「はぁ‥‥いやな雲行きだなぁ‥‥」
蒼桐 遼布(
jb2501)は空を見上げて言った。雨予報こそ出てはいないが、空を覆う雲は厚い。
だが、彼の言葉は何も、それだけの意味ではないだろう。
「よく集まってくれた」
今回の作戦の立案者である羽生丈文が、十二名の学生を出迎えた。学生たちの中には彼と面識のあるものもいれば、そうでないものもいる。
だが、今回の討伐対象について、倒すべき使徒が彼の恋人であることは、皆知っている。
だから遼布は丈文と握手を交わすなり、言ったのだ。
「やぁ、君が件の羽生って人かな? 覚悟と決意は決まったかい?」
丈文のこめかみがぴく、と動いた。
「──ああ」
「事情は聞いている」
龍崎海(
ja0565)が毅然とした態度で隣に立った。
「悪いが、人類の敵になると承知した上で使徒になり、実行もしているのだから遠慮はできないぞ」
「遠慮の必要はない。そんなことをしたらこちらがやられる‥‥アストラルヴァンガードは君だけか。期待しているよ」
「これでも一年間、激戦を潜り抜けてきたんだ‥‥戦力になってみせるさ」
「いきなり人質作戦するから協力よろしくね!」
目を合わせるなり、雨野 挫斬(
ja0919)は丈文に飛びついて、首に手を回す仕草をした。
一月ほど前、彼を使徒のもとから救い出す際に使った手口だ。
「同じ手が二度通じるとは思えないが‥‥」
「でも、成功すれば伊緒ちゃんを無力化できるでしょ? だからお願い!」
丈文はしばらく挫斬と目を合わせたあと、頷いた。
「やるだけ、やってみよう」
「うん、ありがと!」
屈託を感じさせない笑顔を見せる挫斬。それでも丈文はにこりともしない。
(どうも思い詰めているようですね)
その様子に、戸次 隆道(
ja0550)は懸念を抱く。数ヶ月ぶりの本格的な実戦で緊張しているだけ、と安易に片づけてしまうことはとてもできない。
(まぁ、気持ちは分かりますが‥‥とはいえ、事情を知らない身が口出しは難しいですか)
彼を監視しておけ、といった職員の懸念は、おそらく隆道が抱いているものと同種のものだろう。
月詠 神削(
ja5265)もまた、言い知れぬ不安を感じながら。
「俺たちは、やるべきことをやるだけだ」
ここにきた理由、目的。彼にとっては明確だ。
まずは、それを果たさなければならない。
一行は結界の内部に侵入した。
左手に山を見ながら、人の手を放れて久しい草地を抜け、荒れ果てた市街地へ。
人の気配は感じられない。ここに居た人たちは、もう皆天使の糧とされてしまったのだろうか。
「存外、愛とは難しいものだな」
丈文の傍らを進むアレクシア・エンフィールド(
ja3291)が、呟くように言った。
「片や護られるだけではと人であることを捨てるほどだというのに。まあ、殺されるならいっそ己が──というのも、なくはないが」
超然と悟ったように語る彼女のことを、丈文が見た。無表情の中に抗議するような色を見つけて、アレクシアはつと微笑む。
「‥‥いや、何。単に率直な感想だよ」
あくまでも悠然とした態度で。
「汝の葛藤もまた人であるが故であり、故にこそ愛すべきものだからな」
──私は私なりに全てを愛している。
言葉の裏側の彼女の気持ちを理解する余裕は、今の彼にはないのだろう。
「葛藤は、もう終わった。──迷いはない。やるべきことは定まっている」
「そうか」
アレクシアは、それだけ応えた。代わりに暮居 凪(
ja0503)が漏れ出すように口にする。
「──うらやましい、わね」
「うらやましい?」
それは、丈文にとって想定外の言葉だったのだろう。彼女を顧みたその顔に、初めて表情が浮かんでいた。
「ええ。私からすれば、ね」
凪はつかの間目を伏せたあと、言葉を続ける。
