依頼を終えた時入 雪人(
jb5998)と安瀬地 治翠(
jb5992) は、街中を並んで歩いていた。
「ハル、早く帰ろうよ」
「せっかくここまで来たのですから、少し歩きましょう」
拗ねた顔で治翠の袖をぐいぐいと引っ張る雪人。だが治翠もここは譲らない。
(当主の引き篭り脱却の為もありますしね)
「やっぱり、怒られるかなあ」「かなあ」
病院の前で、同じような背格好の子供が二人。
「撃退士の兄ちゃんたちに、お願いすれば良かったかな」
「でも、『イライ』はお金がいるんだよね」
なにやらこちらに関わることか、と雪人は子供たちに近づく。
「君たち、どうしたんですか?」
同じ顔立ちの彼らが、振り返った。
●
「こっちもどうやら激戦だったみたいですね‥‥頭さえ潰せれば終わり‥‥というわけにはいきそうもナイか」
天羽 伊都(
jb2199)は病院内を歩いてそんな感想を口にした。
群馬のその後を知ろうとここへきた伊都は、持ち前の性分で入院患者を手助けしたりするうちに、伊勢崎市を支配していたという悪魔の名を聞いたのだった。
「とはいえゲートは既に放棄済み‥‥今は何処にいるのやら」
慌ただしい病院の空気を少しでも和ませようと、伊都は患者たちと積極的に交流を図っていた。
「おや、あれは‥‥」
中庭の方にやって来ると、ふと見覚えのある姿に気づく。
赤い髪の小柄な少年、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)がなにやら子供たちを集めていた。
「よく見ていてくださいね」
エイルズレトラはコインが子供たちの目によく止まるよう、ゆっくりと彼らの前で手のひらをスライドさせる。
それからさっと手を振ると、次の瞬間手のひらのコインはいずこへと。
子供たちがわっと歓声を上げた。その様子に、彼も満足そうに微笑む。
伊都が中庭に降りてきたのは、そんな時だった。
「‥‥入院してるんですか?」
「いえいえ、今日はマジシャンとして慰問に来たんですよ‥‥怪我もしてますけどね」
取り出したカードを片手間にきりながら、エイルズレトラは答えた。
「最近、戦闘ばかりで殺伐としてますからねえ。たまには、お客さんの笑顔で潤いを補給しないと、ねえ」
子供たちは目を輝かせている。
「よかったら、手伝いましょうか?」
「そうですねえ‥‥人も集まってきましたし、もう少し派手なものも披露しましょうか」
伊都の申し出に中庭をぐるりと見渡すと、一つうなずいた。
●
ラファル A ユーティライネン(
jb4620)は、前日からこの病院で過ごしていた。依頼で負傷して急患として運ばれてきたからである。
外見から重傷と判断され、当座の施設としてここへ運ばれたのだが、その実深刻な症状はなかったので、今日にも退院できることになっている。
そんな彼女は、病院の廊下を車椅子で進んでいた。付き添いはおらず、自分で車輪を回している。腰から下は毛布が掛けられていた。
「よっ、と」
部屋の前で身体を伸ばして、引き戸を開く。がらがらと音が鳴って、中のものが顔を向けた。
「おかえり」
奥のベッドに寝そべった老婆、小野八重子から声がかかった。
「中庭で、何か面白そうなことをやってたぜ。見にいってみたらどうだ?」
ラファルはそう言ったが、八重子はゆるゆると首を振った。
「今は正直、体を起こすのも億劫でねえ‥‥」
「リハビリするなら付き合うぜ?」
「リハビリをしても、どこまで良くなるのやら」
八重子は嘆息した。
「再起不能、なんだっけ。見た目だったら、俺の方がひどいのにな」
そう言って、ラファルは毛布をたたく。毛布はなんの抵抗もなくへこんだ。
