●23時
薄っすらと鋭い月が夜空を照らす中、幾つかの人影は喫茶店を目指して歩いていた。
「依頼や入院ですっかり忘れていました……」
呟きながら雫(
ja1894)は喫茶店の扉に手をかける。
後ろに並ぶ様に向坂 玲治(
ja6214)も呪詛を吐きながら重い足取りで中へと入って行く。
「まだだ。まだ8時間もあるから終わってない。終わってないんだ」
2人が喫茶店に入ると扉は重く閉じられ……少しして2人の女性が喫茶店の前で遭遇した。
「海以来ですね……そちらも宿題ですか?」
訊ねながら白鷺 桜霞(
jb1518)は正面に立つ布都天 樂(
jb6790)に問い掛けた。
樂はあっけらかんと笑いながら、桜霞を見る。
「オマエもか! キッチリやってそうなのに意外だな!」
「や、やっていましたよっ。ただ、ちょっと……やり残しが……」
口が重くなりながら、桜霞は扉に手をかけた。
窓を厚手のカーテンで締め切られた店内は煌々と明かりが灯っており、入ってきた彼女達を出迎える様に中から濃厚な珈琲の香りが漂ってきた。
同時に少し暑い店内を埋め尽くす程の紙の上を走らせるペンの音。
中を見ると同じメールを貰った男女が居り、それぞれが勉強すべき夏休みの宿題を広げていた。
その数は入ってきた桜霞と樂を含めて10人と言う少し大人数であった。
「良く来たな、持成す事は出来ないが好きな所に座って勉強に勤しんでくれ」
カウンターの中に居た店主の勘十郎がそう言いながら珈琲を淹れていた。
2人は軽く挨拶すると静かに椅子に座り、持ってきた夏休みの課題を机の上に広げるのだった。
問題の書かれたページの空欄を埋めながら、深森 木葉(
jb1711)は頭を抱える。
「えううぅ……、えいごなんかわかんないのですよぉ……。どうして、小一の宿題にえいごがぁ……」
きっと国際的になって欲しいからと言う理由なのだろうが、少し難しい事は間違いないだろう。
とは言っても英単語の真ん中か最後が空いて、訳が隣に書かれているタイプだからまだ簡単だ。
だからだろう、うんうん唸りながら木葉は書いていく。
隣の席では小動物を見るような瞳で藤井 雪彦(
jb4731)は微笑んでいた。
(ふっ、こんなピンチは何度も乗り越えてきたさ……そう、通算9回程♪)
要するに小1からずっとそんな夏休みを……いや、下手すれば冬休みもかも知れない。
更に言うと雪彦の経験上、集中したい時に人が集まるのは逆効果を生み出す事が大半らしい。
それが始まる前に彼は逸早く片付ける為に開いた。
まず最初は数学から始めよう……けど、理数は教えてくれる人が居るのだから利用しない手は無い。
「ウェイトレスさ〜ん、数学教えて〜♪」
「は、はいですよぉ〜……」
手を伸ばし、振るとカウンターで待機していた魚住 衣月(jz0174)が近づくと、背後から覗く様にして問題を見始めた。
先に頭の中で問題を解いているのか、ふむふむと頷きながら体を乗り出す様にしてドリルを見て行く。
少し大きなアレが教える相手に当たる体勢となっているのだが、本人はまったく気づく様子は無かった。
「それじゃあ、教えますよぉ〜……」
「はいはい〜♪」
衣月の解説を聞きながら、雪彦は数式を解いて行くのだった。
「マスター、凄く濃いのを一杯!」
玲治が手を上げて注文を言うと直ぐに次の行動に移る。
その行動とは……。
「布都天、俺は国と社を先に済ませる。だから英語はよろしく頼む」
「英語なら任せろ、それ以外は任せた!」
写し合うという裏の取引を結ぶと2人はそれぞれの勉強を開始した。
書き始めて少しすると勘十郎が珈琲を玲治の方に置いた。
目の前で漂う豆の香りを感じながら、彼は備え付けのシュガーポットを掴んだ。
「砂糖はありったけもらうぞ」
「ちゃんと飲めよ」
ザバザバと珈琲の中へと砂糖をぶちまけ、飽和を迎えてポットの中が空となった頃には受け皿に零れ落ちた元珈琲は濃厚砂糖水となっていた。
それを飲みながら、玲治はマッ●ス珈琲以上の甘さの物を飲むのだった。
「まずは比較的簡単な社会から攻めるんだよ★」
ぐすぐすとちょっと泣きながら新崎 ふゆみ(
ja8965)は社会を開き鉛筆を走らせる。
良い国作ろう、平安京。鳴くよ鶯、平城京。何と大きな鎌倉幕府。……あれー、何だか違ってる、違ってるよ!?
