群馬県伊勢崎市。かつてはそうだった。今でもそう呼ばれてはいる。
だが今は悪魔が住処とし、人間はわずかばかりの生き残りが囲われているばかりだ。
人々を救い出し、この地を取り戻すために今、撃退士が集まっている。
「椿さん‥‥いるのだろうか」
サングラス越しに濁った色の結界を眺め、亀山 絳輝(
ja2258)は呟く。
この地を守る悪魔はレガ(jz0135)であり、その従者は小野椿(jz0221)。戦いになれば、顔を合わせずにはいられないだろう。
夏の終わり、とある神社の宵宮祭り‥‥ただ祭りを楽しんで去っていった彼らの姿を記憶にとどめているものは少なくなかった。特に、敵とは思えぬ穏やかさを持っていた老婆の姿を。
「椿殿は敵だが‥‥何故か憎しみも憤りも湧いてこない‥‥」
浴衣の帯をなおしてくれた優しい手つきが思い出されて、キャロライン・ベルナール(
jb3415)は顔を歪めた。点喰 縁(
ja7176)が答えるように言う。
「まぁ‥‥ままならねんだろうなぁ」
空は晴れ、太陽は中天よりもいくらか傾いた位置で輝きを見せていた。だがこの結界の中ではその存在は隠される。
結界に囚われている人々は、果たしてどれだけの期間太陽を見ていないのだろうか。
織宮 歌乃(
jb5789)は祈るように手を組み合わせ、言った。
「皆様と共に赤き太陽を見る為、参りましょう」
ここにいる全て、これから救い出す全て。
全員で、共に。
ここより彼らは道を分かつ。
敵主力を引きつけ、戦い続ける【陽動】。
装甲トラックを率い、迅速に拠点から人々を救い出す【救出】。
それぞれの健闘を誓い合い、メンバーは結界内に突入した。
●【陽動】大橋を挟み
「よく来た諸君。歓迎するよ」
下流は利根川へとつながる広瀬川に掛けられた大橋の奥にディアボロをずらりと並べ、悪魔レガは中空に浮いて一行を出迎えた。
「今日は総力戦だ。思う存分戦おうではないか」
赤褐色の肌を持つ壮年の男は歯を見せて笑っている。そしてその言葉通り、彼の足下にはディアボロを従えるようにしてヴァニタス・小野椿の姿もあった。
「椿さん‥‥」
君田 夢野(
ja0561)は確認する。老婆がすでに武器となる薙刀を手にしていることと、彼女の決意に固められた表情を。
(貴方がその道を選ぶなら、俺も俺の道を行こう、椿さん)
一方、龍崎海(
ja0565)の頭に浮かんだのはより戦略的なことだった。
(主従ともに出撃って時点で、目的がばれてない? それとも、ここはもう価値が無く、こっちの思惑に乗るってことなのかな)
考えを巡らせながら、隊列の中央で敵の動きを注意深く観察していた。
その後方で、白蛇(
jb0889)は敵陣を睥睨する。
「陽動と気付かれてはならぬ、仮に気付かれても主目的が救出と気付かれてはならぬ。‥‥難儀よのぅ」
その通り、難儀な策である。しかも相手が戦力を整えて迎え撃つというのだからなおさらだ。
「が、やって見せねばなるまいて」
自分たちの働きに、いくつもの命がかけられている。であるならば、神を名乗る彼女が背を向ける理由はない。
「陽動? 違うな。俺たちは本命だ」
そう嘯いて見せるのは赤坂白秋(
ja7030)。
「物量に勝る冥魔の軍勢を寡兵をもって打ち破るのさ」
いつもの通りシニカルな笑いを携えて、ライフルの銃口をレガに向けて制止させる。射程外であることは分かっているのだろう、レガは動じるでもなく白秋を見返した。
「久し振りだねー、レガ! やっと思い切り戦えるよ」
場違いに明るい声は、エリアス・ロプコヴィッツ(
ja8792)のものだ。
「いつぞやの少年か」
「さあ、一緒に遊ぼう!」
エリアスは底抜けに無邪気な笑顔を浮かべてレガに手を振ったが、レガは笑みを深くした後でこう言った。
「もちろんだ。だがその為には用意したディアボロを突破して来てもらわなければな」
「ええー」
「いきなりボス戦ではそちらも面白くあるまい」
エリアスは頬を膨らませたが、レガは椿とともにそのまま後方へと下がった。
上空を漂っていたドラゴンフライが、統率のとれた動きで左右に開いた。橋いっぱいに並んだリザードファイターが足を揃えて駆け込んでくる。
「来るよ。隊列を揃えて!」
海や夢野らが前に立つ。めいめい、己ができる最前の手を用意して敵を待ち受ける。
弥生丸 輪磨(
jb0341)は隊列の左端で、欄干の外から回り込むように迫り来るドラゴンフライをその金の瞳に捉えて言った。
「さて、始めようか。道化による決死の舞を」
リザードたちは前進してきたが、こちらの前衛を射程に捉えたところで足を止めた。それ以上は近づこうとせず、弓を斉射してくる。
「これはどうかな?」
中央で盾を構えた海は飛んでくる矢を捌きながら、自身の身を光に包んだ。まばゆい光は何匹かのリザードの目を灼き、顔を背けさせる。
だが、その背後のオーガーたちはまるで意に介した様子もなかった。リザードたちよりはるかに重く作られた弓を引き、魔法の矢を直線的に放ってくる。
そのオーガーをいち早く捉えたのは白秋だ。ライフルから放たれた特殊なアウルの弾丸は中央付近にいた一体の肩を捉えた。腐敗の効果によって剥き出しの肉が赤黒く変色していく──と思ったのもつかの間、白い光が一瞬オーガーを包み込む。光が晴れればすでに痕跡はなくなっていた。
オーガーの背後には、椿がいる。レガもその奥で戦況を眺めているが、今のは彼女の力だろう。
「ちっ、やっかいだな‥‥」
白秋は吐き捨てるように呟く。
「動きを鈍らせるよ」
