●
激戦地から抜け出すことはやはり容易ではなかった。
どうにか乗り込んだ装甲車の中で、夜来野 遥久(
ja6843)は全員の負傷度合いを確認する。
「皆さん、なかなかに丈夫でいらっしゃる」
さすがに全くの無傷という訳にはいかなかったが、何とかなりそうだ。
「これなら大丈夫ですね。護りきりましょう、必ず」
「当たり前だ。全員救出に決まってんだろ!」
月居 愁也(
ja6837)が拳を固め、掌に叩きつけた。
目指すポイントはすぐに確認できた。
鉄格子に覆われた窓を開けると、不思議な音が聞こえてくる。
「あれが歌うサーバント……」
Robin redbreast(
jb2203)は先に聞いた報告を思い出す。
(一般人と撃退署員に影響がないなら、自分達の能力を上げてる……のかな?)
どういう形にせよ、面倒なことには違いない。
「厄災を歌う瑞獣とか、天界も良い趣味してるじゃないか」
南條 侑(
jb9620)が真面目な表情でそう言った後で、付け加えた。
「勿論皮肉だ」
ポケットの阻霊符に力を籠めて、自らの意識をも高めて行く。
ハンドルを握るシルヴァーノ・アシュリー(
jb0667)は、アクセルをほんの僅か緩めた。
「準備はOK? ここで怪我しないように気をつけてくれよ」
「シルも気をつけてね。全員を助けなきゃね、頑張ろ」
ユーナミア・アシュリー(
jb0669)の表情には緊張が張り付いている。だが、夫に余計な心配をさせないよう、なるべく声はいつも通りに。
力強くドアを開き、クリスティーナ アップルトン(
ja9941)は見事な金髪を風になびかせる。
「私の華麗なダイブを披露いたしますわ!」
双子の妹、アンジェラ・アップルトン(
ja9940)と軽く目くばせを交わす。
(アンジェ、後はタイミングを合わせますわよ)
(わかりましたわ、クリス姉様)
装甲車の進路がカーブを描いた。
(大丈夫、皆無事で助け出すんだもの!)
ユーナミアはぎゅっと目をつぶり、思い切って飛び出した。
地面に転がりながらもどうにか身を起こし、すぐにストレイシオンを召喚する。
「シオン達、今日もよろしくね!」
暗青の鱗を陽光に輝かせ、召喚獣は翼を開いた。
クリスティーナは勢いを殺す為に身を捻り、地面に膝をついて顔を上げる。
「『久遠ヶ原の毒りんご姉妹』華麗に参上! ですわっ」
遥久は着地して体制を整えると、すぐに生命探知で敵を探る。
流石に幻影や分身に生命反応はないはずだ。
Robinは重さを持たぬように軽く地面に降りるや否や、東寄りの燈狼と黒い大きな獣を目がけて真っ直ぐ駆けて行く。
(なるべく沢山の敵が集まっているうちに……奇襲なら一度は効くはず!)
