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啖呵を切って飛び出したものの、中山律紀の内心には迷いがあった。
(誰も気付いてくれなかったら、真っ先にやられて終わるかもな……ペンデュラムだけは護らないといけないんだけど)
正面には微笑む銀髪の悪魔、左手中空には金髪のヴァニタス。我ながら無謀な突進だ。
だが相手はマッドドクター・カーベイ=アジン率いるプロホロフカ軍団の一員、ペンデュラムはおろか、鉱石を奪われることも避けたい。突進で相手の意識を逸らしつつ、攻撃を面倒だと思わせてお帰り頂きたいというのが本音だった。
百戦錬磨の仲間たちなら、きっと気付いてくれるだろうという期待を込めて。
律紀の行く手を遮るヴァニタスに、黒井 明斗(
jb0525)は鋭い視線を向けた。
「何度目ですか、こうやって会うのは?」
女は鞭をしごきながら、魅惑的な唇を緩めて笑った。
「……不幸な出会いもこれで仕舞いにしましょう」
冷たく言い放ち、明斗は律紀に並ぶ。
ロンブルがふわりと浮きあがり、例の岩の上に優雅に腰掛けた。
「おやおや因縁の対決ですか? ラリサも随分と顔を売ったようですねえ」
少なくとも今暫くは、見物を決め込むつもりらしい。
「さあ、どうでしょう?」
ラリサがロンブルを背後に庇うように動くと、鳳 静矢(
ja3856)の刃の切っ先がそれを制するように向けられる。
「近辺で目撃された不審な者どもとは、貴様等だったのか」
石が目的ではなく、飽くまでも周囲の警戒のため。そう繕ったのだ。
「あら、どこで見られていたのかしらね? 不思議だわ」
どこまで気付いているのか、ラリサがくすくす笑う。
「まあいいわ。ロンブル様に余興をお見せしなさい」
歌うように言うと、にわかに脱衣場のほうが騒がしくなった。見れば、旅館の法被を着た男や着物姿の女が我先にと浴場へ入ってくる。
「旅館の人達を誑かして何処へ連れていくつもりだ、貴様」
静矢が強い弓を引き絞る。放たれた矢は光の加護を受けて、真っ直ぐにラリサを狙う。
だが金色の残像を残し、ラリサは矢を避けた。
「さあ。何処へ連れて行こうかしら?」
(力を増しているのか……)
静矢はラリサの笑みに、それを確信した。
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小田切 翠蓮(
jb2728)は、悪魔と従者が自分達の目的に全く気付いていないとは思えなかった。
(詳しくは知らぬでも、『この時期・この場所』で我ら撃退士と鉢合わせた以上、ある程度は……の)
だが敢えて誤魔化すような物言いをするは下策。
(“沈黙は金”とも言うしのう?)
ひとまずは律紀と明斗に届くよう、『四神結界』で守りを固める。
それから即座に下がりつつ、背後に迫る人々の形相を認めた。
「なるほど。ラリサとやらの戦い方を見るに、かなりの性悪娘っぽいのう」
鷺谷 明(
ja0776)はいつも通りの笑顔を浮かべて両手を広げる。その目が洞穴に輝く赤い光のように変じた。
「ああまったく、道楽で来たのなら道楽で帰れよ。相手の意に沿わぬ共演は鑑賞に堪えるものではなかろうに」
明は仕切りのガラス戸を開き、朗々と歌い始めた。『ヒプノララバイ』、アウルの子守唄だ。
入口は狭く、ふたりで立ち塞がれば何人が押し寄せようと大したことはない。だが、一般人に怪我をさせるのは好ましくないだろう。
手前の1人が膝をついたが、すぐにもう1人が翠蓮に手を伸ばす。
「――すまぬの。暫くの間、眠っていておくれ」
囁くように言って、翠蓮は当身を喰らわせた。
ラリサは柳眉を逆立てて、不快そうに鞭をしならせる。
「本当に嫌ね、お前達って」
「成程成程、これは見ものですねえ」
ロンブルは手を打って喜んでいる有様だ。
そこに律紀と明斗が接近する。
(皆、わかってくれてるんだ)
