(こういった集会の警備に俺たちを駆り出すのは逆効果だと思うんだがな‥‥)
黒羽 拓海(
jb7256)は人知れず小さなため息を吐いた。
それはこの場に召集された全員が感じていたことだ。
彼らは容赦なく撃退士の所業を糾弾していた。大炊御門 菫(
ja0436)はその声に、勝ち気に吊り上がった眉を微かにひそめた。
(誰もが、幸せを求めている)
声に乗る危機感は、自分たちの幸せが侵されることへの恐怖からくるものだろう。
誰かと誰かの求めるものが、ある時衝突したとしたなら、どうすればいいのか。
その答えは──。
「何だ‥‥?」
小田切ルビィ(
ja0841)は背筋に寒気を感じて、警戒を強めた。強烈なシュプレヒコールが一時的に止み、デモ隊がざわついている。
咄嗟に端末を取り出し撮影の設定をしたのは、彼のジャーナリストとしての勘がものを言ったといえるだろう。だが準備ができたことといえばその程度だった。
すぐに、波が押し寄せてきた。
●
「撃退士を追い払うぞ!」
「いい気になりやがって!」
浪風 悠人(
ja3452)は強い敵意を孕んだ声を受け止めた。デモ隊の様子を観察する。
「いけませんわ」
斉凛(
ja6571)が仲間に警戒を促した。彼らはこちらへ向かっている。
ここにいるのが撃退士であると、明らかに理解している。
「ふん」
フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は彼女らしい傲慢さでもって向かってくるものたちを睥睨した。
「彼奴ら、どういうわけか我らが撃退士だと気づいたようだな?」
フィオナの状況を楽しんでいるような声を背中に聞きながら、悠人が集団へと進み出ていく。
「皆さん、戻って下さい。デモの範囲は──」
「うるせえぞ、撃退士!」
仕事としての彼の言葉は怒声に遮られた。
「第一、なんでお前らがこんなところにいるんだ!」
「我々は警備の依頼を受けてこの場に来ました」
悠人は両手を広げて抵抗の意志がないことを示したが、相手は収まらない。
「何が警備だ!」「俺たちを監視しに来たくせに!」
「皆さん、落ち着いてくださいませですの。話を」
「うるせえ!」
彼らへ声をかけた凛の、差し伸べられた手を男が強引に振り払った。男が抱えていた『撃退士独裁反対!』と書かれたプラカードが凛の顔に当たる。
それが決定的な合図となった。
拳で、足で。手にした幟、プラカードを武器に見立てて。撃退士たちへ攻撃を繰り広げ始めたのだ。
対し、撃退士たちがとった行動は、あくまでも抵抗しない、というものだった。
「わかりました」
悠人は引くのではなく、敢えて彼らの矢面に立った。
「納得いかないのでしたら、納得するまでお相手いたします」
「‥‥くそっ、いい気になりやがって!」
若い男が苛立ちを声にして吐き捨てた。
(クソッ、何がどうなってやがる?)
ルビィも暴行を受けつつ、頭の中で状況を整理する。
(そもそも今回の依頼自体、やっぱり不自然なンだ。撃退士を糾弾するデモの警護に何故、撃退士をつける必要がある?)
もちろん、理由を付けることは出来る、が。
(──俺の目には、警護に就いた『撃退士による不祥事』の誘発を狙ってる様にも見えるが‥‥)
仮にルビィたちがデモ隊の誰かに怪我でもさせたなら、その情報は瞬く間に拡散されるだろう。
そうなれば、撃退士への世間の目は確実に厳しいものになる。天界とも、冥・魔界とも、ぎりぎりの交渉を続けているさなか、その視線が足枷にならないとも限らないのだ。
(──良いぜ? 今回は暴徒どものサンドバッグになってやるぜ。但し、タダで殴られンのは御免だね)
逆に利用してやる。
今この状況も、密かに端末を通して撮影を続けていた。
(ジャーナリストの腕の見せ所だぜ‥‥ん?)
