夏と言ったら、青い海もいいけれど。
白い太陽に照らされて、めいっぱい緑を繁らせた山を登るのもまた格別な季節。
聞こえてくるのは、蝉の声。いやいや耳を澄ませればそればかりではないのです。
今日は皆でお泊まりハイキング。たっぷり汗をかいて、楽しみましょう。
●
「こうやって見ると、久遠ヶ原っていろんな人がいるよなー」
音羽 千速(
ja9066)が周りを見ている。
「そうだよな。俺達って基本、部活のメンバーや兄貴達と一緒の事が多いけど」
今回の企画に誘った黒崎 啓音(
jb5974)は同意した。千速はそんな彼を少し心配そうに見る。
(‥‥啓音って、天魔大嫌いだもんなぁ。依頼では極力感情抑えているみたいなんだけど‥‥)
最近の転入生だと天魔もハーフも結構いるし、もう少し歩み寄れると良いんだけど──。
「佳澄さん、お久しぶりです」
「‥‥明石先輩!」
木々になじむ萌黄色の髪を三つ編みにまとめた明石 暮太(
jb6009)と、春苑 佳澄(jz0098)が握手を交わした。
「また山でご一緒ですね」
会うのは去年の那須旅行以来だ。不思議な偶然を感じて、二人は笑いあった。
「三つ編み、似合ってますね」
「そうですか? ありがとうございます」
「はい、とっても可愛いです!」
(この一年で少しは男らしくなれただろうか‥‥と、思っていんだけど)
もちろん、佳澄自身はめいっぱい誉めているのだが‥‥なんか申し訳ないです。
「よーし、山をナメるなーっ! 気合い入れていくぞーっ!」
若杉 英斗(
ja4230)が声を張ったのが出発の号令となった。
●
「さ、ハイキングを楽しむとするか!」
佐藤 としお(
ja2489)は、何故か大きなクーラーボックスを担いで登っていた。
「重いでしょ、貸してごらん」
樒 和紗(
jb6970)の担いできたリュックは、砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)に早々に取り上げられた。
「あ、竜胆兄‥‥」
「荷物なんて男に任せとけばいいの。他にも女子で荷物が多い子は手伝うよー」
周りの女子にも軽い様子で声を掛けていた。
「これ、お弁当?」
ジェンティアンが肩の荷物に目をやると、和紗は頷いた。
「ええ、俺と竜胆兄の分を作りましたが‥‥」
「ずいぶん気合いを入れて作ったみたいだね。ふふ、頂上が楽しみだねぇ」
「う、あまり期待は‥‥しないでください」
(うう、やっぱり結構きつそうね‥‥)
潮崎 紘乃(jz0117)は企画者だからとついてきたが、早くも軽い後悔が。
「潮崎さん、大丈夫ですか? 荷物ちょっと持ちましょうか?」
英斗が紘乃の隣に並んだ。
「あら‥‥確か、若杉君だったかしら。いいのよ、先行って」
「でも、一人にするのもなんだし。俺、一緒に行きますよ」
「そう‥‥? ありがと。退屈だったら行っちゃって良いからね」
相手の心遣いを感じる。年下の学生も、こうしてみれば凛々しくも頼もしいではないか。
(ぼっち参加だからこそできる、この行動!)
