天魔と人類は何も常に全力で領地のやりとりをしているわけではない。
すでにゲートが確立してしまった場所があれば、周辺の住民たちは当然天魔の支配から逃れるために距離を置く。天魔の方も無限に勢力を拡大しようとはしないから、必然、どちらの支配下ともとれないような曖昧な場所が生まれる。いわゆる緩衝地帯だ。
レガ(jz0135)はそこで待っていた。
撃退士は正面に立つ。木暮 純(
ja6601)が居並ぶ敵を眺めてひゅうと口笛を吹いた。
「こんなに並んで、壮観だな」
「純、気をつけて」
身を乗り出した彼女の袖をヴァルヌス・ノーチェ(
jc0590)が引く。
「分かってるって」
純は、今はまだ少年の様な姿のヴァルヌスを安心させるように、笑って見せた。
「よく来たな、撃退士諸君。今日は楽しいパーティーだ。思う存分に暴れてくれたまえ」
不敵な笑みを浮かべつつそう挨拶した赤銅の悪魔に、赤坂白秋(
ja7030)が噛みついた。
「おいおい、こいつはとんだ三流パーティーじゃねえか。まさか美女の一人も用意がねえとはなァ」
大げさに肩をあげ、首を振ってみせる。
「それは気がつかなかったな。ふふふ、君たちと踊るのが楽しみ過ぎてね」
「踊るにしても、俺は美女の方が歓迎だ」
「まあそう言うな。満足してもらえるよう、私も精一杯持て成すさ」
白秋は口角を吊り上げた。
「はっ、なら精々拝見させてもらうとするぜ──てめえの“持て成し”とやらをな」
そんなやりとりの間、純はディアボロの並びを見て眉をひそめていた。
彼女とは型違いのスナイパーライフルをその手に持っているミハイル・エッカート(
jb0544)に近づき、小声で話しかける。
「ちょっといいか」
「ん、どうした」
「あそこ」
純が示したのは敵陣の向かって左側。狼が四頭集まっていて、リザードが立ち並ぶ本隊からは離れたところにいる。そして、森が近い。
「怪しい‥‥よな?」
「‥‥だな」
二人は頷きあう。
「久しぶりだな、レガ」
君田 夢野(
ja0561)がレガに向けて何かを放った。ゆっくりと飛んできたものをレガは片手で受け取る。
「‥‥緑茶か」
ふたりは笑みを浮かべあう。
「桜の季節はまだ遠いぞ、未練の一つくらい持っときな」
「覚えているとも。‥‥これは戻ってからゆっくりと楽しむとしよう」
緑茶の袋を懐にしまい、レガは一歩身を引いた。
右手を差し上げて。
「さあ、始めようか」
●
声とともに一斉に剣気が迸る。
向かって左のアサシンウルフは黒羽根をなびかせた鴉天狗を一体引き連れて、森を目指す。
黒い毛並みの一頭を先頭に森の中へ消えるその寸前、純のライフルから放たれた光弾が最後尾の狼の後肢に吸い込まれていった。
「‥‥ふぅ。そっちは?」
「すまん、俺は間に合わなかった」
ミハイルは首を振った。狼の動きは早く、マーキングを撃ち込める機会は一瞬しかなかったのだ。
「そっか。まあ、何とかなるだろ」
一頭の動きを把握できるだけでも大分違うだろう。
「俺は右翼のほうで警戒する。こっちは頼む」
「ああ、そっちは任せた」
ミハイルが去り、純は森の中へ目を凝らす。
「俺は俺にできることをすっか」
奇襲を防ぐための索敵を開始した彼女の側に、先ほどまで付き添っていた少年の姿はない。
ヴァルヌスは悪魔としての能力を解放し、翠と漆黒の光沢あるボディで彼女を守るようにそこに立っていた。
*
右翼は敵との距離が近い。二列目にいるリザード、その奥のオーガーが弓を構え、すぐにも矢を打ち込もうする。
だがその動きにユウ(
jb5639)が先んじた。
ディアボロが弦を引くより早く、リザードの集まる中心に向けて、意識を集中。虚空より無数の刃が現れて、敵を蹂躙しようとする。
しかし、刃がリザードへ届く直前、後方で浮いていた巨大な盾が素早く割り込んで、攻撃を受け止めてしまった。
「あれもディアボロなのですね‥‥」
その風体通り、防御に特化したディアボロなのだろう。
亀山 絳輝(
ja2258)は彼女より半拍遅れてその後ろ。
「あれも見たことがないやつだな?」
シールドモンスターとリザードの更に奥、ふわふわと漂う光の珠に目を向けていた。
レガや、彼のヴァニタスとの戦いに幾度か居合わせた絳輝だが、見覚えがない。
ものは試しと魔法書での攻撃を仕掛けてみる──が、ユウの攻撃を防いだのとは別の巨大盾が割り込んで受け止めてしまった。
反撃を警戒して一瞬身を固めた絳輝だが、光の珠は漂うばかりで攻撃を仕掛けてくる様子はなかった。
「‥‥なんだ?」
絳輝は首を捻った。
「きゃはァ、歯応えありそうな敵がいっぱいねェ‥‥」
黒百合(
ja0422)は味方の最後方で舌なめずりをした。並んだケーキを選ぶかのように。
彼女にとっては、居並ぶディアボロの方がケーキよりも魅力的なのかもしれないが。
「じゃァ、いくわよォ‥‥♪」
戦いが始まる前から、彼女はすでに上空にあった。
ハーフである彼女の翼が効果を発揮できる時間は長くはないが、それでも先手を打てる利を取ったのだ。
ユウの攻撃を受け止めて動きを止めているシールドの脇、まさに飛び立とうとする鴉天狗へ向けてライフルを放つ。アウルの弾丸が盾をすり抜け、一体の天狗の肩を穿った。
前衛を担うものたちは敵へと駆ける。
「東北での傷のリハビリにしては些か厳しい戦いになりそうですね」
夜姫(
jb2550)は太刀をその手に、正面からリザードを抑えにかかる。赤い雷が放電するかのようにその身から現出し、彼女の周りでバチバチと爆ぜた。
「確かにちょっとしんどい量ですが‥‥」
足並みをそろえる鈴代 征治(
ja1305)は夜姫に同調しつつ。
「頑張っちゃいましょうかね」
手にした槍を掲げ、「さあ、来い!」と敵を呼ぶ。リザードたちの目が彼を向いた。
黒須 洸太(
ja2475)はそんな彼らの中心に向け、炎の剣を投げ込む。焔舞う防御の結界が仲間を覆う。
