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夏の朝独特の空気は心地よいが、今日も暑くなりそうだった。
大狗 のとう(
ja3056)はまだ少し眠そうな表情で、欠伸を噛み締める。
「晴天だな……まあ、雨よりはいいと思うんだけどな……」
「そうだ、ね。体調には気をつけないといけないけれど、作業はしやすい、と思うよ」
花見月 レギ(
ja9841)はいつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
依頼を受けた一同は、皆それぞれに動き易い服装にタオルや飲み物を下げ、準備万端。
学園指定ジャージ姿の大八木 梨香に擦り寄る歌音 テンペスト(
jb5186)の頬は、ほんのり上気している。
「大八木お姉様……薔薇園に興味があったとは……全力で応援しますね。新刊、バラ園の守護者タチなんて……楽しみすぎますわ」
何を勘違いしているのかわからないが、幸い(?)梨香には通じていない。
「歌音さんがそんなにバラ園に興味があるなんて。今日は楽しみですね。……ああ、あの門ですね」
「……へ? バラ園??」
どう見てもバラ園だ。ちょっと凝った作りの鉄柵にかかった看板に観光バラ園と書いてある。
「な、ナンダッテーーー!!」
「……歌音さん、依頼案内はお読みになりましたか……?」
一瞬白目になった歌音の虹彩が戻ってきた。
「……仕方ない、全力で協力します」
柵に沿って歩くと、関係者用の入口があった。インターフォンを鳴らすと、中から六十歳前後とおぼしき男性が飛び出してくる。
「いや、良く来てくださいました……!」
麦藁帽子を取って会釈した。
「とにかくこちらへ」
案内されたバラ園を見渡した〆垣 侘助(
ja4323)は、僅かに眉をひそめる。
「想像以上に荒れているな」
水が多すぎる部分の株は弱々しく、日に照らされた株は立ち枯れ寸前。無残な茎の切り口は、庭師である侘助にとって許し難い状態だった。
「俺は先にこちらのチェックに回る」
言いながらもう、歩きだす。
「あ、はい。宜しくお願いします。出荷のお手伝いの方はまずは作業場へ行きましょうか」
「大八木さん」
久留島 華蓮(
jb5982)が荷物から取り出した軍手を梨香に手渡す。
「これ、良かったら使って。指を怪我したら本を触るのに困るよね」
「有難うございます。先輩も気をつけてくださいね」
「勿論だよ。一応は絵描きだしね」
すこし元気のない花に、星杜 藤花(
ja0292)は労わるように手を添える。
「薔薇の花ですから、もっといかにも花の女王という感じでないと、かわいそう」
日差しが高くなるのを恐れるような頼りなげな様子に、何とかしてあげなければと思う。
星杜 焔(
ja5378)は藤花のふわふわの髪のてっぺんを少し撫で、笑顔を向けた。
「花はいいよね〜。ちゃんとお手入れしてもと通り、お花達に元気になって貰わないとね〜しっかり頑張らないと」
「はい、精一杯頑張ります」
ふわりと微笑む藤花に、でも頑張り過ぎないように、と焔は釘を刺した。
そこにバラ園を一回りした侘助がメモを手に戻ってくる。
「まずは涼しい時間のうちに散水で地面を濡らして雑草の除去。その方が根元から抜き易い。散水パイプの状態を確認して調整だな。その間に出荷担当の連中もこちらに来るだろう」
「了解したよ〜。あ、そうだ。〆垣さんは苦手な食べ物とかないかな〜?」
「食べ物……?」
首を傾げる侘助に、焔はにこにこと笑ってみせる。
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作業場を抜けると、出荷用の温室に出る。
「わー、綺麗な薔薇だな!」
青空・アルベール(
ja0732)が目を輝かせた。
外のバラ園とは違って、一定の長さに揃ったバラの蕾が整然と並んでいる。
