.


マスター:嶋本圭太郎
シナリオ形態:ショート
難易度:難しい
形態:
参加人数:8人
サポート:3人
リプレイ完成日時:2012/12/31


みんなの思い出



オープニング

「はあ、はあっ‥‥!」
 撃退士・羽生丈文は走っていた。
 身体は思うように動かない。それでも、今は足を止められない。
 後ろから、追いかけてくるものの姿があるはずだから。

 彼を追うものは秋山伊緒。丈文の恋人で、今は天使の使徒であった。



●数日前

 丈文が使徒となった伊緒に連れ去られ、ゲート内部と思われる一角に監禁されるようになったのは、まだ本格的な暑さがやってくる前の季節だった。
 それからどれだけの時が経ったのか。
 満足に身動きできぬ状態でつながれていた彼には、正確な時間は分からない。ただ、短くないときであることは分かっていた。
 救援の来る気配はない。この場所が分からないのか、戦力が足らないのか、それとも。
 すでに死んだと思われているのか。

(‥‥このままでは)
 本当に動けなくなってしまう前に。

 活路は自分で見いだすほかない。


「丈文さん、身体は痛みますか?」
 伊緒は今日も丈文の元へとやってきて、甲斐甲斐しく彼の世話をする。
 だが、縛めを解くことはない。
「なあ‥‥伊緒。これを外してくれるわけにはいかないか?」
 柔らかい口調でそう聞いてみると、伊緒は困った顔をした。
「そうしてあげたいのですけど‥‥。主さまからお許しを得ていませんし」
「あいつは、いないじゃないか」
 ここ数日、伊緒が「主」と呼ぶ少年天使の姿は見えなかった。
「確かに‥‥今、主さまはご不在ですけれど。でも、そうしたら、丈文さんは逃げていってしまうのでしょう‥‥?」
「勝手にいなくなったりはしないさ。不安なら、伊緒が見ている間だけでもいい。いい加減、筋肉が固まってしまって苦しいんだ」
 少々演技がかった口調で訴えかける。すると、伊緒は考える仕草をした。
「‥‥今だけ、ですよ?」
 彼女のほっそりとした手が、丈文の腕へと伸びてきた。


 宣言したとおり、丈文は縛めを解かれてもそこから逃げ出そうとはしなかった。
 どれほどの深さであるかも分からないゲートの中で、たとえ伊緒を出し抜けたとしても、逃げきれるはずなどなかったからだ。
 伊緒の話では、天使は当分戻らないという。
 それまでにチャンスを作ればいい‥‥どのみち、一度しか使えないだろう手だ。

 丈文は恋人同士であった頃を思い出すかのように、親しげに伊緒に話しかけた。
 すると、伊緒は心底嬉しそうに顔をほころばせるのだ。
「丈文さん、やっと私の思いを理解して下さったんですね」
 そうして笑う伊緒は、人であった頃と何も変わらない様に見えた。



 それから二日後──二日、という時間が経ったことを丈文が理解できたのは、ここへ連れてこられてから初めてだった──伊緒は、丈文の元へと現れると満面の笑顔でこう言った。
「明日には、主さまが戻られるそうです。そうしたら、丈文さんが私のことを理解して下さったとお伝えしますね。きっと、主さまもお喜び下さると思います」
 丈文は内心、血の気が引いた。
 天使が戻ってきてしまったら、行動を起こすのは難しくなる。

 今しかない。

「伊緒‥‥頼みがある」
「何ですか、丈文さん」
「外へ、連れて行ってくれないか」
 さすがに、伊緒は逡巡した。
「それは‥‥」
「少しでいいんだ。いくら撃退士とはいっても、こう長期間ゲートの中にいたら参ってしまう。そうだな──、一時間も外の空気を吸わせてもらえれば、それでいい。もちろん、伊緒も一緒に」
 真剣な顔で頼み込む。それを見て、伊緒はついに折れた。


