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マスター:嶋本圭太郎
シナリオ形態:ショート
難易度:難しい
形態:
参加人数:8人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2014/02/07


みんなの思い出



オープニング

「そろそろ、おしまいですわね」
 薄暗い部屋の中。小野 椿(jz0221)は腕に抱えた木盆の縁を撫でながら呟いた。
「‥‥何の話だ?」
 悪魔レガ(jz0135)はそれを聞いてきょとんとする。自分の考えに無いことを言われたとき、年かさがいってみえるこの悪魔が子供のような表情を見せることを、椿は知っていた。
「お茶の葉が、です。買い置きがそろそろ底をついてしまいます」
 レガの手元には、今日も彼女が淹れたお茶が熱い湯気を立てている。
「‥‥そんなことか。また買ってくれば良かろう」
「そう簡単ではありませんよ。私のことももう知られてしまっているのですから」
「ふむ」
 レガはやはり子供のように口をへの字に曲げた。しばらくそんな顔をしていたが、茶を一口すすると大きく一つ、息を吐いた。
「そろそろ、新しい拠点を決めなければいかんな。候補は絞ってあるが、希望はあるか」
「私には、特に‥‥」
「前は内陸だったからな。海があるところなども面白いかも知れん」
「あなた様のご随意にお決め下さいませ」
 椿は微笑むが、レガは彼女があまり話に乗ってこないので少し面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「さて、そのときの手はずだが‥‥」
「はい。事前のお話の通りに」
 レガが表情を引き締めると、椿も微笑みを収めた。
「私は動けなくなる。いいか、危険を感じたら自分で逃げろよ」
「‥‥私の役目は、あなた様に与えられた職務を確実に実行することのみです」
 レガに見据えられても、椿は目を外したりはしなかった。

「椿」
「何でしょう」
「私には、おまえを何かで縛り付けるつもりなど無いぞ」
 知っている。
 でなければ、母が生き延びたことをわざわざ教えたりするものか。
 この手で殺したと信じた、母のことを。
 椿は目を伏せ、言った。
「そのお言葉もまた、人を縛るものなのです‥‥覚えおき下さいませね」

「とっておきがいる。連れて行け」
「私よりも、レガ様の護衛に‥‥」
「お前が役目を果たせば、私は安全だ。連れて行け」
 それ以上は有無を言わせぬ口調だった。椿は頭を下げ、主の元を辞した。



「群馬県伊勢崎市内で、ヴァニタス・小野椿の姿がたびたび確認されています」
 潮崎 紘乃(jz0117)は神妙な面もちで資料をめくりつつ、言った。
「ゲートはすでに放棄されている地域ですが、まだディアボロの姿は残っており、一般人は立ち入りが禁止されています。そのため死者などは報告されていませんが、対応した撃退士が幾度か撤退を余儀なくされています」
「自分たちで放棄した地域にわざわざやってくる理由は不明だが‥‥。あそこはもう人間が取り返した土地だ。黙ってみているわけにもいかん」
 紘乃の上司である牧田が忌々しげに顔をゆがめて引き継ぐ。
「君たちの任務はヴァニタス、及び取り巻きのディアボロの撃破だ。地域内に残っているディアボロは別働隊が近づけさせない様にする」
 君たちはヴァニタス撃破に専念してくれればいい、と牧田は集まった君たちを見渡す。
「悪魔レガの姿は確認されていないけれど、先に交戦した撃退士の話ではディアボロもかなりの強さだという話よ。気をつけてね」
「なぜ一緒でないのか、というのも現時点では不明だ。‥‥だが、小野椿は支援能力に長けているという報告も来ている。悪魔が一緒でないというなら、逆に撃破のチャンスだ。活躍に期待している」