しかして英斗の内心はこんな感じであったが。
やがて、ディザイア・シーカー(
jb5989)も合流してきた。
「トラブル対応係ってことで、俺も一緒に行こう。まぁ大丈夫だろうが、一応な」
「多分、一番大丈夫じゃないのって、私よね‥‥」
ディザイアはいたずらっぽく口の端を歪めた。
「無理せずな、何ならお姫様抱っこで連れてってやろうか?」
「さすがに、それは遠慮します‥‥!」
●
咲魔 聡一(
jb9491)は絶え間なく映りこむ新鮮な景色に目を踊らせていた。
「すごい! 本当にこんな綺麗な花が咲くんだ‥‥!」
白、黄色、赤。木々の間から差し込む光へと精一杯に茎を伸ばして健気に咲く様子に、手にしたカメラのシャッターを切る。
「見て見て、これ! 僕初めて見た‥‥!」
今度は深い藍色の花を見つけて感動し、その勢いで通りかかった人にまで呼びかけた。
浪風 威鈴(
ja8371)は不意のことにきょとと目線を泳がせた。
「あ! ‥‥す、すみません」
興奮しすぎた自分に気づいて顔を赤くする聡一を、威鈴は小首を傾げて見ている。
「気にしなくて大丈夫ですよ」
彼女と手をつないだ浪風 悠人(
ja3452)が代わりに答えた。威鈴はこく、と頷く。
「どれ‥‥?」
「え?」
「どの‥‥花?」
「あっ、こ、これです」
聡一が示した花を、威鈴は屈み込んで覗き込む。
「わぁ‥‥!」
たちまち子供のような笑顔を浮かべ、悠人を振り返った。
「きれい‥‥だよ、悠人」
「僕の住んでいた場所は光の量が少なく、植物も弱々しいものばかりだったので‥‥生き生きとした姿を見ると和みます」
三人で並んで歩みを進めながら、聡一ははにかんだ。
「俺達もハイキングは久しぶりだから」
「悠人‥‥あれ、何?」
「自然の多いところはいいですよねって道から逸れようとしないでよ!?」
会話の最中も威鈴はあちこちに首を巡らし、悠人が手をつないでいなければそのまま森に飛び込んでいってしまいそうだ。
「あそこ、リスがいますよ」
聡一が二人を呼んだ。足を止め、小動物の忙しない動きを眺めていると、威鈴が呟いた。
「美味しい‥‥のかな?」
「狩りもダメだからね!?」
息の合ったやりとりに、聡一は思わず微笑むのだった。
「ふふ♪」
子鹿のように跳ねるイーファ(
jb8014)の後を、インレ(
jb3056)はゆったりとついていく。
「イーファは身が軽いのう」
「子供の頃は、森が遊び場でしたから‥‥」
隣に並ぶと、イーファは憧れの相手を見上げて笑顔になる。
「私、食べれる野草とかよく知っているんです、お母様に教えてもらって。例えば‥‥あれとか。あれも。花が咲く前なら、摘んでサラダにしたりとか‥‥」
「ほう、そうなのか」
インレは素直に頷く。
「イーファは凄いのう。それに母親の言うことを良く聞いておったのだな」
「はい! ふふ‥‥」
また笑い、二歩、三歩さきへ跳ねていく。インレはその様子に目を細めた。
(先日頑張っておった褒美に、どこぞ遊びにでも連れて行こうと思っておったが‥‥丁度渡りに船だったな)
いつもより明らかにはしゃいでいる、孫同然の少女の背中を追っていく。
鈴代 征治(
ja1305)は暑い中タオルで汗を拭き、都度水を含みながら登っていた。
保冷剤も用意して、手首や首筋、血の集まるところを冷やす。周りにも気を配り、熱中症対策は万全だ。
少し開けた場所に出た。
(田舎を思い出すなあ)
緑に覆われた山々を遠くに見て、征治は故郷に思いを馳せた。
久遠ヶ原に来る前は、毎日山道を20km、自転車で学校に通ったものだ‥‥。
(そうだ、彼女さんに写真を送ろう)
端末を取り出して風景写真を撮っていると、浪風夫妻が森を抜けてきた。
「結構登ってきたなー」
「山‥‥いっぱい‥‥」
悠人の手にカメラがあったのを見つけて声を掛けた。
「よかったら、撮りましょうか?」
二人が並んだ写真を収めてカメラを渡すと、悠人は礼を言った後で征治の端末を示した。
