教師の手が、フレイヤ(
ja0715)の華奢な肩をこれでもかと強く掴む。
「別に、あなたの命なんていらない」
彼女はその手を邪険に払うと、言った。
「もし、それでも何かくれるっていうなら‥‥」
そのですね、とちょっと口ごもり。
「あなたの生徒の中で一番イケメンを私に紹介してくれない?」
唖然とする教師。フレイヤは照れ隠しに胸を張った。
「まあとにかく! 安心して待ってなさい!」
「そなたの叫び、しかと聞き届けた。後は我らに任されい!」
「近づくと危ないので、下がっていてくださいなー?」
虎綱・ガーフィールド(
ja3547)、櫟 諏訪(
ja1215)が口々に言い、教師を下がらせる。
「あそこまで頼まれて失敗しました、じゃ男が廃らあな」
麻生 遊夜(
ja1838)はケラケラと軽い笑い声をあげた後で。
「‥‥それじゃ、一丁本気で行くとしようか」
赤い眼光鋭く、視線の先のディアボロを見据えた。
撃退士達は、一斉に駆け出す。
「逃がさないようにする為にも、速攻だね」
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)の言葉通り。デビルキャリアーは校舎から離れようとしている。だが、まだその動きは緩やかだ。
全員全速で、校庭を突っ切る。キャリアーを取り囲む護衛とおぼしきディアボロ共が、こちらを警戒して陣を組み始めるのが見えた。
だが、立ち止まるものも足を緩めるものもいない。
「あたいが身を犠牲にしてでも救ったる!」
「絆」の法被も勇ましく、観賢絵美南(
jb5400)は一足先に。
「敵の引きつけは任せる‥‥キャリアーまで突っ走るぜい!」
「雑魚は引き受けた、あのでかいのは任せたぞ」
遊夜の声に強羅 龍仁(
ja8161)が応える。龍仁は自身と周囲のものにアウルの衣をまとわせると、キャリアーを取り巻くブラッドウォリアーへ向けて突っ込んでいく。
異形の体内に囚われているのはみな高校生だ。龍仁には自分の息子を重ね合わせずにはいられなかった。
(助ける‥‥必ずだ‥‥必ず)
逸る気持ちを胸の内になんとかしまい込んで、今は駆ける。
もっとも早く敵陣へと接近したのは、鬼道忍軍である虎綱だ。
正面から突っ込むが、遁甲の術を使用しているため敵からの警戒は弱い。彼は護衛のディアボロをすり抜け、キャリアーの巨体を視界一杯に捉える。
狙いは巨体の下半身。蜘蛛のように多数生えている脚だ。
虎綱は一瞬、飛び上がり、次には体を沈み込ませた。
「イヤッー!」
裂帛の気合いと共にその手の魔具を煌めかせ、滑るようにして巨大な脚を薙ぐ。脚の一本を根本から砕き、さらに数本に痛手を与えた。
痛みを訴えるようにして、キャリアーから攻撃用の触手が伸びる。虎綱は素早く身を翻すと、後方へと飛んだ。
「今回は生き残るのが目的だ!」
囚われている人々も、そして自分たちも。
キャリアーの周囲を漂っていた鬼火の数体が、虎綱へ迫る。強い意思のもと、彼は武器を構えなおした。
ソフィアの「La Pallottola di Sole」‥‥強く輝く魔法の一撃が、最大射程から放たれる。全力移動直後で完全に狙い通りとは行かないが、それはキャリアーの足下で盛大に爆ぜた。
遊夜もまた、全力で距離を詰めながらもキャリアーの多脚を素早く観察する。
「その巨体を支えんのに重要な足は、そこか?」
めいっぱいのアウルを込めて、クイックショットで斉射する。
虎綱が砕いた足のその奥。さらに一本の足をアウルの弾丸が貫き破ると、キャリアーがぐらりと傾いた。
「さあさあ、あたいの出番だ、どいたどいた!」
バランスを崩したキャリアーの元へ、絵美南が威勢良く駆けてゆく。ブラッドウォリアーの一体が、彼女を抑えようと体の向きを変える。
そこへアウルの軌跡が一筋飛来し、ウォリアーの動きを押しとどめた。
「動かないでください」
森林(
ja2378)が弓を構え、凛とした態度でそう告げる。ウォリアーは手にした剣を構え、彼に向き直った。