 私は死んだ人間だ。

 ここにいるのはすでに残骸。散り落ちた花のかすかな残り香──そうだと知っていても。

 選択したことを、後悔はしない。

 手に入れたものも、手放したものも。全て己の選んだ結果。

 今の私は、悪魔の眷属。

 であるならば、せめて──最期まで。


リプレイ本文

 某日、昼過ぎ。

 伊勢崎市内で待機していた彼らの元に、小野 椿(jz0221)出現の一報が入った。
 やはり、悪魔の姿はないという。
「鬼の居ぬ間にという奴だな」
 獅童 絃也 (ja0694)は落ち着いた様子で椅子から身を起こした。
「さて鬼が居ぬ間に早々と決めてしまうか」
 そのほかのものたちも、多くは無言のままに立ち上がり、待機中に強ばった体をほぐす。
 此度の戦いは、決戦だ。
(何故主から離れて行動しているかは気になるが、それもここを撃破してからだ)
 天宮 佳槻(jb1989)は常通り、冷静な思考で状況を整理していく。
 対し、君田 夢野(ja0561)は決意の光を両目にたぎらせていた。
(椿さん、俺は──)
 脳裏に浮かぶヴァニタスは、いつも穏やかに微笑んでいる。その笑みはほんの少しだけ、哀愁を感じさせる。
 老婆の幻を打ち消すように、夢野は奥歯を噛みしめた。

「さあ、行こうか」
 エリアス・ロプコヴィッツ(ja8792)が号令を掛け、彼らは報告のあった場所へ向かった。


 そこは、かつては開発用に整備されたのであろう、開けた空き地。
 今はまるで戦いのために用意されたのではないかと錯覚するその地の中央に、彼女は居た。
 いつも変わらぬ和装に身を包み、薙刀を大儀そうに肩に担いで、雲に覆われた空を眺めている。
 傍らには報告にあったとおり巨大な人型のディアボロがいて、少し上空を鳥型のディアボロが旋回している。
 やはり、悪魔レガ(jz0135)の姿はなかった。

 彼女はなにをしているわけでもない。ただ、雲の流れを見るともなしに見ていた。
 椿はこちらに気づくと、ゆっくりと視線を動かす。
 そこにいる一人一人を大事そうに見やって、表情を確かめるようにしたあと、満足そうに笑みを浮かべた。

「なんて優しそうな方なの。こんな人がヴァニタスなんて‥‥」
 山里赤薔薇(jb4090)は初めて目の当たりにするその姿に言葉を失った。キイ・ローランド(jb5908)もまた、資料で見る以上に柔和な雰囲気を持つたたずまいを見て首を傾げる。
「これまで悪魔として活動してきたなら立派な討伐対象だよね。‥‥でも何でだろうね。彼女からはあんまり悪い雰囲気は感じない」
「あの人は、あの人の正義の為に行動した結果、ヴァニタスになった」
 そう言ったのは、佐藤 七佳(ja0030)。
 彼女の言う『正義』とは、『生きることを諦めない』こと。幾多の戦いと葛藤を経て、たどり着いた答えだ。
「なるほどね。己の信念に従う、確かにそれだけなら善悪なんて関係ないもんね」
 キイは得心がいったという顔で頷いた。
「だけど、人の社会に仇なす存在になった以上は、倒すべき敵だわ」
 七佳は表情を変えず、そう言いきった。赤薔薇はそれを聞いて、胸の前で拳を握りしめる。
「んむ〜、こうなれば、椿んに終のよき旅路をじゃの〜」
 ハッド(jb3000)が言った。彼には、椿自身がそれを望んでいるようにも感じられた。
 彼女の望みを聞いたことはない。かつて意志疎通で内心を聞こうと試みたことがあったが、そのときも反応は返ってこなかった。
 それでも、今こうして撃退士の前に立つ老婆の姿は。
「ふむ〜‥‥」
 ハッドは双子のことを思い浮かべる。
 何か一つ、彼らのために遺してやりたいと考えながら。

「それじゃあ、頼む」
 亀山 絳輝(ja2258)は夢野に軽く頭を下げた。
「‥‥いいんだな?」
「私の任務は別働隊だからな」
 夢野に言葉を返すその表情はサングラスに阻まれ、窺えない。
「その‥‥頼む」
 もう一度言った。
「分かった」
 夢野はそれ以上は聞かなかった。「目途がついたら、戻ってきてくれ。回復役がいないからな」
 絳輝は頷くと、背を向け駆け去っていった。


