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違和感。
そうとしか言いようのない状況だった。
巫 聖羅(
ja3916)は悪魔の女男爵から目を逸らすことなく、じっと見据える。
(リザベルを始めとする強力な天魔が、同時期に活動開始するなんて……彼等の狙いは一体何?)
この周辺だけではない、あちらこちらで天魔の活動は活発になっており、撃退士達は東奔西走の日々だ。これは偶然か、それとも必然か。
Robin redbreast(
jb2203)には、今の状況も奇妙に思えた。
(引け、というのは戦う時間も惜しいってことかな?)
リザベルほどの実力者であれば、問答無用で片山諸共こちらを攻撃してきてもおかしくはない。
(何か別の目的があるのかな。それも、天使と同じ何か……?)
だが迷っている暇はなかった。
片山に対する攻撃は既に止んでおり、大型の狼に似たディアボロ達は、女主人の命令を待つかのようにこちらを睨み低い唸り声を上げている。
片山の傷が相当深いことは明白だった。依頼の目的は彼を助けること。
だがそれだけではない、強い思いが黒井 明斗(
jb0525)の声となって木立に響く。
「申し訳ありませんが、引けません」
若杉 英斗(
ja4230)は低く身構え、傷だらけの背中から目を離さない。まだ生きているのだ。一刻も早く助け出さねば。
「引けと言われて、仲間を見捨てて逃げ帰れるか!」
食いしばる歯の間から、絞り出すような声。手にした阻霊符に力が籠る。
Robinは賭けてみることにした。言葉次第でリザベルの注意をこちらに引きつけることができるかもしれない。
「あたしだってやだよ。邪魔しに来たんだもん。簡単には渡さないよ」
敢えて何をとは言わない。
この言葉に、リザベルは僅かに目を細めた。
「そう。目的は同じということ。なら、帰す訳にはいかないわ」
リザベルの反応に、亀山 淳紅(
ja2261)は更に言葉を続ける。
「なんや、出遅れて焦ったんか? 大したことないな」
口元には微かな笑みすら浮かべて。
そもそも慎重な性格と伝えられるリザベルが、目撃されるようなボロをだすのがらしくない。
ならばそこをつついてみれば、多少は惑わせられるかもしれない。
雨野 挫斬(
ja0919)も挑発を重ねる。
「前も似たような事いっておいて、最後まで戦いもせず泣いて逃げ出したくせにね」
濁った赤の陽炎が、愉悦の表情を浮かべる挫斬の全身を包みこむ。
リザベルが挫斬を見つめ、僅かに片眉を上げた。
「お前はあのときの……」
「なに偉ぶってるのよ。どうせ今回も逃げるんだから最初から帰ったら? 今ならその腕を怪我せずに帰れるわよ? まぁ! 逃がさないけどね!」
力を籠めて地面を蹴り、一気に飛び出す。
「さぁ! 得意の睡眠魔術を使ってみなさいよ!」
笑いながら、猛然と正面から突っ込んで行く。
以前に対峙し苦汁を舐めさせられた挫斬の挑戦に、リザベルが身じろぎした。
一度痛い目に遭えばそうなるのが普通だ。だが目の前の小娘は、リザベルの技を知っているだろうに、真っ直ぐ飛び込んでくる。
疑心暗鬼。ほんの一瞬だけリザベルの反応が遅れた。
赤坂白秋(
ja7030)は挫斬に意識を向けたリザベルにとっての死角、右側から接近。
「俺の目的は一つ! 美しいあなたをナンパしに来ました!!!」
淳紅は一緒に駆けながら、何とも言えない表情になっていた。
「――!」
リザベルは何か呪文のような言葉を低く呟いた。それが命令だったのか、右手に控えて居たオオカミ型ディアボロが白秋と淳紅に狙いを定める。
「挟撃のつもり? 上等ね、暫く付き合ってあげる」
