一行の行く先に、今日の舞台となる川が目に入ってくる。
「そろそろ、報告にあったディアボロの出現ポイントね」
月臣 朔羅(
ja0820)が額に手を当て、日光をさえぎりながらそう言った。今日もよく晴れている。
「今日はいい天気だね。いい気分♪」
七海結愛(
ja6016)も目を細めつつ笑顔で空を見上げた。
普段なら、絶好の釣り日よりだろう。だが、川に釣り人の姿はない。ディアボロの出現のせいで、一般人は近づけないのだ。
「ねこ、いないね」
コニー・アシュバートン(
ja0710)は軽く川の方を見渡したが、それは想定内ではある。
神出鬼没の猫ディアボロは釣り人の姿に反応して現れる。そうあたりをつけた面々は、依頼者である釣り人たちに協力を仰ぎ、釣り道具持参でやってきていた。
撃退士自身が釣り人に扮しておとりとなり、猫が現れ魚に気を取られているところを奇襲──そういう手筈なのだ。
「みんなは釣りって、しやはるのん?」
一行の後ろについていた紫ノ宮 莉音(
ja6473)は、ほかのメンバーよりも荷物が多い。今日唯一の男性ということで、荷物持ちを買ってでたのだ。釣り竿は各々が持っているが、魚を入れる魚籠や、小さめのクーラーボックスも彼が肩に担いでいた。
「川釣りなんて久しぶりね。依頼でなければ、のんびりとしたいところなのだけれど」
朔羅が穏やかな笑顔で莉音に振り返る。
「初めてだから、実は少し、楽しみ」
コニーはつぶやくようにそう言うと、肩に掛けた釣り竿のケースを背負いなおした。
「莉音くんは?」
「僕、したことないですー」
これから戦闘を控えているものの、なんだか和気あいあいとした雰囲気である。
「さて、この辺でいいかしら」
川幅の比較的狭くなっている場所を見つけて、藍 星露(
ja5127)が足を止めた。
「ええ、警戒は怠らないようにしましょう」
沙耶(
ja0630)の言葉に一同はうなずきあい、それから土手を降りていった。
六人は三人ずつ二班に分かれ、川の両岸に陣取った。どちらに猫が現れても対処しやすいよう、戦力バランスを考えた布陣である。
それぞれ折り畳み式のいすを開き、その上に腰掛ける。これも釣り人が貸してくれたものだ。おとりとはいえ、釣りにチャレンジするという若人たちに、彼らは協力を惜しまなかった。
釣り竿をケースから出すと、川釣り用の仕掛けがしっかり施されている。後は餌を付ければ、川に放り込むだけである。
用意してくれた餌はミミズなどの生き餌ではなく練り餌だった。これもメンバーに女性が多いことを配慮してくれたのだろうか。
そして魚籠にはすでに、数匹の魚が入れられていた。クーラーボックスに入れて持ってきていた魚もまた、釣り人からの提供だった。
初心者が多いため、魚が釣れないこともありうる。そう考えて当初はここへくる途中に魚屋かスーパーで魚を買ってくる予定だったのだが、「それなら生きている方がいいだろう」と、釣り人が家で水槽に入れてあったフナを数匹提供してくれたのだった。
とにかく協力的な釣り人たちは、仕掛けがはずれてしまったときの対処や魚がよくいるポイントなどを熱心に説明してくれた上、しまいには心配だからとメンバーに同行することまで申し出てきた。
依頼人を危険にさらさないために釣り人のふりをするのに、それでは本末転倒である。というわけで、その申し出は丁重に断ったのだった。
「なかなか、釣れないね」
釣り竿をゆらゆら動かしながら、コニーはちょっとだけ悲しそうな声を出した。
釣りを始めてから、二十分。まだ誰にも当たりはきていない。
