「ナオ、ユウ、久しぶりじゃの〜。元気にしておったか?」
「あ、王様だ!」「王様だ!」
両手にお菓子の袋を抱えて平野家へ現れたハッド(
jb3000)の元へ、双子がばたばたと駆け寄ってくる。
「これはお土産じゃ。皆で一緒に食べるとしようぞ〜」
「うん!」「あがってあがって!」
ハッドが双子に引っ張られていく。他の面々もそれに続いた。
●
別行動の三名が待つ茶屋に、その老婆はほぼ予想通りの時刻に現れた。
銘柄は決まっているのだろう、店内で迷う様子も見せないその姿は、資料に記載されていたそのまま──ミシェル・G・癸乃(
ja0205)の記憶にある姿のままだ。
外見は人と何ら変わらない。だからこそ一人で町中で買い物ができるのだが、その実彼女は人ではない。そのことを確認して、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)はおもむろに立ち上がった。
ゆっくりと歩み寄る。
「小野椿(jz0221)か? 2、3聞きたいことがある」
背後から声をかけられて椿は飛び退く。一瞬のことだったが、その動きの早さは確かに老人のそれではなかった。
慌ててミシェルが声をかける。
「戦いに来たんじゃないんだし! ‥‥お話、したいだけだし‥‥」
おずおずと進み出て、その袖を掴む。
「はじめまして、お婆様」
エリアス・ロプコヴィッツ(
ja8792)は下からのぞき込むように椿を見上げた。人好きのする笑顔で話しかける。
「緑茶は詳しくないの、おススメはなぁに?」
椿は三人の目を流れるように見やって、小さく息をついた。カウンター向こうで震えている店主に向かって、柔らかい声で告げた。
「同じものをもう一袋、出してくださいな。‥‥残念だけど、もうここには来れないでしょうから」
フィオナが先に立って歩き出す。椿は大人しくついてきた。
その横ではエリアスが道すがら、親しげにいろいろなことを告げた。椿は緊張した風だったが、それがいくらかでもほぐれたのは、やはりというべきか、家族のことを口にしたときだった。
「双子は二人ともとても元気さ。時々度が過ぎて周りを困らせているけれど」
でも、彼らと触れあうのはとても楽しいよ、と子供らしい無邪気さを交えて説明すると、椿はほんの少し、微笑みを浮かべた。
「そう。そうなの」
(ふうん‥‥)
笑顔の裏で、エリアスは観察する。
ヴァニタスは生者ではない。悪魔によって創り替えられた傀儡、姿を似せただけの人形だ。だが彼女の振る舞いは、その胸中を巡っているであろう葛藤も含めて──とても自然なものに感じられた。
(お婆様‥‥やっぱり、双子くんのこと、気になるよね)
二人の後ろを歩くミシェルに、ある思いが浮かぶ。
フィオナが立ち止まったのは、人気のない小さな公園だった。
彼女が振り返ると、長い金髪が陽光に透けて輝く。椿は目を細めてそれを見ていた。
「話というのは他でもない。貴様の孫のことについてだ」
凛とした態度で告げると、エリアスも椿のそばを離れて彼女の横に立った。交渉の時間だ。
「二人がお婆様のことを知りたがってる‥‥僕達は、正体を伝えるつもり。だけど、ただ伝えるだけじゃ、二人が貴方に会いに行きかねないでしょ?」
「貴様は既に人ではない。だが当人達が未だに『会いたい』と言っているものを、口先だけで納得させられるものでもあるまい」
エリアスとフィオナ、交互に発せられる言葉を椿は神妙に聞いている。
「これ以上関われば、間違いなく巻き込まれて死ぬ。それを防ぐためには、決定的な別れを体験させる必要があると思わんか?」
「この後、仲間が彼らをここまで連れてくるんだけど」
エリアスはためらわず言った。「『おばあちゃん』としては振舞わないでほしいんだ」
「ここで死ねと言うわけではない。ただ知らぬフリをしてくれということだ」
椿は、聞き返したりはしなかった。
ミシェルはやりとりを見守りながら、考える。
お婆様なら、きっと申し出を受けるだろう。頼まなくてもそうしたかも知れない。
この交渉が、双子の安全の為に必要だということも理解している。
だけど、──だけど。
(どうしたら、この家族をなんとかできる?)
