ほんの先ほどまで花見の客で賑わっていた公園が、なにやら騒がしくなっている。
「‥‥どうやら、碌でもない事態になっているようですね」
天宮 佳槻(
jb1989)は公園の奥へ目をやって、小さく嘆息した。
「いりやなっていう人、ちゃんと来れるかな?」
騒ぎをのぞき見つつ、狗猫 魅依(
jb6919)が確認するように言うと、その場にいたものは顔を見合わせた。
撃退士として騒ぎを収めたい気持ちもあるが、彼らは別の任務があった。久遠ヶ原への保護を求めてきた堕天使と無事に合流することだ。
だが、堕天使イリヤナは現れない。
「‥‥もう時間は過ぎてる」
ぽつ、と言ったのは影野 恭弥(
ja0018)。
「騒ぎの方は、任せておいても問題ないとは思いますが‥‥」
「だめだ、出ねぇな」
佳槻の言葉を遮るような形で、赭々 燈戴(
jc0703)は端末に向かって毒づいた。
「コール音はするんだけどな。電話に出れねぇ状況なのか‥‥?」
あるいは、もっと悪い事態なのか。
「何だかわかんねェが、ヤバそうだ」
獅堂 武(
jb0906)は幾分焦りのこもった口調で言う。
「大至急、見つけに行った方がいいんじゃねェか」
その言葉に、アサニエル(
jb5431)は神妙な顔で頷いた。
「‥‥そうさね。少し様子を見に行った方が良さそうだね」
*
同行していた撃退士を一人公園に残し、市街地の方へ少し向かう。堕天使の姿は無いが、異変はすぐに見つかった。
「天魔だな」
既にV兵器を現出している恭弥が言った。
四角い箱に手足が生えたような、奇妙な構造物。物騒な長槍を構え、明らかに人の造ったものではないそいつはガッチャンガッチャンとここまで聞こえる異音を響かせながら、裏路地へと続く道の前に立ち、人を入れないかのようにそこに立っている。
見れば、ある程度の間隔ごとに同じものが立って、路地を塞いでいた。
「怪しいね」
何の為に封鎖しているのか‥‥こちらの目的に関わりがある可能性は高いように感じられた。
燈戴が連絡を取っていたコーディネイターからも、公園の撃退士からも連絡はない。
「どうやら保護対象は迷子のようだし‥‥ちょいと物騒だけど、迷子探しといこうじゃないかい」
アサニエルが言い、一行は手早く班分けを行った。
●
「俺は天魔を掃討する」
恭弥は仲間に告げるとすぐに移動した。物陰に半身を隠し、路地の前で全身をさらしている相手を射撃する。命中すると、ギィンと金属質な音が響いた。
相手は槍を振り回して怒りを露わにする。騒々しい音を立てながら体を回転させて恭弥の方を向いた。箱のような胴体の中心に、目玉のような突起物が見える。
そこを狙ってやろうと、恭弥が銃口を向けた瞬間、突起から光が放たれた。
「!」
咄嗟に魔具を盾にして防いだが、光は恭弥の全身を焼いて通り抜けた。痛みにわずかばかり、顔が歪む。
またギンと音がして、箱が揺らいだ。別方向からの攻撃だ。
「どうやらこいつはサーバントっぽいな」
ライフルを構えた燈戴の声。
彼の持つ天界のカオスレートは敵に作用していなかった。
ともあれ好機とばかり、恭弥は物陰を飛び出した。彼を覆うアウルが見る間に赤黒く変質し、鋭い針先を持つ尾となって敵を襲う。
機械の敵から吸い取るものは血液では無かろうが、傷を癒せれば問題ない。
サーバントがその場で動かなくなり、恭弥の光纏が元通りになる頃には、彼の傷はすっかり塞がっていた。
燈戴は周囲を警戒しながら、恭弥に近づく。
「やれ、どうやら一筋縄じゃいかなくなっちまったな‥‥?」
「次へ行く」