彼女の四肢はすべて義手・義足であり、損傷した両足は今取り外されていた。毛布は周りを驚かせないようにかけているだけで、その下にあるはずの彼女の肉体はどこにもない。
「それでも、俺は撃退士をやってる」
「斬られ所が悪かったんだろうね、アタシは」
八重子の顔半分が悔しげに歪むのが見えた。
「俺は、育ちはこの辺なんだ」
生まれは北欧なんだけどな、とラファル。
「だから、奪還作戦にも参加したかったんだけどさ。主戦にはほとんど関われなくて、やっと参加できたと思ったら序盤で戦線離脱して終わり、さ」
「でも、戦ってくれたんだろう。ありがとうよ」
自嘲気味にいうラファルに、八重子は笑いかけた。
そこへ、コンコン、とノックの音が声を遮る。
扉が開かれると、佐藤 七佳(
ja0030)が籠盛りのフルーツを手にそこに立っていた。
七佳は一礼し、ゆっくりと病室に入る。
傷の具合はどうですか──問うまでもなく、包帯に覆われた八重子の有様は一目瞭然だった。
「あんたは、元気になったんだね」
逆に声をかけられて、頷く。
あの日、同じ場所で同じ相手──小野椿(jz0221)に斬られた二人は、そのやりとりで当時の記憶を思い返す。
「何も、できなかったねえ‥‥」
八重子はそう言ったが、それは七佳の感想とは少し違っていた。椿の動きは人間の常識は超えていたが、多くの天魔とやり合った七佳からすれば、飛び抜けているものではなかった。おそらく、ヴァニタスとしても個人の能力は高いものではないだろう。
その一方で、回復や防御の能力を持ち、引き連れていたディアボロを統率するような様子もあった。
やはり、支援型ということなのだろう。
気後れがあったということもあるまい。それは、八重子の顔の傷が示している。
度重なる攻撃を受けて動きを鈍くした七佳を助けるように前へ出た八重子に、椿はためらうことなく刃を振り下ろしたのだから。
●
「おばあさんが入院してるんですか」
「ばーちゃんな!」
右手にナオ、左手にユウ。病院の白い通路を、雪人は両手を子供に引かれるようにして歩いている。
その少し後ろを、治翠がついて歩いていた。
(なんだか、思い出しますね)
自分が幼い頃、さらに幼い雪人の手を引いて歩いた風景がぼんやり浮かぶ。
「母さん、イジワルなんだよ」「まだ会っちゃダメっていうんだ」
「だからって、さすがに君たちの年じゃ勝手に動き回るのはまずいですよ」
雪人が言っても、子供たちは悪びれない。
「うん、だからな?」「兄ちゃんたちがいれば怒られないよな!」
そう言われては、こちらは苦笑するしかなかった。
見知らぬ大人に頼むほど、家族を大事にしている──それは良いことだと、治翠は思う。
(私には、どこか遠い存在ですが)
だが今、子供たちのストレートな想いと、それに応えようとする雪人の姿を見て、彼自身も暖かいものを感じていた。
病室に近づくと、金髪の少年が扉に手をかけようとしているところだった。
「あっ!」「エリアスだ!」
彼らは雪人から手を離すと駆け寄っていく。
「やあ、君たち」
エリアス・ロプコヴィッツ(
ja8792)は振り返った。
「エリアス兄ちゃんも、ばーちゃんに会いに来たのか?」
「そう、お見舞いにね」
双子は気づかないが、彼の表情は普段と比べるとほんの少しだけ、固い。
「ヤエコが怪我をしたのは、僕の責任も大きい。だから、これは義務なのさ」
「‥‥?」
その意味が分からず、双子は首を傾げた。
「失礼します」
「ばーちゃ‥‥」
扉を開いたのは雪人。双子は中に飛び込もうとして。
包帯に覆われた八重子の有様に、足を止めた。
八重子は片目を見開いて双子を見ている。固まりかけた空気を解いたのは、治翠の一言。
「お祖母さんが頑張ってる証拠が見えますね」
