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川を挟んで戦う撃退士とディアボロ。その物音が山あいにこだまする。
連絡を待ちながら、逢染 シズク(
ja1624)は静かに目を伏せる。
(お人形のようなヴァニタス……この目で見るまでは解りませんが。きっと、とても綺麗なお人形さん……なんでしょうね。恐ろしいくらいに)
「来たよ。撃退署の方で上手く誘導してくれてるみたいだ」
中山律紀の声に、シズクは目を開けた。
正に西洋人形のようなヴァニタスが敵陣の中に見えた。
「出てきましたね」
鈴代 征治(
ja1305)の表情も声音も特に激昂を感じさせるものではない。だがその心中には強い憤りがあった。
(今度は前のようには行かないからな……!)
竜見彩華(
jb4626)はヴァニタスの周囲に目を走らせる。
まだお伴のぬいぐるみは出ていなかった。
(召喚獣と同じ、時間制限があるのかもしれませんね……)
初めてのヴァニタスを目にして、法水 写楽(
ja0581)が飄々と呟く。
「お〜……マジで西洋人形みてぇな娘じゃん。あれが今回の目標かねぇ?」
「とりあえずは、ですね。まだまだ大物が控えていますから」
黒井 明斗(
jb0525)はもうひとりのヴァニタス・ラリサと戦ったことがある。オレアンドルに苦汁を舐めさせられたとはいえ、一度刃を交えて分かったことがある。
(恐らくラリサよりは処しやすい相手でしょう)
油断は禁物だが、勝ち目はあると考える。
エカテリーナ・コドロワ(
jc0366)にとっては、今回も次も区別はない。目前の任務だけが全てだ。
「今回の目的はただ一つ。敵を誘き出し、ひたすら始末するのみ」
「あいつを釣り出しゃいいんだろ。散々馬鹿にされちまったからな、あんときの借りをここでここで十倍にして返してやる!」
鐘田将太郎(
ja0114)は手酷くやられた傷の痛みの分だけ、拳に力を籠めた。
「連絡が来ました。放水手続きを開始するそうです」
律紀が告げた。上流で流した水がここに到達するまでが勝負だ。
「水攻めで溺れ死ぬワケねぇだろうが、勢いで強制退場させてやるぜ」
将太郎は律紀の背中を勢い良く叩く。
「きゃーん、なんて可愛い声で撤退させねぇ。『ぎゃふん!』と言わせてやる! 中山、今回もサポート頼むぜ」
「勿論です。あ、皆さん、通信は大丈夫ですね?」
「私の方でもカウントしておきますが、宜しくお願いしますね」
シズクが少し緊張の残る面を上げた。強い眼差しが川の向こうを見つめた。
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一同はオレアンドルが姿を見せた河原へ移動する。
撃退署員は上手く移動し、学園の撃退士達が向こうから見えるように場を開けた。
「やあ、会いたくない相手に、また会っちゃったな……」
前に出た狩野 峰雪(
ja0345)の口調には気負いもなく、親しい知り合いに向けたもののようだ。
オレアンドルの口元に、馬鹿にしたような笑みが浮かぶ。
「へえ、またやられに来たんだ。ちょうど退屈してたところだったんだよね。遊んであげるよ」
巨大なクマとウサギが現れ、オレアンドルを守るように正面に位置どる。他には漆黒の猫型のディアボロが前に四体、厄介なスカイアメーバが左右に二体ずつ。馬鹿げた、メルヘンチックな絵面。
峰雪は慎重に相手との距離を測りつつ、会話を続ける。戦闘に入る前に多少は時間を稼ぐつもりだ。
シズクの目には、敵の布陣はそれなりに理にかなっているように思えた。
(となると此方の作戦を解って、それでもこうして前に出てきたのではないかな……)
自分の身の安全は確保した上での『遊び』なのだろう。