「そっちも撮ろうか? 彼女に送るなら風景だけじゃ寂しいし」
「ん‥‥そうですね、ならお願いします」
佳澄は地図とにらめっこしながら山頂への道を進んでいた。
「えーっと、ここで右へ入って‥‥」
「佳澄殿、山頂はこちらと看板が出ているでござるよ」
「ぅえ!?」
あやうく道を外れそうになった佳澄を、草薙 雅(
jb1080)が呼び止めた。
あわてて駆け戻ってきて、隣に並ぶ。雅は笑いかける。
「それほど気負わなくとも大丈夫でござろう。拙者もお手伝いする故」
「えへへ‥‥ありがとうございます。先輩は頼りになりますね」
会うのは久しぶりだが、どういうわけか(というのが佳澄の認識である)、いつも何くれとフォローしてくれるのが雅だった。
二人の後ろから誰かが追いついてきた。
「よっ、春苑ってのはお前か?」
佳澄は振り返るが、見覚えがない相手だった。
「俺は地堂 光(
jb4992)ってんだ。幼なじみからお前をサポートしてくれって頼まれたんでな」
「幼なじみ‥‥?」
光が名前を出すと、佳澄は「あー!」と叫んでこくこく頷いた。
「ということで、俺も一緒させてもらうぜ」
「うん、よろしくね!」
「あいつ、今遠出してるから参加できなかったんだよな」
「そうなんだ、残念」
「ま、来れたとしても考えたかも知れないけどな? なんせあいつ、高所恐怖症だから」
「え、そうなの!」
光は道々佳澄に語って聞かせる幼なじみ情報は、どうも本人が聞いたら怒られそうな話まで混じっていた。
「あいつには内緒にしてくれよ?」
人差し指を唇に当てて、光は子供のように笑って見せた。
「佳澄殿、また看板が出ているでござるよ」
雅が示した場所に、「山頂 ↑500m」と表示があった。
「わ、もう少しですね!」
「うむ、共に頑張りましょう」
「皆歩くのはやいな‥‥って俺もだけど」
暮太は当初、周りのペースにあわせて登っていたが、途中で考えを改めた。
(折角の機会だし、もっとじっくり味わっていこうかな)
足を緩めると、やがて下からひい、ひいとせっぱ詰まった呼吸が聞こえてきた。
最後尾の紘乃は、英斗とディザイアに付き添われて懸命に登っていた。すでに荷物は英斗に持ってもらっている。
「大変そうですね‥‥俺も上までご一緒していいですか?」
暮太が声を掛けると、紘乃はやっとこ顔を上げた。
「ありがと、励みになるわ‥‥」
「うん、たまにはこういうのも気持ちいいですね」
少し開けた場所で、英斗は景色を眺めて大きく息を吸い込んだ。
「俺の故郷は高い山がないので‥‥こういう景色はなかなか味わえなかったんですよね」
「明石君の故郷って‥‥」
「沖縄です」
暮太が答えると、紘乃はかくと頭を垂れた。
「やっぱり海にするべきだったかしら」
「もう少しで頂上ですよ! ‥‥多分」
英斗が励ました。
「やっぱり、抱えていってやろうか?」
ディザイアの誘いは出発当初に比べてとてつもなく魅力的に聞こえたが、紘乃はかろうじて首を振った。
「大人として、それは‥‥」
「ま、限界になったら言ってくれ」
「のんびり行きましょう。景色も楽しまないと、もったいないですよ」
ディザイアは肩をすくめ、暮太は明るい調子で言うのだった。
●
「つーいたーっ!」
頂上の看板にタッチして、千速が歓声をあげた。
「本当、昔に比べると楽々登れるよなぁ‥‥」
「便利なのは良い事だよ、さーお弁当♪」
啓音が言ったが、千速はお構いなしに肩からリュックをはずした。
大きめのお弁当箱は、梅しそおにぎりに、唐揚げ、オムレツ‥‥ほかにも沢山のおかずで埋まっていた。
「な、あの人に頼んで良かったろ?」
「ん、まあ‥‥」
千速は上機嫌だが、啓音の歯切れは悪い。
いつも料理を作ってくれる家族が不在で、別の相手に頼んだのだが‥‥思春期の少年には、いろいろと思うところがあるのだ。
おにぎりをかじると、しその香りが口いっぱいに広がった。唐揚げは冷めているのにべたべたしないし、オムレツには夏野菜が抱き込まれていて、芸も細かい。
