「なるほど‥‥前にTVで乱闘シーンを見ましたがルール違反だったんですね」
「えぇと、そうですねぇ‥‥近年では滅多に行われなくなりましたがぁ‥‥」
雫(
ja1894)はベンチ内でルールブック片手に、月乃宮 恋音(
jb1221)からレクチャーを受けていた。
六道 鈴音(
ja4192)はバックネット裏に潮崎 紘乃(jz0117)の姿を見つけると、声を張り上げた。
「任せておいて、潮崎さん! 私が獅号さんに活を入れてきてあげるからねっ!」
「天魔退治とはだいぶ勝手が違いますが‥‥。たまには守勢に回ってみるのも良いでしょう」
雫はルールブックをぱたんと閉じた。
「お役に立てましたら、幸いですぅ‥‥」
「皆さん、そろそろ時間ですよ!」
袋井 雅人(
jb1469)が仲間に告げた。
鈴音もベンチ内に戻り、観客席前でパフォーマンスしていたラークスのマスコット、ラッキーもベンチ脇へ控える。
茨城ラークスvs久遠ヶ原学園チームのエキジビション・ゲーム、いよいよ試合開始である。
●
一回表、学園チームの攻撃。
「私が最初のバッターという事よね!」
一番・セカンドの鈴音。勇ましくバットを素振りしながら打席に向かう。
マウンド上の獅号 了(jz0252)へ。
「ちゃんと調整してきたんでしょうね。へろへろした球を投げたりしたら承知しないわよ!」
獅号は不敵な笑みで鈴音を見返した。
プレイボールの声がかかった。サインに頷くと、獅号はすぐさま投球モーションにはいる。
投じられた初球は、内角高めへのストレート。
二球目は真ん中低めへのカーブ。鈴音はこれもあっさり見送り、ツーストライク。
「こんな球じゃラークスのローテーションは任せられないわよ!」
獅号と視線がぶつかり合う。捕手の道倉からの返球を受け取り、獅号が一度肩をまわした。
(これだけ煽ったから、次は直球がくるはず)
球種に山を張り、構える鈴音。
獅号の投じた三球目は外角よりのストライクゾーンへ来た──が、そこから鋭く滑って外のボールゾーンへ。
「あっ!」
予想と反する球種にバットを止められず、鈴音の第一打席はあえなく三振となった。
下を向いてベンチへ戻る鈴音──だが、その表情は明らかに緩んでいた。
(ふふふ、これよこれ。獅号さんが入れば‥‥)
「‥‥?」
すれ違った雫は、なぜかにやにやしている鈴音の様子に首を傾げつつ打席へ向かう。
二番・ショートの雫。
彼女は、背中を丸めて自分を小さく見せる打撃フォームを取った。
もともと、雫の身長は今回のメンバーの中では断トツに低い。先ほどの鈴音と比べるとおよそ四十センチ差だ。
その分、ストライクゾーンはかなり狭い。プロといえども、これほど小さい選手との対戦経験はそうないだろう。ということで、四球による出塁を狙う作戦である。
狙い通りか、初球ストライクの後三球続けてボール球になった。次の球はスライダーをバックネット方向へのファール。
(このまま粘って、球数を稼ぐことができれば理想ですね)
だがフルカウント後の六球目はシンカー。初めて見せる球種が、しかも内角低めの良いところに来た。
「くっ‥‥!」
バットを出すも当たらず、空振り三振。
「敵を斬るのは得意ですが、野球ボールには当たらないものですね‥‥」
そう言い残し、雫はベンチへ下がった。
続く三番打者も真ん中高めのストレートを空振りし、なんと初回は三者三振となった。
(さすが獅号さん! この球よ。これで今年のラークスは、逆転優勝も夢じゃないわ!)
