「待ちかねたぞ」
赤銅の悪魔・レガ(jz0135)は、確かにそこで待っていた。
呼びかけるその様はこれからいたずらを始める子供のような、見ようによっては無邪気ともいえるその表情。
「今日はとことん楽しもう。──君たちも当然、そのつもりだろうな」
撃退士たちを順に見据えていく。その視線に睨めつけられて、藤沖拓美(
jc1431)は身体が武者震うのを感じた。
「トンでもねぇ舞台に上がっちまったな‥‥」
ここは間違いなく、殺し合いの場だ。それを改めて理解して、拓美はレガにも、自分の頬の印にも負けないほどに口の端を吊り上げる。
「へっ、スゲェじゃねぇか。やってやるぜ‥‥」
「贋者の椿さんを斬って、思ったよ‥‥お前が俺を分かっていないように、俺もお前を分かっていなかったって」
君田 夢野(
ja0561)が、一歩前に出た。
「正直、お前の事は嫌いじゃなかった。ただ、分かり合うことはできなかった」
レガはほんの少し、笑みを納めて夢野を見ている。
「だから、最後だけは分かり合おう。──その為の言葉は、刃とアウルの他にはあるまい」
夢野は言葉を切ると、立ち上る光纏の色を濃くした。炎の如きアウルが勢いをあげて噴出すると、その手に武器が顕れた。
「一度だけ見せたよな‥‥大刀【響】」
夢野が身の丈を遙かに超えるその魔具を構えると、ディアボロたちが一斉に身構えた。もちろん、撃退士たちも油断はない。
(戦場の空気は、めいっぱい引き絞られた弦のよう‥‥放たれるのを待つばかり、かねぇ?)
九十九(
ja1149)自身も弓をもち、敵の動向を見定めようと集中している。
「本当に尊ぶべき戦いの為の魔具、これがお前への最期の“言葉”だ。
赤と黒の刃を以て、俺はお前と訣別する。
交響撃団団長、君田夢野──推して参る!」
「来たまえ」
夢野の堂々たる口上と、呼応したレガの短い言葉が、戦いの皮切りとなった。
*
敵味方が双方一斉に動き出す。
「出し惜しみせず一気に行くぞ‥‥!」
撃退士で真っ先に飛び出したのは二名、夢野と、鳳 静矢(
ja3856)
リザードの矢を払いのけつつ距離を詰め、ほとんど同時に武器を振り抜く。
静矢の【緋晴】から紫鳳が舞い、夢野の【響】から音の衝撃が迸った。
それぞれの方向から飛んだ衝撃波は並んだリザードを薙ぎ払い、その奥の巨人に達する。巨人は身じろぎせず、代わりに左手に持っていた分厚い盾が青い光を放って衝撃を受け止めた。
「続くのです!」
Rehni Nam(
ja5283)のコメットは中空から無数の彗星を落とす。上空の鴉天狗を巻き込むには範囲が足りないが、行動の牽制にはなるだろう。
(空の敵は分散しているな)
鈴代 征治(
ja1305)は鴉天狗をちらりと見やったが、それらが集合する気配はない。
「それなら‥‥」
範囲攻撃の狙いを、地上のアサシンウルフに定める。灰色毛皮の狼は、レガの周辺に集まっていた──が、征治が魔法を放つより早く、狼の周囲に白煙が立ちこめだした。
ウルフどもが潜行を始めている。
そう察知した征治だったが、狙いは変えずにコメットを発動した。彗星は周囲の識別なしに、ウルフたちがいたであろう範囲へ落ちてゆく。オーガーの持っていた盾が、また青い光を放った。
撃退士が範囲攻撃を集中するなか、レガも前進した。
「私も、今日は出し惜しみなしだ」
「来るぞ!」
向坂 玲治(
ja6214)が叫んだ直後、彼を含む複数の撃退士を巻き込んで爆発が起こった。耳をつんざく轟音が鳴り響き、土埃が一息に舞い上がる。
「‥‥スゲェ威力だな」