今度殴られたら、派手に倒れ込む演技でもしてやろうか──と身構えたルビィだったが。
ちょうどそのタイミングで、暴徒たちは潮が引くようにルビィから離れていってしまった。
「‥‥なんだ?」
デモ隊は大人しくなったのではない。
大半が一斉に、その矛先を悠人へ向けていたのだ。
(ちょ、ちょっと殺到しすぎ‥‥!)
理由は単純なもので、彼一人が『挑発』のスキルを使用していたからである。
天魔相手には抵抗されることも多い技だが、一般人にはその術がない。
(もう少しやんわり注意をひくつもりだったんだけど)
だが、ここで怯んではいられない。
悠人は覚悟を決め、向かってくる暴徒の集団へ、こちらから一歩を踏み出した。
「我々は、確かに人類の代表というわけではありません」
叩かれ、押され、蹴られても、悠人はまっすぐ前を向いている。
「ですが、天魔との交渉は命の危険を伴います。だからこそ、より生存能力の高い撃退士が前面に立っているんです」
「誰があんたたちにそんなことを頼んだ!」「それが傲慢だっていうんだ!」
「貴方たちの怒りはごもっともです」
あくまでも真摯に、力ではなく言葉で、気持ちを通じ合わせようとする。だが怒りに突き動かされたものたちは、悠人の気持ちを無視して、悠人に突進した。
「撃退士は、島に帰れ!」「お前たちは人間じゃない!」
罵声は轟々と唸りを上げて襲いかかる。それはもしかしたら、拳よりも酷く彼らの胸を叩いたかもしれない。
「そうだ、お前たちも天魔と同じだ!」
「つくばの悪魔とだって、勝手に密約を結んだくせに! 知っているぞ!」
*
「‥‥うん?」
拓海は相手の言い分に注意深く耳を傾けていたが、飛んでくる罵声のひとつに首を傾げた。
「‥‥ベリアルの件か」
フィオナもまた、同じ点が気になったようだ。
「彼奴ら、どこでその話を仕入れてきた?」
天魔と各所で話し合いがもたれていること自体は、ニュースなどを通じて一般社会にも通知が行われている。四国方面で天界勢と協定が結ばれたことなどは、その成果として喧伝されていることだ。
一方で、全学園生へのアンケートという異例の経緯をたどった上で結ばれた魔界の重鎮・ベリアルとの協定はまだ公にされていないはずだった。
「こりゃあ、いよいよだな」
ルビィはしたり顔をした。
「どう考えても、学園の内部に──」
「‥‥学園とて一枚岩ではないということか」
フィオナは顎先を撫でた。悠人がデモ隊の大部分を引きつけてくれているおかげで、こうした会話も出来る。
「我らが不自然にここへ駆り出されていること。そして情報漏洩。これだけでも、予測には十分お釣りがくる」
フィオナは暴動に参加せず、その場に残っていたデモ隊の一部へ視線を向けた。
「さて、この場は任せる。我はこの事態を引き起こした阿呆のツラでも見てくるとしよう」
「わかるのか?」
「我にはわかるさ。動かす側と動かされる側の空気の違いは、いくら取り繕っても隠しきれるものではない」
「俺も探すぜ。どこかで高みの見物を決め込んでるとしたら放っておけねェからな」
とルビィ。拓海は二人に向け小さく頷いた。
*
「我々は、皆さんと同じです」
悠人は毅然として訴えを続けていた。
「撃退士であっても、人間として生まれたものは、れっきとした人間です」
「お前たちが、人間だと──はっ、ふざけるな!」
プラカードを掲げた体格のいい男が目を剥いて怒鳴った。
「お前たちは、アウルとかいう特別な力を手に入れたんだろうが‥‥刃物で切っても切れないような、無敵の超人になったんだろうが! そのくせ俺たちと同じ権利まで主張するのか? どこまで‥‥傲慢なんだ!」