リザベルが忌々しげに言うと、空を旋回していたハーピーが幾体も舞い降りて来た。
左手オオカミのリーダーの遠吠えが高く響くと、すぐに手下のオオカミ達が身を低くして身構える。
そのとき、突然の火球がリーダーを襲った。
「……悪いけど、ここから先は通行止めよ?」
陰影の翼で木立を縫って接近していた聖羅が、ファイヤーブレイクをお見舞いしたのだ。
しかし必中のタイミングの攻撃は、突然遮るように舞い降りたハーピーによって遮られてしまっていた。
「何ですって。捨て身で庇うっていうの?」
聖羅が唇を噛んだ。
ハーピーは火球の一撃で惨めに地面に落ち、そのまま飛び立つことはない。だが数が多すぎる。
明斗は常になく険しい目で、空を舞う怪鳥の群れを睨みつけた。
「それ程強いディアボロでないのなら、効くかもしれませんね」
背に半ば透けて見える翼が見えた。が、それはすぐに消え失せ、代わりに眩い光が明斗を中心に広がってゆく。
星の輝きの光は、ハーピー、そしてオオカミ達にとって耐えがたいものだったようだ。
リーダー格のオオカミだけは流石に不敵な目つきで踏みとどまるが、他のディアボロ達は戸惑ったように落ちつきなく視線を彷徨わせた。
「効いてるわ、今のうちに!」
聖羅はファイヤーブレイクで確実に手下のオオカミを狙う。
「――相手はバロネス・リザベル……冥魔の大物よ。馬鹿正直に相手してたら命が幾つあっても足りないわ」
敵の殲滅には拘らないが、それは悟らせない。だが目的はただ一つ、片山の救出だ。
「頼んだわよ」
聖羅は明斗と、片山の傍に辿りついた英斗に向かって呟いた。
この時点で挫斬は、片山の周囲のディアボロ達に接近していた。
「アンタ達の相手はアタシよ! さぁ! 順番に解体してあげるからかかって来なさい!」
挫斬は縮地の勢いのままに宙返りし、雷打蹴を一番手近の狼に叩きこんだ。
その派手な動きに、2体のオオカミが挫斬目がけて襲いかかる。
青空・アルベール(
ja0732)は最も離れた場所から、ライフルのスコープ越しにその光景を見ていた。
(片山は助ける。連れて帰る)
男は蹲る姿勢のまま、ハーピーを抱え込んでいる。
(そこまで大事なら、その羽のは持って帰る。……もう助からねー他の奴への報いでもあるのだ)
他の撃退署員が助けられないのなら、せめて今、この手の届く人を。
「何を企んでるのかしらねーけど……そっちの都合で皆の命が奪われるのはもう御免なのだよ!」
天つ刃。青い光の風を纏う青空、その右目が青く変じ、清冽な青い光がアウルの弾丸となってライフルから放たれた。
青い光に貫かれ、一体のオオカミが宙に跳ねる。
それを見届けると、青空は気配を消しながら位置を変えた。
●
味方が派手な攻撃でリザベルやディアボロの意識を引きつけているうちに、片山の傍には英斗と明斗が辿りついていた。
牙を剥いて襲いかかるリーダーオオカミを、英斗が白銀に輝く幻影の剣で貫く。
「くらえ、ディバインソード!」
倒すことは叶わなかったが、痛撃を受けたディアボロは悔しげに距離を取る。だが、また別の敵が現れる。
明斗は片山の肩にそっと手を掛けた。
「大丈夫ですか? 味方です、助けに来ました」
重傷を負いつつ、片山はまだ意識を失っていなかった。苦しげな呻き声を漏らしながら、僅かに瞼を開く。
「学園の……?」
「しっかりしろ! もう大丈夫だ」
英斗は庇護の翼を使い、片山の受ける痛手を一身に受け止めようとする。
「頼む、こいつを……俺は動け、ない、から……」
片山の身体の下でもがいているハーピーのことのようだった。
「それは?」
「こいつ、が……リザベルの、目的……ぐッ!!」
片山の口元から大量の血が噴き出す。
