「皆さん、今日はよろしくお願いします」
春苑 佳澄(jz0098)は神妙に頭を下げた。
「佳澄君と会うのも久しぶりか」
天風 静流(
ja0373)は黒髪を靡かせ、穏やかに微笑む。
「元気なようで何よりだね」
「静流さんも‥‥えへへ」
「大丈夫。皆で合格を勝ち取ろう?」
まだ少し心細げな佳澄を鼓舞するように、蓮城 真緋呂(
jb6120)も笑顔を向けた。
そして、問う。
「春苑さんがお祖母さんに食べて欲しいものってなに?」
「うん‥‥」
佳澄は唇をへの字にした。
「美味しいもの、作ってあげたいけど‥‥一人で全部できるものはまだほとんどないし‥‥」
いつかは、とは思うけれど。
「佳澄」
マイナス思考を押しとどめたのは、Robin redbreast(
jb2203)。
「『いつか』はダメだよ。ちゃんと決めないと『いつか』は来ないよ」
人の命は有限であり、明日は必ず来るとは限らない。
それに、一歩踏み出すためには、決意が必要だ。
(もしかしたら、佳澄のおばあちゃんは‥‥)
「うん‥‥そうだよね」
佳澄は気合いを入れる。
「いつかじゃなくて、今‥‥やれることをやらなくちゃ」
「応援するよ〜」
星杜 焔(
ja5378)が口を開いた。
「メニューだけど‥‥すこし考えてきたんだ」
遠慮がちに周囲を見ながら。
「決めるのは佳澄ちゃんだけど‥‥話してもいいかな?」
「もちろん! 是非お願いするよ!」
しがみつかんばかりの佳澄に焔は表情を和らげた。
「じゃあ、俺の考えだけど。これは撃退士としてふさわしいかを見るための試験だから、佳澄ちゃんが撃退士をやる理由を象徴するものを作るのがいいんじゃないかと思うんだ‥‥」
*
「これでメニューは大体決まりかな」
一時ほど過ぎて、静流が言った。
「春苑さんが、お祖母さんに食べて欲しい料理‥‥に、なってるかしら?」
佳澄は大きく頷く
「とっても美味しそうだもの。早く食べたくって、あたしがわくわくするくらい!」
曇りのない笑顔を見て、真緋呂も微笑む。
「お祖母さんの『美味しい』顔を思い浮かべながら‥‥ヤル気出るでしょ」
「佳澄、冷蔵庫の食材は使っていいのかな」
Robinが大きめの冷蔵庫を開いて中を確認した。
「うん、お金は後であたしが払うよ」
「じゃあ、ないものだけ買い出しにいこうか〜荷物持ちするよ」
「あ、ありがとう星杜くん」
歌音 テンペスト(
jb5186)が時計を見やった。
「佳澄ちゃんのおばあちゃん、そろそろ着くんだっけ?」
「あ、うん。お昼過ぎの便だって言ってたよ」
試験は夜だが、早く来て島や学園を見学するのだと佳澄の祖母は言っていた。
「出迎えはいいから、試験に集中しなさいって言ってたけど‥‥」
「でも、道とか大丈夫かな」
歌音は心配そうに眉根を寄せた。
「あたし、お出迎えに行ってくるよ」
「なら私もそっちに行こうかな」
と真緋呂。
(伝えておきたいこともあるし)
ということで、一行は一時二手に分かれるのだった。
●
「あっ、あの人かな」
夏の日差しが照りつける船着き場を、着物姿の女性がすたすたと歩いてくる。日傘に遮られて顔は見えなかったが、間違いないだろう。
「春苑さんのお祖母さんですか?」
真緋呂が声をかけると、女性は立ち止まった。
「ええ。‥‥佳澄さんのお友達?」
「初めまして。大学部の蓮城と申します」
礼儀正しく頭を下げる。隣の歌音も慌てて真似をした。
「佳澄ちゃんにはいっぱい仲良くしてもらってます」