「今日は冷えますねえ」
 椿が一歩、前に出た。絃也などは密かに腹に力を入れたが、老ヴァニタスはあくまでも穏やかな空気を崩さない。
「かつてであれば、こんな日は‥‥大抵は臥せっておりました。こうして寒空の雲を眺めて時を待つことが出来るのも、この身のおかげ」
「貴方の見た夢は、実に心地のいい‥‥悪夢だったんだろうな」
 夢野が応えた。
「だけど、夢は何時か醒めるものだ」
 椿は首を振る。
「夢であっても、私のすべて‥‥未だ、醒めるつもりはありません」
「俺たちが、貴方の夢に朝を告げる。夜明けの喇叭を吹き鳴らし、貴方を──」
 足下から立ち上るオーラが炎のように揺らめき、光を放った。
「貴方を撃ち退ける。その為に俺はここに来た」
 愛用の長剣をその手に顕し、見得を切るように一度大きく振りかざす。
「さあ始めよう、小野椿。俺は決して────躊躇わない!」

 ひゅう、と風が強く吹いた。それは突きつけられた夢野の長剣を撫でるように抜けて、椿の整った白髪を揺らした。
 つかの間目を閉じ、風を受け止めたあと目を開く。椿はまっすぐに、夢野を見返した。笑みはない。
「全力で、迎え撃ちましょう。必ず戻るよう、言われておりますから」
「きっちり手足4本、最低でも右目は貰っていくよ」
 そう言ったのはエリアス。
「ヤエコに一本、ユウカに一本、ナオとユウに一本ずつ」
 それが支払うべき対価だ、と少年魔術師は告げる。
「悪魔との契約は高くつくものさ」
「我が主様は、もっと良心的ですよ‥‥ですが」
 椿は薙刀の刃を下に向けた。
「欲しいというのならば、力づくで取りにいらっしゃいな」
「そうさせて貰うさ、もちろん」
 椿の背後にいた二体のディアボロが動き、エリアスは灰燼の書を素早くめくった。



 上空を旋回していた怪鳥が一息に高度を上げた直後、エリアスの生み出す13の猟銃が一斉に火を噴いた。
 それは椿と、彼女を守護するように前に出てきた巨人へ向けて、魔法の弾丸を撒き散らす。
 さらに赤薔薇がファイヤーブレイクで続いた。同じ場所を狙った火球が炸裂し、相手を瞬く間に炎に包み込む。
(思ったより近くにいないな)
 佳槻は椿と巨人の位置をはかり、眉をひそめた。彼の範囲攻撃では巻き込めない。
 ならば、と巨人の動きを止めることを狙う。だが佳槻の放った八卦石縛風は、巨人の前に生み出された白い壁によって防がれた。
「やっぱり、あのくらい離れてるだけじゃスキルは届くみたいだね」
 キイが味方の連続攻撃で立ち上った煙を盾で押し払いつつ言った。
(倒しにかかるとなったら、もっと引き離さなくては)

 十メートルほどの上空を舞う怪鳥・フィアフルバードは青い尾羽根を翻し、曇天に鳴き声を響かせる。
 直後、黄色いくちばしの先が発光し、放たれた白熱線が地上から見上げる七佳を──捉えようとする直前に彼女は身をかわす。熱線は地面を穿った。
「空中からの長距離攻撃‥‥定石ね。でも、そこは安全じゃないわ」
(まだこの力は見られていないハズ)
 七佳は一度ちらと椿を見やると、意識を再び空へと。
 背中に回った彼女の『偽翼』から、三枚の光の翼が生じた。

 それは追い求めていた『正義』の意味を自覚した結果、彼女の中で目醒めた力だ。

 七佳は上空へと舞い上がる。駿脚は空でも健在、瞬く間に怪鳥の真下へたどり着いた。
 絶好のポジション。
 射出されたワイヤーが怪鳥を追う。怪鳥は風に身を滑らせて回避しようとしたが、ワイヤーは右翼を絡め取った。
 七佳が力を込めて引く。無数の赤い羽と共に、血液とおぼしき赤い体液も宙に舞った。
 だが怪鳥は動きを止めない。ワイヤーからすり抜けると、高度を落として速度をつけながらも首をねじり、七佳へと反撃の光線を放つ。
「ぐっ」
 躱しきれず、わき腹に熱を感じる。白の外套を切り裂かれ、焦げたような匂いを鼻に感じた。
 地上からはエリアスが、そして七佳のさらに上空からは闇の翼を広げたハッドが怪鳥を狙う。翼を狙ったエリアスの攻撃は躱され、ハッドの攻撃は背中に当たったものの、それで敵が動きを落とす様子はない。
「むむ、すばしっこいのう〜」
「早く落としてしまいたいところだね」
 翼をはためかせ、再び七佳に向き直ろうとする怪鳥を見やってハッドは唸り、エリアスは言いしれぬ予感を感じて眉根を寄せた。

