茨城ラークス本拠地スタジアム。選手のポスターがそこかしこに飾られ、今日の開催カードが正面入り口に大きく掲げられている。
「皆様が楽しみにしているスタジアム。‥‥何とか、皆様の願いを叶えてあげたいものですね」
AL(
jb4583)はそれを見上げ、表情を引き締める。
自分たちの戦いの結果次第では、今夜ここに観客が入ることはない。
「ラークスは今絶好調なのに、試合を中止にさせるわけにはいかないわ」
魔装の下にレプリカユニフォームを着用している六道 鈴音(
ja4192)は、彼女自身がファンとしての意気込みも持っている。
「潮崎さん、天魔は私が必ずギタギタにしてやるわ。大船に乗ったつもりで任せといてっ!」
観戦仲間でもある潮崎 紘乃(jz0117)は、戦いに参加できない一般人。そんな彼女の想いも背負って、気合い十分だ。
「施設に損害を出さず、逃走もさせず、か」
一方、凪澤 小紅(
ja0266)はつと息を吐く。そうしなければ試合が行えない、というのはもっともな話ではあるが。
「言うほど簡単なことではないが‥‥うまくやるしかあるまい」
その向こうでは、常木 黎(
ja0718)が緋打石(
jb5225)に装備品の鎖玉を手渡していた。
「壊しても構わないから、がっつりかましてやんな」
「おお、これはすまんのう」
受け取った装備の具合を確かめ、緋打石は笑みを浮かべる。
「カラス退治‥‥さて! 頑張らしてもらうかのう!」
これから始まる戦いに、胸を躍らせているようであった。
「さ、ちゃっちゃと片そうか」
黎は振り返り、いつものように飄々とした口調でメンバーに声をかけた。気負いも緊張も感じさせず、すたすたと関係者用の通用口へ向かって歩き出す。
「ええ‥‥美しく、そして華麗に参りましょう」
楊愁 子延(
ja0045)がそれに応え、芝居がかった物腰でマントをひらめかせた。
●
一行は通路の中で別れ、それぞれの待機地点へ向かう。
「あれは魔界の眷属‥‥? 彼等も私達と変わらないのですね‥‥」
三塁側のベンチに通じる通路からグラウンドを覗き込み、ため息とともにそう呟くのはマリア・ネグロ(
jb5597)。
「此処は人の子の地‥‥天魔の物ではないというのに‥‥我が物顔で‥‥」
グラウンドのほぼ中央、二塁ベース上に居座った巨大なカラス。マリアは表情を曇らせる。
「球場に居座るとはずいぶん迷惑なカラスね」
フローラ・シュトリエ(
jb1440)もそれに同調する。
「さて、あやつらは自分を楽しませてくれるのかのう」
緋打石はといえば、目を細めてカラスどもを眺めていた。
天使と悪魔と人間が各一人という取り合わせで、味方からの合図を待つ。
「ここがラークス側のベンチね」
一塁側では、物音を立てないようにベンチに入った鈴音がきょろきょろと周りを見回していた。
「依頼で来ているとはいえ、これは役得かも‥‥あっ、バットが置いてある! ‥‥誰のかしら?」
一方、子延は入り口あたりで眉根を寄せていた。
「あまり整頓された場所では無いようですね‥‥マントの裾を汚さないように気をつけなくては」
しきりに足下を気にしながらそろりと進む。その奥で、ALは携帯を取り上げた。
「こちら、配置につきました。いつでもどうぞ」
「OK,こっちもついたところよ」
バックネット裏には黎と小紅がスタンバイ。ハンズフリーにしたままのスマホに向けて返事をしながら、黎はネット越しに敵の姿を見やる。
「わかんないわねぇ‥‥奴さん等のセンスって」
動物を模すなら他にもモデルはいるだろうに、なぜカラスなのか。
「そうだな。‥‥では、始めるとするか」
小紅は手鏡とペンライトを取り出した。
二塁ベース上にかたまって、羽繕いをしたりしている巨大カラスのその顔に、バックネット裏から光が二度、三度と届いた。
一羽が反応すると、つられるようにして他のカラスも顔を向けた。だが、すぐには動かない。ぱたぱたと翼をはためかせ、近寄ったり、遠ざかったり。
警戒しつつも興味津々。そんな態度だ。
ついに一羽が翼を広げ、低く滑空するようにして飛び出してきた。
ただそのままバックネットまで飛ぶのではなく、ホームベースのあたりに着地してなおも光の出所を伺っている。
他の三羽もそれに続く。四羽が再びひとかたまりになったところで、まずは子延が動いた。
滑るように音もなくベンチから抜け出す。悠然と歩く子延にカラスどもは気づく様子もない。
バックネット裏を気にするカラスの背後に立ち、子延は抜き身の刀をその手に。
美しく、散りなさい。
声を出す代わりに、指先を口に当て、笑顔。
そして、最後尾の一羽を狙って身を沈め、跳ぶ。
ギャッ──!
