●闇の中へ
作戦会議を終え、各々の準備が整うと、彼等はすぐさま件の廃ビルの中へと踏み込んだ。
「此処で、間違いないようだ」
「……うわぁ、獣臭いぜ」
男の証言を頼りに、ビルの地下駐車場へ続く防災扉を見つけた久遠 仁刀(
ja2464)は、慎重に扉を開く。その向こうには階段が続いており、暗闇の奥からは鼻を突くような獣臭さが漂ってくる。獅堂 武(
jb0906)は仁刀の後ろで盛大に顔をしかめた。
「どうやら、男の証言が嘘ではない可能性は高いな」
獣臭さに、慣れ親しんだとも言える腐臭と血の匂いを嗅ぎ取り、影野 恭弥(
ja0018)は誰にともなく呟き、久遠寺 渚(
jb0685)はキャンプ用のランタンを手にその大きな瞳を不安気に揺らす。
「へうぅー、女子高生さん無事だといいんですけど……」
釈然としませんけど、男性も生きていれば……。と小さく続けると、白蛇のまー君が渚の肩で鎌首をもたげ、ちろちろと舌を出す。それは何かを感じ取っているようでもあった。
「兎に角とっとと見つけたらなね。無事でいて欲しいな……」
「まだ無事な可能性だってあるはずだ。さっさと見つけてやらねぇとな」
宇田川 千鶴(
ja1613)は固い声で奥を見つめるのとは対照的に、武は出来うる限り明るい声でその声に答え、手持無沙汰に、持ってきたケミカルライトを弄ぶ。
(獣退治ってのも、忍びないけどね……)
支給品として申請しておいた催涙スプレーと生肉の入ったビニール袋をぷらぷらと揺らしつつ、天羽 伊都(
jb2199)はそんなことを思う。
目立たないようにとニット帽子と服装を黒で統一した恭弥が、真っ先に階段を下りていく。それに続き、他の面々も各自で用意した光源を持って、撃退士たちは闇の中へと足を踏み入れた。
ビルの設計図面を見る限りでは車100台は余裕で収納できる広さのある地下は、各々が持つ光源だけでは階段付近を照らすのがやっとだ。いたるところに付着している血痕や、時折見かける血塗れの服の残骸を見る度に空気がますます張りつめる。
「奥に潜んでんのか」
ずるずると奥へと道のように引かれた血痕を見つけて武はぼやいた。
「まぁ、あっちは私たちが来たことはわかってるだろうし、すぐ出てきそうだけど」
武はケミカルライトを発光させ、柱や壁際など比較的戦闘に邪魔にならないようにばら蒔きつつ進んでいき、伊都は索敵している恭弥の後を追いつつ生肉と催涙スプレー片手に、敵を探す。熊の嗅覚なら、生肉の匂いに反応するだろうと思ってのことだ。
しばらく奥へ進むと、ふと恭弥が足を止め、銃を構えた。
「いたぞ。こっちを見張っている……5m離れた場所に少女の姿を確認」
静かに告げられた声、濁った血のように赤い目が闇の奥でぎらりと輝き、光が一斉に恭弥の見据える先へ向く。照らされたのは、体長2m超えるであろう体躯をした熊のディアボロ。そしてその少し後ろには少女らしき人影が横たわっていた。
瞬間、千鶴が刀を鞘から抜き去り稲妻の光を帯びた脚部で地を蹴る。――そして同時に、銃声が駐車場内にこだました。
●それは獲物ではなく、敵
恭弥の銃弾がディアボロの足を掠めぐらついたその身体に、急接近した千鶴の刀が一閃する。白銀のそれが黒い体躯に叩きつけられる。しかし、思った以上に刃は身体に埋まらなかった。
「堅い……!」
その肉は予想以上に固い。けれど千鶴の攻撃の目的はディアボロにダメージを与えることではない。怯ませられれば充分。刀をぶつけた衝撃を利用して、横たわる少女へと手を伸ばす。ディアボロがそれに気付く前に、千鶴は少女を抱きかかえ、瞬時に後方で待機していた渚の元へと後退した。
