〇嵐の眼
ディアボロが通ったとされるその田園は、その名残を僅かに残したままで荒れ果てていた。
のびのびと育った稲が風に揺られていたはずの青田は雨で洗い流され、今ではただの沼。清らかな水が流れていたであろう用水路も、泥水の川と化していた。それは今でもディアボロのいると思われる黒雲のある方角から、とめどなく濁流が流れ込んできていた
「酷い有様ですね……」
ディアボロが現れるまでは長閑な田園風景であったその場所を見回して、天羽 マヤ(
ja0134)は眉をひそめる。その足元にあるのは、ディアボロが通った後と推測される抉れた地面。そこにも濁流が流れ、また別の小川を形成していた。
「雨も嫌いじゃないんだけどねぇ……でも降らせ過ぎなのは良くないかなぁ」
おっとりとした口調でそう言ったのは、アッシュ・スードニム(
jb3145)。白い羽を羽ばたかせて宙を漂う彼女が身に纏うのは、ピンク蛍光色のレインコートだ。その視線の先は、分厚い黒雲が広がる南側の空に向いている。
抉れた道は黒雲が広がる方角に延びていた。ディアボロがその方角にいるのは明白だろう。
「梅雨も終わりって時に、こんな大雨降らせるのは粋じゃないね」
そんなことをぼやきつつ、アサニエル(
jb5431)は艶やかな紅色の髪を掻き上げる。赤いレインコートを着こんで、滑り止めの付いた長靴を履くのも抜かりがない。
「ところで、あなたは何をしているのかしら?」
オレンジのレインコートを身に纏うツェツィーリア・エデルトルート(
ja7717)は、なにやら抉れた道の脇にしゃがみ込んでいる後藤知也(
jb6379)に声をかける。
「ディアボロが作った道を調べているんだ。何かわかるかも知れないと思ってな」
知也は流れていた木の枝で抉れた地面を突いた。枝で救い上げたのは、ぬぬめった粘液のような物だ。それは刺激臭を放っており、触れた枝はじんわりと形を失くしていく。
「毒性があるようだな」
「溶解液のような物ですか? それほど強いものでもないようですけど」
「わからないが、用心した方がいいだろう」
手にした枝を道の真ん中に放り投げ、マヤは枝を目で追って、溶けて崩れていく様子を眺める。
「……見た目がアレな敵というのもなんというか……戦いたくはありませんよね」
成り行きを見ていたイアン・J・アルビス(
ja0084)は、嫌悪感むき出しにして「それでいてぬめぬめだとか……」と吐き捨てる。潔癖症のイアンはそういったものが苦手なのだろう。室内でなくてよかった、掃除したくなる、など関係のないことをぶつくさぼやきつつ、鮮やかな青のレインコートを羽織る。首に下げたゴーグルが、陽光を反射した。
「ぬめぬめ系ねぇ……凍てつかせればどれも同じだわ」
ツェツィーリアは自身の髪を一纏めに括りつつ笑った。
「さてと……そろそろ雨の中に突っ込むことになるだろうけど、準備はいいかい?」
アサニエルの言葉に、各々がレインコートと長靴、連絡を取り合うためのインカムを動作確認する。防水性を重要視して選んだので、この雨の中でも問題ないだろう。知也は緑の、マヤは紫のレインコートを羽織った。各々が別の色のコートを着ていることを確認し、誰がどの色なのかも頭に入れておく。
そんな緊張感が包む中、アッシュが思いついたように口を開く。
「あ、ツェツィーリアさん」
「なにかしら?」
「もしよければ、雨に入った時トワイライト貸してもらえないかなって」
もしかしたら敵を発見した時に先導できるかもしれない。そんなアッシュの提案に、ツェツィーリアは快く応じた。
進めば湿気が強くなり、土の青臭さや、カビの臭いが鼻を突く。
各々は頷き合って、豪雨の中に突入した。
〇豪雨の中で
豪雨の中での視界はかなり悪い。目立つコートがなければ、少し離れただけでも見失ってしまうレベルだ。足元は常に雨水が川のようになっている。常に水たまりを踏んでいるような感覚だった。
「視界が悪いというのも考えものです」
ゴーグルをしてイアンは雨の強さうんざりしているようだった。
「こうも湿気てると気が滅入ってくるね」
「すごい雨ですね−。雨が止んだらキレイな虹がかかりそうですっ」
「きっときれいだよねー」
フードをかぶり直しながらアサニエルは顔をしかめ、マヤとアッシュは未来の光景を想像して目を輝かせた。
飛んでいるアッシュと、水上歩行を使用しているマヤは問題ないが、他の面々は進むのですら雨水を蹴り上げている状態にだ。
知也の周りがぼんやりと明るくなる。ディアボロに悟られないように範囲を抑えてはいるが、先ほどよりもずいぶんと視界がよくなった。その光を頼りに、知也は移動痕跡を確認する。
