「予想していたとはいえ、臭いは最悪だな」
下水を移動しながら、黒羽 拓海(
jb7256)が静かに呟いた。
彼らの要請通り、周辺の下水やダクトなどの地図は手に入ったのだが。
「さすがに紙では貰えねぇよな」
不満の声を漏らしたのは相馬凪(
jb7833)だ。時間の問題があるとはいえ、彼らが手に入れた地図は、携帯端末にデータとして送られてきたのだ。
「明かりで見つかる可能性はある、が。受けたからにはやるしかないだろう」
そう言ったのはアデル・シルフィード(
jb1802)。彼は先の作戦で重傷を負い、万全とはいえない体調だった。
「正面、二十メートル。敵数、一。やれるか?」
前方を警戒していたアデルが囁く。戦えなくても力になることは出来る。闇の中で目を凝らし、足音を消し、敵のいないルートをただひたすらに探るだけでチームに大きく貢献できるのだ。
「阻霊符を使っているからな。侵入に気付かれているのかもしれない」
「構わねぇ。現在地を知られなければな」
口にすると同時に拓海と凪が同時に地を蹴る。
「!」
白狼に似た形状のサーバントが気付き、仲間を呼ぼうとするが、先手を取った撃退士相手には通用しない。
凪の布槍が口へと巻き付き、声を封じる。さらに追撃をかけたのは拓海の直剣。
そして、トドメとばかりに里条 楓奈(
jb4066)のストレイシオンが真空波を放ち、その身を切り刻む。
「雑魚に付き合ってる暇なぞない」
「救助信号が出てるのはこの真上だ。気を抜くなよ」
梯子を指さし、アデルが告げる。ここから先は怪物はびこる地上だ。今までのように簡単にはいかない。
だが、それでも前に進むしかなかった。
助けを求める声がある限り。
●
地上は化物の巣窟だった。五匹単位のサーバントがチームを組み、死角が少ないように周囲を巡回している。
(やはり、違和を覚える。これだけの数のサーバントが組織立って動いているのに、司令官らしき者はいなかった。何かが、おかしい)
インレ(
jb3056)の脳裏に疑念が湧くが、何より優先すべきことは要救助者の確保だ。
救助信号は近い。だが、真っ直ぐに進むわけにはいかなかった。
ある時は通気口を通り、ある時は発煙弾で相手の気を逸らし、そしてある時はエレベーターの扉をこじ開け、シャフトをよじ登る。
身を削るような緊張感の中、ようやく救助信号のもとに辿り着いた時――
そこには、死体を抱え、声を殺して泣きじゃくる少女が存在した。
「!」
衣料品売り場の試着室の中、突然開かれたカーテンに少女が身を縮める。
「大丈夫。私たちは味方。君を助けに来たんだ。私は紅織史、君は?」
紅織 史(
jb5575)がそっと手を差し伸べ語り掛けると、少女は涙を拭って手を握り返した。
「柳沢真穂って言います。こちらの方に助けてもらって。けど、私を庇って、もう」
「……そう、か。よく生きててくれた」
「私。何も出来なくて。この人の名前さえ、知らなくて……」
史の手を握り返したまま動かない真穂。恐怖と喪失で全ての気力を失っているようだった。そんな少女を抱きしめたのは、楓奈だった。
「いいんだ。お主はよく頑張った、後は私らに任せてくれ。お主は無事に脱出させてみせる」
抱きしめたまま試着室の外へと連れ出すが、真帆は静かに首を振った。
「でき……ません。この人も一緒じゃないと」
「おい。少しは現実を見たらどうだ?」
冷たく言い放ったのは、牙撃鉄鳴(
jb5667)だった。
「通信機が使えたってことは、アウルに目覚めてはいるんだろう。だが、素人だ。そんなお荷物を連れて包囲網から脱出するだけでも大事なのに、さらに死体を抱えろだと?」