輪磨は橋の外を向く。群がって襲いくるドラゴンフライたちに向かってコメットを落とす。無数の彗星が蜻蛉の薄い羽を切り裂いた。
高度と速度が落ちたところへ、Viena・S・Tola(
jb2720)がアウルの風で追撃する。一体の敵を落としたが、Vienaは表情を曇らせて橋の先を見やった。
「これでは‥‥いけませんね‥‥」
ドラゴンフライ以外の敵は積極的に攻め込んで来ないようだ。陽動という目的を考えれば戦況が膠着するのはありがたいことではあるが。
(目的を感づかれては‥‥元も子もありません‥‥)
「ふん、奴らは出てこないつもりか」
飛んでくる矢をたたき落としながら、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)が言った。
「鬱陶しい。切り込むぞ」
このまま敵の攻撃にたださらされるのでは面白くない。
双剣を掲げて切り込む。狙いはオーガーだが、その前にはリザードが二列になってひしめいていた。
フィオナは笑みをたたえ、敵の居並ぶ前で仁王立ちになった。背後には赤い魔力の珠がいくつも浮かぶ。その一つひとつに鈍色の刃が映し出されていた。
武器が射出され、オーガーの前に身を投げ出したリザードの体を幾重にも貫く。
「死に物狂いで謳え、賊共。その死に様で少しでも我を興じさせて見せよ」
倒れ伏すディアボロを一瞥して鼻を鳴らした。
「続くぞ!」
月詠 神削(
ja5265)が彼女の動きに続いて飛び出す。集中攻撃を浴びないように列で並ぶことを意識しながら、アウルを練り上げる。
複数のリザードと、飛び込んできたドラゴンフライをまとめてアウルの霧に捉えて、剣を振り抜いた。
派手な爆発音がして、敵の隊列に乱れが生じる。さらに逆側からは夢野。硬質の音がまっすぐに敵を捉え、薙ぎ払っていく。刃の先は奥のオーガーまで届いた。
「ぐっ、コイツ便利だけど使い難いな」
二人の技はまるで性質が異なるように見えるが、根本は同じ技だ。
「‥‥ふふ」
「レガ様?」
「いや、見覚えのある技があったと思ってな」
声を漏らしたレガを椿が顧みる。懐かしむような声色だ。
「人間は面白いな、椿。これだから戦いはやめられんのだ」
椿が意をはかりかねている間に、また炸裂音がしてリザードが蹴散らされる。
「レーガー♪ こっち来て遊ぼうったら!」
並び立てた猟銃でもってディアボロを蜂の巣にしたエリアスが、ボール遊びに誘うようにレガを呼んでいる。
「景気のいいことだな。だが雑魚はいくらでも補充が効くぞ?」
悪魔はまだ悠然と戦況を眺めていた。
前線で敵味方が入り交じり始める。その光景を見て、後衛の端に陣取っていたルドルフ・ストゥルルソン(
ja0051)は欄干から橋の外へ静かに身を踊らせた。
と言っても飛び降りたわけではない。壁走りを使用して橋脚を伝って川へと降りると、水上歩行でそのまま対岸へと渡る。単独行動の彼を気にするものはいなかった。
向かいの橋脚までたどり着く。頭上にはまさに敵が布陣しているはずだ。
「蛮勇とでも、慢心とでも‥‥好きなように言えばいいさ」
身を潜め、戦いの音に耳をそばだてる。必ず来るであろう好機の瞬間を、今は密かに待ち受ける。
●【救出】二手に分かれ
十台の装甲トラックと共に結界内に進入した救出班は途中で班を二つに分けた。三カ所の拠点をひとつひとつ回っていたのでは時間がかかりすぎるが、班を三つに分けるほどの余力はない。それゆえの折衷案である。
「見えてきました。あれが市役所ですね」
先頭を走るトラックの助手席に座った森田良助(
ja9460)が目を凝らして見通す先に、ひときわ大きな建物が見えてくる。
「道路状況は?」
「‥‥問題ありません。このまま進んでください」
運転する撃退士にそう告げた。長く整備されていない道は所々トラックでも通れない箇所があったが、遠くを見通す彼のスキルの力もあって大きなタイムロスは免れている。
「救助する人が散らばってないといいんだけど」
呟きながらさらに目を凝らすと、敷地内にいくつかの影がうごめいていることに気がついた。
「‥‥! やっぱり、敵がいないってことはないのか!」
トラックを狙われてはたまらない。良助はまだ距離があるところで車両を止めさせ、助手席から降りた。荷台からも、撃退士が降りてくる。
「思ったよりいるな」
キャロラインは敵の数を数えて顔をしかめる。
「少しは減らさないと、救助も始められないね」
「そうねぇ」
キイ・ローランド(
jb5908)の言葉に同意しつつ、Erie Schwagerin(
ja9642)は彼に微笑みかけた。
「できるだけ自分が引きつけるから、みんなは攻撃をお願い!」
「キイくんの背中は私が守るから、安心してね」
「よろしく、エリーちゃん」
「ええ‥‥それじゃ、お掃除開始ねぇ♪」
光纏し、それぞれに武器を──キイは盾を──顕現させた彼らは、正面から突撃を仕掛けた。
二体のカースアイはこちらが距離を詰め切る前に目の色を銀へと染めた。
その途端膝頭を押さえつけられたかのような重圧を感じて、キャロラインは呻く。
「くっ、まずはあれを何とかしなければ‥‥」
だが『審判の鎖』を放とうにも、まずは距離を詰めなければいけない。
一方で、ヨルムンガンドを携えた良助は無理に接近せず、こちらの移動を阻害するフィールドを形成する目玉に照準を合わせた。白光を纏わせた弾丸で狙撃する。
弾丸は狙い通り目玉に当たり、透明な体液を飛び散らせたが、敵はまだそこに浮いていた。
「意外と体力がある‥‥?」
