警察からの報告書を読み終えた撃退士たちは、一つの推論を下した。
『オルゴールに触れた、もしくは聞いた者が狙われた』のではないか、と。
「確か、この辺のはずなんだけどな」
地図を眺めながら、観沢 遥斗(
jb9502)が周囲を見回す。
オルゴールが埋まった座標は地図に入力されている。報告によると、手つかずのはずである。
アウルの力を持たない警察官を現場に派遣するのは余りにも危険すぎるからだ。
「あ、タブンここダよー。掘り返した後があるネー」
長田・E・勇太(
jb9116)がインカム越しに全員に報告する。
彼の言葉を合図に、裏山に向かった全員が配置についた。
周囲に魔の気配は感じられない。
だがおそらく、オルゴールを掘れば現れるはずだ。
完全防備、六人がかりでの待ち伏せ。いかに天魔と言えど、ただではすまないだろう。
「簡単な仕事ね。欠伸が出るほどに」
零那(
ja0485)がぼやくが、大なり小なりこの場にいる全員には似たような気持ちはあった。
サーチ・アンド・デストロイ。どこにでもある下級ディアボロの始末。
簡単な仕事のはずだった。
――だが。
「オルゴール、ナイよ?」
エリックの困惑した言葉に、撃退士に動揺が走る。
真新しい堀り跡は、どれだけ掘っても何も出てこなかったのだ。
何故、どうして。
彼らの疑問に答えられる者は、ここにはいなかった。
●
一方、南條 侑(
jb9620)と姫路 恵(
jb8918)は小学校の応接室で、児童たちの聞き込みをしていた。応接テーブルの向かいには、三人の少年と担任教師が座っている。
何故学校でかと言えば、理由は簡単。現場での戦闘に巻き込まれない程度には距離が離れていて、なおかつもし奇襲に遭っても数分以内に裏山組が駆けつけられるからだ。ちなみに、他の学校関係者はすでに避難させている。
「というわけで、俺達はオルゴールを触れたか聞いた人間が襲われてる可能性を考えてる。何か覚えはないか?」
「覚えっていっても。オルゴールに触ったのは僕だけです。聞いたのは全員だけど」
侑の問いかけに優馬が頭を掻いて答える。嘘や隠し事は感じられない。
ただ、一つ妙な事があった。
もう一人の無傷の少年、圭吾の様子がおかしかったのだ。所在なさげに視線を動かし、今にも泣きそうな表情を浮かべている。
「どうしたのですか? 圭吾さん。何か気付いたことがあるなら、仰って下さい。些細なことでも構いませんから」
恵が優しく問いかける。すると、圭吾は体を震わせ、小さな声を絞り出した。
「オレだ。オレが悪いんだ」
「ど、どうしたんだよ!?」
「知らなかったんだ! あのオルゴールがそんなにヤバいモノだったなんて! どうしよう、オレのせいだ。オレのせいでみんなが大怪我を」
声を荒げた圭吾には、恐怖と後悔の念が浮かんでいた。
「きっと、取り返しに来たんだ。だから、みんな狙われて……!」
圭吾が喚く中、侑と恵に通信が入った。仲間のジョン・ドゥ(
jb9083)からだ。
『悪い。こっちはハズレだ。オルゴールはなかった。どうも、誰かが掘り返したみたいなんだよ。とりあえず今からそっち戻るわ』
堀り返された跡。存在しないオルゴール。狼狽する圭吾。
「まさか!?」
確か、圭吾はオルゴールを見て言ったはずだ。
『拾ったのバレたら、怒られるじゃ済まねーぞ。ってかオレが欲しいくらいだよ』と。
「掘り返したのか?」
侑の言葉に、圭吾が無言で頷く。
ならば話は変わってくる。
恐らく、『探検ごっこ』をしていた際、少年たちはディアボロに姿を見られていたのだ。だが、圭吾単独で掘り返した際は、偶然にも相手は留守だった。
