◆薔薇園は侵入者を拒まない
月明りの下、強めの風が吹いていた。
ガーデンの青薔薇たちが波打つように揺れ、青い花弁を散らして舞い上げていく。
その中でも一際異彩を放つ、巨大な青薔薇型のサーバントも風と戯れるように揺れていた。揺れる度に、熟れ過ぎた果実のような芳香が強くなる。それらは風で薄れることはなく、むしろますます濃く強く充満していく。
性別も分からない白い人の影は、そんな青薔薇を見上げては支柱となっている十字架を撫でる。白い貌や、包帯で覆われた瞳から感情を読み取ることはできないけれど、それでもその手が慈しみを持って動いていることはわかってしまう。
その遥か上空。夜闇に羽ばたくは三対の翼。
悪魔の翼をもつ者たちは、眼下の光景を見下ろして各々の武器を手にする。
サーバントたちは、未だ気付かない。
「愛しい人、夢の中でしか逢えぬ人。死の現実は受け入れがたく、叶うことなら――」
詩を歌うように、ピアスが輝く唇から紡がれる言の葉。
失ってしまった愛を悼む者の願い。サーバントが未だ持ち続けるその気持ちがわからないわけではないけれど、と紅鬼姫(
ja0444)は禍々しささえ感じるカーマインの双眸を細めた。
黒い瞳孔が開くその色に写るのは白いサーバントではなく最愛の男。自らが狩り採り、受け取った最愛の命は生前の姿のままガーデンの中心に立っていた。
「天使もなかなかいい趣味してるよな。丁度、花が頭のサイズだぜ。けけっ」
その横で、江戸川騎士(
jb5439)はフランス人形のような顔とは不釣り合いな笑い声で感想を述べる。埋め込まれたように存在する青の瞳は、青薔薇が魅せる幻覚に恍惚と狂気の光彩を浮かべていた。
「どちらかと言えば、悪魔みたいな趣味だな」
ジョン・ドゥ(
jb9083)は淡々と返答するものの、騎士は聞いていないだろう。鬼姫もだ。二人の視線は真っ直ぐにサーバントへと向いている。
(確かに、良い再現率だ)
持って帰りたいと思うほどに。
愛を愛している愛しい紫の魔女を蛇のような金色の双眸に写しつつ、ジョンは隠しきれない愛しさに目を細めた。
「それで、全員配置に付いたのか?」
徐にハンズフリースマホを起動して、ここにはいない同行者に問いかける。
「こっちは、いつでもいけるよ」
「問題はない」
ガーデンの入り口からほんの少し離れた森の中で、鈴木悠司(
ja0226)と牙撃鉄鳴(
jb5667)は共に淡々と答える。
ざわざわと風が吹き抜け、葉擦れと大量の枝が撓ってあげる悲鳴はこれからの戦闘を暗示しているようだった。
二人は、植物が覆ってしまった道だったものの先にあるガーデンへの入り口を見やる。茨が巻きつく鉄製の門は、侵入者を待ち構えるように開いていた。
鼻を突くのは話に聞いていた薔薇の芳香。
この香りがもたらす幻覚は自分にはどう映るのだろう。悠司はそう考えて、ふと脳裏を掠めた翡翠色にゆるゆると首を振った。
関係ない。誰が見えようが、そんなものは関係ない。
「全てを終わらせる……ただそれだけなんだ」
自分に言い聞かせるように吐き出して、剣の柄に触れた。
「――たしか、『不可能』だったか?」
鉄鳴が呟いたのは、青薔薇に与えられた花言葉だ。ありえない青い薔薇。不可能の象徴。それは転じて、奇跡の象徴も与えられたのだ。
つまらん。
ぽつりと零した言葉には、何の情も含まれていない。ただ甘ったるい芳香に微かに眉を潜めて、息を吐く。
「こちらも潜入成功です」
先行として入り口から反対側の洋館へと潜入した雁鉄静寂(
jb3365)は、ガーデンが見渡せるバルコニーのある部屋の中で待機していた。使われなくなった部屋の中はすでにボロボロで、薔薇の香りは染みつくように充満していた。
念のためと、身を隠すように部屋の中からガーデンの様子を伺う。
静寂が見る幻覚は、黒衣を纏う黒髪の青年だ。
恋人を大切にする、自分の想い人。そういえばと、最近その恋人と一緒にいる姿を見ないことに気付く。
「……もし、泣かせたりしたのなら許せませんね」
私が制裁しなければ。そんな物騒なことを考えつつ、青い花弁が舞うガーデンから目を離して部屋を見回す。
ふと目にした写真立てには、男女が寄り添って微笑んでいた。幸せそうな記憶の断片は、埃をかぶっている。おそらく、行方不明の薔薇職人とその恋人だろう。
(どんな経緯があろうと天魔は天魔。人の思いを残しても何もできないのですから)
写真立てを伏せる。あのサーバントには、意味のないものだと。
「――では、終わらせましょうか」
