「‥‥どういうこと、なの」
はしゃいで行ってしまった友人を追いかけて園内へと入った橋場 アトリアーナ(
ja1403)。目の前の光景に思わず立ち尽くした。
来園者を出迎えるはずのチューリップの花壇は霞に埋もれ、道端には人が倒れている様子も見える。
そして、花壇の真ん中に入り込み、呆然と空を見上げているのが一緒に来た春苑 佳澄(jz0098)だった。
何か異常な事態であることは一目瞭然だ。周囲を見回すと、まだ意識のある一般人が我先にと出口に殺到している中、彼女と同じように状況を確認しているものの姿があった。
「あれは‥‥佳澄じゃないか」
たまたま来たところに騒ぎを聞きつけて駆けつけたクジョウ=Z=アルファルド(
ja4432)は、見知った顔を見つけて顔をしかめた。
「やれやれ‥‥何をやっているんだ、あいつは」
「佳澄はボクと一緒に遊びに来ていたの。先に行ったと思ったら、こんなことになってるなんて」
アトリアーナがクジョウの元へと駆けてくる。
「事態の解決に、協力お願いしますの」
「そりゃ、ほっとくわけはいかんしな‥‥」
二人は光纏し、佳澄の様子を観察する。意識はあるようだが、表情は空虚で目は焦点を結んでいない。肩から提げられた箱のようなものから、周囲を覆う霞があとからあとから沸いて出てくる。
「佳澄と霞、ねえ‥‥」
クジョウが口をへの字にした。
「あんな箱、さっきまで持ってなかったの」
「それなら、あの箱が怪しいと考えるべきかしらね」
背後から声がする。フローラ・シュトリエ(
jb1440)と番場論子(
jb2861)が、同じように光纏して様子を見定めていた。
「霧を生み出しているのもあの箱のようだし、壊してしまえば彼女も正気に戻るかしら」
フローラは冷静に状況を分析する。
「春の草花の息吹に誘われて来たわけですが、事態は承知しましたね」
眼鏡をくいと持ち上げて、論子。
四人は一様に頷きあった。
「まずは、佳澄と箱を引き離すの」
恐らく、あまり箱には触れない方がいいだろう。叩き落とせれば一番だが、肩紐の強度が分からない。
「一気に決めたいわね」
フローラが霧の中に隠されているだろう花壇の配置を見定めようと目を凝らす。論子がトワイライトで照らすと、霧の中には花壇の他に、ぼんやりと人の姿が複数見えた。
「俺が引き付けるから、その間に頼む」
「ボクも行くの」
クジョウは愛用の鞭をその手に。アトリアーナは用心して魔法の加護のある剣を顕現させると、慎重に距離を詰め始めた。
●
霧の中へと足を踏み入れる。クジョウは数歩進んだところで、脳髄を甘く揺さぶられる感覚を味わった。
(ちっ、これは‥‥)
頭がぼやけていく。これは、睡魔だ。
意識を強く持って抵抗する。倒れている人はこの霧にやられているのだろう。あまり近づけば、クジョウも抵抗しきれないかもしれない。
だが、傍観するという選択肢は彼にはない。
手持ちの魔具にサバイバルナイフがあることを確認する。いざとなったら自らを傷つけてでも自我を保てばいい。その決意を秘めて、なお一歩足を踏み出す。
上空を見上げて放心していたかに見えた佳澄だったが、クジョウたちが近づいてくるのを見るとその手にピストルを顕現させた。アトリアーナはそれを見て、曲剣の腹を盾代わりとしながら距離を詰める。
佳澄は彼女に向かってためらいなく引き金を引いた。
放たれたアウルのエネルギーは足下の石畳を穿つ。回避は難しくないが、味方に攻撃されるという事実がアトリアーナの背中を寒くした。
クジョウが正面、アトリアーナが右へ回って他のエリアへの道を塞ぎながら距離を詰める。論子は二人よりは距離を取っているが、やはり佳澄を取り囲む位置に立つ。フローラは密かに背後に回る。
被害の拡大もそうだが、周りのエリアには森や池があり、この広場で抑えてしまうのが一番いいのは間違いない。
「‥‥佳澄、先にごめんなさいとだけ言っておきますの」
場合によっては少し手荒になるかも知れない。アトリアーナがそう呟いた、そのとき。
佳澄が動いた。クジョウとアトリアーナの、ちょうど中間を突っ切ろうと、駆ける!