スターショットはあと一発。続けて撃つべきか、と思ったところに別の魔法がはじけて目玉を吹き飛ばした。
「ふぅ‥‥射程ギリギリね」
Erieが一体落としたが、まだ残りの一体がフィールドを維持している。
そうこうしているうちに、敷地の奥から巨人までもが現れた。キイはそれを見るなり、叫ぶ。
「みんな、こっちに来い!」
敵の目がつられるようにして一斉にキイを見た。彼は盾から敢えて顔をのぞかせて、そいつらを挑発する。
複数の矢が一斉に、彼に向かって射かけられた。
市役所で戦いが始まってから少し遅れて、もう一班も小学校にたどり着いていた。
「あれは‥‥厄介ですよ」
ギョロリと目玉を向けるカースアイを認めて天宮 佳槻(
jb1989)は周囲に声をかける。
「なら、まずはあれをどうにかしちまいやしょうかね」
縁が距離を詰めようとするが、やはり発生したフィールドのせいで思うようには進めない。
「成る程‥‥確かに厄介だねぇ」
「右側は任せろ」
その背後から声が聞こえた。と思ったら、後方から白銀の光が糸を引いて縁の脇をすり抜けていく。
弾丸は言葉通り右に浮かんだ目玉の中心に当たり、そのまま後方へ突き抜けた。カースアイはぐるぐると何かを探すようにその場で体を回した後、地面に落ちた。
敵を撃ち抜いた影野 恭弥(
ja0018)は表情ひとつ変えなかったが、結果として全員の足が軽くなった。
「僕はオーガーの抑えに回ります!」
「僕も行くよ。‥‥ふふふ、天才ダアトの僕にまかせるといいさ」
黒と白の入り交じった光を身に纏い突進する鈴代 征治(
ja1305)。クインV・リヒテンシュタイン(
ja8087)が後に続く。
カースアイの残り一体はクインを見た。その目玉が赤く色づく。
「くっ‥‥!?」
目玉から延びた光に絡め取られたクインは身動きがとれなくなった。
「このっ」
縁がカースアイに接近、光の糸を繰って敵を抑え込む。『審判の鎖』を改良した技でカースアイは動きを止めた──だが、それだけではクインを縛る光は解けない。
「ふふふ、それで僕を封じたつもりかい?」
クインは動じず、風の渦を発生させてオーガーを巻き込む。直後、征治が敵の巨体に張り付き、大きく斧槍を一閃させた。
「はあっ!」
勢いのある一撃にオーガーはたたらを踏んで後退する。朦朧とした頭を振って態勢を立て直すと、忌々しげに吼え声をあげた。
●誰も見ていない場所
「ついに、来たんだね」
今はまだ遠くに聞こえる戦いの音を聞いて、小野八重子はそう口にした。
言葉を返すものも、聞き咎めるものも周囲にはいない。今彼女は一人きりだ。
ここ数日とは明らかに違うディアボロの動きで、老練な彼女は何かが起き得ることを察知していた。監視ディアボロの目を盗んで自宅を抜け出し、こうして潜んでいたのだ。
他のものと一緒にただ救助を待つ、という考えは彼女にはなかった。アウルによって齢を重ねてもなお頑健な体を持っているのは、今この時の為だとさえ思われた。
「さあ、行こうか」
短刀の鞘を強く握って、目を向けた先には大橋がある。
撃退士の一軍を相手にする悪魔の軍勢は、彼女から完全に背を向けていた。
ヒュウヒュウと風を切る音がいくつも鳴った。
「奇襲か?」
「いえ‥‥それにしては」
戦況を見守っていたレガは肩をいからせて振り返ったが、撃退士が飛び出してくる様子はない。
椿もいぶかしげに目を凝らす。と、再び何かが風を切り、細い火線が一筋、彼女の顔に向けて飛びかかってきた。
薙刀で払うと何の手応えもなく地面に落ちる。それは、ただのロケット花火だった。
「これは‥‥」
こんなことを仕掛けてくる人物に、椿は一人しか思い当たらなかった。
「母さん」
それを聞いて、レガが鼻を鳴らした。
「なんだ、またか」
「申し訳ありません」
縁を切られたとはいえ身内のしでかしたこと、と椿は謝罪する。過去に彼女が問題を起こしたときもそうしてきた。
だが今日のレガの反応は、それまでとは違うものだった。
「戦いの興を殺ぐようなまねをしおって、目障りだ。‥‥排除してこい」
吐き捨てるように言った。
「戦局に影響を与えるようなことはできないかと思いますが‥‥」
「聞こえなかったのか!?」
語気が強まる。明らかに機嫌を損ねている。
その時点で、椿にできることは受け入れることのみだった。一礼し、増援として来ていたリザード二体をつれてその場を離れる。
「終わったらすぐ戻れよ」
今はもう戦場へと目を戻したレガの言葉が冷たく降りかけられた。
●【陽動】訪れる好機
「敵の動きが変わった‥‥?」
前線に立ってリザードたち相手に剣を振るっていた志堂 龍実(
ja9408)は、突然の変化に首をひねる。
彼が目の前の敵を斬りとばしたとき、これまでならすぐに他のディアボロが穴を埋めるように彼の前に立った。だが今それはなく、にわかに正面があいたのだ。
悪魔はまだそこにいるが、ヴァニタスが姿を消した‥‥この状況は。
「攻勢にでるなら、今がチャンスなんじゃないかな」
「雑魚はともかく、オーガー共の数を減らさなければこちらの被害も増えるばかりだ」
海が言い、フィオナが言った。巨人たちは相変わらず後方から弓を射るばかりで前に出てこない。
「俺たちは敵を抜き、ゲートコアを破壊する。そのために来た‥‥そうだろ?」
「なれば好機を逃す手はない。確かにの」
白秋の言葉に、白蛇が頷いてみせる。
「よし、じゃあ行こうか」
方針は決まった、とばかりにエリアスが巨大な鎌を顕現させた。狂気を感じさせるほど深い笑みとともに。
それは激しさを増す戦いへの予感であった。
