「ウシシシー佳澄おべんとー忘れてるんだぞー! 母さん怒ってたんだぞー」
弟の彪姫 千代(
jb0742)が教室にやってきて、春苑 佳澄(jz0098)はあっと声を上げた。
「忘れてた‥‥ありがと」
「佳澄はおっちょこちょいだから俺がしっかりしないとなんだなー!」
胸を張る千代。そんな彼の服装は今日も前全開のワイシャツにタンクトップだ。
「もうちょっと暖かい格好しないの?」
「おー? 冬はタンクトップだぞ?」
「あと、あたしのことはちゃんとお姉ちゃんって呼ぶこと!」
「おー! 佳澄は俺の姉さんなんだぞー!」
千代は嬉しそうだ。服装も呼び方も、どれだけ言っても直らないので半ば諦め加減である。
予鈴が鳴った。早く戻らないと、と佳澄が千代を促す。
「おー、俺戻るぞ!」
千代は来たときと同じように飛び出していこうとして、入り口あたりで振り返った。
「佳澄ー俺今日エンのところ行ってくるんだぞー! 父さん達に帰り遅くなるって言って欲しいんだぞー!」
手をぶんぶんと振って、千代は走り去っていった。
「動物みたいよね、彼」
「うん、可愛い弟だよ」
友達の言葉に、佳澄は相好を崩して言うのだった。
「こんな時間か」
炎宇(
jb1189)はゆっくりと目を開けた。ベッド代わりに使っているソファから身を起こし、一度伸びをする。
「おはよう、兄弟たち」
壁に掛けられた家族の写真に向かっていつものように微笑みかけると、朝の支度を始める。
「そういえば、今日はチヨが来ると言っていたな‥‥」
●
結城 馨(
ja0037)は自分の研究室で講義の手順を確認していた。
今日はまず先週出した課題を学生たちに報告させるところから。すぐには説明せずに、彼らに議論させて考える時間を作ろう。自分の意見はその後から──。
時計を見ると、いい時間だ。
「そろそろ行きますか」
「じゃあ次のところ、──」
潮崎 紘乃(jz0117)が名前を呼ぶ声は、扉が開く音にかき消された。
「ふあぁ‥‥おはようさん」
欠伸混じりに入ってきたのは小田切ルビィ(
ja0841)だ。
「はいおはよう。遅刻よ、小田切君」
「社会勉強が忙しくってさ? 大目に見てくれよ、潮崎センセ」
ルビィは悪びれもせず片目をつぶって見せた。
●
昼休み、お弁当を持った佳澄は花壇が並ぶ一角へと向かう。
「アルファルド先輩!」
園芸部のクジョウ=Z=アルファルド(
ja4432)がいつものように花の世話をしていた。彼は作業の手を止めてにこやかに片手をあげる。
「お早うございまス。今日もいい天気ですね」
「花やハーブの匂いを嗅いでいると、心が落ち着きまス‥‥これハ、丁度収穫時期ですね。少し持って行きますカ?」
クジョウの日本語はまだ少し発音が怪しいが、それはそれで彼の魅力の様にも思える。佳澄は彼の話を聞いているのが好きだった。
「おヤ、あれは‥‥」
校舎の中を、金色の髪をなびかせ足早に歩く女性の姿があった。
「やあ、エリスさん。これからお昼ですカ?」
声をかけられたのはエリス・K・マクミラン(
ja0016)。
(‥‥! その名前は言わないでください!)