歌音の言葉を、女性──美佳子は毅然と聞いている。そうしているだけでどことなくこちらも緊張するような、試されているような圧力を感じる。
「私たち、今日の『試験』にも協力させてもらいます」
真緋呂がきっぱりと言った。
「──そう」
美佳子は微笑んだ。圧力が弱まる。
「よろしくお願いします」
目礼するのを見て、真緋呂は内心小さく息を吐いた。やっぱり彼女の判断は、間違っていない。
船着き場から、学園までの道のりを案内する。
「お祖母さん、端末って持っていらっしゃいますか?」
美佳子が小さな鞄から取り出すのを見て、真緋呂は自分の端末番号を記したメモを手渡した。
「後で、この番号に掛けてください。寮の様子が聞けるようにしておきます」
結果だけでなく、過程も見て判断してもらえたら──そう告げると、真緋呂は改めて礼をした。
「おばあちゃん、これ、学園の地図です」
歌音が取り出した地図には、あれこれとメモが書き込まれていた。
「佳澄ちゃんと遊びに行った場所とか、印付けてあります」
よかったら回ってみてください、と手渡す。
「あたし、佳澄ちゃんとは遊びに行ったり依頼に行ったり‥‥上手くいかなかったこともありました。
でも、佳澄ちゃんはちゃんと帰ってきて‥‥今でも、大切なお友達です」
「ここまでで結構です。‥‥佳澄さんのこと、どうかお願いします」
美佳子は立ち止まり、丁寧に頭を下げた。
「はい‥‥! 不束者ですが末永く宜しくお願いします!」
歌音は三つ指ついて答える。違うそうじゃない。
「私たちは春苑さんの手伝いに戻ります」
真緋呂は歌音を立たせた。
「それでは、また寮で」
*
入れ替わりになるように紫髪の青年が美佳子に向かって礼をする。
「初めまして」
鳳 静矢(
ja3856)は歌音たちと同じように自己紹介をした。
「あなたも、佳澄さんのお手伝いを?」
美佳子に問われて、静矢は頷いたが。
「ええ‥‥ですがその前に。失礼ですがひとつ、お聞かせいただきたい」
美佳子の、年齢にしては皺の目立たないまなじりがすっと細められる。
「なんでしょうか」
「もしや貴女は、春苑流再興という目標を佳澄さんが持つことで、逆に未来を縛っているのでは──と危惧しているのではないですか?」
一呼吸おいてから、美佳子は口を開く。
「あの子は、愛の深い子ですから」
無意識にだろうか、己の左手をさすりながら。
「思い詰めて、周りが見えなくなってしまうことは子供の頃からよくありました」
「佳澄さんにとってそれは、純粋な夢だと思います」
入学当初から佳澄がその目標──夢を持っていることを、静矢は知っていた。彼女がかつて受けた洗脳を振り払ったとき、決め手となったのはそのことを思い出させた静矢の言葉だ。
「彼女は夢を為せるように自身を鍛錬している‥‥真っ直ぐに頑張っていますよ」
「そうですか」
美佳子は微笑んだが、まだどこか冷たさを孕んでいた。
「では、試験の結果も期待しておきましょう」
*
静矢と別れた後、美佳子は端末を取り出した。真緋呂から教えられた番号を入力する。
──もやしは洗って使えばいいんだよね?
それだけでも良いけど、この髭の部分を取るともっと美味しくなるわよ
これどうしたら良いのかな、佳澄ちゃんヘルプぅ〜
あ、待って歌音ちゃん、それは‥‥
佳澄ちゃん、シチューのベースいくつか試作したんだけどどれがいいかな〜
うーん‥‥あっ、これ美味しい!
佳澄、洗った野菜ここに置くね
ありがと、ロビンちゃん! ‥‥静流さんはなに作ってるんですか?
