「あたし、野球ははじめてやりますね」
グラブを手にして、佐藤 七佳(
ja0030)は目をしばたたかせた。
隣では、イオ(
jb2517)も同じようにグラブ──ではなく、彼女は捕手用のミットの感触を確かめる。
「イオも、やるのは初めてじゃのう。楽しみじゃ」
「脚にはちょっとだけ自信あるんです、でもボールを投げた事はあんまりないんですよね」
ちょっぴり不安そうな七佳だが、コーチ役の道倉は気楽な様子。
「なに、基本は簡単なもんだ。君たちなら、すこし練習すれば問題ないさ」
「しかしまあ、死球とか、刺すとか、殺すとか、憤死とか──野球は楽しい言葉がいっぱいじゃの」
悪魔らしく? イオは不敵に笑った。
「‥‥ひさしぶり。今日は勝負じゃないけど、よろしくですの」
橋場 アトリアーナ(
ja1403)が獅号に向かって声をかけた。
「よお、お前か。久しぶりだな」
「ふゆみもいるよっ☆」
新崎 ふゆみ(
ja8965)と二人、以前獅号と対戦歴がある。
「こないだはサインありがとっ★ミ 弟、めちゃ喜んでたよ〜」
「ならよかったよ」
柔らかく笑顔で応じる。獅号は二人に、相手投手の見た限りの特徴や、攻略方法を同じ投手の目線から伝授していった。
●七回表
先攻の撃退士フリーファイターズ(GFs)。学園生チームのマウンドに立つのは三善 千種(
jb0872)。
上はユニフォームだが、下はミニスカート。投球練習で脚をしっかりあげて、大きく振りかぶった投球フォームから放たれるのは、やまなりのスローボール。
「アイドルとして始球式目指してますっ☆」
可愛くポーズ。
受けるのは、小柄なイオだ。ゴスロリドレスの格好で試合するのを道倉に止められた彼女は、体操服にブルマという特殊な需要を満たす格好だった。
プレーボールがかかる。
「カーブのサインは、こうじゃったな」
イオのつぶやきは打者の耳にまで届いた。
かわいさ重視で悩殺作戦──。
だなんて、誰が言った?
初球。
千種は脚を上げると、次には身体を折り曲げた。
投球練習とは全く違う、右のアンダースロー。
投じられた球は内角を抉り、打者は思わずのけぞった。
だが、コールはストライク。
球種は、ストレートだった。サインまでペテンである。
「くそっ」
毒づく声を聞いても、イオは平然。
外角へのスライダーをファウルさせて、あっという間に2ストライク。
最後は、切れ味鋭いシンカーが膝元へ。打者はぴくりとも動けなかった。
三球三振。
「あれか、お前が教えたの」
「完璧でしょ」
道倉の問いに、獅号もニヤリと笑った。
続く二番はショートゴロ。七佳がしっかり正面で捕球し、サイドスローで一塁へ。
三番打者にはスライダーを狙われたが、ライトへ上がった打球は伸びがなく。
アトリアーナががっちりと掴み、あっという間に攻撃終了。
「アイドルの始球式のボールも打てないんじゃ勝てませんよぉ☆」
わずか七球で初回を締めた千種は、にこやかにそう言い放ったのだった。
●七回裏
学園生チームの先頭打者は七佳。一つ礼をして、右打席へ。
「バットで球に当てるのって、難しいんですね」
試合前の練習での感想である。
ならば、彼女の対策は──。
初球。外角への速球を、七佳はためらわずにバントした!