 椿を護るかのようにして彼女の前に立つのは、身長2mを優に超える巨人、テリブルオーガー。
「鬼の居ぬ間に、とは言ったが」
 絃也が口の端をわずかに歪め、呟く。「これもたいがい鬼らしいな」
 体格の良さで言えば悪魔レガをも上回る。
「ガアアアアアッ!!」
 もっとも、知能は及ぶべくもないが。
 絃也が闘気解放で自身の能力を底上げする間に、夢野とキイは巨人に接近する。夢野が長剣で切りつけたが、振り上げられた巨人の拳はキイをめがけて振り下ろされた。
「‥‥っ」
 咄嗟に盾を掲げ、直撃を防ぐ。盾を通じて脳髄を揺らされ、一瞬意識が飛びそうになるが何とかこらえた。
「大丈夫か!?」
「何とか!」
 夢野には気丈に叫び返したが、相手も力ばかりというわけではないらしい。あるいは、後方にいる椿の援護だろうか。
 椿は薙刀を構えてはいるものの、前に出てくる気配はない。巨人との距離は一定に保ち、今は回復に当たっているようだ。
 再び赤薔薇の生み出した火球が、敵の中心で炸裂する。白壁は巨人を護るように生み出された。
 爆風が収まらぬうちに絃也は巨人の側面に回り、わき腹にめがけ肘撃を叩き込む。
 『徹し』を乗せた一撃ではあったが、巨人は体勢を崩すこともなくそれを受け止めた。反撃を警戒した絃也だが、上空からの気配に視線を動かす。
「‥‥来るぞ!」
 巨人の正面に立つ夢野、絃也とは反対側のキイ。彼らの背後を急降下してきた怪鳥が高速で通り過ぎた。置きみやげに火花を一つ、漂わせ──直後に爆発。
 警告もあり、背後から直撃とはならなかったが、その威力に二人は冷や汗を流した。
「今のは、レガの技と似ているね」
 エリアスはその光景を離れた位置で眺めてそんな感想を抱いた。もっとも、爆発の範囲は少し狭いようだ。
「あの巨人と合わせて、ちょうどレガ一人分って事か‥‥」

 怪鳥は七佳の追尾を受けていたが、無理に彼女を振りきろうとはせずに戦場の上空を縦横無尽に動き回っていた。
 長射程の光線はエリアスやハッド、赤薔薇らをたびたび狙ったし、爆発は巨人の抑えに当たっている絃也たち三人を狙って放たれた。
 本来であれば怪鳥の動きを止め、早期に落としてしまうのが理想の作戦ではあったが、連携の不足もあってここまでそれは上手く行っていなかった。
「天界の力の一片、見せてあげるわ。偽翼制御術式[葬花]起動ッ!!」
 七佳が怪鳥の直上を取り、背中の偽翼にありったけのアウルを流し込む。そこから生まれた光の刃が、怪鳥を立て続けに切り刻んだ。
「ジャアアアアッ!」
 怪鳥は苦痛の叫び声をあげたが、それで動きを落とすようなことはなかった。大技の反動で動きを止めた七佳を振りきり、再び降下する。
 今日三度目の爆発が、絃也と夢野の背後で起きた。
「くっ‥‥これ結構きついな」
「巨人の相手もしながらだからな。上空に注意を払いつつ、というのはなかなか骨が折れる」
 そこへ、巨人が蹴りを見舞ってくる。二人はそれぞれに飛んで躱した。
 それを見て、キイは椿をねらう。ヴォーゲンシールドで殴りつけようとすると、巨人がすかさず間に入り込んでそれを受け止めた。
「どうした巨人。君の相手は自分だぞ?」
 挑発するように声をかけるキイに、巨人はうなり声で応えた。
 もっとも耐久力のあるキイが積極的に巨人の攻撃を集め、また椿は回復を優先してあまり仕掛けてこない為何とか戦線を維持できてはいる。
 だが、こちらは回復手段に乏しい。時間が経てば不利になるのはこちらの方だ。

