「こんな入り組んだ市街地で偵察任務かよ。しかも真っ昼間。依頼者は俺達を犬死にさせる気か?」
カイン 大澤 (
ja8514)は不満げに口をとがらせる。
「普通は夜だろ、こういうのは」
「それだけ、状況が切羽詰まっているということではないでしょうか」
黒井 明斗(
jb0525)は冷静な口調でそう答えたが、それは彼の内心とも言えた。
アウルを持たない人間が結界の中で無事でいられる期間には限りがある。
長く悪魔の支配下に置かれているこの地で、果たして何人が生き残っているのか‥‥。
そのことを考えると、明斗の胸は張り裂けそうだった。
「相手は人間じゃないですからね。夜なら侵入しやすいとは限らないかもしれません‥‥それに」
こちらも淡々と、天宮 佳槻(
jb1989)が言った。彼は空を見上げる。
ここはすでに支配領域だ。結界に覆われている空は不透明で、重く垂れ込めた曇天のようであった。
「この空なら、影で見つかるということはなさそうです」
「ま、仕事だからな」
カインはそれだけ言って、あとはまた索敵に意識を集中する。クジョウ=Z=アルファルド(
ja4432)は隣に並ぶ少年に一つ頷いた。
「‥‥ああ、そうだな」
力持つ者は力なき者の為にその責務と責任を負う。
いかに危険で困難な任務でも、その思想が根底にある限り彼は迷うことがない。
彼と同じように考えた老婆が今まさに行動していることは、このときまだ誰も知らなかった。
●
『前方にディアボロの一団があります』
クジョウが持つ光信機から柔らかい女性の声が聞こえた。少し先の空を行くライラ・A・ヴェクサー(
jb4162)だ。
「やり過ごせるか?」
『ええ、こちらから離れるように移動してますから‥‥少し待てば』
ライラの返事には、小さな安堵が含まれていた。だが、そこへ差し込むように別の声がする。
『待って。後ろから飛んでくるのがいる』
ライラと共に空からの偵察に当たっていたユリア(
jb2624)の声。数匹のドラゴンフライがこちらを目指して飛んできていた。
このあたりは背の高い建物は少なく、また偵察の任を果たそうとすればどうしても隠れてばかりはいられない。完全に戦闘を避けるのは難しかった。
クジョウは舌打ちし、ライラたちに降りてくるよう伝えた。これ以上敵を呼び込むわけにはいかない。
「急いで倒してしまいましょう」
明斗たちも武器を顕現し、羽音を散らして飛び込んでくる敵を待ちかまえた。
「‥‥終わりか?」
アサルトライフルを肩に担ぎ、カインは周囲を見渡す。新手の気配はない。
「そうみたいだね。‥‥ったた」
「大丈夫ですか? 治療します」
顔をしかめたユリアに明斗が近づく。ダメージ自体は大したものではなかったが、彼女は魔装の維持に多くのアウルを割いており、それは当然彼女の生命力に負荷を与えていた。
「他のディアボロに見つからなかったのは、幸いでしたね」
ライラが言うと、明斗に手当を受けていたユリアはやや不思議そうに首を傾げた。
「それなんだけど、敵の動きがちょっと気になるんだよね」
「動き?」
「変に統制が取れてるっていうか‥‥でもなんだか忙しないんだよね。移動速度も妙に速いし」
「そう言えば、そうですね」
ライラが眼帯に隠されていない右目を見開く。
「何か起きているのかもしれませんね」
考え込むようにしてそう言ったのは佳槻だ。
「たとえば、何かを探しているとか‥‥」