自分を守るアウルの力に、律紀は確信した。
「いつもそうやって人間を操って馬鹿にして。力があるなら、相応の振る舞いをなさったらどうです!」
明斗は優しい顔立ちに似合わぬ激しい言葉を叩きつける。半分は本心だったかもしれない。
槍を揃えて突進するふたりを、ロンブルは平然と見据えていた。
「何がそんなに君達を駆り立てるのか。興味がありますね」
そう言うと手にしていた杖をくるりと回す。次の瞬間、杖が伸びた。
「!!」
正しくは杖から発せられた光が伸びたのだが、律紀を守ると決めていた明斗が咄嗟にその前に回り込む。
「黒井君!?」
フローティングシールドが明斗を守る。攻撃を受け止める覚悟で身構えた明斗だったが、杖から伸びた光は明斗の左肩口を、そして律紀の右腕の付け根をも貫通した。
光はすぐに収縮し、ロンブルは杖を回して肩をすくめる。
「おやおや、ナイトが守るのは姫君だと思ったんですけどねえ。彼は君の姫君なんですか?」
「敬愛する先輩です。自分等より生きて帰ってもらわねば学園の損失になりますから」
明斗はぐっとロンブルを睨みつける。次撃が来ても、必ず受け止めると。
だが次撃は来なかった。
この隙に、黒獅子意匠の武者装束姿が接近。天羽 伊都(
jb2199)である。
「お前が対象の悪魔か、これより排除するっす」
双眼は金色を帯び、全身が黒く染まる。飽くまでも挑発のための言葉だが、伊都の本心でもある。
好き勝手に暴れているようでいて、嫌なところに現れて人類に大きな被害を与えるのがこの連中だ。可能なら完全に排除してしまいたい。
獅子は慎重に愛刀を構えタイミングを計った。
伊都の背後では、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)がロンブルを伺う。
「ハート、君は向こうから」
召喚された小さなヒリュウは任せろと言わんばかりにくるりと宙返りし、すぐに飛び立つ。
エイルズレトラは飛翔し、マントを翻しながらロンブルをヒリュウと共に挟むように接近する。
「今日は一体何をしにこられたので? まさか、人間の真似をして温泉に入りに来ただけではないでしょう」
表情を見せないカボチャの仮面。天羽々斬の刃が、弱い陽光を受けて鈍く光る。
「いけませんか? やれやれ、私は荒事は不得手なんですよ。学生さん達は元気ですねえ」
ロンブルは突然緑の光翼を広げ、岩の上に飛び上がる。その足元を聖なるアウルの鎖が掠めた。
「何とぼけているんだ、何かしようとしているのはお前たちの方だろ」
龍崎海(
ja0565)の生真面目な視線が、ロンブルをじっと見据えている。
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「ロンブル様!」
背後とラリサのいる方向以外全て敵という有様の主に、ラリサは危機感を覚えた。
簡単に負ける方ではないとは分かっているが、どちらかというと何をするのかわからないのだ。
すぐに助けに行きたかったが、それは叶わなかった。
黒い蛇の幻影がラリサの行く手を阻む。蝙蝠の翼をはためかせてかわすと、蛇は宙を噛んで消えた。
「ここは温泉卵がおいしいみたいだよ。でも旅館の人が誰かさんのせいで作れないから、今日はお土産はなしだよ」
生き人形のような笑顔で、Robin redbreast(
jb2203)が小首を傾げる。
(律紀をみんなで厳重に守ったら、律紀が重要アイテムを持ってることが明らかだからね。石を奪われない限りは攻撃して撤退させるしかないかな)
少なくともラリサは過去にも撃退士と戦っており、ある程度手の内はわかっている。ラリサを追い込めばロンブルも無理はしないだろう。
そう考え、まずは重点的にラリサを攻撃することに決めたのだ。
「いやな子ね!」
ラリサはそう言ったが、前には出てこない。ロンブルから離れてまで攻撃を仕掛けて来る気はないようだ。