ラークスファンの鈴音は、八月以降のチームの反転攻勢を想像して早くもニヤニヤが止まらなくなっていた。
「‥‥六道さん?」
「──はっ!? よ、よし、こっちもしっかり守っていくわよ! よろしくね、月乃宮さん!」
「お、おぉ‥‥頑張らせていただきますぅ‥‥」
*
一回の裏、ラークスの攻撃。
マウンドに恋音が上がると、観客の一部がどよめいた。女性がピッチャーというのもそうだが、どちらかというと彼女のプロポーションだろう。
さらしでしっかり抑えてはいるものの、彼女のある部分が常人ならざるレベルであることは、遠目の観客席からでもしっかり見ることができた。
これで脱いだらもっとすごいんですよ。信じられます?
「見ていいのは私だけですよ!」by雅人。
(おぉ‥‥やっぱり見られていますねぇ‥‥)
そうでなくても、投手は球場中から注目を集めやすいポジションである。四方八方から視線を浴びて、頬が熱を持つのは止められない。
とはいえ、これは依頼。となればしっかりこなすのが彼女である。
「恋音、よろしくお願いしますね!」
一塁ベース上から、雅人の声もはっきり聞こえる。捕手のサインに頷いて、恋音はゆっくりと投球動作に入った。
一番・安中への初球は、獅号のそれと同じ内角高めへのストレート。胸のラインぎりぎりのところへ決めて、ワンストライク。
フォームも獅号に近い右投げスリークォーターだ。。
スライダーを二球投じて追い込んだ後、決め球はチェンジアップ。上手くタイミングを外してボテボテのゴロはショートへ。
「任せてください」
雫が落ち着いて捌き、ワンナウト。拍手がさざ波のように広がった。
二番・芝丘にはツーシームから入る。カウント1ー1から外角ギリギリを狙ったスライダーにバットを合わされ、鋭い打球が飛んだ。
「オッケー!」
だがこれはセカンド・鈴音のほぼ正面。ダイレクトキャッチでツーアウト。
そして三番・浅野には2ー2からツーシームを打ち上げさせた。
「あー、くそ!」
平凡なライトフライに終わり、恋音の方も初回は三者凡退に抑えたのだった。
「も〜、なにやってるのよゆっきー。もっと懐までボールを呼び込みなさいよ」
鈴音は相変わらずファン目線の感想を呟きながらベンチへ帰っていった。
●
「さあ、今度は私の番です! よろしくお願いしますね!」
二回表、四番・ファーストの雅人。
まずは外角低めのボール球から。四番ということで、長距離打者用のリードだ。変化球中心に投げ込まれて平行カウント。
五球目。
(高め‥‥!)
ストレートを強振したが、下っ面を叩いてしまった。高く上がったが距離は出ず、セカンド芝丘のグラブに収まった。
「うぅん、ちょっとボール球でしたでしょうか‥‥?」
見極めが難しいところへ投げ込んでくるのはさすがプロということか。
連続三振は止まったが、後続もあえなく凡退し、学園チームはこの回も三者凡退。
一方、ラークスはその裏、五番のゴーンが初ヒットを放ち、一死一塁。打席は六番・桜村。
「ランナーを溜めるのも、よくない場面ですねぇ‥‥」
ネクストにいる新田は勝負強さで知られるベテランだ。
「打たせていこー!」
鈴音が檄を飛ばした。
アウトローへのスライダーを見せた後、インハイのストレートで相手の体を起こさせる。ツーボールとなって第三球。
投じたのは、外角のツーシーム。ストライクゾーンへ落ち込んでくるボールに相手は体勢を崩しながらバットを出した。
ゴロが三遊間へ飛ぶ。左手に嵌めたグラブを伸ばし、雫がボールを掬いあげた。ジャンプの勢いで体を反転させると、二塁へ鋭い送球。
鈴音が二塁上から即座に一塁へ転送、そして雅人ががっちりキャッチ。
「ナイスプレイ!」
見事、6ー4ー3の併殺プレーを完成させたのだった。
●
獅号は三回の表も三人で片づけた。
一方の恋音はワンナウト後、道倉に初球のチェンジアップを合わせられてセンター前へ。再び走者を背負う。
送りバントで二死二塁とされた後、一番・安中が意表を突くセーフティバントを見せた。上手く三投間へ転がされてセーフとなる。
二死一、三塁。打席には芝丘が入る。
(この方は、ストレート系が得意とデータが出ておりますねぇ‥‥)
だが、第一打席ではスライダーをミートされている。
(そろそろ、いいでしょうかぁ‥‥)
二球目に、ここまで隠していたスローカーブを投じた。相手は身動きしない。
速球を待っているのだろうか。ならば、もう一球──。
相手の体に当たる位置から変化させてストライクゾーンに落ちるように。絶妙にコントロールされたスローカーブが弧を描く。
だが芝丘は体を開き気味にしながら反応し、バットに捉えた。
「‥‥っ!」
ピッチャーの足下へ。恋音はグラブを差し出したが届かず、さらにボールはプレートに当たって高く跳ねた!