「んむ! また素早くなったの〜」
 ヘルゴートで強化した一撃を躱され、怪鳥をねらっていたハッドは唇をとがらせる。
 エリアスも当初から翼や頭など、ダメージの大きそうな部位を狙って射撃をしていたが、時が進むほど、怪鳥の負傷が目立つようになるほどそうした攻撃は狙いを保てなくなっていた。
(とにかく、これ以上時間はかけられない)
 エリアスは上空の二人に視線を送る。動きを止められないのならば、集中攻撃で落としてしまうほかない。
「ふむ、では我輩からいくかの〜」
 高い位置を取っているハッドがまずは魔法の雷を怪鳥に向けて落とす。怪鳥は素早く旋回して躱すと、くちばしの先を彼に向けてきた。
「!」
 光線がハッドの左肩を貫く。衝撃に揺さぶられ、危うく雷霆の書を取り落としそうになった。
 その一瞬は、再び怪鳥へと距離を詰めていた七佳には好機となる。
(まずはこの敵を撃破する‥‥地上のことは、今は考えない)
 背後の偽翼に力を込め、全速力で怪鳥へと迫る。
「今度こそ‥‥[葬花]ッ!」
 光の刃が幾度も切り裂き、赤い羽が無数に散った。

「いけない‥‥」
 椿が空を見上げた。力を失った怪鳥が高度を下げようとしている。
 それまで巨人の後方に控えていた彼女が怪鳥を追おうとして動く。直近にいた三名は巨人を抑えることに注力していたため、反応が遅れた。
 だが、怪鳥が落ちてくる、その位置にはすでにエリアスがいた。
 彼は大鎌ウォフ・マナフに金色の刃を纏わせて落下する敵を待ちかまえていた。
「逃がさないよ」
 怪鳥は高度数メートルで意識を取り戻し、再び飛翔しようとする。だがエリアスを素通りすることは出来なかった。
 高速で通過する敵に刃を合わせ、エリアスはただ踏ん張る。
 魔法の刃が怪鳥の胴体と左の翼を両断する。怪鳥は地面に落ち、そのまま動かなくなった。



 怪鳥が落ち、状況は変わった。
 このとき椿は怪鳥を援護しようと巨人の元を離れていた。夢野、キイ、絃也に三方を囲まれている巨人はその動きに追随できない。
 ヴァニタスとディアボロの間にこれまでにない距離が開いていた。
「──っ」
「悪いけど‥‥それはさせられない!」
 椿は戻ろうとしたが、夢野はそれを見逃さなかった。すかさず接近し、左手を繰り出す。
 圧縮された音が椿との間で炸裂した。椿は薙刀の柄をかざしたが、勢いを減じることは出来ずに数メートル後方へと飛ばされる。
「くっ」
 椿は自分の力をよく理解していた。だからこそ夢野と相対するのではなく、巨人の近くへ戻ろうとしたが、夢野を避けてもそこには刀を手にしたキイがいた。
「もう合流はさせない!」
 体重の乗った突きに阻まれ、椿は巨人との差を詰められない。

