●
「ラークスについて教えて欲しい?」
潮崎 紘乃(jz0117)は、わざわざ斡旋所まで質問しにやってきた月乃宮 恋音(
jb1221)の言葉に感激した。
「興味を持ってくれるなんて、嬉しいわっ。じっくり、教えてあげるからねっ」
「え‥‥? あ、は、はい‥‥」
紘乃は笑顔のままたっぷりと語り続け、恋音が解放されたのは数時間後だったという。
とまれ、チームや選手のことも少しは判った。
「‥‥私にできることは何でしょう‥‥?」
恋音は考えを巡らせた。
●
ファン感謝デー当日。開場の少し前、控室にやってきた獅号了を待つ女の子の姿が。
「やあやあ、ふゆみだよっ☆ミ」
新崎 ふゆみ(
ja8965)が獅号に向かって☆をとばした。
彼女は以前、撃退士との真剣勝負を望んで学園にやってきた獅号と対決した一人だ。
「よぉ、久しぶりだな」
「今日は、本当はまたタイケツしたかったんだけど‥‥
ちっちゃい子がたくさんくるだろうから、その子たちのほうがユウセンされるべきだよね」
ちょっぴり残念そうに言うふゆみ。
「ま、俺もあんたらと対決するなら、コンディションを完璧にしないといけないしな」
「ふゆみの弟もねっ、野球好きなんだよ! よかったら‥‥これに、サインして欲しいなっ」
ふゆみが差し出した新品のグラブを獅号はあっさり受け取ると、さらさらとサインを書いた。
「えへー、きっと喜ぶよ‥‥ありがとう、獅号選手★」
開場時間となった。
「走らないでください! 列を崩さずに!」
グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)は誘導スタッフの一人として猛進しようとするファンを制止していた。
なお、そのファンの波の中に紘乃もいたが、当然グラルスが気づけるはずもなかった。
六道 鈴音(
ja4192)は、燃えていた。
「ラークスのファン感謝デーは、私が守る!」
警備スタッフとして会場内に立ちながら、怪しい行動をとる人影などがないか油断なく目を凝らす。
「シュトラッサーだろうがヴァニタスだろうが、ケシズミにしてやるわ」
楽しいイベントをぶちこわすような輩には、容赦しない。
それにしても、大した人出だ。
「潮崎さん、獅号投手にちゃんと会えるかな」
球場の入り口横には、水無月 葵(
ja0968)と水無月沙羅(
ja0670)の姉妹がいた。
「準備はこれで万端でしょうか」
「ええ、お手伝いありがとうございました」
テーブルの上には色とりどりの折り紙が山と積まれ、その横にはサインペン。
葵の発案で準備されたサプライズ企画だ。
「葵姉さま、この後も頑張ってください」
「沙羅さんも、お料理頑張ってくださいね」
一礼してその場を離れる沙羅を、葵は手を振って見送る。
「皆様が喜んでくださるといいのですけれど」
球場内では、開会式が行われている。
「あっ、獅号選手だ!」
グラウンド内の選手たちをスタンドから眺め、武田 美月(
ja4394)が声を上げる。
「浅野選手に‥‥芝丘選手もいる」
贔屓チームは別にいる彼女だが、学園に来てからは近場の球団であるラークスのこともいつの間にか詳しくなっていた。
「またAクラスキープできるように頑張れーって感じ!」
この後は彼女もグラウンドに降りて客として動くつもりだった。そのほうが、万が一があったとき動きやすいだろう。
(それに、選手のことも近くで見られるかもしれないしね)
イベントは何に参加しようかなあ、と今から頭を悩ませる美月である。
フローラ・シュトリエ(
jb1440)は早速出店で買った特製ホットドッグにかじりついていた。
パリッとした薄皮の食感が嬉しいホットドッグはなかなかの出来だ。
広場には様々なキッチンカーや屋台が並び、料理を提供している。はじめからこちら目当ての来場者もいるようで、フローラのみならずすでに出店を楽しんでいる人の姿は少なくなかった。
「ついつい食べ過ぎちゃわないように注意しないとよね」
せっかくの機会、できるだけ多くの料理を楽しみたい。
ホットドッグを食べ終えたフローラは、次の出店へと足を向けた。
●
球場に併設されている練習グラウンドには、ゲームコーナーが用意されている。
「野球、詳しくないけど、ゲームっていうなら参加しないとな!」
一般客に混じって、相馬 カズヤ(
jb0924)もそこにいた。
『まずは選手の方にお手本を見せてもらいましょう。浅野選手、どうぞ!』
司会のアナウンスの後、若手外野手の浅野雪貴が投球位置へ。
第一球は距離こそばっちりだったものの、大きく右にそれて外れてしまった。
「えーと、今のはウォーミングアップで‥‥え、ダメ?」
「力加減が難しそうだな‥‥」
その様子に、カズヤはまず脳内でイメージをする。
そして最後の五球目。放物線を描いたボールは的へと一直線。
見事命中するかと思われたその時。
陰から走り込んできた何者かがボールをがっちりキャッチしてしまった!