拓美はライフルを持ち味方を援護射撃していたためそこには巻き込まれなかったが、魔具魔装を現出するために多大な生命力を削っている彼などは、まともに食らえばひとたまりもない。
だが、それで怯むというのも道理ではないだろう。彼とて望んでこの戦場に立っているのだ。
「藤沖さん、うちは右から狙うのさぁね」
九十九が声をかけてきた。彼は仲間の攻撃で瀕死となっているリザードに視線を送っている。
「ってこたぁ、俺は左だな!」
「任せていいかねぃ?」
「ああ、もちろんだ」
拓美が請け負うと、九十九は小さく頷いてみせてから駆けていく。拓美も再びライフルを構えなおした。
「よし‥‥いくぞオラァ!」
レガの起こした爆発で、動けなくなるものはいなかった。
「あまり固まりすぎるなよ、また狙われるぞ」
玲治は周囲に声掛けすると、自身はさらに前へ。
「さて‥‥相手してもらおうか」
敢然とレガの前に立つと、長槍を手に不敵に笑った。
龍仙 樹(
jb0212)は巨人に魔法書の一撃をたたき込むと、一旦距離を詰めた。
そうしなければ、声が届かないからだ。
「レガ、あなたに提案があります」
返事より先に、悪魔の指先が向けられ光線が飛んできた。樹はカオスレートを中和して、痛烈な挨拶をやり過ごす。
「悪いが、今は忙しい」
「いいえ、聞いていただきます」
にべもないが、樹は引き下がらなかった。
「今回貴方に勝ち、その時に貴方が生きているならば、二つ約束をしてくれませんか」
返事はない。樹はそのまままくし立てる。
「一つは以降人類に手を出さない事、もう一つは天界と戦う際に共闘する事」
レガはこちらを気にしていない風で玲治を牽制していたが、ちゃんと話を聞いていることは樹にも分かった。
「どうですか?」
「私を束縛するのはなかなか難しいぞ。群馬にいたころはトゥラハウスをよく嘆かせていたものだ」
「‥‥全力に貴方に挑み、討ち倒せたならば、それくらいの勝者の役得はあっても良いでしょう?」
樹の挑むような言葉と目線。それらを受けて、いつしかレガの口元は楽しげに歪んでいた。
「そうまで言うなら、まずは私を倒して見せろ。私に『参りました』と言わせてみせるのだな!」
「‥‥分かりました」
すでにレガは樹に注意を向けていないが、樹は胸に手を当て頷いた。
「私の全力をもって‥‥貴方にそう言わせて見せます」
「ほむ、なんだかはぐらかされたような気もしますが‥‥」
やりとりを聞いていたRehniは、冷静な感想を漏らしつつ。
「交渉決裂、というほどでもなかったのです。敵をただ減らすなら一人分、味方に変えられるなら二人分。悪くない交渉だったのじゃないです?」
「私たちのやることは変わらないか」
「そうですね。まずは目の前の敵、なのですよ」
静矢と言葉を交わすと、視線の先に聳えるようにして立つ巨人を見据えた。
*
(素晴らしい提案だ!)
亀山 絳輝(
ja2258)は樹に喝采を送りたい気持ちだった。
(もしそうなったら‥‥毎日ありもしない着信履歴を気にする必要もないし、何より会いたくなったら堂々と会いに行けるしな!)
まぁ、個人的には『屈服させてみせろ』などと言われているのだが──。
(“いつまでに”とは言って無かったしな、うん)
それはこの場を乗り切ったあとで考えよう。
「よし、私も全力で支援するぞ」
そう声に出し、絳輝は戦いに意識を戻す。乱戦になりつつある戦場を駆け抜けながら、絳輝はアサシンウルフが最初にいた辺り──今は白煙が立ちこめている──に意識を向けた。
(──二つ!)