ぐるぐると、考えていた。
●
ハッドは双子への伝え方について母親である有香と相談しようとしたが、彼女の答えは「一緒に伝えて欲しい」だった。
「おばあちゃんは?」「ばーちゃんは?」
双子は有香の左右にちんまりと座って、目をきらきらさせて言葉を待っている。
「俺から、いいか?」
君田 夢野(
ja0561)が天宮 佳槻(
jb1989)を見、佳槻は「どうぞ」と一歩下がった。
夢野にはうしろめたさ、と呼べるものがあった。
あのとき──双子と椿が邂逅したとき、彼らを押しとどめたのは夢野自身だったから。
伝えなければいけない。二人が納得できる結末を迎えるために。
それが、バッドエンドでしかないのだとしても。
「あの人から、君達に伝言がある」
祭囃しの喧噪の中で聞いた、椿の言葉。
『私はもう死んだものと‥‥あの時見た物は何かの間違いだった』
一言一句違えずに伝えると、有香は顔を伏せた。だが双子は、そろって首を傾げた。
「どういうこと?」「おばあちゃんは、おばあちゃんだったよ?」
「違う。椿さんは死んだ。あそこにいた人は椿さんじゃない。悪魔が別の存在に変えてしまったんだ」
「おばあちゃんだったよ!」「僕たち、ちゃんと覚えて──」
「違う!」
夢野は声を荒げた。そうせずにいられなかった。
「大好きなおばあちゃんの姿を騙って! 人々を捕え魂を奪って! 悪魔の力を振るって人々を苦しめて! それでも君達はあの人をおばあちゃんと呼ぶのか!」
「で、でも」「でも‥‥」
剣幕におののきながらも、なおも抗弁しようとする。興奮した夢野に代わり、佳槻が冷ややかな目で見据えつつ、口を開いた。
「君達は今までのことをどう思っている」
双子はきょと、と顔を見合わせた。「え?」「今までの‥‥こと?」
「君達は過去に三回、悪魔レガと遭遇している。うち二回は急遽撃退士が駆けつける事態になった。一回は正式な依頼という形を取っているけれど、一般人を伴って敵地にはいるという無茶をした結果重体者を出した」
双子に事態を自覚させるために、はっきりとした言葉を使う。だが全て事実だ。
「君達の身勝手で、周囲にどれだけの危険と迷惑が及んだかをちゃんと理解しているのか?」
「そ、それは‥‥」「だって‥‥」
双子がトーンダウンする。明確な反論は返ってこなかった。佳槻は有香を含めた三人に向け、次の事実を口にする。
「僕は向こうで八重子さんに会いました。あそこにはまだ、生存者が残っている」
それは今日の話題ではほとんど唯一の希望のある話だった。
だからこそ、しっかりと承知させておかなくてはならない。
「これ以上の身勝手は、八重子さん達を救出する障害になるだけだ」
双子は潤んだ目で佳槻を見上げている。こんなにストレートに言われたことは無かったのだろう、反省した様子も伺える。だが、抵抗の光も垣間見えた。
そのとき、誰かの端末が音を鳴らした。フィオナ達からの着信だった。
ルドルフ・ストゥルルソン(
ja0051)は家には上がらず、家の周りを警戒していた。万が一説得が上手く行かず、双子が家を飛び出してくるような事態に備えてだ。
勝手口や一階の窓などを見て回っていたが、双子が飛び出してきたのは玄関からだった。
「おっと」
とにかく一人の正面に立って抱き留めると、もう一人はその横で勝手に止まった。
「おばあちゃんが、来てるんだって!」
隣の子がルドルフに向かって叫ぶと、抱き留められてもがもが言っていた子も顔を上げた。
「本物のおばあちゃんか、確かめるんだ!」