戻ったディアボロだが、あるべき場所にオルゴールが無い。だから、考えた。『探検ごっこ』に来た五人の誰かが盗んだに違いない、と。
敵の狙いはオルゴールを聞いた者ではなかった。
オルゴールそのものだったのだ。
「事情が変わった。合流を急いでくれ」
『了解、すぐに向かう。五分待ってくれ』
侑の声音に、事態が危険な方向に動き出しているのに気付いたのだろう。ジョンが強い声で応答し、通信が切れる。
「それで、圭吾。オルゴールはどこに?」
「オレの部屋。机の中」
報告書によると、圭吾の自宅は全力疾走すれば往復で五分程。
仲間と合流して、チームを護衛とオルゴール回収に分ける。そしてオルゴールをダシに人気が無い場所に敵を誘導する。手が少々遅れたが、被害は最小限に抑えられるはずだ。
なのに、何だというのだろう。
侑、そして恵の胸には、例えようもない嫌な予感が渦巻いていた。
「恵。圭吾に変化する準備をって、もう化けてるのか」
「勿論です。これは完全なカンなのですが……来ますから。圭吾さんたちはこれを」
恵が少年たちに向けて、大きめの帽子と久遠ヶ原学園制式のジャケットを放り投げる。狙いはオルゴールを盗んだ容疑者である彼らだ。変装すれば多少はマシになるに違いない。
人目があるにも関わらず、自分の服を脱ぎ捨て、あらかじめ準備していた子供服に着替える。人命がかかった緊急事態だ。羞恥心など感じている場合ではない。
――悪い予感は、必ず当たるのだから。
変装が終わった直後だった。
「来るぞっ!」
轟音とともに窓ガラスを突き破り、全長二メートルほどの獣が応接室に飛び込んできた。
黒い毛並みの、邪悪な形相を浮かべた狂獣。
巨大な牙を光らせ、身体を沈めて二人を威嚇するように睨みつけている。
訓練を積んできた二人には瞬時に理解できた。
――敵わない、と。
八人全員でかかれば数分以内に蹴散らせる自信がある。だが、今の彼らはたったの二人。撃退士の最大の武器である『多人数での連携戦闘』を封じられている以上、勝ち目は皆無だった。
侑たちを睨み付けながら、ディアボロはじりじりと距離を詰めてくる。
「どうする? 答えは一つだけどな」
「どうしましょう。一つしかないですけど」
目の前には太刀打ちできない敵。
背後には無力な生身の人間が四人。
彼らを見捨てれば、二人は簡単に逃げおおせるだろう。
だが、そんな道を選ぶつもりは毛頭なかった。
「死ぬかもしれないぞ?」
「それはお互い様です」
死ぬのは怖い。
だが、何より恐ろしいのは……
力なき者を犠牲にし、自分だけが生き残ることだった。
「絶対に、守り抜こう」
「ええ」
目を合わせ、頷く。
その直後。二人が左右に跳んだ。
「オルゴールはこっちだ!」
恵が少年の声色でディアボロを牽制する。同時に、侑が四人を扉の外へと誘導していく。
本来なら二人で足止めしたかった。だがもし相手が撃退士を無視した場合、逃げた四人は無防備なまま襲われてしまう。最後の防壁は必要だった。
「カエセ。カエセェ」
オルゴールという単語に反応し、ディアボロが恵に襲い掛かる。
「今から取りに行くから、ちょっと待っててくれよ! 必ず返すからさ!」
駄目で元々で放った言葉に、ディアボロの動きが止まる。
だが、止まったのは一瞬。すぐさま凶暴な瞳で恵を睨み付け、爪を振るう。応接机が粉々に砕け、破片が周囲に撒き散らされた。
(会話は、通じない。ここは時間を稼ぐしか)
魔獣としての破壊衝動と、オルゴールへの執着が混ざり合い、もはや相手は自分が何をしているのかもわかっていないのだろう。
仲間が到着するまで、あと三分。
だが、撃退士と天魔による高速戦闘では、三分は気が遠くなるほどの長い時間だ。
(こんな攻撃を何十回も躱し続けれるの?)