彼のすぐ側で、アルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)は敵を品定めしていた。
「こっちの部隊だとあれが一番大物かしら」
敵陣の最奥、テリブルオーガーに目を付ける。
「レベッカ、あまり前に出るなよ」
「守ってくれるって信じてるわよ、先輩」
洸太が声をかけると、レベッカはウインク。
(強い敵を倒して、先輩にいいところ見せなくちゃ)
内心で気合いを入れるレベッカ。洸太はやれやれと肩をすくめた。もちろん、言われるまでもなくそのつもりではあるのだが。
*
龍崎海(
ja0565)は伊勢崎市での戦いを思い返す。
見覚えのない新顔もいるが、主力がリザードであることは変化がない。
「俺が見えなければ妨害できないだろ」
星の輝きをその身に纏う。能力の低い敵ならば、彼を直視できなくなることもある。
光を放ちながら前線に立つ彼のことを、レガは直視していた。
前回の戦いにもレガはいた。あの時との違いは、最初から悪魔が臨戦態勢だということだ。
「目立つことだ。狙って欲しいといわんばかりだな」
そう言って、右手を差し上げた。
自陣後方で弓を構える沙 月子(
ja1773)は、その動作に見覚えがあった。
「散開してください!」
仲間に警告を発した直後、自陣中央で爆発。
彼らが立つのは舗装道路の上であったが、手入れされていないアスファルトはもろくも砕け、土埃を盛大に巻き上げた。
「これで眩しくなくなったな」
レガは満足げに笑った。
「あの男は回復の技を使う。先に落とせ」
リザードたちが武器を構えなおした。
(初手から放ってくるとは‥‥予想が外れましたね)
月子は淡々とそんなことを思う。彼女の警告もあって、味方はひとまず、致命傷を負ったものはいない。
土煙の向こうで、レガが待ちかまえている。
(何を狙っているのやら‥‥)
果たして、ただ戦うだけ、なのだろうか。何か隠している手はあるのだろうか。敵の思考を想像する月子の口元が自然とゆるんだ。
「気軽に遊びに来いなんて簡単に言ってくれるけど、それに乗らなきゃならない状況も癪ね」
蓮城 真緋呂(
jb6120)は忌々しげに口中呟く。相手は何も言っていないが、この戦場の先には人間の暮らす町がある。
応じなければどうなるか──。
「これ以上の侵攻はダメなのですぅ〜‥‥」
鎌の柄を握りしめた神ヶ島 鈴歌(
jb9935)に、真緋呂は頷いた。
「此処で何としても食い止めるわ」
敵陣の正面へと駆ける。月子らの援護がリザードの群を穿つ中、真緋呂はリザードから幾分距離をとって立ち止まった。
「受けなさい!」
その手から生まれた劫火が渦を描いてリザードを焼き尽くそうとする。
だがその火は、割り込んできた盾の化けものによってほとんど受け止められてしまった。
「こっちの攻撃を選んで受けるっていうの?」
ただ盲目的に攻撃を受けるのではないらしい。想像以上にやっかいな的だ。
劫火に焦がされた盾の後ろで、それまでただ中空に浮いてい珠が青白い光を放った。
「回復してる‥‥ですぅ〜?」
光を受けた盾の動きがまた活発になる。鈴歌はそれを見て、標的を光の珠に切り替えた。
方々で戦いが始まっている。
宴の主は‥‥ダンスの相手を求めていた。
「そちらは、またずいぶんと久しぶりだな」
レガは知己を前にする。マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)。
「ええ‥‥息災そうですね」
「君もな。今日は楽しませてくれるのかね?」
すぐには答えず、マキナは右腕に巻いた布の具合を確かめるようにする。
「かつて、貴方は私と敵対する理由があると言っていましたね」
「‥‥言ったな。至極単純かつ明快な理由だった」
マキナは『終焉』を求める。レガはそれを求めない。
「ええ、確かに。此処は戦場──なれば私にも是非はなく」
右腕を黒焔が覆っていく。そして、マキナは答えた。
「楽しみたいと言うならば楽しませましょう。ですが、貴方の方こそ無事に戻れるとは思わないことです」
マキナの傍らに、アスハ・A・R(
ja8432)が控えている。
「‥‥僕のことは使い潰せ、偽神。他の事は考える、な」
「使い潰すとは、言葉が過ぎますが‥‥頼りにはさせてもらいますね」
正面を見据えたまま、マキナはアスハに答えた。
(今日の僕は、サポート‥‥彼女を悪魔の元まで届けることに全力を使うつもりだった、が)
想定外が一つ。
レガは自分の前面に手下を並べてはいなかった。光る珠をひとつ、自分の側に浮かべてはいるものの。
自分の元へくるものを阻ませようとはまるでしていなかったのだ。
と、なれば。
「偽神が存分に戦えるように力を尽くすまでだ、な」
少しでも長く、少しでも深く、その拳が敵に届くようにと。
「俺らのコンチェルトに雑音はヤボってもんだ‥‥行くぞ」
「来たまえ、全力で合わせよう」
夢野が、マキナがレガへと距離を詰める。アスハはマキナの動きを見ながら後に続いた。
マキナの突きを左腕でいなし、被せるように振り下ろされた夢野の斬撃は体半分捻って避けた。フォローしようと位置どるアスハの動きを「見ているぞ」と言わんばかりに目で牽制したレガは、唐突に裏拳を──あらぬ方向へと突き出した。
ぼふ、と毛布でも叩いたかのような空虚な音がした。動きを止めたレガは右手に何か掴んでいる。
一枚のトランプ・カードを。
「やはり来ていたな、奇術士め」
「お久しぶりです、レガ」
拳の一歩奥にすらりと立ったエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)はにこやかに。
「今度は一発くらい当ててくださいね」
愛嬌のある調子でそう言った。
「あっちには結構人が行ってますね」
天羽 伊都(
jb2199)はレガを取り囲むメンバーを数える。これ以上接近戦を挑むと密集しすぎでよくなさそうだ。
「まずはこっちを何とかしますか」
