燃えさかる炎が、紅く自身を照らす。
そんな光景を、幼き日の少年もまた、呆然と見つめていた。
逃げまどう人々の声は方々へ散り、取り留めもない。そんな中、明らかに自身へと向けられた声もあった。
「不吉な子」
謗る声は、ナイフより深く彼の心を抉っていた。
*
(そういえば春苑さん、前に料理を一緒に作った際、山へキャンプに行ったときだったか‥‥。火と刃物は使えないって言ってたっけ‥‥)
春苑 佳澄(jz0098)の話を聞きながら、黄昏ひりょ(
jb3452)は過去を思い返していた。同時に、自身の心に深く残る傷跡も。
どちらも随分前の事のような、つい最近の事のような‥‥振り返れば、すぐそこにある出来事のようだ。
などと考えながらふと横を見ると、隣に座った長田・E・勇太(
jb9116)の顔面が蒼白になっていた。
「あたしの話はこれで終わりだけど‥‥どうしたの?」
佳澄も勇太の様子に気づいた。勇太は佳澄の頭のもう少し先を見るようにしつつ、呟く。
「おばあちゃん‥‥」
「おばあちゃん? あたしの?」
佳澄の話に頻出していた単語だ。
勇太は顔色はどんどん悪くなっていく。
「おばあちゃん‥‥ババア‥‥」
「そんな風に呼んだら怒られちゃうよ」
佳澄が諭すように言ったが、勇太はそれどころではない。
その単語こそが、彼のトラウマを呼び起こすものだったからである。
「最初の出会いは雨だったネ‥‥」
勇太は誰に促されるでもなく語り出した。
「ミーは最初は薄汚いストリートキッズだった。マフィアの末端で、旅行客から金をかっぱらって逃げるみたいなことをヤッテタヨ──」
ある日、いつものようにターゲットを探していたところに目を付けたのが彼女であった。
たかが老婆一人、ひったくるにもスるにも楽な相手だ──道端に生っている果実をもぐくらいの気楽さで、少年は老婆へと近づいた。
それが決定的な分岐点だった。悪夢の始まりネ、と彼は表現した。
少年は仕事に失敗したばかりか、逆に老婆にとっつかまって半殺しの目にあった。
そうして連れて行かれた先で──
「そこからは、毎日、周りのソルジャーたちと訓練の日々ネ。地雷原に放置されたり‥‥敵地の真ん中で、囮として置いてこられたり‥‥」
何度と無く死を覚悟した日々を思い返すうち、勇太の両手は傍目からも分かるほど、ぶるぶると震え始めていた。
「あのババアはニンゲンじゃないネ‥‥ホント、ニンゲンの皮を被った悪魔ダヨ」
「へえー‥‥」
自分の祖母とギャップがありすぎて想像が追いつかないのか、佳澄はぽかんとして聞いていた。
「あと、銀行強盗の人質になった時があったケド‥‥結局、ババアの部隊に救出されてからこっぴどく叱られて、き●●まをナッツみたく割られそうになったのは、納得いかないネ‥‥」
「き?」
「そこは聞き返さなくていいから」
問い返した佳澄を浪風 悠人(
ja3452)がすかさず制した。
「とにかく、おかげでババアは駄目ネ」
「うーん、じゃあ、あたしのおばあちゃん紹介してあげようか? 勇太くんのおばあちゃんよりは優しいと思うし‥‥あっ、くるみの殻を割るのは得意だよ!」
佳澄の他意無き発言に、男性陣の一部がきゅっとなった。
「きっと同じネ‥‥どんなに人当たりが良さそうでも、ババアというだけで背筋が震えてしまうからネ」
勇太は力なく首を振るのだった。
●
「次は、あたしなのです‥‥良いですか?」
勇太の話の後、口を開いたのは、明るい赤の髪を愛らしくサイドテールにまとめた少女、川崎 ゾーイ(
ja8018)。
「あ、でも」
ゾーイは明るい様子で人差し指を立て、
「あたしの話はグロ注意なので苦手な方はお気をつけて、なのですよ?」
と物騒な前口上を述べたのだった。
「あたしの怖いものは、人から流れる血なのです」
ひとつ、声のトーンが落ちた。
「それよりも怖いのは家屋に押し潰されるシーンや身体の一部が消えるシーンなのです。そういうシーンが出る映画やマンガを見ると、光纏していても気絶するので」
「見ただけで気絶するっていうのは、なかなか壮絶だな」
「ミーはババアを見ても気絶はしないネ‥‥もっとも、それは気絶なんてしたらそのまま永久に目覚めないことになりかねないからダケドネ」
悠人や勇太が口々に言った。ゾーイはほんの少しだけ口元を緩めた。
「原因は、判っているのです‥‥」