道ではなく、花壇の上を。霧の中で元気を失っているとはいえ、まだ咲いている花を踏み散らして、佳澄は二人の間を突破しようとする。もちろん、本人が正気ならそんな行動をとるはずはない。
「いいから目を覚ませってのだろうが佳澄!」
クジョウが叫び、彼女を捕らえようと鞭を振るう。だが素早い動きで躱されてしまう。
アトリアーナは花壇沿いの道から追いすがる。佳澄は銃口を彼女に向け、至近距離からの一撃を放つ。
避けられない──。
アウルの弾丸が彼女を捉える。だが、痛みは感じなかった。
「‥‥?」
気がつくと、身体を青い燐光が覆っている。
「助太刀するでござる」
声のした方をみる。青い鱗の召還獣、ストレイシオンを従えた草薙 雅(
jb1080)が立っていた。
愛らしい素顔を般若面で隠し、戦闘モードだ。
そのとき、クジョウの鞭が佳澄の右手首に巻き付いて、動きを止めることに成功する。
「今だ、箱を!」
「サムライの生き様、見せるでござる!」
雅は吼えると、ストレイシオンともども駆け込んでくる。
「このまま、サンダーボルトで一気に!」
だが、それを聞いたアトリアーナが雅と佳澄の間に割ってはいった。
「‥‥それは、やりすぎなの」
「痺れさせ、正気を取り戻させるのでござる」
雅は言ったが、アトリアーナは首を振る。
確かに、一撃だけなら佳澄には深手にならないだろう。回復が施せるものもいる。だが、彼女の足下にはまだ咲いている花がある。範囲攻撃はそれをまとめて吹き飛ばしてしまうだろう。
しかも、霧の中には一般人が倒れているのだ。論子のトワイライトだけでは全てを照らし出すことは出来ない。もし、攻撃範囲にも倒れていたら‥‥?
むむ、と唸る雅。
「おい、早く‥‥」
クジョウが鞭を操り、逃れようとする佳澄を抑えつけるために奮闘する。肩から提げられた箱が、ふと目にはいる。
只の無機物のようにしか見えなかったそれが、光を放った。
(今のは?)
佳澄に一息に接近できるよう霧の外で体勢を整えていたフローラは、その光を外から見た。クジョウが動きを止め、佳澄の手首に巻き付いていた鞭がほどかれる。
迷っていたら、逃がしてしまう。フローラは覚悟を決め、静かに霧中へと突撃する。
「その怪しい箱、壊させてもらうわよ」
鎖の先端に鉄の玉がついた特殊な武器で箱をねらう。玉が箱を打ち、鎖が肩紐に巻き付いた。フローラはそのまま鎖を引き、佳澄から箱を奪おうと試みる。
「!」
佳澄はそこで反応し、箱を離すまいと両手で肩紐を掴む。二人の動きが拮抗する。
「手伝いますね」
続いて論子が飛び込む。彼女は肩紐を直接掴むと、普段は隠している天使の翼を顕現させ、飛び上がる。別方向からの力を加えられ、佳澄の腕から紐が抜けかかる。
さらにそこへ、アトリアーナが身体ごと佳澄へと飛び込んできた。体当たりを受けるような格好になり、佳澄はついに、箱を手放す。
アトリアーナはそのまま佳澄の身体を抱え、数メートル先まで運んだところでテイクダウン。組み伏せて動けないようにする。
論子は箱の紐を持ったまま一度霧の中から離脱しようと試みるが‥‥。
ビュン、と音が唸り、衝撃を感じた次には箱を取り落としてしまった。
魅了に囚われたクジョウの鞭が、彼女を襲ったのだった。
クジョウを襲った魅了の波動は、そのとき近くにいたほかのメンバーにも届いていた。
アトリアーナは剣の加護もあって抵抗に成功していたが、雅は。
(拙者を魅了しようというでござるか──そんなもの)
ぐっと奥歯を噛みしめる。
(コッチはすでに春苑殿に魅了されているので効かぬでござる!)