生命探知に反応があった。そう認識した次の瞬間、煙の中から灰色の固まりが一つ飛び出してきた。あるいはサーチされたことに気付いたのかも知れない。
「このっ!」
弾丸のように、絳輝の喉笛目指して凶悪な牙をひけらかす狼。彼女は十分に引きつけて、逆にその太い首に組み付いた。こちらも無傷とはいかず、肩を切り裂かれて鮮血が散る。
しかし痛みを感じている暇はない。絳輝は左手に用意していた香水の瓶を、狼の鼻面めがけて思いっきり叩きつけた。
瓶が砕けて中の液体が飛び散ると、きつい臭いが鼻ばかりか目に染みるようだ。
人間の絳輝がそうなのだから、嗅覚の鋭い彼らにはたまったものではないのだろう。「げほっ、げっほ」
おもわずむせながらも、絳輝は怯んだ狼に今度こそ攻撃をたたき込む。まともに腹に受けて狼はさらにのたうつ──だが、息の根を止めるには至らない。
さらに、白煙の中からもう一匹。今度はつかまえられず、二の腕を爪で切り裂かれる。
「‥‥あれ」
香水を浴びた狼もくしゃみをしながら起きあがろうとしている。気が付けば一対二の構図。
これはまずいかも──と思ったところへ、彗星群が落ち穿った。
コメットを放ったのは征治だった。
「単独行動は危ないですよ」
範囲攻撃を撃ち尽くした征治はランスを振り出しつつ言った。
「そのようだな──援護、感謝する」
絳輝は若干ひきつった笑みで礼を述べる。
「討ち漏らすとまた面倒ですからね。この二体は確実に仕留めましょう」
「ああ、位置把握は任せろ!」
*
「うおおっ!」
夢野の気合いとともに迸る、音の刃がレガを襲う。レガは身を低くして衝撃波をすり抜け夢野へ襲いかかろうとするが、遮るように彼の眼前で炎が爆ぜた。
「こっちにもいるぞ!」
放ったのは山里赤薔薇(
jb4090)。
悪魔は声に応えて、光線を打ち込んできた。すかさず赤薔薇は身構える。彼女を守護する竜が啼いて、光の軌道を強引に弾き変えた。
(レガの拳は、今は光っていない‥‥)
様子を観察しながら、赤薔薇は口元を引き結んだ。
物理と魔法、いずれの技も使うレガだが、格闘技に魔力を練り込むときには拳が発光するようになる。
今はそうなっていない。となれば、近接技は物理攻撃だ。
空いている手が無意識に己の腹をさするのを、赤薔薇は感じた。
「あの時とは、違うんだ」
自らを叱咤するように声に出し、眼光を鋭くして悪魔へと立ち向かっていく。
赤薔薇を認識したレガだったが、接近することは玲治が許さなかった。
玲治は積極的にレガへ近接し、その動きを制限しようと試みる。レガに組み付くようにすると、アウルを解放して周囲に爆発を引き起こした。近くにいたリザードが一体、巻き添えを食らって吹き飛ばされる。
「アートは爆発だ、ってな」
「芸術という顔かね、君は」
「そいつはお互い様だろ」
軽口を言い合いながらも、レガの打撃は容赦なく玲治を打つ。玲治は巧みに槍を繰って受け流す。
そこへ、夢野が踏み込んできた。身の丈を超す大剣の刃を押しつけるようにしてレガにぶつかっていく。
夢野と零距離で顔を突き合わせたレガは、不意にきょとんとした表情で彼を見た。
「随分と思い詰めた顔をしているな。そんなことでは大怪我をするぞ」
「‥‥何?」
夢野が気色ばむと、レガはふっと笑って見せた後、力を込めて夢野を弾き飛ばす。
レガは飄々とした態度で夢野を見下ろした。
「気合いが入っているのは喜ばしいが、せっかくの戦いだ、もっと楽しみたまえ‥‥彼のようにな」
不意に水を向けられ、玲治は一瞬驚いたように唇を曲げた。
「俺はあんたと縁もゆかりも、まぁ、それほどあるわけじゃないからな‥‥」
が、すぐに元の表情を取り戻す。