「こっちが相手だ!」
それと入れ替わりになるように仁刀が星煌を構えてディアボロと対峙する。武も護符を、伊都も盾とエネルギーブレードを構える。
食料を奪われた獣が咆哮をあげ、ビリビリと空気を、地下を振動させた。
千鶴が少女と共に戻ってくると、待機していた渚はすぐさま結界を展開する。白く輝く結界が、灯となって辺りを照らし、千鶴は少女の体を横たえて脈を確認する。
手に伝わってきた鼓動は微弱ながらも確かに脈打っており、著しく低下しているものの体温も感じられ、か細く呼吸もしている。見る限りでは大きな怪我もないようだ。
「ずいぶん衰弱してるけど、生きているようやね」
「よ、よかったです……!」
千鶴の言葉に渚は安堵したように胸を撫でおろす。しかし、喜んでばかりもいられない。ディアボロを倒さなければ。
「ほんならこの子は任せたわ、久遠寺さん」
「ま、任せて、ください! 宇田川さんも、お、お気を付けてっ!」
渚の言葉に微笑み返し、淡い茶の双眸を鋭く細め、千鶴は再び結界を飛び出して戦場へと走った。それを見送った渚も、警戒を解くことなく盾を構える。
「なかなか、頑丈だな」
恭弥はぼやく。暗闇の中で死角から狙撃をするものの、なかなか大きなダメージを与えるには至らないようだ。同じく太刀を振るい、鋭く重い鉤爪の一撃を流しつつ仁刀もその頑丈さに眉を潜める。
どこか脆い部分を狙って攻撃をしようとしても、ディアボロの動きは早く、急所にも攻撃はあたりにくい。
「まったく効いてないわけじゃねーみたいだけど……おっと!」
熊の一撃をかわしながら、武が放つ氷の刃も怯みはせども致命打にはならない。
銃声が響く合間に伊都が仁刀の背後から飛び出し、ディアボロ足に眩い白銀の光を纏ったブレードを叩き付ける。肉が裂かれ、赤黒い血が微かに吹きだす。それでも致命打には至らなかった。
すぐさま反撃しようと、鋭い牙を覗かせて伊都を噛み殺そうと動く。しかしそれは恭弥の射撃で軌道を逸らされ、迅雷で稲妻の如く伊都を捕まえてその場を離脱した千鶴によって回避される。
「あっぶなーい……。宇田川さんありがとうございますー」
通常の熊よりも鋭いその牙を目の当たりにした伊都は、額に滲んだ冷汗を拭う。あれに噛まれたら骨ごとにくを持っていかれるだろう。
「いいえ。……それにしても、やたら防御が高いわ」
「スピードが高いのも厄介っすね……」
さて、どう仕留めようか。思考を巡らすと同時に、伊都を仕留め損ねたディアボロは怒りの咆哮を上げ。そしてその直後に身を翻すようにして闇の中へと退散した。
「逃げたのか……?」
武が唖然とその様子を見送りぼやくと、「いいや」と仁刀が返す。
「たぶん、一時退却だな」
「……おそらく、ディアボロは俺達を『獲物』ではなく食料を横取りする『敵』とみなしたようだ」
闇に紛れて攻撃してくるつもりなのだろう。と恭弥が続け。銃を構えたまま敵の姿を探す。
熊の執着心は強い。絶対に少女を取り返しに来るだろう。そう見越した仁刀たちは、結界のある場所まで後退しつつ神経を研ぎ澄ませた。
●小熊の襲来
少女は戦いの最中に目覚めた。3日の間ほぼ飲み食いもしていない彼女の意識は混濁しており、何が起こったかも、何が起こっているのかもわからず、ただ茫然としていた。
視界に入るのは、化物と戦う人間たちと、巫女服を纏い、盾を持った渚と名乗った女の姿だ。しきりに「生きていてよかったです」と微笑む渚から水を与えられる。
