今日も一日、暑かった。
‥‥いや、暑「かった」ではない。暑い。いまも。なう。
とっくのとうに日は落ちたというのに、今も立ってるだけで汗が滲んでくる。湿度の高い、日本の夏の夜である。
時刻は、午後九時を過ぎている。
警備員に簡単に周辺について教えてもらった後、一行は件のプールへと足を運んだ。
「広いプールだね」
借り受けた懐中電灯でざっと照らした黄昏ひりょ(
jb3452)は、素直な感想を述べた。「今は‥‥まだ天魔の姿はないようですね」
黒井 明斗(
jb0525)がひりょの照らした先をのぞき込んだ。
「プールに巨大な蛇‥‥どうやって入って来たんだろうか‥‥」
陽波 透次(
ja0280)は独りごちながら、周囲にそびえるフェンスを見上げる。
「夜のプール! なんだか素敵ですね!」
まじめに状況を観察している生徒たちの横で、春苑 佳澄(jz0098)ははしゃいでいた。
「ホントに泳ぐ気なの?」
その横で念押しするように六道 鈴音(
ja4192)が尋ねたが、佳澄ははっきり頷いた。
「はい、だって、暑いですから!」
もう我慢できません、と佳澄は上着の裾に手をかけると、一息にめくりあげた。あまりに大胆な行動を目にしてひりょが声をうわずらせる。
「ちょっ、春苑さん!?」
「大丈夫、水着着てるから!」
佳澄はそのままの勢いで下も脱ぐと、シンプルなセパレートの水着姿になって一直線にプールへ駆けていった。
*
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)はプールサイドを歩きながら所々で意識を集中した。
「ふむ‥‥ひとつじゃない、か」
何箇所かで、生命探知に反応があった。その数がすなわち天魔の数であるとは断言できないが(猫や鼠がいるかもしれないし、天魔には抵抗されているかもしれない)、警戒しておくに越したことはない。
反応のあった地点からは少し距離をとり、ジェンティアンは水面にダイブした。
「‥‥私は、天魔が泳いだプールで泳ぐのはちょっとごめんだけどなぁ」
プールで泳ぐ佳澄の姿を懐中電灯で照らしながら、プールサイドに座る鈴音は呟いた。
「その割には、水着は着てるのね?」
と言ったのは雪室 チルル(
ja0220)。鈴音は学園指定水着を身につけていた。
「まあ、戦闘で濡れるかもしれないしね」
「うん、それってすごく大事なことだと思うな」
水の中からすいっと近くに寄ってきたジェンティアンが、真顔で頷いた。
「‥‥といったところで、雪室ちゃんは水着着ないの?」
さりげなく振ってみたが、チルルは全く意に介さずにふふん、と胸を張った。
「あたいの今日の目的は、こっち!」
光纏した彼女がその手に顕したのは、長い剣身を持つ大剣だった。
「あたいのニューウェポン! 初お披露目よ!」
チルルが剣をかざすと、鍛え上げられた白銀の刃から凍てつく光が散った。遙か北の地で輝く極光の如きオーラを纏った、冷たく冴え渡った強さを感じさせる剣である。
「今日はこれで、天魔をズタズタにしてやるんだから!」
瞳を爛々と輝かせ、剣を突く動作を見せるチルル。早くもやる気満々である。
「春苑さん、一緒に泳ごうよ」
「ひりょくん」
(襲われたのは侵入した学生だって話だし‥‥こっちもそれらしくした方がいいよな)
あまり準備万端で待ち受けていたら、相手も警戒して出てこないかもしれない。
「春苑さんの水着、可愛いね」
「えへへ、そうかなあ?」
そんな考えもあって佳澄の水着姿を誉める。佳澄は照れ笑いしつつ、後ろへ泳いだ。
何かにぶつかる。それは、水上に立つ──足。
「あたっ」
「あ、すみません」
頭上から声が振ってきて、それは透次であった。水上歩行でそこに立っていたのだ。
「こっちこそ‥‥暗いから気づかなかったよ」