「何をしようとも、私は止めないわ。ただ、望みをかなえた時には、気持ちを聞きたいところかしらね」
「‥‥」
丈文は応えず、視線を前に戻した。
南雲 輝瑠(
ja1738)は丈文の強ばった背中を眺める。果たして彼の真意はどこにあるのか。
(覚悟が本物でなければこちらが崩れるだけではあるが‥‥さて)
フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)もまた、丈文の様子を推し量っていた。救出作戦の時よりも明らかに頑なさが増したように見える彼の覚悟は、果たして。
空気が重いのは、結界内だからというばかりではないだろう。
(敵も味方も要注意‥‥楽な戦場はないだろうが、もう少し単純でもいいだろうに)
詰めた息をひとつ吐き出して、向坂 玲治(
ja6214)はウォーハンマーを見せつけるように肩に担いだ。
「さてと、釣り野伏を始めるとするか」
●
ゲートの奥で、少年天使が使徒を呼んだ。
「君の恋人が来ているよ」
その言葉に、使徒は──秋山伊緒は顔色を変える。何かを口にする前に、天使が言った。
「行くと良いさ。彼こそ君の存在理由、力の源泉なのだからね。ただ──同じ失敗は許されないよ」
「わかっています」
伊緒は硬い表情で頷く。
「必ず、丈文さんを取り戻します。そして──撃退士は、殺します」
「それでいい」
天使は満足げな表情を浮かべ、伊緒は一礼するとそこから出て行った。
●
「こちらは配置についた」
『了解。よく聞こえるぜ』
矢野 古代(
jb1679)は住居の一角に身を潜め、すでに分かれた他班のメンバーと短い通信を交わす。
「光信機の動作も問題ないようだな」
結界内では通常の通信機器は使えない。事前に申請しておいたこの機械が、作戦の要ともなりうる。
「やぁこの状況は‥‥思い出しますなぁ」
影の中から声がして、気がつけばそこに虎綱・ガーフィールド(
ja3547)がいる。
「思い出す?」
古代とともに外の様子を窺っていた隆道が問うた。
「以前、同じように力を求めて道をはずれたヴァニタスがいたので御座るよ‥‥」
目的は違う。天冥の所属も違う。
それでも思い出したのは、その選択の悲しさ故か。
時はじりじりと進む。
丈文を含む誘導班が秋山伊緒をゲートから引き離し、ここへ連れてくる。
その間にフリーランサーで構成された班がゲートを急襲する手はずになっているが、今は思考の外のことだ。
自分たちは使徒を無力化しなければならない。そちらを気にかける余裕はないだろう。
足音が聞こえてきた。
「来ましたね‥‥」
隆道は武器を構え、古代と虎綱の手には発煙手榴弾が。敵の数によってはこれで分断する考えだった。
気配を悟られないように、注意深くのぞき見る。
敵の姿は、全て過去の資料で確認できていたものだった。幽霊騎士が四、シーホースが五。ただし、うち二体は色違いだ。
そして、巨大な盾を構えた騎士に護られるようにして、秋山伊緒が立っていた。
「あそこが狙い目で御座るな」
伊緒を取り囲むように五体のシーホースがいるが、その後ろにいる三体の幽霊騎士は少し距離を置いている。
「よし‥‥仕掛けるか」
「いや、待ってください」
すぐにも手榴弾を投げ込もうとする古代を、隆道が制した。光信機から声が聞こえてくる。
『戦う前に羽生さんが伝えたいことがあるってさ!』
挫斬の声だった。
向かい合う天使勢と撃退士。一触即発の状況で、挫斬の声は抜けるように明るく響いた。
「おい‥‥?」
戸惑う丈文の背中を、そっと押す。
「素直になった方がいいと思うよ? 最期なんだし互いの立場とか無視して素直な思いをぶちまけたら? それで伊緒ちゃんが動揺したら楽になるしね」
耳元で頑張って、と囁いて。
「だから俺の所に帰ってこいって言ってみなよ」