金色に輝く瞳で敵の動きを見定めながら、磁場によって滑るように移動する。アスファルト道路の隅をかすめて左手から回り込んだ。
狙うは弓リザードの一体。レガの号令で海の方へ意識を向けているので、背後に回るのは容易だった。
敵が接近に気づく頃にはもう遅い。黒獅子が刀を振り抜けば、リザードの頭はあえなく胴体と泣き別れした。
他のリザードがようやく彼の接近に気づいて騒ぎ出した。
●
「せっかくの招待だ、俺も大いに戦わせてもらおう」
ミハイルは右翼後方にいて、ライフルを手に。厄介そうなのはやはり、あの盾か。
「俺は面倒くさいのを片づけるから、メインどころはそっちで頼むぞ」
近くに残っていた白野 小梅(
jb4012)にそう声をかける。
「まっかされましたぁー!」
およそ戦場に不似合いなほど幼く見える小梅が明るく元気に返事をした。その背に光の翼を広げ、ふわりと浮き上がってから前線へと飛んでいく。
何とも言えぬ表情でそれを見送るミハイル。小梅は極端な例ではあるが、学園の若い学生たちと一緒にいるとついつい自分が年輩であることを自覚する瞬間が──。
「いやいや、俺まだ二十代だし!」
降ってわいたオジサン思考を慌てて追い出す。おっと今は戦闘中だ。
幸い、盾の化け物は平べったいので狙いやすい。ミハイルの射撃は着弾前に無数の蝶の幻影となって敵にとりついた。
「どうだ?」
あわよくば動きを止めようという一射だったが、相手は悠然とそこに漂っている。
「効果なしか‥‥」
全く効かないのかは分からないが、簡単に動きを止められるわけではなさそうだ。
「盾を落とそうとするより、援護させて隙をつくるよう動いた方が効果的かと」
只野黒子(
ja0049)がいつの間にかミハイルの側にいる。
「そうか‥‥あと面倒そうなのはどいつだ?」
「あの光りだま、周りを回復しているみたいだ!」
絳輝が大声で伝えた。
「よし、ならあれから落とすか」
「私が援護しましょう」
再びライフルを構えるミハイルに告げ、黒子は前線へ走っていった。
敵のリザードは挑発してきた征治に群がる。振りかけられる矢をたたき落とし、四方から突き出される剣を魔具で捌きながら、彼は気丈に叫んだ。
「まだまだ耐えられますよ!」
リザードどもは操られるようにして一カ所に固まっている。
「こいつはいいな。入れ食いじゃねえか」
白秋はその様子を笑い飛ばした。左右の手にそれぞれ銀色の銃を構えて、ひとかたまりの中、征治を除いた人型の頭に端から狙いをつけていく。
「まずはオードブルにいただくとするぜ!」
双方の銃口からエネルギーが嵐のように飛び出す。白秋の体を覆い隠さんばかりにアウルの弾丸は飛び交って、リザードの頭から、肩から、体液が無惨に飛び散る。
だが盾の化け物は銃弾の嵐にも躊躇なく飛び込んでその勢いをいくらか遮っていた。
後方から小梅が飛び込んできたのはその直後。
「おっひさしぶりのぉ、ガチ戦闘ぉ! がんばるのー!」
風を切りつつ威勢よく叫ぶ。
そんな態度と裏腹に、彼女の目は上空から敵味方の動きをあまねく見渡していた。
白秋が巻き起こした暴風が収まりきる前に、その中で瀕死になっているリザードを狙う。
魔女の箒をひらめかせ、先端を突き出し。
「ニャンコGO!」
生み出された黒猫がにゃーんと伸びて、リザードの喉笛を噛みちぎった。
「どんどんいくのぉー!」
*
「ふふふ、あちらも盛り上がってきているようではないか、後で顔を出しに行くかな」
自分とは離れた部隊の交戦の音を聞いて、レガは満足げに言った。
「悪いけど、そうはさせないよ」
今し方拳を受けた場所を自らの技で癒しつつ、海はなお厳然と悪魔の前に立つ。
「おいおい、まだこっちだって始まったばかり、だろ!」
夢野が相手をしろとばかりに剣を払う。
味方が敵の数を減らすまでレガを自由にさせない──それが彼らの役目でもあった。
*
天宮 佳槻(
jb1989)は上空にいた。
敵前衛のリザードは征治の挑発でだいぶ引きつけられているが、その奥のオーガーや鴉天狗どもはまだ泰然としている。
これまでの戦いで見たことのあるオーガーどもはともかく、初めて見る天狗は不気味な存在だ。
(自由にしておくのは危険すぎる)
佳槻はそう考えた。
注意を引く為には浮いているだけではダメだ。佳槻は果敢にも前に出て行く。
此方の戦場の幾分奥で、敵の大将であるレガが戦っている様子が刹那に見えた。複数の撃退士に囲まれ、その中で躍動している。
(そちらがゲーム感覚というなら、斟酌することもない)
すぐさま視線を戻す。佳槻はリザードの境界線を越え、さらに奥へと向かおうとした。
この部隊で総大将然としているテリブルオーガーの頭上だ。
さすがにこれは相手も黙ってはいない。天狗が構えた護符から火の玉が飛び出して、一つが佳槻のすねをかすめた。
だがこれで、相手の動きをある程度把握できる。
「やるべき事をやるだけだ」
佳槻はひるまず、天狗を見据えた。
「ちっ‥‥どこへ行った?」
敵陣の奥から、四匹いた鴉天狗のうち一匹の姿が見えなくなっている。
どうやらかくれんぼが得意なタイプみたいだな──白秋はそんなことを考えつつ、しかし焦ることはない。かくれんぼの鬼役なら得意技だ。
目を凝らしてぐるりと見渡し、身を潜めて移動していた残りの一匹をすぐに見つけだす。
白秋は叫んだ。
「おい、危ねえ!」
天狗がいたのは、空を飛ぶ佳槻の真下だった。
「‥‥っ!」
味方の声にはっと首を巡らし、想像より遙かに近い場所にいた天狗の姿を確認した佳槻は斧槍を前に出し、身をよじる。天狗の手から鋼糸が飛び出した。
糸は魔具の柄に絡み、目に見えないほど細い糸を介して、佳槻と天狗は空中に固定される。
更に別の天狗が飛来して側面から糸を飛ばす。今度は躱しきれず、右腕に食い込んだ。
「ぐうっ‥‥」
反撃をしようにも、魔具を手放さなければ身動きもとれない。
黒百合が長射程から援護の弾丸を放つ。だがシールドモンスターが割り込んできて、それを受け止めてしまった。