要するに全部美味しいのだが、それがなんだか余計に苦しく感じる。そんなお年頃であった。
啓音はしばらく無言でお弁当をかき込んでいたが、ふととなりを見ると、千速が立ち上がっていた。
「どうしたんだ?」
「美味しいものは正義だよ」
千速は「まあ見てろって」と言い残して突撃していった。
「お弁当も作ってきたんです」
イーファは紙の箱を二つ取り出し、一つを隣のインレに手渡した。
箱の中には、長方形に切られたサンドイッチが詰まっていた。
「ほお、彩り鮮やかで実に上手そうだ」
インレはチキンサラダが挟まれた一つを手に取った。
「‥‥どうでしょうか‥‥?」
老悪魔が時間をかけて咀嚼するのを、イーファは固唾を飲んで見守る。
「‥‥うむ、美味いよ。いくつでも食べられそうだ」
「本当ですか? よかった‥‥」
返事を聞いて、花がほころぶように笑った。
「‥‥良いお嫁さんになれるな之は」
──今は天真爛漫なこの少女も、いずれ誰かに恋をして、自分の庇護から離れていくだろう。
(あ、いかん。涙が)
自分で言って自分で想像してしまい、思わず目頭を抑える。
「え‥‥え‥‥マスタード入れすぎたでしょうか‥‥」
慌ててハンカチを取り出すイーファ。インレは笑顔を取り繕ってごまかしながら、思う。
──マスタード、入っておったのか。
刺激に疎くなった舌は、せっかくの料理の味を正しく伝えてはくれない。ただ、普段の霞を噛むような食事とは違うことも確かだ。
作り手の想いが届いている。そのことを嬉しく思いつつ、インレはサンドイッチを頬張った。
「よかったら、おかず交換しませんかー?」
千速がやってきた。イーファは自分の弁当箱を差し出す。
「私のでよかったら」
「へへ、じゃあこれ」
千速はタマゴのサンドイッチを一つ取った。「お姉さんも、好きなのどうぞ」
イーファが唐揚げをひとつつまむと、「ありがとーございます!」と元気にお礼を言って去っていった。
「ふふ、元気な子ですね」
「そうだのう」
頷きながら、イーファが自分以外の相手とも仲良くしている様子に少し安心するインレ。
「‥‥ところで、学校生活はどうかな。親しい友達などはできたか」
「皆さんに良くしていただいております。この間の授業では‥‥」
身振りを交えて語るイーファの近況を目を細めて聞くインレは、全くの好々爺であった。
「多めに持ってきたので、よろしければ一緒に‥‥」
雅が佳澄に開いて見せた弁当箱には、鰻の海苔巻きがぎっしりと入っていた。
「わあ、いいんですか?」
紙の取り皿に、海苔巻きを二つ取って渡すと、佳澄は喜んで礼を言った。
「えへへ‥‥いただきます!」
大きく口を開けて、がぶり。
「いかがでござろう?」
「むぐ‥‥おいひぃです!」
口をもぐもぐさせながら、満面の笑顔。雅がその様子を眺めていると、光が覗き込んできた。
「お、美味そうだな」
「光くんも食べる?」
佳澄が取り皿のもう一つを差し出すと、光はそれをいっぺんに口に放り込んだ。
「ん、美味い。ありがとな」
あっという間に食べてしまうと、他の所も見てくる、といって離れていった。
「‥‥これまた頑張ったねぇ、和紗」
「そ、そうでしょうか」
ふたを開けたジェンティアンは驚きの声を上げて見せた。
肉よりも魚をメインに使い、旬の野菜も取り入れたおかずの数々。きっと朝から早起きして作ったのだろう。
「じゃ、いただこうか。この煮物が美味しそうだね」
「頂上、自然の中で食べるお弁当は格別ですね」
和紗は普段とは違う景色に心を和ませる。
「料理も美味しいしねぇ」
「ですから、それは景色のせいで‥‥俺の腕が良い訳ではないです」
「謙遜することないよ? 彩りもきれいだし」
照れ気味に苦笑する和紗の頭を、ジェンティアンは「良く出来ました」と言って撫でた。
「でも、やっぱりちょっと多い‥‥ですよね」
二人分と言うには器の選択を間違った気もするし、そもそも和紗は小食だ。
結局、周りの生徒にもお裾分けすることに。
「お、いいのか?」