峰雪もそれは分かっていた。
「そっちのディアボロ強いから、きみとの組合せだと反則だよね? すぐ勝負ついたらつまらないでしょう、少しハンデをつけてくれないかな」
別に本気で言っている訳ではない。既に前哨戦が始まっているのだ。
その間、征治は敵のどんな些細な動きも見逃すまいと目を凝らす。
オレアンドルが鼻を鳴らした。
「ラリサの言ったとおりだね。若い撃退士っておしゃべりが好きなんだって。キミは若くないけどね」
「おや、これは参ったね」
苦笑いを浮かべる峰雪に、オレアンドルは黒猫をけしかけた。同時にアメーバを二体前に出す。
「やれやれ、熱血なのか意外と冷静なのか、どっちだろうね?」
峰雪は相手の言う『遊び』がどのような物か見定めるつもりだった。だが少なくとも手駒を出し惜しみするつもりはないらしい。
ならばこちらも全力で当たるしかないだろう。紫電を纏う拳銃を構え狙いを定める。
「そのまま、なるべく離れないでくれれば有難いんだけどね」
身軽に飛びはねて来る黒猫をなるべく多く巻き込むようにバレットストームをお見舞いした。二体の黒猫が吹き飛ぶが、残る二体が川を越えて来る。
征治が待ってましたとばかりに躍り出た。
「全部まとめて撫でてやるからこっちにおいで!」
手にした十字架が陽を受けて煌めく。挑発を受けた黒猫の意識は峰雪を見失い、征治を追う。迫る一体、吹き飛んだうちの一体が射程に入った所を見定め、征治が封砲で吹き飛ばした。
それでも残った一体が真っ直ぐ突っ込んでくる。
「……ッ!」
赤く不気味な光を纏う爪が目を庇った左腕を抉った。
「かかったね」
すぐに離脱しようとした黒猫の鼻面を、十字架を握り込んだ右の拳が打ち砕く。
肉を切らせて骨を断つ。正にその言葉の通り、自らの腕を囮に敵を叩きのめしたのだ。
「鈴代さん!」
腕から滴り落ちる血を見て近寄ろうとする律紀を、征治は押しとどめる。
「僕はまだ大丈夫です、毒もないようですし。それよりもオレアンドルの弛緩毒に注意をお願いします」
『遊び』が不利になれば、敵は動く。
その前に、厄介なスカイアメーバを一体でも減らさねば。
「ここから先は通さないよ」
接近するアメーバを見据え、征治は身構える。
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オレアンドルの表情は、人形そのものだった。
「面倒だね、みんなで囲んじゃおうか」
狭い建物で迎え撃った前回とは違い、お互いに動きに制限は受けない場所だ。オレアンドルは彼我の間に流れる川に近付く。
生き残った黒猫を征治から引かせ、移動させようとしたときだった。
「おや、真正面からでは勝てないとご存知の様ですね」
見越していたように明斗が左翼に現れ、退避しようとする黒猫をコメットで薙いだ。
「この前のが僕等の全力だと思わないで頂きたいですね。あなたも強いとは思いますけれど」
そこで明斗の整った顔に、ふっと僅かな笑みが浮かぶ。
「ま、中ボス前の小ボスって感じですかね? 僕等にとってはラリサの露払いというところでしょうか」
オレアンドルの表情に、ヒビが入るように微かな憎悪がよぎった。
「へえ、随分自信があるんだ? じゃあその実力とやらを見せてよ。ほら、キミの相手はこっちだよ」
残していたアメーバの一体がふわふわと漂いながら明斗に迫る。
「毎回そう簡単に行くと思って貰っては困るんです」
明斗は星の鎖でアメーバの身体を縛る。アウルの鎖は見事に絡み、アメーバは地面にたたき落とされて川砂の上で惨めにもがくしかなかった。
「ふうん? 少しはやるんじゃない……何ッ!?」
強い衝撃を感じたオレアンドルは、砂に足をめり込ませて踏みとどまる。
「こないだはよくも俺らを馬鹿にしやがったな! 今度は俺らがてめぇを馬鹿にしてやる!」
