「リュミエチカさんこんにちは、はじめまして。雁鉄 静寂(
jb3365)です」
静寂は膝を曲げてリュミエチカ(jz0358)と目線を合わせた。
「今日は一緒に美味しいものを食べましょうね」
「‥‥こんにちは」
「あたしもはじめまして、ですね」
美森 あやか(
jb1451)もまた、笑顔で自分の名を告げた。
「この子は、ご挨拶の記念です」
あやかが愛らしいうさぎのぬいぐるみを差し出すと、リュミエチカはそっと手を出す。
「‥‥ありがと」
若干警戒されている気配を感じ、静寂とあやかは顔を見合わせた。
一通り挨拶も終えたところで、双城 燈真(
ja3216)が言った。
「良かったら俺の店に来ない‥‥? コロッケ定食をご馳走するよ‥‥」
「ころっけていしょく」
鸚鵡返しである。
●
「双城屋へようこそ。あ、今は『改』なんだけどね‥‥」
そこはかとなく食欲をくすぐる匂いが漂っているここは、料理とともに交流をする場所だった。
「ころっけ、って何?」
「日本の定番家庭のお供で‥‥とても身近な料理だよ。‥‥さ、座って」
柔らかく微笑む燈真に促され、リュミエチカは席に着いた。途端、燈真の雰囲気ががらりと変わる。
「よし! すぐに持ってくるから待ってろよ!」
リュミエチカはその背中を呆然と見送っていた。
*
調理場から油のはじける軽やかな音が響いてくる。
「どうだ! この揚げる音を聞くと何だかワクワクしてくるだろ!」
燈真は先ほどまでとは打って変わって熱い口調で訴えた‥‥が、リュミエチカは首を傾げている。
「揚げ物は食べたことはありませんか?」
「覚えてない。作ってるところは初めてみる」
「それでは仕方ないかもしれんのう」
静寂の問いに答えるのを聞いて、インレ(
jb3056)が言った。
「これから美味いものを食えるとわかっているからこそ、調理の音に心が躍るというものだからのう」
「へへ、それなら次からはきっとワクワクするようになるぜ! ほら、お待ちどう!」
燈真は揚げたてのコロッケを千切りキャベツとともに載せた皿をリュミエチカの前にどんとおいた。ご飯に汁もつければ、みんな大好きコロッケ定食一人前。
「ほらほら、お前らも食え食え! 今日は大サービスだぜ!」
テーブルを囲む他の仲間たちの前にも次々とお皿を並べていった。
「ソースをかけると味が変わるぜ! 複数あるとどれにするか悩むのも食事の楽しみ方だぜ!」
リュミエチカは出された料理を興味深そうに眺めてはいるが、食べようと手を出すことはしない。
「冷めないうちにいただきましょうか」
助け船を出すよう、静寂が先に箸を伸ばした。
「うん、これは美味しいですね。さあ、リュミエチカさんも」
少女もようやくフォークを掴んだ。コロッケにざっくりそいつを突き刺して、そのまま口に運ぶ。
「‥‥どうだ、美味いか?」
燈真が身を乗り出して聞いた。リュミエチカはもむもむと口を動かし──。
「あふぅい」
と言った。
見ればしっかりした大きさのコロッケの、三分の一ほどを一気に口に入れたらしい。
「あー、ポテトコロッケだからな‥‥火傷したか?」
「お水、持ってきますね」
あやかが水場へ飛んでいった。
*
「‥‥熱かった」
「一度に頬張るからさ。口の中、大丈夫かい?」
アサニエル(
jb5431)が聞くと、こくんと頷く。
やがて、もう一度コロッケを持ち上げた。‥‥今度は端っこの方だけ口に入れる。
「この、周りのやつ‥‥カリカリしてて、面白い」
「面白い、か。‥‥中は?」
「中は、熱い」
「ちょっとずつ食えば大丈夫だって!」
初めて食べるものだからか、なかなか「美味しい」とは言ってくれないリュミエチカである。