「ならばこちらから行くぞ」
静矢は構えていた剣を振り抜く。紫炎の大鳥が切っ先から飛び立ち、宙を舞う女に襲いかかる。
あわせて、Robinが星の鎖を放った。
「折角のお風呂、入らないともったいないよ」
静矢の大技を回避したラリサが下りてきたところに、鎖が絡みつく。
「ああもう、ほんとにいやな子!!」
ラリサは美しい顔を歪めて吐き捨てた。鎖を掃う暇に、静矢が剣で切りかかる。
本来ならそれで、ラリサはとっくに貫かれていただろう。
だが露天風呂という極めて狭い空間では、互いに満足に動けない。
(この狭さが連中の狙いか)
一度引いて剣を構えなおした静矢の目に、柵を飛び越えて現れる黒い影達が映った。
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ロンブルの気が逸れた隙に、律紀と明斗は一度下がる。
「ごめん、でも助かったよ」
律紀もそれ以上多くは語らない。
現れたのはこれまでにも見かけた凶悪な影猫ディアボロだった。
翠蓮は眠る人々を確認し、スナイパーライフルを構えると翼を広げて床を蹴る。
「やれ賑やかなことだの」
派手な着流しの裾を翻し、可能な限リ距離を取って影猫を狙う。
この敵は素早く、ヒットアンドアウェイを得意とする。間合いが近すぎると、一方的に攻撃を受ける羽目になるのだ。
翠蓮の銃弾が、今まさに飛び出そうとしていた影猫の鼻先を掠めた。怯んだ隙に、長く伸びてきた布がその身体を絡め取る。
「猫は水が嫌いなのだったかねえ」
明が金剛布槍を持った手を捻り、温泉に影猫を叩きこむ。そこに明斗が槍を突き入れた。
だが敵は単体ではない。
真横から飛んで来た別の影猫が明斗に飛びつき、咄嗟に上げた腕を爪で引き裂いて飛び退る。
「無理しちゃだめだよ」
Robinが素早く回り込み、八卦石縛風で影猫の動きを封じようとする。
だが砂塵の中、影猫はそれこそ影のように飛び回る。
「この程度、どうということはありません」
自分が仲間の傷を受けるなら寧ろ本望。重心を低くして、影猫の再アタックを待ち構える。
飛び込んで来たうち2体を後衛だった筈の一団が相手取っていた。
「これ以上向こうへ行かせるわけにはいかないな」
海は上空から狭い戦場を見渡し、今はロンブルよりもディアボロを先に叩くべきだと判断した。
仮に1体でもすりぬければ、一般人に被害が出る。
「一撃で仕留めるのは無理だとしても、多少動きを鈍らせれば」
盤石の魔法書を翳すと大きな石が現れ、影猫を押しつぶそうと落下して行った。今まさに、明斗を狙っていた1体の胴体が石の下敷きになる。
それでも急所というものがないのか、影猫は這い出し、尚も牙を剥く。
「いい加減諦めろって!」
律紀が槍を突き立て、海と翠蓮を振り仰いだ。
「あと1体、お願いします!」
「おんし、人使いが荒いのう」
翠蓮は見えている片目を細めてくっくと笑った。
「サポートします。分かれましょう」
海は飽くまでも生真面目に、全力で掃討に当たる。
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ロンブルに対するのは、上空のエイルズレトラと伊都。
「お前さん、レイガーと同じ軍団にいるらしいな」
白刃を煌めかせ、伊都が幾度目かの斬り込み。敵の能力を見極めるため、敢えて力を押さえ、ちくちくと突つくように仕掛ける。
「まあ、一応はそうですねえ。お知り合いですか?」
相変わらずふわふわと掴みどころのない口調だ。
「ああ知ってる。そしてレイガーの次は、お前さんがどうやら欠けるみたいだな」
伊都が宙を蹴り、突進。
「その首置いてきな!」
「猪武者ですか、レイガー殿とは気があったでしょうねえ」
杖で切っ先を受け止めたものの、ロンブルの頬に一筋の鮮血が走る。
「やれやれ、乱暴ですねえ」
「あなた、本当は何しに来たんです? というより、何がしたいんです?」
