春は桜の季節。出会いの別れの季節。
そして、野球の季節である。
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「まったく心配させて‥‥天魔に襲われたってきいたときはびっくりしたわよ」
「‥‥また、勝負できる日が来るのを待ってたの」
六道 鈴音(
ja4192)は凛々しい眉を怒らせ、橋場 アトリアーナ(
ja1403)は嬉しげに微笑む。
「よう、待たせたな」
獅号は二人に気安く笑いかけた。
「わあ! TVで見てたプロ野球選手と対決が出来るなんて‥‥ボールにサインください!」
レグルス・グラウシード(
ja8064)は目を輝かせる。獅号がペンを走らせるのを見ながら、彼は自分の恋人のことを告げた。
「彼女から聞きました。怪我も回復してるようでなによりです」
「あいつ、今日は来てないのか。‥‥礼を言っといてくれな」
「都合が悪かったみたいで。そのかわり、僕が全力で頑張ります! ‥‥あっ、『レグルス君へ』って書いてください!」
彼女のかわり‥‥のわりには、全力ではしゃぐレグルスである。
「おー! 了なんだぞー!! 今日はどうしたんだー?」
「‥‥おまえこそ、どうしたんだ。その格好」
「? 俺はいつも通りなんだぞー?」
彪姫 千代(
jb0742)が上半身裸なのは彼と彼の周辺ではすでに常識だが、一度会ったきりの獅号にはそうではない。というか、あのときは着ていた。
千代はごそごそとなにやら取り出し、広げる。
「ウシシシ! これは俺の宝物なんだぞー!」
秋のファン感で、獅号を始めラークスの選手にサインしてもらったTシャツだった。
「‥‥いや、着ろよ」
「おまえがツッコミに回るの珍しいなー」
道倉がやりとりを見てそんなことを言っていた。
「プロ選手との対戦なぞ、滅多に出来ないからな。心躍るな」
マウンドに上がり、準備する獅号を食い入るように見つめながら、里条 楓奈(
jb4066)の口の端は自然と上がっていた。
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一巡目。まず左打席に入るのは神棟 星嵐(
ja1019)。
初球はストレート。見送った星嵐は違和感を覚えて、一度打席をはずす。
対戦に備えて繰り返し映像で見た獅号のフォームとは微妙なずれがあった。
特に手首にボールの出所を隠すような動きが加えられており、さらにリリースタイミングも遅くなっている。
「おまえらは目もいいからな」
ボールを投げ返しながら、心の疑問に応えるように、道倉。
二球目、スライダー。フォームの違いはほとんどわからない。
(急造フォームでは無いというわけですね)
三、四球目をカットする。だが、五球目。フォークボールに身体が泳いだ。
「くっ」
何とか当てた打球は力なくセカンドの正面へ。捌かれワンアウト。
続いて、楓奈が左打席へ。
初球、二球目とじっくり見送り、その威力に舌を巻く。
(バッティングセンターの球とは、やはり違うな‥‥!)
だからといってあっさり凡退する気は毛頭無い。
変化球を二球カットし、五球目のボール球を見送る。ストライクゾーンをしっかり把握できているのはかつての野球経験と事前の打ち込みの成果か。
粘って九球目、カーブを叩くと打球は一二塁間を抜けていった。
三番・千代。
「父さんや友達と練習したんだぞー!」
ぶんぶんバットを振り回し、左打席。
「俺ルールとかよくわかんねーけど打ち返せばいいんだよな? 俺打ち返すぞー!」
高めのストレートを千代は思いきり振り抜く。バン、とミットに収まった硬球が小気味いい音を立てた。
千代はその後も全部バットを振り、あっさり三振した。三球目に楓奈がスタートを切り、二塁へ進む。
「おー!! 了の球近くで見るとビューンビューンって凄いんだぞ!」
アウトになっても嬉しそうに、バットを振りながら戻っていった。
四番はレグルス。
「二死二塁‥‥なら、とにかくヒットを狙わなきゃ!」
右打席のレグルスは、大振りせずに進塁打を打つことに集中する。三球目の直球にタイミングを合わせ、ライト前へ運んだ! 一死一三塁。
「ちゃんと投げられるようになったかどうか、この私が確かめてやろうじゃないの!」
鈴音が右打席に入っている。三塁走者の楓奈は、道倉の動きに注目していた。
二球目を受けた道倉はやおらに立ち上がって、獅号へとやまなりのボールを返す。
(‥‥今だ!)