諦めなければ、引き返すことも、新たな道をつくることも、いろいろ出来るはず。そう言って、挫斬は丈文を送り出した。
「‥‥伊緒」
「丈文さん」
距離は開けたまま、二人が向き合う。挫斬はすぐ後ろでサーバントたちの動きを注視する。
他のものたちもそれぞれの思いを抱え、次の言葉を待った。
「俺は、君を殺さなきゃいけない」
絞り出すようにして丈文の口から出た言葉は、それだった。
「俺は撃退士だ。伊緒、君を愛しているけど‥‥けじめは付けなきゃならない」
「羽生さん!」
挫斬が抗議するような声を出す。丈文は振り返る。
「雨野さん、ありがとう。‥‥だけど、俺には言えないよ。俺は撃退士でいたいんだ」
その表情を見て、状況を油断なく観察していた輝瑠は剣の柄を握る力をゆるめた。
彼は本気で、伊緒を殺すつもりでいる──少なくとも、今の時点では。
「もう! ならこれならどうかな?」
挫斬は丈文を引き寄せると後ろから抱き留め、刀を顕現させてその首筋に当てた。
「羽生さんを助けたければ投降か自殺して。投降するなら剣で手足を、自殺なら首を抉って」
海が目線だけを動かしてそれを見、また前を向く。他にも何人かが、ちらと目線をやった。だが、止めようというものはいない。
伊緒は挫斬を見た。先日のような、狂気と憎しみに支配された目ではなく。決意に満ちた強い瞳で。
あたかも、丈文と同じように。
「私のすることは変わらない」
伊緒は静かに言った。
「貴方たちを皆殺して、丈文さんを連れて帰ります。私が決めているのは、それだけ」
「いいの? 羽生さんも死んじゃうよ?」
「やれるものなら、やってごらんなさい」
視線鋭く、睨みつけられる。
「なら──」
「‥‥そこまでにしておけ」
刀を振り上げようとした挫斬を、アレクシアが言葉で制した。伊緒を見やる。
「卿の望み、叶えたくば我等を打ち倒して見せよ。そして彼に理解させてやれ。己が思いの丈を」
「そうするわ」
伊緒は頷いた。
「しょうがないなあ。小細工はおしまいね」
挫斬は丈文から離れた。そしてパッと横へ飛ぶ。その手には銃。
「解体してあげる! キャハハ!」
笑い声と銃声。いずれもが高らかに響き、戦いの歯車が一斉に回り始めた。
●
銃声に被さるようにして、爆音が響いた。古代と虎綱が投げ込んだ発煙手榴弾がもうもうと煙を立ち上げる。
彼らの視界に残る敵は、三体の幽霊騎士だ。いずれも弓を手に持っている。それらは皆、視界が遮られているにも拘わらず、煙の向こうへと矢を射らんとしていた。
「やらせませんよ」
隆道が敵の一体へ向けて指先を繰る。音もなく伸びた金属の糸が敵に絡みついて動きを阻害しようとした。
一方、挫斬のはなった銃撃は伊緒ではなく、その背後にいた赤い体表のシーホースを捉えていた。
回復スキルを持つらしいこの敵は、ある意味で一番の優先目標だ。
「君らは邪魔なんだ‥‥だから、消えろ」
遼布は闇色に輝く翼を展開し、伊緒を飛び越えてそちらを狙う。
アレクシアと輝瑠は左右に分かれ、回り込むように。
「彼の決意が鈍る前に、俺たちの手で終わらせるべきだろうな‥‥」
輝瑠は口中で呟き、大剣を手に自らの闘気を解き放った。
「羽生さん、ファイアワークスを!」
「よし」
海の声に応じ、丈文がスキルを発動する。それに合わせ、海も赤いシーホースを狙った。
花火のように散った炎がサーバントを中心にして炸裂する。
(使徒を避けるようなことはしなかったな)
伊緒には有効打とはならなかったようだが、海が注意していたのはそも彼女を巻き込めるかどうかだ。
「俺はこのままここで支援に回る。君は──」
「俺もここで支援に徹するよ」
そう言って海は、丈文に聖なる刻印を刻んだ。
「同行者から戦死者を出すなんて後味悪い結果はごめんだよ」