「道は俺達が開けてやる、頼むぞ!」
夢野は大剣を構える。白秋が隣に並び立ち、両足を開いてライフルを構えた。
引き金が引かれると同時に大剣が振り抜かれる。放たれた弾丸は高らかな音を乗せたファンファーレとなって正面のリザードどもをまとめて薙いだ。
「さあ、行け!」
号令に乗って、仲間達が駆け出す。押し返そうと動くディアボロの動きを牽制するように、Vienaの蒼天珠が蒼い風を叩きつけた。
「仲間は‥‥やらせません‥‥」
攻撃を受けたリザードが空を飛ぶ彼女に反撃の弓を射かけようとする。だがすかさず正面に立った龍実が斬り伏せた。
「こっちは任せろ!」
龍実が叫ぶその脇を抜けて、海やフィオナらがオーガーに向かっていく。
一方、佐藤 七佳(
ja0030)は椿が離脱した理由を考えていた。
(回復役が離脱するほどの問題‥‥なにがあったのだろう)
理由をここで知りうることは出来ないだろうが、それを抜きにしても、椿が復帰することを阻止することは必要であるように感じられた。
敵の後方へ去った椿を追うということは、敵陣を突破するということだ。それは容易なことではない。
(でも、あたしなら出来る)
研鑽を積み重ねてきたその足ならば。
味方の突撃に敵の目が奪われていることを確かめて、彼女は飛び出した。橋の欄干に上り、背中からロケットのようにアウルの光を噴射しつつ全力で駆ける。
一息の間に百メートル近い距離を駆け抜け、戦域を突破する。だが橋の終わりに近づいたそのとき、ドラゴンフライが一体、彼女に向かって飛び込んできた。
「!」
増援に向かっていた個体だろうか。その瞬間はそんな考えにも及ばず、七佳は橋の外へ向かって飛ぶほかなかった。
橋脚の陰で身を潜めていたルドルフが土手の先のアスファルトの上をごろごろと転がっていく七佳を目撃した。
彼女はすぐに起きあがると、膝の汚れを払う仕草をしただけでまた駆けていく。
(‥‥? 何か起きてるのかね)
七佳はこちらに気付かず行ってしまった。ルドルフは頭上を見やる。
「さて、動くなら今かな‥‥」
●【救出】その手を掴むとき
佳槻の放った鎌鼬がドラゴンフライをきりもみさせて地面に落とした。
「これで三匹‥‥!」
空を舞う敵の姿は残り二匹。陽動班の動きが効いているのか、新たな姿はない。
征治はオーガーを相手取っていた。ウェポンバッシュで群れから引き剥がしつつ、必要以上には接近せず敵を食い止める。
「ガアッ!」
振り下ろされた大剣を魔具の柄で受け止めると衝撃に体を揺さぶられるが、それで怯む彼ではない。
「今です!」
「言われるまでもないさ」
征治のすぐ背後にいたクインが、最後のマジックスクリューを放つ。攻撃直後で身を固めていたオーガーは、それをまともに浴びた。
巨体が呆然と動きを止める。後方の恭哉からすれば、動かない的を狙うことはさほど難しいことではなかった。
二体のカースアイを落とすために白銀の退魔弾は使い切り、それはただのクイックショットではあったが──銃弾は放たれ、変わらぬ直線の軌道でもって銃口とオーガーの頭部をつないだ。
血の花が咲く。オーガーは断末魔の声を上げることも叶わずに音を立てて地に伏した。
「ふふふ、どんなに力があっても翻弄されてしまえば何もできないのさ」
クインが得意げに眼鏡を押し上げる。恭哉は無表情のままだったが。
「残りは‥‥」
征治が振り返る。リザードファイターは縁が抑え込んでいた。
「そろそろいけるんじゃねぇんですかね」
防壁で敵の攻撃を防ぎながら、縁。まだ敵は残っているが、彼らだけで抑えきれるレベルまでは減っている。
「よし、トラックを入れましょう」
征治はひとつ頷くと、校門の外へ向けて合図したとき。
「こっちです! こっちへ!」
声が響いた。見やると懐中電灯の細い灯りを照らして、男が大きく手を振っている。間違いなく、ここに囚われていた一人だった。
戦いの音を聞いて、残されていた人たちも気付いたのだ。
ついに手が差し伸べられるのだということに。
「みんな体育館にいます! 待っていました‥‥!」
涙で震える男の声を聞きつけたかのように、ドラゴンフライがそちらへ流れる。だが直後、銃声とともにその身ははじけた。
「早く行ってやれ」
征治は恭哉に頷きを返すと、トラックを先導して男の元へ走った。
市役所では、オーガーがまだ残っていた。キイが防戦に徹することで撃破は望めずとも巨人を封じることに成功していたからだ。
「こいつは自分一人で‥‥みんなは救助を始めて!」
盾で大剣の一撃をいなしながら、キイが叫ぶ。Erieはそんな彼を背中に感じながら、なおも灰燼の書のページをめくる。
「救助の邪魔はさせないわ。キイくんと私がね」
「‥‥わかった。手早く済ませよう」
「車両を入れます!」
キャロラインは二人に向かって意識を集中し、癒しの風でこれまでの傷を癒す。良助が合図して、トラックが敷地内に入ってきた。
やはり救助を待つ人々は、戦いの音を聞いていたようだった。建物に入るなり複数の人がキャロライン達を出迎える。
「ディアボロは抑えています。荷台に乗ってください!」
良助が声を張る。人々は肩を縮こまらせて小走りに進んだ。すれ違いざま、「ありがとう」と声をかけるものもあった。
「ここにいるので全員か?」
「向こうの部屋に動けない人もいるんだが‥‥」
「よし、担架だ」
それは想定内のことだった。キャロラインは仲間とともに奥へ進む。
そこには十人程度の人が寝かされていた。外の騒ぎに気付いているのか、眠ったように動かない人達だ。