呆然とする客。
ダイビングキャッチから華麗に前転して起きあがったのは、ラークスのユニフォームに身を包んだ‥‥パンダだった。
「あれ、ラークスのマスコット?」
誰かがそう言ったが、そうではない。
謎のパンダマスコット‥‥こと下妻笹緒(
ja0544)は、一番近くにいた男の子に手にしたボールをプレゼントすると、ぐっとサムズアップをしてそのまま走り去っていった。
一方、セレモニーの終わった球場では。
「獅号選手、お久しぶりです」
獅号に丁寧なお辞儀をしたのは、氷雨 静(
ja4221)。
彼女は学園で獅号と対決した撃退士の一人。
「今シーズン3位おめでとうございます。本日はよろしくお願い致します」
10mほどの距離をあけて、ボールを行き交わせる獅号と静。
「いいフォームだな。確か‥‥ソフトボール経験者だったか」
夏の対決を思い返すように、獅号。
「ありがとうございます」
今日のために投球フォームを一生懸命練習してきた、などとはおくびにも出さない。
「記念にと思いまして‥‥ちょっとキャッチャー風に構えていただけますか?」
「ん、こうか?」
獅号は快く腰を下ろした。
キャッチボールの時よりもしっかりと足をあげ、腕を振りかぶる。静はボールを投じる瞬間光纏し、指先に風の渦を作り出した。
渦に乗ったボールは唸りをあげて加速し、獅号の構えたグラブへ豪速球となって飛び込んだ!
「これが撃退士のストレート、ってわけか」
「付け焼き刃ではございますが」
静は誇るでもなく、柔和な表情は投球前と変わらない。
「獅号さまはこれから、さらに高みを目指されるお方。これくらい軽々と超えていって下さいましね」
つ、と口の端を上げ、笑顔になる。
「アメリカでも頑張って下さいませ」
「強烈なエールだな‥‥ありがとうよ」
獅号は笑い、二人はグラブを合わせた。
ベースランニングに参加した虎落 九朗(
jb0008)は、本塁ベースへと華麗なスライディングを見せた!
「いいフォームだな。タイムもなかなかだ」
チームキャプテンの道倉重利が、九朗へと賛辞を送る。
「へへ、スライディングならサッカーでさんざんやりましたからね」
「どうりで慣れてると思ったよ」
「あとは、遠投もやってようかと‥‥あれは?」
遠投的当てのほうがまた騒がしくなっている。万が一にでも天魔が出たことを考え九朗は警戒したが、道倉は落ち着いたままだった。
「ああ、獅号が来たんだな」
元々野球にはさほど興味のない九朗だが、獅号のことは知っている。
「やっぱ国民的ヒーローだよなぁ」
他の選手より明らかに集まっている人垣の層が厚いのを見て、改めてそう実感した。
「犬乃 さんぽ(
ja1272)、見参! 遠投的当てにチャレンジしちゃうよ!」
さんぽは自信ありげな表情でボールを受け取ると、目を閉じてつかの間集中する。
「ニンジャの魂、充填完了‥‥」
かっと目を見開き、ボールを天高く掲げた!