喉をつぶしたようなカラスの悲鳴が、開戦の合図となった。
潜んでいた他の者たちも、一斉に飛び出す。
ベンチからカラスたちのいるホームベースまでの距離は、二十メートル弱。撃退士といえど、一息で駆けつけるには少々距離があった。
必然、射程のあるものから攻撃を仕掛けることになる。
「光っているのが好きなら、輝く氷晶で仕留めてあげるわ」
フローラが念を込めると、子延に尾羽を強かに叩かれた個体の足下から無数の輝く氷の粒が吹き上がる。カラスは飛び上がって逃げようと試みるが、氷晶に包まれたその翼は見る見る石と化していき、それを許さない。
「試合の邪魔はさせないわよ!」
片羽を完全に石にされもがくカラスに、鈴音が迫る。
「焼き鳥にしてやるわ。六道赤龍覇!」
勢いよく片手を振り上げると、動けない一体を中心として炎が吹き上がる。龍を模した炎はさらに別の一体を巻き込んで、空へと消えた。
一体が早くも物言わぬ躯となる。他の三体は窮地を脱するべく上空へ逃れようとしていた。
フェンスを飛び越えてグラウンドに降りてきた黎がアシッドショットを放つ。それは狙い通りに翼の付け根あたりを捉えたが、敵は体勢を崩しながらも空へと舞い上がった。
「くそっ、飛行前に一撃だけでも入れたかったんだが」
黎と同じくフェンスを越えて駆けつけてきた小紅は、悔しそうに上空を見上げた。黎はやはり上空を見上げながらゆっくりと他のメンバーに合流する。
「二体は落とせなかったか‥‥残念」
「ですが、逃げる様子は見られませんね」
ALが言ったとおり、敵は上空を旋回しつつこちらを伺っているようだ。
「また降りてくるのかのう」
「ダイヤモンドダストの光につられてこないかしら」
フローラが顕現させた革鞭を振るうと、きらきらと光の粒が散る。
すると、カラスどもは幾分か高度を下げてきて──。
「危ない!」
くちばしのあたりが光を反射したと思った次には、ドスドスと重い音がグラウンドの土を穿った。
「わ、私の美しいスーツが!」
跳ねた土が子延の白いスーツの足下にかかってしまっていた。‥‥そんな彼の悲鳴は無視して、黎が距離を詰めていたカラスに射撃するが、相手はあざ笑うかのように一つ鳴いて、再び高く。
「小石?」
えぐれた地面の真ん中に埋まっているものを、小紅が取り上げる。
「やっぱり、降りてきてもらった方がいいみたいね」
黎が言った。小石を後いくつ隠し持っているかはわからないが、このまま敵にヒットアンドアウェイを許すのは得策ではない。
「私が囮になりましょう」
マリアが言うなり、その背に翼を顕現させる。それは敵のものと同じような、黒く輝く鴉の翼だった。
「おいでなさい、汝等の敵は人にあらず‥‥我等天の眷属‥‥」
メンバーから離れて高く浮かび上がるマリアを、カラスどもが旋回しつつ観察している。
「さあ‥‥」
両手を広げ、的にしろとばかりにアピールすると、カラスが動いた。
高度をとってからの、急降下攻撃でマリアを狙う。
一撃目は躱す。だが間髪を入れない別の一体からの攻撃を躱しきれない。
「マリア様‥‥」
ALが地上から心配そうに見上げる。彼や緋打石もまた翼を持つ種族だが、万が一敵が逃走を図った時の為にと今は温存しているのだ。
マリアは牽制程度の攻撃を放ちながら、ゆるゆると高度を下げる。カラスは彼女をいたぶるのが楽しいのか、付きあうように降りてくる。あと十メートル、八メートル‥‥。