近くに他の盾はいない。白秋が素早く引き金を引くと、弾丸は佳槻の下方にいる天狗の目前ではじけ、雨のように降り注いだ。
天狗が高度を失い落ちる寸前、佳槻は斧槍から糸を振り払う。自由を取り戻した魔具を左手一本で振るい、なお右腕をつなぎ止めている相手に向かって鎌鼬を放つ。
だが敵は衝撃波を躱すと、その勢いで佳槻を振り回した。佳槻の口から絞るようにくぐもった悲鳴が漏れる。
そのまま振り子のようにして飛ばされ、地面に叩きつけられた。
まだ意識は保っている。佳槻は素早く起きあがり、右腕の感覚を確かめようと。
しかし、言いしれぬ威圧感を感じて振り返った。
佳槻の姿を完全に覆い隠す巨体──テリブルオーガーが、憤怒の表情で彼を見下ろしていた。
●
森の上空で、一匹のヒリュウが警戒に当たっていた。
エイルズレトラの召喚獣、ハートは敵が森から姿を見せた場合は鳴いて知らせるよう命じられている。
仔竜は主の指示を忠実に守り、森の様子に目を配っていた。
*
中央奥の部隊の動きの中心には海がいた。
彼がレガを狙い、リザードが彼を狙ったからだ。
「くっ」
肩に受けた矢傷に手を当て、自身に治療を施す。しかしすぐまた攻撃が殺到して海の体を傷つけていった。
伊都や月子がリザードの数を減らそうとしているが、シールドに阻まれてなかなか上手くいっていない。
そのような状況でも、海はなかなか倒れなかった。
彼のもつ『神の兵士』の力と、生来の抵抗力の高さのなせる業であった。
「ずいぶん頑丈だな、お前は」
レガが海を見た。
側面から切り込んできた夢野を強引に蹴り飛ばして間を作る。
「興味が湧いたぞ」
そう言ったときにはすでに指先が海に向いていた。
音もなく走った光が海の左肩を灼いた。かと思えばレガは地を蹴り、海へと肉薄している。
激痛に顔をゆがめる暇もなく、海は槍を振るった。
突き出された拳をいなすように、右から左へと払う。
「いい根性だ!」
賞賛の言葉を発しながらも、海が次の行動へ移るより早く体勢を整えている。
渾身の突きに体全体を揺らされ、海は弾き飛ばされた。ダメージの蓄積がひどく、さすがに頭が朦朧としだす。
それでも、彼は立とうとした。
「先へ行かせるわけには‥‥」
目的を果たすためには、まだ悪魔の抑えが必要だ。
しかし、彼の根性はレガを喜ばせただけだった。
なお起きあがる海の様子にレガは満面の笑みをたたえて指をはじく。
二度目の爆発が海を中心にして起きた。
「さすがにもう起きあがらんか」
レガは土煙の中で倒れ伏す海を見ていた。
その背後から、大量のカードが帯状に渦を巻いて現れた。カードはそこに回っていたエイルズレトラを中心として、レガと、その周囲に残っていたリザードをまとめて縛り上げる。
「‥‥ちょっと勢いが強すぎましたか」
エイルズレトラ本人でさえも例外ではなく。自身さえ束縛しようとするカードの帯を振り払う。
「遊び相手ならこっちにもいるじゃないですか。‥‥あんまり当たらないから飽きちゃったんですか?」
締め上げられたダメージの重さは見せずに、軽い口調を維持したままでレガを呼ぶ。同じように束縛を解いた悪魔が正面から自分を見据えてきた。
「確かに当たらんな、君は。だが手品の種はあとどれだけ残っているのかね?」
「ふふ‥‥それは内緒です」
「君は軽そうだな。どれだけ飛ぶのか楽しみだ」
レガは一瞬だけファイティングポーズを取ってみせると、エイルズレトラへ向かって飛びかかった。
真っ正面から殴りかかる、と見せかけて一度右へステップを踏む。十分見えている動きではあるが、エイルズレトラはカードを切って躱す。回避に特化して防御を考えていない彼は、とにかくつかまったら終わりなのだ。
レガの攻撃行動が終わったところをねらって、マキナが突きを差し入れてくる。レガは障壁を生み出して顔面を捉えていた攻撃を受け止めた。
(そういえば、森に入った連中はどうしたのでしょうね)
バハムートテイマーを本職にしていない彼は、ヒリュウ・ハートと意識を共有することが出来ない。
ハートはまだ上空にいた。出来るだけ高度を取るよう言われていたから、ヒリュウが飛べる限界、十メートルの高さにいる。
葉が落ちるにはいささか早い時期で、木々にはまだしっかりと葉が茂って森の中を覆い隠していた。
風が吹くと、木々がざわめいた──。
その瞬間、森の一角から火球が飛び出してきて、ハートを呑み込んだ。
レガはマキナの体を隠れ蓑にするように回り込んで、エイルズレトラへ攻撃を仕掛けようとしていたところだった。
ヒリュウとともに意識を失った彼のわき腹へと拳が届く──寸前で、動きを止めた。
エイルズレトラはそのままそこへくずおれる。
「‥‥ふん。次は殴ってやるぞ」
レガはいくらか不満げに鼻を鳴らした後、彼に背を向けた。
●
いまもなお前線で槍を振るう征治の背後にリザードが迫る。
が、その動きは夜姫によってとどめられた。征治を狙おうとしていた剣を彼女の刀が弾き、返す刀で撫で切りにする。
「やっと数が減ってきましたね‥‥」
リザードの数は開戦時の半分以下になった。だが、この隊の目標と定めていた大物はいずれもまだ健在だ。
ヒールボールの一体に、黒子が迫っていた。相手も回復役は大事なのか、シールドが一匹張り付いている。
アーススピアを放つ。珠も盾も浮いてはいるが高くは飛べないらしく、シールドがヒールボールの下に滑り込むようにして、地面から突き出した槍を受け止めた。
黒子が目線を動かした先に、ミハイルがいる。
彼の銃弾が珠の中心を正確に貫く。光の珠は明滅した。
「まだダメか!?」
ミハイルが二射目の用意をするが、それより早く──別方向からの銃撃で珠ははじけた。
「自身を回復させるわけにはいきませんからね」
ユウだった。リザードの数が減ったこともあり、こちらへ合流してきたのだ。
「回復と防御の連携を崩してしまわないと‥‥」
ユウの言葉にミハイルは頷く。
「そうだな。ただでさえ数が多いっていうのに──」
──ォォオオオオオーゥ!