光などは喜んで食べていたし、他のものにも軒並み好評だったようだ。
「はい、どうぞ」
悠人が差し出したタコさんウインナーを、威鈴はそのままぱくり。
「ん‥‥美味しい」
今度は威鈴が唐揚げを取ると悠人に差し出した。「‥‥あーん」
しばらくそんな風に食べさせ合いっこしたりしてました。このラブラブ夫婦め。
「やっぱり、普段より美味しいなあ」
遠くの景色に目をやりながら、悠人は感慨深く呟いた。
「ハイキングで目一杯運動したし、自然の中は空気が違うし‥‥」
何より、嫁が隣にいる。
これは学園に帰っても変わらないけれど、欠けてはいけないいちピースだ。
「‥‥ふふふっ」
威鈴は悠人の隣に寄り添って、心からの笑顔を向けていた。
「草薙先輩、ごちそうさまでした!」
「お粗末様にござる」
雅のおかげで美味しい昼食を満喫した佳澄は立ち上がった。
「よし、それじゃ旅館に向けて──」
「春苑、地図忘れてる」
元気良く歩き出そうとした佳澄だったが、さっきまで握りしめていた地図を光に渡されて顔を赤くした。
「と、とにかく、出発!」
遅れていた紘乃達は、昼食休憩もそこそこにして旅館を目指す。
「道が広くなってきましたし、もうすぐですよ」
「がんばれー!」
下りから合流してきた颯(
jb2675)や鴉女 絢(
jb2708)にも応援されつつ、何とか旅館にたどり着いたのだった。
●
「はぁ‥‥」
聡一は深く息を吐いた後で、両手に掬ったお湯を顔へと当てた。
温泉の熱が固まった筋肉をほぐしていくのを感じながら、故郷ではなかなか見られなかった風景を、しばらく目を閉じ、思い返す。
「いやぁ〜、生き返るっ!」
その声に目を開けた聡一は、周りを見た。湯船に入ってきた英斗が身体を伸ばしている。
湯気の合間から見えたその様と自分を見比べて、聡一はため息を吐いた。
「一体あと何十年経てば僕の成長期は再開するんだろう‥‥」
湯船の中で、膝を抱えて体育座りした。
一方女湯。
「オチと微エロはあたしに任せて、先に行け!」
歌音 テンペスト(
jb5186)は、登場するなり全裸だった。
‥‥いやお風呂なので当然ですけど。
「‥‥歌音ちゃん、どうし」
「いえなんでもないです佳澄お姉さま! さあ行きましょう」
背中を押して、いざ浴場へごー。
(むむ、これは‥‥!)
バスタオル一枚となった佳澄の身体をざっと見て、歌音はうなった。
「おーっと足が滑った!」
「わわ、大丈夫?」
確かめるべく寄りかかり、頬ざわりで感触をチェックする。
──そこには、絶壁が広がっていた。
「‥‥歌音ちゃん?」
自分の胸に顔を当てて動かない歌音を佳澄は不思議そうに見ている。
やがて顔を上げた歌音は、神妙な顔で頷いた。
「発展途上もまた、素晴らしいものです。アンモラルな魅力がたまりません」
「‥‥あー」
佳澄は困ったように眉根を下げて、自分の胸を押さえた。「歌音ちゃんは、おっきいよねぇ」
「Gカップです」
「‥‥ちょっと、触ってもいい?」
思わぬ提案にばいんと胸をせり出す歌音。
「それはもう好きなだけ揉みしだいていただけますか!?」
「あはは‥‥ちょっとだけね」
スキンシップを楽しむ女湯でした。
「これ下さい」
温泉からあがった聡一は、瓶入りのコーヒー牛乳を買って一気飲みしていた。もちろん、手は腰である。
その奥では暮太が荷物を開いて愕然としていた。
(また、姉さんだな‥‥夜の間は宿の浴衣でいいよね)
男湯から突如美少女が出現、という事態は何とか回避。問題は帰りだが。
「運動した後の風呂は格別だな!」
浴衣姿の英斗が脱衣所から出てきた。
「これで風呂上がりにかわいこちゃんにマッサージとかしてもらえたらサイコーだな! ぼっちだけど!」
風呂上がりとは思えないほど乾いた笑いがでた。
「あら、若杉君‥‥」
隣の女湯から紘乃が出てきて、こっちを見ていた。
「‥‥泣いてない、ですから」
英斗はそう言い残し、背を向け去っていく。
「マッサージくらいなら昼間のお礼に‥‥と、思ったんだけど」