エイルズレトラは宙に浮かんだまま、腕組みしている。
「戦うのは嫌いなんですよね。でしたらひとっぷろ浴びたら、気持ち良くお帰りになったらいかがです?」
「まあそうしたいのも山々なんですけどねえ。ほら、ラリサが随分と人気なものですから」
そう言って杖を握り、ぽんぽんと自分の掌に柄を打ちつけた。
ゆらり。
ロンブルの周囲に、黒い陽炎が立ち昇る。
「ほら、やられたままというのも面白くないでしょう?」
突然、ロンブルが岩を蹴った。飛んだ先にはラリサがいる。
その瞬間、ロンブル自身とラリサを包んで、黒い炎が大きく燃えあがった。
「ロンブル様!」
ラリサの身体を抱くようにして、ロンブルが笑う。
「あの石について、もう少しこの方たちに話を聞きたかったんですけどねえ」
「何とぼけているんだ、石を光らせて何かしようとしているのはお前たちの方だろ」
海がそう言いつつ、隙あらばロンブルと石の間に割り込もうとじりじりと移動する。
「おや、ではお互いにわからない? ではこうしましょうか」
ロンブルの目がすっと細められ、杖が光を帯びる。
(脅しですかね? それとも砕いて持ち去るつもりですかね?)
エイルズレトラは砕くならば攻撃も辞さない覚悟で身構えた。
静矢はどちらにせよ、阻止するべきだと判断する。
「その反射技が何処まで万能か……試させてもらおう」
あの陽炎のことは知っている。だが咄嗟にロンブルの気を逸らす方法がない。
幸い、ロンブルを囲むのは頑健な海と伊都、そして俊敏なエイルズレトラとRobinだ。
(皆、避けてくれ……!)
静矢は敢えて刀の威力だけで斬りつけた。
陽炎の黒色が一瞬濃くなり、静矢の刀の威力を周囲にまき散らす。
踏み込んだ静矢は、自分自身の力の欠片を身に浴びていた。
「チィッ……!」
足を踏みしめ、それに耐えた直後だった。
「お疲れ様、というところかしらね?」
ラリサが優しく微笑む。
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「ねえラリサ、僕はやっぱりあの石が気になるんですけどねえ」
ロンブルは気に入りの従者の受けた傷を優しく撫でつつ、名残惜しそうに足元を見る。
「ご存じでしょう? 頑健な撃退士達には長くは効きませんわ。今はこの場を離れるべきです」
ラリサの言に、ロンブルも溜息で同意した。
「同志討ちで果ててくれる程甘くはない、ということですね。君の魅了をもっと強化する必要がありそうです」
悪魔と従者はそのまま山の彼方へと飛び去った。
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ラリサの魅了は、範囲内の者は撃退士と言えど、ほぼその影響から逃げ切れない。
互いに強い撃退士である程、敵にまわせば脅威だ。一撃ですぐに効果が切れるのが不幸中の幸いというところか。
「それにしても、弟さんもハッスルする時あったんすね。残念、写メ取っておけば良かったっす」
傷をあっさり治した伊都にからかわれ、律紀が苦笑いする。
「できればもう二度とやりたくないなあ」
「律紀とペンデュラム、それから石が無事でよかったよね」
Robinの小さな手が、よしよしと律紀の頭を撫でた。
石は思ったよりも大きな岩で、温泉旅館には露天風呂を諦めてもらわねばならない。
「ああ、なんてことだ。私はこの冬温泉に入っていないのだぞ」
明が大仰にそう言ったが、本気かどうかはわからない。
正気に戻った人々の様子を見るついでに、海がそれらのことを説明に行く。
(祭器ねぇ)
海は思いを巡らす。
並のレベルの天魔相手なら、学園生は充分対抗できる力をつけつつある。だが例えばゲートのバックアップがあれば、幾らでも彼らは強くなる。
(単純に強力な武器か、ゲートに影響を与える道具なのか)
それが人にどんな未来をもたらすのか、今はまだわからない。
<了>