それは慈悲か、ただ単に人を襲うサーバントを野放しにするわけにはいかないからか。本心は彼女の胸の中に。
◆愛しき幻影は嘆く
悠司と鉄鳴がガーデン内に足を踏み入れたその瞬間、この空間にある全ての植物がざわめいた。風で揺れただけではないことはわかる。
「……土から伝わる振動を探知しているのか」
植物が見ていることはないだろう。見ているならば、ガーデンの土を踏みしめるより前に反応しているはずだ。状況とタイミングを見て鉄鳴は冷静に分析する。
「なら、慎重に行くこともないね」
どうせ気付かれているのだから。と悠司は纏わりつく香りを振り払うかのように歩調を早めた。鉄鳴は何も言わずに後ろを付いていく。
複雑な作りをしている訳ではないガーデンは、中心まで辿り着くのに時間はかからない。
件の巨大な青薔薇と、寄り添うように立つ人影はすぐに見つけた。
幻覚が魅せるものに悠司は息を呑み、鉄鳴は「やはり……くだらん」とスナイパーライフルを手にする。
白いサーバントは今までそうしていたように悠司たちを手招くが、一向に近づいてこないどころか殺意さえ向けてくる二人の様子に一度首を傾げた。
「――天魔は、殺す……!」
ウルフズベインを抜刀して、体内でアウルを燃焼させる。そうして生まれた爆発的な推進力任せに地を蹴った。
悠司が見るサーバントの、宝石のように美しい翡翠の瞳が見開かれる。
惑わされてたまるものか。と一閃。悠司を突き動かすのは全てを終わられたいが故の破壊のみ。横凪に振るわれた斬撃は、唐突に足元の地面から伸びた茨の壁に阻まれた。太く丈夫な茨が幾重にも絡むそれは、想像以上に固い。
そして、壁に空いた僅かな隙間に見る翡翠は悲しげに揺れる。それは、いつぞやの春の景色を眺めていた時と同じ光彩で――。
「……僕はっ、赦されたいわけじゃない!」
赦しは要らない。望んでいない。
サーバントも流石に今までの獲物と異なる彼を敵だと認識したようだ。植物がざわめく。青薔薇の花弁が風に乗る。その中にいる天使は、とても美しかった。
次いで発砲音が響き、悠司は武器を引き抜いて横に避ける。壁にアウルの力を籠めた銃弾が撃ち混まれた。その着弾点を中心に、茨は構成因子を徐々に破壊され、形を崩していく。
「愛など、任務遂行には邪魔なだけだ」
言い放ってもう一発。躊躇いなく発砲した。
鉄鳴の目に映る幻覚は、他の者たちと違って曖昧で不確定なもの。ただの顔見知り達が次々と現れては消えていく。
それでも鉄鳴の攻撃には一切の容赦がなければ罪悪感も見えない。邪魔をするものは、どれだけ親しいものであろうと敵だ。サーバントは戸惑っているようだ、悠司のように動揺を見せないせいもあるだろう。
「所詮は幻覚。愛だの大切など、俺は持たないし、必要などない」
その為に「名も無き鬼」となったのだから。
それでも、見えるかもしれなかった存在は予想していた。けれど現れる気配は未だ無く――。
悠司が初撃の為に地を蹴った瞬間、静寂はガーデンからその様子を見ている。上空からの奇襲する予定の三人にとって最高のタイミングを計る為に。
斬撃と銃撃を与えられ、サーバントが完全に二人を敵だと認識し注意が向いたその瞬間、
「先行の二人による引きつけは成功――今が好機です!」
「薔薇のお相手はお任せしますの」
静寂の合図とともに、真っ先に急降下したのは鬼姫だ。
青薔薇と人型。悠司と鉄鳴の攻撃でほんの少し開いた間に鬼姫は降り立つ。
振り向いたサーバントと目が合う。
その姿は鬼姫に翼を授けた男。鬼姫に殺されることで、最愛を示した彼。愛しさがこみ上げて、胸を締め付ける切なさを、無表情のままに押し殺す。
「例えこの身が血に塗れようと、失う訳にはいきませんの」
彼の最愛を求め、殺人人形で在る為に。
手にした雷を帯びた小刀で鋭さと破壊力を上げた一撃を首目掛けて放つと、茨と化した腕がそれを受け止める。アウルの補助があっても鬼姫の力では茨の防御を突破するまではいかない。
すぐさまサーバントの反撃が来る。
この至近距離では並大抵では避けることは出来ないだろう。けれど鬼姫の回避能力はこの場にいる誰よりも特化したものだった。
茨腕が鬼姫の心臓に届く前に小刀を引いて鬼姫は飛び上がる。腕は虚しく空を突いただけ。
「狂おしい程、愛おしい人……俺様とも殺し愛しようぜ?」
鬼姫が地上から離脱すると、すぐさま夜空に花火のように炎が広がる。それは広がると炎の雨のようにサーバントたちに降り注ぐ。人型は当然のように蔦の壁で青薔薇を守る。