ついに五メートルほどの高さまでマリアが降りてきた。カラスは歓声のような叫び声をあげて、再び彼女に突撃をかけようとして──動けなくなった。
「つかまえたわよ、バカ鴉!」
異界の呼び手を発動した鈴音がしてやったりとばかりに、叫ぶ。
すかさずフローラがEisschlangeで追撃し、とどめは黎。
「Enemy down. デカいっつっても所詮烏さ」
頭がいいといったところで、遊びに夢中で網に飛び込んでくる程度。撃ち抜いた相手が力なく地面に落ちたのを確認し、黎は次の敵に向かった。
そこからは、双方殴り合いの展開になった。
仲間を二体斃されたカラスは遊びを捨てて、低空で高軌道を活かした攻撃を加えてくるようになる。鈴音やフローラがスキルでの拘束を狙うが、なかなか成功しない。逆に小石を浴びせられ、傷を付けられる。
さらには高度をとっての降下攻撃。狙われたのは小紅だ。
だが彼女は避けるそぶりもなく身構える。
「このっ‥‥!」
くちばしがその身を貫く寸前まで引きつけて躱しざま、手にした鞭を引っかける。完全には躱しきれずに脇腹のあたりに痛みが走るが、手を離すことはしなかった。
カラス諸共にグラウンドに倒れ込む。
「飛べなくすれば、お前らなど怖くもない‥‥さあ、今だ!」
力一杯鞭を引き、もがく相手を押さえつける。小紅の声に応え、味方が一斉に攻撃を仕掛ける。
「喰らえっ、六道鬼雷刃!」
「見苦しい‥‥私が美しくとどめを刺してあげましょう」
鈴音が雷撃を落とし、子延が直刀を翼の付け根にねじ込ませると、カラスはなおいっそう激しくもがいたが、やがてゆっくりと動きを止めた。
残るは一体。ALが放った風の刃はひらりと躱されたが、フローラと黎がその隙を縫うようにして立て続けに攻撃を当てる。
翼に直撃を受けたらしいカラスは勢いを失った。ふらふらと蛇行したあと、不意に大きく羽ばたいて、高度を上げる。
「この動きは──」
逃げようとしているのかもしれない。ALがその背に大きな蝙蝠の翼を顕現させる。だが彼が飛び上がるよりも早く、カラスの上を取っているものがいた。
「逃げられると思うなああああああッ!」
遁甲の術で気配を消した緋打石が鷲のようなその翼を大きく広げ、カラスを太陽の光から遠ざけていた。その手には、黎に借り受けた鎖玉。
決定的な状況に、喜びに打ち震えながらも目一杯叩きつける。さらに、高度をとったALが狙いを定める。
「あの黒い翼を‥‥穿てっ」
その手から放たれた光の矢が、言葉通りにカラスの黒羽を貫き通した。
●
無事に戦いは終わった。
そこそこ時間はかかったが、内野グラウンドでの戦いがほとんどだったため、施設への損害はほぼなし。所々土がえぐれて修繕が必要になったのと、カラスが撃ち出した小石やらが一部グラウンドに埋まって取り出すのが厄介だったことで、練習開始はややずれ込んだものの、試合は予定通りに開催されることが決定した。
「久遠ヶ原学園の皆さん、お疲れさまです!」
グラウンドが整備され、試合前練習の準備が着々と進む中。仕事を終えた一行に、ユニフォーム姿の男性が声をかけてきた。
「あれ、ゆっきー!」
「お、確か‥‥鈴音ちゃん! 久しぶりだね」
ホームチームであるラークスの選手、ゆっきーこと浅野雪貴は、鈴音の姿を認めて子供っぽい笑みを浮かべた。それから、全員に向き直ってはきはきと言葉を続ける。
