レガ(jz0135)は撃退士が到着したことに気がつくと首を回しながら道の中央へ立った。すぐさまファイティングポーズを取る。
「さあ戦おう」
「ああ、戦おう」
ジョン・ドゥ(
jb9083)が早速答えた──のを、蛇蝎神 黒龍(
jb3200)が慌てて制する。
「ちょ、ちょっと待ってや! こないな場所でいきなり始めるんは勘弁やで」
周りは閑静な住宅街、という表現がぴったりの、およそ戦場とは縁遠い風景。避難警報も何も出ていないらしく、普段通りの穏やかな時間が流れているのだ。
レガは邪魔をするなとばかりに黒龍を睨みつけた。
「今は虫の居所が悪い。君たちとのんびり喋るつもりはないぞ」
「私は龍仙 樹(
jb0212)と言います」
悪魔の醸す剣呑な空気にも臆さず、樹は丁寧な挨拶の後で。
「周りに住民もいる此処では、私達は満足に戦えません。この先に農地があります。そこなら私達も全力で戦えます」
「ギャラリー騒ぐのはちと勘弁やしな」
「それと」
山里赤薔薇(
jb4090)が感情を抑えた声を出した。レガのすぐ足下で小さくなっている、通報者である少女を示す。
「その人を放して。あなた、戦いたいのでしょう?」
「‥‥なんだ、君はまだいたのか」
レガは少女を見た。
「巻き添えで死ぬのが嫌ならさっさと逃げることだな」
さもつまらなさそうに言われて、少女はまろびながら撃退士たちのほうへ。
「隠れていてください。出来れば、家の中へ」
赤薔薇の言葉にこくこくと頷いて、少女はさらに先へと逃げていった。
「お前が望むのは『心躍る戦闘』だろう。全力を出せない私達じゃ、そうそう応じてやれないぞ」
亀山 絳輝(
ja2258)が言うと、マリア(
jb9408)は隣で頷いた後、バチンとウインクを一つ。
「ね、行きまショ」
ハートマークが飛んだ‥‥気がした。
「‥‥ふん。ならばさっさとすることだ」
●
「ねえン、素敵な男前じゃなぁい?」
農地へ移動を始めながら、マリアが絳輝にささやく。
「‥‥ん、ああ」
「でもこんな男前と戦えるっての言うのも、また趣が有るわねぇ」
そう言って科をつくるマリアに相づちを打ちながら、絳輝は黒龍と並んで歩くレガの背中を見つめていた。
*
「喧嘩は買いますけど此方からも売り込みさせて下さい」
黒龍は道すがら、にこやかにレガへと話しかけていた。
「全国津々浦々で天魔が跳梁跋扈してます──ですけど、撃退士の中には彼らを倒す猛者がいます」
黒龍は手を広げ、指折り数える。
「使徒ムスカラテッロに始まって、ザハーク・オルス、サリエルにガブリエル、そしてアバドン!」
レガのこめかみがぴく、と動いた。
「彼らは『確かな有益情報』がある方に向かいます。何の情報もないから此処には来ません」
今回ボクらは倒されてオシマイ、と黒龍は自嘲気味に肩をすくめた。レガは無言。
「が! 想像してみて下さい、自分に敵が押し寄せ戦いを挑む姿を、それをなぎ倒す己の姿を! 『何か』あればいいんです。それさえあれば──」
黒龍は顔を寄せ、不敵な笑みを深く刻んだ。
「血肉沸き踊る戦場への切符はレガさん、あんたのモノや。‥‥乗ってくれへん?」
レガは黒龍の方は見ず、正面を向いていた。住宅の列が途切れ、生育途中の作物が植わった農地が広がっているのが見える。人影はない。
「君はよく喋るな」
「語り部ですから」
レガは呼吸を整えるように小さく息を吐き、言った。
「悪いが、今は会話を楽しむ気分ではない」
抑揚のないその一言が、合図だった。
●
樹は農地へ抜ける直前、戦闘開始に備えていたところだった。そこへ突然戦闘機動になったレガが突っ込んできたのだ。
「──っく!」