 ゲートも結界も、丈文が予想していたよりずっと小規模なものだった。
 まだ動きづらいだろうからと、伊緒は丈文を両腕で抱え、軽々とそこを駆け抜けた。
「ふふ、お姫様だっこ、してしまいましたね」
 腕の中の丈文を見下ろして、伊緒はまた笑う。
 結界を抜け、ひやりとした外気が肌を刺す。
「ここでいいですか?」
 伊緒が下ろしてくれたのは、見晴らしのいい丘の上だった。

「‥‥寒いな」
 思わず、そう口にでた。
「ええ、もう十二月ですから」
 伊緒の言葉を聞いて、さらに驚く。連れ去られたのは、まだ夏の前だったはずだ。
 だが伊緒はそんなことには構わず、楽しげに言葉を並べていく。
「もうすぐクリスマスですよ。今年は、二人で一緒に過ごせそうですね。去年は丈文さん、お仕事だったから‥‥」
 確かにそうだ。レストランの予約をしていたのに、当日緊急の依頼を受けて反故にしてしまったのだ。
 伊緒はそれがあなたの仕事だから気にしない、と言っていたはずだ。
 だが、そんなはずはなかった。今の彼女の様子を見て丈文は初めてそのことに気づいた。
「プレゼントは何がいいですか? 編み物は得意技ですから、今からでもリクエストを受け付けますよ」
 白い息を吐き続けながら喋る彼女の横顔を眺めていると、胸が苦しくなる。

 今は人ですらなくなったはずの彼女はまだ自分のことを間違いなく愛してくれていて。
 そして、自分は──。

「──丈文さん?」
 伊緒は、丈文が自分のことをじっと見つめて押し黙っていることに気づき、呼びかける。
 丈文は真剣な眼差しで、伊緒を見つめていた。
 右手が伸ばされ、伊緒の肩におかれる。
「伊緒‥‥」
 その名を呼び、一歩近づく。
 伊緒は口を閉じ、丈文を見上げた。
 眼が閉じられる。
 丈文も眼を閉じ、そのまま身体を寄せ──そっと口づけた。
 半年ぶりのキス。
 閉じられたままの伊緒のまなじりから、一筋、涙がこぼれ落ちた。それは頬を伝い、肩におかれた丈文の右手に落ちた。
 丈文はそっと唇をはなす。伊緒はまだ眼を閉じている。

「伊緒──ごめん」

 謝罪のつぶやきと、白い光。

 丈文を中心に発せられた光は伊緒を巻き込み、周囲を凍てつかせる。
「え‥‥?」
 伊緒が膝から崩れる。丈文は支えなかった。
 どさりとその場に横たわる。強烈な睡魔が彼女を支配していた。
「たけ、ふみ‥‥さん‥‥?」
 丈文は彼女に背を向け、駆け出す。

「ごめん」
 口中でもう一度、つぶやきながら。



 丈文は、駆けに駆けた。
 完全に不意をついたとはいえ、動きを止めておけるのはせいぜい数分といったところだろう。今はもう自分のことを捜して動き回っているはずだ。
 周囲は山に囲まれていた。民家の姿もなかなか目に入ってこない。
 長い間拘束されていたことによる体力の消耗もやはり激しい。自力で逃げ切るのは難しいだろう。

 ようやく、一軒の民家が目に留まる。
 丈文はドアを打ち鳴らして住民を呼び出すと、半ば強引に入り込んで電話を借り、学園を呼び出したのだった。


リプレイ本文

 空は曇天だったが、冬枯れの緑が少ない森の中は思っていたほど暗くはなかった。
 木の根が張りだし、虚のようになっているそこに腰を下ろして、丈文は一人、白い息を吐く。
「‥‥寒いな」

 いくつかの物音が重なって丈文の耳に届いた。サーバントなら、物音などしないだろう。
 手を差し上げてみる。
「──いたのぜ、こっちだ!」
 すぐに、声が返ってきた。