「絶対に無事に帰します」
おどおどしつつも手を握られる。その手のあたたかさに少女は安堵する。
響く騒音も化物の咆哮も、再び沈みはじめた意識にはどこか遠くのように感じた。
「ほんま、生きとって良かった」
そんな渚と少女の様子をみやり、少し離れた場所で千鶴は胸を撫でおろす。安堵してばかりもいられない。またいつディアボロが襲撃してくるのか、わからないのだから。
「んじゃ、あとはディアボロ倒して、さっさと地上にでないとな」
武は再びケミカルライトをばらまきつつ、結界を中心に符を片手に当たりの様子を探り、伊都もまた生肉を餌に、結界から離れた場所でディアボロが吊られるのを待ち構える。
ふと、伊都の懐中電灯の光の先で、何かが動いた。ディアボロかと身構えたが、それにしては小柄だ。だが、ぎらりと赤い双眸が見えたその瞬間、伊都は反射的に持ち歩いていたホイッスルを思いっきり鳴らした。
エネルギーブレードの光で位置を他の仲間たちに伝えるために動かすと、それに反応したのか、小さなそれは伊都に襲いかかってきた。灯に照らされたそれは、小柄と言えど1m以上あるそれは件のディアボロと、とてもよく似ていた。
(小熊……!?)
素早く手持ちの催涙スプレーを小熊の顔面に向かって吹きつける。小熊が怯んだところで生肉を叩きつけると、ブレードを薙ぐように振った。小さいからなのか、先程のディアボロほど頑丈ではないようだ。
「残念♪ボクは煮ても焼いても食べれないかな?」
肉を裂く確かな手応えと共に伊都は追撃を与えるため、ブレードを切り返した。
伊都のホイッスルが響いたと同時に、伊都の加勢に向かおうとした武の元にも小熊のディアボロが現れた。
「もう一匹いたぞ!」
渚や恭弥たちに向かって叫ぶ。一瞬遅れて、小熊は結界めがけて走り出す。少女を取り返しに来たのだろう。渚は少女を庇うように盾を構える。
武は素早く小熊と結界の間に割って入る。その手には、雷を意味する霊的な文字や記号が描かれた護符を持って。
「これでも喰らってろ!」
小熊を殴る勢いで護符を叩きつける。青白い光が奔り、雷の刃が小熊の動きを止める。そして「オマケだ!」とばかりに炸裂符をぶつける。
爆風が武と小熊の間に巻き起こる。その衝撃で小熊は大きく後退するものの、怯む様子はなく再び走り出す。攻撃を浴びせてきた武ではなく、渚のほうに向かって。
「だから、お前の相手はこっちだっての!」
持ち替えた鉄数珠を鞭のようにしならせ、その黒い身体に打ち付ける。
「え、援護します!」
声と共に銃声が響く。渚の放った銃弾は的確に小熊を捉え、小熊の体に蛇の幻影が纏わりついた。
時同じくして、件のディアボロも仁刀たちの前に現れていた。
「小熊もいたとはな……」
一歩下がって結界の方を一瞥し、恭弥はぼやく。前方には仁刀と千鶴が対峙するディアボロ。あの頑丈さはなかなか厄介だ。一瞬でも動きをとめるタイミングを見るしかない。援護射撃を怠ることなく、恭弥は静かに好機を待つ。
ディアボロの一撃は、予想よりも重い。大きな太刀でその腕を受け止めた仁刀は、微かに痺れるような感覚に眉を潜める。刃を切り返し、その腕を弾く。そして同時に大きくがら空きになった脇腹に雷を纏った刀で切りつける。そこは腕や足等と比べると、さほど頑丈ではなかった。千鶴がいったん離れると同時に仁刀が切りつける。
咆哮が再び響いた。どうやらやっと大きなダメージを与えられたらしい。
