多くの民家が建ち並ぶ捜索エリアは、恐ろしいほどに静かだった。
●
「──よし」
角の先に敵の姿が無いことを確認したリョウ(
ja0563)が同じA班の三人を手招きした。
フェルルッチョ・ヴォルペ(
ja9326)がそこについていく。
「そろそろ最初のポイントだネ」
のぞいている地図には、事前にあたりをつけておいた捜索予定地点が書き込まれている。
「ああ。情報が少ないが、出来るだけの事はしないとな‥‥」
リョウは周囲を油断無く警戒しながらうなずいた。
「幽霊騎士‥‥欲しいなぁ‥‥欲しいなぁ‥‥いいなぁ‥‥」
二人の後に続くウキグモ・セブンティーン(
ja8025)は、サーバントに興味津々だった。
ブラウン管テレビを仮面の如く頭にかぶるという奇怪な格好をした彼は、無機物を心から好む。
ただし、何も彼はサーバントに会うためだけにこの依頼に参加したわけではない。捜索対象の堕天使がいれば手厚く保護しなくては、とも考えていた。
背後でガサリ、と物音を聞いて、ジェイニー・サックストン(
ja3784)がショットガンの銃口を向ける。
だが、その方向には何もいない。民家の庭木が風に揺れた音だろうか。
「‥‥紛らわしーんですよ」
舌打ちし、ジェイニーは一行の後ろに戻っていく。
彼女にとっては、あくまでも天魔──中でも天使の眷属を屠る事が第一。神器の捜索はそのついでだ。
まして堕天使の保護、などというものは‥‥。
何食わぬ顔で一行について歩く彼女の心の中で、暗い炎が揺らめいている。
仕事としてこの場にいる以上、味方の邪魔をするつもりはない、が。
「いっそ、纏めて殺ってしまえれば楽なんですがね」
誰にも聞こえぬように、そっと呟く。
事前に打ち合わせを綿密に行っていたことが功を奏して、序盤は天魔と遭遇することもなく、順調に予定地点を回っていく。
だが、神器も堕天使も、その痕跡すら見あたらない。
「せめて、敵の探索状況が分かるような情報でもあればいいんだけどナ」
瓦礫のようになった一角を捜索するフェルルッチョが、額に浮かんだ汗を拭う。そこへリョウが戻ってきた。
「かなり離れた位置だが、敵の一団が見えた。陣容は事前偵察の情報通りだ」
フェルルッチョが広げた地図に、おおよその位置を指し示す。
「となると、先にこっちから回ったほうが、よさそうカナ」
「そうだな。‥‥セブンティーン、何かありそうか?」
「残念だけど‥‥ここにも、何もないみたいだよ」
リョウはウキグモの返事に一つうなずいた。
「よし、移動しよう。──サックストン、行くぞ」
「はい、旅団長」
周囲を警戒していたジェイニーも、三人に続いてその場を離れた。
●
敵に視認されることのないよう、B班の一行は物陰を利用しながら進んでいく。
「出来るだけ戦闘にならないようにしたいですね‥‥」
紅葉 公(
ja2931)には、クジョウ=Z=アルファルド(
ja4432)がうなずいた。
「敵の構成からすれば、おそらくあいつがいるからな」
彼はつい先日もこのエリアに入り、そして戦闘を経験している。使徒との邂逅は、はっきりとその脳裏に刻まれていた。
「慎重に行動しなければいけませんね」
森林(
ja2378)は自らの心を引き締めるように。
「敵の位置が分からないというのは、少々不安ね」
周囲を警戒する月臣 朔羅(
ja0820)だが、建物が多い地形では敵の姿も確認しづらい。
「一度あそこへ上って、敵の位置を確認できるか見てみるわ」
彼女が示したのは、三階建ての雑居ビル。他の建物よりいくらか背が高く、確かに索敵には向いていそうな場所だった。
「それじゃ、少し待っていてね」
「お気をつけて」