諏訪はウォリアーたちの並ぶ一歩奥に立つブラッドロードの姿を正面から見据えていた。
「まずは指揮官をつぶさせてもらいますよー?」
ほかのものと同様に全力で距離を詰めながら、ライフルの照準を合わせる。
「これから先の未来が奪われるなんて理不尽、許せないのですよー‥‥?」
教師の憤りは、諏訪にも届いていた。
彼自身、まだ高校生だ。その先には長い長い未来への道のりが待っている、そのはずだ。
そして傍らを振り返り手を伸ばせば、そこにはその長い道を共に歩んでいきたいと願うものの姿。今ここにはなくとも、いつでも思い出すことが出来る。
その未来を、墨で塗りつぶされるようにして理不尽に奪われていくことなど、考えられない。
そのような暴虐を働く天魔を、許すわけには行かない。
諏訪の身体から湧き上がるオーラが光を強くする。ロードが杖をかざし、ウォリアーに号令しようとするのが見える。反撃は免れない位置。それでも彼は、躊躇しなかった。
「行きますよー!」
強い光を纏うアウルの弾丸が、ライフルから放たれる。全力移動の影響で体勢を崩しながらも、それは狙い過たずに一直線に飛んだ。
パンッ、と乾いた音がして、ブラッドロードのタコ面が弾け飛んだ。
驚くほど唐突に指揮官を失い、今まさに突撃の号令を受け取ろうとしていたブラッドウォリアーは色めきたった‥‥彼らに感情と呼べるほどのものはないだろうから実際にはそうでもなかったのかも知れないが、少なくとも傍目にはそう見えた。
だがだからといって、彼らが戦意を喪うということもありえない。統率された動きは消えつつも、ウォリアーは周囲を漂う鬼火と共に、攻撃を仕掛けようと剣を振りかざす。諏訪と遊夜、前に出た彼らが狙われる。森林が弓での援護を試みるが、彼の元にもウォリアーが一体迫っている。
魔法の輝きを纏った剣が振り下ろされ、血しぶきが舞った。
「うっ、ぐ‥‥」
遊夜はうめいた。斬撃を躱しきれず、鬼火の体当たりもいくつか喰らった。軽い負傷でないのはすぐに分かった。
血が流れている。頭が揺れる。視界が霞む。だが倒れない。
首元のネックレスが、チャリと音を立てるのが聞こえた。
あのときとは違う。今はもう、無力じゃない。
遊夜は一杯に足を開き、踏みとどまる。霞の先になお銃口を向けようとしたとき、優しいアウルの輝きが彼を包んだ。
「大丈夫か!?」
龍仁の力強い声が聞こえる。同時に負傷が回復し、ぼやけた視界が輪郭を取り戻す。
「おお、助かったぜよ」
いつも通り、軽い口調で声を返した。
一瞬だけ首を巡らせ、視線を送ると、龍仁は神妙な顔つきで遊夜を見ていた。
「無理をするなとは言えない‥‥ここは無理をしてでも助けなければだ」
実直な言葉のその奥に、確かな熱を感じる。
「信頼してるのぜ、癒し手さんよ」
返事は待たずに背中を見せて、再びキャリアーへと向かった。
龍仁もまた、言葉は返さず。遊夜を追おうとしたウォリアーの前に割り込んだ。
カオスレート差を考えれば、回復の要でもある彼が前にでるのは上策ではないかも知れない。だがそんなことは言っていられない。
無慈悲にも悪魔に囚われた前途あるものたちを救うために。
必ず、救うために。これは必要な行動だ。
「返して貰おうか! お前らに渡してやるものは何一つない!」
無二の命も。確かなる未来も。
体当たりを仕掛けてきた鬼火を払いのけ、叫ぶ。
ブラッドウォリアーが剣を振り上げる。この先に行かせはしないと、龍仁は自らを盾にする覚悟で立ちはだかった。
●
虎綱の雷遁・雷死蹴で動きを止めたかに見えたデビルキャリアー。だが。
「また動き出したよ!」
絵美南が注意喚起する。巨大な斧槍を振り回し、足の一本を叩き潰しても、キャリアーは残りの足を駆使して動く。
それは明らかに戦場を離脱しようとする動きだった。
進行方向に、虎綱が回り込む。だが敵は巨大。前に立ったくらいでは止められまい。
「くっ‥‥此処で命果てても引くわけにはいかん!」
スキルはもう一発あるが、成功の保証はない。再び決められるか──?