上昇していたカオスレートをとっさの判断でニュートラルに戻し、勢いに任せた蹴りを受け止めようとする。だが間に合わず、肩をしたたかに打ち抜かれた。
「おう、いいぞ」
それでも何とか踏みとどまった樹に、レガは声のトーンを上げた。「さあ、ボヤボヤするな!」
先手を取られたのだ、と撃退士たちは理解する。
レガに忠実な狼・ヴィアは移動する間に一行の最後尾にいて、ひっそりと姿を消そうとしていた。だがその動きはマリアがしっかりと観察していた。
「素敵なワンちゃん、アタシと遊びましょ?」
人好きのする笑顔で呼びかけた後は、斧槍をその手に。
「狼であろうと俺は区別しない。‥‥さぁ、戦<や>ろうか」
魔法書を手にしたジョンが先に動き、空中から時計の針のような紅い槍をヴィアに向かって撃ち込んだ。だが、身の低い狼にこれは躱される。
「止まれよ、オラァッ!」
一変して男気を剥き出しにしたマリアの石縛風が続けて襲う。‥‥が、なんと相手はこれも躱してしまった。
ヴィアは唸り声を上げ、二人に向かって突進してきた。直前で地を蹴り飛ぶと、マリアの左肩、ジョンの右足を前脚の鋭い爪で立て続けに切りつけて後方へ抜ける。
「‥‥どこへ行った」
二人が振り返ったとき、すでにその場にヴィアの姿はなかった。
「‥‥あ う お」
ヴィアに投げつけてやろうと酒瓶を探っていた絳輝だったが、あっという間にそんな状況ではなくなってしまった。
「農地についてからって言ったろーが!」
「ふん。悪いが我慢がきかなかったよ」
レガに抗議してみるが、相手はもちろん涼しい顔だ。
赤薔薇はやりとりを耳にしながらも、油断なくレガの姿を捉えていた。小柄な体に不釣り合いなほどの大鎌を構えながら、レガの周りを回るようにして動く。柔らかく馴らされた農地へと足が入っても、動きは止めない。
「足を止めたらダメ! 止めたらやられる!」
対角線の向こうで、樹が自分と反対方向に動いている。
一瞬だけ、目があった。
意図を察するにはそれで十分。赤薔薇は精神を集中させながら、レガの側面から後方へと。途中から切り込む動きへ変えていく。
「受けて見ろ‥‥悪魔め!」
灼熱の炎が彼女の両掌に浮かび上がる。それは胸元で合わさって一つの巨大な火球となって飛び出し、舗装路を這うように舐めながらレガを呑み込もうとした。
赤薔薇の動きを目の端に留めていたのだろう、レガは素早く反応した。翼を現出すると上ではなく、羽ばたきの勢いで強引に左へと体を動かす。火球はすんでのところでレガを捉えられず、何も巻き込むことなしに消え去った。
「惜しかったな」
「──まだ終わっていませんよ」
「む?」
そのときには、樹は敵の懐に潜り込んでいた。
樹の淡緑のオーラが、薙刀に宿した白光によって強く照らされている。
出来うる限り、限界まで引き上げたカオスレートが体からあふれ出しているかのようだ。
もちろん悪魔相手にそうすることは、強烈なリスクを背負うのだが。
「諸刃の剣は承知の上です。最初から全力で行きますよ」
此方は人数も少ない。短期決戦が最良というのが彼の判断だった。
そして今、赤薔薇の全力攻撃が、悪魔に確かな隙を作っている。
「逃す道理はありません」
刃の切っ先を鋭く振るう。その白光を、相手の胴に向けて容赦なく振り込んだ。
樹の振るった刃はレガのわき腹をスーツ越しに深く切り裂いた。肋骨もまとめて何本かは砕いたようだ。
赤薔薇の方を見ていたレガは首を軽く動かして、樹を見やった。
「‥‥いい攻撃だな」
ニヤリ、笑う。
バサリ、飛ぶ。
上空へ舞い上がったレガは、樹と赤薔薇、二人をつなぐ中心点に指先を差し向けた。
「お返しだ!」
火花が散ると見えたのは一瞬。