まあ私かわいこちゃんって齢でもないか、と、紘乃は英斗を見送った。
反対を見ると、としおが掲示板になにやら貼り付けている。
「なにしてるの?」
「旅館の許可は取りましたから、是非!」
としおは笑顔で言い残していった。
「これは、なかなかキツい誘惑ね‥‥」
貼り付けられたチラシを見た紘乃は苦笑いするのだった。
●
「お、もう準備できてるな」
麻生 遊夜(
ja1838)が宴会場へ来てみると、すでに人数分のお膳に料理が並べられていた。
「ん、皆で集まって食べるのも良いねぇ」
「宴会場で、食べる」
来崎 麻夜(
jb0905)とヒビキ・ユーヤ(
jb9420)と三人で固まって座った。
やがてすべての席が埋まったのを確認して、雅がグラスを手に立った。
「毎日、激戦激務の中‥‥暑さに負けずハイキング、お疲れ様でした。
今回の体験を今後の活躍に繋がれば何よりです。
それでは乾杯!」
「竜胆兄‥‥」
食事が始まってすぐ、和紗はジェンティアンの袖を引いた。
「はいはい、和紗の小食は分かってるから手伝うよ」
ジェンティアンも訳知り顔だ。
(んー‥‥和紗のお弁当の方が美味しかったけどね)
口には出さずに、和紗のお膳にも手を伸ばすジェンティアンであった。
「草薙先輩、今日はありがとうございました」
「なんの、佳澄殿こそ宿への先導の大任、お疲れさまにござる」
「先輩がフォローしてくれたおかげです」
そう言った後、佳澄は向かいを見やった。「光くんもね!」
「ん? ああ、サポートした甲斐があったな」
答えつつ、光はもりもりと食事に手を伸ばしている。
「‥‥おかわり、持ってこようか?」
「お、頼む」
あっという間に空になった茶碗を佳澄に手渡した。
「姉さんの料理に比べたら、なんでもご馳走だぜ‥‥よーし、じゃんじゃん食うぞ!」
麻夜はお刺身を一切れ箸でつまむと、醤油をちょんちょんとつけて遊夜へ。
「はい、先輩あーんして♪」
「あー‥‥ん、これはなかなか」
「これ、なんだろ?」
「佃煮よな。肉は肉だと思うんだが‥‥」
遊夜が食べてみたが、いまいち何の肉だか分からない。
「鹿や猪を食べてみたいとは思ってたんだが‥‥仮にそうだとしてもこれじゃ分からんな」
何しろ味付けがしっかりしすぎていて臭みもないが風味もない。ご飯には合うが。
「美味しい、の?」
ヒビキが興味深そうに聞いてきた。
「ん、まずまずかね」
すると、ヒビキは遊夜の膝を乗り越えて間に入ってきた。
「‥‥あーん」
目をじっと見て、おねだりすると、遊夜は苦笑した。
「ったく、何時までも甘えん坊だよな」
と言いつつ追いやったりはせずに、小鉢の中身を口へ運んでやる。
「どうだ?」
「ん、美味しいの」
「あ、ヒビキずるい、ボクもボクも!」
ヒビキは満足そうに笑ったが、今度は麻夜がだまっていない。負けじと遊夜に寄り添って口を開けた。
「へへ、あーん♪」
「へいへい、わかったわかった」
遊夜はそんな麻夜の頭をぽんぽんと優しくさすると、餌を待つ雛鳥のようにぱくぱくしているその口へ料理を運んでやる。
「今日も、うん、賑やか」
ヒビキもこくりと頷く食事風景であった。
●
「飯も食って風呂も入った、次は卓球だな!」
浴衣姿の天使となったディザイアが言い放った。
「誰か、俺とやらないか?」
声を掛けると、暮太が手を挙げた。
「お、あんた、いけるのか?」
「子供の頃、卓球部だったんです‥‥懐かしいな」
ラケットを撫でる暮太。ディザイアはニヤリとした。
「それなら、相手にとって不足はねぇな。‥‥さぁ、楽しもうぜ!」
ディザイアと暮太の戦いは健全な名勝負であったが、そのすぐ隣の台では全く不健全な名勝負が始まろうとしていた。
「この戦い──俺は、負けるわけにはいかねえ」
浴衣に身を包み、ラスボスへ立ち向かう勇者のごとく決めているのは赤坂白秋(
ja7030)。
「どうしてこんなことになったのかしら‥‥」
片や同じく浴衣姿の菊開 すみれ(
ja6392)。
二人が行う競技、『野球卓球』。
──説明しよう!
