二〇一六年も残すところ、一日を切った。
佳澄は寮にてひとり一足先に準備‥‥のはずだったのだが。
「すみません、水無月先輩。お掃除手伝ってもらって」
「ふふ、気にしなくていいのですよ。使わせてもらうのですから、これくらいは当然です」
水無月 葵(
ja0968)は昼前から寮に現れて、共有スペースの掃除を買って出ていた。
「一応、寮の皆と大掃除、したんですけど‥‥」
しかし葵の手が入ると、見違えてきれいになるようだった。お風呂もトイレもぴっかぴかである。
「ところで、料理は結局どうするんですか?」
寮母が聞くと、代わりに葵が答えた。
「それでしたら、もうすぐほかの皆さんが──」
その言葉を待っていたかのように玄関のチャイムが鳴らされた。
*
「お邪魔しまーす!」
蓮城 真緋呂(
jb6120)を先頭に、ほかの参加者たちも次々に寮に上がり込んだ。
「結局、皆開始前に来ちゃったね。手伝ってもらえるのはありがたいけど‥‥」
佳澄がちょっと申し訳なさそうに出迎えると、黄昏ひりょ(
jb3452)が笑顔を向けた。
「春苑さんは大事な仲間・友達だもの。これくらいは当然だろ」
ひりょの言葉に、佳澄は「えへへ‥‥」と、ちょっとくすぐったそうに笑って礼を言った。
「ここが女子寮‥‥男子禁制の禁断の園──」
小田切ルビィ(
ja0841)は、ライダースジャケットの袖を掴んで一度、深呼吸。
「やっぱり空気も違って感じるぜ‥‥。こんなファビュラス()な香り漂う女子寮で年越しとか‥‥これはもう俺のジャーナリスト魂がうず(ry」
「あはは‥‥そんなたいそうなものじゃないけどね」
「おまけに寮母のおばちゃん‥‥? も綺麗だしよ‥‥裏山だぜ」
そこまで言って、ルビィは目を見開く。
「──はッ! 次回の校内新聞で各寮の『寮母さん特集』とか、面白いかもしれねェ!」
どうやらまたジャーナリスト魂を揺さぶられたらしいルビィは、「わりィがここは任せた!」と寮母を追いかけていったのだった。
*
「私はお鍋の準備をするから、キッチンを借りるわね」
「あ、じゃああたしも‥‥!」
真緋呂がキッチンに入ると、佳澄がそれを追いかける。
「包丁なら、こっここに‥‥!」
刃物も苦手な佳澄の声は、すでに震えていた。天宮 佳槻(
jb1989)が彼女の元に歩み寄る。
「トラウマ克服の為に料理をする、って悪くないですが、無理にやろうとしても続かないと思います」
「で、でも‥‥!」
包丁は佳槻が代わりに取り出した。
「ひとまず、料理を楽しんでみてはどうですか? 向こうの鍋みたいに火を使わないホットプレートや、レンジのみを使ったレシピも多数公開されています。そういうものを探してみるだけでも結構楽しいんじゃないでしょうか」
諭されて、佳澄は肩を落としたが、その分肩の力も抜けたようである。真緋呂は鶏挽き肉のパックを取り出した。
「そうそう、だから春苑さんには──」
「よかったら、あたしと一緒に作ろう?」
Robin redbreast(
jb2203)がそこへ声を挟み込んだ。
「‥‥なに作るの?」
「お蕎麦」
と答えたRobinが取り出したのは、蕎麦粉であった。
「こねよう」
*
蕎麦を打つ、というからにはキッチンは少々手狭なので、Robinと佳澄はリビングに移動した。
「お蕎麦って、自分で作れるんだ‥‥」
「作るのは初めてだけどね」
しれっと言われて、思わずRobinの顔を見る佳澄。彼女も、料理は初心者さんである。
「作り方は調べてきたから、大丈夫だよ」
リビングでは、鳳 静矢(
ja3856)とひりょが壁に飾りを吊したりして室内を華やかにしているところだった。
「あっ、それかわいいですね!」