「うっうっ……ふゆみののーさいぼーは、家事の才能に持ってかれたんだよっ」
何だか良く分らない事を言ってるが、気にしないであげよう。
彼女も頑張ってドリルを解いているのだから……。
隣の席では海野 三恵(
jb5491)が未だやる気スイッチがONになっていないのか、寝そべりながら脚をぶらぶらとさせていた。
「宿題、する、より、海……いきたい、です」
だけれど勉強をしなければならない。ならないのだ……。
「……お勉強、めんどくさい、です……」
言いながら彼女はドリルをパラパラと捲る。が、理科のページでその手は止まった。
「……理科は、好き、です」
海に関する本を読んでいるからか、理科は自然と好きになっていたようだ。
「ふふ、皆でお勉強会って楽しいよね♪」
周りの迷惑にならない声でナハト・L・シュテルン(
jb7129)は呟きながら辺りの様子を見渡す。
編入してからのまとも(?)なイベントに彼女は嬉しそうに微笑んでいた。けれど文句があると言えばあった。
(編入してきたら、夏休みが終わってたんだよねぇ……)
出来るならもっと青春的な中学最後の夏を満喫してみたかった。
成り立てホヤホヤの学生なんだからそういうのに憧れるのは当たり前☆
とか思っていても勉強が片付く訳ではない……なので、ナハトはドリルを開くと得意科目である社・英・数に取り掛かるのだった。
●1時
2時間が経過し、室内は微妙に静かになっていた。
時折、紙の上を鉛筆が走る音、ページが捲られる音、珈琲の香り、時折聞こえる誰かの悶え声がエアコンの効いた室内に聞こえる。
「ん〜……っ、やっと国語が終わりました……っ」
海城 阿野(
jb1043)はそう言って、一旦鉛筆を置くと両手を絡め背を伸ばした。
強張った筋肉が伸び、軽くピキピキと音を立てた様な気がしつつ、彼は再び下を向くと数学に取り掛かり始めた。
少し離れた席では算数のドリルを頭の中で計算して手早く終わらせた雫が理科に取り掛かろうとしていた。
理科も苦手ではないので分らない所が少しあるだけだ。
「暇でしたら、手伝って貰えますか?」
「ふぇ!? は、はいですよぉ〜……」
カウンターで舟を漕ぐ衣月を見つつ、雫は手伝いを要請した。
驚いたが、直ぐに自分の目的を思い出し、彼女は雫を教える為に移動した。
「えっと、何処が解らないのですかぁ〜……?」
「そうですね、此処とか此処でしょうか」
指差した場所を見ながら、衣月は問題を後ろから覗き込む様にして説明を始めるのだった。
大学の国語なので書き取りなどの簡単な物は無く、うんうん唸りながら鉛筆を握る手を黒くして桜霞は何とかそれを終わらせた。
物凄く集中して脳を動かしていたからか、軽い頭痛と疲れが彼女を襲う。
そんな時に眠らせない様にする為にか勘十郎が濃い目の珈琲を置いた。
「……うっ、苦いです……けど、少し頭がはっきりと……」
はっきりとしてきた頭が続く内に、桜霞は次へと取り掛かり始めた。
じゆうと書かれた隣の空欄に木葉は『自由』と書き込むと、国語は終了した。
そして次のページを開くと、さんすうと書かれた文字の下から『1+3=□』などの簡単な計算問題や『千円を持って林檎を5個買った時のお釣は幾ら?』という簡単な問題が書かれていた。
「うふふっ、電卓でズルなのですよぉ〜……あふ」
簡単な電卓を手に計算を開始しようとした所で、口から小さな欠伸が零れた。