打球は三塁線へ。三塁手の出足は、遅かった。
「バントなら、ボールをきちんと見れば、って思ったんですけど──上手くできました」
一塁ベースを駆け抜けた七佳がにっこりと笑った。
さらに。続く二番・イオの二球目に、七佳はスタートを切る。
左打席のイオが身体を乗り出すように空振りし、右投げの捕手を妨害する。送球が一歩遅れ、七佳は二塁を陥れた。
この一球でカウントを悪くしたイオは三振に倒れたが、先制のチャンスだ。
バットをぐるんと大きく回し、三番・ふゆみが右打席。
「獅号せんしゅのコーチで、ヒャクニンリキなんだからねっ☆ミ」
だが、相手もここは慎重だ。内外を丁寧に投げ分けてくる。
「ふゆみ‥‥がんばっちゃうんだから★ミ」
後ろに控える強打者に、チャンスをつながなくては。
揺れるボールに食らいつき、叩きつけた打球は一・二塁間!
しかし抜けようかというところを、セカンドが燻し銀の動きで追いつく。
懸命に駆けるふゆみ。際どい判定は、セーフだった。
一死一・三塁。
「ふふんっ! だーりんの前でははずかちいところは見せられないのだっ★ミ」
直前の試合に参加していた恋人へと目を向けて、ふゆみは得意げである。
四番打者登場。
「‥‥せっかくコーチして貰ったから。負けられないの」
アトリアーナは、左打席。彼女の後ろには、コーチをしてくれた獅号たちがいる。
夏の対決で、彼女は獅号から特大のセンターフライを放った。
『基本は、あれでいいのさ』
コーチしてくれた獅号の言葉。
『ただ、今日の相手は変化球メインだろうからな。ボールを最後までよく見ることと‥‥それからほんの少しだけ、肩の力を抜いてみな』
カウントが追い込まれ、ちらと後ろを振り返る。獅号は表情を変えずに見守っている。
ライバルの目の前で、三振だけは、絶対にできない。
ふ、と息をひとつ吐き、構えて集中。
投じられる球筋をよく見て、よく見て──。
内角低めに落ちてきたボールをすくい上げるようにして、振り抜く。
快音。
「‥‥そりゃ、そうだろ」
獅号が満足げに呟いた。
ぐん、と軌跡を引いた打球は、一直線に青空へ消えた。
右中間への先制スリーランホームラン。
グラウンドが、一気に湧いた。
3−0。
次打者、マクセル・オールウェル(
jb2672)は、バッターボックスの前で感慨深く目を閉じていた。
「野球であるか‥‥思い出すのである。──天界野球リーグのことを」
聞いたみんなが、ぽかんとした。
「なんだよ、天界野球リーグって」
芝丘が、マクセルをコーチした浅野をつっつく。
「さ、さあ?」
「天界に野球って、あるのか?」
「俺に言われても困りますよ」
本当のところは誰にも分からない。
バッターボックスの前でマクセルは、深く息を吸う。
「昔も我輩は野球少年だったのである」
繰り返すが、本当かどうかは誰も知らない。
だが少なくとも彼は、遠い過去を思い返すようにそこに立っていた。
「さあ、在りし日の少年の夢を思い出し、我輩、今一度バッターボックスに立つのである!」
とにもかくにも、左打席へ。
気を取り直し、バッテリーはサイン交換。
大柄なマクセルは、構えも大きい。となれば、狙いどころはひとつ。
独特の変化がかかったボールが、内角を襲う。だが。
「ぬぅん!」
マクセルがバットを一閃、振り抜くと、快音を響かせた打球は──、一塁線を大きく越えて、ファールボール。
「むぅ、少しタイミングが早かったであるか」
残念そうに呟くマクセル。
「基礎は、しっかりしてるんですよね。内角打ちも上手いし」
「教えた訳じゃないのか」
「子供の頃、よく狙われたから練習した、と‥‥本当なのかな」
浅野は首を傾げている。
一方、バッテリーは肝を冷やしていた。
今の打球、果たして飛距離はどれだけだっただろうか?
(まともに勝負するだけ損だ)
「‥‥む?」
二球続けて、外角へ大きく外された。
捕手が腰を上げこそしないが、明らかに敬遠である。
だが、マクセルはあきらめなかった。
やはり大きく外された四球目。打席ギリギリに踏み込むと、腕を伸ばして、打ちにいく。体勢は大きく崩れたが、打球は三塁線を破った!