「えーい、シュリケーン!」
高く高く放物線を描いたボールは‥‥見事90m先の的にヒットした。
歓声が上がる。さんぽは五球中四球を的に当てた。
客に挨拶しながら彼が下がると、そこに獅号が立っていた。
「結構やるじゃないか」
「ボクニンジャだもん、これくらいは当たり前だよ! 毎日修行してるからね」
さんぽは目をきらきらさせて獅号に駆け寄る。
「ボク知ってるよ、日本の野球選手は重いコンダラって道具引いたり、太いスプリングのギプス付けて、日夜修行してるんだよね?」
「あー‥‥誰に聞いたんだ? それ‥‥」
正面から否定するわけにも行かず、獅号は苦笑した。
「へえ、ハーフなのか。通りで‥‥」
「ボク、故郷にいた時よくベースボールを楽しんでたよ。獅号選手は、来年アメリカに行くんでしょ?」
「ああ、そのつもりだよ」
「アメリカもいい国だよ、頑張ってください!」
二つの国を知る少年として、さんぽは満面の笑顔でエールを送ったのだった。
「獅号選手!」
紘乃はようやっと獅号の前に出る。
「あんた確か‥‥」
「久遠ヶ原学園職員の潮崎です。お久しぶりです」
獅号の表情が気持ち柔らかくなる。
「ああ、そうだったな。依頼の引率‥‥って感じでもなさそうだが」
獅号の背番号『15』が入ったレプリカユニフォームに身を包み、完全にプライベートな紘乃の姿を見て苦笑した。
「あはは‥‥あ、お渡ししたいものがあって、声をおかけしたんです」
バッグを探って、まず取り出したのは、きれいに包まれたお菓子だった。
「今日の参加者の子に、選手に渡してくれって頼まれたんです」
「‥‥へぇ、パウンドケーキか」
獅号がその場で包みをほどくと、シンプルなケーキと、メッセージカード。
「来年もがんばって下さい‥‥か。本当に頑張らないとな。俺も、チームも」
そう呟くと、あんぐりと口を開けてケーキを豪快に一口で食べてしまった。
「ん、うまい。ごちそうさん、って言っといてくれ」
そのころ‥‥ケーキの作成者・恋音は出店の中で売り子として働いていた。
「‥‥あ、ありがとうございましたぁ‥‥!」
元来人見知りな彼女だが、それが仕事となれば話は別。赤面しつつも、必死に接客をこなしている。
(ケーキ、喜んでもらえたでしょうか‥‥?)