「分かるか? 救けに来たぞ」
手近な女性の側に屈み込み声をかけると、ゆっくりと目玉が動いた。担架に乗せようと手をのばすと、女性の口がおもむろに動いた。
「これは夢ではないの? ねえ、あなた‥‥」
遠くへ訴えるような声に、思わず手を取る。
カサカサに乾燥したその手は、それでもしっかりと暖かかった。
●【陽動】乱戦模様
「赤き太陽、この地の人々の瞳に映す為──この火にて」
突撃に従った歌乃が結界を開く。守護の火炎が四方に広がり、仲間に力を与える。
「ふーむ。大物狙いは趣味ではありませんが、ちょっと鬼退治と行きますか」
軽い口調で薄笑い。エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が飛び込む。二体のオーガーに挟まれる位置に立ち、右からの大剣の攻撃を一つ躱す。直後の左の攻撃が彼を捉えた──かに見えた瞬間、その姿はトランプの束となって崩れた。
「残念でした」
そのときにはもうエイルズレトラはオーガーに張り付いている。その手には新たなカードが光る。
カードをオーガーの膝に突き刺し、離れると、カードは即座に爆発して痛撃を与えた。
別の一体には神削が迫る。
「これ以上、好きには撃たせないぞ」
近接すれば、相手もそれに応じざるを得ない。物理攻撃なら、捌く自身はある。
狙い通りに振り下ろされてきた剣を受け止め、気合いで押し返す。相手が体を開いたところに、銃弾が突き刺さった。
「まずはそいつから落としちまうか」
白秋の声が背中に聞こえる。返事の代わりに、神削は再び剣を振るった。
主力との距離が詰まれば、当然反撃も厳しくなる。
海は十字槍を構えて突撃したが、薙ぎ払われた大剣にわき腹を斬り裂かれた。
「くっ」
「調子に乗るな、賊が!」
いったん足を止め、自身の傷を癒す。入れ替わるようにフィオナが前に立ち、巨人と剣戟を響かせる。
リザードファイターやドラゴンフライも、開戦当初と比べれば数を減らしているものの、後方から度々増援が現れている。
「なかなか余裕を持って捌くというわけにはいかんの」
白蛇が憎々しげに言った。敵味方が入り交じり、範囲攻撃で薙ぎ払うというのも難しくなってきている。
「それでも目的を果たすために、やるだけさ」
龍実が応え、目の前のリザードをひらめく剣捌きで斬りとばす。その体に受けた無数の傷を、輪磨がヒールで優しく癒した。
「もちろん‥‥倒れさせるわけには、いかないね」
また、橋の後方から新たな影が現れた。ドラゴンフライが三匹。
「あいつらは頼むよ」
海が味方の撃退士に向かって指示を出す。だが仲間が射かけるよりも早く、三匹の中央で生まれた土塊が爆ぜた。
「‥‥!」
人外の風貌が居並ぶ敵陣の後方に、欄干を飛び越えて現れた金髪の美丈夫──ルドルフは大剣を振りかざし、背を向けたディアボロに向けて突進する。
「さあ、やってやろうじゃないの!」
奇襲を受け、敵陣はさらに乱れた。いくつか敵の攻撃が彼に向いたが、ルドルフは勢いに乗ってそれらを躱す。
「‥‥おっそーいー!」
使い切ったスキルを切り替え、今度はオーガーの背中に向けて放つ。二体の巨人を巻き込んで、灼熱の炎が吹きすさぶ。
そこへ。
「威勢のいいことだな」
低い声と、差し示された指先。笑みを刻んだ悪魔の視線。
ルドルフは咄嗟に回避を試みたが、すでに捕捉されていた。レガの指先から放たれた光線は瞬く間に彼へと届き、右胸を刺し貫く。
「あっ、ガッ‥‥!?」
「勇敢さは、確かに。だがそれだけでは足りないよ」
もんどりうって倒れるルドルフを、レガは冷たく見下ろした。
「さて、そろそろ見ているのも飽きた」
それきり、視線は戦場へと戻される。「私も楽しませてもらうとするか」
●ただ一人が見る場所
椿は、憤っていた。
「何故、わざわざこんなことを‥‥!」
普段は表さない激情を、それまで溜め込んでいた分もまとめて、吐き出す。
彼女がそうできる相手は、世界で今一人しかいない。
「母さん!」
「あんたに母呼ばわりされる覚えはないね」
八重子は精一杯の憎しみを込めた目で、椿を睨み返した。
「静かにしていれば、レガ様は見逃してくださったはずなのに」
「あたしはね! あんただけは生かしちゃおけないんだよ! たとえ自分の命と引き替えにしたってね!」
叫び、抜き身の短刀を構える八重子。椿は薙刀の刃先を下に向けたまま。
「そんなもので‥‥」
悲しげな声を無視して、八重子は突撃する。小さな体に満ちるアウルが制御もないままに放出されて、体全体が輝いた。
飛び上がり、振り下ろされた刃を椿は左手で受ける。寸鉄も帯びていないむき出しの肌が、ガツンと音を立てて勢いを止めた。
着地した八重子の、変わらぬ憎しみの視線を受け止める。ならば──ならば。
薙刀を握る手に力を込め、振り払おうとする。
肉を斬り裂く一瞬の感触さえ過ぎ去れば、全てが終わる──。
だが、返ってきたのは堅い鋼の感触だった。
「やらせないわ」
間一髪、椿と八重子の間に体を滑り込ませた七佳は力を込めて刃を押し返す。
「あなた‥‥一人で来たの?」
椿は驚いて七佳を見た。かつて正義の意味を問うてきた少女が見返してくる。
「本当の正義はまだ見えないけれど、敵として対峙したなら躊躇はないわ。此処で‥‥斬る」
だがそう言った途端、風切り音が連続して聞こえた。
「あぐっ」
詰めた声がして振り返ると、八重子の肩に矢が突き立っている。視線を巡らせると、左右にそれぞれリザードファイターがいて弓に矢をつがえていた。
「ここで会ったなら容赦はできないと、私も伝えたはず」