「とはいえあんたは俺らの敵で、俺らはあんたの敵だ。闘うには十分すぎる理由だろう」
「シンプルで素晴らしい考えだ」
レガは玲治を賞賛すると、改めて夢野を見やった。
「君とは長い付き合いになったが、それで戦いの本質が変わるわけではないからな」
言い終わると、レガの拳に淡い緑色の光が灯った。
「さあ、続きといこうか」
(拳が‥‥)
赤薔薇はもちろん、その変化に気付いた。今ならば、彼女の龍壁をもってすればレガの格闘攻撃も捌ききれるはずだ。
ファイアワークスの範囲の中心に悪魔を確実に収めるため、今一歩踏みだそうとする。その時、撃退士を押し返そうと圧力をかけるジャイアントオーガーが、レガのいる右手側へ踏み込んできた。
これ以上寄ってこられては面倒だ。赤薔薇は巨人の下半身を包むようにして、眠りを誘発する霧を作った。
●
「私たちのやることは変わらないか」
「そうですね。まずは目の前の敵、なのですよ」
そのやりとりを交わした直後、静矢は巨人の足下から飛び上がるようにして刀を振り抜き、敵の身体を縦に長く切り裂いた。盾で防ごうとしする巨人の動きは決して熟達したものではなく、静矢からすればかいくぐるのはそれほど難しいことではない。
だが、単純な力はやはり図体に見合ったもので、巨人は痕から鮮血を吹き出しながらも、巨大な杖を易々振り上げ、静矢へと叩きつけた。静矢は何とか身体をひねりながら攻撃をいなすが成功とはいかず、浅くないダメージを負う。
するとその直後──杖の中心にある珠が白く発光した。出来たばかりの巨人の胸の傷が見る見るふさがっていく。
「そんな‥‥おかしいのです!?」
「どうしたのですか?」
思わず声を上げたRehniに、こちらへ合流していた樹が尋ねた。
「先ほど、シールゾーンを使ったのです。手応えはあったのですが‥‥」
「しかし、今のは明らかに回復の技‥‥」
「だから、おかしいのです」
Rehniは怒ったように言った。別に樹に怒っているわけではないが。
「ふむ‥‥怪しいのは、あの光る珠だな」
静矢が背中越しの二人に訴える。
「何か特殊な魔具なのか、詳細は分からないが‥‥おっと!」
上空から火球が飛んできて静矢を狙った。
「鴉天狗‥‥!」
樹が空を見上げる。三体の鴉天狗は撃退士たちが初手に放った範囲攻撃からほぼ逃れ、今も上空を飛び回っている。
「あれも何とかしないといけないのです」
忌々しげに空を見上げるRehni。今日のメンバーに長時間飛行できるものはいない。放っておけば大きな被害に繋がりかねなかった。
Rehniと同じように、鴉天狗へ不穏な視線を送るものがあった。九十九だ。
「弓師として、空を飛ぶ敵を自由にさせておくわけにはいかないねぇ」
調息して気配を沈め、弓を引き絞る。敵が攻撃しようと高度を下げてきたところへ、狙い澄ました一撃。
──だが、天狗を地上に叩き落とすはずの矢は巨人の盾が放った青い光によって防がれた。
「ダメだ、あのデケェのが邪魔してやがる!」
スコープから目を離して、拓美が言った。スキルもそうだが、あの巨体の裏に隠れられるとそもそも狙撃がしづらくなるのだ。
「チャンスはあるはずだねぃ」
ジャイアントオーガーががくんと膝を崩したのは、まさにその時だった。
*
赤薔薇の作った霧に捕らわれ、オーガーは唐突に膝をついた。腕も力なく垂れ下がり、杖と盾が地面につく。
これぞ好機と、九十九は巨人のすぐ上にいた鴉天狗を狙う。
だがそのとき『盾だけが』唐突に持ち上がり、青い光で矢を弾いた。
「今の‥‥!」
「ああ、間違いない」
静矢が確信を持った眼差しで、はっきりと頷いた。
「回復と防御の技は、巨人が使っているのではない‥‥あの杖と盾、おそらくはそこに埋め込まれた珠にその力がある」