果たして燈戴に答えたものか、恭弥はそれだけ言うとまた別の敵を探し、出来るだけ影になっている場所を進み始めた。
*
「‥‥助けが来たか」
暗闇の中で、男は待っている。
「逃げられるなどとは思うなよ。お前の命は、俺の手中だ」
気配を殺し、一点動かず。
*
「やっぱり、つながんねェな‥‥?」
恭弥たちが敵を引きつけている間に路地裏に侵入した武は、イリヤナを連れてくるはずのコーディネイターへ連絡を取り続けていた。が、はじめに燈戴が言っていたとおり、呼び出し音が繰り返されるばかりだった。
「端末のGPSとか取得出来ねェかな。上手くいけば相手の位置がつかめるかもだし」
何か方法がないかと、相手の呼び出しは続けたまま、自身の端末をいじりながら歩く。
アサニエルが先を行っていたが、やがて武はその背中にぶつかった。彼女が急に歩みを止めたからだ。
「先輩、どうし──」
「‥‥見つけたよ」
返ってきた暗い声を訝しみ、武はアサニエルの背中から顔を出す。
「! こりゃあ‥‥」
血だまりの中に倒れ伏す男。投げ出された手の少し先で、携帯端末が無機質な振動を続けていた。
「これではっきりしたさね‥‥」
アサニエルは男が既に事切れていることを確かめると、立ち上がり武を顧みた。
「迷子を探してるのはあたしたちだけじゃないってことさ」
*
佳槻は一人でいた。
彼もまた、端末を耳に当てている。といっても、コーディネイターに連絡を取ろうとしているわけではない。
「どうですか、狗猫さん?」
通話の相手は魅依だった。
「んっとにぇ、ぽつぽつぽつっている感じかにゃ?」
魅依は悪魔の翼でもって上空へと上がり、周囲の状況を観察していた。サーバントはほとんど等間隔で広がっている。
『音は聞こえますか?』
「音?」
佳槻が聞いているのは、サーバントが動くときになる奇怪な駆動音だ。どうも特殊な音波らしく、やたらと耳に残る音だった。
魅依が耳を凝らすと、雑踏の音に混じってガシャン、ガシャン、と微かに聞こえるものがあった。
「あっち! ぐるっと西のほう!」
『では、そちらへ行ってみましょう』
「にゃー♪」
返事の代わりに一声鳴いて、魅依は移動を始めた佳槻を上空から追いかけた。
果たして、路地を少し入ったところにサーバントはいた。
堕天使の姿は無かったが、なまじ奥まったところに相手がいたため、サーバントの方が佳槻に気づいた。
(戦いの音で、イリヤナ本人もこちらに気づくかもしれない)
そう考えた佳槻は交戦を決意する。符を構え、最大限に距離を取った場所から風の刃を打ち込んだ。
「ギ」
声の様な音を発し、サーバントがこちらを向く。胴体の中心から光が発し、佳槻を灼いた。
(意外と動きが早いな)
うるさいだけの雑魚というわけではないらしい。どう当たるべきかと思案する佳槻の上から、建物の隙間を縫って魅依が降下してきた。
「ぶっとべぇ」
サーバントに向けて炎の爆発をまき散らす。常人とかけ離れたカオスレートを持つ彼女の攻撃は、天界の存在にとって驚異でしかない。
煙を噴いて動きを止めた敵に佳槻がもう一撃加えると、サーバントはバラバラになりながら吹っ飛んだ。
「かづき、大丈夫?」
「ええ、これくらいなら任務に支障はありません」
答えながら、佳槻は路地を見渡した。建物に挟まれて視界は悪く、かとおもえばあちこちに枝道があって移動ルートを予測しにくい。
佳槻は鳳凰を喚び出すと、高く飛ばす。
ピューイ‥‥。
甲高い鳴き声が建物に反響して響いていった。
*
走りゆく少女の背中から、鳥の声が追いかけ、追い抜いていく。
(私を探している‥‥この声は敵? 味方?)