ともにレート差を作り出している二人を、猛烈な爆発が襲った。舗装路が砕け、農地の土と作物がまき散らされる。
「ほう」
だが爆風が過ぎても、二人はしっかり立っていた。樹はニュートラライズで、赤薔薇は龍壁──マジックシールドで攻撃を防いだのだ。
「防御にはちょっと自信あるんだ!」
赤薔薇が舐めるな、とばかりに叫んだ。その声はレガの興味を引いたらしい。
「なるほど。では耐えてみろ!」
彼女の下へ急降下する。レガの眼前に、突如黒い霧が集まった。
「あかん──やらせへんで!」
霧から現れたのは黒龍。突撃を阻止すべく、行動を阻害する逆十字を投げつけた。
逆十字はレガを確かに捉えたが、レガは重圧をものともせずにそのまま黒龍へと突っ込む。
「私が今求めているものはそれだよ、語り部!」
勢いを落とさないまま、太い腕で黒龍の首を捉える。痛撃を覚悟した黒龍だったが、レガは彼の首を支柱にして体をぐるりと回し、そのまま後方へと抜け去った。
「なっ‥‥!」
もちろんそこには赤薔薇がいる。レガは翼でもって空中で制動をかけ、低い位置で体を横に。
少女を守護する紅竜がいななくように揺れて彼女の前に壁となった。レガはその壁をもろともに、赤薔薇の鳩尾を拳で打ち抜いた。
赤薔薇は膝をつく。立っていようと思っても体がそれを許さない。
(なんて強さなの。でも‥‥)
負けない。負けたくない。
苛烈な意志はこみ上げるものによって妨げられて、彼女は大量の血を吐いた。
そして、その場に崩れ落ちた。
(くっ‥‥)
樹は唇を噛んだ。次の標的は当然、自分だろう。
一方で手応えもあった。もう一度パールクラッシュを決められれば、或いは‥‥。
「ガアアアッ!」
だが彼が二撃目を始動するより早く、側面から漆黒の獣が飛びかかってきた!
樹は薙刀の切っ先をひらめかせ、牙の一撃を何とか受け止める。間髪を入れずに時計の針が飛んできて、ヴィアを穿った。
「理解しろ。今の相手は俺だ」
ヴィアは時を止められることなく着地してすぐ振り返り、彼を撃ったジョンを睨んだ。
樹はターゲットからはずれた──が、その頃にはもうレガが態勢を整えていたのだ。
「さあ、吹き飛べ!」
目をらんらんと輝かせて、レガは気合いを込めた蹴りを放つ。
カオスレートを殺す術はもう残っていない。樹は受け止めるほかになく、胸骨の折れる音を聴きながら数メートル吹き飛んで舗装路の上に落ちた。
「ふふ、少しは気が晴れるな」
(貴方は‥‥天魔は一体、何を求めてこの地へ‥‥)
その問いを言葉にすることは出来ぬまま、彼の意識は闇へと落ちた。
「攻撃‥‥するどころじゃないな!」
絳輝は悲鳴を上げた。ダメージレートが大きすぎて、回復が全く追いつかない。
赤薔薇も樹も、ちょっとやそっとじゃ起きあがれないレベルの負傷だ。特に赤薔薇の様子は心配だった‥‥が、戦いが終わらないことにはどうにもならない。
今レガの前には黒龍がいる。だが、潜行からの奇襲を得意とする彼が真っ向から狙われて耐えられるはずはなかった。
レガも決して無傷ではない。それどころ、わき腹からは今も鮮血が吹き出しているし、黒龍も新しい傷を刻んだ。ダメージは蓄積しているはずだった。
「ボクも‥‥全力ですよ? これでも‥‥」
「ああ、なかなか楽しめたよ」
レガがそう言った後、黒龍は倒れた。赤銅肌の悪魔は今は子供のように笑い、絳輝を見た。
「うぐっ‥‥」
「絳輝、君は戦いは嫌いだと言っていなかったかね?」
一息に距離を詰めてきたレガは、遠慮会釈なしに絳輝の首根っこを鷲掴みにし、そう聞いた。
「ああ‥‥大っ嫌いだ」
絳輝は気丈に答えた。