「今日はみなさんのおかげで、無事試合が開催される運びとなりました。球団の方で席を用意させていただきましたので、よかったら是非観戦していってください」
「ほう! 実際に観戦するとなると初めてじゃのう」
それを聞いて、緋打石がにんまりと笑った。
「私、野球は知りませんが‥‥」
「それこそ是非! 野球の楽しさを、知っていってもらえると嬉しいな」
首を傾げるマリアに、浅野は屈託無い笑顔を向ける。
「この私が、華麗に守ったグラウンドです。皆さんにも、美しく勝利していただかないと困りますね」
「任せといてください。それじゃ、練習始まるんでこれで!」
子延が言うと浅野は右腕をぐっとあげて応え、走り去っていった。
●
「あっ、潮崎さん! こっちこっち!」
端末を片手に、鈴音が手を振る。学園での仕事を終えた紘乃が球場にやってきたのは、試合が始まってしばらく経ってからだった。
球団が用意してくれた席は、一塁側ベンチのすぐ上にあるボックスシート。テーブル付きで、食事などを広げながら団体でゆっくり観戦できる人気の席だ。
「いい席ね。まったり観戦するにはもってこいだわ」
スタジアム名物ラークス焼きを頬張りながら、フローラが言う。
「私まで来ちゃって、良かったのかしら?」
鈴音の隣に落ち着きつつ、恐縮気味の紘乃。
「学生の引率ということにすれば、良いのではないですか? 潮崎教諭」
「私、教員ですらないのよね‥‥」
子延に言われて、余計に恐縮していた。
「生で見るのは初めてじゃが、知識はそれなりにあるぞ‥‥自分が知っている選手は出ておらんようじゃがのう」
「例えば、誰かしら?」
得意げに話す緋打石に紘乃が聞くと、彼女はいくつかの名前を口にするが。
「ええと‥‥ずいぶん古い選手、知ってるのね」
どうも、ラークスの前身の前身くらいの時代の選手の名前らしかった。
「むむ‥‥ちと古かったかのう」
試合は進んで終盤。ラークス、一点のビハインド。
だが下位打線でチャンスを掴み、打席は一番の浅野が入った。
「ゆっきー打てー!」
「ここで打たなきゃいつ打つの!」
鈴音と紘乃は腰を浮かして全力で応援。
「ずいぶん力が入っていますが‥‥」
斡旋所でかなりの緊急依頼として貼り出されていたのを思い出す子延。
「まさか、この試合が見たかっただけではないですよね?」
隣の紘乃にそう尋ねたとき、浅野の打球がライト線を破った!
「きゃあああああ!」
「回れ、回れーっ!」
ラークスファン二名のボルテージは限界を突破し、椅子の上に立ち上がらんばかりの勢いに。
「ああ、マント! マントを踏んでいます!」
子延が青ざめた顔で叫ぶのも、全く聞こえていない様子。
その向こうでは、マリアが。
「飛んだボールは‥‥何処に当たりますと得点になるのでしょう‥‥」
根本的な疑問を口にしつつ、それでも穏やかな笑みを浮かべてグラウンドを眺めていた。
試合は、ラークスの逆転勝ち。
お立ち台に呼ばれているのは、決勝打を放った浅野だ。彼はインタビューが始まる前、ベンチの上に向かって手を振って見せた。
何気ないその仕草が、この試合そのものを救って見せた陰のヒーロー達に向けたものであることを知るものはほとんどいない。
『放送席、放送席──』
ヒーローインタビューは、今日も大盛況だった。