「おおー、すごいのな!」
のとうが一瞬目を見張り、続いてグッと目をこするともう瞳にはやる気が漲っていた。
「さぁって、やるかー! ……とはいえ、俺は運搬専門にしておくからな!」
「私もだな……荷車とかで運ぶのだな。力仕事なら光纏しちゃった方がいいかもしれない」
青空とのとうは作業場に戻り、すぐにリヤカーを運んでくる。
レギはついて早々に依頼主に張り付いていた。出荷用の薔薇の見極め方、切り方の説明を受け、何度も頷く。
「……成程。俺達が、下手に手を出すのは、却って邪魔になりそうだ、な」
切り花は葉の付き方ひとつで商品価値が変わる。そこで依頼主が刈り取った物を作業場に運び、選別を手伝うことになった。
歌音はベルベットのような光沢の紅薔薇を示し、梨香の袖を引いた。
「大八木お姉様……赤いバラの花言葉はアッ……じゃなく熱烈な恋です」
「ふふ、歌音さんはそんな風に貰ったことがあるんですか?」
「……あげたい人はいますわ、お姉様」
潤んだ瞳で見れば、既に梨香はその場にいなかった。仕方なく歌音はスレイプニルを呼び出す。
「バラを踏みつけたりはしませんから安心してください」
びっくりする依頼主にきりりとした顔を向け、歌音は荷物を運ばせる。
「うおー、負けてはいられないのだ!」
「のとくん、転ばないように、ね」
張り切って荷車の持ち手を掴むのとうに、レギが少し心配そうに声をかけた。
「こけないこけない。大丈夫だ! 任せろ! 今日はお花のヒーローだからなっ」
運び込んだバラを、依頼主の奥さんの指示通りに分別する。
「葉から花の付け根までを見てくださいねえ」
一定以上離れたバラは、残念ながら商品としてはランクが落ちてしまう。開きすぎた花もそうだ。
「結構、出荷できない薔薇も多いのだー……農家さんが一生懸命育てた、充分綺麗な花なのに」
青空は悲しげに、出荷不適格にされた花を見つめた。
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出荷の手伝いを終えバラ園に向かうと、散水作業は終わっていた。
「一応パイプの破損個所はチェック済みだ」
侘助が簡単に説明すると、続いて雑草取り。
「区画を決めて、病害虫のチェックも、同時に済ませてしまおう」
レギが依頼主から貰って来たカラーテープを配る。異常のある株に気付いたら巻きつけておくのだ。
「今日、俺達ができることはやるけれど。後日、任せなければならない作業もある、と思う」
「ひとりが全部見て全部やるのは大変なのだ。でもチェックぐらいはできるのだ」
青空がテープを受け取って侘助に頷いて見せた。
「私たちが雑草を抜くから、侘助はテープのついた株を見てほしいのだ。その方が作業は早いと思う」
「わかった、そうしよう」
雑草は株の下で伸び放題だった。のとうは鼻歌交じりで、湿って抜けやすくなった雑草を次々と掴み取る。
「雑草は駆逐してやるのだ。俺の本気、見てみるかッ!」
ずぼっ。
抜けた根に、びっくりしたように跳ねまわるミミズを発見しても動じない。
「ふふふ……良い土の証拠なのだ。田舎っ子には怖くないぞ!」
ぴょいとミミズを土に戻し、草だけを放り投げる。見る見る通路には草の山が出来上がる。
「のとくん、なんだか生き生きしている、ね」
山になった草を集めながら、レギが笑った。
「そうか? 俺は花の手入れとか、細かい事が得意じゃねぇからな……そっちは得意な人に任せるのな!」
「うん、そうだね。……ああ、これはちょっと酷い、な」
葉と言わず花と言わず、びっしりとアブラムシをくっつけている株だった。
そこに歌音がぬっと顔を出す。
「害虫なら山の民ならぬ山の昆のあたしに任せて……!」
被っていた編笠を勢いよく取り除けると、自慢のポニーテールをいきなり一部ばっさり。それを束ねて刷毛を作る。
「こうすれば窒息しますわ……!」