落ちてきたボールは鈴音が掴んだが、もうどこにも投げられない。タイムリー内野安打で、ラークスが1点を先取した。
*
「芝丘さんって結構意外性というか、時々データにない打ち方をするのよね」
最小失点で凌いだ学園チーム。ベンチで腕を組み、鈴音は一人納得顔で頷く。
「これで後はもっと打率を上げてくれれば、ちゃんとレギュラーに定着できそうなのに‥‥」
「大丈夫ですよ、恋音」
雅人が励ますように、彼女へ向かって笑顔を見せる。
「次の私たちの攻撃は一番からです。必ず逆転してみせますとも!」
「ここは、私も攻勢にでる場面のようですね」
雫も力強く言った。
「すみません‥‥よろしくお願いしますねぇ‥‥」
●
チアリーディング・コンテストによる長めのインターバルが明けて、四回表。
「皆の応援で心機一転、ここから巻き返すわよ!」
再び鈴音からの打順。
打席へ向かう鈴音は、マウンドの獅号へ向けて背中を向けた。
「この背番号が目に入らぬかっ!」
そこには大きく「22」の背番号。ラークスの正捕手・道倉の背番号だ。
「すぐそこに本人がいるのに、目に入らぬかもなにもないだろ」
「あれ?」
「おまえの番号じゃないからって僻むなよ」
道倉が愉快そうに肩を揺すった。
変化球中心でカウントが進み、2ー2の勝負カウント。
第一打席は読みがはずれた。鈴音とは対戦を重ねているので、相手も考えているのだろう。
(でもやっぱり、最後は直球でくると思うんだよね)
公式戦ではない分、道倉もより獅号の『投げたい球』を放らせるだろう。
「‥‥よし!」
狙い通りのストレート! ただし、コースは難しい外角低めに来た。
がつっと重たい感触があったが、鈴音は歯を食いしばって振り抜く。打球は一二塁間を破り、ライト前へ転がった。チーム初ヒットだ。
「ボール球だったぞ」
「打ったんだからいいでしょ。そっちこそ、外すときはちゃんと外さなきゃ!」
二番の雫。
「この回で逆転‥‥最低でも、同点には追いついておく必要がありますね」
今日は五回までしかないのだ。
しかし、ツーストライク。
(‥‥なかなかこれだけで投手の癖を見抜くというのは難しいですね)
雫相手にはまだ放っていない変化球もある。
「ならば‥‥」
来た球に対応するしかない。手の中のバットを剣と思い、向かってくるボールを敵と思えば。
決めに来たスライダーにバットを一閃、叩きつけられた打球はグラウンドで強く跳ねた。アンツーカーの際で芝丘が拾って一塁に投げたが、判定は間一髪セーフとなった。
「敵を斬るなら得意ですからね」
三番はライトフライ。鈴音が進塁して一死一、三塁となった。
絶好の同点・逆転機に観客も盛り上がりを見せる。歓声に混じってかき氷を売り歩く売り子の声も一際響いた。
「ここで打てば一躍今日のヒーロー‥‥! 試合後はサインでも握手でもハグでもキスでも何でもお答えします!」
雅人も気合い十分だ。
三球目のフォークを雅人は見送った。
(やっぱり、落ちる球も使ってくるんですね)
捕手の道倉は止める自信があるのだろう。
バットを振らなきゃボールは飛ばないぞ、とヤジも飛ぶ。
「わかっていますとも」
相手の勝負球こそ、雅人の待っているボールだった。
愛する恋音からの助言‥‥獅号は強打者との対決では真っ向勝負を好む。
つまり──ストレートだ!