野球卓球とは点を入れられるたび服を一枚脱衣しなければならないというイッケメーン帝国ハックシュン朝に起源を持つ過酷な競技である(原文ママ)!
そんな野球・卓球・野球拳の全協会からもれなくクレームが来そうな競技が今、幕を開ける──!
出だしは静かだった。
野球卓球は浴衣で行うルールなので、HPが少ない。一つのミスが命取りなのだ。
(このままじゃこっちが不利だわ)
すみれは白秋の方が安定感では勝ると感じた。ラリーを続け、こちらのミスを誘うつもりなのだ。
「それなら‥‥仕掛けるっ!」
ストライクショットで隅ギリギリを狙う。しかし、それこそが白秋の真の狙いだった。
隠し持っていた牛乳瓶の蓋──もちろんさっき風呂上がりに一気飲みしたものだ──で、台に落ちるすれすれを狙う。ほんのわずか軌道をずらされたボールは台に触れることなく床に落ちた。
「よっしゃ、アウトだっ!」
「今、何かしたでしょ!」
「何もしてないぜ。際どいところを狙いすぎたんじゃねえか?」
すみれは詰め寄ったが、イカサマは証拠がなければイカサマではないのだ。
「さあ、まずは一枚だ!」
「もう‥‥信じられない。バカなんじゃないの」
すみれは白秋に背中を向けて、手を動かす。
「ん‥‥しょ」
ゆさり。浴衣の一部分が揺れた。
はずしたブラを見えないように片づける。
「絶対に負けないんだから!」
振り返ったときにまた浴衣(の中身)が揺れて、ぶっちゃけ白秋は聞いていなかった。
これで相手の集中力が下がるかも──とすみれは考えもしたのだが、実の所は逆だった。白秋のショットはどんどん鋭さを増していく。
「はあ‥‥はあ‥‥」
ていうか呼吸が荒い。
(このままじゃ‥‥)
逆転の一手を探るも左右に振られ、ついにチャンスボールが渡ってしまう。
「んっ‥‥く!」
いつしかすみれの胸元はおおきく開いていた。あらゆる意味での大チャンス!
「貰った──おっぱああああああああいっ!!」
白秋の渾身の一撃はすみれの浴衣に飛び込んで、胸元をさらに大きくめくれあがらせた。肩が完全に露出し、彼女のふくよかなバストがさらされる。その先には赤色の──衝撃。
白秋の意識はそこで途切れた。
仰向けにひっくり返る白秋の顔面には、赤いラバーのラケットが突き立っていた。
肩で息をしていたすみれは自分の格好に気がつくと、顔を赤くして胸元をかき寄せた。
「もう‥‥見せれるわけないでしょ、ばかっ」
今夜の野球卓球はすみれが2ラウンドK.Oで勝利を収めた‥‥あれ、そんな競技でしたっけ。まあいいか。
●
颯は絢と二人で、ひっそりと旅館の外へ。夜の帳が降りた道を歩く。
「今日は楽しかったね」
「そうだねー」
他愛ないことを喋ったり、喋らなかったり。二人とも翼は持っているけれど。
「こんな風に、ゆっくり歩くのも悪くないな‥‥」
「普段はつい、飛んじゃうもんね」
絢は少し小走りになって先を行った。
坂を上がると、今日登ってきた山と、それを囲む山々が、暗闇の中にうっすらと浮かんでいた。
暗く美しい景色を吸い込まれるように見ていると、風がひゅうと吹き抜けて髪を揺らしていく。
不意に寒気がした。
普段は心の深いところに隠れている穴ぼこを急に冷たく撫でられたような──だけど、それは一瞬。
こわばった手を、すぐに温かい手で包んでくれる存在があったから。
「空を飛ぶのも、地面を歩くのも」
絢に追いついた颯は、彼女の手を取り空を見上げる。