長打コース‥‥のはずだが、マクセルは一塁ストップ。
「本塁打なら走る必要などなかったのであるが」
結局後続が彼を進められず、この回は終了。
●八回表
反撃に燃えるGFs。先頭の四番が甘く入ってきたスライダーを捉え、ライト前へ。
千種が獅号に直接教わった変化球はシンカーのみ。本を読んでの独学のスライダーやシュートは、球筋がそこまで安定していない。
初めてランナーを背負い、五番打者が右打席へ。
「ここは、要注意ですねっ☆」
長距離砲を前に、千種とイオが慎重にサインを交換する。
二球続けて内角へのボール球。際どいところを狙ったが、相手は手を出してこない。
「漫画では、ここで外じゃったな‥‥」
打者がちら、とイオを見た。
果たして投じられたのは、またしても内。しかもまたボール球だった。
ストライクからボールへ、鋭く曲がり落ちるシンカーに思わず釣られてバットを出す。ふらふらと上がった打球は三塁線を越え、ファールゾーン。ふゆみが掴んだ。
結局、ランナーは一塁に釘付け。後続を断った千種は笑顔でマウンドを降り、イオとグラブを合わせた。
「ふはは、呟き戦術の効果が出たようじゃな」
イオはご満悦である。
●八回裏
下位打線から始まるこの回、二人があっという間に倒れた。
二死無走者。作戦も何もない状況で、七佳の二打席目。
(といっても、あたしは長打を狙えるわけでもないし‥‥)
ここもバントヒットを狙う。──初球、三塁手が突っ込んでくるのが見えた。
咄嗟に、バットに添えた右手に力を込める。打球を殺すのではなく、強くはじいた。
勢いよく飛んだ打球が三塁手の足元を抜ける。遊撃手が飛び出してきて掴んだが、そのころには七佳は一塁を手中にしていた。
続くイオの初球。七佳は投手の背中をよく観察し、スタートを切った。
相手もそう同じ手は食わないと、きっちりウエスト。七佳が滑り込む前に、ボールを受けたショートがタッチの体勢。
だが、そこに七佳の姿はなかった。
「!?」
頭上には影。七佳の細い背中が彼を覆っていた。
華麗な跳躍で野手を飛び越えた七佳は反対側に着地。
相手もあわてて振り返ってタッチにいくが、七佳はその動きも躱して二塁を確保した。
「おまえもあれ教えてもらえよ、伸」
「──無理に決まってんだろ」
芝丘が獅号の言葉に苦笑いした。
二死ながら走者二塁。ここは打者に集中したいところだが‥‥カウントは3ボール。
投手がマウンドの土を忌々しげに蹴り上げる、その様子にイオはほくそ笑んだ。
「どうした? ストライクゾーンに投げねば打ち取れぬぞ?」
言いながらも、イオは腰を落とし、身を屈める。
身長132cm。参加者中屈指の低身長を活かした打撃フォームは、とにかくストライクが狙いにくい。
さらにバントの構えで揺さぶる。結局四球目も外れ、イオは狙い通りに一塁へと向かった。
「ふゆみ、やっちゃうよー☆ミ」
ふゆみは闘志をみなぎらせる。
第一打席はつなぎに徹した彼女だが、そもそも小学生時代にはソフト部の四番を務めていた過去もあるのだ。
そんな彼女が今日は獅号に教えを乞い、さらに恋人が観戦中。
これで打てないはずがない。
──と、前向きな彼女はきっと考えているだろう。
野球の神様が、そんな彼女に味方したのかも知れない。
三球目、コースこそ低めだが、全くの棒球がきた。
思い切り叩けば、右中間。守備範囲の広い中堅手が追いかけるも、打球はグラウンドに弾んだ。
それを見てから、七佳はスタートを切る。それでも、彼女がホームに帰って来るには十分だった。
4−0。
そして、打席にはアトリアーナ。
先ほどの鮮烈な打球を、一巡する間に忘れられる投手など、いるだろうか?