言葉を遮るように、咆哮が響いた。敵陣の奥で、テリブルオーガーが叫んだのだ。
先ほどまでそこにいたはずの、佳槻の姿は見えなかった。
「長期戦に、なりそうですね」
黒子が眉を密かにひそめた。
●
マキナはレガの周りを忙しなく位置どりし、少しでも有効な打撃を与えようとしていた。夢野も今は距離をとって援護に回っている。
拳でもってレガの背中を叩く。黒焔の鎖が現れて相手を縛り上げようとするが、レガはあっさりとそれを振り払う。
「後ろから叩いたくらいでは捕まらんぞ!」
逆にレガはマキナを掴もうと腕を伸ばす。マキナは飛んで躱した。
なおも迫ろうとするレガの、足下の地面が隆起する。アスハのアーススピアだ。
唐突に出来た土槍の林をレガは強引に抜けようとしたが、その分動きは鈍る。マキナは距離を取ったまま拳を振り抜き、黒焔を衝撃波にしてレガに見舞った。
当然これだけの撃退士に囲まれているレガが無傷であるはずはなかったが、側をついて回るヒールボールが発光すると、その体についた傷のいくらかは閉じていってしまう。
「あれは邪魔だ、な」
アスハは素早く武器を双銃に切り替えると、光の中心に向け速射する。その意図を感じ取った夢野が射撃を合わせ、光球は弾け飛んだ。
*
リザードを相手取っていた前線でも、鈴歌が残っていたヒールボールを撃破していた。
「まだ‥‥森の敵は動かないのですぅ〜?」
「ああ、マーキングしたやつもじっとしてる」
森を注視したまま、純が答える。
「私‥‥ちょっと見てきますねぇ〜」
純からマーキングしてある敵の位置を聞いた鈴歌は、慎重に森の中へ入っていった。
*
アスハがレガの左後背から仕掛けた。
共に戦う友人から譲り受けた聖骸布を拳に巻いて、敢えての接近戦を挑む。
「私を彼の下まで導いてほしい」
そう、頼まれたのだから。果たすためには躊躇しない。
「度胸のあることだな!」
アスハの攻撃を受け止めたレガの反撃は拳の二発。アスハは魔法の槍を生み出したものの、それらは拳の勢いにはじかれた。
意識を揺らす衝撃が襲う。だがアスハは深い笑みを浮かべた。
こちらに半身を向けたレガのわき腹に、マキナが組み付いていたからだ。
彼女の黒焔はレガのスーツを破壊し、皮を食い破っていた。
「宴の終焉を知らせてやれ、偽神‥‥!」
そう言ってアスハは意識を失った。
マキナが拳を引き抜くと、赤黒い血がベットリと付いていた。
だが、まだ浅いことは感覚で分かる。
「パーティーは今が最高潮だ。終焉など、まだまだ遠い」
「‥‥昂りを過ぎれば、あとは終息するだけです」
そしてもう一度拳を穿つ。レガも応じた。
二つの拳が交差する。
刹那の後、マキナの拳はレガの心臓を捉えていた。黒焔が服を焦がし肉を灼いていた。
レガは、笑った。
「みろ。まだ先だ」
レガの拳はマキナの肋骨を砕き、肉をごっそりと削り取っていた。
マキナの意識はすでに途切れていたが、レガは拳を引くと、言った。
「そんなに終焉が見たいのならば、一足先に行くといい」
もう一撃、加えようと。
レガは拳を大きく引いた。
「ここだね♪」
ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)はその瞬間に、潜めていた存在を明らかにした。目に見えぬ糸を操って、まさに動きだそうとするレガの右腕を絡め取る。
一瞬のチャンスを求めて、彼はずっと機会を伺っていたのだ。
「姑息と怒るかな? いや、ボクにできる全力を、キミは認めるだろう?」
ジェラルドにはある種の確信をもって、悪魔の背中にそう問いかけた。
「もちろんだとも」
果たしてレガはそう答えた。
「だが私を倒すつもりなら、出てくるのが早かったな」
一度きりの機会を、ジェラルドは好機ではなく危機で使った。彼の最優先事項は「誰も死なない」ことだったからだ。
レガが右腕に力を込めた。細糸が食い込んで血の球が浮かぶ。
「死人が出たりしたら、興ざめだからね☆」
ジェラルドはあくまでも軽く答えた。