こんなものは、ただの言いがかりだ。
彼らの多くは知らない。あるいは、知ろうとしていない。撃退士がどれだけの血を流しながら、今の状況を導いてきたのかを。
今すぐ上着を脱ぎ捨てて腹の痕を見せつけてやったら、少しは──。
男はプラカードを、悠人に向けて思い切り叩きつけた。プラカードは持ち手からへし折れたが、悠人は眼鏡がずれただけ。
荒い息を吐いているのは男の方だ。暴力を振るい続けるのも、体力がいる。
悠人は歯を食いしばって──眼鏡を元通りに直し、言った。
「暴力に訴えかけて満足するならいくらでもお受けします。ですが、これがなんの解決になるのでしょうか。どなたか説明できる方はいらっしゃるんですか」
疲労が彼らの狂気を薄めつつあったのだろう。男たちの視線がいくつか、後方にいる中年の男の元へ流れた。
「貴方が、このデモのリーダーでいらっしゃいますのね」
凛が悠人の隣を抜け、さらに前へと進み出た。中年男──リーダーと目を合わせる。
そして凛はその背に、天界の血を引くものの証といえる、翼を顕現して見せた。
「わたくしは天使の父と人間の母を持つハーフですわ」
下手に隠さず、こちらから身を証す。相手に対して正面から向き合う姿勢を示したつもりだった。
しかし‥‥残念ながらこの場においては、刺激が強すぎたようだった。
「ひぃっ!」「て、天魔だ!」
彼女の近くにいた若い男たちが驚いて、何人かが逃げ出そうとした。
「待てっ‥‥!」
拓海が声を発したのは、密集している集団の統制が急に崩れる事への危機感からだった。
「あっ!」
案の定集団の中から、女性が弾き飛ばされるように拓海のところへ倒れ込んできた。拓海は彼女を受け止める。
「大丈夫か」
「ええ、ありがとう──」
女性は礼を言ったが、相手が今まさに攻撃していた相手だと気づくと、突き飛ばすようにしてそこから離れた。
「学園には、私のようなものが‥‥天使や、悪魔がたくさんいますの」
少しだけ落ち着きを取り戻した集団へ、凛は訴えた。
「天魔との戦いが終わっても、わたくしたちは共存していくのですわ。撃退士か一般人か関係なく、この地球に住むものとして」
「共存とは聞こえがいいが‥‥そのとき、私たち力無きものはどうなる。お前たち、幸運によって力を得たものによって支配される未来が待っているのではないのか!」
反論したのはリーダーだ。凛は首を振ると、優雅な仕草で腰を軽く落として見せた。
「わたくしは戦いが終わったら、メイドとしてお仕えするつもりですの。学園にはそういう、戦いを続ける意思のない生徒も沢山いるのですわ」
だから、撃退士による支配なんてとんでもない。凛は微笑んだ。
「──たとえ、あんたがそうだったとしても」
リーダーの態度が幾分柔らかくなっているのは、スキルの効果だろう。だが険しい表情を和らげるまでには至らない。
「あんたたちはほとんど独断に近い形で天魔と交渉を続けているじゃないか。そこに、私たちの意思が反映されているとは、到底思えないんだ」
「だったら、訊くが」
声を挟んだのは、拓海だった。
「貴方たちは、どういう未来を望んでいるんだ? 何故、このデモに参加した?」
問いかけられて、多くのものは──言葉に詰まった。撃退士に口汚い罵声を浴びせかけていたものほど。
リーダーがオホンと咳払いして口を開いた。
「交渉、ということならば、民主主義に寄って選ばれた政府が中心となって行うべきだ。もちろんそれは撃退士などではなく、人間の──」
「私は、家族を天魔に殺されたわ」
演説は女性の声によって遮られた。さきほど拓海が助け起こした女性だ。
「父は天使に。母は悪魔に。弟は、どちらかすらも分かってない。別の日に、別の場所で」