 麻生 遊夜(ja1838)が、丈文の元へとやってきた。
 資料で確認した姿と比べると幾分頬が痩け、やつれてはいるが、間違いなく本人だ。
「少しでも応急処置をしておかないと」
 神喰 茜(ja0200)が身を起こそうとする丈文を制止する。森田良助(ja9460)が彼の腕をとる。目に見える負傷はなかったが、良助は丈文に応急手当を行った。
「少し、楽になったよ」
 良助が下がると、代わって蘇芳 更紗(ja8374)が進み出た。手には女物のコートと──カツラを持っている。
「女装の苦しみはわたくしも理解するが‥‥背に腹は替えられん」
「本当は人数分、用意したかったんだけどね」
 雨野 挫斬(ja0919)が残念そうに言う。彼女や遊夜が望んだような準備を整えるには、予算も時間も余裕がなさすぎた。
「‥‥俺の背丈で女装は、無理があるんじゃないか」
 丈文の身長は170後半はある。だが、フィオナ・ボールドウィン(ja2611)がそれを諭した。
「無用の戦闘を避けられるなら、やって損ということはあるまい」
 有無をいわさぬ口調に、丈文は受け入れるしかなかった。

「あとは、これであるな」
 遊夜が丈文に手渡したのは、魔具だった。
「本当なら休んでてもらいたいんだけど‥‥そんな余裕はなさそうだから、ね」
「鞭打つようで悪いがそれなりの戦力として働いてもらうぞ」
 苦笑する遊夜の横で、更紗がそう言った。遊夜のアルビオンをはじめ、いくつかの魔具・魔装が丈文の手に渡される。
 具合を試すように手を動かしているその様子を、九十九(ja1149)が静かに見ていた。
(報告書は読んだがねぇ‥‥彼女に対してどういう選択肢を彼は択ぶのかね‥‥)

「話の続きは無事に帰還できてからにしましょう。可能な限り多くの情報を共有するためにも、ね」
 ナタリア・シルフィード(ja8997)がそういうと、丈文は眉根を寄せた。
「逃げきれる保証はない。少しでも、先に‥‥」
 彼は急いたが、この人数で一所に固まっていてはそれこそ見つからないはずがない。
「こういうものもあるのさぁね」
 九十九が自身のスマホを示す。ボイスメモのアプリを使えば、移動しながらでも情報は得られる。
「そんなに余裕もなさげだし、急ごう」
 周囲を警戒しながらの茜の言葉に一同は頷いた。



「第一目標は完了」
 丈文が一通り話し終え、九十九がスマホをしまい込むのを確認して、遊夜が言った。
「後は逃げ切るのみ、だな」
「‥‥止まってください」
 前を歩いていた良助が、一行を制止するのを聞き、全員が身を固くする。
 良助の視界のぎりぎり先で、クリーム色の物体が動いている。シーホースだ。
 呼吸さえ抑えて、次のアクションを待つ。

 ──やがて、良助がふっと力を抜いた。
「気づかれなかったようです」
 ひとまず、全員が安堵する。だが、この周辺が捜索されていることは間違いない。
「あそーさん、うちらも索敵に加わるのさぁね。目は多いほうがいい」
 九十九の言葉に、遊夜が頷く。

 インフィルトレイターが三人いる構成のおかげで、かなり広範囲を警戒することができる。
 だが敵を発見したところで、むやみに仕掛けるというわけにはいかない。伊緒は使役サーバントと感覚を共有できるのだ。
 かすかにでも姿が見えれば、大きく迂回するか、相手が離れるまで待たなければいけない。そこまでしても阻霊符を発動しない以上(あれは自らの位置を叫びながら移動するようなものだ!)、視界外からはち合わせになるという可能性はゼロではなかった。
「阻霊符が使えないとここまでめんどくさいとはね‥‥」
 地面を注視しながら歩く茜が、思わずそんなことを口にした。



 道のりもようやく半ばというところで、一行は動けなくなった。
 三方向に敵の姿が見える。広範囲に散らばってはいるものの、囲まれているような格好だ。
 時間が経ち、相手も徐々に捜索の範囲を狭めているのかも知れない。
「このまま戦わずに切り抜けるのは、難しいか」
 遊夜がライフルを握る手に力を込めた。