猛然とスタートを切った。
獅号がマウンドから駆け下りてボールに飛びつき、即座に投げ返す。道倉がボールを受け取り、素早くブロックの体勢に移るが──。
滑り込んだ楓奈の足がグラブをかいくぐり、道倉の両膝の隙間に見えるホームベースまで届いていた。
「すまない、油断した」
鈴音をライトライナーに打ち取ったところで、道倉が謝罪する。
「道倉さんを手玉に取るなんて、たいしたもんじゃないですか」
気にするでもなく、獅号は笑った。
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二回。先頭打者は一巡目最後となるアトリアーナ。
走者なしの場面。ならば、ここは。
(‥‥勝負、なの)
内角のスライダーが外れた後は、高めにつり気味のストレート。アトリアーナは思い切ってスイングするが、バットは空を切った。
(やっぱり、パワーアップしてるの)
ファウルで追い込まれても、彼女はフルスイングのスタイルを変えない。
打ってみせると誓ったからには。
五球目。スライダーが膝元へ滑り落ちてくる。
身体は自然に反応した。脳裏に浮かんだのは小さなアドバイス。
肩の力を抜いて見ろ、とは、誰あろう獅号からの言葉だ。
その通りに、振り抜いた。
手応えはなかった。
それほどに、完璧にとらえていた。
打球は糸を引くように伸びて、伸びて──ライトスタンドに消えていく。
獅号が撃退士に許した、初めての本塁打だった。
「上手くすくわれたな」
道倉に手渡されたボールを、獅号は自分のグラブへ向けて投げつける。
「さあ、後続を抑えましょうか」
その目はギラギラと燃えていた。
しかし続く星嵐に二球目をセンター前に運ばれ、無死一塁。
楓奈はバントの構え。しかも、身体をホームベース側に思い切り傾け、ストライクゾーンを覆い隠す。
(動揺しているか‥‥? さて、どうくる)
だが獅号は表情を変えず、まったく加減のないストレートを楓奈の顔すれすれに投げ込んできた!
楓奈は避けず、しかし当たりに行くこともできなかった。審判の手が上がる。ストライク。
楓奈は同じフォームで獅号を挑発し、獅号はそれに応えるように、続けて楓奈の顔そばのストライクゾーンに投げ込んで見せた。
三振となり、打席を離れる楓奈に、獅号はんべっと舌を出して見せた。
一死一塁。得点圏に走者を進めたい場面。
「おー? トクテンケンってなんだ?」
だが、千代には細かいルールはまだ早いらしい。
「よくわかんねーけど、こうしたほうがいいと思うんだぞー」
先ほどはただ振るだけだったバットを器用に操り、叩きつけるバッティングで一、二塁間!
さらにレグルスが見事な犠牲バントを決める。二死二三塁となった。
「鈴音ちゃんっ、頑張って!」
関係者枠で応援する潮崎 紘乃(jz0117)が声援をとばす。鈴音はぐっと親指を立てて応える。
「潮崎さんの分もスタンドに叩き込んでくるからねっ!」
昨シーズン、鈴音は紘乃と共に、ラークスの試合を度々観戦に行っている。
「全国のラークスファンの分も、叩き込まないとね‥‥」
鈴音は、燃えていた。
第一打席では狙っていたスライダーを捉えきれなかった。
(同じ轍は踏まないわよ)
必ず、同じ球がくる──果たして四球目、その球は来た。
昨年よりも一際鋭く外へと逃げるボールに食らいつき、腰の回転で弾き飛ばすと、打球は一塁線に襲いかかる。飛び付いた野手のグラブの十センチ先を切り裂いて転がっていった。フェアだ!