ビルの脇に入ると朔羅は三人を待たせ、壁走りでビルの外壁を駆けあがっていった。
「これで、敵の様子が分かればいいですね」
公は朔羅の上っていった外壁を見上げる。
「ああ‥‥」
クジョウは周囲を見回し、少しでも変わった痕跡がないか探っていた。
ところで、リョウたちA班もそうだったが、彼らは阻霊符を発動していない。その効果によって、天魔にその存在を気づかれることを避けるためだ。
逆に言えば、敵は透過能力を存分に使用できるという事である。
天魔が道に沿って移動する道理は、ない。
「‥‥紅葉さんっ!」
最初に気づいた森林が、公に警告した。
「えっ?」
視線を戻した公が見たものは、不自然に盛り上がったビルの壁面。
それは今まさに透過能力によって壁を抜けようとする天魔‥‥シーホースの顔面だった。
驚いたのは、相手も同じだったかも知れない。壁の先の視界を確保する術は彼らにもないのだから。
シーホースが先手をとったのは、ブレスを放つ口が既に壁の外に出ていたから‥‥それだけのこと。
直近にいた公に向けて、火炎のブレスを吹き出す。避けようもなく、公はマジックシールドを展開した。
幸運だったのは、ブレスは魔法によるものだったことだ。シールドがブレスのほとんどを遮断し、公は軽傷を負っただけですんだ。
森林が阻霊符を発動すると、シーホースの体がみるみる壁から押し出され、その全身を露わにする。残りはまだ建物の中か。
クジョウがアークソニックを放ち、シーホースを打ち据える。
そして公。外しようもないゼロ距離だ。
痛烈な魔法の一撃が、敵を容赦なく灼いた。
●
「あら‥‥あんなところに撃退士が」
同じエリアの別の場所に、使徒・秋山伊緒はいた。
目を閉じ、サーバントを介して得られる情報を読みとっている。
「神器も見つかりませんし‥‥主様のご助言に従うとしましょうか」
●
A班もまた、敵との出会いは唐突だった。
見つけたのは周囲の索敵に気を配っていたリョウではない。
捜索の最中路地裏の奥をのぞいたウキグモが、行き止まりの壁をすり抜けて敵の一団が現れるその瞬間に鉢合わせしたのだ。
「おお‥‥」
幽霊騎士をついに目の当たりにして、ウキグモは歓喜する。
だが、巨大な槍の切っ先が自らに向く至って、自分が敵との最前列に立っている事実に気がついた。
幽霊騎士が突っ込んでくる。当然彼は回避を試みるが、ジョブ的にも性格的にも、この役回りは向いていない。
そんな彼を救ったのは、一発の銃声。
ショットガンから放たれたアウルの弾丸が槍の軌道をそらし、ウキグモは辛うじて難を逃れた。
「あまり世話焼かせないでください。余裕ねーんですよ」
礼を言ってジェイニーの後ろへ下がるウキグモ。だが状況はまだ悪い。続けて二体のシーホースが迫ってくる。
氷のブレスが吐き出され、二人をまとめてとらえた。
「冷てーじゃねーですかっ‥‥」
ひるまずにジェイニーはシーホースへと応射する。
フェルルッチョが阻霊符を発動しながら傷ついた二人の前へ立つ。だが彼にしても、敵の前に立ち続けるのがスタイルではない。自然と敵味方が入り乱れる。
混乱しかける戦場。そこへリョウが秩序の一石を投じる。
先行していたが故に一手遅れたが、前にでるなり自らの影でもって幽霊騎士をその場に縫い止める。
その隙に、他の三人はシーホースへと攻撃を集めた。
ウキグモとジェイニーが援護する中、フェルルッチョは斧槍を顕現させる。衝撃波での一撃を放った後は、反撃を恐れず敵へ接近する。
「やられる前にやるのが阿修羅の戦い方だものネ!」
動きの鈍くなったシーホースへ振りかぶった斧槍を叩きつけると、馬面がごろりと地面に転がった。