与えられたダメージと、獲物付近で武と伊都に傷つけられている小熊の姿を見て、ディアボロはますます怒り狂っていく。その動きは、だんだんと冷静さを欠いているようにも見えた。
結界へ近づくのを邪魔する3人を苛立たしげに腕で薙ぎながら、強引に結界へと進もうとする。
「どうした!逃げるのか!?」
「私に当てれるもんなら当ててみろや!」
仁刀は注意をそらすようにわざと目の前に立ちふさがり、千鶴は仁刀だけにディアボロの攻撃が集中しないようにスキルを発動させる。千鶴から白銀と黒のオーラが発生し、強風と轟音が巻き起こった。太刀と刃と、死角から打たれる銃弾。
徐々にディアボロ戦い方からは、身を守ると言う行動が無くなりつつあった。
「こっちにこい!」
仁刀は、千鶴と戦うディアボロ地価を支える柱を背にして挑発をすると、ディアボロは何もためらうことなく仁刀に突進してくる。寸での所で横に飛びそれをかわすと、ディアボロはその勢いのまま柱に激突した。大きく地下は揺れたものの、柱はコンクリートにひびが入り剥がれただけだ。
流石に頭にダメージを喰らったディアボロは痛みにのたうつ。そして、恭弥は動きが止まったその隙を逃さなかった。銃声が響き、ディアボロの左目に命中。間髪入れず、左目を押さえたためにがら空きになった脇腹に、追加で2発銃弾が撃ち込まれた。
「これで終わりだ!」
仁刀はディアボロに向かって飛ぶ。その刃は、朝日のような眩い光を纏い、この地下を照らすと同時に、すれ違いざまにその首元に刃を走らせる。血が噴き出した。仁刀が着地すると同時に刃から光が闇に溶け込むように霧散し、ディアボロは地響きを立てて倒れ伏した。
その巨体が闇に還るようにさらさらと崩れる。時を同じくして、武と伊都が相手にしていた小熊たちも、後を追うように闇に還った。
●それは不幸な母子の魂
すべてが終わった後、地下には警察の捜索隊が踏み込んだ。
そこにはディアボロたちに食い散らかされた遺体の残骸が10近くは転がっており、ここ最近で行方不明者となっていた人間たちのものと判明した。
また一つ不可解な事実も浮かび上がった。
なんらかの形で巻き込まれたのかは謎だが、数週間ほど前に行方不明となった都内に住む兄妹とその母親の血痕も、あの地下で見つかった。しかし、その遺体だけは何処を探しても、欠片として見つからなかったと言う。
「その親子が、ディアボロの正体だった。というのが一番有力だな」
警察から捜索結果を聞いた仁刀は言う。何らかの理由で捕らわれ、監禁されていたあの場所で、何の因果かは不明だが、母子共々ディアボロ化してしまった。もしくは、別の場所でディアボロとなり、この地下に紛れ込んだか。
「知ったら知ったで、けっこう後味悪いですねぇ」
「そうやね……。助ける手段はなかったとしても……」
伊都と千鶴の言葉に、渚も顔を伏せた。
「でも、あの女子高生が助けられただけでもよかったぜ」
そんな渚を慰めるように、武が軽く肩を叩く。
「そ、そうですね……本当に無事でよかったですぅ……」
少女は衰弱しているものの、命に別状はないということだ。少女の両親も泣きながら撃退士たちに感謝している。今はそれだけでも十分だろう。
「あのビルは取り壊される。あの場所で同じようなことは二度と起こらないだろう」
恭弥はそっけなくそう言うと、空を仰ぎ見た。その金の目に映る空は都会のネオンを受けて、明るすぎるほどだ。
「せめて、母子の魂が、安らかに眠れると言い、ですね……」
そう祈りを捧げはじめた渚に続き、他の面々も思い思いに、亡き母子の魂に祈りを捧げた。