「簡単なものですが、私も用意してきました」
静寂がタッパーを取り出した。
「なあに、それ」
「熟れたアボガドをスライスしたものです」
静寂はてきぱきと手を動かして、リュミエチカの前にアボガドスライスを取り分けた。その上にレモン汁と醤油をひと垂らし。
「このまま食べてもご飯にのせても美味しいです‥‥どうですか」
「‥‥ヘンな味」
つっけんどんな答えだが、二口目に手を伸ばしたところを見ると全く気に入らなかった訳では無いようだ。
「健康であるためには、食べること、寝ること、動くことは必須です」
静寂はもむもむと口を動かしているリュミエチカを見て言った。
「リュミエチカさん、ご飯を三十回噛んでみてください」
「そんなに‥‥?」
リュミエチカは面倒臭そうにしたが、「甘くなりますよ」と言われて試してみる。
「どうですか?」
「甘い‥‥かも?」
戸惑うように、サングラスの奥で目を瞬かせる様子を微笑ましく見ながら、静寂は続ける。
「同じ色のものばかり食べていると、栄養が偏ります。色々な色のものを少しずつ食べましょう。バランスがとれますよ」
「リュミエチカは、中等部に入ったんだっけね。それなら、家庭科の教科書を見てみるといいよ。栄養素についてのことが書いてあるさね」
アサニエルが続けると、リュミエチカは頷いた。
「わかった」
アボガドを一口齧ってから、もう一度コロッケにフォークを伸ばす。
「‥‥さっきより熱くないから美味しい」
「本当?」
燈真が安心したような笑顔になった。
「嬉しいな‥‥、そう言われると作った人も嬉しくなるんだよね‥‥」
これも食事の楽しさの一つかな、と当初の穏やかさで語る燈真。
「‥‥ご飯のときだけ人が変わるの?」
「え? ああいや、俺はね‥‥」
勘違いしているリュミエチカに、燈真は自分の性質を語って聞かせるのだった。
●
翌日。一行は昼休みに集まった。
「今日はピクニックといきましょうか。‥‥学園の中ですけど」
東條 雅也(
jb9625)はそう言った。
「お弁当を用意してきましたから」
「わしも、連れに習って少しもってきた」
インレも包みを見せた。「口に合うと良いがのう」
*
日射しの気持ちいい芝生の上にシートを引き、皆でそこに座った。
「サンドイッチの材料を持ってきました」
「材料、ですか?」
「自分でつくるのも楽しいかな、と思って‥‥」
あやかにはにかんで答えながら、雅也は数種類のパンと具材を並べていく。
「あ、コロッケ‥‥」
「パンで挟んでも、美味しいですからね」
昨日燈真が用意したコロッケの残りもあった。
「わしはこれだ」
インレが作ってきたのは、だし仕立ての野菜の煮物におにぎりだった。
「いろいろ選べて、素敵な昼食になりましたね。‥‥栄養のことなら任せてください、何でも答えますよ」
静寂がリュミエチカに向かって胸を張った。
*
「ところで、普段昼食はどうしてるんですか?」
「お昼は学校にいるから、食べない」
雅也が、まずは手本として自分で用意したサンドイッチを渡しながら聞くと、リュミエチカはあっさりとそう答えた。
「なんとなくそうじゃないかなとは思いましたが‥‥」
雅也は呆れ半分、納得半分といった様子。
「これからしばらく、昼は俺が学食につきあいますよ」
「そんなに、お腹空かない‥‥」
「リュミエチカさんはまだ幼いのですから、しっかり食べて体を作らないといけませんよ」
静寂が諭すように言った。
「あたしも元は食事の習慣なんてなかったけどね。今じゃすっかり食道楽さ」
アサニエルは言いながら煮物に箸を伸ばす。「薄味だけど、そこがいいね」
インレは礼を言いつつ、リュミエチカを見た。
「わしも人界に来た頃は食事が億劫だったよ」