そして顧みると、声を張り上げる。
「皆、手伝ってくれ。まずはあの珠を砕く!」
静矢の号令で、一斉に攻撃を集中させる。
「オラオラァ、さっさと砕けやがれ!」
拓美もライフル射撃を撃ち込み、やがて杖の中心にある白い珠が砕けた。
そして静矢の神速の一撃が、盾に埋まった青い珠を砕く。要を失った盾は生命を失ったかのように唐突に色あせた。
九十九はそれを見届けると、つがえた矢の先を空へと向ける。
「随分と大きな顔をさせたねぃ‥‥しかし」
鴉天狗は、今は意識を取り戻したオーガーの巨体を盾に、九十九の射線から逃れようとしていた。
しかし、九十九にはさしたる障害にはならなかった。
「弓師(うち)を相手にして、いつまでも空を自由に出来ると思わないことさぁねぃっ!」
糸引くように進んだ矢は、巨人をすり抜けるようにして天狗を穿ち、今度こそ地上へ落として見せたのだ。
地に落ちた天狗に、九十九が追い打ちをかける必要はなかった。
絳輝とともに二体のウルフを討ち果たした征治が、敵陣後方から舞い戻って追撃したからである。
そのことを確認すると、九十九は再び空へと視線を向ける。
「この調子で残りも早いとこ落とすのさねぇ‥‥藤沖さん、狙いを合わせていくのさぁね」
「ああ、‥‥こっちも負けてらんねぇぜ!」
拓美も九十九の後方で、負けじと銃口を上げるのだった。
その後もオーガーは、何事も無かったかのように巨杖を振るっていた。珠が砕けても、鈍器としての威力はまだ十分に持っている。
とはいえ、今や巨人はただ頑丈で力持ちなだけの、ディアボロの一体に過ぎなかった。
静矢が引きつけて樹とともに生命力を削り取る。こちらの負傷はRehniが範囲回復で癒す。この三対一の構図を切り取ってみれば、もはや撃退士の優勢は明らかだった。
●
夢野の大剣が何度めか、レガの身体を傷つけた。あちこちから血を流して、しかし悪魔の動きは全く衰えない。むしろ表情は明らかに活き活きと血の気が増していた。
魔力を纏わせた拳で、夢野へ反撃を放つ。そのまま踏み込みもう一撃──。
「させるかよ」
だが、玲治が割り込んでこれを防いだ。その隙に、夢野は自身の傷を癒す。
さらに、雷撃が一直線に迸ってレガを撃った。障壁を生み出してこれを防ぐと、レガは攻撃の主──赤薔薇を見やった。
飛びかかってくるか、と赤薔薇が身構えるが、ここでも玲治が視線に割り込んだ。
「君もなかなかしつこいな」
「それが役割なんでな」
短い言葉のあと、玲治へ突き飛ばすような蹴りが飛んでくる。これも魔力を帯びた一撃だ。槍の柄で攻撃を受け止めはしたものの、衝撃で一歩、二歩と後ずさる。
「たいした頑丈さだ。どこまで保つのか、楽しみだな」
「ははっ」
レガの言葉に、玲治は笑い返して見せた。
「ようやく、エンジンがかかってきた‥‥」
身体の傷が煙を上げて塞がっていく。レガはそれを見てまた楽しそうに目を細めた。
レガの動きは、概ねこの形で夢野、赤薔薇、そして玲治が抑えていた。それが出来ていたからこそ、まず周囲の雑魚を減らすという戦術が機能したのである。
地響きの音は、巨人が膝から崩れる音だった。血に濡れた【緋晴】を手に、静矢が傍らに立っている。
「周りも片づいてきたな」
つと動きを止めて、夢野が言った。
「楽しい公演も、そろそろフィナーレだ。決着を付けるとしよう」
刀身が白光に染められ、まばゆく輝き出す。夢野は【響】を正面に掲げた。
「全てを終わらせるべき一撃は、この他には無い!」
白刃に、ありったけの紅を乗せ、夢野は駆けた。
長きにわたり戦い、語らい、時には酒を酌み交わした。戦いの高揚も、未だ理解しきれない、釈然としない心のしこりも。