持ち込んだ牛乳をアブラムシに塗りつける。乾いたところで別の刷毛で払うと、ボロボロとアブラムシは落ちた。最後に綺麗な水を含ませた刷毛で牛乳を洗い流して完了。
「大八木お姉様! 見て! 殺ったおー!」
アブラムシがいっぱいのボウルを抱えて嵐の用に駆けて行く歌音を、レギはのとうと一緒に見送るしかなかった。
「うん、学園には色んな人が、いる、ね……」
「この葉は病気ということですか」
梨香は侘助を呼び止め、黒く丸いシミの浮いた葉を見せた。
「黒星病だな、取り敢えず摘み取って集めておいてくれ。焼却処分する施設があるはずだ。後で薬剤を散布するから株にはテープを頼む」
「こっちはどうかな?」
華蓮の示した葉はまた別の病気のようだった。
「そっちは……」
ぶっきらぼうな口調だが、侘助は的確に指示を出す。
そうして雑草を抜き終えた頃には、太陽は空高く昇っていた。
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焔が満面の笑みで手を振る。
「きりのいいところで、お昼にすると良いよ〜少し休憩も挟まないと、後が続かないのだよ〜」
花を出荷し終えた作業場に、焔の心づくしの昼食が並んでいた。
藤花は甲斐甲斐しく焔をサポートする。ふたりは作業の様子を見ながら、昼食の用意をしていたのだ。
「おかわりは沢山ありますから、お昼からの作業に差し支えないならいっぱい召しあがってくださいね」
そう言ってよそうのは、夏野菜を添えたカツカレー丼。スパイスの香りが食欲を誘う。
「わあ、星杜さんのカレーですね! おいしそう」
「大八木さん、いっぱい食べるのだ〜……カツもあと二切れ追加しようね〜」
「え、あ、はい」
山盛りの丼を受け取る梨香の戸惑った表情に、華蓮がクスッと笑う。
「大丈夫だよ、少しぐらい太っても」
「必要なところにつくなら……いえ、なんでもないです」
梨香は乾いた笑いでスプーンを取り上げた。
隣に座るのとうの前にも、山盛りのカレー丼。
「おー、すごく豪華なカレーなのだ! 星杜が頑張ってくれたんだな。いっししし、俺ってばすっげぇお腹がすいたのだ!」
いっただきまーす! と、満点の挨拶をしてカレーを口に運ぶ。
「ああそうだ。俺の担当のところは雑草があとちょっと残ってるのな。他はどうだ、手伝いとかいるか?」
それぞれの報告を持ち寄ると、雑草の始末はほぼ完了。午後は株の手入れがメインになりそうだった。
「午後は俺と藤花ちゃんもそっちに入るよ〜何かできる事はあるかな〜」
そこでふと思いついたように、青空がカレーを食べる手を止めた。
「そういえば、出荷できないバラが結構あるのだ。毎日たくさん出るんだって話だけど、何かいい方法はないかな。せっかく綺麗なのにかわいそうなのだ」
藤花が少し首を傾げ、考え込む。
「乾燥させてポプリにして、サシェに入れて販売するのもいいのではないでしょうか? 後はローズティーとか……」
「ふむー。それならお土産になるかもしれないな!」
青空は手元のメモに、その案を書きつけた。
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昼を食べ終え、少し休憩した後はすぐに午後の作業に入る。
「いやあ、久遠ヶ原の学生さん達は元気だねえ……げふげふげふっ」
「おとうさんっ!」
ここで病み上がりの依頼主、脱落。後は学園生達に託された。
「薬の散布は夕方に風の流れが変わってからにしよう。株の手入れを先に済ませる」
侘助の提案に従い、数人が鋏を持って散らばった。
「俺は細かい事が得意じゃねぇからな……」
のとうは真面目くさった調子で呟いた。鋏は手にしていない。
「植物と共に生きるのは、中々根気がいるから、ね」
レギが僅かに肩をすくめた。力仕事の方が得意なのとうの事は良く知っている。
ふたりは残った雑草を一緒に片付けることにした。
