰がやってもこんな感じになるのですよー? じゃあ次は真弓さんにやってもらいましょうかー!」
「え、私ですか?」
諏訪が真弓を後ろに向かせて目隠しした。遥久は皆に唇に人差し指を当てて見せると、素早く福笑いを入れ替える。
「さあどうぞ」
「…………!!!!」
愁也は親友の力作福笑いに、必死に笑いを堪える。
「こうかしら……?」
並べ終えて目隠しを外した真弓は、小青以上にドン引きしていた。
「ええとこれは……白川さんですか?」
堪え切れずに愁也が大笑い。遥久がベストショットを加工して作った【ジュリアン先生福笑い】の出来栄えは、壮絶だった。
「何、これ作ってて遅くなったの!? 天才かよ……」
一臣は頬と腹筋をひきつらせながら、『作品』をスマホで撮影していた。
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福笑いで一通り笑った後に、一臣がいろはかるたを取り出した。
「色は匂えど散りぬるを……ってね。これでも日本文化愛好会所属ですから」
かるたを並べて説明すると、小青が首を傾げた。
「読めん」
実は小青、まだ日本語の読み書きが充分ではない。
琴音が察して、絵札を並べて見せる。
「ひらがなは大丈夫ですか? でしたら絵のほうだけでいいんですよ」
「そうそう。読み札は読み上げ用だから、その一番最初の文字がわかれば充分だよ。そうだな、狙うとしたら……」
一臣は説明しながら、絵札から「ま」「ゆ」「み」の文字を選んだ。
「こんな感じかな。友真とかなり被るから、競争は熾烈だな……!」
「今度は絶対に負けんからなー!」
友真が腰に手を当てて高笑いする。
その間に、諏訪と愁也はさりげなく小青に背中を向けるように座った。
「俺この札好きなんだよねー、諏訪くんは?」
「そうですねー……ちょっと見せてもらえますかー?」
別のひと揃いのかるたを取り出し、半分ずつを手早く繰ると、真弓の前に並べる。
「た」「す」「け」「は」「い」「る」「か」
精いっぱいのメッセージだった。真弓は暫く不思議そうに見ていたが、やがて意味に気付いて目を見張る。
愁也は続けて札を繰る。「たすけ」を「てき」に替え、真弓を促した。
「真弓さんはどう? どの歌が好き?」
真弓の表情は相変わらず笑みを湛えていた。だがその瞳には、哀しみと共に、ある種の覚悟が宿っていると愁也は感じた。
「そうですね。かるたはあまり詳しくないのですけれど、ちょっとお借りしても宜しいですか」
真弓が札を繰る。美しい横顔には緊張が見えた。
不意に真弓の指が止まる。白い両頬に、丸い毛玉がすり寄っていたのだ。
「えへ、なんかこういうのがいると、気持ちがふわふわしませんか」
彩華が泣きだしそうな顔をしながらも、明るい声で言った。呼び出されたケセランとパサランは真弓を慰めるようにふわふわとたゆたっている。
真弓は目を細めて、二体を撫でた。
「皆様には本当に感謝しています。あの子が――小青がこんなに元気になったのは、奇跡ではありません」
真弓の指がテーブルを滑る。
「奇蹟はほとんど起こらないから奇蹟なのです。どんなに不思議なことにも理由があります。小青には皆様のお力添えがあったからこそ、今があるのです」
約束の時間はあっという間に過ぎた。
見送りに出た真弓に年賀状を渡す者、次の約束をする者。名残惜しそうな小青の背中を、愁也がポンポンと叩いた。
「次は花見でもしようよ。な、小青!」
「そうですね。桜の頃にまた」
遥久が真弓を見る。
「桜……は……今年は、どうでしょう。梅は急いでいるみたいに、もう咲きかけていますけれど」
真弓は最後に深々と頭を下げた。
諏訪は手を振りながら、真弓の並べた文字を思い返す。
「し」「と」「た」「の」「む」
真弓の言葉に誘われたように、庭木の梅の香りが通り過ぎていった。
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青い瞳達が真弓の戻りを待っていた。
「助けを求めても良かったのよ」
グラディエルの笑みは、地下からあふれる光に照らされて凄惨なものに見える。
真弓は、いやクー・シーは、精いっぱいの抵抗を籠めて睨み返した。
なだめるような優しい声でリーネンが囁く。
「ああいう子が好きなのね……わかったわ、あの子は残念だけれど、首尾よくいったら、似た様な毛色の人間を見つけてきてあげるわね。使徒が傍にいなくなると寂しいもの。貴女にも新しく使徒を作るくらいの力はくだされる筈よ」
「そうね。それぐらいの口添えはしてあげてよ」
グラディエルが小さく笑う。
クー・シーは両手を組み合わせ、痛い程に固く握り締めていた。
<了>