「海だな?」
眼前に広がるそれはどこまでも遠く、紺碧に透きとおっている。
「太陽だな?」
頭上からは遮るもののない直截な光が燦々と降り注いでる。
「こ‥‥これは‥‥」
ロヴァランド・アレクサンダー(
jb2568)は叫んだ。
「無人島だー!!」
その叫びを聞いたものは、彼を含めてもたったの五人しかいなかった。
●
「無人島に漂流なんてどこの漫画かしらねェ‥‥」
黒百合(
ja0422)は気だるそうに前髪をかきあげた。事実、体が重い。
「ま、とりあえず生きましょうかァ‥‥」
その方策も見つけなければならないのだ。黒百合は嘆息した。
「‥‥俺は、生き残ってしまったのだな」
リンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)はさざ波の音を聞く。
波の向こう、今は遠く見えない大地には彼が守るべきと見定めた人々がいたはずだった。悔恨が彼の胸を突く。──だが。
彼の傍らでは竜見彩華(
jb4626)が砂浜に座り込み、下を向いていた。
僅かでも、彼のそばには生き残った人々がいる。彼らのことは何としてでも守らねば‥‥。
「こんなたい焼きのたの字も無いような場所に留まっていては、俺自身どうにかなってしまいそうだしな」
彼の懐には大好物であるたい焼きが常に納められて──いたのだが、流されている間にどこかへ消えてしまっていた。
「一先ずはこれで、当座の渇きと空腹を癒しましょう」
物見 岳士(
ja0823)が森の切れ目から戻ってきた。南国フルーツらしい黄色の果実を、一つずつ全員に渡す。
かじってみると、多少の酸味はあるがみずみずしくて甘かった。
人心地ついてから、五人はこれからのことを話し合う。
「まずは、この島に何があるのか調べなければいけませんね」
岳士は、まず飲料水や食糧の確保、それから島の全容の確認、そして安全な拠点の確保・構築を挙げた。
「概ね異論ないわァ」
黒百合が答え、それから、流れ着いた物資がないか探すことを提案した。
「他に、何か必要なものはあるでしょうか?」
岳士が改めて全員を見渡したとき、ずっと下を向いていた彩華が顔を上げた。
彩華は首をぐりんと回して、リンドを見る。
いや、正確には彼のほっぺを見ている。
「ドラゴン分が、足りません」
彩華は竜大好きっ娘だった。
バハムートテイマーは彼女の天職だったが、力を消耗している今は召喚獣を呼び出せない。
そして悪魔であるリンドの頬の一部は、特徴的な竜の鱗に覆われている。
「鱗、撫でさせてください」
「へっ」
「明日‥‥いえ、今日のこのピンチを乗り切るために必要なんです! 水分と同じくらい重要なんです撫でさせてええええ!」
ドラゴン分、枯渇。
彩華はリンドに襲いかかった。
「ぎゃうっ! ‥‥ちょ、ちょっと待」
「大丈夫撫でるだけ! 優しくするで! 絶対痛くしねえすけ!」
固まる悪魔を押し倒して中学生女子は荒い息をつく。
「はうう〜! ひんやりさりさりした鱗の感触‥‥これですこれ! 角! 角も触っていいですか!?」
「ま、まあ減るものではないしな‥‥」
結局、リンドが折れることで彩華は存分にドラゴン分を補給することが出来た。
「では、そろそろ島の探索を開始しましょう」
「時間を決めて、ここに戻ってくることにしましょうかァ」
しかし時計がない。太陽が落ちる前に戻ることに決めて、一行は一度分かれた。
●
岳士と黒百合は、森の外周を東から北に向かって歩いていた。
「果物は豊富ですね。当面、困ることはなさそうですが‥‥」
鬱蒼とした森は下草もびっしり生えていて、簡単には入っていけない。
しかし水源があるとしたら森の中か、森を抜けた先に見える山の方だろう。