恵が自問する間にも、ディアボロは獣に相応しい敏捷さで彼女に爪を振るい、牙を剥く。
その全てを必死に回避し、あるいは受ける。
恐らく、彼女の体力が続くのは一分が限度。
「……それでも、やってみせます。己の力の限界まで」
死ぬかもしれない。だが、死ぬわけにはいかない。
こんな所でくたばるために彼女は力を身に付けたわけではないのだから。
●
「後は頼んだ。国道に出たら全力で突っ走れ」
「は、はい」
侑の言葉と共に、担任教師が自家用車のロックを解除する。四人は慌てて乗り込んでいるが、そのわずかな間さえも侑にはもどかしく感じられた。
車のエンジンがかかる。
その瞬間だった。
「カエセェ!」
校舎の壁をすり抜けて、ディアボロが真っ直ぐ車へと突っ込んできたのだ。
(恵が、やられた!?)
一瞬の狼狽が反応を遅らせる。迎撃が間に合わない。車は発進しつつあるが、十分な加速がつく前に攻撃を受けてしまうだろう。
魔獣が地を踏み込み、跳躍する。
宙で体制を整え、鋼をも引き裂く爪が振りかぶられる。
必中の一撃。小回りの利かない車に、逃れるすべはない。
永劫にも思える一瞬。迎撃も回避も不可能。
(ならば!)
方法はたった一つ。
彼は、車両を守るため、自らの身を盾にした。
「ぐあぁっ!」
胸元から腹部にかけて三本の爪で深く抉られる。
突進の勢いと堅爪の威力で侑の体が地面に叩きつけられる。だが、その隙に車は加速し、離脱しようとしていた。
ディアボロが怒り狂い、咆哮する。
不可視の衝撃波で侑の体が吹き飛ばされるが、車は咆哮の射程外だ。
「カエ、セ。カエセ!」
ディアボロが車と追跡しようと体を沈める。
だが、今にも飛び出そうとしたディアボロを止めたのは――
炎を纏った、胡蝶扇!
「まだ、死んじゃ、いない」
最後の力で侑が己の武器を放ったのだ。もう、指一本動きそうにない。
ディアボロが、再び吼える。
体が紙切れのように吹き飛ばされ、顔面から地面に激突してしまう。受け身を取る力さえ残されていなかった。
トドメを刺そうと、敵が大きく口を開け、近づいてくる。
(無垢なる人を守れて死ぬのなら……)
絶対的な死を目の前にして、僅かな諦めが胸をよぎる。
巨大な口が侑の視界を覆い――
――そして。
「させません!」
割り込んだのは、地を這うような軌道で滑空する飛龍だった。アレクシア・エンフィールド(
ja3291)の召喚獣がディアボロに体当たりをぶちかましたのだ。
高速の突撃に体勢を崩すディアボロ。その瞬間、激しい銃声が鳴り響いた。
「何、この子供向け番組みたいなダルい登場タイミング。私らはヒーローじゃないっての」
二丁拳銃で弾丸をまき散らしながら零那がぼやく。出来すぎた登場シーンに呆れた笑いさえ漏れそうだった。ただ、言葉とは裏腹に彼女が放った弾丸は確実にディアボロの機動力を削いでいる。
「……間に合った。その事実が大事」
物陰で狙撃銃を構えた矢野 胡桃(
ja2617)が静かに呟く。
「遅れた分はシゴトで取り戻スよ」
飛び出してきたエリックが近距離で拳銃をぶっ放す。
「お前達はチビどもを守り抜いた。次は俺達がお前を守る番だ。だから……今は安心して寝てろ」
遥斗が大地を蹴り、雷の剣をディアボロへと突き立てた。紫電が疾り、魔獣の喉から苦悶が漏れる。
「さぁ、踊ろうぜ! ルディとシオンを口遊んでさ!」
炸裂する爆音。巧みに死角を移動しながら、陰陽術を放ったのはジョンだ。反撃で何人かが傷を負うが、着実にダメージを与えていく。
「オオ……オオォ」
「何だ?」
爆圧から立ち直ったディアボロは、大型の管楽器のような唸り声を上げていた。始めは威嚇かと思われたが、違う。唸り声は高低があり、長短があった。