ギリギリの位置まで接近し、『氷の夜想曲』を使う。Robinを中心に、冷たい嵐が吹き荒れた。
真後ろからの襲撃に、狼たちの動きが乱れる。黒い麒麟も驚いたように横跳びに動いた。
だがいずれも眠るまでには至らないようだった。
その間にも装甲車は敵の西側を突き進む。
「一匹ぐらい跳ね飛ばしてやりたいものだがね」
器用にペダルを使い、シルヴァーノがドリフトで車の向きを変えた。西北の端の狼にぶつけるつもりで回り込むが、流石にV兵器で狙うのとは訳が違う。軽く跳躍して回避すると、狼はこちらに牙を剥く。
装甲車はそのまま空白地帯を東へ進み、急ブレーキで停止した。さながら急ごしらえのバリケードである。
立ち昇る砂煙が全員が降車するまでの僅かな時間稼ぎをしてくれる。
「お疲れさまです、援護に来ました!」
シルヴァーノはストレイシオンを呼び出しながら、驚いたようにこちらを見ている撃退署員に叫んだ。
「後は任せてください。可能でしたら、バスで離脱を!」
ストレイシオンの防御結界に入ったことを示す青い燐光を見て、撃退署員の顔に安堵の色が広がる。
「有難う、助かった。だがもし新手に遭遇した場合、流石に対処が難しい。ここの方がまだ安全だと思う」
今目の前にいるサーバント達だけが、別働隊だという保証はないのだ。
侑はその懸念をもっともだと思う。
「了解した。ではバスの中で待機し、万一の場合はすぐに離脱できるようにしていて貰いたい。バスは動くか?」
「それは大丈夫だ。……申し訳ないがお言葉に甘えることにしよう」
傷だらけの撃退署員達が、順にバスに乗り込んで行く。
そこに黒い獣の歌う声をかき消すように、別の歌が流れてきた。勇ましいマーチ調のアニメソングだ。
バスの中の子供が窓から眼だけを覗かせる。金髪の女性が背中を見せて、朗々と歌い続けていた。
(実害がなくとも、獣の歌には不安と恐怖を覚えるだろう。かき消すように歌うのだ、人類の希望の歌を)
アンジェラの歌声に乗せるように、南側のクリスティーナが凛とした声を響かせた。
「天魔は私達が倒します。みなさん、もう少しの辛抱ですわ!」
援軍がいる。このことを伝えて、少しでも心を落ち着けて貰いたい。
二人の願いはきちんとバスに届いたようだ。
●
新たな敵の出現に、サーバント達が陣形を変える。
北側のバス正面にいた燈狼が二体一緒に南に下がった。黒い麒麟の周りを固めるつもりのようだ。
「あれが燈狼か」
何体いるのか正確には判らない、足が何処に付いているのかすら定かではない、影のように揺れて見える獣。
侑は胡蝶扇を広げて身構えた。
報告書の通りならば、分身、そして蜃気楼を使う厄介な敵だ。
「一番古典的な見分け方法は影があるかないかだが……」
あちらも経験を積んだということだろうか。二体一組でそれぞれが幻影を使う為、どれが本体か尚更わかりづらい。
そこでシルヴァーノが提案する。
「ストレイシオンを使う。攻撃のタイミングを合わせよう」
侑は少し考えるような表情をしたが、やがて頷いた。
「分かった。やってみよう」
アンジェラも赤い小ぶりな斧を手に構えた。
「敵が確かな連携でしかけてくるならば我ら撃退士も同様に。いや、それ以上の連携で応じてみせよう」
狙うは北東に固まる燈狼の群れ。
まず侑が進み出て、胡蝶扇を投げた。大きく弧を描いて扇は燈狼に襲いかかる。
が、当たると見えた瞬間、跳びはねた燈狼の姿を扇がすりぬけて行く。
「あれ以外が本体だ。行け!」
ストレイシオンが激しいブレスを吐き、一体の燈狼がそれに飲み込まれる。
「やった!」
だがその脇から別の一体が現れたかと思うと、大きくジャンプして鋭い牙をストレイシオンの喉に突き立てたのだ。
「……つッ!!」
召喚獣の痛みは術者の痛み。シルヴァーノは歯を食いしばってそれに耐える。
だが喰らいついている狼は確実に本体だ。
「暫く頑張ってくれ」
アンジェラが斧を振り上げて駆け寄る。