レガは浅い笑みを浮かべたまま、右腕を振るう。血を滴らせながらジェラルドの方を向いた。
「そのときはそのときさ」
珍しく左手を差し上げて、指から光線を迸らせる。ワイヤーはピンと張っていて、ジェラルドには逃げようがなかった。
●
黒百合の狙撃をかばったシールドが砕けた。これでようやく、敵陣をかばうものがいなくなる。
「やれやれェ‥‥やっと好きな相手を撃てるわァ‥‥」
リザードはあらかた蹴散らしたものの、そうなればオーガーどもが前に出てくる。
「なかなか‥‥きついですねっ」
大剣の重い一撃を捌きながら、それでも征治は最前面で敵を引きつけ続けていた。
彼の背後から、暖かな日の光のようにアウルが振りかけられる。黒子のライトヒールが征治の傷をいくらか癒す。
「私の回復はこれで最後です」
「十分ですよ。ありがとうございます」
征治は気丈にそう答え、ぎりぎりまで槍を振るい続けたが、最後にはオーガーの連続攻撃を受けて膝を折った。
テリブルオーガーもまた前線に出てきていた。
レベッカが果敢に距離を詰め、スターショットを狙う。天界の加護を得た弾丸が、オーガーの頭を穿った。
「やった!」
だがオーガーは一瞬ぐらついただけで、むしろ憤怒の表情をさらに色濃くしてレベッカをぐるりと見た。
今撃ったのはおまえか、とでも言わんばかりに。
「ォオオオオッ!」
オーガーが吼え、突撃してくる。太い腕が華奢なレベッカを叩き折ろうと振り上げられたところで、洸太が間に入り、白炎の盾を形成する。
レベッカの代わりに、強烈な一撃を受け止めた。
──さすが先輩、かっこいいなあ‥‥。
「じゃなくって! このっ、今度こそ!」
一瞬見惚れかけた自分を今は叱咤して、レベッカは再び銃を構えた。
「右に一匹、来てるぞ!」
鴉天狗は残り二匹、ことあるごとに姿を隠そうとする動きは、白秋が見定めて位置を知らせていた。
白秋に発見された天狗はそのまま低空飛行で距離を詰め、テリブルオーガーの対応へ向かおうとしていた夜姫を襲った。
すれ違いざまにワイヤーを仕掛け、彼女を引きずろうとしたのだ。
「うっ‥‥く!」
夜姫は踏みとどまったが、右腕に絡んだワイヤーは容赦なく肉に食い込み、激痛を引き起こす。
ただでさえ前衛で刀を振るっていたのだ。体力の限界は近い。
「こうなれば‥‥」
右腕を取られたまま、左手で雷の小刀を作り出す。夜姫はそれを、自分の腹に突き立てた。
そして、左手で天狗のワイヤーをつかみ、全身を使って引っ張った。
「‥‥ぁあああっ!」
右腕から赤い血が吹き出す。正常ならば痛みが邪魔をするだろう。
だが、今の彼女は正常ではない。
天狗を強引に引き寄せる。もはや感覚のない右手にまだ太刀が握られていることを視認して、夜姫は力を込めて腕を振るう。技が切れたときが、意識の途切れる瞬間と覚悟して。
敵も減ってはいるが、こちらも少しずつ消耗が深くなっていく。
白秋もまた幾多に傷を受けながら、なおシニカルな態度を崩さない。
「こんなもんか? 俺たちは持て成すに値しない存在だ──そうとでも言うつもりか?」
鬱屈を取り払うかのように、レガへと向け、叫ぶ。
「俺に見せろよ、てめえの最高の“持て成し”って奴をよ!」
「なんだかずいぶんと期待させてしまっているようだな」
レガは声を聞き、くつくつと笑った。
「知りたいのなら、まだ倒れずに立っていることだ」
その目が一瞬だけ森の方を向いた。
●
鈴歌は森の中を一人で進んでいた。
出来るだけ物音を立てないよう進み、純に教えられたポイントへ近づく。
アサシンウルフは確かにそこにいた。ただし、二匹だけだ。
「‥‥他の敵さんは、どこでしょぉ〜?」
森をさらに進む。丘を登るのではなく、ぐるりと回るように。
森の切れ目が近づいてきたところに。
「もう一匹‥‥!」
別のアサシンウルフが身を潜めているのを見つけた。
別々の場所から出て、襲うつもりだろうか。
「残りは‥‥」
近づこうと一歩踏み出したとき、背後の茂みからまた別の一匹が飛び出してきた!