「仕方ありません、草を刈って‥‥」
湾刀を顕現しようとした岳士の袖を、黒百合が無言で引いた。
視線を追うと、今少し先のあたり。下草が不自然によけられた場所がある。
獣道だ。
「自分たち以外にも、誰かが‥‥?」
「さァ‥‥? 本当に動物が歩いているのかもしれないしィ‥‥」
野生動物なら、可哀想だが格好の食糧だ。
危険を感じないでもなかったが、森に入らずに調べられる場所には限りがある。
「行ってみましょう」
「何が出るのかしらねェ‥‥?」
岳士は表情を引き締め、黒百合は楽しげに口元を歪ませて、慎重に獣道へと分け入っていった。
*
「紅茶もねえ! スコーンもねえ! まさかの俺様遭難しちゃってるっぽい!」
英国系天使・ロヴァランドは歩きながらまだ叫んでいた。
大げさに身を捩って自身の不幸を嘆く。
「どうしよう、もしかしてここで命運尽きちゃうの?」
太陽に向かって手を伸ばし、身体を震わせて──その手を力強く握りしめた。
「‥‥ンなわけ、ねぇだろ?」
渾身のキメ顔。そしてイケボ。
一方彩華は先ほどまでとは打って変わってつやつやだった。
「出来ればまた明日もお願いしますね‥‥あっ!」
リンドに笑いかけたと思ったら、木の生えている方へとぱたぱた駆けていく。
「御主ら、緊迫感とかシリアスってものが足らぬのではなかろーか‥‥」
二人といると、感傷に浸っている暇もない。
ロヴァランドはリンドの肩を抱くと、人差し指を左右に振って見せた。
「俺が泣いたらさ、世界中の女の子が悲しむわけよ。OK?」
どこまで本気で言っているのか──。
「あれ、笑う? 俺様大マジよ?」
「いや‥‥」
思い出したのだ。
学園の他愛ない日常風景。この二人はそれを忘れていない。そして、自分にも垣間見せてくれる。
「こんなところで、立ち止まっているわけにはいかないですから」
彩華が戻ってきた。手の中を開いてみせる。緑の莢に収まったこれは──。
「豆‥‥か?」
「これと果物を合わせれば、餡子が作れるかもしれませんよ!」
にっこり笑って、リンドの手に莢を落とした。
「あとは生地をどうしましょうか‥‥」
リンドの為にたい焼きを作る方法を、真剣に練る彩華。
(そうしないと、後悔にひたるばかりになっちゃいそうだもの)
自分に出来ることを手元に作ること。きっと今はそれが大切なのだ。
*
岳士がライフルを撃ち放つ。しかしアウルの弾丸は入り組んで繁る木々に阻まれた。
「くっ」
敵の位置を再確認する。幸い相手の動きはそれほど素早くはない。
だが──なぜ天魔がここにいるのだろう。
「やはり一度下がった方が‥‥!」
「駄目ねェ。別の天魔に報告されたらやっかいだわァ」
森の中には三匹のディアボロがいた。
応援を呼ぼうにも手段はなく、阻霊符も手元にはない。
今は不意の一撃が生死を分けかねない。あまりにも条件が悪い。
しかし目の前の敵がこの島にいるすべてだという保証もないのだ。
「援護を頼むわァ」
岳士に言い残し、黒百合は前に出た。なるべく木々から遠い場所に立つ。
正面の一匹が、石を投げつけてきた。黒百合は右足を後ろに引いて躱す。
しかし左背後から、別の一匹が距離を詰める。狙ったかはわからないが連携になる。
「危ない!」
岳士が引き金を引く。その音に黒百合が振り向いた。
「捕まえたァ‥‥♪」
至近距離で先手を取った。残された力を振り絞ってスキルを発動する。
トカゲは泡を吹いて力を失い、その場に崩れ落ちた。
「さてェ‥‥残りを片づけるとしましょうかァ」
吸魂符によって相手の生命力を吸い取った黒百合は、妖しく笑った。
●
夜。再び集まった一行は、浜辺が見通せる森の切れ目を今夜の塒と定めた。