手伝えそうかい? ならこの生地を型に並べるのを一緒にやるとしよう
はい、頑張ります!──
「‥‥楽しそうね」
美佳子はしみじみと呟くのだった。
*
空が暗くなりかけている。キッチンには美味しそうな匂いが充満していた。
「佳澄ちゃん、気分は大丈夫かい‥‥?」
「うん、平気。みんなのおかげだよ!」
IHコンロの上でコトコト煮えているシチューをかき混ぜながら、佳澄は焔に笑顔を返した。彼や真緋呂の気遣いもあり、今日は途中離脱する事もなく鍋を見ていることができていた。
「あたしも、佳澄ちゃんの子犬になれたなら本望よ‥‥」
一方、歌音は少々ぐったりしている。彼女は佳澄以上に料理初心者だ。あえて佳澄に面倒を見させることで力を引き出すという作戦‥‥つまり「自分より弱い子犬を守るため普段以上の力を出しちゃうアレ」を実行していたのだった。
「そろそろ、お祖母さんもここへ来る頃ね」
窓の外を見ながら、真緋呂が言った。
「盛り付けは春苑さん、お願いできる?」
「う、うん!」
佳澄は少々緊張した面もちになった。Robinが「手伝うね」と隣に立つ。
お皿を手渡しながら、Robinは淡々と口にした。
「子供の佳澄は、経験も判断力もないからミスをして当然だったし、おばあちゃんは佳澄の気持ちが嬉しかったし‥‥だから、佳澄を責めなかった」
佳澄が火や刃物に恐怖心を抱くきっかけとなった出来事の話だ。佳澄は手を止めず聞いている。
「でも佳澄は、大好きなおばあちゃんを傷つけた自分自身が許せないんだよね」
「そう‥‥なのかな。そうなのかも」
自分自身に問いかけるような、弱い声だ。
「もしかしたら、そのことがおばあちゃんにとっても、罪の意識になったのかも」
「おばあちゃんにとっても‥‥?」
佳澄は手を止めて、Robinの翠色の瞳を見た。Robinはにこ、と笑いかける。
「今日、おばあちゃんに美味しいご飯を食べさせてあげることで、自信を持って、過去の自分を許したら‥‥
おばあちゃんの心の枷も外れるのかもしれないね」
●
寮の食堂で、美佳子が席に着いている。目の前には、彼女のためにと心を込めて作った夕食が並べられている。
メインディッシュはクリームシチュー。炊き立てご飯に合うように、味付けは少し濃いめ、とろみも強めだ。
シチューがおかずの位置づけなので、ちぎったハムともやしのあっさりしたスープもついている。
葉野菜のサラダには、つぶしたトマトのドレッシング。箸休めの小鉢は豆腐を使った白和え。
それから、佳澄がいつも身につけているヘアピンを模して、花の型に取られた透き通った桃のゼリー。
「美味しそうですね」
美佳子の目の奥はまだ笑っていない。
「これを、佳澄さんが一人で?」
もちろん、敢えて聞いているのだ。佳澄は素直に首を振った。
「ううん。皆に手伝ってもらって。あたし一人で全部‥‥って言えるのは、炊飯器でご飯を炊いたことくらいだよ」
それだって、教えてもらってやっとできるようになったことだ。
「暖かいうちに、どうぞ」
真緋呂が言った。美佳子は頷くと、匙を手に取った。
「いただきます」
シチューをひと掬いして、口へ運ぶ。こくんとのどが鳴る。
驚いたように目を見開いた。
「作り方を教えた覚えはないのだけれど。佳澄さん、どうやって調べたのですか?」
「星杜くんが、いくつか見本を作ってくれたの。その中で、あたしの記憶に一番近いのの作り方を、教えてもらったんだ」
「春苑家の隠し味は、白味噌だったんだね〜」
どうせなら思い出の味に近いものを、と腐心した焔の努力は実ったようだった。美佳子はもう一口、シチューを啜る。
「あの‥‥おばあちゃん」
まだ、肝心の言葉を聞けてない。佳澄はおそるおそる、尋ねた。
「美味しい、かな‥‥?」
美佳子は匙をおいて、佳澄を見た。瞳の奥の冷たい光は消え、見つめるその顔は、佳澄の好きな優しいおばあちゃんのものにほかならない。