「少し言いすぎだけど、事実。遺体を担いでダクトは通れないし、血の跡や臭いで……追跡される」
矢野 胡桃(
ja2617)がたしなめはするが、大筋では同意だった。冷静に考えて、彼を連れて脱出するのは難しい。
「俺達は救難信号を受けてここに来ただけだ。お前は俺の依頼人じゃない。囚われのお姫様気取りなら大概にするんだな」
「そんな言い方っ」
突き放すような物言いに、楓奈と史が抗議の声を上げる。だが、次に続く言葉は彼女たちの予想に反したものだった。
「だから――お前が俺たちに依頼しろ。内容は、ここにいる『全員』での脱出。依頼料はお前が稼ぎ、お前が払え。それまでは死ぬことも許さん。言っておくが、俺の取立ては厳しいぞ?」
「……なるほど、な。憎い事言ってくれるじゃねぇか。なあ、柳沢さん。返す方法は後で考えればいい。撃退士にならなくたって、金を稼ぐ方法はいくらでもあるんだ。生き残りさえすればな」
生きろ、と彼らは言っていた。
誰かを犠牲にして生き延びた真穂に、生きていていいと言ってくれていた。
強い思いが、少女の冷たく枯れた心へと温かいものを満たしていく。
「お願い、します。お父さんもお母さんも、兄さんもいなくなったけど……私は、この人に救われた命で生きようと思います。だから……」
小さな、小さな声。
だが、彼女の声には強い意志が込められていた。
「聞いたか? 依頼人は柳沢真穂。依頼内容はここにいる全員の脱出。もちろん、そこの英雄もまとめて、な。俺達はプロだ。受けた依頼には答えるぞ」
「そう望まれるなら、私はやり遂げる……だけ」
鉄鳴の静かな決意に、胡桃が答える。こうなった以上、やるべきことは一つだった。
「こんな連中だが腕は確かだ。信じてくれるな?」
拓海の言葉に真帆が頷く。
その時だった。
『撃退士の方に通告します』
店内スピーカーから、若い男の声が響き渡った。ライフラインは死んでいるはずなので、予備電源でも稼働させたのだろうか。
『用件だけ手短に。僕の目的はそこにいる柳沢真穂だけです。傷一つ付けないことを約束するので、彼女を渡して下さい。勿論、皆さんにも危害を加えません。脱出口も用意します。なので真穂を連れて出てきてもらえないでしょうか?』
「……違和の正体はこれか」
インレが合点がいったように呟く。司令塔がいないのに組織行動を行う敵群。たった二人の人間を追うには大げさな程の戦力展開。
目的が真穂自身なら納得できる話だった。ただ、理由は不明だが。
「スピーカーの向こうにいるのは、天使か使徒かの。追われる覚えは?」
インレの問いに真帆が静かに首を振る。嘘は感じられない。
『五分以内に出てこない場合は、実力行使とさせてもらいます。どうか、出てきて下さい』
「と、言っているが……どうする、アヤ?」
楓奈が撃退士を抱えながら、最愛の相棒へと問いかける。
「聞くまでもないでしょう?」
「俺達は依頼を受けた。ここにいる全員で脱出すると。なら、依頼人が諦めない限り、行動に変更はない」
全員が真穂の顔を見る。
「狙われる理由は分かりません。けど、言いなりになったら、この人の戦いは無意味になると思うんです」
彼女の瞳には、生き延びるという確固たる意志が宿っていた。
●
脱出は困難を極めた。
司令塔の指示なのだろう。外にいた獣の群れが、一斉に屋内へと侵入してきたのだ。
史が仕掛けた鳴子やトラップが発動したことで、来た道が使えなくなっていることも判明する。
もし彼女が警戒していなければ、サーバントの群れの中に突っ込んでいたところだった。
階下は塞がれた。
そして、時間が経てば今いる三階も大量の敵で埋め尽くされてしまう。