椿の声から感情が消えた。淀みない所作で薙刀を構え、その切っ先を七佳に向ける。
「レガ様より早く戻るよう言われています。‥‥お覚悟を」
八重子は戦力になるまい。ヴァニタスを含む一対三。
仲間に連絡する余裕も、もはやない。七佳の額に汗がにじんだ。
●【陽動】血戦
神削の剣がオーガーの肩に深く刺さると、ついに巨人は膝を突く。だがこれは多勢の一体。次の敵を求めて首を巡らせる。
そこへ漂う火花が一つ。思い出すよりも先に背中がざわついて、叫んだ。
「伏せろ!」
直後、轟音。
爆発は一部敵をも巻き込んで起こった。何名かは痛烈なダメージを負ったが、海の『神の兵士』が発動してその傷を瞬時に癒す。
「ほう、皆立つか。やはりたいしたものだ」
レガは満足げな笑いを浮かべている。
「やっと出てきたね、レガ」
エリアスも笑顔を返す。
「さあ、きみの知る事、全て教えてもらわなきゃ。約束だからね」
エリアスは鎌を構え、レガは指を鳴らして待ちかまえる。だが先にレガへ肉薄したのは別の女性。
「久しいですね。健勝そうで何よりです」
マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は本音とも皮肉ともとれぬ口調で言うと、土産代わりの右拳を見舞う。レガは笑みを浮かべたまま左にスライドしてそれを躱した。
「君も元気そうだな。怪我の後遺症など無いようで何よりだ」
答えつつ、マキナの肩を掴みにくる。冷静に身を捌いて躱すと相手のわき腹めがけて力を込めた突きを放った。
「やるではないか!」
手応えはあったが、怯む様子はなく。すかさず鋭い回し蹴りが放たれて、マキナは弾き飛ばされる。だが間髪を入れずにエリアスが飛び出す。オーガーの影を利用して、死角へ回り込んでいる。
一閃された鎌は、切っ先がレガの首を捉える前に右手で受け止められた。そのまま刃先と柄を掴んだレガはエリアスを振り回して放り投げる!
橋の外へと投げなかったのは偶然かわざとか、エリアスは龍実らが戦線を維持しているあたりまで投げ飛ばされ、リザードファイターの背中に激突した。
「いたた‥‥」
「大丈夫か?」
輪磨が駆け寄ってヒールをかける。エリアスはすぐに起きあがった。
「そうこなくちゃね」
再びレガへと接近をはかる。それを助けるように、音の衝撃が走って敵を薙いだ。夢野だ。
彼は先ほどとは違い、開いた道を自分でも駆けた。レガの真正面に立ち、剣の切っ先に言葉を乗せる。
「あの時の誓いを果たしに来た‥‥この勝負受けろ、レガ!」
「望むところだ」
やりとりの間にも、マキナが再び肉薄して拳をふるう。間隙を縫うのはエイルズレトラ。レガの打撃は巧みにトランプの人形に受け取らせ、すり抜けざまにギャンビット・カードの置き土産。
「ははは、僕はここですよ!」
レガがエイルズレトラを追おうと体を伸ばしたところへ全力で突撃するものがあった。Vienaだ。
彼女はイオフィエルを腰溜めに構え、敵中を一気に突破してレガの元へとたどり着く。
そして、相手のわき腹に向けてためらい無く刃を突き立てた。
──かに、思えた。
「捨て身か? はぐれ悪魔よ」
「‥‥っ‥‥」
刃先は服を裂き、数センチ食い込んだところで筋肉よって止められていた。
Vienaは力を込めたまま、言った。
「破壊こそ‥‥唯一の守る術なのです‥‥」
「ふん」
レガは鼻で笑い飛ばすと、Vienaの右手首を掴み、ひねりあげる。
「あっ‥‥」
「唯一のものなど、私は知らぬ。自分自身をのぞいてな」
そして、鳩尾を拳で貫かんばかりに突いた。
Vienaは力を失い、その場にくずおれる。レガはぐるりと周囲をみた。
「さあ、次は誰だ?」
敵はレガばかりではない。オーガーもまだ残っている。
「踏ん張れ! まだまだ退くわけにはいかんぞ!」
白蛇の叫びに召還獣が応えて咆哮し、周囲に力を与える。
「椿祈に奉りて、鬼祓の風よ吹き給え」
歌乃はその髪と同じ鮮やかな赤の気を生み出した。それは赤い花吹雪となってオーガーの一体を包み込む。物言わぬ紅の石像を作り出された。
「この敵は放置にて──まだ他にもおりますから」
周囲に呼びかけた歌乃は新たな一体へと狙いを定める。
マキナは機敏に位置を変えながら繰り返しレガへと攻撃を仕掛ける。何度も迎撃を受けながら、絳輝ら仲間の回復を得て肉薄し続ける。前方からは夢野が迫り大剣で斬りかかる。
「いい踏み込みだ!」
レガは余裕の口調で夢野を称えながら最低限の動きで攻撃を躱した。反撃を覚悟して身構えた夢野だったが、突き出されたのは拳ではなく指先で、夢野を捉えてはいなかった。
「おい、来るぞ!」
白秋の切迫した声と援護の銃声。そしてそれらを覆い隠すように、爆発の轟音が戦場にこだました。
爆発はオーガーを二体巻き込んで起きた。前にでて対処に当たっていたフィオナや神削のほか、巨体の影を利用してレガに接近しようとしていたエリアスなども巻き込まれる。
「ぐっ、げほっ」
回復の光がいくつも飛んで、神削は立ち上がる。熱のこもった空気を吸ってむせはしたが、一年前とは異なりしっかりと二本の足で立った。
レガを一度だけ睨み返して、彼はまた剣を振るう。
「ふむ、私も鍛え直しが必要かな」
爆発によって立ち上がった煙に目をやっていたレガ。だが後方に回り込むマキナの動きはしっかりと目端に入れていた。
「こちらを無視はさせませんよ」
「無論、そんなつもりはないぞ」
淡々と繰り出されるマキナの拳を受け、捌く。反撃を繰り出そうとしたとき、爆発跡の煙からエイルズレトラが飛び出してきた。