単に選手へのお礼と言うだけでなく、それをきっかけにして紘乃にも選手と交流する機会を増やしてあげたい、という恋音の心配りだった。
「それと、お手紙も預かってきました。六道鈴音さん、覚えてます?」
「ああ、あの凛々しい子だろ。二回も世話になったからな‥‥ってこれ、俺宛か?」
「今日は仕事で来られないんですって。私が代わりに渡すよう、預かってきたんです」
獅号は差し出された封筒を受け取った。
「あいつ、あんまり俺のファンって感じじゃなかったけどなあ。何が書いてあるのやら」
「怪しい人は‥‥いませんね」
鈴音は凛々しい眉毛をきりりとつり上げて、警備の仕事に集中していた。
客として楽しむこともできた今回の依頼で、敢えて警備の仕事に徹する選択をしたのはラークスを心から応援するが故であろうか。
彼女の視線の先を、選手が横切っていく。その背中に向けて、鈴音は呟く。
「みなさん、今年はお疲れさまでした」
そして、また仕事へと心を戻した。
紘乃と獅号が会話していると、観客の歓声が大きくなった。
「すごい、全球当ててるぞ。しかも90m‥‥選手用だ」
投球位置にいるのは、影野 恭弥(
ja0018)。
ここまで三球をすべて命中させた彼は、ボールを片手につと集中する。
再び的に向き直った恭哉の左目から、金色のオーラが火の粉のように散ったのが見えた。
「彼も、あんたのところの学生か?」
「そうですね」
恭哉が胸を反り返らせて大きく一歩。
正確な動作から放たれた投球は、またしても90m先の的を射抜いた。
歓声が大きくなる。彼は表情を変えない。
すでに手にしていた最後の一球を、もう一度同じフォームで投じた。
「全球当てやがった。本当にたいした連中だな。撃退士ってのは」
獅号は笑いをこらえる。
「さて、プロとしてここは意地を見せなくちゃな。よし、次は俺が投げるぜ」
●
「‥‥さて、適当に楽しむとしましょうか‥‥」
紅 アリカ(
jb1398)は出店を巡り、甘いものをはしごしていた。そんな中、ふと目に止まる「名物 ラークス焼き」の屋台。
「‥‥名物というなら、食べてみましょうか‥‥」
「いらっしゃいませ」
売り子をしていたのは、和服にたすきを掛けた沙羅であった。
「ただいま、期間限定で「りんご餡」「さつまいも餡」も販売中です」
沙羅が示したそこには、『選手も太鼓判! 期間限定品』と手書きのPOPが付けられている。
これは誇張でも何でもない。実際に彼女が開場前に選手に試食してもらい、大好評だったのだ。
‥‥けっして可愛い女の子に「応援しています!」と言われて渡されたから、というわけではない。と選手たちは主張するだろう。
「‥‥じゃあ、それをもらうわ」
期間限定のラークス焼きを手に、アリカは屋台を後にする。
りんご餡のほうを食べてみると、酸味と甘みが程良く混ざり合った餡が絶妙であった。
「‥‥これ、結構美味しいわね‥‥」
さつまいも餡は果たして、どんな味だろうか。
球場のグラウンドでは、ノックやキャッチボールを選手と交流しながら体験できた。
「おー!! お祭りだぞー! 俺楽しむんだぞー!」
目を輝かせる彪姫 千代(
jb0742)が周りの子供たちとちょっと違うのは‥‥彼が上半身にラークスのロゴ入りTシャツ一枚しか身につけていないという点。
ここはドーム球場ではないが、本人は全く寒がる気配もない。それもそのはず、彼は普段、上半身は裸でいることが圧倒的に多い。むしろ今日は厚着なくらいだ。
「おー! キャッチボールだぞー! 俺、この間父さんとやったんだぞ!」
「お、元気なのが来たな」
無邪気な千代の様子に、選手たちも顔がほころぶ。
Tシャツにサインをしてほしい、という彼の要望に皆応え、白いシャツがどんどんと選手のサインで埋まっていった。
「こんな感じですかぁ?」
「そうそう‥‥いいフォームだよ」
三善 千種(
jb0872)はキャッチボールコーナーで、選手からフォームの指導を受けていた。
彼女が求めているのは速い速球を投げられるフォームではない。可愛く見えるフォームだ。
そもそも千種も撃退士である以上、その気になればプロ並みの速球を投じることは可能なのだ。
上はラークスのユニフォーム、下は膝上丈のミニスカート。振りかぶって足をあげれば、健康的な白い太ももがちらり。
山なりのボールが10mほど先の相手のミットに収まった。
「いいね、可愛いよ」
「ありがとうございますっ☆」
アイドル志望の千種。この調子で、目指すは開幕戦の始球式だ。
ノックのコーナーでは、鳳 静矢(
ja3856)が体験中。
「静矢さん、ふぁいとー☆」
声援を送るのは、妻の鳳 優希(
ja3762)。
静矢はさすがの身体能力で、ゴロを難なく捌いていく。
「上級者は、容赦なく行くぜ」
ノックバットを握る芝丘がニヤリと笑うと、これまでとは違う鋭い打球を飛ばしてきた。
体を伸ばし、差し出したグラブでキャッチするが、続けざまに反対方向へゴロが飛ぶ。
静矢は身を翻す。走るだけでは届かないと見るや、躊躇なくダイビングキャッチ!