「移動痕跡が濁流で見えにくくなっている。把握できないレベルではないが……」
「しっかり確認しながら進むのが無難だね。敵もそう遠くないはずだし、方角も間違ってないよ」
生命探知を発動させたアサニエルの言葉に、方位磁石を手にしたアッシュも頷く。
「南東にまっすぐ向かってるってところかな」
「……たしかそっちは駅がありましたね。このまま進ませれば被害の拡大は確実でしょう」
イアンは冷静に頭の中に入れた地理情報を引き出す。
「なら、なおさらここで退治しないと。その為のわたくしたちですわ」
妖艶な笑みを浮かべるツェツィーリアの指先から光が生まれる。トワイライトだ。白銀に光る光球はふわりとツェツィーリアの掌の上で浮遊する。彼女はそれをアッシュに渡す。光球は術者の指示に従い、アッシュの小さな手に収まった。
「先導、よろしくね♪」
「任せてっ」
トワイライトを持って、アッシュは高度を上げる。光のおかげで飛ぶ彼女の位置は見失わない。また彼女からも知也の星の輝きのおかげで地上に残るメンバーたちを見失うこともなかった。
「見える範囲にディアボロの影はなし。そのまま進んで大丈夫だよー」
インカムを通じてのアッシュの報告に各々は頷いて歩みを進める。
そうして歩いていると、豪雨の中で短い悲鳴が聞こえた。アサニエルだ。探索に集中しすぎたのか、泥に足を取られて転んでしまったのか尻餅をついていた。
「冷たい……」
「アサニエルさん!大丈夫ですか!?」
「あらあら、大丈夫?」
マヤとツェツィーリアがあわててアサニエルに駆け寄って助け起こす。コートは泥だらけだ。
「足元に注意するんだよ……こうなりたくなかったらね」
助け起こされ、けらけらと笑いながらアサニエルは言う。
「みんな無事だね、よかった……あっ!」
高度を落として様子をうかがっていたアッシュは全員の無事を確認するとほっと息を吐いた。そして視線を前方に戻すと、何やら黒い影が視界に入る。
「動いてる影を見つけたよ!ディアボロかも!」
インカム越しに伝えて、アッシュはスピードを上げる。心なしか雨が強まったようだ。近づけば情報に合った通りの、カタツムリの殻を背負ったアメフラシが、その巨体を引きずって進んでいる。体長は三メートル程度。確かに、油断していたら押しつぶされそうだ。
「ディアボロを見つけたよ!」
アッシュはそう叫ぶと同時に、トワイライトをディアボロに投げつけ、間髪をいれずにティアマットを召喚する。
「行くよイア! 早く倒しちゃおう!」
〇雨の中に潜む魔物
アッシュが記した光を目印を頼りに、メンバーはすぐに駆け付けた。ディアボロは気づいていないのか、それとも撃退士たちなど眼中にないのか、ずずっ……と巨体を引きずって南側へと進行していた。
「先には進ませません!」
マヤの声とともに影がディアボロに伸びる。細長いその影は何本もディアボロの陰に伸びて絡み付く。
そして光の翼を使用し、飛んだアサニエルが塗料入りの水風船を上空からディアボロにぶつける。水風船はディアボロの頭部と思わしき場所にぶつかり、破裂。中に入っていた黄色の蛍光塗料がディアボロの黒き体一部と大きな殻を、黄色に染め上げた。
「本体暴いてあげるわぁ♪」
追撃とばかりにツェツィーリアがトワイライトを数個投げつける。これで多少離れても見失うこともないだろう。
ディアボロはやっと自分に降りかかる異変に気づき、背後を振り返るように首を曲げた。
「触れたくないですけど注目です」
イアンが指を鳴らすと、淡い光が体を包む。その光に魅せられたのか、ディアボロは音にならない声で空気を震わせた。体を傾かせ、半分浮いた体を地面に叩きつける。その衝撃で周辺の濁流が波となってイアンを襲った。
「!」
濁流に押し流されるのを堪え、泥まみれとなったイアンは舌打ちする。しかし止まってられない。他の仲間に意識が向かないように、近づいて銃弾を打つ。けれどディアボロの表面にある粘膜のせいか、摩擦が起こらず弾は弾き返されてしまった。
「物理が聞かないようですね!」
飛びのいて距離をとるイアンに再び濁流が襲う。
「ほらほら、頭の上がお留守だよ!」
光の玉が頭上から降り注ぐ。射程ギリギリの距離からの攻撃に、ディアボロは鬱陶しそうに体を揺らした。
「現状ではボクの最高の攻撃、だよ?」
その合間に、強化したアッシュとイアのハイブラストが落とされる。激しい轟音が周囲の空気を痺れさせた。雷の熱によって周囲の水が一瞬にして水蒸気に変換される。
ディアボロは立て続けの攻撃に怒り、傍にいた知也を押し潰そうとと体を起こす。怒りからかスピードは上がっていたがね知也にとってはまだまだ遅かった。
「させません!」
「そんな動きじゃ俺らは潰せないぜ」