オレアンドルの正面に出したテディベアが、将太郎のマリシャスシールドの刃を受け止めていた。
将太郎は一息に川を越えて肉薄していたのだ。前に二体のぬいぐるみを出した分、守りは固いが視界は遮られる。
「こないだはよくも不意打ちしやがったなクマ公。ズタボロにしてやらぁ!」
オレアンドルは顔をしかめると、咄嗟にテディベアの召喚を解いた。
「キミも学習しないね。殺しちゃえば良かったかも」
そう言うとクラリネットを取り出し、弛緩毒の吹き矢を繰り出す。
「ふふっ、間抜けだなあ。ほら、これでどう?」
突如横に現れたテディベアが、将太郎を殴りつけた。
河原に転びながらも、将太郎はすぐに身体を起こす。
「マヌケなのは、あのお色気ヴァニタスのほうだ。あいつとは何度か遭ってるが、こうして俺はピンピンしてるからな。ラリサに会ったらそう伝えておけ!」
もう半ば自棄である。前回の悔しさを言葉と身体で叩きつける。
「それもお前次第だがな。ここでボロ負けしたら、ラリサにも会えねぇか?」
せせら笑う将太郎に、テディベアが接近。将太郎はそれを見て、少しずつ川へと下がって行く。
スカイアメーバは広がりながら上空を漂い、獲物を確認すると真っ直ぐ降りて来る。
エカテリーナは川べりの岩陰に身を潜めていたが、迂回しようとする一体目がけてブーストショットの強い一弾を撃ち込んだ。
「逃れられると思うな。仲良く中央部に整列してもらおうか」
続けて岩陰を飛びだし、追加で近付いて来るスカイアメーバを狙う。
一発で落ちない敵なのは分かっている。ならば距離のあるうちに少しでも削っておかねばならない。
エカテリーナの銃弾を受けて身を捩るように空中で形を変えるスカイアメーバに、川面から飛び出したヒリュウが近付いて行く。
「ちっちゃいからって舐めたら痛い目見ちゃいますよっ」
彩華は励ますように声をあげた。エカテリーナが撃ったアメーバに接近し、ヒリュウは身体に溜めた力を雷撃として叩きつける。
それでもスカイアメーバには変化は見られなかった。逆に目の前の小さなヒリュウを包みこもうと、大きく広がる。
「……だめっ! 一度帰って!」
彩華はタイミングを計り、敵に囚われそうになる瞬間に召喚を解く。
「今です、この一体を確実に狙いましょう」
「それは良いが、あんまり無理すんじゃねぇぞ」
写楽の両手で黒い拳銃が火を噴き、シズクの火花の忍術書から火の花弁が舞い上がる。手を握るように縮こまったスカイアメーバは、集中砲火を食らう形になった。
目の前で消えた敵、新たな敵。アメーバは一番近いシズクに狙いを定めた。距離を取ってはいたが、射程はスカイアメーバの移動範囲に及ばなかった。
「くっ……!」
広がったアメーバはそのまま落下し、シズクにかぶさる。全身を焼くような痛みに、シズクは声を殺して耐えた。
「すぐ助けてやるからな!」
写楽はシズクに当たらないように気遣いながら、アメーバの体表を削って行く。
彩華はすぐにヒリュウを呼び戻した。
「お願い、お友達を助けて!」
ヒリュウはきゅうと鳴いて飛び出すと、四肢の爪をアメーバの身体に突き立てた。身体の小さなヒリュウはこういう場合に小回りが利く。だがアメーバは直接攻撃してくる武器を、消化液で少しずつ腐食させる。召喚獣も例外ではない。
「ごめんね、もう少し頑張って!」
彩華はヒリュウの痛みを自分の痛みとして感じながら、歯を食いしばる。
……あと少しなのだ。
シズクは永遠とも思える時間の中、アメーバを振りほどこうともがく。
このままタイムリミットを迎えれば、自分もただでは済まない。
「ごめん、難しいと思うけどなるべく動かないで!」
後方支援に回っていた律紀が加わり、なるべくシズクに影響が出ないようにレイジングアタックを撃つ。