敵の巨体が視界を覆うほどに迫る。距離は二メートルもなくなった。と、そこで。
突如何かに引っ張られるようにして、デビルキャリアーの動きががくんと止まった。
「残念、この黄昏の魔女からは逃げられないわよ」
フレイヤの異界の呼び手が、キャリアーをがんじがらめに拘束していたのだった。
黄昏の魔女。いずれ訪れるであろう終焉から世界を救う為に降臨した女神の生まれ変わり。
(そういう、設定)
敵のただ中にあって、田中良子──フレイヤはともすればすくみそうになる己の心を叱咤する。
それは虚像だ。アニメや漫画からつなぎ合わせた、メッキだらけの妄想の産物。
だが無ではない。
誰かを助けたいと思う気持ち、それは本物。「フレイヤ」はそんな彼女に間違いなく力を与えてくれる。
フレイヤでいる限り、彼女は無力ではないのだ。
だから、彼女は胸を張る。
(笑われたって構わない)
これが私なりの、撃退士としての姿なんだから!
大地を踏みしめ、背筋を伸ばし、腹の底にぐっと力を込める。大胆不敵な黄昏の魔女フレイヤは、拘束から抜け出そうともがくデビルキャリアーを上から目線で見下ろした。
「さあ、今がチャンスなのだわ!」
その号令に、まずはソフィアが応える。
「同じ魔女として負けていられない‥‥なんてね」
彼女の師匠は本物の魔女だったらしいので、完全に自称のフレイヤと比べるとその由来は強いかも知れない‥‥というのは余談。
フレイヤが黄昏ならば、ソフィアは真昼の太陽か。長距離から撃ち出す魔法は眩いばかりの光を放つ。
狙うのはやはり足だ。学生たちが詰め込まれている胴体には当てないように、細心の注意を払う。
虎綱が、絵美南が即座に続く。キャリアーは攻撃用の触手を振り回してあらがうが、その動きは確実に鈍くなっていく。
遊夜は二丁拳銃の銃口をそれぞれ向けて、言い放つ。
「スマンね、逃がすわけにはいかねぇンだわ‥‥学生は追いてアンタだけで帰ってくれや」
ただし、帰る先はこの世ではない。彼らが堕ちるにふさわしい場所へ。
「それじゃ‥‥良い旅を」
放たれた二発の弾丸は、ディアボロを冥府に導く光。
致命的な攻撃を受けて、デビルキャリアーはついにその動きを止めたのだった。
「これで最大の目標は達成だね。後は‥‥」
突撃してきた鬼火を躱し、反撃を撃ち込んだソフィアは周囲を見やる。
キャリアーは止めたが、まだ敵は多く残っている。安全を確保しなければ、学生たちの救出もままならない。
ブラッドウォリアーが前線に出たままの諏訪に斬りかかる。プレートメイルの隙間を縫って刃が食い込む。さらに鬼火の突撃が頭を穿った。
「櫟さん!」
森林が援護にはなった一撃が、ウォリアーの手元を捉えた。敵は剣を手放さなかったが、体勢を崩して胸元ががら空きになる。
諏訪は首をだらりと下げたまま、ライフルの銃口だけを向けて引き金を引いた。
「諏訪、大丈夫か!」
ウォリアーがどうと斃れたのと入れ替わりに龍仁が駆け寄り、治療を施す。
「まだまだ‥‥やれるのですよー?」
顔を上げた諏訪。頭から出血し、緑の髪の一部が赤く染まっている。
それでも、トレードマークのアホ毛はまだぴんと立っていた。にこやかな笑顔も崩さない。
「後は敵の殲滅だな!」
「まだ俺の相手も残ってるみたいよな」
「天魔死すべし。慈悲はない」