そう、学園に突如大雪が降ったあの日、雪原の中で無邪気に笑う彼女を見たその日から──。
その想いは確かに彼に力を与えていた。与えてはいたのだが。
(春苑殿の笑顔のために、あの箱を──いや、そもそも春苑殿があの箱を護っていたのであって???)
今回の魅了は、それだけでひっくり返すには少々強力に過ぎた。
雅はストレイシオンに号令すると、箱を破壊しようとするフローラたちに襲いかかる。
「佳澄、佳澄、しっかりするの」
アトリアーナは抑えつけている佳澄を何とか正気に戻そうと声をかける。彼女が自然に我を取り戻すまで悠長に待っている余裕はない。
佳澄は唸るような声を上げながらアトリアーナの下から逃れようと抵抗する。その頬を思い切って張ってみたが、回復する気配はなかった。
「‥‥それなら」
痛くない方向ならどうだろう。左手で佳澄の肩を押さえつつ、右手で佳澄の胸をぐっと掴んだ。
(‥‥なんにもないの)
もっと柔らかい感触があるかと思ったが、想像以上に固かった。アトリアーナ自身も高二にしては小柄であるが、佳澄も正直、同学年とは思えない。
胸の上に置いた手を、思わずさするように上下させる。
「うひゃ!」
ふいにそんな声がして、佳澄の抵抗がゆるんだ。
「あ、あれ? アトリちゃん‥‥え? どうなってるの?」
先ほどまでの獣じみた獰猛さが消え、いつもの様子が戻ってきている。‥‥ただ、女の子に組み敷かれて胸を触られているという状況に困惑はしていたが。
「‥‥よかった、正気に戻ったの」
詳しく説明している暇はない。事態はまだ解決していないのだ。
アトリアーナはこほんと一つ咳払いして、佳澄の上から降りた。
「とにかく、今はあの箱をなんとかするの」
「あ、そ、そうだった!」
佳澄もあわてて飛び起きる。
雅のストレイシオンが巨大な口を開け、論子に噛みつかんと向かってくる。論子は下がるしかない。その隙に、クジョウが石畳の上に転がっている箱を拾おうと手を伸ばす。
しかしフローラはすかさず氷晶霊符を顕現させ、氷の刃で箱を弾き飛ばした。
飛んだ先、今度は雅が箱を拾おうとする。
「拾わせると、まずいの」
「うん!」
アトリアーナに頷いて、佳澄はピストルを撃ち放つ――が、アウルの弾丸は虚しく地面を叩いた。
「しまっ‥‥」
た、と言うに、別方向からの一撃が箱を撃ち、雅のもとから引き剥がす。
「よく狙えば外しませんね」
「あ、ありがとう!」
論子の冷静な援護であった。
「アルファルド先輩!」
佳澄がクジョウのもとへと駆け寄る。
クジョウは無表情に振り返り、鞭を振り上げ――そこで動きを止めた。
「‥‥佳澄、無事か」
目に光が戻っている。佳澄はほっと息をついて、笑顔で答えた。
「はい、先輩!」
ほぼ同じタイミングで、般若面を被った雅も自我を取り戻す。
となればあとは地面に転がる箱を破壊するばかり。先ほどまで箱のあった、その場所を皆が見る。
箱はなかった。
「どこに――」
「あそこに!」
論子が鋭く声を飛ばす。箱は数メートル先を、――走っていた。
「脚が生えてるの」
アトリアーナの言うとおり、箱から小さな脚が四本にょっきりと生えていて、撃退士たちから逃れるようにカサカサと走っていく。
「逃がさないわよ」
フローラが素早く意識を集中すると、地面から無数の氷晶が立ち上ぼり、箱を包む。
やがて箱は物言わぬ石の固まりとなっていた。
「はあ、これで‥‥」
霧の噴出が止まり、佳澄が肩の力を抜く。クジョウは後ろからその様子を眺めていたが――。
「! まだだ!」
十秒と経たないうちに、箱の石化が解けていく。小さな脚が再び忙しなく動きだし、小動物の素早さで逃げ出そうとする。
それを阻止したのは、雅。素早く進行方向に回り込み、名剣と自負するリンドヴルムを一閃!