戦いの音も先ほどから時折響く。これは救いの手だろうか。
(どのみち一人では逃げきれない。この状況で小手先の罠を使うような男ではないはず‥‥でも‥‥)
待っているのが敵ならば、彼女の命はない。慎重な判断を下さなければならなかった。
●
恭弥の弾丸が、三体目のサーバントの動きを止めた。
「次だ」
彼自身はまるで堕天使のことなど興味がないように、すぐさま次の敵を求める。もちろん、敵の数を減らすことで保護をしやすくするという意図があるのだろうが。
燈戴は恭弥から少し遅れ、周囲の様子に気を配りながら後に続こうとする。
「──ん?」
ふと物陰に、白い影を見た。サーバントではない。
恭弥を呼び止め、慎重に目を凝らす。あれは、もしや‥‥。
「なあ、あんた」
声を掛けた、その瞬間。白い影は身を翻し、背を向け走り出した!
「あっ、おい!」
燈戴の呼びかけには応えない。彼は咄嗟にライフルを構えると、特殊なアウルの弾丸を放つ。弾丸が右肩に音もなく吸い込まれた直後、白い影は壁をすり抜けて姿を消した。
「あっぶねぇー‥‥」
「今のがイリヤナか」
冷や汗を拭う燈戴の後ろで恭弥は淡々とつぶやく。
「どうやら俺たちの顔とか、向こうは知らなかったみたいだな。だからって逃げることないのになぁ。地上の天使がお迎えにきたっていうのに」
燈戴は肩をすくめて見せた後で、笑う。
「マーキングを打ったから、もう居場所は分かるぜ。仲間にも伝えて、捕まえてもらうか」
*
「はぁっ、はぁっ‥‥!」
イリヤナは一心に走っていた。心を覆い隠すのは、不安。恐怖。
さっきの男たちは、もしかしたら味方だったのかもしれない。だが確認しに戻るつもりにもなれなかった。
透過能力で建物の壁を突っ切り、入り組んだ通路を無視して走る。何より相手の視界を阻害できるから、身をくらませるのはたやすい。
だが一定間隔で配置されたサーバントが、彼女の脱出を拒んでいた。どこへ行っても敵はいる。イリヤナには、あれを倒す能力はない。
あれきりギジーは出てこない。自分が疲れ果てるのを待っているのだろうか?
いくつかの壁を抜けた先。まるで待ちかまえていたかのように、黒髪の男が立っていた。
すぐさま壁の中に戻ろうとするイリヤナに、男は慌てた様子で叫んだ。
「待った待った! 久遠ヶ原学園のものだ!」
*
彼には通り抜けられない石壁に片足を突っ込んだ姿勢で少女が動きを止めたので、武はとりあえず息を吐いた。
「イリヤナ・オーグスで間違い、ないか」
「‥‥あなたは?」
まだ警戒している少女に学生証を見せると、ようやく相手はこちらを味方だと判断したようだった。
「あなたがあの人が言っていた現地の人間なのね。‥‥一人だけ?」
「いや。すぐに仲間が来る」
武は頭上を見た。光の翼を広げたアサニエルがまさに舞い降りてくるところだった。
「どうやら、迷子は見つかったみたいだね」
「あなたも‥‥天使?」
イリヤナは小さく声を震わせてアサニエルに声を掛けた。
「それなら‥‥気をつけて。あの男は、ギジー・シーイールは、堕天使を殺すためにここへ来たのだから」
●
程なくして佳槻と魅依も合流した。恭弥と燈戴は封鎖地域の外側で、サーバントの掃討を続けている。
イリヤナは佳槻たちに向け、自分を追ってくる敵・ギジーについて簡単な説明をした。
「あの男はなかなか姿を見せないわ。気をつけてほしい」
「ああ。ここからは俺たちが護衛につく。安心しな」
「阻霊符を起動しましたから、壁をすり抜けていきなり攻撃をしてくることはありません」
イリヤナの言葉に武は胸を叩き、佳槻は落ち着かせるように声を掛けた。
「あとは、ここから出るだけだにぇ♪」