「せっかくのパーティだ、ある程度は華やかな方がいいだろうと思ってね」
Robinが調べてきた作り方に従って、お蕎麦をこねていく。
手早く、リズミカルに、力を込めて。
「蕎麦打ちは力仕事だから、我々撃退士向きの作業と言えるかな」
と静矢が言った。佳澄は目を輝かせる。
「これ、なんか楽しいかも‥‥! こねるだけなら、刃物もいらないし」
Robinがぽつりと口にした。
「何で苦手なの?」
直球。
ひりょが思わず作業の手を止めて、佳澄をみた。佳澄は彼に笑い返す。
「ええとね‥‥」
「そっか」
事情を聞き終えて、Robinは言った。
「必要に迫られたらきっとすぐ使えるようになるし、必要に迫られてないなら、ゆっくり慣れていけばいいよ」
彼女の淡々とした物言いは、傷をさらけ出した佳澄の心に優しく滑っていく。
(あの様子なら、心配ないかな)
ひりょは佳澄の表情を見て、安堵するのだった。
*
「準備は順調な様ですね。私はそろそろ帰ります」
寮母がリビングに顔を出した。取材を続けていたらしいルビィの顔を無遠慮に押し返しながら、「後はお願いします」と佳澄に告げて寮を出て行った。
「ちェッ‥‥まぁ、最低限のコメントはとれたから良しとするか」
「お鍋の支度はだいたい出来ましたよ」
小皿を抱えた佳槻がキッチンから出てきて、テーブルに並べていく。
「ただいま戻りました」
「水無月先輩、どこへ行ってたんですか?」
佳澄が出迎えると、葵は手にしていた包みを軽く持ち上げた。
「お料理を取りに行っていたのですよ」
リビングに入り、テーブルの上で包みを解くと‥‥。
「わあ、天ぷらに、お寿司だ!」
お重の中に見事な出来映えの料理が並べられていた。知り合いの料理人に頼んであったのだろう。
「これは、豪勢になったな‥‥食べきれるだろうか」
「あ、残り物とか絶対でないから大丈夫よ」
静矢の懸念を真緋呂があっさりと否定した。彼女の言葉は後に現実のものとなる。
「あたい、帰還!」
買い出しに行っていた雪室 チルル(
ja0220)も戻ってきた。
「キワモノ系ドリンクなんかはもちろんとして、パーティーグッズとか‥‥飾り付けも買ってきたわ」
「これは‥‥クリスマスのオーナメント?」
「安かったから買ってきたわ!」
季節感とか気にしないスタイルである。
「せっかく買ってきてくれたのだし‥‥飾るとしようか。賑やかさは増すだろう」
というわけで、年越しパーティの一角に何故かクリスマスコーナーが出来たのだった。
●
リビングは賑やかに飾り付けられ、テーブルの中央ではお鍋がぐつぐつ煮えている。パーティの準備は整った。
「皆様、グラスは行き渡りましたでしょうか?」
葵が腰を上げて、各々へ声をかけた。佳澄は目の前に置かれた小さなグラスを覗く。
「これ、お酒ですか?」
「これは御屠蘇だよ」
答えたのは静矢。
「本来は年が明けてから飲むものだが、御屠蘇は薬草酒でもあるからね。胃もたれ防止も兼ねて、来年の健康を願い一献傾けるのも悪くなかろう」
未成年者の前にも、煮きってアルコールをとばした御屠蘇が置かれていた。
「それでは‥‥僭越ながら、ご挨拶を」
グラスを手に、葵が立ち上がった。
「皆様のご活躍により今年も無事に過ごせました。来年も共に躍進していきたいと思います。皆様、今日までお疲れさまでした。来年もよろしくお願いします! 乾杯!」
「乾杯!」
葵の音頭に一同が続いた。
「あ、甘くて飲みやすいですね」
「まあ、御屠蘇といっても大元はみりんだからね」
「春苑さん、ちょっといい?」
グラスを空にした佳澄を真緋呂が呼び、鍋の前に導く。
「お鍋に、鶏の肉団子を落としてほしいんだけど‥‥ほら、こんな感じで」