 対巨人には絃也が残り、赤薔薇、佳槻が援護していた。だが佳槻の石縛風は使い切り、巨人の動きを完全に止める手だてはすでにない。
 近接の攻撃手段しか持たない巨人は、必然的に絃也を狙う。その動きは素早く、戦い馴れた絃也といえども完全には捌ききれない。
 援護射撃を隠れ蓑に、側面に回った絃也は連続技を繰り出して相手の体勢を崩そうとするが、逆に技の出し終わりを狙われて拳をまともに受けた。
「‥‥重いな」
 一度距離を取り、間合いを測りながらスキルでわずかばかりでも傷を癒す。
 これで、何とかあと一撃はもつだろうか。
 絃也は刹那の間思考して、後方の二人に声をかけた。
「すまん暫し場を任せる」
 そして、巨人を目の前にしたまま精神を集中し始める。
「援護を」
「は、はい!」
 佳槻は少しでも巨人が絃也から気を逸らすように別角度から射撃を行い、赤薔薇に呼びかける。
 赤薔薇は両手のひらに生じさせた火球を合わせ、巨大な火球を胸の前に生み出す。
「私の必殺技‥‥くらえ!」
 大火球が巨人に正面からぶち当たり、その身を業火に焼いた。それでも倒れず、巨人はやや緩慢な動きで右手を振り上げる。
 動けずにいる絃也に向け、振り下ろした。
 脳天に直撃を受け、絃也の鍛え上げられた肉体が揺れる。頭から離れた巨人の拳からは血が滴った。
 だが、絃也は倒れなかった。
 両の眼をしっかりと開いて、巨人を見据える。
「引導を渡してやる」
 頭から血を流しながら。
 練り上げた気を両手のひらに乗せて、乾坤一擲の虎撲を巨人の腹へと叩き込んだ。
 腹から、背中へと力が突き抜ける。
「ゴァッ‥‥」
 巨人はがくん、とうなだれ、一度膝をついた。
 が、しかし。
「ガアアアアアア!!」
 咆哮と共に顔を上げると、左腕を振り抜く。絃也は動けず、それをまともに浴びて吹き飛ばされ、意識を失った。
 目の前の敵を排除した巨人は、視線を巡らせる。目を留めたのはやはり、守護対象である椿のいる方だ。
 そちらへと一歩向かおうとして。
「まだだ!」
 赤薔薇が再び、大火球を巨人に向けていた。
「一発でだめなら、もう一発!」
 放たれた灼熱の炎が巨人を包む。
 炎に包まれながら、巨人は椿たちの元へ向け一歩、二歩と歩いたが、彼女の元へたどり着く前についに膝を折り、その場で事切れた。



 残るは椿一人となった。

 椿は開戦前と同じように、口元に緩やかな笑みを浮かべた。だが薙刀は手放さない。
 こちらは絃也が戦闘不能となっているが、残る七人は負傷はあれど、健在だ。
「この期に及んでも、レガは来ないんだね」
 大鎌を手にしたエリアスが言った。
「主様は、別件です」
「それは、次のゲートを作っているという事か?」
 佳槻が問うた。「場所は?」
「──ふふ。それはさすがに、教えられないわねえ」
 会話に応じたのは、少しでも体力を回復させようという意図があったのかもしれない。
 その体が淡く発光しようとしたとき、すかさずキイがシールドバッシュを放った。
 回復動作を封じたキイは、椿の退路を断つように立つ。
「可能性は潰した。さあ、覚悟を決めて己の信念の下に逝け」
「信念、ね」
 椿は考えるようにする。
「私の今の信念は、主様のために全力を尽くすこと」
 己に、周囲に言い聞かせるように。
「であれば、最後まで──戦わなければ!」
 言葉尻を強めて右後方、キイの位置に向かって足を踏み出し、薙刀を振るう。キイは魔具で受け、金属のこすれる音が再び戦場に響く。
 それを合図に全員が再び動いた。ハッドの雷が椿の足下で爆ぜた瞬間、彼女の背後には赤薔薇が姿を現す。
「ごめんね、ごめんねおばあちゃん! こんど生まれ変わったら必ず救うから!」
 詫びの言葉を口にしながら、手にした大鎌で首を狙う。椿は身を捩ってそれを躱す。
 間髪を入れず、七佳が突撃してくる。
「これが、今あたしが放てる最大の一撃。雷霆の如くッ!」
 上空から、光の翼を顕した彼女の急降下突撃。突き出された切っ先を椿は薙刀の柄で受けたが、勢いを殺しきれずにおおきく体勢を崩した。
 背後にいる赤薔薇を避け、左後方に一歩大きく踏み出す。誰もいないその位置に、瞬間移動でエリアスが現れた。
 大鎌を構え、準備は万端。正面からはタイミングを合わせ、夢野が距離を詰めていた。
「今だ、さあ!」
「夢から醒める時が来たんだ、椿さん!」