「『久遠ヶ原の毒りんご姉妹』華麗に参上!」
取り回しが楽な大きさなので、誤ってストレイシオンを傷つけることもない。
(バス内の人々よりも、我々の処分が先決と判断させねば)
それには確実に燈狼の数を減らし、連携を取りづらくすること。北側に回った三人の役割である。
そして南側の役割は、少しでも敵を保護対象から引き離すこと。
より面倒だと思わせることで、攻撃をこちらへ向けさせる。
「分身や蜃気楼で私達を惑わすつもりならば、分身ごと吹き飛ばすまでですわっ!」
クリスティーナは透き通る刃を頭上にかざす。敵は四、ないし五……に、見える。
だが遥久が示した『本体』と思しき燈狼目がけ、光の束を叩きつけた。
「星屑の海に散りなさい! スターダストイリュージョン!!」
弾かれたように一体の燈狼が宙を舞い、別の一体が踏ん張る。幻は揺らぎ、流星の光がすりぬけて行く。本体がむき出しになっていた。
体勢を整えるかのように、燈狼が別の一団へ合流すべく駆け出した。
「逃しませんよ」
軌道をクリスティーナのそれとクロスさせるように、遥久がコメットを撃つ。
連続でぶつけられる範囲攻撃に、避け切れない燈狼の身体が引き裂かれた。
「しかし思っていたより頑丈ですね」
遥久が眉を顰める通り、これまでの報告なら既に倒せているはずの敵である。
こちらがストレイシオンの加護を受けているのと同様に、燈狼を守る力が働いているらしい。
「それが『歌』って訳か。だが、まずはあいつからだ!」
燈狼が吹き飛んで開いた空間に愁也が踊り出る。
極限まで高めたアウルを籠めて、真っ直ぐ赤い麒麟の元へ。
「喰らえ!!」
薙ぎ払いが麒麟を捉えた。
赤い麒麟は身を捩り、焔が燃え盛るような怒りの目で愁也を睨みつける。
だが、その場から一歩も動くことができない。麻痺状態に陥っていたのだ。
「やった、かかった! 今のうちに行くぜ!」
愁也は得物をクロスボレーシールドに替え、北側へ回り込む。
続けて鬼神一閃。冥魔の気を纏った槍の穂先が、動かぬ麒麟の胴を深々と抉る。
麒麟は激しい怒りを吐き出そうとするように、大きく口を開いた。麻痺はすぐに解けた物らしい。
「こっちへ、愁也」
紅蓮の炎が地を舐めて迸る。
遥久はその炎を盾で真っ向から受け止めた。
「……危なかった……!」
愁也自身のことではない。北側へ回り込んだために、そちらへ向かって炎を吐かれてしまったことだ。
回り込まない炎だったため、遥久が防ぎきれたのは幸いだった。
「案外回復は早そうだ。そのつもりで行こう」
「分かった。しかし面倒な奴だな……!」
二人は頷き合うと、赤い麒麟を挟みこむように両脇に分かれる。
一方で、黒い麒麟は無傷だった。
相変わらず不思議な鳴き声を響かせ、調子を取るように蹄を鳴らしている。
近付けば踏みつけるぞと言わんばかりだ。
黒い麒麟をじっと見つめて、ユーナミアはタイミングを計る。
「歌う麒麟さんには少し黙って貰いたいな」
歌声自体の効果もだが、これが響いている間、バスの中の人々は生きた心地がしないだろう。
すぐに倒すのは無理としても、あの歌だけでも止めてしまいたいと思うユーナミアだった。
しかし黒い麒麟は余り動かないとは聞いていたが、実際には棒立ちな訳ではなかった。しかも燈狼が常にガードしている。
Robinも対策を考えていたのだろう。淡々とした調子で提案する。
「試してみたい事があるの、合わせてもらますか」
「ええ、でも無理はしないでね」
ユーナミアの言葉に頷き、Robinは飛ぶように前に出る。
護りの燈狼と、黒い麒麟を巻き込む位置でナイトアンセム。薄い闇が燈狼を包みこみ、明らかに足並みが乱れた。
「今よ、お願い!」
ユーナミアはすかさず麒麟の喉元を目がけて、ハイブラストを命じる。
ストレイシオンのカッと開いた口から雷光が閃き、麒麟に襲いかかった。
しかし麒麟は軽く跳躍し、その軌跡を避ける。