「この庭園に全部バラが咲いたら、とても素敵ですね」
藤花が焔に語りかけた。力仕事はあまり得意ではない分、バラの剪定に専念している。
同じく習った通りに鋏を入れていた焔が顔を上げた。
「そうだね〜秋バラが綺麗に咲くといい〜」
「色を順にグラデーションで楽しめたり。お花の迷路です」
香り高い花の咲く様を思い浮かべ、藤花は一層熱心に作業に取り組む。
元気いっぱい、綺麗な花を咲かせてほしいと願いながら。
「侘助、どう思う? ここなんだか風通しが悪い気がするのだ」
青空が侘助を呼ぶ。
「病気になってるの、そのせいではないかな?」
「そうだな。ここは少し刈り込んでしまった方がいいだろうな。古い枝を落としておこう」
手慣れた様子で侘助は大胆に枝を刈り取る。
「それにしても酷い切り方だな」
ちょん切られたバラの無残な姿に、侘助が半ば呆れたように呟いた。
うーん、と、青空は唸る。
「しらねーのはしょーがねーことだな。例えばイラスト入りの説明書きを配ってみたりすると改善しないかなぁ」
全員は無理かもしれない。それでも興味を持ってくれる人が一人でもいれば無駄ではない。
それに新しいことを知るのは楽しいこと。仲良くなるとはそういうことだろう。
「あ、そうだ。侘助、さっきからずっと働いてるけど、ちゃんと水飲んでる? 塩飴食べる?」
「大丈夫だ」
そっけない返事。だが余り変わらない表情で、少し目を逸らした仕草に青空は微笑む。
そう、仲良くなることは知ることなのだ。
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侘助が薬剤を散布して、ようやく作業が終わる。
「最後に夕方の散水も済ませておくか」
霧のような水が弾け、小さな虹がかかる。その光景をレギは写真に収めた。
「いい写真が撮れましたか?」
梨香の問いかけに、穏やかな笑み。
「後で学園の広報にでも使って貰えると、いいな」
「素敵ですね。良かったら後でデータをくださいね」
手を振って別れて歩き出す。
足を止めたのは、明るい紅色のバラの花の前だった。不意に花越しに見慣れた顔がのぞく。
「バラに笑われるぞ!」
笑いながらタオルを差し出し、レギの頬についた泥を拭ってくれた。
「ありがとう。やっぱりのと君色のバラだった、ね」
惹かれたのは友人の髪と同じ色。言われたのとうは少し困ったように頭を掻く。
「俺を花に例えるのか? 君は時々、無茶ぶりだな!」
そう言いつつカメラを取り上げ、レギに向ける。
「なら、君は青いバラだな」
花言葉は奇蹟。そして夢が叶う。夢想はいつしか現実に。色鮮やかな、無限の可能性。
「素敵な花だと思うのな!」
「のと君の方が、詩人だね」
のとうは笑みを返し、カメラ越しの視線をバラ園に。
華蓮が梨香と並んで熱心にバラを眺めている。
「今日はスケッチブックを持って来られてないんですか?」
「持ってるけどね。ちょっと時間が足りないみたいだから、しっかり観察して覚えて帰るよ」
歌音が梨香に寄り添う。
「美しいバラ園……でも、お姉様の美しさには叶いません」
頬染めたバラ園の百合族。
「何を言ってるんですか、歌音さんは」
苦笑いの梨香は、やはり色々と気付いていないようだ。華蓮はまた小さく笑う。
侘助は青空と一緒に、最後の点検
散水装置の故障個所や、病害虫の状況を依頼人に報告するメモを作成している。
藤花と焔は何事か睦まじく語りあいながら、並んで薔薇の間を歩いて行く。
のとうはそんな光景を次々に切り取っていく。
「もうすぐ新入生が来るんだろう? 戦いだけじゃない、こういう依頼もあるって教えるのに役立つといいな」
気兼ねなく笑える場所。言葉を交わせる人がいる場所。とてもありふれた、そしてとても貴重な場所。
レギが微笑む。
「学校は、楽しいよ」
秋バラの咲く頃、新しい歴史がまた始まる。
<了>