他の面々も玄関から出てくる。ルドルフはひとまず安堵した。
「群馬の悪魔は何考えてるか分からないから、勝手に行くのは危ないし、みんな心配するよ」
双子の片方──どうやら尚矢らしい──と手をつないで歩きながらルドルフが言うと、彼は頷いた。
「うん。めーわくだもんね」
説得は効果があったらしい。
「もうすぐ行けるようになる。行けるようにするよ」
彼らが忠告を守るなら、次はこちらの番だ。
もうひとり──つまり勇矢はハッドと手をつないでいた。
「心の友とは、ともに喜びともに苦しむコトができる本物の友情をもった者のコトじゃの」
「王様は?」
「そ〜じゃな〜。我輩とユウとナオは友だちじゃな」
何気ない会話の中で、そんなやり取りをした。
一行は、椿の待つ場所へ向かう。
●
合流した面々を、椿は一人一人見回した。面識のある夢野、佳槻、そして佐藤 七佳(
ja0030)には微笑みかけ、挨拶をした。
双子には何もしなかった。
それは勢いをくじくには十分だったようで、双子は椿から離れた場所で立ちすくんでしまった。
彼らが近づいてこないことを確認すると、七佳が口を開いた。
「何故、ヴァニタスになったの?」
それは彼女のみならず、知りたいと思われていた疑問。無言で促されて、椿は答える。
「必要ではあったわ。領域内で食糧を調達することが難しくなって、生存者は飢えとも戦わなければいけなくなった。レガ様に継続的な食糧供給をしていただくため、私は自分の身を差し出した」
「自分を犠牲にして、生存者を救おうとした‥‥?」
エリアスが首を傾げると、しかし老婆は緩く首を振る。
「事実だけを見れば、そう見えなくもないけれど。そんなきれいごとではないのよ。私には欲があって、その欲に負けたの。母は、私を許さないでしょうね‥‥」
領域の中の八重子を思うかのように、椿は遠くを見やった。
「大半の人は天魔の眷属となり人に牙を剥くことが悪と断じるけれど、私は、そうは思わない」
七佳がそう言った。
「天魔が人の魂を喰らうのは糧にする為、或いは娯楽として。‥‥人が家畜を殺すのと何ら変わらない。なのに人は自分達が狩られる立場になった途端、相手を悪と呼び、耳障りの良い正義を掲げて、天魔を殺す」
それまで大人しく後方に控えていた少女は、椿の目を見据えて言葉を吐き出す。
「正義は人の数だけあると言うけれど、人の数だけあるならそれは独善でしかないわ」
それは、常に彼女の心にある疑問。
「天魔の眷属になったあなたに聞きたい。本当の正義って、何?」
まっすぐな視線を、椿はまっすぐに見返した。
「あなたは『正義』という言葉の意味を知りたいのかしら。それとも‥‥自分の行動の裏付けになる言葉が欲しいの?」
厳しい目は、一瞬。すぐに微笑みを取り戻して、椿は続ける。
「どちらだったとしても、私には答えようもないけれど‥‥レガ様は私によくこうおっしゃるわ。『したいと思ったことをすればいい』」
微笑みが深くなると、顔の皺が増す。「少なくともあの方は、正義なんて考えたこともないのでしょうね」
椿はもう一度視線を七佳へ戻した。
「人の行動を言葉で括るのは、そりゃ大変なんじゃないかって思うわねえ‥‥私に言えることは、これくらいよ」
椿が七佳達と言葉を交わすのを、双子は遠くからじっと見つめていた。
ルドルフは彼らの肩に手を置きながら、その様子を眺めている。
交渉が上手くいったのだろう、椿は双子達には一瞥をくれただけで、あとは全く目を向けようともしていなかった。