佳澄はそう言ってから、小首を傾げた。
「でも、人が立ってるところを泳いでるって‥‥なんか変な感じだね?」
「ふふ、そうですね」
佳澄と透次は笑いあった。ひりょもつられて笑ったが、ふと自分の右腕に何かが絡まる感触があり、腕を上げる。
「‥‥なんだこれ?」
水を含んだ布のようであるが、暗くてよくわからない。
「どうしたの?」
そこへ鈴音が懐中電灯の光を当てた。浮かび上がるのは、三角形の、白い──。
「それ‥‥水着じゃない? 女性の」
ジェンティアンが言った。そう、それは間違いなく女性ものの水着だった。
水着を見ていた全員の視線が、佳澄に流れる。
「あ! あたしは、ちゃんと穿いてるよ!」
佳澄が赤面して叫んだ直後、明斗が警告を発した。
「影が通りました!」
その一声で、空気が変わる。「あがろう、春苑さん」ひりょが佳澄の腕を取った。既に弓を構えている明斗は、プールサイドへ向かう佳澄とひりょが襲われないように目を配っている。
透次の視線も自然とそれを追う。彼が地面の代わりに踏みしめている水面が、ぼこりと盛り上がった。
「──っ!」
しぶきを立て、大蛇が飛び上がった。透次を呑み込もうとする勢いで大口を開き、ばくりと閉じる。
だが蛇が呑んだのはプールの水の他には残像ばかりであった。透次は常人離れした瞬発力によって紙一重で奇襲を躱したのだ。
鈴音の懐中電灯が大蛇の姿を捕らえた。
「蛇型か。この手の天魔退治は、私けっこう得意よ」
戦闘開始だ。
●
「うわあああああっ!」
あられもない悲鳴が暗闇を揺らす。発したのは、透次だ。
蛇の奇襲を躱した後、彼は反撃することなく大蛇から背を向けた。そのまま逃げるように水上を際まで駆ける。
(‥‥よし、追ってきてる)
ただし、背後の気配は冷静に探っていた。再び水中に潜った影は透次を追ってプールサイドへ流れる。
「あたいも行くわよ!」
チルルは召喚したスレイプニルの背に飛び乗った。まだ手に馴染みきっていない氷剣の感触を確かめるように一度大きく振るうと、馬竜を駆って水上へ。透次へ迫る影を追う。
「一匹とは限らない、皆注意して」
ジェンティアンがそう警告した直後。
チルルの足下から、また別の蛇が飛び上がってきた!
「こいつっ!」
大蛇は長い体を利用し、召喚獣ごとチルルに絡みついてきた。氷剣を振るって引き剥がそうとするが、密着された状態では長いリーチが活かせない。そのうちに左腕を締め上げられる。
痛みに思わず顔をしかめたチルルのすぐ傍で、爆発が起きた。ジェンティアンのファイアワークスだ。直撃はしなかったが、驚いた蛇が顔を離したところを、明斗が弓矢で狙い撃つ。アウルの矢が蛇の顔付近に突き立った。
チルルはスレイプニルに高度を上げさせた。剣の柄頭で何度か殴りつけると、大蛇はようやく剥がれて水中に落ちた。また派手な水しぶきがあがる。
鈴音がしぶきの根っこに狙いを定めた。
「くらえ! 六道呪炎煉獄!!」
いきなりの奥義。かつて邪悪な大蛇を灼いたと伝わる炎が水をものともせずに眼前の蛇にぶち当たったが、そのまま伝承通りとはいかず、蛇はまた水中に潜ってしまう。
「‥‥なんか手応えがあやしいなあ」
鈴音は不満げに唇を尖らせた。やはり、水からあげてしまった方がいいのだろうか。
透次、チルルが二匹を引きつける間に、ひりょは佳澄とともにプールから上がった。
「春苑さん、敵が水からあがるまでは援護をお願い」
「‥‥わかった!」
ひりょは自身にタウントをかけ、敵をおびき寄せようと試みる。既に姿を見せている二匹とはまた別の蛇が水中から鎌首をもたげると、高圧の水を吐きだしてひりょを撃った。
「ひりょくん、平気!?」
佳澄はピストルを撃ったが、当たらなかったようだ。
「ああ‥‥でも、何とかプールから追い出した方がいいね」
(‥‥三匹か。これで打ち止めかな?)