一同は顔を見合わせる。悪魔の支配下に落ちて長いこの地で、彼らが探すものといったら何だろうか。
「行ってみよう、その先へ」
ユリアの言葉に、全員が頷いた。
●
敵の動きを観察しつつ、発見されないように慎重に進む。
「地図持ってても迷いそうだぞこれ」
カインがうんざりしたように呟く。二階建て程度の住宅が多く、目印になる建物が少ない。ギリギリの高度で飛ぶ二人のナビがなかったら、現在地を把握するのも苦労していたかもしれない。
阻霊符も発動していないので、建物の向こうから敵が飛び出してこないとも限らない。明斗が時折生命探知を行って、壁の向こうに何かいないかを確認していた。
住宅地を抜けると、土手になっていた。
「川だ」
歩いて渡れないこともなさそうな深さと水量だが、土手は雑草で覆われており、飛べるもの以外は少し手間取りそうだ。
左手には大きな橋が架かっているが、そちらは遮るものがいっさい無く、敵をやり過ごす手段がない。今もそこに敵の一団がいて、橋を向こう側に渡っていくのが見えていた。
「迂回して川幅の狭いところを探しますか?」
佳槻が周囲に問うた時、ライラが小さく声を上げた。
「あそこ‥‥!」
彼女が示す橋脚のあたりに皆目を凝らす。思うさま緑が茂るその中に、小さく白い固まりがあった。その下にかすかに肌色が見える。
頭だ。それも、おそらくは人間の。
「もう少し近づこう」
心のざわつきを抑えて、クジョウが言った。慎重に路上に出て、距離を詰めていく。自身も土手に入り、人影に意識を集中する。
「カオスレートゼロ。少なくとも、悪魔の類じゃなさそうだ」
悪魔の眷属なら例外なくカオスレートがマイナスかと言えば実はそうとも限らないのだが、それはかなりのレアケースだ。
「それなら」
ユリアとライラが目線を通わせ、翼を顕現した。
●
「まさか、今になって助けが来てくれるなんてねえ」
助けだした小さな老婆‥‥八重子は感慨深くそう言った。
「すみません、こんなにも遅くなってしまって‥‥」
「ああ、責めとるんじゃないのよ。とても嬉しいの。アタシたちもまだ、忘れられとらんかったんだってね」
思い詰めた表情で謝罪する明斗の背中を叩きながら、八重子はとても晴れやかな表情を浮かべている。
「とにかく、こうなった以上は調査は切り上げですね」
「そうだね。八重子さんを連れて戻れれば、これ以上ない成果になるし」
佳槻の言葉に反論するものはもちろんいない。カインが八重子に向き直った。
「俺達は偵察隊だ、大人数を連れて戻る能力はない。分かるか?」
苦しげに、しかし八重子は首肯する。彼女を連れ出すということは、残るものをすべて置いていくということだ。
「逃げるのは、今後の命を護る為です‥‥」
ライラが苦しげに言葉を発する。。
「お待ちなさい」
だが、それを遮るものがあった。
屈強な巨人に、目玉の怪物を従えたその声の主もまた、老婆。
「その人を連れていかせるわけには‥‥参りません」
ヴァニタス・小野椿が険しい表情でこちらを見ていた。
●
「一人で敵中を逃げるパワフルな婆さんがいると思ったら、今度は薙刀持ったパワフルな婆さんか。何なんだ?」
カインがとぼけた口調で椿を見やる。
「なんだか故郷の祖父母を思い出します‥‥」
ライラはどこかのんびりとそんなことを言った。
一方、佳槻の脳裏には浮かんだのはある夜の光景。祭囃しと子供の歓声が飛び交う景色の中で、ふと心に残っていた不思議な人たち。
(ヨーヨー釣りのお客さん‥‥?)