レガは咄嗟に標的を切り替える。だが鋭く叩き込まれた手刀は、またしても数枚のカードをまとめて切り裂いただけだった。
「ちっ」
エイルズレトラの姿を探すが見つからない。代わりに飛び込んできたのは、夢野。
彼の剣はまばゆいばかりの白と、燃え上がる赤によって染められていた。
夢野は叫ぶ。自身の身をも灼かんほどの力を、眼前へと差し向ける。
「躊躇しないと、言った筈だ──アウルの歌声に、耳を傾けろォ!」
レガは立ち向かって来た。
剣と拳が交差する。相反する二つの力が反発を起こし、まさしく歌声のような音が響いた。
左肩を刃が深く切り裂く。その手応えを確認した次の瞬間には、夢野は顔面に拳を受けて吹き飛ばされた。
レガは一歩、右足を後ろにやった。刃は胸のあたりまで届き、赤黒い血が勢いよく流れている。
「ふふふ、まだまだだ。この程度では倒れてなどやらんぞ」
心底楽しげに、口元を歪ませる。傷口を見せびらかすようにして、レガは撃退士を待ち受けた。
●【救出】足りない1ピース
市役所と小学校で救助活動を終えた救出班は合流し、最後の拠点である小野家の自宅へと向かう。その際、すでに救助者を乗せたトラックは先に離脱し、退路を進んでいた。
退路、とは言っても、それは安全が確保された道であることを意味しない。悪魔の領域である以上、ディアボロと鉢合わせする可能性はゼロではない。
そして今、市役所を出発した三台のトラックはまさにその状況にあった。
「顔を出すな、じっとしていろ」
荷台の影から顔をのぞかせた救助者を叱咤したキャロラインは、大鎌を構えて左右へと目を走らせる。
進行方向の道路に立ち、トラックの進行を妨げているリザードファイターが二体。後方から荷台に近づこうとするものが一体。
トラックの護衛としてついた撃退士は彼女一人。あとは運転手しかいない。
道を塞いでいる二体をどかそうとすれば、後方の一体が荷台に襲いかかる隙を作ることになる。
手が足りない。せめてあと一人いれば──。
その思いを拾い上げる銃弾が、敵の足下で跳ねた。
「援護します!」
征治だった。荒れ地を挟んだ向こうに、小学校からのトラックの姿も見える。
「感謝する!」
キャロラインは声を返した。征治だけではなく、荷台の中で震える人々へも伝わるように。
太陽の見える空はもうすぐだ。かならず、そこまで連れて行く。
残りのものたちは小野家の敷地に足を踏み入れていた。
「神秘なる光に打たれたいのかい!」
クインは果敢に前へでて、周辺を守っていた敵に斧を振るっていた。体当たりをかけてきたドラゴンフライは緊急障壁で弾き飛ばし、その背後に迫っていたもう一体ごと、眼鏡光線で焼き尽くす。
その後方で、縁も戦っている。できるだけ距離はとっていたが、詰めてきたリザードの矢が立て続けに二発、飛んできて、彼の体を打った。
縁は呻き、足を一歩前に踏み出す。その様子に、良助が声をかけた。
「大丈夫ですか? 回復は──」
「ああ、大丈夫、このくらいなら」
縁は良助を安心させるべく笑いかけたあと、リザードの一体に反撃を撃ち込む。
それから、自嘲するように呟いた。
「冥魔ってぇと気が逆立つけんどもね、どうにも」
この一見穏やかな青年にも、過去には思うところがあるらしい。良助は何もいわず、敵の掃討に戻った。
オーガーが掲げた大剣を叩きつける。キイは頬にかすらせながらもそれを躱した。勢いに怯むことなくその青い瞳は敵を捉え続け、双剣の一本が巨人の腹を薙ぐ。
「援護するわよぉ!」
Erieが後方から火を飛ばす。カースアイを落とした恭哉も射撃を加え、オーガーは苦痛に満ちた吠え声をあげた。
その声を耳で聞きながら、目の前のリザードを屠った佳槻は敷地を見回す。自宅そのものはほかより多少大きい程度の平屋造りだ。要救助者が集まっているとすれば、離れにもう一つある比較的大きな建物の方だろうか。
そこへ目をやったとき、入り口の扉がちょうどのタイミングで開いた。中から女性が一人、顔をのぞかせている。
女性は佳槻に気付くと扉から体を滑らせるようにして外に出てきた。
「くっ」
敵の数は減ったが、まだ安全を確保したとは言い難い。佳槻は女性の元へ駆ける。
近づくと、女性は佳槻と齢近い少女のようであった。少女は安堵に緩むことも感激に震えることもしておらず、ただ詰めた表情を浮かべて佳槻に訴えた。
「おばあちゃん、いましたか?」
「‥‥え?」
「これまで助けた人の中に、八重子っておばあちゃんは、いましたか!?」
焦るあまりに要領を得ない問いだったが、佳槻には思い当たることがあった。
「ここには、八重子さんは‥‥」
「いないんです! お昼頃からいなくて、家にも、ここにも!」
佳槻の背中を悪寒が走る。ある一つの考えが、確信に近い形で浮かび上がった。
振り返れば、敵の姿は残り僅かだ。ここは仲間に任せても大丈夫だろう。
「みなさん、ここは頼みます」
橋から部隊が流れてくる可能性もゼロではない。その警戒をします、と言い残して、佳槻は小野家の門を再び飛び出した。
●今日の結末
橋での戦いは、もちろんまだ続いていた。
「なかなかきつくなってきたのう」
ライフルを構え、オーガーに向けて狙撃を繰り返しながら白蛇は口元を歪ませる。
「正念場じゃ、皆のもの、気合いを入れい!」
せめても、声で仲間を叱咤する。心の疲弊を見せてしまったら、戦いは続けられないのだ。
繰り返し放たれるマキナの拳は時にレガを捉えたが、多くは受けられ、捌かれ、また痛烈な反撃を浴びもした。そのたびに仲間の支援を受けて彼女は立ち上がったが、そのサイクルももはや限界に近づいてきている。