星嵐、千代が立て続けにホームへ帰ってくる。鈴音も三塁を陥れた。
「どうだっ」
ガッツポーズに、紘乃も手を叩いて喜んだ。
なお二死三塁で、アトリアーナ再び。
獅号はランナーの鈴音を目で牽制し、テンポ良く二球。変化球で追い込んだ。
セオリーなら、はずす場面。
だが獅号は、打者の膝元に向かって渾身のストレートを投げ込んできた。先ほど痛打を浴びた、まさにその場所へ。
アトリアーナも反応する。だがバットは空を切り、乾いたミットの音が響いた。
「よっしゃ!」
獅号が鋭く一声発し、指差しながらマウンドを駆け降りていく。
(今までで一番の球だったの)
アトリアーナは余韻を味わうかのように、しばらくそこに立ち尽くしていた。
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三巡目は、それぞれ最後の対戦となる。
星嵐はこれまでの打席とは異なる、右打席に入った。
(やはり、こちらがしっくりきますね)
左足でボックス内の立ち位置を定め、初球、緩いカーブを悠然と見逃す。
続くストレート。内角高めを抉りにきたその球こそ、星嵐の本命だった。
恐れず踏み込み、肘を畳んで振り抜くと、快音が空へと抜けていく。
「どうです!?」
思わず声が出た。
飛距離は文句なし。だが打球はポールの上を越えていってしまった。
内か、外か。
塁審がにわかに注目を浴びる。両手が大きく広げられた。
ファールの判定。皆が、溜め息をつく。
追い込まれた星嵐は次の配球を予測しなければならない。緩い球か、一球外してくるか?
投じられたのは、外角低めへのストレート。対角線を目一杯使った投球にはカットすることもかなわなかった。空振り三振。
「これがラスト‥‥獅号選手、真っ向勝負だ!」
バットを差し向け、高々宣言する楓奈。
「上等だ」
向き合う獅号は、明らかに笑顔を浮かべていた。
ストレートを投じてくる。初球、二球目、立て続けに同じ球種。
三球勝負の決め球も、やはりストレートだった。
(まだ威力が増すのか!)
本塁打狙いでバットを振るも、高くあがった打球はセンターの守備範囲。
「了ー! まっこー勝負なんだぞー!!」
千代は球場に響く大声で。
(駆け引きのできるタイプには見えないが)
道倉は変化球のサインを出してみるが、案の定、獅号は首を振った。
笑顔でバットを構える千代をちらと見上げる。
(雰囲気あるんだよなあ‥‥)
相変わらず上半身剥き出しで打席に立つ光景は慣れないが、その違和感の向こう側にある気配を彼は感じていた。
(打たれても俺は知らんぞ)
せめてコースは厳しく突けよ、と心の呟きをミットに乗せて。
千代は構えたバットを彼の尻尾(のアクセサリー)と同じリズムで揺らしている。
配球など頭にはない。狙い球、という考えも無い。ストレートが来る。それを打つ。彼の頭にあるのはそれだけだった。
外角低めの絶妙なコースへストレートが投じられる。
その瞬間、千代は無邪気な少年から獲物に襲いかかる虎となった。バットを牙として、ボールに食らいつく!