「初めてでは、仕方がないわね」
隣に座った星露がなぐさめる。
コニーを挟んで反対側に座る沙耶もうなずきつつ、油断ない目つきで周囲を見回した。
まだ猫の気配はない。
釣れてはいないものの、すでに魚は魚籠に入っているのだからでてきてもいいと思うのだが。そんな思案をしていると、コニーが「あっ」と声を上げた。
「どうしたの?」
「竿、ゆれてる」
沙耶の前に置かれた釣り竿が、ピクピクと反応を示していた。
あわてて竿をあげると、五、六センチ程度の小さな魚が針に引っかかっていた。
「おおー、沙耶、やったね」
「初ヒットね。おめでとう、沙耶さん」
こうして本日の初ヒットは沙耶がゲットした。
「あら、あっちは釣れたみたいね」
対岸の様子を見ながら、朔羅が言った。
「負けてられないですね」
結愛が釣り竿を握る手に力を込める。と、竿の先に何かが引っかかる感触があった。
勢いをつけて竿をあげてみると──。
「あれ。あれれれ? 糸が絡まっちゃった」
引っかかっていたのは魚ではなく、隣の朔羅の仕掛けだった。
「あ、動かさないで。今はずすから」
朔羅が落ち着いた動きで、絡まった糸を外していく。
莉音がその様子を眺めていると、竿先が動いて彼を呼んだ。
ゆっくり引き上げてみる──と、十センチほどの魚が釣り上げられた。
「わあ、釣れましたー」
莉音は笑顔になった。
その後はほかの面々の竿にも当たりが出はじめ、数時間後にはどちらの岸の魚籠も結構な量の魚が入れられた。
「向こう岸と、どっちが多いかな」
「おびき寄せの餌としては、十分だと思うのだけれど」
星露が魚籠の中を覗き込んだとき、沙耶が声を潜めた。
「──あそこ」
コニーと星露が沙耶の指さした方を見る。
そこには、報告にあったとおりの白い毛並みの猫の姿があった。十メートル以上離れた位置とはいえ、一切の物音もしなかったのは透過能力故であろうか。
猫は対岸ではなく、こちら側を注目しているようだ。三人はうなずきあうと釣り竿を川からあげ、魚籠だけを残してゆっくりとそこから後退する。猫はその特徴的な目を細め、ゆっくりと注意深く──魚籠へ近づいていった。
「美人さんの、にゃんこさんやなー」
対岸の三名も、当然そのころには猫の出現に気がついていた。野良とは思えぬ整った毛並みに、莉音は感嘆の声を漏らす。
「まー、それはそれ、これはこれや」
朔羅、結愛とともに、釣り竿をおいて立ち上がる。莉音と結愛のふたりはすこし移動。ふたりは対岸まで川を飛び越えて移動するつもりだが、あまり猫の近くに着地するのでは、せっかく魚に気を取られている猫を刺激するおそれがある。事前に星露が言っていたことだ。
朔羅はその場に待機。彼女は飛び越える必要がないのだ。
六人全員が沈黙を守り、猫の行動を注視している。
猫は時折耳を動かしながらも、ほぼ一直線に魚籠へと向かった。そしてついには顔をつっこみ、中の魚を喰らいだす。
「今だわ……」
星露が音を立てないように注意しながら、慎重に猫の背後に回り込む。
三歩、二歩、一歩──彼女の間合いだ。
「‥‥!」
無言の気合いとともにアウルがほとばしり、その両手に獲物のトンファーが顕現する。その動きはそのまま、猫への攻撃となった。
直撃すれば相手を行動不能に陥れる強烈な一撃が、猫の無防備な後ろ肢を捉えた。──そう思えた。
だがまさにその瞬間、猫は俊敏な動きで横へステップし、星露の一撃をかわしてしまう。
「そんな!」
不意打ちは失敗‥‥猫が魚へ集中していたのは見せかけだったのか? いや、単純に猫の危機察知能力がこの場は上回ったということだろう。