それでも──退くことはしない。
これが自分の役割だということを彼女は理解していた。
レガは敏捷に動き回るエイルズレトラを捉えるのに苦労している。彼を追うとき、僅かばかりその隙は大きくなるようだった。
「くっ、惜しいな」
今また空いた背中に向け、マキナは渾身の突きを叩き込む。
しかしその一撃は、直前で割り込むように発生した白い壁によって遮られた。
「‥‥っ」
「遅いぞ、椿」
「‥‥申し訳ありません」
椿は表情を隠すようにしてレガの傍らに立つ。彼女の薙刀は、刃先が赤く濡れていた。
レガはちらと目をやったが、そのことには何も触れず撃退士たちを見やった。
「さあ、続きと行こうか。どうやら君たちの方が敗色濃厚になってきたのではないかね?」
撃退士は、意識のあるものは皆意志を切らさず身構えはしたが、悪魔の戦力はまだ余裕を残しているように見えるのは確かだ。だが。
「違うな。俺たちの勝ちだ」
そう言ったものがいる。白秋だ。彼は右手の光信機をレガに示して見せた。
「別働隊が生存者の救出を完了した。‥‥このゲートに、もう人間は残っちゃいない」
これは実は、ハッタリが入っている。救出班の縁から来た通信は「最後の拠点にいた救出者をトラックに乗せた」というもので、まだ安全圏まで逃れたわけではない。
「‥‥なるほど」
だが、レガは肩をすくめて見せた。「見事な手際じゃないか」
「そういうわけだから、僕たちはこれで失礼するよ」
輪磨が味方の前に出る。密かに盾を緊急活性する用意をしたが、ディアボロは動かない。
「仕方がないな。ベットがない状態では勝負とは言えまい。今日は私の負けということにしておこう」
拍子抜けするほど、レガはあっさりと敗北を認めた。白秋はそれを聞いて口をとがらせる。
「つまらねえな。あんたと俺達の結末にしちゃ、本当につまらねえ」
そして不敵に笑って見せた。
「──なあ、次は何をするつもりだよ、侵略者?」
「これは結末などではないさ、撃退士。私からすれば、まだほんの始まりだよ」
「今日はお前を倒しに来た訳じゃない」
神削は抜き身の剣を提げたまま、力強く宣言する。
「次はとっておきの手品を見せてやる。首洗って待ってろ」
レガはそれを聞くと、何かを思い出したようにくつくつと笑った。
「今日はなかなか楽しめた。次はより私を驚かせてくれることを期待しよう」
撃退士とレガの軍勢が少しずつ距離を開いていく。
だが完全に離れてしまう前に、絳輝が椿の元へ躍り出た。
「あなた‥‥」
「食事の予定を決めにきました!」
祭りの夜のそのままに。サングラスをかけた彼女は屈託のない笑みを投げかける。戸惑う椿に向かって言葉を重ねた。
「貴女が好きです。
ただ一度祭りをまわった間柄でも
敵と呼ばれる関係でも
例え浅ましいと言われようが、私は欲しい」
もう、ナくしたくない──。そう言って絳輝はサングラスを外した。
透き通る赤い瞳で、椿のしわがれた顔をまっすぐに見つめる。
「椿さん。
貴女が彼に望んだのは、一体何ですか?」
レガは、絳輝の邪魔をすることも、椿の返答を聞こうとすることもなかった。そのころにはすでに背を向けて、その場を離れようとしていた。
「可愛いお嬢さん。私はね」
椿は観念したような微笑みを浮かべ、答える。
「私であることを、望んだのよ。あの方に」
一歩下がる。絳輝はすがるように距離を詰めた。
「私は醜い欲に凝り固まった女です。本性を知ったらきっと幻滅するわ」
「そんなことはない、貴女は──」
「望みのために、実の母でさえ手にかける。それが、私」
椿は笑った。なんて悲しげに笑うのだろう。
次の言葉を迷ううちに、二歩、三歩と距離が開いた。それが決定的な距離になった。
「お食事の約束は、申し訳ないけれど、果たせません」
「椿さん!」
呼びかけに答えず、身を翻す。そして、彼女は去っていった。
佳槻がたどり着いた場所。そこには、二人の女性が横たわっていた。
一人は七佳。気を失っていたが、抱え起こすと呻き、ゆっくりと目を開けた。
「大丈夫ですか?」
「あたしより、‥‥」
重い手つきで指し示した先に、もう一人。間違いなく、それは八重子だった。
右目を斬られたのか、顔の半分が真っ赤に染まっている。そのほかにもあちこちに傷があり、一目でわかる重傷だった。
「あん、た‥‥来てくれたのかい」
「しっかりしてください」
声をかけるが、返事はばかりか呼吸もか細い。予断を許さない状況だ。
「いいんだ、アタシは、戦って‥‥出来ることをして、死ぬの、なら」
「それは違う。あなたの仕事は、役目は、生存者の許に帰ることだ」
あなたを待っている人がいるんです、と強い口調で訴える。
八重子は緩やかにほほえんで、しかしそれきり返事をしなくなる。呼吸がどんどん細くなっていく。
七佳にすぐ救援を回すと告げてから、佳槻は八重子を抱えて駆けだした。
か細い命を、繋ぎ止めるために。
●
装甲トラックの狭い荷台から解放された生存者たちを、赤い夕焼けが出迎える。
多くのものは歓声を上げた。歓喜の涙を流すものもいた。
また一方で、憂い顔を崩さないものたちも少なからずいる。
「ヤエばーちゃん‥‥あたしたち、助かったんだよ」
太陽を見ながらそう呟く少女の声を、誰かが聞いた。
今回の作戦で救出されたもののうち、小野八重子を含む三十名余りが病棟に入れられたが、多くは順調に快復に向かっているという。
そして戦いから五日後──伊勢崎市からゲートが消失したことが確認された。