「でも‥‥ここに来るしかお前に会う術は無いようだし‥‥ぐぅっ‥‥『優しい女』は辛くて困るな?」
レガの力が強まっても、笑って見せさえする。右手をゆっくり差し上げて、何もないレガの左側を示した。
「まだ、諦めてないからな‥‥お前の隣」
レガがふ、と息を吐いた。絳輝の動きを真似するかのように右手指を持ち上げる。
「やはり、変な女だな。君は」
指先が光り、光線が絳輝の胸を貫いた。
「ならば、また来るがいい」
意識を失った絳輝に、その声は届いたのだろうか。
*
「おとなしく‥‥しやがれッ!」
マリアの野太い咆哮とともに放たれた風が砂塵を巻き上げる。だがついにヴィアの動きを止めるには至らなかった。
「ンもう、ちょっとくらい当たってくれてもいいと思わない?」
ジョンに向かっては普段通りの口調である。
「そういうこともある‥‥それに」
ジョンはそれには動じない風で、言った。「もう足止めの必要はなさそうだ」
「それって‥‥」
マリアが視線を動かすと、レガがこちらを向いていた。
「待たせたな。君たちの番だ」
マリアが鳳凰を喚び出す間に、ジョンはレガのもとへ飛んだ。その手から蒼い稲妻が生まれると、それはすぐさま人の形を象って、レガへ雷の手を振り下ろす。レガは顔をしかめて見せた。
「傷口に響くな」
ジョンは取り合わない。様子見のように打たれたレガの拳をいなし、もう一撃。
効いている感覚はあるが、まだ相手は倒れない。ジョンは次の手の準備にかかった。
「手を止めている場合かね?」
だがレガは休むことなく動き、空中のジョンを捕まえる。回転に巻き込むようにして、強引に地面に落とす。
上下の位置が逆転し、刹那の間混乱したジョンの視界が再びレガを捉えたとき、彼は拳を振り上げていた。
「惜しかったな、紅髪の悪魔」
「がはっ‥‥」
強烈な一撃に意識が刈り取られ、ジョンは戦線を離脱する。これで──。
「オラアァッ!」
最後の一人となったマリアは、斧槍を構えて吶喊してきた。レガが迎撃態勢を整える直前、柔らかい農地の土を蹴り上げて煙幕代わりにし、斧槍を思い切り振り上げた。レガの視線が本能的に上を向く。
その絶妙なタイミングで、武器を切り替える。別の戦斧を今度は下段に顕現し、風の力を込めて思い切り、振り抜く!
「ぐわっ‥‥」
レガの動きが止まった‥‥かに見えた瞬間、回し蹴りが飛んできてマリアのこめかみを捉え、吹き飛ばした。
「貴方は‥‥天使の動きを追っているの‥‥?」
意識を失う直前、マリアは聞いた。
「天使か‥‥確かにあやつらも近辺に来ているようだな。だが、違う」
レガはマリアへと視線を向けた。
「捜し物をしに来たのさ。腹立たしいことに、外れだったがな」
紅い瞳に見据えられながら、意識が遠のいていった。
●
黒龍が目を覚ますと、レガがすぐ隣に腰を下ろしていた。
「起きたのか。もう少し寝ているようなら帰るところだった」
「なんで‥‥」
聞こうとして、黒龍はレガが憑き物の落ちたような、穏やかな表情をしていることに気づく。もっとも、体は傷だらけだが。
「血肉沸き踊る戦いは、じきに起こる。‥‥少なくとも、私はそう思っている。もっとも、所詮私は上のお遣いでこんな所に来る程度の端役だがね」
目覚めきらない頭で、少しずつ言葉が消化されていく。
(もしかして、さっきのボクの言葉に答えてくれとるんかな)
レガは立ち上がった。
「天使と悪魔が争うとなれば、人間の出る幕などはない。だが‥‥撃退士、君たちはどうかな?」
レガは挑むような目で黒龍を見下ろした。
「取り残されたくなければ、しっかりと目を見張っていることだ。‥‥そのときは近いぞ」
そう言い残し、血の滲むわき腹を押さえながら悪魔は立ち去っていったのだった。