お手本として一つ。スプーンでたねを手頃な大きさに丸くまとめ、鍋に落とす。
電気式の鍋のおかげで火は見えないし、刃物も使わない作業だ。
「お願いできる?」
「‥‥うん、任せて!」
佳澄は喜んでたねを受け取った。
「さて、じゃあ団子が煮えるまでは俺のターンだな!」
「小田切さんが用意したものというと‥‥」
佳槻が視線を注いだ先には‥‥カップ麺が置かれている。
ルビィは自信満々で言った。
「ただのカップ麺じゃないぜ。カップ麺ソムリエを自認する俺が選りすぐった、今年の俺的カップ麺Best10だ!」
「おおー」
ひりょの合いの手にルビィは気をよくした。
「さらに! カップ麺上級者にのみ許される‥‥『チョイ足し』アイテムも各種ご用意だ!」
「‥‥それ、カップ麺に入れるんですか?」
肉団子を作る手を止めて、佳澄が聞いた。
ルビィの前に並べられているのは、ごま油・牛乳・トマトジュース・キムチ‥‥果ては納豆まで。
「端の方は罰ゲーム用ね!」
と、チルル。
「いや、どれも美味いんだぜ! ‥‥ただし、組み合わせには要注意、だけどな」
まずは無難にごま油からだな、とルビィは準備を始める。一方で、
「ねえ、お鍋もそろそろいいんじゃないかしら」
真緋呂は待ちきれないとばかりに中腰で鍋を覗き込む。
「では、皆様にお取りしましょうか」
葵が早速菜箸を手にした。
「うん、これは行けますね。定番って感じで」
「お寿司、美味しいよ」
ひりょがごま油入りラーメンを味見している横で、Robinはマイペースにもぐもぐ食べている──。
「賑やかになってきたな」
雑多な盛り上がりぶりに、静矢は緩く目を細めた。
「この時期に、このようなパーティというと‥‥以前やったクリスマスパーティを思い出すねぇ」
室内の、そこだけクリスマス仕様になっている一角を見ながら。
「あっ、子供たちを呼んだ‥‥」
佳澄がそれを聞いて身を乗り出す。
「ああ。色々あったけれどあのときも楽しい一日ではあったね」
二人で当時を懐かしんでいると、佳槻がぽつりと言った。
「僕は、パーティと聞くとあの悪魔を思い出しますけど」
「悪魔?」
佳澄はきょと、と見返した。佳槻はふふ、と笑って首を振る。
「いえ‥‥はい。今日は普通の、平和なパーティですね」
およそ平和でないパーティを開いた赤銅の悪魔の姿は、佳槻の脳裏にだけ浮かんで、消えた。
*
「TVつけてもいい? 大晦日といったらやっぱり笑ってはいけないアレよね!」
「紅白じゃなくていいのか?」
チルルがリモコンを手にしたところへ、ルビィがそう言った。
「チャンネル権が欲しかったら、あたいを倒していくことね‥‥この、さっき買ってきたそこはかとなく人生っぽいすごろくで!」
「おッ、勝負ならノるぜ!」
「罰ゲームはさっきのチョイ足しメニュー全部乗せね!」
「──こいつは負けられねェ戦いだぜ‥‥!」
チルルとルビィがひりひりする勝負を繰り広げ始めた一方、真緋呂は快調に鍋の具を減らしていく。
「くっ、俺も負けていられないや」
ひりょは頑張って真緋呂についていこうとするが、差は少しずつ確実に開いていく。もはやその背は遠くにしか見えない。
「あたしは、もうお腹はいっぱい‥‥」
佳澄は眠たげにお腹をさすっていたが。
「そうなの? この後〆に年越し蕎麦を食べるのに」
「あっ、そうだった!」
真緋呂に言われてはっと目を覚ました。Robinと二人で生地をこねたお蕎麦だ(刃物は使えないので、麺にしたのはRobin一人だが)。食べないわけにはいかない。
「じゃあ、そろそろお湯を沸かしてきましょうか」
「手伝いましょう」
佳槻と葵が席を立った。
「皆の年越しは、こんな感じなんだね」