丈文は熟練の撃退士だが、ナイトウォーカーというジョブと敵が天界勢であることを考慮すればメンバー中でも耐久力はかなり低い。
海の言葉と行動はそれを加味しているともとれるが‥‥。
丈文は答えなかった。ただライフルを構え、シーホースに狙いを定めた。
「そら、相手になってやんぜ?」
シーホースに狙いをつけた玲治は斜に構えた姿勢で挑発的に手招きをする。三体のうち一体が鼻息を荒くして、彼のもとに向かう。
別の一体は、神削が行かせない。
ウェポンバッシュを放ち、敵を弾き飛ばす。さらに距離を詰めようとしたところで反撃のブレスが彼を襲う。
炎のブレスを躱しきれずに軽い火傷を負ったが、大事はない。
「速攻で片を付ける!」
中立属性である彼の腕に、闇色の暗いオーラがまとわりつく。そのまま、敵に突貫していった。
そして、肝心の使徒には。
「アレは邪魔ね。私が対処するわ。シュトラッサーはお願いするわね」
伊緒の前に佇むようにして動かない盾を持った騎士。凪は宣言するなり駆けだした。
その手に顕現させたランスを勢いよく突き出す。敵は当然それを盾で受けたが、勢いは減じきれず数メートル後ろへ突き飛ばされる。
その隙に伊緒の正面に立ったのは、フィオナだ。
「あなた‥‥」
「人質、などという真似をした我等が憎かろう。来い‥‥その憎悪、存分に受け止めてやる」
フィオナは見下ろすようにして、伊緒を挑発する。
「あなたたちは許さない‥‥私の前に二度立ったこと、後悔させてやるッ!」
伊緒は叫び、剣を振るう。激情に突き動かされていても、その剣筋は鋭く、疾い。フィオナは銀色の光を纏わせた剣を振るい、何とか初撃をいなしてみせる。
「さあどうした? 我を倒して見せろ!」
フィオナの顔には笑みが浮かぶ。どんなときでも彼女は、弱気を見せるということをしない。
仲間がサーバントを倒しきるまで、この位置を一歩も退く気はない──その決意が自信となって、彼女を押し立てているのだ。
●
腕に纏った黒炎がはれ、神削は戦場を見渡した。傍らにはシーホースが一体、すでに骸となっている。
「まずいな。敵が集まってる」
神削が引き離した以外のシーホースは、赤い奴も含めて比較的まとまっていた。
赤いシーホースの体が輝く。互いに回復スキルを使っているようだ。
伊緒を回復させることが第一目標なのは間違いないだろうが、今彼女に当たっているのはフィオナ一人。主が健在ならば、別の行動を取りもするだろう。
当然、それを許すわけには行かない。やっかいなこの敵に対する四人は、攻撃を一体に集中させる。
挫斬が銃撃した一体に向け、輝瑠が剣を振り抜く。動きを止めたところにアレクシアが現出させたのは、十三本の剣。
一斉に射出されたそれはシーホースの体に次々と突き刺さる。剣自体はガラス細工のようにあっけなく崩れ、消えてしまったが、生じた苦痛に敵は吠え声をあげた。
そこへ、上空から遼布が飛び込んでくる。
敵の側面に降りたって、フルカスサイスを一閃する。苦痛の声は止んで、敵はその巨体を横たえた。
「よし、まず一匹!」
赤いシーホースはもう一体。だがそちらへ向かう前に、白い体躯のシーホースが一体迫ってきていた。玲治が引きつけたのとは別の個体だ。
ブレスが吐き出される。回避行動をとるには、体勢が悪い。
遼布の目の前に広がる炎。だが覚悟していた熱は来なかった。
「ふぅ‥‥間に合ったってところか?」
玲治が庇護の翼を発動し、攻撃を受け止めたのだ。
「向坂さん!」
そこへ、反対側から神削も駆けつけてくる。
「こっちは任せな。そっちは予定通り赤い方を頼むぜ」
遼布たちへと告げた玲治は神削と並び立ち、ウォーハンマーを振り上げた。
幽霊騎士にピタリと張り付き剣を振るう虎綱は、しかし違和感に顔をしかめる。
(こいつら目でモノを見てたんだっけ?)