何故今ここにいるのか。むしろ何故あの時いたのかと言うべきかもしれないが。
しかし、佳槻は疑問をすぐ思考の外へ追いやった。今はこの状況を乗り切ることが最優先。
向こうは佳槻には気づかない様子で、八重子のことを見ている。
「椿‥‥!」
険の強い声は八重子のものだ。彼女はほとんど睨むような目つきで椿を見返す。その視線に耐えかねるように一度目を伏せ、椿は全員を見渡した。
「あなたたちは、撃退士ね」
「だったら、何だ?」
カインが言い返す。
「ここは我が主レガ様の支配する土地。あなたたちの立ち入りは認められていません。その人を置いて、即刻立ち去りなさい」
固い岩のような言葉だった。祭の夜の柔和な雰囲気とあまりにもかけ離れていて、佳槻は違和感を覚える。
「戦いを避けられるのなら、喜んでそうします。ですが‥‥」
「八重子さんを連れていかせる訳にはいかないね」
ライラの言葉をユリアが引き継ぐ。二人は八重子を隠すように彼女の前に立った。
たまたま今日八重子が逃走を図り、たまたま偵察部隊の侵入があった、それら偶然の結果であったとしても。か細い希望の糸は今ようやくつながろうとしている。
八重子はその糸をつなぐ人間だ。
「そう‥‥やはり、そうなのでしょうね」
椿は息を吐く。
「こちらも退くことは出来ません。‥‥少し痛い思いをしてもらいますよ」
薙刀を構え直すと、それを合図に周りを浮遊していた目玉──カースアイと通称をつけられることになる──が一斉に散開し、その目をぎらつかせた。
何か不気味ですね、とその目玉へとつがえた矢を向ける明斗。彼の予感はすぐに的中することになる。
「くっ‥‥なんだ、これは」
鞭を構え、敵へ接近しようとしたクジョウは尋常でない足の重さを感じて呻いた。
四匹いるカースアイの内二匹の目玉が鈍い銀色に輝いている。クジョウばかりでなく、銀の目玉に照らされた全員が同じ感覚を味わっていた。
別の二匹の目玉が今度は赤く輝く。今度は強烈な光線が伸びて、明斗と、八重子の前にいたユリアを捉えた。
「こっちは、個人用ってことですか!」
明斗は抵抗し、光線を払いのけたが、ユリアは捕まってしまう。
「動けない‥‥!?」
縄のようにからみつく光の中で苦労して身をよじり、PDWを構えて赤い目玉を撃つ。明斗らが追撃してそいつを地面に墜とすと、ようやく体が自由になった。
「厄介ですね、早々に消えて貰いましょう」
カースアイは特殊行動に特化しているらしく、近づいたり攻撃してくる様子はない。代わりに正面からは合流してきた二体のリザードファイターが切り込んできていた。そちらにはカインと佳槻が対応に当たる。
ライラとユリアは八重子を背後にかばいつつ、カースアイを狙っていたが‥‥。
「こっちからも来るよ!」
八重子の声に、ドラゴンフライが三体後方から接近しつつあることを知る。ライラはリングの力で浮かべた魔球のいくつかを、そちらへ向けて飛ばした。
椿はオーガーとともに、しばらくは戦況を見守っていた。だがカースアイの三体目がクジョウの鞭で沈み、リザードファイターが二体とも倒されたところでしびれを切らしたように接近してきた。
「足止めにでもなれば‥‥!」
オーガーに向けて佳槻が八卦石縛風を放つ。強力な石化の風は、しかし敵の眼前に現れた白い壁によって阻まれる。
(対抗スキルか?)