1時は夜中なので油断したら簡単に寝てしまう頃だろう。
目をゴシゴシさせながら木葉は電卓を使っての計算を開始するのだった。
砂糖たっぷり甘めの珈琲を飲みながら雪彦は短い英文を書いていく。
英単語への訳は終了し、英文作りを行っていき空欄を埋めて行く。
これが終わったら次は理科だ。再び衣月を呼び出して教えて貰って手早く終わらせる行動に移る事を考えよう。
ウキウキしながら彼は鉛筆を走らせた。
一方で学年が同じだから共闘を持ち掛けた2人はそれぞれの分担を行っていた。
「よしっ、英語終了! 向坂、そっちはどうだ?」
「社会が途中で、国語は終わった。もう少ししたら写させてくれよ」
「わかったぜ! じゃあ、あたしは別のを片付ける事にするか」
玲治と樂がそう言いながら、各々の分担を終わらせる為に鉛筆を走らせる。
これが終わったら交換して互いの物を写し合うのだった。……間違っていないと良いですね。
「be動詞とふつーの動詞をいっしょにならべたらダメってゆうのに、なんでis usedはいけるの?」
全然分らない! と、微妙に違っている事を言いながらふゆみは英語を解いて行こうと頑張っている。
その瞳は薄っすらと涙で滲んでいた。ちなみに国語は感じの部分は流れる様な文字にして書いて、ちゃんと書いていると言い張る事にし、読みはちゃんと書いたのだ。ふゆみちゃんえらい!
ちなみに国語の場面を少し振り返ってみるとその頑張りっぷりが伝わって来ていた。
『心太? うーん、しんた。しんたが正解だよっ★ □肉□食? あ、鶏肉三食だねっ★ うんうん、ふゆみちゃんって頭がいいんだよっ★ミ』
とか言う感じだった……あれ?
一方で、最初はやる気を出していた三恵だったが、時間が過ぎていくにつれそのゲージは削がれて行き……少し眠りかけていた。
「……お勉強、めんどくさい、です……」
言いながら彼女の意識は海の中へと沈み始め……ようとしたが、突如現れたヒリュウの甘叩きによって目覚めさせられた。
「んぅ……眠い、です……」
「ほらほら、寝ちゃ駄目だよぉ?」
ヒリュウの召喚主であるナハトがそう言いながら、三恵を起こす。
うとうとしながら三恵は上半身を起こし、ポワポワする。
それを見ながら、眠る度にヒリュウで起こす事を心掛けながら、ナハトは苦手科目の一つである国語に取り掛かり始めた。
それから再び辺りは紙の上を走る鉛筆の音だけが主に響いた。
●4時
周囲の民家のポストに新聞が配られる音が微妙に聞こえ始めた頃、疲れがピークに達し始めてきたのか、何名かが眠りの世界へと落ちていた。
「すやすや……おかわり……ぐぅ……」
きっと夢の中で何かを食べているのかナハトは紙を涎で湿らせながら、気持ち良さそうに寝ていた。
同じ様に木葉も眠ってしまっているが何と言うかあどけない笑顔を浮かべて天使の様であった。
「もう……だめぇ……、だれかぁ、たすけてぇ……」
時折魘されているが夢の中でも猛勉強を行っているのだろう。
「寝たら駄目、寝たら駄目です……寝たら……ぐぅ」
珈琲を手にしながら桜霞も眠らない様に耐えてはいたが、夏休みの遊び疲れが耐え難い眠気となって一気に彼女に襲い掛かっている。
かっくんかっくんと首を振り子の様に揺らしながら今にもドリルに珈琲を零しそうになっていた。
樂も鉛筆を持ったまま半目を開き眠っていた。
そして眠りそうになっていた者は後2人此処に居た。
「……こうなりゃターボを掛ける。一発キメるからクスリをくれ」