くるりと回転して起きあがる。差し上げたグラブには、しっかりとボールが収まっていた。
「かっこよかったのですよー☆」
夫の勇姿に、優希も満面の笑顔で出迎えた。
「俺の次にノックを打つのは誰だっけ?」
芝丘が振り返ると、パンダが両手を差し出して立っていた。
「まさか、お前が打つのか‥‥?」
ぎょっとする芝丘。うんうんと頷くパンダ。まあユニフォーム着てるし、球団のイベントの一環だろうと芝丘はバットを渡した。
「意外とうまいな‥‥」
器用にノックをこなすパンダをみて芝丘は感心したように頷くのだった。
「球場に、謎のマスコットが出現してるんだって!」
「おもしろそー! いってみようぜ!」
子供たちのそんな声を聞く常磐木 万寿(
ja4472)。
まさか天魔でもないだろうが、と思いつつ、改めて周囲を警戒する。
「さすがにすごい人出だな」
多くの人たちに応援されていることが、選手や球団の活力になっているのだろうと感じる。そしてこうして楽しんでいる人々の姿を目にするのは、撃退士である彼にとっても戦う気力につながっていた。
この機会作ってくれたことに感謝しよう。万寿はそう思い、そして彼らが今日を無事に楽しめるよう、よりいっそう気を配るのだった。
出店コーナーでは、突発イベント「ロシアンラークス焼きチャレンジ」が行われていた。
選手も参加し、八名が一斉にラークス焼きを口に入れる、仁義なき戦いである。
楽しく出店を巡っていたはずだった三神 美佳(
ja1395)も気がついたら参加させられていた。
激辛or激酸っぱを引き当てるのはいったい誰か‥‥?
「それでは、一斉に口に入れて下さい」
「うみゅうぅ‥‥」
美佳も覚悟を決め、一口かじる。口の中に酸味が一気に広がった。
「酸っぱ‥‥い、けど、あれ、美味しいです‥‥」
「激酸っぱは、梅干しを練り込んだ特製餡です」
戸惑う美佳に、沙羅が頷いてみせる。彼女はロシアンラークス焼きの中身まで改良して見せたのだった。
「お、激辛はカレー味だ。むしろ当たり?」
激辛を引き当てた浅野も大喜びであった。
「ロシアンは遠慮‥‥と思ったけど、あれも結構美味しそうね」
フランクフルト片手にのぞいていたフローラが呟いた。
「店員さん、グッジョブだな‥‥」
期間限定ラークス焼きを食べつつ、九朗も頷いていた。
「野球か‥‥父親は好きだったけど」
山本 詠美(
ja3571)は、運営の腕章を付けて会場内を歩く。
自分自身は野球のルールすらよく分かっていない。だが、ここにいる人たちが皆楽しんでいることは彼女にも伝わってくる。
彼女自身、そんな光景に心を和ませつつ──ふと気配を感じて、足元を見る。
小さな女の子が一人、ぽつんと立っていた。
「どないしたんや?」
詠美は女の子の顔の高さにかがむと、微笑んだ。
「お母さんとはぐれたんか?」
「‥‥おとうさん」
「お父さんか。ほんならわかりやすい場所で待ってようか。一緒にいこう」
女の子は詠美から視線をはずさない。よく見ると、大きな瞳は今にも泣き出しそうに潤んでいた。不安で仕方ないのだろう。
「ほら、飴ちゃんでも舐めて元気だし」
ポケットを探って、飴玉をいくつか取り出す。
小さな手に握らせると、あいているもう一方の手をとった。
「落とさんようにな」
女の子が飴玉をしっかり握っているのを確認すると、迷子の保護所へと歩き出した。
沙 月子(
ja1773)も今日は私服警備員として会場を回っていた。
すいているお店を見つけては、
(今日は、サクラですから)
と買い物をし、なんだかんだで結構楽しんではいるのだが。
(お祭りは嫌いじゃないんですが、人混みは苦手です‥‥)
ただ歩いているだけでも、月子にとってはなかなかの精神負担である。
だが、見知った人影を見つけて月子は駆けだした。
「鈴音ちゃ〜ん!」
「あれ、総司令?」
がばっと抱きついてきた月子を見て鈴音が驚く。
「私も依頼で来たんだけど、全然知り合いに会わなくって‥‥あ! さっき向こうで買ったお菓子あげる〜!」
月子は目を潤ませつつも、笑顔で鈴音にじゃれついていた。
「ありがとうございます‥‥ん、あれは?」
「え?」
鈴音の声に、月子も身体をはなして示されたほうを見る。
──パンダが、走っていた。
その後を、結構な数の子供たちがやはり走ってついて行く。
「あれって‥‥」
(わあ、パンダさんだ! パンダさんだ!)