双子の頭の上に手を置くと、子供らは彼を見上げた。治翠は力強く頷く。
二人がおずおずと近づくと、八重子はゆっくりと微笑んだ。
「‥‥大きくなったねえ」
「「ばーちゃん!」」
くびきが外れたように、双子は八重子の胸に飛び込んでいった。
老婆は子供たちを大儀そうに受け止めている。その様子を、エリアスは険しく見つめていた。
今の彼女は、双子から聞いていた八重子像とはあまりにも違う。顔の包帯は言わずもがなだ。
「‥‥僕はツバキを甘く見る向きがあったかも知れない」
普段の彼は、一般人の被害に気を止めたりはしない。戦場で多少の犠牲はつきものだ。
だが椿に関しては──双子の手前口には出さないが──彼自身がそうし向けた部分があることを、エリアスは自覚していた。
八重子の有様はその結果だと、彼には感じられたのだ。
「彼女は紛うこと無きヴァニタス、悪魔の眷属。放置すればこうして被害が増す」
八重子が表情を引き締め、双子は戸惑うようにエリアスを見た。
「ハル」
「少し、外へ出ていましょうか」
流れを敏感に察した雪人が治翠を呼んだ。治翠は双子を促し、彼らと病室を出ていった。
「もし良かったら、話していただけますか。ヴァニタスになったという、その人のこと」
「ありがとね。あの子らがいると、話せないからね‥‥」
八重子は訥々と、語り始めた。
●
八重子が語り終えた後、最初に口を開いたのは、七佳だった。
「私は、天魔の眷属となる事、それ自体を『悪』とは思いません。
あの人の望みは『生きる』という、生命としてごく単純なもの。そのための手段として、ヴァニタスという道を選択した」
八重子は面食らったような顔をしている。
「私はずっと、本当の正義とは何か、その答えを探していました」
椿にも尋ねたことがある、と七佳は言った。
「立場や人によって変わる正義は独善でしかない‥‥けれど、共通していることがあるとすれば、それは『己を存続させる』ということ」
八重子の話で、七佳は最後の確信を得たのかも知れない。その声は毅然と張っていた。
「本当の正義とは、生きることを諦めないことだと思います」
己が生き延びる為に生命を奪う──その行為は悪であり、同時に正義でもある。矛盾していても、それが彼女の得た結論だった。
「人類からすれば、ツバキは間違いなく悪。容赦なく排除すべき敵、ということだね」
エリアスは七佳の言葉を受けて言った。
「願望の追及には必ず相応の代償が付き纏う‥‥魔術師として、僕はよく心得ている」
その代償を支払うべき時が来たのだ。
「あの二人にも、よく言っておくべきです。お婆様‥‥ツバキは最早、人ではない。近づいてはならないと」
「俺はまだその人と会ったこともないし、その場に居たわけでもない。だから、その人を批難する事も賞賛することもできません」
そう断ってから、雪人はでも、確かなことはある、と言った。
「護りたかったんだろうな、と思います。自分の母と、周りのみんなを」
椿自身がそれをきれいごとだと言ったことを、彼は知らない。だが知っていても、そう思ったかも知れない。
(宗主として、ハルの友人として。一人のヒトとして)
誰かを護る側に行きたい、それは彼自身の願いでもあるからだ。
扉が開いて、治翠と双子が戻ってきた。
「あんたたちに、お願いだ。椿のこと」
八重子は撃退士たちを見回した。
「本当は、アタシがやるべきだった‥‥でも、もう無理みたいだからね」
動かない右手に視線を落とし、声を震わせた。
「兄ちゃんたち!」
双子が雪人と治翠を呼び止める。
「今日は、ありがとな」「これ、『イライリョー』ね!」
それぞれの手に、一枚の硬貨が押しつけられた。
「え、でも‥‥」
「貰っておきましょう、雪人さん」
これは彼らなりの誠意なのだから、と治翠は硬貨を手に微笑んだ。