失礼、エリス・クラインである。
数冊のノートを束にして抱えるエリスは急いでいたが、無視するわけにも行かず立ち止まる。
「え、ええ‥‥そんなところです」
数分後──エリスは食堂でクジョウ、佳澄と一緒に昼食を取ることになってしまっていた。
(ああ‥‥早くサロンに行かないといけないのですが)
「そのノート、どうしたんですか?」
「えっ? ああこれは‥‥私は大学部への進学も決まりましたので、古いノートは処分してしまおうと思いまして」
嘘は言っていない。脇に置いたノートの一番上に「高3 数学」とあるのを確認しながら冷静に答える。
「あたし、今度三年にあがるんです。見せて貰ってもいいですか?」
「え、ええっ!?」
渡すわけにはいかなかった。いや数学のノートはいいのだ。問題はその下のモノだ。
「いえ、あの‥‥私、字が汚くて。申し訳ないのですが」
佳澄はそうですか、とそれ以上食い下がってはこなかった。ほっと一息。
ところが、今度は横のクジョウ。
「エリスさん、黒いローブを着て何やら妖しげな黒魔術のミサをしたりしないのですカ?」
佳澄がきょとんとしている。エリスは慌ててクジョウに身を寄せると小声で叫んだ。
「クジョウさん! その話題は‥‥」
いつもと変わらずほんわか笑顔のクジョウ。エリスをつと見て、思い出したように笑った。
「ああ、そう言えばこれハ内緒でした」
(この人は‥‥!)
朴念仁はこれだから、とエリスは内心で深いため息をつく。結局、昼休みはノートを処分出来なかった。
●
「放課後であるううぅぅうっ!」
帰りのHRが終わるとともに、マクセル・オールウェル(
jb2672)は覚醒した。
「待ちに待った部活動の時間である! そう言えば今日は新聞部が取材に来るのであったな!」
改めてノートの束を抱えて廊下に出たエリスは、勢いよく歩いてきたマクセルとぶつかってしまう。
「きゃっ!?」
弾き飛ばされ、つんのめるようにして倒れ込んだ。
「おっ、これは失礼したのである!」
マクセルは廊下に散乱したノートを拾おうとするが──。
「だだだだ大丈夫ですからお気になさらず!」
大慌てのエリスが猛然とノートをかき集める。他の誰にも拾われずにすべて回収を終えた、が。
──ない。
肝心の、あの一冊だけがない!
目の前の窓が全開に開かれている。エリスの顔面は蒼白になった。
馨は午前の授業を思い返しながら、中庭を歩いていた。
「結城先生」
振り返ると、紘乃が近づいてきていた。齢の近い彼女はいい友人だ。
「少し、お疲れ気味ですか」
紘乃が顔を覗き込んでくる。
「‥‥中々上手く行かないもの、だと思いまして」
「授業の悩みだったら、負けませんよ」
若年の講師と高校教師は、苦笑しあった。
ふと二人の目の前を、小さな女の子が横切っていく。
「どうしたの、こんなところで」
馨に声をかけられて、女の子はどぎまぎと黒い双眸を泳がせた。
「あの‥‥先生に呼ばれて」
「どの先生? 連れて行ってあげようか」
紘乃が言うと、ぶんぶんと首を振る。
「大丈夫、です」
女の子はぺこりと頭を下げると、走り去っていった。
「あれくらい大人しそうな子だと、教えるのも楽かしら」
「子供は子供で、苦労がありそうですけどね」
馨の携帯がアラームを鳴らす。馨はああ、と声を出した。
「学生のアポがあるんでした‥‥帰り、よかったらどこかに寄りません?」
馨の誘いを紘乃は二つ返事で了承し、その場は別れた。
女の子は校舎裏へ急ぎ足。
夢の中で黒夜(
jb0668)であった、白鷺月子は辺りを見回しつつ。
「ネコさん、いる?」
段ボール箱の中で真っ黒い塊みたいになっていた子猫が目を開けて、ミィと鳴いた。
お昼のパンの残りを食べさせてあげながら、月子は今朝見た夢を思いだす。
──あれは、なんだったんだろう。
お父さんやお母さんが、わたしに乱暴するなんて。