今は全てをこの大剣に纏わせて、レガへと振りかぶり、
叩きつける。
光は溢れんばかりの音を生み、旋律をなしてレガを切り裂いた。レガが満足そうに微笑むのが見えた気がした──その直後。
紅を纏う白光を押しのけるようにして中央から、黒いオーラが夢野へ延びた。それはレガがそうされたのと同じように、夢野を切り裂く。
その時夢野は確かに聞いた。旋律が駆け抜けるのを──。
(そうか‥‥これが、お前の──)
光は互いに交差して相手を飲み込み、先へと走り抜けて消えた。
*
夢野は道路に仰向けに転がっていた。大量の血がべっとりとアスファルトを濡らしている。
レガもやはり夥しい量の血を流していたが、彼はまだそこに立っていた。
「ふ‥‥ははは」
レガは身体を揺すって笑った。笑うとそこが痛むのか、右のわき腹の辺りを手で押さえる。
「ははは‥‥はははははっ!」
だがそれでも悪魔は笑うことをやめなかった。周囲一体に響くほど声が大きくなると、身体が赤く光を放ち、傷が見る見る塞がっていく。
「いけない‥‥立て直されますよ!」
樹が叫んだ。夢野はぴくりとも動かない。
「私も相手をさせてもらおうか」
反対側から静矢が迫っていた。レガが振り向く。その頃には、静矢の両腕は明暗それぞれに深い彼の色──紫に染め上げられていた。
「真っ向から行かせてもらおう‥‥この太刀を受けられるか!」
紫鳳凰天翔撃。
長きにわたる鍛錬の成果を、言葉通りにまっすぐ、逸れることなく赤銅の悪魔に打ち込んだ。悪魔は障壁を出して防いだが、刃はそれを乗り越えて彼の右胸を骨ごと砕いた。
もう一人レガに肉薄したのが征治である。
(お前は学園生にとって危険すぎる)
それは征治の中ではすでに確信だった。
会話が出来るようでいて、心が通い合うようでいて、決して分かり合うことはない。
(これ以上浸食される前に──!)
槍を握る手に力が入る。光と闇が混ざり合って混沌を生み出し、全てを砕く力として武器の先端を染め上げる。
狙いは頭だ。今度こそ。
征治は歯を食いしばり、渾身の力を込めて突いた。レガは右手を上げたが、障壁は出なかった。槍は右腕の肉を貫き、骨にぶち当たった。
「ぐぅううっ‥‥!」
両足を踏ん張って、征治は唸った。奥歯が砕けるのではないかというほどに食いしばり、力を込める。
やがて、骨の砕ける感触が伝わってきた。
*
Rehniは、倒れた夢野の元へ向かっていた。
重傷なのは遠目からでも分かったが──。
「キミタさん!」
声にはまるで反応しなかったが、ひゅうひゅうとかすれた呼吸音をかすかに感じることが出来た。
「しっかりしてください──」
Rehniは手を組み合わせ、祈るようにして力を込めた。
*
二方向から相次いで強力な攻撃を受け、レガの動きは止まっていた。だがいずれも、致命傷には届いていない。
(今しかない)
樹は静矢の背中から右に抜けて、征治と逆方向へ。レガはまだこちらを見ない。
「護る為に剣を取る‥‥これが私の全力、護る為の一撃です!」
信念とともに生み出された白銀のアウルは騎士の形となり、その手の剣でレガを斬り裂いた。無防備になっていた左のわき腹から一気に血が吹き出す。
夢野の技を受けた直後よりもさらに傷を負い、レガは──。
「ふふっ、ふ‥‥ははは!」
また声を上げて笑った。翼を広げ一度強く羽ばたくと、その勢いで後方へ大きく一歩逃れ、左手で地面を示した。直後に爆発。
もちろん、仕留め切れなければ反撃が来ることは全員想定していた。征治がレガの逃亡を防ごうと、後方へ回り込むのが見えた。
樹はニュートラライズで攻撃をやり過ごした。このときの為に一回分残しておいたのだ。