「えー、テレビをご覧の皆様、こんばんは。ROV'sキッチンのお時間です」
自ら起こした炎の前で、キリと真顔をしてみせるロヴァランド。
ちなみに炎はサバイバル必須スキル・トーチで起こしました。無人島に必携・ディバインナイト。
「‥‥大丈夫なのか、御主」
リンドが心配そうに見守っている。炎の手柄もあって自分の食材も渡したが、彼は料理文化不毛の地とも言われる英国天使である。
「まあ見てろって! 多分ワンチャンで激ウマ」
「ワンチャンって何だ!?」
悲鳴を上げるリンドだが、もう遅い。
しばらくして出来上がった鹿肉のフルーツソース煮込み‥‥のような何かは、彼が料理の英国面に堕ちきっていることを如実に表す物だった。
黒百合は少し森の中に入って、流木を組み合わせていた。
「それは?」
「薫製を作ってみようとねェ‥‥」
杉を探したが見つからなかったので、手頃な木の葉で流木を覆う。その下から炎を差し入れた。
やがて、緩やかに煙が立ち上り始める。
この上に肉を吊して薫製にするのだ。森の中を選んだのは、煙が上空まで昇ってしまわないためである。
「上手くいくといいわねェ‥‥あはァ♪」
すっかりサバイバルを楽しんでいる様子の黒百合であった。
● 流れ着いて二日目。
朝日が昇って間もなく、黒百合は陰影の翼を広げて上空にいた。
「何もないわねェ‥‥」
島の周囲に、目印になるようなものは見あたらない。ただ、海だ。
島内の様子も見渡す。もしかしたらゲートや、その結界が見えるのではないか──そう考えもしたが、それらしいものはどこにもなかった。
収穫を得ることなく地上に戻ると、岳士が黒百合を呼んだ。
ついて行くと、大きな葉の中に朝露が溜まっていた。
「昨日のうちに、それらしいところを覚えておいたんです」
自分たちは全員飲みましたからどうぞ、と岳士は促す。
「それじゃ、いただくわァ」
顔を近づけ、朝露をすする。昨日は口に出来なかった冷たく透明な水がのどを滑っていった。
リンドが提案して、今日は全員で西へ向かった。
「ここだ」
森が途中で切れており、黒い山土が露出している。
「暖かい‥‥」
岳士が地面に手をおいて、言った。
「もしかしたら、温泉が出るかも知れない」
土を掘ると、リンドの言うとおりだった。地面のすぐ下を、温水脈が通っていたのだ。
「もう少し広くして、敷居を立てよう。憩いの設備を作って鋭気を養わねばな」
太陽が頂点に届く前には、温泉施設が出来上がった。
「先ずは女性陣が使うといい‥‥あ、俺は遠慮しよう。お水は苦手だからな」
リンドは、番をしていると言ってさっさと行ってしまった。
「自分はもう少し上の方を見てきましょう」
「俺も俺も!」
岳士とロヴァランドも離れていく。
彩華は黒百合と顔を見合わせた。
*
「はあ〜、いい気持ち‥‥」
お湯の中で、彩華はお腹のそこから詰めていた息を吐きだした。
やはり、ずっと緊張していたのだろう。やや温めのお湯が体を少しずつほぐしていくのが分かるようだ。
黒百合はというと、温泉のお湯で衣服の洗濯を始めていた。
「大丈夫ですか?」
「硫黄の臭いはないし、海水をつけたままよりはいいと思うわよォ?」
「ううん、私もやろうかな‥‥」
その様子を、遠くから見ている影があった。
──というか、ロヴァランドなんですが。
「女子の風呂を覗かないなんて逆に失礼だろ‥‥?」
温泉はごく簡単な囲いしかない。視界を確保するのは容易だった。ただ、まだ遠い。
もう少し近くで、じっくり鑑賞したい。多少リスクは増すが‥‥。
「ここで引くくらいなら、そもそも来ないっての」
一番近い木に取り付いて、昇り始める。この距離、この角度なら──。
顔を上げれば、ほらそこに桃源郷が!