 良助が密かに一団を離れる。なんとかシーホースの目を掻いくぐってその先へと抜けることができた。
 丈文たちから十分に距離をとったところで、攻撃を仕掛けた。辺りを観察していたのか、慎重な動きを見せていたシーホースは一撃を浴びてはじかれるように身を翻し、良助に向き直る。
 だが、ブレスを浴びせる猶予はなかった。
 良助の反対側で、遊夜もまた狙いを定めていたからだ。
 銃口から肩にかけて赤い光が螺旋を描き、放たれた黒い弾丸が、天使の眷属であるシーホースを容赦なく撃ち抜いた。
「お休みなさい、安らかに」
 当然、返事はなかった。

「急ごう!」
 挫斬の声に頷きを返す間も惜しい。交戦してしまった以上、ここからは時間との戦いだ。
 伊緒が駆けつけるまでにこの場からできるだけ離れなくては。
 シーホースの屍の脇を抜け、一気に山を下りはじめる。良助が一行に合流した。
 やがて前方に新たなシーホースの姿が見えた。先ほどまでに確認したものとは違い、体表色が赤い。丈文の情報にはないタイプだ。
 すでに相手もこちらに気づいている。
 ナタリアが蒼天珠によって生み出した風の刃が敵を刻み、茜が刀を手に飛び出す。
 長々とかかずらっている余裕はない。神速の突きが敵を貫くと、相手は血しぶきを上げながら吹き飛んだ。
(‥‥特に耐久力が違うということもないであったな)
 遊夜は顕現させたライトブレットをしまい込む。色違いはどんな性能差があるのか、今はじっくり検証している余裕はなかった。

 だが、彼らの足取りは、じきに止まることになった。

 丈文が限界を迎えたというわけではない。かといって、無事に麓までたどり着いたというわけでもなかった。

「‥‥やっと見つけた」
 赤いシーホースを引き連れて、秋山伊緒がそこにいた。
 はぐれた恋人を見つけたとばかり、安堵の表情を浮かべて。右手に剣を、左手に砲を携えて。



「チッ、バレちまったか‥‥」
 遊夜が舌打ちする。丈文の変装は、効果を生まなかったようだ。
 伊緒は迷いなく丈文を見据え、笑いかけた。そして次には周りを取り巻く更紗やナタリアを、険しい目つきで睨んだ。
「あなたたち、丈文さんをどこへ連れて行くの」
「伊緒‥‥」
 丈文はか細く彼女の名を呼んだが、それきり言葉を失った。
「使徒よ、この場は退くがよい」
 代わりに、フィオナが丈文を隠すようにして前へ出る。
「この者がここまで辿り着けたのは、まだ人の世ですべきことがある‥‥そういうことだ」
「そんなこと、どうだっていいの」
 伊緒は取り合わなかった。
「丈文さんは、私の大切な人よ。どこにも行かせないわ」
「言って分からぬなら‥‥是非もない」
 彼女の周囲に赤い光がいくつも生み出された。
「これが最後だ‥‥退け。貴様とて恋人を巻き込んでの戦闘は本意ではなかろう」
「丈文さん、待っててください──すぐに、終わらせますから」
「愚か者が‥‥!」
 剣を構える伊緒。フィオナは表情険しく言い捨てると、魔力球の力を開放した。

 伊緒は魔力球からの一撃を躱すと、一直線に丈文の元を目指す。それを遮るように、良助が飛び出して挑発した。
「返してほしければ、僕を倒してみろ!」
 伊緒が良助に斬りかかる。良助の後方にいた九十九が素早く弓を構えた。
 間髪を入れず放たれた矢は紫紺の風へと姿を変え、振り下ろされる刀身にまとわりつく。
 良助が身を捻る。剣の切っ先は彼の赤く染められた前髪をほんの数mm、斬り飛ばした。

「割り切っているだろうがアレが元恋人であろうがいざとなれば討って貰う」
 更紗は伊緒の動きを注視しつつ、丈文に言う。
「最早アレは人ではない。成れの果ての怪物だ」
「‥‥ああ‥‥」
 返事は、歯切れの悪いものだった。更紗が丈文を見ようとしたとき。
「こっちからも来たよ!」
 挫斬の声が響く。別方向から二体のシーホースが姿を見せていた。フィオナの声が飛ぶ。
「羽生、貴様はサーバントの相手をしろ! 使徒は我が抑える!」
「数を減らさなくちゃ、逃げることもできないしね。行こう!」
 刀を構えて突撃する挫斬。丈文はもう一度ちらと伊緒を見やって、ひとたびここは背を向ける。更紗とナタリアがそれに続いた。