「下は駄目だ。上に行くしかない」
「上って……どうやって逃げるんですか!?」
アデルの言葉に真穂が疑問の声を上げるが、それでも彼女は撃退士に追いすがる。
楓奈が撃退士の遺体を担いでいるというのに、真帆が遅れるわけにはいかなかった。
百は下らないサーバントの逃走劇。ただ、上へ上へと進む。
そして――
彼らは夕闇の支配する屋上へと躍り出た。
「今のお主になら見えるだろう? あの建物の陰に脱出用の車を隠してある」
楓奈が指さした方向には、車両らしき影が見えていた。
だが、数百メートルは離れている上、ここは五階建てのビルの屋上。到達は不可能に思えた。
「我々を、そしてお主が得た力を信じろ」
そう言って、遺体を担いだまま楓奈が鉄柵を飛び越え、ふわりと落ちていく。
もちろん撃退士と言えど、この高さから落ちては無傷ではいられない。
だが彼女は軽業じみた動きで、通気口の出っ張りから室外機、そして街灯、街路樹、車両へと見事に足場を移し、飛び跳ねながら戦域から脱出していく。
ほとんどのサーバントは内部に突撃しているので、今や包囲はほとんどない。
「さあ、行きましょう? 今のあなたなら出来るはずよ」
史が真穂の手を握る。史は真穂を信じてくれている。ならば次は真穂が彼女を信じる番だ。
しっかりと握り返し、エスコートされるがまま飛び降りる。
無防備な真穂をフォローするように残りの撃退士たちも後に続いていった。
だが、ただ二人だけ、屋上に残った者がいた。
「おや? 危険を負うのは年寄りの専売だと思っていたんだがの」
「私は剣。必要だから、残るだけ」
屋上の扉に向けて武器を構えたのは、インレと胡桃。
ここで敵を食い止めなければ、数多のサーバントが仲間の背を襲うだろう。誰かが残る必要があった。
聴覚に響くのは、数多の足音。
音は徐々に迫り、そして――
扉が、開いた。
瞬間、爆発じみた音が響き、胡桃の銃弾とインレの拳状の魔弾が襲い掛かる。
出会い頭の一撃。並のサーバント程度、耐えられるわけがない。
――しかし。
崩れた入口の前に立っていたのは、膝を折った男だった。彼は口元から血を流しながら、ゆっくりと立ち上がる。
「貴様が司令塔か?」
「そう、です。僕の名前は、柳澤永遠(とわ)。これが、最後だ。頼むから、妹を……返してくれませんか?」
「どういう、こと?」
戦闘の構えを取りながら彼が口にしたのは、あまりに意外な言葉だった。
●
用意された軽トラまで、残り二百メートル。撃退士の足なら十数秒とかからない距離だ。
だが、車に乗って終わりではない。足止めに残った二人と合流するまでの時間、トラックを守り抜かねばならなかった。
「依頼人に一つサービスだ。良い事を教えてやる」
荷台に乗り込んだ真穂に聞こえるように、鉄鳴が声を上げる。
追跡者は、約二十。まともにぶつかって勝てる数ではない。だが、彼の口調は冷静そのもので、全くの動揺は感じられなかった。
「プロは仲間を見捨てない……絶対にだ」
言葉と共に、フルオートに設定したアサルトライフルから銃弾が吐き出される。
弾幕に立ち怯むサーバント。そして、弾倉交換の一瞬の間をついて飛び出るのは二つの陰。
拓海と、凪だ。
「その撃退士がお前に何を言ったかは知らない。だが、見ていろ。これが俺達の世界だ。何かに縛られている者は、決して踏み入ることはできない場所だ」
「俺達は強制しねぇ。自分で決めるんだ。道なら、切り開いてやる」
解放された闘気が空気を響かせ、剣が閃く。
神速の足捌きから放たれた布槍が、獣を薙ぎ払い、打ち貫く。
「生き続けたいと願うのであれば、やれる事をやれ 。それが『人間』の意地だ」