直後、ドチュンと音がして、彼の顔、のすぐ横の木の幹に大穴が空いた。
「残念、外れェ」
「え、な、何?」
突然光纏してスナイパーライフルをぶっ放した黒百合に、裸のままの彩華はあたふたする。
その原因はすぐ向こうからやってきた。
「ててててててめェ今マジで撃ッたろ!?」
どうやらびっくりして落ちたらしいロヴァランド、黒百合に猛抗議。
「ディアボロかと思ったけどォ、違ったみたいねェ」
「ディアボロが風呂を覗くか!」
しばらく呆然と二人のやりとりを眺めていた彩華だったが、突然我に返って、我を忘れた。
「ていうか何堂々と入ってきてるんすけ! エッチスケベ変態覗き不審者変質者!」
「あ痛ェ!」
囲いの板の一枚を引っこ抜き、ロヴァランドに叩きつける。
「おいどうしたのだ!」
また天魔が出たのか、とリンドが駆け込んできた。
「ひっ──」
彩華はまだ、素っ裸だった。
「‥‥悲鳴!?」
探索を終えた岳士は、彩華の声が響きわたるのを聞いて駆け出す。
当然、お約束はもう一度繰り返された。
●
流れ着いて、四日目の夜。
リンドは不寝番を買って出ていた。
外敵の警戒はもちろんだったが、彼にはもう一つ目的があった。彼は舟を作っているのだ。
ただし、自分のためではない。
「俺は、生まれてずっと不幸なままで終わるのだと思っていたのにな。御主らや‥‥今は安否の知れぬ友らに、心を生かされたのかもしれん」
リンドは熱心に手を動かす。
「だから、ほんの些細な恩返しだ。今度は俺が生かす番なのだぞ」
「馬ァッ鹿野郎、おまえも一緒に帰るんだ」
予期せず、返事があった。
「御主‥‥」
ロヴァランドはリンドに近づき、肩を抱いた。強く。
「俺たちの居場所なんざ、この地上にいくらもあってたまッかよ」
「だが、ここでは俺が乗れるほど頑丈なものは‥‥」
龍人の姿を持つリンドの体は大きく、重い。
「‥‥なぁ、知ってッか。昔々の中国に、連環の計ってェ船を鎖で繋いだ逸話があってな」
設備がないなら、知恵を寄せればいいのだ。
●
船は、それから十日ほどで組み上がった。
小舟同士に板を渡してつなげ、五人が十分乗れる広さと強度を確保したのだ。
「お嬢ちゃんが望むならココに居たって構わねェけど‥‥」
ロヴァランドは彩華を見たが、すぐに首を振った。
「覚悟ァ出来てるっぽい、か。上等だぜ」
「楽しかったですけど、私は撃退士でいたいですから、未練はありません」
言葉通りに、彩華はすがすがしい顔をしていた。
「それで、御主らは、いいのか? 本当に」
リンドは黒百合と岳士に問うた。
二人は、島に残ることを選択したのだ。
「自分は、もっと強くならなければいけません」
岳士はきっぱりとそう言った。
「あのときよりも、今よりも。それが必要だと思うのです」
幸か不幸か、この島は鍛錬相手には困らなさそうだ。
「果報は寝て待てェ、とまで言わないけどォ‥‥そんなに焦っても仕方ないわァ‥‥♪」
黒百合も言った。
確かに、すぐ戻ったとして──戻れたとして、簡単に何とかできる状況ではない。それは三人でも五人でも一緒だ。
だが一方で、このままここにいたからといって事態が好転する見込みもなかった。
だから、彼らは互いに互いを説得しようとはしない。
自分たちが納得いくようにやればいい。もしかしたら万に一つ、何かが変わるかも知れないのだ。
積める限りの食糧を積み、三人を乗せた船が出る。
「目処がついたら、迎えにきます!」
「のんびり待ってるわねェ‥‥♪」
道は大きく、二つに分かれた。
その道のいずれにも戦いがあり、いつかは結末を迎えるだろう。
願わくば、彼らが再び出会う日がありますように。。