 良助のダークショットは、伊緒の太股に命中した。白い肌にぱっと血しぶきが散り、伊緒ががくん、と膝を落とした。
 天使勢に絶大な効果を発揮するよう、研鑽を積んだ一撃。効果は絶大──そのはずだ。
 それでも伊緒は顔を上げるや、一息で距離を詰めてきた。
「邪魔するなあっ!」
 長い髪を振り乱し、剣を振りかぶる。スキルの効果は、まだ残っている。
 今度は躱しきれず、右肩から大きく袈裟懸けにされた。
 良助は呻き、膝を突く。抵抗する力を失った彼に、激昂した伊緒はさらに攻撃を加えようとした。
 だがそこへ、茜が絶妙のタイミングで割り込んできた。
(羽生さんがどんな想いを抱いていようと、私には関係ない──敵は、斬る)
 そのシンプルな論理に、理由はいらない。すでに彼女の頭髪は金色に染まっていた。
 繰り出された突きが伊緒を捉え、数m向こうまで跳ね飛ばす。その隙に九十九が良助を回収。応急手当を施す。
 伊緒はすぐに身を起こした。その手には砲。狙いの先は、もちろん茜だ。
 だが今度はフィオナが強引に割り込み、防壁陣で放たれた一撃を弾き飛ばした。
 伊緒は再び距離を詰めようとする。
「足元がお留守であるぜ?」
 しかし、今度は遊夜だ。伊緒の動きに合わせ、踊るような三連射。
「お前たちっ‥‥どけぇぇっ!」
 丈文たちとの距離が開いている。伊緒は顔を歪めて叫んだ。

 シーホースの一体が木々の間をすり抜けて、丈文たちへ迫る。挫斬が阻霊符を発動させたため、直線的に動くことは出来なくなっている。
 ブレスの射程に入るよりも早く、ナタリアがエナジーアローで敵を撃つ。挫斬が飛び込み、動きを止めたその首を刈り取った。
 もう一体が迫ってくる。だがこれは丈文がスキルで睡眠を与えた。
「今のうちに──」
 距離をとろう、という言葉を丈文は飲み込んだ。
 伊緒が囲みを破ってこちらへ向かってくる。
 フィオナたちの周囲には、いつの間にか三体のシーホースがいて彼らを逆に取り囲んでいた。
 伊緒は丈文との間に立つ更紗へと、憤怒の表情を剥き出しにした。
「丈文さんから離れろ、女狐ぇっ!」
 突き出された刃を更紗は盾で受け流す。
「人であった記憶を引きずっているなど胸糞悪いにもほどがある──化け物風情が、いつまでも人の振りをするな!」
 更紗からすれば──いや、一般的な解釈であれば、使徒はもう人ではない。それは、丈文もよく分かっていることだ。
 それでも、丈文は更紗の物言いに、ショックを受けずにはいられなかった。
(そうだ──伊緒はもう、生きてはいない。ここにいるのは、伊緒じゃない)
 その通りだと、どれだけ頭の中で納得しようとしても。
(なのに、何故俺の腕は動かないんだ?)
 伊緒の動きは早く、更紗は苦戦している。
 誰を助けなければいけないのか。
(分かり切っている。‥‥分かり切っているのに)
 なのに、伊緒を前にして、身体は動いてくれない。
 遊夜から託された白糸をその手に握ったまま、丈文は動くことが出来なかった。

 状況は、刻一刻と悪くなっていた。

 伊緒が呼び寄せているのか、サーバントの姿は徐々に増えていく。おまけに、こちらの回復手段は乏しい。
 こちらとて無抵抗なわけではない。だが、伊緒の動きは衰えを見せない。
 何故か。気づいたのは、戦況把握に腐心していた九十九だった。
「あの赤いサーバントから狙うのさね!」
 色違いは、ほとんど攻撃を仕掛けてこない。そして、一体は伊緒のそばを離れない。
 回復スキルを持っている。つまりそういうことだった。
 だが気づいたときには、すでに戦闘は佳境となっていたのだ。