普段より少し豪華な食事をして、TVを見て、おしゃべりして。Robinは小さく感慨のこもった声で呟いた。
「佳澄は、今回はなんで帰省しないで、年越しパーティしようと思ったの?」
「うぅんとね‥‥」
佳澄はつと考える仕草をした。
「今年は、皆にたくさんお世話になったから、かなあ。‥‥今年も、だけど。去年までは、自分で料理なんて無理だって思ってたし。学園の皆が背中を押してくれたから、やってみようって思えるようになったんだよ」
一年が切り替わる、ほんの少し特別な日を、誰と過ごすのか。
家族はもちろん大切、だけど。
絆は、増えてゆくものなのだ。
「人との出逢いって、本当に大きいわよね」
今年『お兄ちゃん』が出来た、という真緋呂も、しみじみと言う。
「どんなことも乗り越えられない事はないから‥‥きっと春苑さんも大丈夫!」
その言葉には、真緋呂自身の実感が込められている。
「皆様、お蕎麦の準備が出来ました」
葵が、ざるに取った蕎麦を抱えてキッチンからやってきた。真緋呂の耳がぴんと立つ。
「待ってました! お鍋のスープがすごく合うのよ」
ちなみに、沢山あった具材は綺麗に回収済みです。
「年越し蕎麦ね! あたいもいただくわ!」
「やっぱこれはもらっておかねェとな!」
激戦を繰り広げていたチルルとルビィもテーブルに戻ってくる。
「あのね」
そんな中、Robinが佳澄の袖を引いた。
「あたしも今年、願い事が出来たんだ。いつか故郷に帰りたい。それまでは誰かの願いを叶えるために働くよ」
籠の中のこまどりだった少女が抱いた小さな夢を聞き、佳澄はひとつ、大きく頷いた。
「きっと叶うよ」
それは、たくさんのひとの手によって。
●
年越し蕎麦もきれいに食べ終える頃には、年の瀬もいよいよ押し迫り、TVからも除夜の鐘が厳かに聞こえる時刻となった。
「さて‥‥と」
ルビィは手荷物からカメラを取り出した。
「皆で今年最後の記念写真を撮るっていうのはどうだ?」
「一年の締めくくりか。悪くないな」
静矢はふむと頷いた。「せっかくだ、外へ出て、寮の前で撮るとしようか」
寮の前に並ぶ。冷気が肌をさすが、むしろ火照った体には心地よい。
「よし、撮るぜ!」
タイマーをセットして、ルビィも列に駆け込む。ぱっと白光が閃き、二〇一六年最後の姿は確かに記録された。
「あっ‥‥零時だ」
端末で時刻を確認した佳澄が声を上げた。
「明けまして──わっ!?」
途中でパン! と派手な音。
「新年祝いの音よ!」
チルルがクラッカーを鳴らしたのだった。
メンバーは顔を見合わせて笑い、それからしっかりと向き合い、言った。
「明けまして、おめでとうございます!」
「‥‥今年もよろしくお願いします」
ひりょがはにかみつつ、付け加えた。
「‥‥さて、このまま皆で初詣に行くのはどうだ?」
「良い考えね!」
「あの、」
葵が声をかけた。
「よろしければ、女性の皆様に着物を着付けて差し上げましょうか」
その提案に、わあっと歓声が広がった。
「ではその間、僕は使った部屋の片づけをしておきましょうか」
佳槻が自然に言った。静矢もすぐに同意する。
「うむ。春苑さんを信用して使わせてくれた、寮母さんの為にもしっかり片づけておかないとね」
「星が出てるな。いつもより、ほんの少しだけ──澄んだ夜空に見えるぜ」
ルビィの言葉に、皆が空をみた。
「来年も、皆で同じ夜空を見上げることが出来ると‥‥いいよな」
彼らは学生であるから、巣立っていくものもいる。
同時に戦士でもあるから──。
(だからこそ、一つ一つの出来事を目一杯楽しもう)
そして、思い出にしていこう。ひりょは思った。
戦いが佳境を迎える二〇一七年は、ここから刻まれていく。