さらに剣の先を肩紐に引っ掛けさせると、待ち受ける召喚獣に投げつける。口から放たれたエネルギーの塊が箱を直撃し、吹き飛ばした。
直後、召喚時間の過ぎたストレイシオのが姿が消えると、代わりに粉々になった箱の残骸が残されたのだった。
●
箱が壊されると、周囲を覆っていた霧も徐々に晴れていく。
霧の中に倒れていた一般人も、自然と目を覚まし始めた。怪我などはないようだ。
草花も、霧に包まれる前に比べれば随分と色を失い、萎れているが、枯れてしまっているということはない。また精魂込めて世話をすれば、元気を取り戻せるものも多くあるだろう。
ただ、中央の巨大花壇を中心に一部の花壇では、花は踏み荒らされて、潰れてしまっていた。
主に魅了状態の佳澄が駆けまわったせいである。
落ち込む佳澄の頭を、クジョウが平手で軽くはたいた。
「全く、仲間がいるのに一人で突っ込むやつがあるか」
最初から他の面々と事態の把握に努めていれば、もっと簡単に、被害も少なく解決したかもしれないのだ。
「うう、ごめんなさい‥‥」
抗弁もできずにうなだれる佳澄を見て、クジョウはひとつ息を吐く。
「‥‥まあ、何とかなったのならまだいいか」
俺もまだ精進が足りんしな、とは聞こえないように。
「しっかり掴まっているでござる!」
「は、はい!」
スレイプニルの背の上で、雅が呼び掛ける。後ろの佳澄はおっかなびっくり、彼の腰に手をまわした。
召喚獣への騎乗は、特殊な技術だ。支えてもらわなくては落っこちてしまう。
雅の号令で、スレイプニルは上空へと舞い上がる。
「う、わぁー!」
その高さと速さに、佳澄は歓声をあげた。眼下にパークが一望できる。
こうしてみると、被害のあった場所はそんなに広くもない。
「諦めずに自分を信じて努力すれば、必ず道は開ける!」
春風をいっぱいに受けながら、雅は佳澄を元気づけようと声を張り上げる。
「これからも、頑張ってくださいませ」
時間にすればわずか四十秒。だが佳澄にとっては貴重な空中散歩だった。
戻ってきた佳澄の表情は、幾分か明るくなっているようだった。
アトリアーナはそんな彼女の傍に立ち、微笑む。
「‥‥巻き込まれて大変だった。見て回ってから帰るの」
どうやら、パークは営業を続けるらしい。被害が限定的で済んだ結果だろう。
「うん、アトリちゃん。‥‥あ、皆さんはどうされますか?」
「せっかく来たんだし、私も見ていきたいわね」
とフローラ。
「元々は草花を見に来たわけですから、当然見て帰りますね」
論子もうなずく。
「拙者、昼食にとサンドイッチを作ってきたのでござる‥‥大量に」
雅はいつの間にか大きなバスケットを持っていた。
「アルファルド先輩は、どうしますか?」
佳澄は大きく目を開いて、クジョウを見た。
なんというか、「散歩に連れて行ってほしい」と訴える子犬のようである。
「まあ、せっかく来たしな‥‥」
「えへへ、じゃあみんなで一緒に回りましょうよ!」
苦笑交じりに答えると、佳澄は屈託のない笑顔になった。
「じゃあ、みんなで行くの」
「右と左、どっちから行こうか!」
太陽はまだ、頂点にも届いていない。
騒々しくも楽しい春の一日は、これからである。