今のをもう一撃、レガへと叩き込めれば──その時こそ、まさしくおとぎ話の終わりへ辿り着く。
「ウルフ二匹、左右から来てるさぁね!」
九十九の警告は、その瞬間に発せられた。建物の隙間から、残っていた二体が飛び出してくる。。
素早く反応したのは、玲治と赤薔薇。玲治は身体をぶつけるようにして左からの突撃を押さえ込み、赤薔薇はスリープミストで右のもう一体を無力化した。
リザードファイターは少しずつ増援があったが、それはいま拓美が必死で抑え込んでいる。
これ以上邪魔する敵はいないはず──。
右手に建つ、このあたりでは唯一の背の高いビル。その裏手からもの動く影を認めたのは、九十九がそう認識したすぐ後だった。
「もう一匹──三本足さね!」
せっぱ詰まった警告に、反応できたものは多くなかった。
「ヴィアか!」
唯一絳輝だけが素早くシンボルの光を放ち、ブラックウルフの残された後ろ足を狙う。だが、動きを止めるには至らない。
機会を待ち続けていた闇色の狼は、もっとも近くにいた樹へと背後から襲いかかった。
「ぐぁっ‥‥!」
肩を深く噛み千切られたが、樹は悲鳴を押し殺す。
まだ意識は保つ。もう一撃、今度こそ終幕の一撃を──!
反対方向からさらに衝撃を受けた。それがなんだったのか知覚する暇もなく、彼の残された意識は吹き飛ばされた。
「ふふ、はははっ」
樹を中段蹴りで吹き飛ばしたレガは、ヴィアには目もくれず踵を返した。次に狙われたのは玲治。
すでにシールドスキルを使い切っていた玲治は、それでもレガの攻撃を踏ん張って耐えたが、レガはなおも玲治に向けて光線をとばした。
玲治は魔法に灼かれながらも笑みを浮かべていたが、彼の視界は急速に狭まっていった。血を流しすぎたのだ。
「くそ‥‥楽しそうな面、しやがって‥‥」
玲治が意識を失う直前に見たレガは、本当に満ち足りた表情をしていた。
静矢と征治はなおも切り込む。静矢の瞬翔閃はレガの翼を斬り裂いたが、征治の突撃は割り込んできたヴィアによって阻まれた。
「どけ!」
征治に獣らしい唸り声をあげるヴィアに、背後から絳輝が取り付く。
残っていた香水瓶を鼻面に叩きつけようとするが、相手もそれは警戒していたのか、うまく躱されて瓶は道路に落ち割れた。
「お前とも中々長い仲だな」
親しげに声をかける絳輝を、ヴィアは戦闘態勢を崩さず見据えている。
レガが続いて飛びかかったのは、赤薔薇だった。
笑みをたたえて掴みかかってくる。赤薔薇がその手をいなすと、続いて腹部を狙った蹴りがとんだ。
(来た!)
脇を締め、身を屈めて確実に内蔵を防御する。軽い体は衝撃に浮き上がりそうになったが、赤薔薇は耐えた。
「レガ、あなたの強さは私の目標だった」
苦汁を舐めさせられても、いやだからこそ。
超えるべきものとして。
レガの頬を、銃弾がかすめた。
「へっ、どうだコラァ!」
ライフルを構えた拓美の声。レガの目線がちらと流れたのを、赤薔薇は見逃さなかった。
「私達、人間の底力を思い知れ、レガぁ!」
至近距離で光が閃き、赤薔薇の魔法が炸裂する。
そこへ静矢が背後から右の翼を斬り飛ばし、征治が側面から右胸を突いてその身を繋ぎ止める。
そして──。
夢野が声もなく振るった大剣が、腹部を刺し貫いていた。
「‥‥なんと、まだ動けたのかね」
振り返ったレガは目を見開いてそう言うと──ついにその場に膝をついた。
●
夢野が剣を引き抜くと、どろりとしたどす黒い血が大量に溢れた。
「おいレガ、しっかりしろ!」
血相を変えて飛び込んできたのは絳輝だ。
「もういいだろ、お前の負けだ」
樹の意識は回復していないが、交渉の内容は周りが覚えている。レガが敗北を認めれば、それは人類に協力することに同意したことになるはずだった。