 白刃が椿の視界を覆い、奏でる旋律が耳を抜ける。
(これで‥‥終わり‥‥)
 あっけないものだ。

 恐怖も、痛みもない。心地よいほどに、緩やかに力が抜ける。

 白く染まった視界の中に、いくつもの顔が浮かんでは、消えていく。

 家族であった人や、この半年あまりに出会った多くの撃退士たち。
(思えば、ずいぶんたくさんの人たちの手を振り払ってきたのね)
 その罰は、これから受けるのだろう。


 旋律の終わりは、自らが地面にくずおれる音だった。



 戦場に戻ってきた絳輝が最初に見たのは、倒れている絃也だった。
 意識を失っていたが、助け起こし回復を施すと、程なく目を覚ました。
「‥‥戦いは?」
 頭を振って意識をはっきりさせつつ、絃也が絳輝に聞く。
 絳輝は力ない声で答えた。
「終わった‥‥みたいですね」


 椿は土の上に仰向けに倒れていた。
「‥‥もう‥‥?」
 絳輝は声を震わせながら夢野に聞く。
「まだ、息はある。けど」
 その先を聞く必要はない。絳輝はまろぶようにして椿の元へ行くと、屈み込んでその手をとった。
「食事、行けませんでしたね」
 祭りの夜に交わした他愛ない約束は、ついに果たされることはない。
 絳輝は椿の手を愛おしそうに撫でる。その手はしわがれているだけでなく、血にまみれている。
 椿がゆっくりと目を開き、絳輝を見た。
「‥‥ごめんねえ」
 聞こえていたのだろうか。椿は空いている手を絳輝に向けて伸ばそうとした。
 絳輝はその手を途中で取ると、胸元に寄せた。
「ごめん。ごめんな」
 呟くように。
「椿はんが望みを選択したこと、肯定はできへん」
「なら、何故泣くの」
 サングラスのレンズを伝って、涙の雫が落ちていた。
「ただ、ほんの一時すれ違っただけの‥‥老人が一人、死ぬだけよ」
 絳輝は首を振る。
「あんたが、後悔してへんなら‥‥最後に咲いた年月を幸せやったって言えるなら」
 普段の口調はどこかに消え、生来の言葉が顔を出している。椿は目を細めて、彼女の言葉を聞いている。
「うちには、それだけで。
 十分、あんたの死に泣いて縋るだけの、大義名分や」
 椿は震える手で、絳輝の頬を伝う涙を拭った。
「後悔は、しないわ。それだけはしないと、誓ったから」
「そうか」
 絳輝はそれ以上言葉にできずに、椿の手を抱いて泣きじゃくっている。
 無理矢理笑おうと歪めた笑顔を伝って、涙の雫がいくつもいくつも、椿の体と顔に落ちていた。

 その様子を、八人の撃退士が囲んで見ていた。
 七佳や絃也はただ淡々と、その様子を眺めていた。
「輪廻の輪に戻れ。それが手向けの花だ」
 絃也がそんなことを言った。

「おばあちゃん‥‥ごめんね‥‥」
 赤薔薇は一緒になって泣いている。

(よくあることだ)
 佳槻もまた、淡々と思考していた。
(出会う場所、利害によってまるで違うのは人にもよくあること)
 因縁と言う程のものはない。
 ただ、やるべき事をやる為に来た。それだけだ。

「‥‥最後に言い遺すことがあれば、聞こうか」
 エリアスが、椿に向けて言った。隣でキイが頷く。
「主への忠義を示すか」
 椿はゆっくりと首を振った。
「‥‥なにも」
 大儀そうに、ゆっくりと息をつく。
「私はめいっぱい、わがままに生きたもの。これ以上、なにも遺すことはない。もう、十分‥‥」
「椿さん」
 緩やかに、目を閉じようとするそこへ、夢野が声をかけた。
「最期の頼みを聞いてくれ」
 椿は答えなかったが、目を閉じるのをやめて、夢野に視線を送った。
「尚矢君と勇矢君に何か言ってあげて欲しい。祭の時とは違う、貴方の本音を」

 人々に忘れ去られていた群馬県が再び記憶に戻ってから、椿は孫である双子と二度、顔を合わせた。だがそのいずれも、手を触れることすらなかった。
 それは多分に自分がそうし向けたのだと、夢野は負い目を感じ続けていた。
 今ここで本音を問うことは、果たして彼の自己満足だろうか。

「私の、細い手に‥‥抱けるものは、少ない」
 椿は、ぽつり、ぽつり、と口を開く。
「だから、たくさんの、ものを、投げ捨てて、ここまで来たのに」
 夢野に向け、困ったような笑顔を。
「あなたは、ひどい人ね」
「椿さん‥‥」