●
病院のロビーから、エイルズレトラと伊都がとぼとぼと出てきた。
「怒られましたね‥‥」
「さすがに、火を噴くのはやりすぎ‥‥というか、無許可だったとは思いませんでしたよ」
「まあ、お客さんは喜んでくれてましたから、良しとしますか──ん?」
気を取り直そうと顔を上げたエイルズレトラの目に、見覚えのある男女の姿が飛び込んできた。
「こんな場合、奇遇とでも言えば良いのでしょうか」
マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は思いも寄らない相手に驚きは感じつつも、いつものように淡々としていた。
「確かに、奇遇だな」
対して赤銅色の中年男──レガ(jz0135)もまた、いつものように不敵に笑って答えた。
「こんにちは。先日はお世話になりました。お見舞いですか?」
そこへ、エイルズレトラ達がやってきた。伊都は興味深そうにレガを眺めている。
「ほう。撃退士が三人になったな」
レガは軽く構えて見せた。「なんなら、一戦交えるか?」
「おっと、病院で荒事はマナー違反ですよ。それに僕は怪我人です」
そう言って赤毛の少年は右手を振った。途端にその手に現れたトランプを一枚、差し出す。
「僕はエイルズレトラ・マステリオです。奇術で戦う撃退士、奇術士エイルズとお呼びください」
「覚えているぞ」
レガの眼光が鋭くなった。
「‥‥勘違いしているかも知れませんが、私は別に殺し合いたい訳ではありません」
拳を下ろしたレガに、マキナが言う。
「私が求めているのは『終焉』のみです。血に塗れた戦場を終わらせたい──それだけです」
「終焉‥‥だと?」
「どちらかが全滅するまでの殲滅戦など、最も忌むべき物です。何も残らないのですから」
「そんなことはない。勝者が残るではないか」
「‥‥命だけが残ったところで、価値はありません」
マキナの言葉に、レガは鼻を鳴らした。どこか楽しげに。
「私と君は、敵対するに十分な理由があるな。私も戦いのみを楽しむわけではないが、終焉だの安息だの、そういった物は我慢ならん」
「貴方は親玉が潰されて形勢はこれから不利になっていく状況にあるのになぜこの地を去ろうとしないんです?」
代わって伊都がレガに声をかけた。
「アバドン様のことか。私も驚いたよ。まさか人間にこれほどの力があるとはね」
そう言いながらも、レガは不遜な態度を崩さない。
「君は目の前にごちそうを出されたら、それだけで満腹になって帰るのかね?」
「僕たちがごちそう、だと?」
「或いは、食われるのは私の方かも知れないがね。それを測るのも、また楽しいではないか」
「あーっ、レガ?」
道の向こうから声をかけられた。エリアス達だ。
「こんな所うろついてていーの?」
「どこを歩くのも私の自由、と言いたいところだが、あまり目立つのは考え物だな」
レガは一歩引いた。ここを去るつもりなのだ。
「見てないところで狩られたりしないでよね」
約束は守ってくれなきゃ、とエリアス。
「それではまた、いずれ戦場で」
「戦場で再会した暁には、存分に楽しみましょう。次は、一発くらい当ててくださいね?」
「その言葉、覚えておくことだ。奇術士め」
レガはエイルズレトラに向けて人差し指を突き立てた。
治翠や、その後ろから覗き込むような雪人にも見送られ、赤銅の悪魔は悠々と歩いて去った。
●
「よし、問題ないな」
義足を元通り戻したラファルは調子を確認するように軽く屈伸する。
「その体で、また戦うのかい?」
様子を見ていた八重子が聞いた。
「ああ。戦える限りは」
ラファルは答え、すっかり元通りになった体で八重子に手を振る。
「じゃーなー」
そして、病院を後にした。