怪物がたくさん出てきて、わたしが武器を持って戦うなんて。
お姉ちゃんが、死んじゃうなんて。
あり得ないことだった。両親はとても優しいし、月子は怖がりで大人しい女の子でしかない。
双子の姉の陽子だって元気だ。今もこれからここにやってくるはず──。
そういえば、遅いな。
月子は不安になった。動悸がする。急に今いる現実が現実でないような錯覚を覚える。
振りかえると、人影があった。
「お姉ちゃん!」
逆光で顔がよく見えないが、それは間違いなく陽子だった。
──やっぱり、あんなの夢だよね。
残したままの指先を子猫がペロペロなめている。くすぐったさに、月子は笑った。
ルビィは校舎の外を歩いていた。
「あーあ。何か面白いネタは転がってねえかな‥‥」
毎日毎日、バイトに忙殺される代わり映えしない日々。
ヒュッ──。
「ん、おわッ!?」
上から何か降ってきた。
「いってぇ‥‥なんだこれ?」
地面に落ちたそれは、一冊のキャンパスノートだった。とりあえず拾い上げる。
「エリス・K・マクミラン‥‥誰だ?」
「おやそれハ、エリス・クラインさんの『魔女名』でスね」
都合よく通りかかったクジョウが親切に教えた。
「クラインって、確か社長令嬢の‥‥」
「それ、返してください!」
向こうから、エリス本人が駆け込んできた。
エリスは手を伸ばしてノートをひったくろうとするが上手く掴めず、ノートをひっぱたいてしまう。
すると、使い古されたノートはそれで限界を迎えた。バサバサと派手な音を立てて、ルビィが手にした表紙から中身がこぼれ落ちていく。
「あ、あ、あああ‥‥」
それは、かつて彼女が患っていた『病』の遺物。
「黒炎よ、我が手に集いて爆ぜよ‥‥ファイアバースト」
外れたノート──当時の彼女風に言えば『魔導書』の一ページを拾い上げて、ルビィが口に出す。
「こちらハ、イラストですね。仮面とフードをかぶった‥‥よく描けていまス」
クジョウは特に驚くでもなく、拾ったページを眺めている。
そう、エリスの病‥‥それは、『中二病』であった。
●
ルビィは野球部へ向かう。新聞部の取材だ。
「我輩はマクセル・オールウェル。どこにでもいる普通の十七歳、高校球児である! よろしく頼むのである!」
「あ、ああ‥‥よろしく」
にこやかにポーズを決めるマクセルは球児と言うよりはボディビルダーのようであった。
「では、甲子園を目指す我が部の練習を紹介するのである!」
「まずは重いコンダラを引きながら校庭100周であるぅーっ!」
「え‥‥マジ?」
実際にはそんな名称ではないそれの取っ手をつかんでマクセルは猛然と駆け出した。
「うおおおぉぉぉーっ!!」
そして、転んだ。
「ぐおおおぉぉーっ?!」
今、ローラーが体の上を通過したように見えたのだが‥‥。
「ええーい、痛いではないか?!」
元気に起きあがったところを見ると目の錯覚だろう、きっと。
「次は千本ノックである! さあ、こーい!!」
怒濤に打たれる球を、意外に器用にキャッチしていく。だが、すこし離れたところにボールが飛ぶと──。
「くぅぅー、届かぬ、届かぬのであるぅ‥‥」
根本的に、足が遅い。
「良いのである、良いのである‥‥我輩、所詮はレギュラーではなく、代打要員である‥‥」
失敗する度、グラウンドに「の」の字が増えていった。
炎宇の学生寮までやってきた千代。興味津々で部屋を見回した。
「エンの部屋は本ばっかりなんだぞー!」
「詰まらないだろうが、どれでも好きなものを読んでくれて構わないぞ」
「おー! エン難しい本いっぱい読んでるんだな!」
じゃあオジサンは飯の用意をしよう、と炎宇はキッチンへ向かおうとする。
「おー? エンはなんで女の子の本持ってるんだー?」
不意にそんな声が聞こえて振り返った。
千代が手にしていたのは、ビーズアクセサリについての本。
明らかに周りから浮いたその一冊を見たとたん、立ちすくんだ。