「貴方が脅かした、愛すべき家族達の顔を思い出しながら死ぬんだ」
 エリアスが言った。
「それもまた、貴方が支払うべき対価さ」

「ナオ‥‥ユウ‥‥」
 椿は目を閉じた。というより、もう開けないのかもしれない。
「だ‥‥」
 口元はなお緩やかに動いたが、声は発せられなかった。
「椿さん‥‥椿さん!」
 夢野が呼びかけたが、返事はなく。

「もう‥‥行ってしまわれたで」
 絳輝が、ずっと握りしめていた手を、そっと下ろした。


「最期は‥‥なんと言っていたんだろう」
 夢野はもう動かない口元を見つめる。何か、口にしていたが、それは言葉にならなかった。
「抱きしめてやれなくて、ごめんなさい‥‥そう、言っていたようじゃの」
 後ろからやってきてそう告げたのは、ハッドだ。
「聞こえたのか?」
「頭に、声がの。我輩は意志疎通で、何か言い遺すことはないかと問いかけておったからの〜」
 これまで何度呼びかけても、椿から何か返ってくることはなかったが、最後の最後で──あるいは、意識していなかったのかもしれないが、問いの答えが返ってきたのだった。
「そうか‥‥」
 最後の唇の動きに、言葉を乗せてみると、それは確かにそう言っていたように思える。
「ありがとう‥‥貴方とは、違う形で会いたかった」
 夢野は目を臥せた。別れに贈る涙が頬を伝って滴り、固い地面に吸い込まれてつかの間、彩を変えた。



「この件をあの家族に伝えるのなら、僕が行きましょう」
 佳槻がそう言った。自分なら、事実を正確に伝えることが出来る。
 考察は出来ても、共感は出来ない‥‥そんな自分だからこその役目だと、佳槻は考えた。
 だが、夢野は首を振った。「いや、俺も行くよ」
「俺は、行かなきゃいけないような気がするんだ」
「皆で行けばいいと思うの〜」
 ハッドもそう言った。
「椿んの最期の言葉を、すぐ伝えるかは、考える必要があるかもしれんがの」
 子供たちがもう少し大きくなって、すべてを受け入れる器が出来てからの方が、正しく受け止められるかもしれない。
 戦いは終わった。椿の家族になにをどう告げるか話し合う彼らのそばで、ヴァニタスだった老婆が安らかに眠りに就いている。


●別の場所・1
「なあ‥‥ばーちゃん?」
「なんだい」
「おばあちゃんはさ‥‥」「もう、戻ってこないのかな」
 病室のベッドの上で、隻眼の老婆は子供たちの頭を順繰りに撫でる。
「いつか、分かるさ」
 窓の外の曇り空を見やった。


●別の場所・2
 赤銅の肌を持つ悪魔は目を開けた。
「そうか」
 ひとしきり首を巡らせてから、ぽつりと呟く。「戻らぬか」
 立ち上がり、肩を回しながら歩き出す。
「茶が飲みたいな」
 誰もいない部屋に、独り言は空虚に響いた。



 伊勢崎市における【群魔】の戦いは、この日を持って一つの区切りとなった。
 以後、街は復興へ向けて緩やかに歩みを進めることとなっていく。


  (了)


依頼結果

依頼成功度:成功
MVP: −
重体: −
面白かった!:7人

Defender of the Society・
佐藤 七佳(ja0030)

大学部3年61組 女 ディバインナイト
Blue Sphere Ballad・
君田 夢野(ja0561)

卒業 男 ルインズブレイド
厳山のごとく・
獅童 絃也 (ja0694)

大学部9年152組 男 阿修羅
新世界への扉・
エリアス・ロプコヴィッツ(ja8792)

大学部1年194組 男 ダアト
陰のレイゾンデイト・
天宮 佳槻(jb1989)

大学部1年1組 男 陰陽師
我が輩は王である・
ハッド(jb3000)

大学部3年23組 男 ナイトウォーカー
絶望を踏み越えしもの・
山里赤薔薇(jb4090)

高等部3年1組 女 ダアト
災禍塞ぐ白銀の騎士・
キイ・ローランド(jb5908)

高等部3年30組 男 ディバインナイト