だが、レガは言った。
「何を言っているのかね」
左手が地面を噛んだ。起きあがろうとしている。
「私は今、まさに、至上の悦びを味わっているのだ‥‥邪魔を‥‥するな」
「何言ってるんだはお前だ! そんな状態で、お前‥‥このままじゃ」
「レガ」
顔の前に屈み込んで、赤薔薇が問いかけた。
「交渉に応じる気は‥‥ないの?」
レガは顔を上げた。
「この程度では‥‥まだまだだな」
「そう」
赤薔薇は少しだけ顔を伏せた。
「とにかく、回復を‥‥」
身を乗り出そうとした絳輝を遮るように、槍穂が突き出された。
「交渉は決裂しました」
征治ははっきりとそう言い切った。
「こいつは僕たちの敵ですよ、亀山さん。あなたの行動を認めるわけにはいかない。それ以上何かするなら、実力で排除します」
その表情に嘘や脅しは一切無かった。絳輝はぐっと口元を結び、固まってしまう。
「武人として潔く死を選ぶというのなら、それを尊重するのもいいんじゃないです?」
(それなら元の予定通り収まるだけですし)
Rehniが諭すように言った。後半は絳輝を刺激しかねないので、心の中で。
「武人の美学なんか知るか」
絳輝は泣き声で言った。
「私はこいつに生きていて欲しいんだ。それだけだ」
なあ、なあと、レガに懇願する。
「生きて、死なないでよ‥‥!」
声はひきつりかすれ、やがて言葉にならなくなっていく。
「絳輝」
すると、レガが呼びかけた。
「命の価値は、すなわち魂の価値だ」
「魂の‥‥?」
何を言っているのかわからず、絳輝は鸚鵡返しする。
「君たちはそこのところがよく分かっていないようだな。あれの魂は‥‥美しかったぞ」
レガは右肘を使って半身を起こした。征治たちが緊張するなかでレガは左腕を伸ばし──絳輝の胸をどん、と突いた。
殺意も敵意もない行動だった。絳輝は押されるまま後ろに尻餅をつき、レガは反動で仰向けにひっくり返った。
「君の魂のかたちはまだまだだ、絳輝。‥‥もう少し磨いてから、また来るといい」
言いたいことはそれだけの様だった。絳輝は呆然と、レガの横顔を見つめていた。
*
戦いの音はほぼ止んだ。静矢と拓美は羽生と連絡を取り、ゲートの破壊に向かっていた。
再び赤薔薇がレガの顔のところにやってきて、耳元に小箱を置いた。ふたを開くと、ぽろぽろと静かなメロディが流れ落ちてくる。
「どう、レガ?」
前に渡したものとは違う、質素で小さなオルゴール。
レガは返事をしなかったが、口元はかすかに緩んでいるようだった。
「楽しかったか、レガ?」
もう動けないのであろう悪魔に向け、夢野が問いかけた。
返事は聞くまでもないだろう。これほど満足げな表情をしているのだから。
「俺も楽しかった」夢野は微かに笑った後で。「だが、それ以上に虚しさが残っている」
──結局、俺はお前のことが嫌いにはなれなかった。
純粋に情熱的に戦いを求めるお前を、本当の所俺は気に入っていた。
「それを、自らの手で殺すんだ‥‥だから、俺は戦いに厭いたんだよ」
レガのか細い返事が返ってきた。
「‥‥不思議な男だな、君は」
そういいながらも、どこか腑に落ちる声だった。
オルゴールの音が止んだ。
「なんだ」
レガは呟いた。
「もう終わりか」
●
(本当の所、俺とお前は分かり合えたのかな? ──あの一瞬だけでも)
夢野は空をみた。そこに日射しを遮る結界はすでになく、他所と変わらない青空が広がっている。
「ありがとよ、レガ。
色々あったが、お前と椿さんと、あの双子と────
その全ては、俺の血肉になる」
三月の末、桜の花びらが関東を美しく染め上げる、その幾日か前の出来事であった。
<了>