「もう喋るな、詳しい事は後でいい。ソイツも連れて撤退するぞ」
英斗が目線で促すと、頷いた明斗は片山に生命の芽を使う。柔らかな光は傷を癒していくが、片山の顔色は土気色のままだ。傷を負ってから時間が経ち過ぎていたようだ。
英斗は顔を上げ、ふたりを背にして立つ。
「これ以上は何があっても傷つけさせん!!」
見据える先には、右手から近付いて来るオオカミ達がいた。
淳紅はマイクを手に、駆ける。
「もうちょっとや! 青空さん、たのんます……!」
祈るように心で呟き、間合いを計る。
青空の放つ光の弾が足元で跳ね、オオカミの気を散らしている。
「いくで! 音楽に抱かれて消えて行けぇ!!」
足元に現れた光の五線譜が渦を巻き、幻影のオーケストラを伴った淳紅の歌声が降りそそぐ雨となりディアボロ達を激しく打つ。‘Cantata’の旋律が辺りの敵を圧していた。
それでも音の雨から逃れようとする敵の前には、挫斬が立ち塞がる。
「何ぼーっとしてるの? 早く攻撃してきなさいよ、オバサン!」
余りに明るい嘲笑だった。
細い背中は、敵をここから先には進ませないという決意を漲らせている。
だがリザベルは動かなかった。
時折僅かな苛立ちが頬を走るが、撃退士達を見ていないのではないかという風情だ。
「……ああもう、煩いわね」
優雅な指が虚空を舞い、右の掌に薄紅色の水晶玉が出現する。
と同時に、寄りかかる巨大なキツネが尾を揺らした。立ち上る黒い陽炎がリザベルを、そして新たに出現したオオカミ型ディアボロの集団を包む。
「引けと言ったでしょう?」
リザベルのその言葉が届くや否や、淳紅は膝から力が抜けるのを感じた。
「なんやて……!?」
充分準備を整えて来た筈だ。それでもこの女男爵の術からは逃れられないのか?
淳紅はそれでも必死で歯を食いしばり、リザベルを睨みつける。だがその瞼はいつしか閉じられていった。それを待っていたかのように、駆けつけたオオカミ達が一斉に危険な術者に襲いかかる。
「こっちを無視するなんて、随分余裕ね! じゃあ遠慮なく行くわよ!」
挫斬はヴェルデュールの糸を、リーダー格の大網の足に絡めようとする。
だがオオカミはあざ笑うかのように、それをかわしてしまった。
明らかにさっきまでの敵と動きが違う。
「おそらくはキツネだとおもうのだ」
戦場全体を見渡すことのできる青空が、皆に注意を促す。
「その黒い陽炎の範囲は、敵が強くなっているのだ!」
何度か攻撃を仕掛けてみて確信した。恐らくは、ストレイシオンの防護結界に似たようなものだ。
これは学園に伝わる術式とは違って破れない。
リザベルが手にした水晶玉から桃色の雷光が迸り、動けない淳紅に突き刺さる。
「そのまま安らかに逝きなさい」
しかし次撃は来なかった。黒い陽炎が揺らぎ、傷つけられたキツネが不快そうに唸った。
リザベルも咄嗟に顔を庇った腕から血を流している。
バレットストームで巻き上げた砂塵に紛れ、すぐ間近に辿りついたのは白秋だった。
「やっと会えたな……☆」
白秋は不敵な笑みを浮かべて、リザベルの腰に腕を回してきた。
「なっ……!?」
「ナンパしに来たって言ったろう? あんまり俺のこと見てくれねえから寂しくてな」
そう耳元に囁きながら、つつつ、と、滑らかな皮膚の上に指を滑らせる。
「つれねえな。折角だし踊ろうぜ」
「……いい度胸ね」
リザベルの左手が突然閃いた。
ズボッ。
突き出した人差し指と中指が、白秋の鼻に見事に嵌る。
「でッ!?」
「何ならもっと男前にしてあげてもいいのよ」
リザベルの唇に残忍な微笑が浮かび、雷光が炸裂した。
白秋(の鼻)、絶体絶命のピンチである。
「赤坂さん、もう少し頑張ってくださいね。後で助けますから」