バットを構えて左打席に立つアトリアーナを見た彼は、眼前で彼女に武器を振り上げられる天魔の気持ちが分かったに違いなかった。
結局、ろくに勝負もできないまま歩かせる。
すると──二死満塁となった。
「これは、絶好のチャンスであるな!」
マクセルが打席に向かう。
もう、逃げ道はない。
「どこまで飛ばすか、見たいもんだな」
獅号がそう言った、すぐ後には。
マクセルが放った特大の飛球が、高く高く、センターの頭上を越えていく。
バットを放り投げたマクセルは、自らの肉体美を誇示するかのように、しばらくその姿勢で静止していた。
勝負を決める満塁ホームラン。
8−0。
●九回表
「こうなれば、1点でも返そう。意地を見せるぞ!」
キャプテンの声に応とこたえて、何とか元気を絞り出す。
そんなGFs、最後の攻撃。
‥‥しかし、八番からである。
千種がテンポよく投球を続けていく。受けるイオの堂に入った構えは、試合前にこれ見よがしに読んでいた漫画から、ではなくて、道倉が直接教えたものだ。
試合開始前まで、練習も肩作りも相手の見えない場所で行い、見える場所では徹底して初心者ぶりを示す──二人の少女の術中に、すっかり嵌められていたことに気づいたときには、この点差。
八番打者は、あえなく三振。
続く九番が、セーフティバントを見せた。打球は絶妙に三塁線へ転がり、ふゆみが送球をしたものの一塁はセーフ。
相手ベンチがにわかに湧いた。
「よし、二巡目だ」
「三番までつなげば、まだ‥‥!」
ランナーをためた状態でクリンナップを迎えれば、何かが起こる。
そんな必死の空気にも、千種は笑顔を崩さない。
「アイドルですから☆」
強気の攻めは、そのままに。
ストレート、ストレート、スライダー、シンカー。
シュート、ストレート、スライダー、ストレート、シンカー。
ウイニングボールは、イオのミットにしっかりと収まった。
三番打者をネクストに残し、8−0で試合終了。
●
三試合結果、学園生チームの2勝1分け。
「今日は、どうもありがとうございました」
「面白かったよっ、ありがとねっ☆」
大敗に沈むおっさんチームに、七佳とふゆみが声をかける。
「我輩、久々に童心に帰れたような気がするのである‥‥感謝するぞ!」
マクセルもそう言うと、迫力のモストマスキュラーを決めた。
ベンチでは、ラークスの面々も学生たちを出迎えた。
アトリアーナが獅号の元へと駆けてくると、獅号は笑顔で右手を差し上げる。
勝利のハイタッチが、高らかに音を鳴らした。
「獅号せんしゅっ、アメリカ行っても元気でねっ、応援してるよ★ミ」
ふゆみが獅号にエールを送る。アトリアーナはそれを聞いて、少し遠慮がちに呟く。
「本当は、再戦‥‥したいけど」
「忘れてねぇぞ」
獅号は即答した。
「まぁ今は待て。おまえ等とやるなら、しっかり身体作らないとな。春か、夏か‥‥」
「遊びに来るときは、連絡欲しいの」
「ん、いいぜ。番号交換しとくか?」
獅号がポケットに手を入れた。
「あいつ、ファンに対してあんなに気安かったかねぇ?」
「ファンって言うよりもう友達感覚だな、あれは」
芝丘と道倉が苦笑した。
「みんな、相手のみなさんが学食をおごってくれるらしいわよ」
ちゃっかり選手たちの横で観戦していた潮崎 紘乃(jz0117)が、メンバーに声をかける。
「学食か。興味あるな」
「えっ、み、みなさんも来られます?」
意外にも道倉が反応し、驚く紘乃。
「ふむ、では皆で祝勝会じゃな」
「楽しんじゃいますよぉ☆」
イオと千種が、試合中に何度も見せた小悪魔な笑みを浮かべて頷きあうのだった。