「どちらにしても、一緒だから楽しいのだろうな‥‥」
その横顔を見れば、寂しさはもう消し飛んでいた。
手を握り返して、それだけじゃ足りなくて。
「わっ」
「そうだね、一緒だもんね!」
抱きついてきた絢の肩に颯の手が回されるのを、星々が瞬きながら見つめていた。
●
お風呂上がりの遊夜達三人は、土産屋を覗いていた。
「ん、コレとかどうだ?」
「女の子にそれはどうかと思うんだけど‥‥」
「ん、これは?」
「駄目か‥‥ああ、それは良いな」
寮の家族へとあれこれと見繕っている。
「あいつにはコレがいいだろ」
遊夜はカゴに入れられた木刀を抜き取ると、ぶんぶん振った。
「木刀‥‥お土産の、定番」
「男の子にはいいかもだねぇ」
ヒビキは頷き、麻夜はくすくすと笑った。
寝るまでは一緒にいるつもりの三人は、遊夜の部屋へと向かう。
「なにやら騒がしいな‥‥?」
ドアを開けると、間髪を入れず枕が飛んできて、遊夜の顔面を直撃した。
「先輩!?」「ユーヤ、大丈夫?」
枕がぽろりと落ちる──遊夜は買ったばかりの木刀で見事に防御していた。
「これは宣戦布告ってことでいいのかねえ?」
その言葉を受け取ったのは、征治。
「もちろん、途中参加も大歓迎です!」
彼の提案による枕投げ大会は、まだ始まったばかりである。
「よっしゃ、なら参戦といきますかね!」
「当然、ボクは先輩と同じチームね♪」
「旅館といえば、枕投げ‥‥なるほど」
男子の大部屋は、戦場となったのだった。
●
一方、女子部屋はまったりおしゃべり。
「俺は今はアスヴァンですが、本専攻はインフィなんですよ」
「そういえば今は、専攻を変えられるようになったのよね。樒さんみたいな人も増えているのかしら?」
そんな会話をしていると、時計がぽーんとなって時を知らせた。
「あら、こんな時間なのね」
「もしかして、僕はそろそろ戻らないといけませんか?」
ちゃっかり女子トークに混ざっているジェンティアンが聞いたが、紘乃は笑った。
「私は教師じゃないから、早く寝なさいなんて言わないわよ。‥‥それより、おなかに余裕のある人はちょっと食堂に行ってみない?」
食堂では、としおが鍋に湯を煮立たせて待っていた。
「やっぱ夜は小腹が空くよな〜♪ というわけで、数量限定夜食専用ラーメン屋開店! 食べてって!」
なんと材料持参。大きなクーラーボックスを抱えて山を登ってきたのはこの為であった。
「夜に食べても胃にもたれない、鶏ガラベースのあっさりラーメン! よかったら感想も聞かせてね!」
「あ、本当。脂っこくないわね」
将来自分で店を持ったときのための試作品だというラーメンは、なかなか本格的な出来であった。
やがて枕投げ組もやってきて、即席ラーメン屋は大盛況となった。
「美味しいねえ、歌音ちゃん」
「はい、ところで佳澄お姉さま、今日‥‥一緒に寝たり、とか‥‥」
「あ、うん! 一緒に寝ようよ!」
さらっと聞いてみたらまさかの二つ返事!
「やったお兄さんラーメンお代わり!」
あまりの喜びに歌音は二杯のラーメンをスープまで残さず平らげた。
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翌朝、寝る前にトイレに行かなかった歌音(と、一緒に寝ていた佳澄)に起こった惨事については、乙女の名誉のために詳細は記さずにおくことにする。
ともあれ、ハイキング旅行は様々な思い出を残して終了したのだった。