キャリアーの対応に当たっていたものたちも加勢する。絵美南はいきいきと目を輝かせ、遊夜は斜に構えた笑みを浮かべ、虎綱はこくりと頷いて、それぞれに敵を相手取った。
フレイヤの放った巨大な火球が、鬼火をまとめて呑み込む。
戦いの趨勢は、すでに決しようとしていた。
●
「さて、これをどうしたもんかね」
「ナイフなら、俺も持ってますが‥‥」
「あたいがやるよ。大丈夫、中の人には傷一つつけないからさ」
敵は残らず倒れた。最後に残ったのはデビルキャリアー。ただし、それももう動きはしない。
この巨大な胴体に、五十人からの人間が囚われているのだ。
絵美南が斧槍をかざし、胴体に押し当て、肉の厚さを測りながら慎重に引く。
やがてどろりと体液があふれ、人間がこぼれ落ちてきた。
「ストップ! できるだけ一人ずつ取り出していこう」
龍仁が最初の学生を受け止める。外傷は無く、身体には熱がある。まだ生きている。
傷ついた身体を休めることもせず、体液に汚れることもいとわずに。八人は手分けして人間を救い出しては、ひとまずは校舎前の床に並べて寝かせていった。
「全員、命に別状はない、か」
すべての学生の様子を確認し終えて、龍仁はようやく額の汗を拭う。中には怪我を負っているものもいたが、彼のほかインフィルトレイターの三人も手伝って、一通りの応急手当は終えることが出来た。
「みんな、無事に助けられて良かったのですよー」
諏訪が目を細めた。頭の傷が突っ張るような痛みを訴えるが、今は脇に置いておく。
彼の手の中にある暖かな未来は、この地の学生たちにも確かに渡ったはずだ。
「救護班、こっちへ向かっているよ」
ソフィアが携帯端末を手に戻ってきた。応急手当をすませたとはいえ、すぐに元通りとはいかない。精神的なケアが必要になるものもいるだろう。
皆ひとまずは病院へ送らなければなるまい。
「その前に‥‥センセーとの感動の再会といこうか」
遊夜の声が響いて、見ると、彼の傍らには男性教師が立っていた。
「おお‥‥おお‥‥!」
「皆さん、無事ですよ〜」
森林ののどかな声が聞こえているのか、教師はふらふらと歩み寄ると、学生たちの頭の近くにどさりと膝を突いた。
「山田‥‥春木‥‥青田‥‥」
生徒の名前だろう、次々と名前を口にしていく。
震えながらも止まらないその声に揺り起こされて、膝下の学生がゆっくりと目を開いた。
「‥‥どうしたの、センセ。ひどい顔」
どんな顔をしていたのかは、覗き込んで見るまでもないだろう。
●
学生たちの未来は護られた。たとえ全てが幸福に染まるのではないとしても、彼らはその機会を得ることが出来るのだ。
「生き残れば何とかなる‥‥そう信じたいね」
独り言のように呟く虎綱の声が聞こえて、森林は朗らかに笑う。
「もちろんですよ〜。生きていれば、いいことは必ずありますから」
たとえ記憶を喪くしても、人生を楽しむことは出来る。
全ては、本人次第だ。
「やっぱりハッピーエンドでないと、な」
一つ満足げに頷く遊夜。
だが本当の結末はここには無い。これはまだ、ほんの始まりなのだ。
青森を中心に東北地方で類似の事件が多発している。今日、ここでは抑えた。別の場所ではどうだろうか。
全体的な戦況は決して楽観できるものではないのだ。
真のハッピーエンドを得るために。戦いはなお続いていく。