だが、今は大切な時間だと思っておる。そう老悪魔は言った。
「こうやって皆と食べるのが楽しいから、というのがひとつ。もうひとつは、他の生命を糧に生きておることを意識できるからだ」
魔界では食事をしない──とはいっても、他の生命を糧に生きていることは変わらない。
「食事は作るも食すも手間ではある。だがだからこそ、他を糧にしておる事を意識し感謝の念を抱く事ができる──とわしは思うよ」
リュミエチカは首を傾けてインレの方を見ていた。
「よく、わかんない」
「確かに、難しい話やもしれんがな」
インレは微笑んだ。
「ところで、煮物はどうかのう?」
「味がしない」
案の定そんな答えが返ってきたので、インレは自分の箸で人参をひとかけつまみとる。
「ほれ、口を開けて」
「ぅあ」
小さく開いたその口に人参を放り込んだ。
「昨日も言われたろう。口の中に意識を集中して、ゆっくり、よく噛んでみよ」
リュミエチカは嬉々として、ではないものの、言うとおりに顎を動かし始める
「む‥‥む」
インレが見ているので飲み込めないリュミエチカは、たっぷり百回は噛んだだろうか。
「甘くなった‥‥」
やっと咀嚼し終えると、ぼんやりと呟いた。
「でも、くちが疲れた」
「それなら、スープをどうぞ」
雅也が湯気のたつ紙コップを手渡す。中はどこでも売っている粉末のインスタントスープだ。
「噛まなくていいし‥‥ゼリー飲料よりは美味しいですからね」
それに、この程度のものなら今後リュミエチカが自分で作ることもできるだろう。
「良かったら、サンドイッチも自分で作ってみてください‥‥食べられる分だけで良いですからね?」
アサニエルがリュミエチカの顔をまじまじ見つつ口を開く。
「そのサングラス‥‥前のと違うね。どうしたんだい?」
「買ってもらった」
「格好いいな。よく似合っておるよ」
そんな雑談も交わすうち、リュミエチカはまた食事に手を伸ばすのだった。
●
夜は、あやかが所属する部室へ集合となった。
「‥‥立派な台所だね。ここもお店なの?」
「そうではないのですけど‥‥」
燈真に聞かれてあやかは苦笑した。
「下拵えは済ませてありますから、少しだけ待っていてくださいね」
めいめいは席につき始める。リュミエチカがアサニエルの傍へ寄った。
「いい匂いがする」
「ああ、あたしも一品用意してきたんだ」
アサニエルは大きな包みを掲げて見せた。
「でも、これは後で、さね」
*
あやかが大皿を食卓に並べ始めた。
チキンライスにエビフライ、鶏の唐揚げ、ミニハンバーグ。紙カップ入りのグラタン。ナポリタンスパゲティ‥‥は、よく見るとマカロニだ。
「盛りだくさんですね。どれも美味しそうです」
次々並べられていく大皿を見ながら静寂が言った。
どれも小さな子供が好みそうな料理である。まだ味覚が幼いリュミエチカに配慮してのものだろう。
あやかは大皿を並べ終えると、最後に違う様相の皿を持ってきた。
「リュミエチカさんの分は、こちらです」
そこには大皿で並べられた料理が少量ずつ、見目よく並べられていた。チキンライスは卵のカーテンが掛けられ、オムライスになっている。
言ってしまえばお子様ランチだ。
リュミエチカは目の前に皿が置かれると、サングラスをちょっとだけ持ち上げて眺め、言った。
「きれい」
「ふふ、ありがとうございます」
あやかは礼の後で、こんな質問をする。
「リュミエチカさんは、スポーツが好きなんですよね」
「‥‥体を動かすのは、結構好き」
「それなら、しっかり食べないと。また倒れることになってしまいますよ」
厳しい顔はすぐ引っ込めて、改めてお皿を示した。
「さあ、いっぱい食べてくださいね!」
*