明斗の端正な横顔が、僅かに強張っているように見えたのは気のせいか。
だがお陰で避難は容易になった。淳紅を肩に担ぎ穏やかな声で語りかける。
「大変でしたね。でもお陰でオオカミはほとんど駆逐できましたよ」
すぐにでも傷を癒してやりたいが、安全な場所まで退避するのが先だ。
「頃合いね。いい?」
挫斬が確認すると、英斗が頷いた。
「この人を頼む。俺は赤坂さんを回収して来るから」
まさかこのままリザベルとカップルになるとは思えない。
Robinがゴルゴンの紋章を手に、前に出る。
「援護するよ。まだ伏兵がいるかもしれないからね、気をつけて」
「ありがとう」
英斗は意を決して駆け出した。負傷しながらも、まだ動きを止めないオオカミが進路を塞ぐ。
「どけえ!!」
「邪魔はさせないんだよ」
数多の氷の剣に貫かれ、オオカミはようやく動きを止めた。
そうして英斗が目指すのはリザベル。
白秋はぐったりとしながらも、まだリザベルから腕を離さない。
(ある意味すごい、な……)
一方でリザベルは、白秋から眼を離し中空を睨んでいた。
相変わらず多数のハーピーが空を舞っていたが、そのうちの幾体かは炎を纏ったように輝いている。光る一体が、何かを示すように上空を複雑に旋回し始めた。
「……方角が違う……?」
誰に言うともなくリザベルが呟く。
「リザベル、赤坂さんを離せ!」
接近して来る英斗に、今ようやく気付いたというように顔を向けるリザベル。
「その前に聞きたいことがあるわ」
「何?」
リザベルの目が鋭い光を放つ。
「お前達は天使どもと組んで我々を邪魔しているの? 正直に答えたら、この坊やを返してあげてもいいわ」
煽るように小さく笑ったリザベルは、赤い舌で白秋の口元を流れる血を舐め取る。
英斗は無言のまま考えを巡らせた。リザベルは何を言っているのだ?
「答えなさい。お前達は仲間が大事なのでしょう?」
ここで挫斬は発煙手榴弾を投げた。
「3、2、1、GO! 皆、走って!!」
「こっちなのだ!」
青空が叫びながら、まだ追い縋るオオカミの鼻面を狙う。
「――長居は無用よ」
聖羅が煙に隠れながら飛び出し、挫斬と共に片山を担ぎあげた。
「貴女達の狙いが何なのかは気になるけれど……今日の所は退くわ。またね? リザベル……!」
「今日の所はこれで済ませてあげる! ふふ、次は邪魔者がいない状態で遊びましょうね!」
煙がただの煙であると気付いた頃には、撃退士達は既に退避を完了していた。
リザベルは苦笑する。
「まさか……仲間を助けに来ただけだと?」
思惑は最初からすれ違っていた。撃退士達は一か八かの賭けに勝利したのである。
ひらりと傍らのキツネに跨ると、ハーピー達が一斉に集まってくる。
「全て偶然だったとはね。まあいいわ、チャンスがまだ残っているなら。これまでの失策など全部笑い話にしてみせるわ」
そう言い残し、女男爵は森に消えて行った。
彼女の進路を示すように、山中には炎が燃え上がるような光が点々と続き、やがて見えなくなった。
●
後日、ハーピーは特殊なタイプのディアボロであることが確認された。
地脈の調査に特化したディアボロ。
立ち木にとまり自己のエネルギーを注ぎ込むことで、根を通して地脈の流れを探ることができるのだという。
リザベルはこのハーピーを多数操る必要があったため、本音では撃退士との交戦を避けたかったのだ。
だが幾らリザベルとはいえ、広い山を地脈を求めて駆けずり回るのは非効率的な筈だ。
それでもやらざるを得ない理由とは何か。
リザベルすら駒として使う上位の存在。
それらが求める、とてつもない『何か』がこの地には眠っている――。
違和感は、次第に冷たい予感の形を取りつつあった。
<了>