リョウは魔力を槍状に構成できるよう改造したアウロラを手に、幽霊騎士と渡り合っていた。
槍使い同士の戦いは、リョウが自らの与えた束縛と、ジェイニーの回避射撃による援護で優位に進めていた。
だが、束縛の効果はじきに切れる。正面から向き合っている現状では、気配遮断も効果をなさない。
そのとき、幽霊騎士の兜を一条の光が叩いた。ウキグモの放ったエナジーアローが命中したのだ。
騎士の意識が確実にそちらへ移った瞬間、リョウは滑るように動く。背後から甲冑の隙間をねらい、魔法の刃をねじ込んだ。
バチンとひとつ何かのはじける音がして、幽霊騎士は活動を停止したのだった。
残すはシーホース一体のみ。戦いの趨勢は決したも同然だった。
味方の状態を確認したところで、リョウの携帯に着信が入る。
それはB班の朔羅からの、使徒と接敵した、という知らせであった。
●
「秋山伊緒に狙われたわ。こちらで引き付けてみるわね」
『やれるのか?』
「限界となったら撤退するわ。それまで、そちらは捜索の継続をお願いね」
長く会話をする余裕はない。朔羅は相手の返事を待たず、携帯を一旦しまい込み、戦線へと舞い戻った。
サーバントの一団を退けたところへ、狙ったように現れた伊緒。傷ついた身体を癒す間もなく、メンバーは連戦を強いられる。
「あなた‥‥この前の子ね。きつくお仕置きしてあげたのに、まだ懲りないの」
クジョウからすれば伊緒がいることは想定の範囲内だったが、相手はそうではないらしい。
「人に仇なすものは、打ち砕く。──何度でも、だ」
鞭を構え、淡々と答える。
前回は持っていなかった、剣らしき武器を構えた伊緒は、慎重にクジョウとの距離を測っている。痛い目にあったのは、彼女も同じ。
「今日は、気を失ったら終わり──なんて思わないでね」
「俺から言うのは、一つだけだ‥‥その魂、俺が救ってやる」
もう戻れないのならば、せめて解放しよう。
自分の力でしてやれることは、それしかないと。
前回は一対一。距離を詰めた後は一瞬だった。
だが、今回は四対一だ。
「後方支援はお任せください!」
森林と公が後方から援護し、伊緒の動きを制限する。
伊緒はそれでもクジョウへ迫り、剣を振りかぶろうとするが。
「ほらほら、頭がお留守よ? 直撃させちゃおうかしら」
壁をかけあがった朔羅が、頭上から忍刀を振りおろす。伊緒は動きを止め、回避せざるを得ない。
「このっ‥‥!」
身体能力は四人を遙かに凌駕するはずの伊緒だが、連携の前になかなかそれを活かすことができない。
いらだちを隠そうともせず、砲を顕現させて朔羅を狙うが、彼女はするりと躱して距離を稼ぐ。
そうやって、A班から引き離せるようにと、少しずつ場所を移動していく。
四人は、使徒相手に十分健闘しているといえた。
本来なら八人全員でかかったところで、撃破できるかは怪しい。使徒とはそういう相手だ。
伊緒に有効打を与えることは難しいが、こちらも決定的な一撃は受けないままに時が過ぎる。
だが、それは危うい均衡でもあった。
伊緒の剣が何度目か、クジョウを捉える。クジョウは鞭をかざしてそれを受け、ダメージを最低限に押さえた。
しかし、蓄積した負傷は徐々に彼を蝕んでいく。スキルも限界が近い。あと何度受けられるだろうか。
森林がクジョウに近づく。彼の持つ唯一の回復手段で、わずかばかりでもその傷を癒す。
その瞬間を、伊緒に狙われた。
それまでクジョウか朔羅しか狙わなかった伊緒が、突然クジョウの脇をすり抜けたのだ。
「ああっ!」
肩口から袈裟斬りにされ、鮮血が迸った。
「せっかく傷つけても治してしまうんだから‥‥。あなたを先に倒してしまえばよかったのね」