膝元へ来たその一球を、雅人は肘を畳んで強引に振り抜く。高々と飛んだ打球は右中間。ど真ん中に落ちて跳ねた!
爆発する歓声を聞きながら、まず鈴音がホームイン、これで同点。
「間に合う! 回って!」
一塁走者の雫も三塁を蹴った。
「させるかっ!」
右翼の浅野、元投手の強肩がうなる。ワンバウンド送球で道倉が捕球した。
(確か、ぶつかってはね飛ばすのは禁止なのですよね)
雫はルールを思い出す。捕手も強引にブロックすることはできない。
回り込んで体を滑らせながら、右手をホームベースに伸ばす。キャッチャーミットが追いかけてきて、彼女の手の上を通過した。
「セーフ!」
審判の手が横に広がった。2ー1に逆転、雅人も二塁塁上でガッツポーズだ。
●
マウンドに内野手が集まっている。
「大丈夫、二打席抑えてるんだし。ゆっきーは固め打ちするタイプだから」
「守備は任せてください」
五回裏、ツーアウトまでこぎつけている。後一人抑えれば学園チームの勝利。
ただし、ランナーは満塁となっていた。
決定的な痛打を浴びているわけではないが、今日の暑さや変化球の多投が恋音を苦しめているのか、さすがはプロの対応力と言うべきか。
「恋音、ここは勝負を楽しんでいきましょう」
雅人が笑顔で恋音を力づける。恋音も微笑んだ。
「はい‥‥。皆さん、よろしくお願いしますねぇ‥‥」
打席の浅野は気合いが入っている。初球のスローカーブを強振、切り裂くような当たりがレフトのファールゾーンへ飛び込んだ。
二球目はボール、三球目はスライダーで空振りを奪う。追い込んだ。
(やはり、カウントが悪くなる前に決めてしまいたいですねぇ‥‥)
この局面まで取っておいた変化球で、凡退させる──!
(ゆっきー、集中してるな‥‥)
鈴音の背中を得も言われぬ悪寒が走った、直後の一球。
投じたパームボールを、浅野はしっかりタメを作って待っていた。
バットがひらめく。鋭い打球は、ショートの左!
「くっ!」
雫が横っ飛びでグラブを伸ばす。スピンのかかったボールはグラブの土手付近に当たって落ちた。スタートを切っていた三塁ランナーはホームへ。
雫は、顔の前に転がったボールを拾うと上半身を起こした。
(打者走者をアウトにできれば、この場面、得点は認められず‥‥こちらの勝ちです!)
苦しい姿勢からの送球は、僅かにそれた上にベース手前でワンバウンド。雅人が懸命に体を伸ばし、ミットを掬いあげた。
「判定は!?」
ボールはしっかりミットの中に。
審判が右手を高く突き上げたのだった。
●
試合終了、2ー1で学園チームの勝利。
「ナイスピッチング」
ベンチから出てきた獅号が、恋音に握手を求めた。
両チームの選手が整列し、観客に向けて礼をする。球場中から、惜しみない拍手が送られた。
鈴音はその中に、紘乃ら知り合いの姿をいくつか見つけて微笑む。それから、獅号へ向き直った。
「獅号さん、私たちラークスファンに、夢を見させてよ!」
「任せとけ」
この試合が、ラークス反撃の序章となった──かどうかは、また別のお話。