ジェンティアンはプールサイドで注意深く状況を観察していた。水中を泳ぎ回る影は三つ、これ以上増える様子はない。
「あんまり明るくしたら相手が出てこない可能性もあったけど、ね」
既に出てきた後ならば、いつまでも相手に付き合ってやる理由はない。
口角を上げ眼鏡を持ち上げ、ジェンティアンはスキルを発動した。
暗闇に、星が降りてきたかのような輝きが生まれた。
ジェンティアンを中心としたその光は、プールの半分以上から闇を押し退け、さらに。
「蛇が‥‥!」
水の中の大蛇は、明らかに光から逃げるようにして、プール内の残された闇の領域へ移動していた。
「どうやら、夜行性というだけでなく、光を苦手とするようですね」
と明斗。
「へえ‥‥てことは、もしかしてこの状態の僕って無敵?」
ジェンティアンはおどけるように言ったが、その直後、蛇の一匹が一瞬だけ首を巡らせ、水鉄砲を放ってきた。
「っと、さすがにそれは虫が良すぎたか!」
だが、光が相手の行動を制限できることは間違いない。ジェンティアンは自身から光を溢れさせたまま、蛇を追い込むように移動を開始した。三匹の蛇は光に押され逃げる。そうしながらも、水中から頭だけを出して、通路に立つ撃退士へ水を撃ち出した。
「いまだ‥‥行こう、春苑さん!」
ひりょが角度をつけて放った光の衝撃波が蛇の首に決まり、大蛇の体を半分ほどプールサイドに乗り上げさせた。
「たあっ!」
再び水に入れさせまいと、佳澄がタイミング良く掌底で追撃する。蛇は体全体が水からでたばかりか、上半身を草むらに面したフェンスに勢いよくぶつける。
そこへさらに、水上を駆ける透次が三の太刀を放った。赤い光が水を切って走り、蛇を強かに打ち据える。すると大蛇の全体重を乗せたフェンスはあえなく荷重の限界を超え、ベキベキと音を立てて外側に倒れた。蛇はそのまま草むらに逃れる。
「逃がさないわよ!」
鈴音がすかさず倒れたフェンスを越えて外へと降り、透次もそこに続いた。
「あたしも‥‥わっ!?」
二人を追いかけようとした佳澄だったが、別の一匹が放った水流を浴びてしまった。
「いったあ‥‥」
とは言ったものの、思ったほど痛くはない。
「敵は一匹ではありませんよ。もっと周りを見なくては」
佳澄の近くでそう声をかけたのは、明斗だった。
「もしかして、いま助けてくれた?」
「それは後です。‥‥ほら、また来ますよ!」
明斗はプールを見据えて構えた。ジェンティアンの輝きに押された蛇の一匹が、チルルに追い立てられている。
「ほらほら! あたいが穴だらけにしちゃうんだから!」
チルルはスレイプニル上で大剣を振り回し、さながらカウガールのように蛇を追った。プールサイドまで追いつめられた蛇は、チルルに向かって水鉄砲を放つ。
「なんのっ!」
剣の腹で水圧を受け止め逸らすチルル。その隙にひりょが再び衝撃波を撃ち込んで、大蛇を陸の上に引っ張り出す。
明斗はアウルで生み出した植物の蔓でもって、大蛇を縛り上げた。蛇皮に棘を食い込ませて強引に動きを押しとどめる。
大蛇がまた水を撃ち出した。佳澄を狙っていたが、傍へ来ていたひりょが身代わりになって防ぐ。
なおも大蛇は身をくねらせ、束縛の蔓から抜け出そうとした。が。
身動きを取り戻すより早く、チルルの突き込んだ大剣が喉頸を食い破ったのだった。
「威力は抜群! さすがあたいの氷剣ね!」
*
草むらに降りた鈴音と透次だったが──。
「思った以上に草が深いですね‥‥」
蛇は体が大きいとはいえ、校外ということもありほとんど手入れが為されていない草むらはこの時期伸び放題である。