それでもいくらかは通ったようで、オーガーは数瞬、足を止めた。その分椿は飛び出す格好になったが、待つことなく突っ込んできた。
「いくらボケが始まったからって、刃物もって暴れんなよ、婆さん」
(マジヤバイな長物かよ‥‥俺の持ってるやつでもやりづらいな、骨折くらいは許容範囲か)
口汚く罵りながら、カインは冷静に敵との距離を測っていた。
敢えて隙を作り、読みやすい攻撃を仕掛けさせる。案の定直線的に繰り出されてきた刃を躱し、一息に踏み込む。
「喰らっとけ!」
リボルバーの銃口を突きつけ、出来る限り引き金を引く。やはり現れた白い壁にアウルの弾丸がめり込んで、壁向こうの老婆の顔が歪んだ。
薙刀の軸が回り、石突きが突き出されてくるのを左腕で受け止める。老人とはいえヴァニタスだけあって動きは早いが、戦いの場数ならこちらが上だ。
クジョウがカインをフォローする。側面から椿に鞭先を唸らせると、相手は受けきれずに着物の袖が裂けた。生地と一緒に赤い物が散る。
だがまだ致命傷には遠い。撤退の隙を作るためにも、全力攻撃だ。
クジョウは続けて鞭を振りかぶろうとした。
「危ない!」
その声とともに背中に強烈な熱を感じて、クジョウはカイン諸共弾き飛ばされた。
佳槻の八卦石縛風は、今度は白い壁に遮られなかった。だが、巨人は石になることなくそれを受けきった。
そして、クジョウたちの背後から蛮刀を一閃したのだ。
「ぐ、うっ‥‥!」
背中から熱いものが流れ出るのを感じながら、クジョウは踏みとどまった。技を終えた直後のオーガーめがけて、渾身のセイクリッドクロス。
十字の白光がオーガーと、その背後から迫りつつあった雑魚をまとめて呑み込む。
白焔を浴びても、オーガーはまだ立っていた。荒く息をつき、瞳を滾らせてクジョウへと蛮刀を構える。
明斗は逡巡する。『審判の鎖』でオーガーの動きを止めるべきか? 満身創痍のクジョウや、その背後で倒れているカインの救護を優先するべきか?
後方からも敵が来ている。ライラや自分自身も無傷ではない。カースアイはまだ一体残っている。
何か、ないか。この状況を打開できる一手は──。
「もう十分! あんたたち、ありがとさん」
その声はしわがれていて、しかし戦場の中でもよく響いた。
八重子はライラとユリアの間からひょいと体を出すと、椿に向かって叫ぶ。
「アタシがついてけば、この子たちは帰してくれるんだろうね!?」
クジョウの横で油断無く薙刀を構えていた椿の返事は、数拍開いた。
「‥‥これ以上何もせず帰るというなら、追いはしません」
「だってさ。悪かったねえ、こんなバーちゃん護りながらじゃ大変だったろ」
「八重子さん‥‥」
ユリアに笑いかけ、八重子はゆっくりと、椿の方へ向かって歩く。途中、佳槻の隣で足を止めた。
「あんたも、顔が煤けちまって‥‥せっかくのイイ男が台無しじゃないか」
そう言うと、遠慮なく佳槻の体をはたいて埃を落とした。
「ホラ、脇締めて、しゃんとして!」
「!」
佳槻は気を付けの姿勢をとった。
「絶対に、助けに来ます」
「‥‥頼んだよ」
椿は無言で八重子を迎え入れる。戦いの時には見えなかった沈痛な表情が戻ってきていた。
「もう少しだけ、頑張って下さい!」
明斗の声を背中に受け、八重子は片手をあげて応えて、去った。
●
敵の姿が消えてから、佳槻は閉じていた脇を開く。
八重子が彼の脇の下にねじ込んでいったのは、小さく折り畳まれた紙片だった。
開くとそれは伊勢崎市の地図で、所々に朱で丸が入れられていた。
「生存者の拠点だ‥‥!」
ほんのわずかな可能性に賭けて、用意していたのだろう。
右下には、三桁の数字。その意味に思い当たって、メンバーは神妙に目線を通わせた。
多いか、少ないか。どう感じるかはそれぞれにしても。
最低限、必要な情報は手に入ったのだ。
学園に戻ると、明斗は自身の傷の手当てもそこそこに報告書をしたためた。
手に入れた資料もすべて添え、叩きつけるように斡旋所に提出する。
「早々に、救出作戦を」
八重子との短い邂逅の中で、いくつかの話を聞いた。
人々は日に日に弱っていると言っていた。
まだ死にたくないと泣いた少女がいると言っていた。
その時の八重子の悲痛な表情を、ライラは眼帯の奥に思い浮かべる。
「無闇に人が亡くなるのは、ダメです」
かの地に残る人々を救い出さなければならない。
もう、忘れることなど出来ないのだから。