間髪を入れず、沙耶が銃撃。これは命中したが、深手には至らない。
猫は星露から間合いを取って向き直ると、歯をむき出しにしてうなり声をあげた。どうやら、やる気だ。
こうなれば物音を殺す必要もない。みなそれぞれに光纏状態となり、獲物を手に猫へ接近する。対岸の莉音と結愛は撃退士の身体能力を活かして五メートルの川幅を一気に飛び越える。そして朔羅は「水上歩行」の技を発動させた。
すでに猫を取り囲むように布陣しているのは星露、コニー、沙耶の三人。
コニーが土手を背にして猫の正面にたち、ボクシングのステップを踏んで挑発する。猫が注意を向けた隙をねらって、星露が再度後ろから足をねらう。今度はほぼねらい通り、後ろ肢のひざ付近を捉えた。
猫はぎゃん、と悲鳴を上げて飛びすさる。が、またしても動きを止めるには至らなかった。
猫が川べりに寄った。目玉が動き、向こう岸を確認するのがわかる。
だが、跳躍のチャンスはなかった。
「残念。こちらは水の上を歩けるのよね」
泳ぐのでもなく、跳ぶのでもなく、水上を駆けて距離を詰めた朔羅が、苦無による一撃を放つ。避けられたものの、牽制としては十分だ。彼女が水上にいる限り、猫は対岸へ逃げるという選択肢を封じられることになる。
猫は再び身を翻し、今度は自分の一番近くにいる相手、直前に痛撃を与えられた星露へと襲いかかった。
目を見開き、牙を剥いて人に襲いかかるその姿はまさに化け猫だ。
星露はトンファーを構えて爪による一撃を受け流そうとするも、長い爪と巨躯からくる膂力を殺しきれず、左肩を切り裂かれる。
「くっ!」
灼けるような熱を感じながらも、星露は身体をひねって猫の側面に回り、中国拳法仕込みの動きで蹴りを出した。V兵器を介さない一撃は有効打にはなり得ないものの、猫との距離をとることに成功する。
そこへ、川を飛び越えてきた結愛と莉音が合流してきた。
莉音はショートスピアを構えて猫を牽制しようとしたが、けが人がいることに気づくとまずはそちらへ向かった。鮮血に染められている星露の肩口に癒しの力を送り込むと、見る間に傷がふさがっていく。
結愛のほうはショートソードを構えつつ猫に向かって突進し、間合いに入るやアウルの力を集中させる。先手必勝、渾身の一撃で痛撃を狙った。
しかし、猫はこれもかわした。
報告にあった跳躍力ばかりでなく、敏捷性もかなりのものだ。それを封じるにはやはり下肢、とくに後ろ肢を狙っていかなくてはならない。だがただでさえすばしっこい相手に対し、特定の部位を狙った攻撃を当てるのは容易ではなかった。
とはいえ、こちらは六人、相手は一匹。波状攻撃を仕掛けていけば、いつかは決定打を与えられるはずだ。
コニーが再び猫の正面に立ち、先ほどの連係攻撃の再現を狙う。すると、今度は猫が彼女に向かって突っ込んできた。
それならそれで、とばかりに彼女は身体を半身にし、左拳を猫の視界から隠した。
猫がコニーを爪でひと薙ぎにできる、その一歩手前で力を込めた左拳を眼前に突き出す。拳に乗せられた影が猫に向かって打ち出され、カウンター気味に猫の前肢付け根にヒットした。
だが、猫はダメージを負ったもののそのまま踏み込んだ。爪の一撃がコニーをおそう。腕を前に出して急所は守ったものの。特大のひっかき傷が彼女の両腕に刻まれた。
猫に追撃を許すまいと、沙耶、朔羅の二名が援護をし、猫の注意をそらせた。莉音がコニーのもとへ向かう。
牙を剥いて威嚇する猫へ、星露が再び背後から迫る。猫も無傷ではない。今度こそ──!