マヤが影縛りで動きを封じ、智也は素早く魔導書を開いて白と黒の矢を生み出すと、剥き出しとなった腹に叩き込む。と同時に後ろへ大きく飛びのいて距離を取った。知也を追えないようにツェツィーリアが薄紫色の光の矢を放つ。エナジーアローだ。無防備だった箇所の攻撃は応えたらしく、身を震わせて暴れる。
「これは聞いたわねぇ」
満足げにツェツィーリアが笑った。そして次の瞬間に異変が起こる。ディアボロの体が紫色に変色し始めたのだ。
「様子が変ですよ!」
マヤがいち早くそれ気付き、叫んだ。
その直後、ディアボロは体を震わせ、己の粘膜を弾丸のように四方八方に連射した。
「避けるんだ!」
その粘膜が、豪雨に入る前に見た溶解液だと判断した知也が叫ぶ。
アサニエルとアッシュはすぐさま高度を上げて遠ざかる。
「イアンさん!危ない!」
泥と濁流に足を取られて避けきれなかったイアンを粘膜が襲う。マヤはとっさに迅雷でイアンに駆け寄り泥から引き抜くとその場を離脱する。
「た、助かりました……」
「いえ、無事でよかったです」
数秒前までイアンがいた場所には粘膜が着弾し、異臭と蒸気をあげて泡立っていた。その様子を見て二人は背筋を凍らせる。
そんな中、知也にも避けきれなかった粘膜が着弾する。
「! こんなもの!」
知也は咄嗟にレインコートを脱ぎ捨てた。
「この程度の雨シャワーと一緒だぜ」
コートを脱いで、知也は心配する仲間たちに笑いかける。こんな所で倒れていられない。家には産まれたばかりの子供が……家族待っているのだから。
「でも、どうしましょうか。なかなか倒れる気配がありませんし」
「やっぱり、決定打が足りないようだ……」
マヤとイアンが思考を巡らせる。粘膜のせいで物理はあまり効果がない。かといって魔法系の攻撃も粘膜によって緩和されているのだろう。体が柔らかいせいなのか、麻痺した様子もない。先程のようにのしかかりで腹をむき出しにしてもらえればいいのだが、それも難しい。知也の一撃以降、のしかかりで攻撃してくるような様子は見せない。
「せめて粘膜をなんとかできればいいんだけどねぇ」
「雨で洗い流せるほどのものではないだろうし」
空中でもアサニエルとアッシュが遠巻きに様子を伺う。
どうしたものかと、撃退士たちに沈黙が降りた。しかし、それを断ち切ったのはツェツィーリアだ。
「私にいい考えがあるわ♪」
○雨上がりの空には虹がかかり
インカム越しに作戦を伝え合った面々は、各自の持ち場に付いた。
ディアボロは攻撃してこない撃退士たちに興味を失ったのか、再び進行を始める。その直後、空気が張り詰めた。
「――さぁ、凍ってしまいなさい」
ツェツィーリアの声が響くとともに、気温がガクッと下がっていく。そして次の瞬間には巨大な氷の槍がディアボロの体に突き刺さった。刺さった場所から、ディアボロの体凍りついていく。
「いまだ!」
「いくぞ!」
イアンがクレイモアを構え、氷ごとディアボロの肉を裂く。凍らされた粘膜は身を守る盾にはならなかった。続いて知也が付けられた傷にクナイを投げつける。
「外側からがダメなら、内側からです!」
雷神の面を付けたマヤが、アンブルを刺されたクナイに絡める。そのままマライカを構え、雷を帯び弾丸をアンブルの軌道に乗せてクナイに叩きこんだ。
ディアボロの声なき咆哮が空気を震わせた。肉が焦げる嫌な臭いが立ち込める。命の危険を感じ取ったディアボロは、身を守る為に殻の中へと入っていく。
「かかったね!」
「トドメだ!」
完璧に入り切ったタイミングで、強化したアッシュとイアのハイブラストが、アサニエルのコメットが殻の入り口めがけて放たれた。衝撃の逃げ場がない攻撃は、殻の中を駆け巡り、ディアボロの身体を焼き尽くす。
衝撃と轟音。下がった気温がまた熱により上昇する。水蒸気と煙が収まった後に残されたのは、罅が入り、黒こげになった巨大な殻が残されたディアボロの残骸だ。
「エスカルゴ、にしては火を通し過ぎたかしら♪」
「少なくとも美味くはないだろうな」
ツェツィーリアの言葉に、知也は笑う。
ディアボロの姿が崩れ塵となり、風に浚われていく。同時に雨は弱まり、分厚い雲は四散して真夏の陽光が差し込んできた。
「ん、晴れた晴れたー」
その光を浴び、コートを脱いだアッシュは羽と尻尾パタパタさせ、体を伸ばす。
「早く帰ってシャワーでも浴びたい気分だよ」
「同感です……」
びしょ濡れ泥だらけの自分の体を見て、顔をしかめたままアサニエルの言葉に同意し、どこからか取り出したタオルで体を拭く。
「あっ! 虹が!」
マヤが嬉しそうに声を上げ、その声につられて皆が空を仰ぐ。
晴れた夏空には、綺麗な虹がかかっていた。