──‥‥とね、‥‥に‥‥!──
閃くように声が聞こえた。
誰の声だろう。なんと言っていただろう。
まどろみの中の夢のように遠く儚く、声は消えてゆく。
「エンー? どうしたんだ!? エン泣いたら駄目なんだぞ?」
戸惑う千代の声で我に返った。
なぜ泣いたのか、悲しいばかりで理由は分からなかったが、目の前の少年を安心させるために炎宇は涙を拭った。
「目に何か入ったのかも知れんな‥‥心配してくれてありがとう、チヨ」
●
「エン‥‥辛い! 辛いんだぞー!」
料理をためらいなく口に放り込んだ千代は涙目で叫んだ。
「一気に頬張りすぎだ。ほら、水」
炎宇に渡されたコップの中身を一気に飲み干す。
「これ、辛すぎるんだぞー‥‥」
「オジサンも小さい頃は苦手だったが、これが故郷の味ってやつでな‥‥老いも若きも皆こいつを食って育つ」
「おー‥‥エンのこきょーの味なのか‥‥じゃあ俺食べるんだぞ!」
「ああ、食べてくれ。デザートには甘い揚げ団子もあるからな」
エンの故郷が知りたいという千代に、炎宇は祖国のこと、家族のことを語って聞かせる。
血の繋がりはなくともかけがえのない彼らのことを語るとき、炎宇の目はどこまでも優しかった。
子猫と別れた月子は姉と二人、寮への道を歩く。
帰ったらなにをしようか──そうだね、ピアノの練習をしよう。連弾、成功させなきゃね。
他愛ないおしゃべりをしながらも、つないだ手の温もりを確かめる。
「お姉ちゃんはいなくなったりしないよね? あの夢みたいに」
怖い夢を見た話をしたら、陽子はにっこり笑って手を握り返してくれる。
「大好きなお姉ちゃんと一緒にいられて、すごく幸せだよ?」
寮に帰り着くまで、月子はずっとその手を離さなかった。
「どうしても、講義中に早口になってしまって‥‥」
「私は逆かも。急に単語が出てこなくなったりとか」
馨は紘乃と一緒に喫茶店にいた。最初は授業の悩みを互いに相談していたが。
「そう言えば、イギリス時代の知り合いから紅茶送って貰ったんですよ」
馨のそんな言葉からどんどんプライベートの話題になり、ただのおしゃべりに。
悩み事の結論は出ないけれど、詰めた気持ちは吐き出せた。気の置けない友人の有り難みを感じながら、馨は一日が終わりゆく窓の外を眺めた。
「ふう、今日も良い汗をかいたのである‥‥」
一日の練習を終え、マクセルはさわやかな笑顔と共に仲間たちを振り返る。
「よし、では銭湯までダッシュである! ビリのものは1位のものに牛乳を奢るのであるぞ!」
言うなり駆け出すマクセル。──だがあっという間に後続に追い抜かれていった。
「ま、待つのであるうぅぅー!」
華麗なる墓穴であった。
自室に戻ったルビィは机に向かう。
“テンマ”とやらが現れ、自分たち学生が日夜戦う、そんな荒唐無稽な夢を時々見る。
今日ふと思いついた。
──あの夢を小説にして、校内新聞に掲載したら面白いかも?
魔女の末裔やら、筋肉マッチョの天使やら。昼間見たものもアイデアに盛り込んで、簡単なプロットを書いてみる。
「タイトルは‥‥そうだな」
記した単語は“エリュシオン”。
「交錯する様々な想い、繰り返される出会いと別れ‥‥そして彼等が辿り着く『理想郷』とは──? へへ、いい感じじゃねえか」
もちろん、彼は知らない。
退屈な日常だと思いこんでいるこの世界こそ、まさしく自分の求める『理想郷』であることなど。
●夢の終わり
それは、一晩限りの夢物語。
目覚めれば遠く、泡沫のよう。
「なんだよ‥‥これ」
夢の中で月子だった黒夜は布団の中で、一人。
掴むもののない手は冷たい。
「なんて最悪で、それでも」
最高で、最幸な夢だった。
勝手に流れる涙ばかりが熱かった。
「‥‥うー‥‥おれ、なんか父さんに会いたくなったんだぞ!」
千代は上半身裸のいつもの格好で、今日も学園に向かう。
撃退士たちの新たな一日が始まるのだ。