全力でトンファーを振るい、猫の後ろ肢を薙ぎ払う。
果たして、今度は決まった。吹き飛ばされた猫は大きく体勢を崩し、草地に肩から落ちた。
猫の動きが完全に止まった。まず結愛が力強く武器を振り抜き、後ろ肢の付け根に斬りつける。
「好機ね。合わせるわ!」
朔羅は膝の間接を狙って苦無を投じた。沙耶は左目を狙う。相手が動かないのならば、ピンポイント攻撃はお手のものだ。
攻撃が次々と猫を襲い、そのたびに鮮血が舞った。
動かなくなった猫の周りを星露、コニー、結愛、そして水上からあがった朔羅の四人が囲み、莉音と沙耶がすこし離れた位置に立つ。
猫はまだ息絶えてはいない。だがすでに後ろ肢はほとんど動かないようで、美しかった白い毛並みも今は血にまみれ汚れている。左目も無惨につぶされていた。
「猫は好きなのだけれど‥‥あなたは駄目ね」
朔羅が静かな言葉とともに、苦無を構えた。
とどめの一撃を見舞おうとした、そのとき。
「‥‥ギャァアアアォオウ!」
猫が吼えた。
油断していたわけではなかったが、耳をつんざく咆哮にメンバーは一瞬動きを止めてしまった。
猫は傷の状態からすると信じられないような動きを見せ、取り囲んでいた四人を次々と爪で斬りつける。そして、跳躍。四人の囲みをすり抜けてしまった。
「いけない!」
ここまで追いつめて、逃がすわけには──。
「残念ですが、逃げて頂く訳にはなりません故」
「逃がさんよー」
猫の前に沙耶と莉音が立ちふさがる。
莉音がショートスピアを振るうと、猫はそれを避けることができなかった。おそらくは今の動きが、最後の抵抗‥‥悪あがきだったのだろう。
猫が草地の上に横倒れになった。薄く開けられた右目は焦点を結ばない。鼻先がヒクヒクと動いている。
今度こそ、抵抗する力を失ったようだ。
沙耶が銃を構えた。照準は、猫の額に。
「眠りなさい、安らかに」
轟音が響き、そして戦いは終わった。
戦闘後、メンバーは周辺を捜索し、以前に襲われた釣り人たちが放棄していった釣り竿などをできる限り回収した。魚籠やクーラーボックスなど、魚をしまうのに使う道具は見つかっても壊されてしまっているものがほとんどではあったが。
ひととおり捜索を終えて元の場所に集まる頃には、空の端が黄色から赤に染まろうとしていた。
すでに猫の死体は専門の処理班によって回収され、そこにはない。流された血の跡はそのままだが、夕焼けの赤い光のおかげで目立たなくなっていた。
戦いの名残を皆が感じる。沙耶が、何かの旋律を口ずさんだ。
「‥‥それは?」
「歌詞に、猫がでてきますから。弔いになるかと思って」
「そうなんだ」
しばらく全員が、彼女の歌声に耳を傾けた。
「次起きたら、こんな事にならないと、いいね‥‥おやすみ」
もとはやはりゲートにとらわれた人間だったのかもしれないディアボロを思い、コニーが手向けの言葉を口にした。
夕暮れのほんのすこしだけ冷たい風が川の上を滑っていく。
その風を受けながら、朔羅は目を細めた。
「それにしても、よい釣りスポットね。安全を確保できたなら、また今度来てみようかしら」
戦いの中で疲弊した精神を落ち着けるには、釣りはもってこいだ。
「ところで、釣った魚はどうしましょう?」
「釣り人の方にお借りした分は残して、あとはリリースで良いのでは?」
「無事なお魚、お持ち帰りは、ダメかな?」
ここは休日ごとに釣り人が集まる憩いのスポット。場を荒らすディアボロは退治され、また次の休みからは日常に疲れた男たちが癒しを求めて訪れるはずだ。
‥‥いや、男ばかりとは限らない。今回依頼を果たした女性たちもこの場所を気に入ったようだ。これからは釣りを愛するものならば、性別の垣根なく心を癒すスポットとして、多くの人を集めることだろう。