どうにも見覚えのあるパンダの姿に、二人は顔を見合わせる。
「一緒に写真、撮って欲しいな‥‥! 鈴音ちゃん、またね!」
月子はパンダを追って、再び駆けだした。
「すみません、第二グラウンドって‥‥」
「ああ、でしたら、あちらですよ」
道順を案内するのは、狩野 峰雪(
ja0345)。
野球は主に接待観戦くらいでしか見ていないが、豊富な社会人経験からくる物腰で順調に仕事をこなしている。
「あれは‥‥下妻くん?」
こちらへ走ってくる集団の先頭はどう見ても自分も所属している新聞部の部長である。
声をかける間もなく、部長=パンダは峰雪の目の前を走り去っていった。
「取材、かな?」
その後を、たくさんの子供たちが歓声を上げながらついて行く。と、最後尾を走っていた男の子がべたり、と転んだ。
声をかけると、男の子は泣くことなく起きあがる。
「大丈夫かい?」
「へ‥‥へーきさ!」
それから、我に返ったようにきょろきょろと見回した。
「あれ、キョーコは?」
「他の子はみんな、下妻く──パンダと一緒に行ってしまったようだが‥‥」
峰雪はそう言ったが、男の子は首を振る。
「あいつどんくさいから、もっと早くにはぐれたんだ。おじさん、迷子が行くところ、つれてってくんない?」
「こちらの様子はどうですか?」
会場内を巡回していた龍仙 樹(
jb0212)が、練習グラウンドの様子をスタンドから見ていた万寿に声をかける。
「ああ、問題はないよ」
「天魔の警戒が依頼ではありますが‥‥せっかくですし、ふつうの警備もしっかりしましょう」
樹の言葉に、万寿は頷いた。
的当てコーナーでは、美月が30mの的を狙って挑戦中。コントロール重視で、四球のうち三球を当てた。
「なんとか、ごまかせたかな?」
このくらい当てられれば、十分だろう。
最後の一球は、ちょっと細工をして見ることに。
それまでと同じく、大きく振りかぶり、勢いよく腕を振り抜く。
「えいっ!」
だが放たれたのは、ふらふらっとした山なりの超スローボールだった。
いわゆるイーファス・ピッチである。
ボールは見事、的に命中。
「ただの女の子かと思ったら、なかなか味なことをするな」
出迎えた芝丘にそう言われて、美月は照れたように笑った。
「この辺か‥‥?」
静矢は的当ての最後の一球。60mの的を狙って放る。
もちろんその気になれば90mの的も十分ねらえるだろうが、あえてコントロール重視。それでも、全球当てるだけで大したものなのだが。
静矢が戻ってくるのを、当然優希が出迎える。
「これは、ユキもやってみるのですよぅ☆」
ノックの時は応援に徹していた彼女。ボールを受け取ると、嬉々として投球位置へ。
思いっきり振りかぶり‥‥。
「おりゃああああー☆」
力の限り、ぶん投げた!