「これは……まさか」
胡桃が、小さく呟く。ひび割れて、音程は外れていて、テンポは滅茶苦茶。だが、獣の声帯が奏でるメロディーは間違いなく『ルディとシオン』だった。
「何だこれ。イメージが、流れ込んでくる?」
傷ついたディアボロが口ずさむ『ルディとシオン』は、聞くに堪えないほど下手糞だというのに、撃退士たちの心を揺さぶる何かがあった。
オルゴールを誰かに届けたかった。大切な人がいた気がするから。
だけど自分は何も思い出せない。届けたかった者の顔も、名前も。
届けたい。分からない。だから、守った。守り続けようとした。
「……もしかして」
戦いのにも関わらず、胡桃の頭に一つの想像が浮かぶ。
調書にもあった優馬の家族構成。行方不明の父。ルディとシオンの作曲者。
全てが、魔獣の奏でるメロディーで繋がっていく。
「まさか……そんな」
力が、抜ける。引き金から指が離れそうになる。
誰もが同じ気持ちに陥り、戦意を失いそうになった中、動いたのは零那だった。
「どうでもいいわ。そんなモン」
ただ吐き捨て、弾丸を見舞う。目の前のディアボロが人間だったころの執着などに興味はない。あるのは人里で暴れたという事実だけだ。
「どうでもいいってのは反対だが、やるしかないよな」
静かに、だが決意を持って遥斗が直剣を振るう。
全ての記憶は失った。けれど心は消えていない。
大事な誰かに贈るもの。執着だけが、己の全て。
もはや人には戻れない。ならば――想いに縋って生きるのみ。
「あなたが誰にそのオルゴールを渡したかったのかは分かりません。だけど……もう、見ていられません。だから……」
アレクシアが頭を振り、飛龍に最後の命令を下す。
弾丸が、刃が、召喚獣が、たった一つの妄執に突き動かされる哀れなディアボロに襲い掛かる。傷つくたびに唸り声には魂が宿り、心が削られるようだった。
楽曲はクライマックスに達し、そして――
「……おやすみなさい」
胡桃の引き金を最後に、幕は――下ろされた。
●
「いいのか? 埋め直しちまって」
「残酷な真実など、辛いだけですよ。何も知らないほうが、幸せです」
遥斗の問いに、アレクシアが答えた。
全てが終わった後、一部のメンバーは再び裏山に戻ってきていた。今度は、圭吾から回収したオルゴールを携えて。
「『For Dear My Son』って底に刻まレてルね」
「あのディアボロは、父親……優馬君の。これは、墓標の代わりよ」
行方不明の『ルディとシオン』の作曲者、優馬の父を思いながら、胡桃が苦い顔で呟いた。
侑と恵は一命をとりとめたが、一日経った今でも意識を取り戻さない。
校舎は半壊し、少年は心に傷を負った。圭吾の愚かな行いが、友人や見知らぬ撃退士に大けがをさせる羽目になったのだから。その事実は今後の友人関係を脅かしかねなかったし、永遠の後悔となるだろう。
「……もっと上手くやれたのかもな」
「ベストを尽くした。はずなのですけど」
重い空気が場を支配し、誰もが無言で沈み込む。
「――♪」
沈黙を破ったのは、今まで無言で穴を掘っていたジョンの鼻歌だった。
アップテンポで、荒野をバイクで駆け抜けるようなイメージの楽曲。
『ルディとシオン』。
「歌えよ。それが弔いだ」
ジョンに促され、続いたのはアレクシアだった。
他の者も自らの想いを乗せてメロディーを口ずさむ。
悪魔に運命を狂わされた父の魂に、捧げるように。
「せめて、安らかに眠れますように」
アレクシアの願いは、鎮魂歌には不似合いな音楽に乗せて、初夏の風へと溶けていく。
天へと向かい、どこまでも。どこまでも。