タイミングの取り方も、スイングも、すべて本能が教えてくれた。
快音残して、打球はセンター。フェンスの向こうの芝生で跳ねた。
ダイヤモンドを回ってきた千代を、皆が祝福する。
「おー!! すげー気持ちよかったんだぞー!」
「完璧に真芯で捉えてたわねっ」
紘乃が言うと、だが千代は首を傾げた。
「マシンって何だ? 俺バットで打ったんだぞー?」
笑顔が広がるのを、千代は不思議そうに眺めていた。
打席はレグルス。続けて二球空振りし、少し乱暴な仕草で打席を外した。
表情険しく、獅号を見据える。
ここまで走者を進塁させることにとりわけ気を配ってきた彼である。千代の打席を見て、自分も‥‥と力み、焦ったとしても、不思議ではないが。
続く三球目。ストレートの威力は、ほんのわずか加減されていた。
それこそ、狙い通り。レグルスは、グラウンドに突き刺されとばかり大上段からバットを思い切り『叩きつけた』。
撃退士の膂力をまともに受けたボールは、すぐ足下の地面を叩く。突き刺さりこそしなかったものの、その分だけボールは高く跳ねた。
ポップフライのように、獅号の頭上へとボールが打ちあがる。
レグルスは全力疾走。すでに一塁を回った。
「おいおい‥‥」
獅号は苦笑混じりに見上げるしかなかった。
ようやく落ちてきた打球をグラブに納めた頃には、レグルスは二塁を陥れていたのだ。
世にも珍しい、「投前二塁打」となったのである。
「道倉さんの代わりに私が一発打って、彼をアメリカに送り出してやりますよ」
鈴音は着用しているラークスのレプリカユニフォーム、その背番号『22』を獅号に誇示しながら打席に入る。道倉の背番号だ。
「どうせ、力と力の勝負がご所望なんでしょ!? 最後はお望み通り真っ向勝負よ!」
(挑発に乗る必要は‥‥ないんだがなあ)
マスクの中で道倉は苦笑する。正直、サインを出す必要もないほどだ。
無理もない。鈴音の言葉は、正しく獅号の本心なのだから。
ファウルが四球続き、五球目。
ついに芯で捉えた鈴音の打球は低いライナーとなって左中間へ伸び、フェンスを直撃した。タイムリーツーベースだ。
「俺の代わりに、か。あんな打球、プロで打った記憶無いなあ」
レグルスがホームを踏む。道倉はそう独りごちた。
アトリアーナが左打席へ。
二人の対決は本塁打と三振が一つずつ。昨夏はセンターフライ。
負け越すわけにはいかない。
「‥‥勝負、スタンドまで運ばせてもらうの」
獅号と視線を通わせる。
それだけで十分だ。道倉はサインを出さず、ただミットを構えた。
勝負の一球が、放たれた。
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「あー、楽しかったあ!」
対決を終えた獅号の第一声が、それだった。
「満足してもらえましたか」
「ああ、大満足だぜ。ファウルとはいえ、あんなに飛ばされたのはちょっと記憶にないな」
星嵐がベンチ前で出迎える。他のものたちも、彼のもとへと集まってきた。
「今日は本当にありがとう、感謝する。それと、向こうでの活躍を祈っているよ」
「僕も彼女と応援しています、がんばってくださいね!」
楓奈、レグルスが握手を交わす。その先にはアトリアーナが。
「二発も打ちやがって」
「あうっ」
苦笑混じりに指先で小突かれた。
「‥‥でも、まだ決着はついてないの」
ボクも三振したから、と。
「おー! 了ー楽しかったんだぞー!! またやろうなんだぞー!」
千代が飛びつかんばかりの勢いで訴える。アトリアーナは笑う。
「そのときは、また連絡ほしいの」
「俺もまた遊びたいんだぞ! だから了、帰ってきたらちゃんと言うんだぞ!」
「‥‥あっちにいっても、がんばって。疲れたら遊びに来るといいの」
「ラークスのことは私達に任せて!」
鈴音は紘乃と肩を組み、ファン代表としてエールを送る。
「獅号さんはアメリカで思いっきり暴れてくるといいわ!」
「‥‥獅号は夢と希望を沢山の人にみせてくれる。‥‥ボクはそんな人たちの為に戦う」
アトリアーナの言葉は、彼女一人のものではないだろう。
春は決意の季節でもある。
新たな地へと旅立つ獅号と、再び戦いへと赴く撃退士たちが拳を突き合わせる。
桜吹雪が風に舞い、新たな門出を祝福していた。