「さすがに麒麟にはあまり効果がないようね」
Robinが唇を噛む。
だが効果がないだけではすまなかった。麒麟は明確に、不快な敵を見定めたのである。
余り動かなかった黒い麒麟が、首を巡らす。狙いはストレイシオンだ。
「防御結界、消えます!」
警告と共にユーナミアはすぐに召喚を解いて、ストレイシオンを守る。
攻撃対象を見失った麒麟は、Robinに目的を変えた。
「危ない……!」
ユーナミアが悲鳴のような声をあげる。
素早く回避の体勢に入ったRobinだったが、麒麟が僅かに早かった。蹄の一撃が、いとも容易く少女の身体を吹き飛ばす。
●
動かない麒麟が動いた。その理由は程なく知れる。
「これでどうだ!」
愁也の二度目の鬼神一閃に、赤い麒麟が激しく身体を震わせた。
また炎を吐くかと思われた瞬間、赤い麒麟は地団太を踏むように蹄を鳴らして、後ろ脚に力を籠めた。麒麟が逃げの体勢に入ったのだ。
「逃がさねえぞ、俺はしつこいぜ!」
追いすがる愁也の目前で、麒麟は敢えて惑わすように西側へ跳躍する。
「逃がさん!」
アンジェラがそちらへ回り込んだ。
「アンジェ、行きますわよ!」
クリスティーナの合図に合わせ、同時に放つ流星群。
「星屑幻想と星屑夢想の十字砲火、かわせますかしら!?」
撃退士達の頭を飛び越えて行こうとした赤い麒麟は、二方向から向かって来る流星を避け切れず、撃たれてそのまま地に落ちた。
「さすがクリス姉様、お見事ですわ」
「麒麟が最後に目にしたのは私達の華麗な技ですわね」
満足げに『久遠ヶ原の毒りんご姉妹』は互いを称え合う。
攻撃を担当する赤い麒麟の状況に、黒い麒麟は完全な不利を悟った。
同時に逃げることが難しいと判断すると、即座に踵を返す。
「黒い方が逃げるわ!」
ユーナミアが注意を促すが、間に合わない。
黒い麒麟は猛然とその場を離れ、最後に腹いせのように高速道路を蹴りつけて、そのままどこかへと走り去った。
激しい物音と共に、コンクリートの塊が地面に落ちる。
黒い麒麟が去った後、取り残された燈狼は順次駆逐された。
攻撃が当たりさえすれば、確実にダメージが増えて行く。
「やはりあの歌が効いていたようだな」
侑は汗を拭い、大きく息を吐いた。
黒い麒麟を倒すことよりも、今回は護るべき人々の無事が優先される。
ひとりも傷つけることなく災厄を逃れたことは、まずは成功と言っていいだろう。
だがユーナミアの表情はすぐれない。
「最後に怖い思いをしたかもしれないわ。様子を見に行きましょう」
高速道路の方へと移動しはじめる一同を、遥久が呼び止めた。
「そんな姿のままで行っては、子供は却って怯えてしまいますよ」
かなり酷い怪我のRobinや、ストレイシオンの負傷を共にしたシルヴァーノだけではない。皆それぞれ大なり小なり、傷を負っていた。
「とりあえず見えるところだけでも治しておきましょう」
遥久の術に、皆の傷が綺麗にふさがって行く。
バスの扉を開けると、息を殺して身を寄せ合う人々がいた。
ユーナミアは中に入ると、通路に膝をついてなるべく穏やかな声で語りかける。
「もう大丈夫だよ、安心してね」
今回のことが心に傷を残さないように。
悪夢を寄せ付けない、安らかな眠りが今夜も訪れるように。
「もしまた何かあったら、絶対助けに来るから。信じてね」
ユーナミアの言葉が優しく響く。
遥久は内部の様子を見ながら、柔らかく穏やかな気を乗せたアウルを放出した。
シルヴァーノはヒリュウを召喚し、バスの中へ。小動物が愛くるしく飛び回る様子に、ようやく子供たちの表情が和らぐ。
「もう大丈夫だ。皆を安全なところまで送って行くからね」
確かにこの場所は守り切った。安堵の空気がバスに満ちて行く。
だが果たして仙台に『安全な場所』は残されているのだろうか……。
別れて来た本隊の状況を気にかけつつ、装甲車はバスに並走しその場を離れていった。
<了>