そう言いながら玲治が起こした衣月から薬を受け取る。
同じく薬に頼ろうと考えているのかふゆみも薬を受け取る。
「ふ、ふゆみはあしゅらなんだよっ……やられる時はイチゲキなのもカクゴしてるんだよっ」
そうして2人は渡された薬を飲み込んだ。
直後、2人の目は見開かれた。
「くはっ!? き、きたきたきたーーっ!!」
鼻息を荒くしながら、玲治はふんすふんすとドリルを進め始めて行く。
ふゆみもふゆみで興奮しているのか、悦顔でドリルと向き合っていた。
「みえるっ、みえるよレグルスくんっ。数式が、こたえがみえるよっ★」
どう見ても変なテンションの2人を見ながら、阿野はそっと手に持っていた薬を置いた。
「た、ただの興奮作用と眠気を取っただけなのですよぉ〜……!?」
作った衣月はガクガクと震えるのだった。
しかし一方で脱線し始めた者やまともに続けている者も居たりした。
「ラムネは飲みたい、です。おやつも、食べたい、です」
勉強何それ美味しいの? と言う風に夜食として出されていたお握りを口に入れながら三恵は呟く。
「そろそろ起こすべき……ですね」
雫が呟き、大分書き終えたドリルを閉じると立ち上がった。
同じ様に阿野も立ち上がり、ハリセンを手にし黒い笑みを浮かべる。
「さあ、ショータイムだ」
「コノちゃん、そろそろ起きて夏休みのドリルを終わらせないと朝になっちゃうよ〜」
危険を感じたのか、雪彦がゆさゆさ木葉の体を揺すり始める。
「むにゃむにゃ、しゅくだいはぁ……、いやなのですぅ……」
雫と阿野が両手に持ったハリセンを握ると、木葉を雪彦に託して眠っている4人に振り下ろすのだった。
●6時
「うぅ、苦さが心に染みるよぉ……」
カーテンの開かれた窓から差し込む光の明るさに目を細めながら、眠気覚ましの珈琲をナハトは飲む。
「海、見に行きたい、です」
呟きながら三恵は遠くを見つめる。
「魚住さんの事もっと知りたいなぁ〜♪ ダメッ?」
「え、えっとぉ〜……」
比較的元気な雪彦は衣月を口説こうとしたりしていた。
直ぐ近くでは、気持ち良さそうに木葉が寝ていた。
「むにゃむにゃ……」
「何とかなりました……っ、首が」
首を揉みながら桜霞は体を背凭れに預ける。
そんな彼女に樂が近づく。
「桜霞、朝飯でも食いに行くか!」
「それは良いですね、何処に行きましょうか」
「お前ら、此処が喫茶店だって忘れてるだろ?」
キャッキャする2人に半目で勘十郎がツッコミをいれる。
それをテヘペロで返す。徹夜のテンションだろう。
「今の内にご飯を食べて寮に戻ってシャワーを浴びたら良い時間ですね」
鳴り出した目覚まし時計を止めると雫は残り1時間くらいの予定を考える。
それから直ぐに、寮へ帰る者。そのまま食事を取って行く者。時間ギリギリまで眠る者と分かれていた。
ただ2人を除けば……。
「太陽が黄色い……けど、何でも出来てしまう……!」
「ポカーン……」
玲治とふゆみが目に隈を作りながら、一心不乱に鉛筆を走らせていた。
玲治は何だか良く分らない英語の長文を書いており、ふゆみは妙な数式を書いていた。
衣月が横から覗いて見ると……最終定理が何故か書かれていた。
驚きと哀れみの表情を2人に向けながら、衣月は少し仮眠する為に休憩室へと入って行った。
9月1日……始業式。
こうして夏休みは過ぎて行き、2学期が始まる。
この2人が遅刻せずに学校に行けたかは……誰も知らない。