鈴歌は鋭い爪に魔具を鉤裂きにされながら後方へ飛び、木を回り込んで距離を取る。
「黒い仔‥‥気づいていたのですねぇ〜」
身を潜める意味を失い、鈴歌は闘気を解放した。
森の地形を利用して巧みに距離を取り、囲まれぬように立ち回ろうする鈴歌。
だが相手も獣の姿をしているだけあって動きが落ちない。
「それなら‥‥」
鈴歌は手近な太い木に飛びつくと、するすると登る。
白いアサシンウルフはそれで止まった。だが、黒い方は躊躇することなく、前肢から木にとりつき、登ってきた。
その動きは想像以上に素早く、鈴歌の振るった鎌を躱して彼女に飛びかかる。鈴歌は五メートルほどの高さから、地面に落下した。
けほ、けほと咳込みながら立ち上がろうとした彼女の背中で、今度は火球が爆ぜる。
「うぅっ‥‥」
鴉天狗が背後で護符を手に立っていた。
再び倒れ伏した鈴歌の目の前に黒いウルフがいる。ウルフがくいと首を動かすと、白いウルフがゆっくりと鈴歌に近づいてきた。
(この黒い仔‥‥何か違うですぅ〜‥‥)
あまりにも人間らしい仕草に感じた違和感。
だが、そのことを戦場に戻って伝える余裕はもう彼女に残されていなかった。
●
森を注視し続けていた純が鋭く叫んだ。
「敵が動いた!」
その声に、リザードの掃討に当たっていた真緋呂が駆け寄ってきた。
ヴァルヌスは彼女と森の間に立つ。
「純、ボクが囮になる。背中は、任せるよ」
「3、2、1‥‥来るよ!」
純のカウントダウンに合わせたかのように、森から二匹のアサシンウルフが飛び出してくる。
「二匹? 残りは?」
真緋呂は一匹のウルフの突撃を大剣で受け止めながらそう言ったが、答えられるものはいない。
もう一匹は前に出ていたヴァルヌスを迂回した。
「えっ!?」
彼の後ろにいるのは、もちろん純だ。
「っ、この!」
純はライフルで足下を狙ったが、アスファルトを砕いただけ。
ウルフが純に襲いかかった。純はライフルの柄をかざしてのどを食いちぎられることは防いだが、上にのしかかられてしまう。
「純!」
ヴァルヌスの取れる行動は一つしなかった。
「ニューロ接続、アウル最大! マキシマイズ起動!!」
叫びと同時に彼のボディは淡い翠の光に包まれる。ボディの各所からは余剰になったアウルが排気されるかのように吹き出した。
純の下へとたどり着いたヴァルヌスは大剣を一閃させる。最大稼働で繰り出された一撃はアサシンウルフを純の上から弾き飛ばした。
「戦いは好きじゃない、でも‥‥」
心優しい悪魔は純を再び背中に庇いながら、ウルフを見下ろす。
「ボクの大切なものに害を及ぼそうというのなら‥‥!」
友達も、平和な世界も、これ以上傷つけさせはしない。
ヴァルヌスは決意を剣に込め、再びウルフに飛びかかった。
*
「敵の数が足りていない‥‥ならば、まだどこかから来るつもりのはず」
黒子は奇襲対応班から連絡を受けてそう考えた。
では、それはどこだろうか。
推測するには情報が足りず、彼女やミハイルは結局、全方位を警戒するほかなかった。
黒百合は地面に降りた。翼を維持する力がもう残っていないのだ。
ライフルを構え直そうとして、背後の殺気に気がつく。
「‥‥っ!」
長い髪を振り乱して後ろを向いたとき、黒いウルフはすでに目前にいて、口をばっくりとあけていた。
激痛が襲う。黒百合の小さな肩から相当量の肉をもぎ取って、ウルフは後方へと抜けた。
急速に血が抜ける感覚。黒百合は踏みとどまり、ウルフへ向けて蝙蝠の群を送り出す。
与えたダメージをそのまま吸収できる技。この状況を切り抜けるには十分な一手。
当たれば、だ。
あるいは紙一重だったかもしれない。だが、躱されたという事実に変わりはない。
黒百合は忌々しげに呻く。後方支援に徹していた故に味方と距離が開いていたことも仇になった。
横手から別の白いウルフが彼女を襲う。これは躱した。
もう一度体勢を整えて──。
上空に姿を現した鴉天狗が火球を放ち、黒百合の意識はそこで途絶えた。
「やっと出てきたか」
後方の状況を見やって、レガが言った。
「あの黒いのは特別製だ。頭がいいぞ。ダンスも踊れる」
「サプライズなら美女にしろって言ってるだろうが!」
白秋は激怒した。その裏で状況をまとめている。
後方から黒白のウルフに、鴉天狗。前方の鴉天狗は一掃したものの、テリブルオーガーはまだ健在。オーガーも数を残している。
「ちっ、こりゃよくねえな‥‥」
挟み撃ちに対応できるほどの前衛の人数がもう残っていないのだ。
前衛がいなければ、後衛が前にでる他はない。
倒れた黒百合の近くで敵がまとまっている、そこを狙って黒子がコメットを撃った。
「防ぎきれなかったか‥‥だが、これ以上はやらせん!」
ミハイルは中間地点でアサシンウルフに向かって狙撃を開始。
その横を、小梅が翼を広げて抜き去っていく。彼女は上空の鴉天狗に向け、高度を上げながら箒を振るっていた。
すでに回復を使いきっていた絳輝も、魔具を手にウルフの抑えにかかる。
*
「さて、私の用意していたものは、これで全てだが。せっかくだ。君の方からは何かないのか?」
レガは夢野に問う。なにか出し物をねだるような──いや、実際そうなのだろう。
「そうだな」
夢野は考える仕草をしたが、それはポーズ。
芸を求められて応えられないのでは芸術家失格だ。
「今はまだコレを抜く気はなかったが──」
普段使いの大剣を納めて新たに顕したのは、それをさらに一回り上回る、刀身だけで背丈を上回るような一振り。
夢野は大上段に振りかぶる。刀身にまばゆいばかりの光を宿して。
「お前の心意気への最大の返礼は、これ以外にはあるまい!」
レガへと向け、夢野は全力で振り下ろした。
「く、くくく‥‥」
レガは呻く。呻くようにして、笑っていた。
「素晴らしい一撃だ。以前にこの技を受けたなら、私は死んでいたかもしれないな」
夢野の大剣はレガの右肩に食い込んでいた。そればかりか肉を裂き、鎖骨を砕き、肺があると思われる位置まで刃は降りていた。
どす黒い血を流しながら──レガはこれ以上ないほど、嬉しそうに。
「やはり君たちは素晴らしい相手だよ、撃退士!」
「‥‥ぐっ!?」