「どの料理が気になるかい?」
アサニエルが聞くと、リュミエチカはしばらく自分の皿を凝視した。
「これ」
「エビフライですね。熱いですから気をつけてくださいね」
「‥‥気をつける」
あやかに神妙に頷いて見せると、フライの端っこの方を齧った。
「うん。カリカリしてて面白い」
どうやら、揚げ物の衣部分が気に入ったようである。
「おっ、出来立ての揚げ物の魅力、少しは伝わったみたいだな!」
急に威勢が良くなったのは燈真。
「‥‥じゃなくて、ショウヤ?」
「おう」
「揚げ物ばかりだと脂質をとりすぎてしまいますから、他のものも食べないといけませんよ」
「どれを食べればいいの?」
静寂が言うと、リュミエチカは聞き返してきた。椅子から体をずらし、肩を寄せてくる。
昨日初めて挨拶したときからは、ずいぶん心を許してくれたようだ。
「このグラタンはどうですか? 美味しかったですよ」
他のものも口々に料理の感想をいって彼女に薦める。リュミエチカの口はしばらく動きっぱなしだった。
(これなら心配いるまいよ)
インレはその様子を満足そうに見守っている。
昼間語って聞かせたことは、いつか思い出してくれるときもあるだろう。
「‥‥うむ、美味いのう」
噛みしめるようにそう言うのだった。
*
「さてと、台所を借りていいかい?」
食事も一段落したころ、アサニエルが立ち上がった。
「あ‥‥お腹、いっぱい」
椅子の背もたれに寄りかかってお腹をさすっていたリュミエチカは、アサニエルが料理を用意していたことをようやく思い出したらしいが、アサニエルは軽くこう言った。
「大丈夫さ。デザートは別腹だからね」
めいめいの前に切り分けられたアップルパイが並べられた。余ったリンゴの皮で淹れたアップルティーも添えられている。
「一口でいいから、食べてご覧」
促され、フォークで先の方を切り崩すと、パイ生地がサクッと音を立てる。
「‥‥あまい」
リュミエチカは、続けてフォークを伸ばした。
「気に入ってくれたようで、よかったさね」
アサニエルはその様子を真っ直ぐ見ながら言った。リュミエチカと目を合わせることの意味を彼女はよく知っているはずだが、全く気にしている様子はない。
「世間には、まだまだ美味しいものが沢山あるよ。今後も食べ歩きとか、一緒にどうだい? 歓迎するよ」
リュミエチカは驚いた様子で顔を上げ、あわてて少しだけ顔を逸らした。
「‥‥いいの?」
「あたしで良ければね」
●
静寂がリュミエチカに絵本を差し出した。
「栄養がなぜ必要かが分かりやすく載っています。ぜひ読んでみてください」
「わかった」
「夜中にいっぱい食べると太ったり健康にも悪いから気を付けてね‥‥。よかったら、またお店に来てね‥‥」
燈真が言った。彼らが依頼で集まるのは今日で最後だ。
「そうだ、考えていたんですが‥‥」
雅也が端末を取り出しつつ。
「その日に食べたものをお互いに写メで教え合いませんか? 気に入った、気に入らなかったも含めて」
「‥‥しゃめ」
「端末は、支給されましたよね?」
ピンときてないリュミエチカに使い方を教えつつ、連絡先を交換した。
(俺のいい加減な食生活の改善にもなるし‥‥)
毎日ゼリー飲料の写真が送られて来たらどうしよう、と一瞬よぎった不安は脇に追いやる雅也であった。
●
「お腹いっぱい‥‥苦しい」
皆と別れ、自室に戻ったリュミエチカは制服を脱ぐとそのままベッドに倒れ込んだ。
「ええと‥‥」
明日の授業の準備をしなくちゃ。
(あ‥‥食べたものの写真、送るんだっけ‥‥)
あしたはなにを食べようかな‥‥。
‥‥。
満腹からくる眠気を初めて味わう彼女に抗う術はない。
やがて幸福な眠りへと滑り落ちていったのだった。