刺すような視線が、一瞬だけ凛を捉えた。
「同じ様なコトが、そこら中で起きているのよ。あんな連中と共存なんて、私には考えられない。あいつらを根絶やしにして。私が望むのは、それだけ」
強烈な、閉じこめられた意思。アウル無き自力では決して叶うことのない昏い渇望。
滲み出るようなその思いを、菫はほかのものたちとは少し離れた位置で受け止めていた。
(この場にいるほとんどのものは、力への恐怖。そして自分たちの意見が無視されている事への不安と苛立ちからここへ集い、暴徒となった)
だが、彼女のようなものもいる。理を説くだけでは、彼女の心は決して晴れない。
(彼女にも、幸せを求める権利はある)
だが、しかし。
足を前に運ぶ。
「あなたの望みを叶えて上げることは出来ない」
菫は女性に向け、正面からきっぱりとそう告げた。
「‥‥どうして?」
「彼らもまた、生きているから」
たくさんの戦場で、刃を交えてきた。生命のやりとりを繰り返してきた。
だが──交えたものは、そればかりではない。
信念がある。矜恃がある。積み重ねてきたからこそ、今がある。
「私が正しいなどと、言うつもりはない」
けれど、この歩みを止めるつもりもない。
菫は女性の脇を抜け、先へとさらに、歩いていく。
●
「見つけたぞ扇動者」
フィオナはよく通る声で告げた。
戸惑うものたちの中に混じって一人、冷笑とともにこちらを見返してきたものがいる。
「‥‥ほう」
「なッ、あんた‥‥」
黒いコートに身を包んだ男の顔は、間違いなく。
「恵ヴィヴァルディ(jz0015)──」
「そうだとも」
ルビィに名を呼ばれると、恵はあっさりと首肯した。
「意外と遅かったな」
「さっきの暴行シーンはバッチリ録画済みだ。あんたの思惑とは逆に、デモ隊のイメージが悪くなるよう有効利用させてもらうぜ」
「──ふん、好きにしろ」
強がりにしては、余裕がありやがるぜ──ルビィは内心で舌打ちした。
一方、フィオナは尊大な態度を崩さない。
「情報を漏らすほどだ。貴様とて学園にある種の不満を抱えるものであろう」
そして、日本語ではない言葉で、何かを告げた。
恵の周りにいたものたちには、彼女の流暢な外国語は理解できなかったが、
「悪いが、俺は多忙でな」
恵は意味を理解したような返事をした。
そして。
「『ステルツォ』だ」
それだけ告げて、踵を返そうとする。
「待て」
引き留めたのは菫の声だ。悠人も彼女とともに駆けつけている。
菫は告げた。
「一枚岩である筈がない、と信じている」
「ほう?」
興味をひいたらしい。
「だが──手を伸ばしてきたものたちが繋いできた縁、それが今に至る道となっている」
簡単に取り下げることなど出来ない。
今は道半ば。目指すべきは、その先にあるのだ。
「戦いをこそ、終わらせるために」
恵は声を上げずに笑った。
「俺も同じ思いだ。気が合うな」
その笑みはあくまでも冷たく。
「だからこそ──戦争は終わらせない」
今度こそ、恵は踵を返す。
「どういう事か、事情を‥‥!」
拘束しようとした悠人の技をするりと躱すと、次の瞬間には姿を消していた。
●
和解にはほど遠い。だが暴徒たちはひとまず落ち着きを取り戻し、デモは規定の時刻に解散となった。
「戦争を終わらせる事ばかり考えていて、彼らの意見というものを忘れていたような気もするな‥‥」
拓海は彼らがいなくなった後で、そんな感想を漏らした。
「それだけならば、話し合いを続けていけばいいのですわ」
凛の表情は暗い。
「それだけで‥‥終わればいいのですけれど」
これはまだ始まりに過ぎないような、言いしれぬ不安が心の隅で燻っているのだ。