夢野の手に、剣を押し返す圧力がかかる。レガの胸の傷が、見る間に塞がっていく。
全てが塞がるのを待たず、レガは動いた。大剣を押しのけ、まだ天界の加護を残している夢野にめがけ。
一撃目を右肩に。二撃目を顎に。
「これも持って行け!」
そして、最後は痛烈な蹴りを鳩尾に放った。夢野は躱しようもなく、まともに受けて数メートル後方へ飛んだ。
「力が入ってしまったな。‥‥生きているか?」
アスファルトの上で動かなくなった夢野に、レガが少し気の抜けた声で言った。
「因縁のご挨拶は終わったみたいだね」
答えの代わりに、リザードの掃討を終えた伊都がそう言った。
片手を前に出す。
「じゃあ、本番行こうか? 過去の遺物くんよ、きな」
くいと指を折り曲げ、嘲笑混じりに言った。
レガは笑った。今日彼はずっと笑っている。
「いい文句だ。後悔はしないようにしろ」
レガは地を蹴り、飛ぶように距離を詰める。その勢いを駆っての打撃を、伊都は盾を現出して受け止める。
「固いな!」
レガは驚いて見せた。「重装は伊達ではないということか」
一度離れて距離をとる。その動きは、先ほどまでと比べても早い。
「君にはこちらの方が良さそうだ」
左右の腕が、薄淡い光に覆われていく。魔力のこもった光だ。
「そういえば、これも見せるのは初めてだったかな? ふふ、彼には悪いことをしたな」
伊都は取り合わず、側面に回り込むようにしてレガに仕掛ける。刀の鋭い切っ先がレガの左わき腹を切り裂いた。
「私と君、頑丈なのはどちらかな!」
レガは心底楽しそうに吼えた。
●
「ォォオオオッ!」
テリブルオーガーも吼えていた。ただしこちらは憤怒にまみれた声でしかない。
屈強な体のあちこちに、決して浅くない傷を抱えていたが、それでもその動きは鈍らない。むしろ、明らかに動きが早くなっていた。
「こいつ、どれだけタフなんだ!」
その攻撃をしのぎながら、洸太は吐き捨てるように言った。防御スキルを総動員して抑えてはいるが、スキルも体力も、あと何手受けられるか怪しいところだ。
「私も、距離をとっている訳には行きませんね」
ユウはここまで中距離からの射撃に徹していたが、前に出る。
彼女自身阿修羅であるから、防御は得意とは言い難い。大技を撃てるのは洸太が残っているうちがチャンスだった。
巨人の注意が洸太と、その奥のレベッカに向かっていることを確認して、別方向から迫る。
「これで‥‥!」
ある程度の距離から一気に近づき、最大限のアウルを込めてテリブルオーガーへ零距離射撃を試みた。
一発、二発、三発。放たれるエネルギーが巨人の生命を削り取っていく。
だが、四発目を放ったところで強力な反動をこらえきれなくなった。
大きく体勢を崩したユウは一歩後ろへ下がる。
巨人は──半ば倒れかかるようにして、彼女を追ってきた。
大技の余韻と反動で身動きのとれないユウは、巨人の抱擁を受け入れることしかできない。
「あっ‥‥う!」
血にまみれたかいなに抱かれ、力一杯締め付けられる。骨が砕ける音を幾度か脳裏に聞きながら、彼女の意識は遠のいた。
「この‥‥放しなさい!」
レベッカはユウを完全に覆い隠した、巨人の背に向け射撃を繰り返す。
巨人は眠たげに腕を払い、ユウを手放した。こちらを向いた顔に向け、レベッカはなお引き金を引く。
ずしゃり、と重々しい音がして、巨人は一歩、足を踏み出し。
そのまま、崩れ落ちて動かなくなった。
●
同じ頃、レガと伊都の戦いにも決着が付いた。
「やれやれ、手が痛くなった」
レガはひゅうひゅうとどこか正常でない呼吸をしながら、余裕ぶった態度だけは変わらない。
「だいたい終わったようだな」
未だに立っているのはレガの他、オーガーが二体と、黒いウルフ。
対して撃退士はアサシンウルフを倒したヴァルヌス、純、真緋呂に、月子。
そしてレベッカに、後方から現れた鴉天狗とウルフを倒した黒子、小梅、ミハイル、絳輝。
白秋は最後の鴉天狗を落としたところで力つきて、今は土の上で倒れ込んでいたし、洸太も最後に気力が切れて、今はレベッカの膝の上だ。
人気のない緩衝地帯だったここは戦いの宴によって、夥しい量の血の朱で染められていた。
レガはゆっくりと歩みを進める。彼自身も血だらけだ。
「さて、まだ続けるかね? どちらか全滅するまでやり合うのも悪くないな」
「それでこっちがやられれば、この先の町を襲うっていうわけ?」
真緋呂が険のある声で問うと、レガは虚を突かれたような顔をした。
「町を?」
レガはふむと唸った。「そうだと言ったら、君は向かってくるかね?」
真緋呂は大剣を手にしたまま、レガを睨む。
「私はドンパチも怪我も嫌いだ」
真緋呂より先に、絳輝が真顔で答えた。。
「うん?」
「何で連絡しないんだよ心配すんだろばかぁ!」
緊迫した空気そっちのけで、半泣きでレガに抗議する。
「電話! 番号渡しただろ!」
レガは晩春の花見を思い出して、ぽんと手を打つ。
「そうだ、聞こうと思っていたが‥‥あの数字はどういう意味なのだ」
レガは電話番号を知らなかった。
電話を使わない文化のひとなので無理もないですね‥‥?
絳輝はがっくりと肩を落とした後で、レガの側まで行ってポケットを探った。
「これ、渡すから。使い方分かるか?」
「ほう、これが電話か。ずいぶん小さいんだな」
しばらく、そんなやりとりが続いた。
*
「戦いを続けるという空気でもなくなったな」
レガは絳輝から渡された端末をぼろぼろのスーツのポケットにしまった。
「今日はたいそう楽しかった。寝ている連中にも、あとで礼を言っておいてくれたまえ」
満足げに胸を反らすレガに、月子がぽつりと聞く。
「今日って、本当に戦いに来ただけだったんですか?」
「まあ、そうだな。こいつを見せに来たというのもあるが」
狼というよりは猫のようなしなやかな仕草で、いつの間にかレガの隣に降り立った黒いウルフの頭を、レガはぽんと叩いた。
「あとは特に理由はないな。それがどうかしたのか」
「いえ‥‥」
「またな! 絶対な約束破ったら会いに行くからな!」
背を向け悠然と去っていくレガに絳輝が呼びかけている。
「なんだか、おかしなひとですね‥‥?」
月子はその背を見送りながら、はてと首を傾げるのだった。