魅依が少々舌足らずな口調で言うと、イリヤナはほんのわずか、頬をゆるめた。
*
少し離れたところから、ガシャンガシャンとやかましい機械音と、戦闘の音が聞こえてくる。
「今、掃討組が敵と交戦してる」
武がイリヤナに状況を説明している。
「あの一角が崩れた時がチャンスだ。一気に駆け抜けて脱出するからな」
アサニエルが少し前に立って全方向へ目を配り、敵の奇襲を警戒している。
チャンスがくればすぐに韋駄天を使えるよう、武はイリヤナのすぐそばにいた。佳槻は襲撃があったときに盾となれるよう準備をしている。魅依は魅依で、スキルの準備に余念がない。
ガン、と一つ大きな音がする。それと同時に武の端末が鳴動した。掃討組からの合図だ。
武が韋駄天を発動する。
「よし、行くぜ!」
*
──行かせは、しない。
*
ひゅうっ、という、空気が抜けるような音が聞こえた。
しおれた人形の様にイリヤナがその場でくずおれる。その後ろに一つ、大きな影。
闇色のコートに身を包んだ男が、抜き身の刀を構えてそこにいた。
刃には血が付き、イリヤナは動かない。
「なっ──」
武は、佳槻は息を呑んだ。二人とも、何かあれば彼女の盾になる覚悟はあった。
だが、何かあった後では遅かったのだ。
四人の中でもっとも早く動いたのは、魅依だった。
ファッションかと思えた手枷と首輪が弾け飛ぶと、同時に彼女のアウルが膨れ上がる。
イリヤナを屠った余韻の中にいる天使に向け、凝縮した冥魔の力を向ける。それは槍の形を取った。
「堕ちなさい」
普段とはまるで異なる調子で、魅依は天使のずんぐりとした横腹へ向け槍をたたき込んだ。
「ぐぅっ──?」
かけ離れたカオスレートが生み出す一撃は、神器もかくやという威力となる。コートの男は咄嗟に鞘の中にあったもう一振りの刀を引き出しながら受けようとしたが、勢いを殺しきれずに派手に転がった。
破れたコートから鮮血を滴らせながら、男は起きあがった。つばの広い帽子が吹き飛び、顔が露わになる。イリヤナの語ったとおり、男は豚としか言いようがない異形の顔をしていた。
男──ギジーは何も語らず、刀を構えなおし、振り抜いた。
「狗猫さん!」
痛烈な一撃を放った後で、彼女を守るものは何も無かった。衝撃波を全身に浴び、魅依は地面に転がる。そしてギジーとは異なり──起きあがらない。
佳槻が魅依の元へ駆け寄った。胸元がざっくりと切り裂かれ、血が湧き出るように流れ出している。その血に熱を奪われ、彼女の体温はどんどん低下していた。
「おい、しっかりしろ!」
武はイリヤナに呼びかけているが、こちらも全く反応はない。
「やってくれたね‥‥」
アサニエルは忌々しげにギジーの豚顔を睨みつけた。相手は魅依につけられた傷の痛みか、あるいは生来そうなのか、不機嫌そうなしかめ面をしている。
「‥‥お前も堕天使だな」
僅かに掠れた低い声で、そう言った。
「だったらどうだって言うんだい」
「天使の命は天界のものだ。返してもらわねばならない」
「おい、どうなってんだ!?」
そのとき、路地の向こうから声がした。入り口のサーバントを撃破しても味方が出てこないので、燈戴たちが様子を見に来たのだ。
ギジーが舌打ちをした。
「──今しばらく、預けておく」
「逃がすと思うのかい?」
相手は深手だ。アサニエルは符を構えたが、ギジーの視線が動いた。
「天使は死んだ。悪魔もじきに死ぬぞ」
「──っ」
アサニエルの視線が惑う。
次の瞬間、ギジーは煙が立つようにしてそこから姿を消した。
●
負傷者は燈戴が呼び寄せていた車で救急搬送された。
そして。
イリヤナは死に、魅依は一命を取り留めたのだった。