膝をつく森林。歪めた顔で伊緒をみるが、なにも言葉にはできず。
前のめりに倒れる直前、朔羅が飛び込んで彼を背負った。
すぐ立ち上がり、駆けながら携帯を操作して、A班に連絡する。
「こちらB班、戦闘不能者がでたわ。後退を──」
「あら、素直に逃がすと思う?」
すぐ近く。伊緒が砲を構えていた。
朔羅の最大の武器である敏捷性は、人を背負った状態では活かしきれない。
放たれた魔法弾の直撃を受け、二人まとめてはじきとばされる。
「あ‥‥」
「やっと当たったわ。でも丁度いい練習になったかしら?」
朦朧とした意識の向こうで、伊緒が笑っているのが見えた。
均衡は崩れ、形勢は一気に傾いた。
「次は‥‥」
伊緒が視線を巡らせる。その先には、公が。
「あなたね」
自らの勝利を確信した顔で、剣を構え、近づいていく。
そんな彼女の横顔を、ふいに強烈な白光が照らした。
クジョウだった。彼の持つ魔具が強烈な白焔となって光を放っていたのだ。
「──ぅおおっ!」
危機的な状況に突き動かされるようにして、クジョウは白焔を伊緒に撃ち出した。
光は十字架をかたどるようにして、伊緒を飲み込む。
──だが、光が収まっても、伊緒はそこに立っていた。
「また私を傷つけて!」
伊緒は怒りをクジョウへと向ける。
クジョウはしのごうとするが──。ここまで耐えてこられたのは、三人の援護があってこそだった。
伊緒の一撃は彼の鞭をかいくぐり、その身を深く貫いた。
「あとは、あなただけね。逃げないの?」
クジョウが動かないことを確認した伊緒は、改めて公に向き直る。
「──逃げません」
もちろん、逃げられるなら逃げたい。だが、彼女一人で三人を抱えて逃げるなど不可能だ。
A班に状況はある程度伝わっているはずだが、救援が間に合う可能性はどれだけあるだろうか。
彼女一人、逃げるわけにはいかない。
大切な誰かを目の前で失うような、そんな思いはもうごめんだと、学園に来たのに。
そんなこと、できるはずがないのだ。
「そう。ならここで死ぬのね」
「あなたも、少し前までは人間だったのでしょう」
しかも、小学校の教師だったという。
それがどうして、笑みさえ浮かべて他人を斬り捨てるようになってしまったというのか。
「丈文さんさえいてくれれば、関係ないのよ。そんなこと」
訴えも意に介さず、伊緒は会話は終わりとばかり、剣を構える。
公もまた身構えるが、たった一人でどこまで戦えるというのか。
行く末の覚悟を固めようとした──そのとき。
空の一角が、光に染まった。
「あれは──」
ここよりは南の空。九つに割ったエリアで言えば、東の地点だ。
「今からいけば、間に合うかしら」
伊緒は剣を下ろした。
「良かったわね、お嬢さん。大事な用ができたから、私はこれで失礼します」
唐突に剣気の抜けた、穏やかな笑顔を公に向ける。
「それじゃ、ごきげんよう」
まるでお茶会の終わりを告げるかのような挨拶をして、伊緒はそこから飛ぶように去っていった。
緊張が解け、公はその場にぺたりと腰を下ろす。
半ば呆然と、伊緒の去った方角を眺め。
「強い力に囚われてしまうと、何かを失ってしまうものなのでしょうか‥‥」
そう、呟いた。
●
A班の四人はしばらくして合流した。
すでに彼らに余力はなく。光の正体を確かめることはおろか、捜索を続行することも困難と判断し、一行は撤退を決めた。
調査範囲を残しての撤退──依頼内容を達することのできぬままに。
後日、神器の顛末と堕天使の所在について知らされて初めて、彼らの担当エリアには「なにもなかった」ことを知ることになる。
苦い丸薬を飲み下したあとのような後味の悪さが、どこかに残った。