女性とは言え、撃退士。
ボールはぐんぐん伸びて、90mの的を‥‥さらに飛び越え、スタンドまで。
ボールが向かってくる辺りに、丁度万寿と樹がいた。
「みなさん、下がってください‥‥」
樹が周囲にいた客の一歩前に立つ。
念のためスキルを発動してはいたが、上手い具合に片手でキャッチできた。
「大丈夫ですか?」
客の安否を、と振り返る樹。だが、待っていたのは歓声だった。
優希の周りでも、観客が沸いている。期せずして成立した、超長距離のキャッチボールだった。
「‥‥あとは屋台か。ラークス焼き、食べてみるか?」
「静矢さんに、あーんしてあげるのですー☆」
ゲームを一通り楽しんだ鳳夫婦。周りもうらやむラブラブオーラを振りまきながら、出店へと。
「あのー‥‥」
ボールをグラウンドへ投げ返した樹に、遠慮がちな声がかかる。振り返ると、三十代後半くらいの男性が。
「何かお困りですか?」
樹が対応すると、男ははあと言って頭を掻いた。
「子供、見ませんでしたかね‥‥? 男の子と女の子なんですが」
はぐれたのだろうか。樹は隣にいる万寿を見るが、彼も首を振った。
「それじゃ、こちらはお願いします」
「ああ、そっちもよろしく」
樹が男を伴って迷子の保護所へ向かうのを、万寿が見送った。
●
今日の感謝デーでは選手のトークショーなどはスタンドの一角で行われていた。
「さて、トークショーのトリをつとめるゲストは‥‥」
「ラークス史上最強のバッテリー! 獅号了投手と道倉重利選手です!」
司会を務める二人の女性は、なんと千種と葵であった。
ユニフォームにスカート姿の千種。対して葵は着物姿。
対照的な姿の美女二人による司会は、なかなかに好評を博していた。
獅号と道倉の登場に、拍手がわき起こる。
だが、それとは別の方向からも、なにやら騒がしさが伝わってきた。
「なんだ、ありゃ?」
獅号の声に、観客もみな振り向いた。
グラウンドに、再びパンダが出現していた。
向かい合うのは、紛う事なきラークスのマスコット、ヒバリのラッキー(♂)。冠羽を凛々しく立てて、パンダと相対していた。
なぜか勃発した球団マスコットvs謎のパンダ。
ラッキーが飛びかかる! パンダ迎え撃つ!
一部呆然とする人もいる中、力比べ、チョップ合戦を経て、ラッキーがマウントポジション。
「いけー、ラッキー!」
「パンダさん負けるなー!」
双方に声援が飛ぶが、打撃を浴びてパンダはダメージが深刻な模様(ダアトなので)。
最後はフライングボディプレス! カウント1、2、3!