煙幕は確かに視界を遮っている。にもかかわらず、騎士どもは煙の向こうへと矢を放ち、こちらをまるで無視するかのようだ。
煙が薄れかけた一角へ追加の発煙筒を投げようとする古代。だが、隆道がそれを制した。
「効果が薄いみたいです。殲滅を優先した方がいい」
むしろ、自分たちが伊緒や丈文の状況を確認できなくなる分、マイナスの影響が大きい。
「くそっ、なら──」
古代はライフルにアウルを注ぎ、ダークショットを撃ち放つ。兜を捉えた一撃に幽霊騎士はその身を揺らすが、それでも煙の向こうへと矢をつがえた。
「やらせませんよ!」
すかさず隆道が駆け寄り、レガースを装着した右足を振り抜く。中段蹴りからかかと落としの連続攻撃を叩き込むと、ようやく一体がおとなしくなった。
だがまだ二体が健在。敵の援護を止ませるには、時間を要しそうだ。
作戦の骨子は、使徒をとりまくサーバントを分断し、各個撃破した後に全員全力で使徒に当たるというものだ。その策はある点ではうまくいっていたし、ある点ではそうではなかった。
凪の放った二発目のウェポンバッシュが、盾を持つ騎士を弾き飛ばす。──だが。
幽霊騎士はそうされても凪には目もくれず、律儀に伊緒のもとへ駆け戻ろうとするのだ。
「く、この──」
思うように引き離すことが出来ず、凪は歯噛みする。これではもう一発放ったところで同じことだ。
シーホースたちの距離も近い。この位置でCODE:LP──挑発スキルを使用すれば、周りの作戦を阻害してしまう可能性もある。
「何とかしなくてはいけないわね」
フィオナはなお、伊緒と肉薄し続けていた。
「最早、貴様等は添い遂げることは出来ん。そして、それを選んだのは他でもない、貴様自身だ」
「いいえ、いいえ! あなたが何と言おうと、丈文さんは私とともに!」
伊緒が声を昂ぶらせて振るった剣がフィオナの肩を斬り裂いた。鮮血が散る。
フィオナはひるまず、背後に映し出した魔力球から武器を打ち出す。しかしそれらは伊緒まで届かなかった。割り込むように現れた薄い壁が攻撃を遮ったのだ。盾持ちのスキルであろうか。
なおも近接し、攻撃を仕掛けるフィオナ。だがそこへ、煙の向こうから二発の矢が立て続けに打ち込まれた。
一発を叩き落としたが、もう一発が右肩に突き刺さる。
そしてそのタイミングを、伊緒に狙われた。
「うっ‥‥ぐっ」
プレートメイルの隙間を縫って、伊緒の剣が深々とフィオナを貫いていた。
「貴様の結末は、最早‥‥」
「とどめは後で差しに来てあげます。ではまた」
伊緒は膝をつくフィオナに言い放ち、その脇を抜けた。
伊緒とフィオナのもっとも近くにいたのは盾持ちを抑えていた凪だったが、伊緒はそちらを見なかった。
彼女が狙うのはあくまでも丈文のもとへ行くことであり、その周囲の撃退士を排除する──そういうことなのだろう。
結果的にではあったが、盾持ちと伊緒との間にこれまでにない距離が開く。
今しかない。
凪は素早く決断し、スキルを発動させた。
「開封──闇に食われなさい」
手にしたランスに闇を乗せ、突く。幽霊騎士は盾をかざしたが、凪は巧みに槍先を操ってそれを躱し、その先の甲冑を貫いた。
フィオナを抜いた伊緒が丈文のもとへと向かう。そばにいるのは海、そして挫斬。
「伊緒!」
丈文がライフルを伊緒に向けて放った。しかし躱される。
「丈文さん、見ていてください。私の決意を!」
叫ぶなり、砲を撃ち放つ。狙いは海だ。海は冷静にシールドで受け止める。
その間に伊緒はさらに距離を詰めた。再び剣を手に、挫斬のもとへ。
挫斬は大鎌を顕現させ、伊緒を待ち受けた。
「あんたは許さない‥‥八つ裂きにしてやるッ!」
大鎌と剣が交錯する。だが怒りと憎悪に燃える伊緒の剣筋は、闘気を解放した挫斬をなお上回った。
肩から胸にかけて斬り裂かれ、血しぶきが飛ぶ。すかさず海が回復を施して傷をふさぐが、その様子を見て伊緒は笑った。
「何度でも切り刻んでやる」
そしてまた、同じ場所めがけて剣を振り下ろそうと、そのとき。
背後からの一撃を浴びて、伊緒はたたらを踏んだ。
「大丈夫か?」
輝瑠だった。大剣を手に、彼もまた闘気解放を使用する。
「一人くらい増えたからって‥‥!」
丈文を数に入れれば四対一。それでも、伊緒は強気だ。