大好きなおばあちゃんに無視をされるという仕打ちと、夢野の言葉が子供達の中で結びつこうとしている。だけど、まだ納得し切れていない。彼らの横顔からは、そんな様子が見て取れた。
「‥‥行きなよ」
二人の背をぐっと押してやると、双子は驚いてルドルフを見上げた。
「確かめたいんだろう?」
その言葉に、決意をみなぎらせた二人は顔を見合わせると、駆けだす。
「やっぱり、俺は『撃退士』には徹せられないんだよなぁ‥‥」
ルドルフは頭を掻いて、それを見送った。
「おばあちゃん!」
二つの声が重なって響く。撃退士達の輪をすり抜けて、双子は椿の前に立った。
そして、決死の覚悟を秘めた声で、言う。
「どっちが、どっちだ!?」
尚矢と勇矢、並んだ二人は真剣そのもので、椿の返事を待ち受けた。
椿は一瞬だけ、戸惑った表情を見せた。視線がフィオナ達の方へとかすかに動く。だが一度、二度と瞬きをした後は、子供達をしっかりと見据えた。
ふ、と小さく息を入れてから、指先を持ち上げる。
「尚矢君」
向かって右の子を指さす。
「‥‥勇矢君」
そして、左の子を指さした。
「本当に!?」「‥‥本当に!?」
もう一度問いつめられて、椿は今度こそ困ったように笑った。
「分からないわ」
それが子供達にとって決定的なものになったようだった。
双子はそろって息をのむと、身を翻して駆け出す。
「ナオ、ユウ!」
ハッドがすぐ二人を追いかける。ルドルフも残りの者に「まかせて」とジェスチャーしてその場を離れた。
「ひとまず、礼を言う」
フィオナが椿に向き直った。
「次に見えるとすれば戦場であろうな。そこでの容赦は期待しないことだ」
「‥‥この結果は、彼らの身勝手が招いたものだ」
佳槻がそれを口にしたのは、それが半ば椿に向けた言葉でもあるからだ。
「今救われるべきなのは、あなたでも彼らでもない。八重子さんと共にいる人々だ。邪魔をさせるわけにはいかない」
椿はそれには答えず、一歩身を引いた。
「今日は、お暇します。我が主の領域に踏み込むならば、こちらも容赦は出来ませんよ」
「お婆様!」
たまらず、ミシェルは呼びかける。
「このままじゃ、お婆様と戦うことに‥‥。けど、瀕死の所を助けてくれた。お祭り‥‥楽しかった!」
心の中の思い出と、今日のやり取りを合わせても、ミシェルにはどうしても思えなかった。彼女が自分の為だけに悪魔の手先となったようには。
だから、言わずにいられなかった。
「お婆様‥‥一緒に、こない?」
返事は、悲しい笑顔と共に返された。
「それは、無理よ。ミシェルちゃん」
「なぁ、椿さん。俺は貴方と戦いたくないんだ」
夢野も訴える。「敵だとは分かっている。だけど、例え今居る貴方が『小野椿』ではないのだとしても‥‥貴方を斬ったら、あの二人は悲しむだろう」
双子ばかりではない。娘の有香も、母の八重子も‥‥彼女と関わってきた人々。人間としての生全てを天秤に掛けても。
「教えてくれ‥‥今の貴方にとっての全ては、本当にレガなのか?」
椿は、直前に見たのと同じ仕草をした。つかの間目を泳がせ、瞬きをし、小さく息をついて、それから答えた。
「‥‥そうよ」
夢野はその意味を思って、下を向いた。
●
ハッドはユウとナオを腕に抱いて、存分に泣かせてやっていた。
「今は泣くが良いのじゃ。男子は苦しみや哀しみを乗り越えて漢になるのじゃ」
(そして独りで必死に哀しみに耐えている母親を支えてやるのじゃぞ)
ルドルフは彼らのそばで、泣き声を聞いている。
(これで良かったと‥‥思いたいね)
背中を押した手のひらを見つめていた。