アメーバの縛めが一瞬緩み、シズクは渾身の力で振りほどいた。
「大丈夫!?」
「ええ、それよりも、時間が!」
異様な水音が迫りつつあったのだ。
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「引いてください、水が来ます!」
律紀の声にあわせるように、エカテリーナが躍り出る。撤退の為に道を開くのだ。
狙いを定め、味方を巻き込まないようにショットガンで支援攻撃を開始。
「まとめて地獄行きだ!」
巻き込まれて最後の一体となった黒猫が倒れる。
写楽はその間に縮地で一気に前に出る。目指すはオレアンドルの前のウサギのぬいぐるみだ。オレアンドルはまだテディベアに食らいついている将太郎に気を取られている。
「お前暇そうじゃね? ちょっと相手してやるぜ」
写楽が大きく振り被ったラゲッドハルバードに紫焔が燃え上がる。
オレアンドルが怒りを露わに振りむいた。
「ほんっとにしつこいね!」
オレアンドルが弛緩毒の吹き矢を放つのと、写楽が剣を振り下ろすのは殆ど同時だった。ウサギはオレアンドルを庇って満足に回避できず傷を受けるが、写楽も全身の力が抜けるような感覚に膝を折る。
それを見て彩華はヒリュウを飛ばす。今追撃させる訳にはいかない。
「もう一度だけお願い!」
ヒリュウは川面を滑るように飛び、ウサギの前を掠め飛ぶ。
「貴方のその子達は飛べないんですか? うちの子みたいに!」
彩華は頬を赤くして、精一杯の挑発を試みた。
ウサギの意識が写楽から逸れたのを見て、征治と律紀が駆け寄った。
「お疲れ様です」
征治は写楽に肩を貸してその場を離れる。
「鐘田さん、大丈夫ですか!」
律紀にクリアランスを貰って撤退しながら、ボロボロの将太郎がニヤリと笑った。
「おい中山、ひとつ面白ェことが分かったぜ」
オレアンドルは二体を同時に召喚できるが、二体を完璧に操り、自らが行動するだけの集中力はないらしい。
そこに水が来た。
追撃しようと踏み出した足を止め、オレアンドルが顔を上げる。
と思う間もなく、ヴァニタス達は激しい水流に飲み込まれて行った。
「うまくいきましたか……!」
シズクがほっと息をつく。あれで死にはしないだろうが、多少の時間は稼げるはずだ。
「傷は大丈夫ですか?」
明斗が癒し手の顔に戻り、気遣った。
「ありがとう、大丈夫です」
シズクは精一杯の笑顔を向ける。どうにか仕事をやり遂げたという安堵が少しずつ心に広がって行く。
オレアンドルが流されたことで、敵の戦線の一画が崩れて行った。
「今だ、全員攻撃の後に離脱!!」
最後の力を振り絞って、撃退署員たちも無事に撤退を終える。
こうしてこの方面は一時停戦となった。
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戻ってきたオレアンドルを前に、ロンブルは相変わらず銀の髪を弄びつつ、何処か他人事のように言った。
「まあ高くついた勉強代、というところでしょうかねぇ。次は精々頑張りなさい」
それにしても、とロンブルは思う。
退けても、新たな何かを掴んでは挑んでくる撃退士達。
実に興味深いが、余りこちらの手の内を晒すべきではないだろう。
(このままオレアンドルを使えるのは、あと一〜二回ぐらいですかねぇ?)
全身ずぶぬれになったヴァニタスをちらりと見やり、ロンブルは気に入りの椅子から立ちあがった。
ラリサはロンブルに続きながら、オレアンドルに向かって低く呟いた。
「だから言ったでしょう。舐めてかかるものじゃないって」
残されたオレアンドルはドレスの裾を握り締めて立ちつくす。
「まだ、一勝一敗なんだ。次で勝てばいいんだよ……!」
その目は再戦の誓いに激しく燃えていた。
<了>