こうして、会場を暴れ回ったパンダは力尽きたのだった。──なお、このパンダはきちんと球団の許可を得ていたことが後日、発表された。
迷子保護所では、親子が再会を果たしていた。
「まったく、親なんだからもうすこししっかりしてくれよな」
「やあ、ごめんごめん」
峰雪が連れてきた男の子に説教されて、樹が連れてきた父親はぺこぺこと謝っている。‥‥そんな父親の左手を、詠美が連れてきた女の子がしっかりと握っていた。
「‥‥ありがと、おばちゃん」
詠美に向かって女の子が言うのを父親があわててたしなめるが。
「良かったなあ。もう、はぐれんようにな」
当の彼女は気にしない風で、笑顔を浮かべていた。
家族が去っていくのを、峰雪はどこか眩しく見つめていた。
彼の子供たちが幼かった頃、彼自身は仕事に追われ、世話は妻に任せきりだった。
あの親子のように、家族で遊びに来た記憶などほとんどない。
(今思えば、何のために働いていたのか‥‥)
後悔がちくりと胸を刺した。
「みなさん、お疲れさまです」
そこへ、グラルスがやってきた。調達した飲み物を、運営スタッフに配って回っているのだ。
「ああ、ありがとう」
受け取った飲み物を一口含んで、峰雪は柔和な笑顔を取り戻す。
「さあ、イベントも残り時間はわずかだ。もうひと頑張りしようか」
「はい、一杯ですねー‥‥ぷしゅー★ミ」
ビールの樽を背中にしょって観客の中をねり歩いているのはふゆみである。ビールの売り子はかなりの重労働‥‥のはずだが、ふゆみは心底楽しそうに仕事をこなしていた。
トークショーも、残り時間は少なくなっていた。
「では、ここから質問タイムですっ☆」
千種の声に、たくさんの手が上がる。
「質問かあ。何かないかな‥‥」
観客の中にいたカズヤは考え込む。
「はい、ではそこのTシャツ姿の男の子」
葵に指名された千代は、係員がマイクを持ってくるのも待たずに叫んだ。
「なー! 了はスゲー球が投げれるって聞いたんだぞー! 俺見てみたいぞ!」
「ん? 俺が投げるの、見たことないの?」
獅号が驚き、笑い声があがる。
すると、道倉が言った。
「いいじゃないか。せっかくだし、皆に普段より近いところで、見てもらえよ」
ラークス焼き(カスタード)を頬張りながら出店を見歩いていた恭哉が、ふと球場を見やる。
「‥‥静かになったな」
止むことがなかった球場の喧噪が、いつしか静まっていた。
体験コーナーの終了したグラウンドは手早く整備された。
「よく見てろよ、坊主」
肩慣らしを終えた獅号は、マウンドの上から千代にグラブの先を突きつける。
彼ら観客はスタンドからではなく、獅号と道倉の周りを囲むようにして見守っていた。
この一球は、ラークスのユニフォームを着て彼が投じる最後の一球かもしれない。
そう思ったら、皆押し黙った。
始動はゆったりと。獅号のフォームは止まることがなく、なめらかだ。
左足が地面につくと、後は引き絞られた弓から矢を放たれるがごとく。
回転のかかったフォーシームが、一直線に道倉のミットへと収まった。
「すげーな! すげーな!! ビューンっていったぞ!」
千代の声で、皆ようやく詰めていた息を吐いたのだった。
「ここで、ファンから選手のみなさんにサプライズ!」
葵と千種が獅号たちのそばへとやってきた。
それぞれの手に捧げ持たれているのは、たくさんに連なった鶴の折り紙。
球場横のコーナーでファンに折ってもらった千羽鶴には、それぞれの翼に応援メッセージが書かれていた。
獅号宛のものはまとめて獅号に。ほかのメンバー宛の千羽鶴は道倉に。
千羽鶴がそれぞれ手渡されると、温かい拍手が沸き起こった。
「選手の皆様ありがとうございました。ファンの方々も応援ありがとうございます。来年も頑張りましょう♪」
「野球かー‥‥そのうちやってもいいかも?」
観客に混じって拍手しながら、カズヤもそんなことを考えていた。
●
すべてのイベントが終わり、閉会式。
それすら終われば、楽しい感謝デーもお開きだ。
大勢詰めかけた客の姿も消え、静かになったスタジアム。
「最後の一仕事‥‥頑張りましょうか」
樹はゴミ袋を広げた。お祭りの名残を感じながら、後始末までしっかりと。
獅号は控え室で、鈴音からの手紙に目を通していた。
アメリカでも、直球はフォーシームでガンガン勝負して欲しい、などと書かれた手紙の最後には。
「ラークスを応援するついでに獅号さんも応援してあげるから、がんばってきて 六道」
「ついで、か」
獅号は不敵に笑った。
「目を離す暇もないほど活躍してやるからな──覚悟しとけよ」
ロッカーを開いて手紙をしまうと、ユニフォームを脱いで、着替え始めた。