植物の中にある水分はそうやすやすと延焼を広げはしない。だが、炎の雨が終わる前に騎士は次の行動を起こした。
魔導書から阿修羅刀へと武器を切り替え、常世の闇を身に纏う。急降下し、身に纏う闇を弾丸へと変えて壁に撃ちだす。そして一点集中とばかりに阿修羅曼珠を突き立てた。
刃は壁を貫通したが、守られている青薔薇には届かない。その代り、自らの体の一部を貫かれた人型は苦しみに悶える。
そんな人型を見て騎士は目を細めた。
命の恩人であり、名を呼んだ人であり、友であり、初めて己の意志で殺した人であり――自らの死を持って騎士に感情を教えてくれた女。
そんな女を思い、狂った笑い声をあげながら切りかかる。もう一度殺せる歓喜に酔いながら。
サーバントは切りかかってきた騎士の阿修羅曼珠を蔦で絡み取り、動きを止めてから茨腕を脇腹に叩きこむ。血が散る。土に染み込んだ血のせいか、青薔薇はまた花びらを開いた。
そして青薔薇も黙したままではない。茨同士で繋がっているのか、養分を与えて回復を施せばサーバントを守るために花びらや棘を飛ばす。
ジョンも対抗し、上空から急襲するものの舞い上げた砂塵は狙い通りの効果を与えられない。
仕方なしに接近し、雷で形作った剣で騎士の脇腹を貫いた腕を叩き切る。
「これは思ったよりもキツイな……」
腕を切り取られ、憎しみを籠めてジョンを睨みつけるのは愛しい紫の魔女だ。
もしこのサーバントが本物の彼女だったら自分はどうしただろうかと考える。否、仕方ないと考えるだろう。人類の敵になった程度、可愛いものではないか。それが嫌う理由になる訳がない。
敵になる理由なんか関係ない。疑う以前に疑う理由も考えもない。何故か。理屈で説明できないぐらいに愛しているからだ。
飛んできた花弁と棘の攻撃にを受け、ジョンは一度距離を取った。
「――でも、地獄の果てまで追いかけるぜ」
たっぷり叱ってやらなければならないから。
立場の違いなど、愛情に比べれは取るに足らないものでしかないのだ。
◆叶わぬ夢は花びらと共に散る
戦闘は思ったよりも難航した。
変わらずにバルコニーからサポートする静寂だが、上手くいっているとも言い難い。それも当然。戦闘している五人の優先するべき敵がバラバラだからだ。
青薔薇化か人型か。統一しなければ、戦況を把握して最善の助言を出しても、出されている側の狙いと合致しなければ咄嗟に反応はできない。
しかし、難航したといっても撃退士たちが優勢であることに変わりはない。時間はかかったが、青薔薇を庇い続けている人型は回復が追い付いていないのかすでにボロボロだった。
ドレインでの回復も、射程内に入らないように注意しているものも多く思うようにはいかない。
撃退士側の負傷も見受けられるものの、青薔薇が満開になるほどの血は流れていない。
そして、幻想の終わりは訪れる。
殺意の高い鬼姫や騎士に、疲弊した人型はとうとう対処しきれなくなる。その隙を、鉄鳴は見逃さなかった。
すぐさま銃弾をリロードし、構える。その動きに無駄はない。ライフルを構え直し青薔薇に狙いを定めて、破壊力をあげた一撃を。
人型を一瞥し、引き金を引く。破壊力に力を注いだだけ命中精度に不安は残るが、それでも弾丸は青薔薇の蕾を寸分違わず撃ち抜いた。
蕾から花弁が剥がれ落ちていく。ボロボロになった人型が知り合いの姿でその様を凝視していた。
夢の終わり。希望は叶わず、人型を動かしていた一つの想いも潰える。
薔薇の方向は風に流され薄れ、撃退士たちの幻覚も解けていく。
「……やはりアイツは出てこなかったか」
青い花弁り雨の中、鉄鳴が思い浮かべるのはかつての恋人の姿。もう未練はないのか、それとも最初からそんな感情など抱けなかったのか。名もなき鬼にはどちらかはもうわからない。
現状を受け入れられていない青薔薇に、鬼姫は容赦なく刃を向ける。最早抵抗はなく、サーバントは胸を切りつけられて倒れる。
愛を失った者の末路。抱いた願いを理解できるけれども……。
「――鬼姫には、殺す事しか出来ませんの」
それは慈悲だったのだろう。
もう一度雷を帯びた斬撃は、瞬く間もなくサーバントの首を刈り取った。
痛みも苦しみもなく、殺人人形へ手向けた愛は、すでに逝った最愛の人に届いただろうか――。
ガーデンに静寂が戻る。
血の香りも甘い腐臭のような芳香も霧散した。代わりに、瑞々しい本来の薔薇の香りがふわりと撃退士たちの嗅覚を刺激する。
夢の世界から取り残された小さな青薔薇たちは起こらなかった奇跡を前に、ただ悲しげに揺れていた。