有言実行と言わんばかりに、アデルが傷だらけの体で拳銃による援護射撃を行っている。彼はボロボロの体で己に可能な最善を尽くしていた。意地を、見せていた。
「安心して。必ず皆で脱出するから。楓もそう信じて運転席にいるわ」
史がそっと真穂の頭を撫でた瞬間だった。自然と、真帆の口から言葉が漏れていた。
「私にも、武器を貸して下さい。使いこなせるかは分からないけど、見ているだけなんて、出来ないから」
同じ力を持つ先達を見て、感じるものがあったのだろう。
彼女の瞳には、先程の生きる意志に重ね、戦う決意が宿っていた。
●
奇襲で屋上の出口は潰した。だが、外にいた四匹の飛行型サーバントと使徒を相手するには、二人では明らかに戦力不足だった。
「どいてくれよ。真穂は僕が守るんだ。だから、こうやって永遠を手に入れたんだ。そうするしかなかったんだ! 分かれよ!」
使徒の攻撃には迷いがあった。だからこそ二人でも数十秒近い時間が稼げていた。
だが、それもそろそろ限界だ。
「理由はどうあれ……貴方は天使に、下った。交わす言葉は……無い」
強い口調だが、胡桃の体は傷だらけだ。結界で凌いでいたが、既に体力は限界に近い。あと一発でも当たれば行動不能に陥るだろう。
「同感だな。永遠の先に明日はない。明日という『未来』を捨てた貴様が、誰かを守ることなどおこがましいとは思わぬか?」
インレの傷は胡桃よりは浅いが、それとて楽観できるものではなかった。彼と相対する使徒の一撃は、当たれば致命傷になりかねない程に重い。
そろそろ引き時だろう。
だが、相手は五体。隙を見出すだけでも並大抵のことではなかった。
「もう一度言ってやる。貴様に誰かを守るなど、不可能だ。大方、妹を守ると言いながら、わが身惜しさに天使に命乞いでもしたのではないか?」
故に、インレは隙を『作る』ことにした。
安っぽい挑発。
だが効果はあった。
「黙れ!」
飛行型への指示も忘れ、使徒が真っ直ぐにインレへと飛びかかってくる。
目論み通り、一瞬ではあるが相手の思考は停止していた。
その隙を見逃す胡桃ではない。弾丸をばら撒きながら屋上から離脱する。
「貴方も……早く」
そうしたいのは山々だったが、相手の動きは素早い。胡桃の弾丸で傷を負いながらも真っ直ぐにインレの懐へと飛び込んでくる。
「が、は」
右拳がインレの腹部へ深々と突き刺さった。勢いのまま吹き飛ばされ、インレの体が鉄柵を突き破り、屋上から落下していく。
――だが。
「効いたぞ。だが、致命傷ではない」
口元から血を流すインレの背から生まれたのは、漆黒の翼。そのまま敵の攻撃を利用し、車両のもとへと飛び去っていく。
「待て! くっ」
使徒が追いかけようと地を踏むが、身体が動かない。胡桃が逃亡間際に放った銃弾が、的確に彼の足を貫いていたのだ。
「返せ、返せよ! 何でこうなるんだよ! 畜生!」
叫びは、誰にも届かない。ただ、空に吸い込まれていくだけだった。
●
「荒い運転になる。皆しっかり掴まっててくれ!」
胡桃が合流し、インレが落下するように荷台に着地した直後、楓奈がアクセルを踏み込んだ。偵察作戦用にチューンされていた軽トラは、凄まじい加速でサーバントの群れを引き離していく。
僅かにいた飛行型も、胡桃と鉄鳴の狙撃で進行を止められやがて追跡を諦めていった。
「どうなるのかな、あの娘は……」
運転席で楓奈が静かに呟く。
願わくば、自らの意志で未来を選んでほしかった。
車はただ、宵闇を切り裂き、疾走していく。
死した者の遺志を乗せ、今生きる者の意志を乗せ。
ただ真っ直ぐに。
ただ、真っ直ぐに。
久遠ヶ原学園に一人の少女が入学するのは、その一週間後の出来事だった。