「まだ気配はするわね。逃げてしまったわけじゃ──」
符をかざして周囲を警戒する鈴音は、水着の上に魔装を羽織っているような格好だ。彼女の健康的かつ女性らしい太腿は露わにされたままだった。‥‥そこへ、
にゅむ。
「ぅひぇあっ!?」
ひんやりぬるりとしたなんともいえない感触に、鈴音は思わず素っ頓狂な声を上げた。草陰から襲いかかった大蛇は鈴音の太腿の間から顔を出し、そのまま彼女を締め上げようと全身を纏わりつかせる。
「六道さん!」
透次はすかさず大蛇に飛びかかり、鈴音を救出しようと刀を振るった、のだが。
「‥‥あれっ」
鈴音がいない。
「よくもやってくれたわね」
別の方向から声がして、透次と蛇は同時に首を向けた。
凛々しい眉を怒らせて、鈴音が立っていた。瞬間移動だ。
「今度こそ‥‥ケシズミにしてあげる。六道呪炎煉獄!!」
透次が体を離した直後、劫火が激しく吹き荒れた。
*
進退窮まった残りの一匹は水中で方向転換し、輝きを放ったままのジェンティアンめがけて突撃してきた。
「僕からあふれ出す魅力に我慢できなくなったのかな? ‥‥冗談だけど」
どのみち水中では逃げきれない。ジェンティアンは盾を構えた。
「プールで女の子たちが泳げないとか、夏に対する冒涜だよね」
真顔である。
しかし蛇には伝わるはずもなく、水中で口を大きく開き、ジェンティアンを食いちぎらんとした。
「女子高生の為に! 痴蛇飛ぶべし!」
接触の瞬間アウルを放出しつつ、ジェンティアンは盾を上方へと振り抜いた。
派手な音としぶきがあがり、大蛇が上空へと打ち出される。
「もらったわ!」
そこへ追撃をかけるのは、馬竜を駆りしチルル。
上空へ追いかけ氷剣を一閃させると、大蛇は二つに折れちぎれ、別々のしぶきをあげたのであった。
●
「あたいの氷剣に貫けぬものなし! 今日は上々の成果ね!」
戦闘を終えて、チルルは上機嫌である。
「うう、なんかべたべたする」
「だからプールでもう少し泳げば──」
「天魔の死体が浮いてるプールは断じてごめんよ」
鈴音は佳澄とそんな会話をしつつ、一行は最初に集まった警備室へ戻ってきた。
「皆さん、お疲れさまでした」
一足先に戻っていた明斗が出迎えて、全員にタオルと、温かいコーヒーを配っていく。
「夏でも濡れたままなら風邪をひきますからね」
「ありがとう!」
佳澄は礼を言って受け取った後、もう一度「ありがとう」と言った。
「戦闘の時も、助けてくれたよね」
「当然のことをしたまでです」
明斗は自身もコーヒーを啜りつつ、穏やかな様子だ。
「ひりょくんも、いつもありがとう」
「俺に出来ることは、ああいうことだからね」
仰ぎ見られて、ひりょははにかむように微笑んだ。
(今日は、春苑さんも自信になる戦いが出来たんじゃないかな)
彼女がいつも通りの明るい笑顔でいることに小さな安堵を覚えつつ。「皆で強くなっていこうね」ひりょは、小さく呟くのだった。
「これでやっと気兼ねなく、春苑ちゃんや六道ちゃんの水着を堪能できるね!」
もう一人、ジェンティアンも晴れ晴れした笑顔であった。
「‥‥六道先輩はともかく、あたしの水着じゃご褒美にはならないんじゃないですか?」
佳澄は言ったが、ジェンティアンはまるで動じず、言うのだった。
「女の子の水着に貴賤はない。須く尊いものなんだよ」
*
戦場となったプールは、天魔の死骸の撤去や壊れたフェンスの補修に数日を要したものの、使用が再開されたあとはトラブルもなかった。
男女問わず多くの学生たちが利用したという。