だが状況は確実に動いている。
輝瑠がこちらにきたということは‥‥赤いシーホースは残らず倒れたということなのだ。
●
煙幕はほぼ晴れたが、弓持ちの幽霊騎士はまだ二体が動いていた。
「手こずっているようだな」
「さあ、早いところ倒してしまおう!」
そこへ、アレクシアと遼布の二人が合流する。アレクシアの放った鋼糸状のアウルが幽霊騎士の一体を束縛した。
「好機!」
敵が並んだ。虎綱は力を込め、剣を振り抜く。
大技雷遁・雷死蹴が二体の騎士をまとめて捉え、動きを止める。
「よし、いまなら‥‥!」
古代はライフルをしっかりと構え、痛烈な一撃を放った。騎士の甲冑に風穴が空く。
ここまでくれば、敵を完全に仕留めるまで時間はかからなかった。
「お前が力を求めた理由、理解は出来るが納得はしない」
「あなたがどう思おうと、これが私の道‥‥邪魔をしないで」
伊緒は輝瑠と切り結ぶ。
「その行動でどれだけ彼を苦しめたか分かっているのか?」
「丈文さんはっ‥‥!」
そのやりとりに割り込むようにして神削が伊緒との戦線に加わる。
「サーバントは全滅した。一気に畳みかけるぞ」
伊緒は側面から放たれた神削の攻撃を躱すが、間髪を入れずに突き出されたランスによって左腕を斬り裂かれる。放ったのはもちろん凪だ。
「このぉっ!」
伊緒は気合いを迸らせ、正面の輝瑠を剣で斬りつけようとする。
「おっと、させないぜ?」
だが玲治が割り込む。ダメージは最低限に。
「ほらほら、私を忘れないでね?」
別側面から挫斬が鎌を振るう。
幽霊騎士を相手にしていた面々も合流してきた。隆道が背面から蹴りを放つ。伊緒は身を捻って避けたが、隆道はなおも肉薄する。
「なぜ未だに羽生さんにこだわるのです?」
「丈文さんは、私の全て‥‥大切な人なの!」
その言葉を聞いて、虎綱が笑い声をあげた。
「クハハハ! 大切か! 本当に? 貴様が大切なのは誰かを大切にしてる自分なんじゃないのかね!」
あからさまに挑発する物言いではあったが、伊緒は怒りを露わにして虎綱に砲を向けた。
その背中から、アレクシア。
「‥‥終わりだ」
その手から延びたアウルの糸が、伊緒を絡め取る。
作り出した隙は一瞬。だが多人数に囲まれたこの状況では決定的だった。
神削がその手に再び闇を纏わせる。強化されたその技の闇は、深い。
「はああっ!」
拳が伊緒を捉える。合わせるようにして、他の者も一斉に攻撃を叩き込む!
肩を砕かれ、脇腹を、背中を斬り裂かれ、あちこちから赤い血の華を散らして、伊緒は叫んだ。
「う、ああああ!」
断末魔、ではない。その目にはまだ力がある。
「ちっ、まずいな‥‥!」
玲治が舌打ちしてスキルを発動する。その直後、白い小さな爆発が、伊緒を中心として起こった。
爆発はごく小さかったが、伊緒の直近にいたものは巻き込まれ、吹き飛ばされた。例外は、玲治のスキルに護られた輝瑠だけだ。
「まだこんな手を残していたとは‥‥」
巻き上がった砂埃が湿った風にとばされて晴れていくと、伊緒はまだそこに立っていた。
だがその目は輝瑠を見ていない。それどころかその場にいる誰にも向けられていなかった。
伊緒は空を見ていた。結界に覆われた暗い空を。
「主様‥‥?」
ぽつりと呟くように。
「私たちを置いて行くのですか‥‥?」
直後、銃声が響き、伊緒は背中に新たな傷を受け、よろめく。
「護られるのが嫌で力を手にした──気持ちはわかる。羽生さんの動揺も」
古代だった。表情はない。銃口を油断なく伊緒に向けたまま、言葉を紡ぐ。
「それでも。それ以上に」
全てを救うことなど、できないのだから。
「アイツらと生きるために──あんたの道を断つ」
もう一度、銃声が響いた。
●
伊緒はこめかみから大量の血を流していた。並の人間ならもちろん、即死だ。だが彼女はその状態でも動いた。
しかしその目はもはや焦点を結んでいなかった。右手の剣を引きずるように持ち、二歩、三歩ふらふらと進む。肩を砕かれた左腕はだらりと下がって、手にしていた砲が音を立てて落ちた。
戦う力を残していないことは、明らかだった。
「伊緒!」
丈文が行動を起こしたのは、そのときだった。滑るように駆け寄って、伊緒を抱き留める。そして叫んだ。
「伊緒、俺を殺せ!」