「くっ‥‥」
 ついに、更紗が膝をついた。次いでナタリアが狙われ、丈文の直援がいなくなる。
 麓はもう遠くないはずだ。だが──。
(このままじゃ、逃げきれない)
 挫斬自身も含め、誰もが疲弊している。
(それなら、一か八か)
 ここまで来て、みすみす取り返されるわけには、いかない。

「動かないで」
 丈文へ近づこうとした伊緒に、鋭い声が飛ぶ。
 挫斬が丈文を引き寄せ、大鎌の切っ先を彼の首筋に当てた。
「動くと羽生さんを殺すよ」
「‥‥どういうつもり?」
 伊緒は訝しんだ。一歩前へ踏み出そうとする。
 挫斬は慎重に加減して、刃先を丈文の首に食い込ませる。薄皮が切れたような傷が出来、血が一筋流れた。
 伊緒がはっとして動きを止める。
「次はないよ。全員後ろに下がって」
 伊緒が腕をおろすのを見て、挫斬は続ける。
「ごめんね羽生さん。助けられないなら敵になる前に殺せって依頼なの。‥‥だから、抵抗しないでね」
「やめて!」
 伊緒が叫んだ。挫斬は出来うる限りの無表情で、伊緒を見据えた。
「なら、下がって。ゆっくりね」
 伊緒はしばらく挫斬を睨みつけていたが、やがてゆっくりと一歩ずつ、後ろに下がり始めた。
「そこで止まって」
 10m程の距離があいたところで、そう指示する。
「私たちは帰るけど、途中でアナタたちの姿を見たら羽生さんの命はないからね」
 伊緒は答えず、挫斬を睨んだまま、動かない。
 挫斬は丈文に刃先を突きつけたまま、ゆっくりと後ずさる。そのまま全員で、伊緒の姿が見えなくなるまで後退した。

(次は‥‥斬る)
 茜が視線を送った先から、伊緒の声が響いた。
「殺してやるっ‥‥! 丈文さんに何かしたら、お前たち全員、絶対に、八つ裂きにしてやるんだからああっ!」



「ごめんねっ! 依頼の内容はもちろん嘘だから!」
 伊緒が追ってきていないことを確認すると、挫斬は丈文を離して謝った。
「ああ‥‥、わかってるさ」
 そう答えはしたものの、丈文の表情は暗い。
 無事脱出できたといっても、彼にとって気の重い事態──伊緒が使徒であることは変わりがないのだ。
(‥‥この先、彼女を斃すべき敵として見ることが出来るのかねぇ? それとも‥‥)
 九十九は丈文の背中を眺めて、考える。
 撃退士であり、一人の男──九十九もその点は丈文と同じだ。
 隣をいく遊夜をちらと見ると、考えが伝わったのか、彼は肩をすくめた。

 自分の恋人が敵に回ったら──そんなこと、考えたくもない。
(だが、こういうときはなんて声掛けたら良いんだろうかねぇ?)
 遊夜の問いの答えは見つからぬまま。

 町までの空気は、重いままだった。


依頼結果

依頼成功度:成功
MVP: 高松紘輝の監視者(終身)・雨野 挫斬(ja0919)
重体: −
面白かった!:7人

血花繚乱・
神喰 茜(ja0200)

大学部2年45組 女 阿修羅
高松紘輝の監視者(終身)・
雨野 挫斬(ja0919)

卒業 女 阿修羅
万里を翔る音色・
九十九(ja1149)

大学部2年129組 男 インフィルトレイター
夜闇の眷属・
麻生 遊夜(ja1838)

大学部6年5組 男 インフィルトレイター
『天』盟約の王・
フィオナ・ボールドウィン(ja2611)

大学部6年1組 女 ディバインナイト
屍人を憎悪する者・
蘇芳 更紗(ja8374)

大学部7年163組 女 ディバインナイト
白銀の魔術師・
ナタリア・シルフィード(ja8997)

大学部7年5組 女 ダアト
セーレの王子様・
森田良助(ja9460)

大学部4年2組 男 インフィルトレイター