「ええ‥‥とっても美味しいですよ、佳澄さん」
その声は少しだけ、震えていたようだった。
*
食事を進めながら美佳子は、いくつかの質問をした。
「撃退士にもっとも必要な能力は何だと思いますか?」
答えたのは静矢だ。
「強さ‥‥でしょうか。短絡的な武の強さだけでなく、自分を磨きつつ他者とも手を取り、どんな困難な目的も負けずに果たしていく、
そうした意志の‥‥芯の強さでしょうか」
美佳子は間髪入れずに次を問う。「では、不要な能力は?」
これも静矢が答えた。
「私は無いと思っています。短所も誰かと組めば長所になることも多々あります」
欠点を補う、そのために人が集うのであれば、それもまた人との縁を生み出すために必要な能力だ。
「一番大事なのは信念の確かさ‥‥そして信じ合える仲間であると思います」
「久遠ヶ原で学ぶことは、そうした仲間と出会う場を得ることにもつながるね」
静流が後を引き継いだ。
「撃退士というものを深く知ることもできる。同じ能力者の友人ができれば疎外感を感じることも少なくなるか」
「色んな人と知り合えて、色んな考えを知ることもできるよ」
とRobin。彼女の価値観もここで大きく変わったのだ。
「幽霊とお茶会したこともあったね‥‥」
焔は昔を思い返しつつ。
「あたしとか際物だから」
歌音は自嘲気味に言いつつも、悲壮さは見せず。
「一人じゃ撃退士としても人としても無理ゲーだからね。
今日の料理もそうだったけど、佳澄ちゃんにいっぱい教わったり助けてもらったりしてるの‥‥かけがえのない大切なお友達の一人だよ」
「歌音ちゃん‥‥」
「だから‥‥これからも皆で一緒にお勉強して、──立派な芸人になろうねっ!」
「うん‥‥芸人?」
間違えた。
「撃退士! に!」
「私は卒業したら看護学校へ進みます」
真緋呂は己の進路について語る。
「助産師になって、新しい命が生きる手伝いがしたいから‥‥この学園で、天魔や様々な人と関わったからこそ、見つけた夢です」
出会いによって、人は変わる。学園とは、その機会を得るための場所なのだ。
「最後に。天魔と戦うために必要な心構えとはなんでしょうか」
この質問には、静流が答えた。
「引き際の見極め、かな。最善と最悪の想定をした上でどう動くか‥‥」
「そうだね‥‥生きて帰ること、だと思うな」
付け加えるように、焔。
「撃退士は皆の笑顔を守る仕事だから‥‥自分が死んだら意味がないよね」
すべての答えを聞き終えて、美佳子は佳澄へ目を向けた。
「今の言葉は、すべてあなたへの金言です。大切に、心に留めておきなさい」
佳澄はぽかりと口を開けた。
「え、おばあちゃん、それって‥‥」
「卒業まで、ここでしっかり学びなさい。そして‥‥無事卒業できたなら、以後は正式に『春苑流』を名乗ることを許します」
「‥‥お、おばあちゃん!」
佳澄はたまらなくなって席を立つと、祖母の元へ駆け寄った。抱きついてきた孫の頭を、美佳子は優しくなでてやる。
佳澄は顔を上げ、己を見守ってくれている仲間の顔を、順繰りに見た。
「皆さん、本当に‥‥ありがとうございました!」
*
張りつめた緊張感が消え、食卓に本来の暖かさが戻ってくる。
「憂いごともなくなったことだし、私もデザートを持ってくるとしようか」
「静流さんのアップルパイ! 楽しみです!」
佳澄も本来の笑顔で椅子を揺らしている。
(『春苑流』は人の心に取り憑いている不安とかを、精神的に取り去る技なのかもしれないね)
Robinはそんなことを思った。
もしかしたら美佳子は、佳澄に過去を乗り越えさせることでその真髄を伝えるために、今日の試験を課したのだろうか。
シチューを美味しいと言ったときの美佳子の表情が、思い出された。
佳澄にとって今日は、支えにも標にもなりうる日。
本当の意味に彼女が気づくのは──きっともっとずっと、先のお話。