力なくそのかいなに沈んだ伊緒の右腕を取り、剣の切っ先を己の左胸に当てる。
「腕を前に出すんだ。そうすれば俺は──」
言葉は拳によって遮られた。素早く駆け寄った神削が、丈文の頬を思いっきり殴りつけたのだ。──それでも、手加減はしていたが。
派手に飛ばされた丈文は気を失わなかったが、伊緒を手放した。
「いけませんよ。その結末は認められない」
隆道がその間に立つ。険しい顔つきで見下ろした。
「止めないでくれ」
丈文は懇願した。
「伊緒を一人で行かせたくない」
「‥‥後味悪いのは、勘弁してくれ」
痛みの残る体で荒い息をつきながら、神削。
「言ったはずだよ。同行者から戦死者を出すのはごめんだって」
フィオナに回復を施しながら、海が続いた。治療によって目を開けたフィオナは身を起こし、状況を見渡した後で丈文に告げた。
「今生の別れだ。傍に居てやれ」
「駄目です。羽生さんは彼女に自分を殺させようと──」
「いや、もう無理だ」
頑なに首を振る隆道だったが、遼布がそれを遮った。
「彼女は死ぬよ。最後くらい‥‥愛しい男の腕の温もりを味わって逝けばいい」
悲しみをたたえた目が、伊緒を見ていた。
右手の剣は隆道が取り外した。流された血が凝固したのか、ぺりぺりと音を立てた。
再び丈文が伊緒を抱き抱える。瞳がほんの少し揺れて、まだ死んではいないということを示す。
「‥‥丈文さん。どこ‥‥?」
「伊緒」
か細い声に呼ばれて、丈文は顔を近づける。
「ここは、どこ‥‥ねえ、丈文さん。どこへ行ったの?」
視線は虚空をうつろい、渇いた唇が弱々しく揺れる。命が消えていく様が、ありありと見て取れる。
「丈文さん。丈文さん‥‥」
「俺はここだ。伊緒。俺はここだよ」
伊緒はほんの少し、顔を歪めた。泣いたようにも、笑ったようにも見えた。
声が届いたかどうかは、誰にもわからない。
●
作戦は成功に終わった。
本隊はゲートコアの破壊に成功。羽生丈文を含む分隊はシュトラッサー・秋山伊緒を撃破した。天使は取り逃がしたが、十分な戦果だ。
丈文は息を引き取った伊緒を抱え、しばらく動かずにいたが、やがてすっくと立った。唐突なその動きに、何人かがまた身を固くする。
「死など許されると思うな。貴様には生きる義務がある」
フィオナが強い口調で告げる。丈文は答えず、胡乱げに瞳をさまよわせる。
「──なあ」
視線を動かした丈文が声をかけたのは、一歩離れて様子を伺っていた凪だった。
「あんた、言ってたな。俺がうらやましいって。この有様を見ても、まだそう思うか?」
挑発的な視線が向けられる。彼女は一拍おいて、答えた。
「思うわ」
「何故?」
「自分の望む相手がそこにいる。それはとても幸せなことよ」
「俺は望みを叶えられなかったんだ」
凪は首を振った。それでも、と。
「機会があった。結末を知った。それだけでも」
羨ましい。
引き留めるのでもなく、かといって背中を押すのでもなく。だからこそ逆に、彼女の言葉は丈文に響いたのかも知れない。
「そうか」
丈文は下を向いた。
「これが結末か」
その言葉は、彼が受け入れた証であった。
「どうにか終わったな‥‥」
玲治がやれやれといった様子でウォーハンマーを担いだ。
彼らに託されたもう一つの任務も、無事終わりを迎えたようだ。
ゲートコアが破壊され、天使が姿を消したこの地の結界は、最早用途をなさなくなっていた。空の覆いは取り去られ、じめつく空気を追い出すかのように、冷たい風が流れ込んでくる。
「本当に、他の道はなかったのかな‥‥」
挫斬は胸に残った疑問を、その風に乗せた。
「さあな。助けられるものなら、そうしたかったが」
傍らで、虎綱が屈み込んでいる。
歪んでしまった生から解き放つことでしか、救ってやれない。あのときも、今回も、同じ結末だ。
「迷える魂は空へ。‥‥我らはこれからどこに行けば良いので御座ろうな」
砂をつかんだその手を開くと、ぴゅうと強く吹いた風がそれさえも空へと舞いあげる。一握の砂塵は上空へと消えていく。
風はその場にいたものを生者も死者も等しく巻き込んで通り抜けた。生者の何人かは傷口の痛みに顔をしかめ、別の何人かは風の冷たさに身を震わせた。
死者はただ髪を揺らすだけだった。
「‥‥帰ろう」
誰かが言って、彼らは歩き出した。