彼女の故郷は、天魔の襲撃を受けた。
天使か悪魔か、それは判らない。「おかげで恨めもしないのですけど」彼女は寂しげに笑った。
炎の音と熱、爆発音。日常が恐怖に塗りつぶされていく。彼女は弟の手を握り、両親とともに家から逃げようとしていた。
大きな音が響いた。先に行け、と声がした。早く、と。
弟とともに玄関から飛び出した直後、家が倒壊した。
「パパとママは、押し潰されました」
感情のこもらない声で、淡々と語る。
受け入れ難い光景を目の当たりにした彼女は、弟の手を引き、必死で逃げた。だがあるところまで来たとき、突然に。
バンッ──
繋いでいた手に力がなくなり、彼女は振り返った。
腕はあった。両足もあった。だが首から上はまったく残されていなかった。
血がドロドロと垂れ流されていた。
「‥‥そんな訳で、当時の記憶を思い出すシーンは気絶レベルで苦手なのです」
語り終えて、ゾーイは小さく息を吐いた。語り出す前の明るい様子は影を潜めている。
「戦いの時はどうしているんだ?」
それまで聞き役でいた川内 日菜子(
jb7813)が問うた。
「それは‥‥無理矢理抑えているのです」
胸元に手を当て、呻くような答え。
「他の方の補助と防御に徹して‥‥自分にできる範囲で何かしたいのですよ。感謝への連鎖を繋ぐために。悲劇の連鎖を断つために」
「どうして今日、来てくれたの? 話すのも辛そうなのに‥‥」
今度は佳澄が問うた。
するとゾーイは、左手を差し上げた。薬指に、指輪が光っている。
「婚約したので、本当の自分と向き合いたくなったのですよ」
「‥‥婚約!」
「わあ、おめでとう〜」
佳澄が目を丸くし、星杜 焔(
ja5378)が祝福を述べた。それを皮切りに、しばらく場の空気が華やいだものとなる。
「そろそろ前に進まないといけないと思ったのですよ」
ゾーイも明るさを取り戻して、そう言うのだった。
●
「みんな、なにかしらトラウマってものは持ってるものだよな」
幾分くだけた空気の中、悠人が口を開いた。
「‥‥まあ、トラウマの数ってことなら、そうそう他の人に負けない自信があるんだけど」
ふふり。眼鏡が曇る。
悠人は、学園に来てからしばらくの不幸話を、かるーく皆に紹介した。詳細に書くとそれだけでリプレイ一個完成しちゃうので省略するが、佳澄あたりがぽかーんと口を開けて聞き入るくらいの分量だった。
何しろ、彼は『THE 不幸』の称号をほしいままにする不幸王である。別に望んでそうなった訳じゃない。断じてない。負けない自信なんてホントはいらない、でも不幸の連鎖は止まらない。ああ。
「さすがに俺も、たいていのことなら後々ネタにして笑いに換えたりできるようになったけど」
眼鏡の位置をなおして、悠人は表情を引き締めた。
「‥‥ひとつ、あるんだ。命に関わったレベル」
二年と少し前。
その戦いに、彼は妻とともに臨んでいた。
本来の目的はゲートコアの破壊とディアボロの撃破。だが展開の綾という奴で、いつしか彼はコアを消失させないよう死守する立場になっていた。
妻にはディアボロの相手を任せていた。彼女にその力があると思ったし、自分も役割を果たせると思っていた。
「‥‥でも」
次の言葉を発するまでに、悠人は奥歯を噛みしめなければならなかった。
「俺は、全く無力だったんだ」
コアを破壊しようと迫るヴァニタスを相手取るうち、妻はディアボロの群の中に沈んだ。彼女を守る余裕など全くなかった。そればかりか。
「コアを守ろうと身体を投げ出した俺を──そいつはコアごと串刺しにしたんだ」
作戦は失敗に終わった。
守ると決めたコアを守れず。愛するものを守れず。己の身すら守れず。
後に幸運にも目を覚ました彼を襲ったのは、果てしないまでの無力感だった。
「見てくれ」
悠人は上着の前を開けて、腹を見せた。
「傷‥‥なのです。その時の?」
ゾーイの言葉に頷いてみせる。遠目にもはっきりと判る、大きな傷跡。
「この傷を見る度、今もあの時の戦いが、無力さが、頭から離れない。他のことは笑い話にできても、これは‥‥まだムリだ」
これは彼が『不幸』だから起きた出来事ではない、己の選択が招いた結果だ。彼自身その自覚があるからこそ、恐れているのだ。
●
「じゃあ次‥‥ひりょくんは?」
「俺?」
佳澄に水を向けられたひりょはつと考えて、
「高所恐怖症なんだよな」
と言った。
「そうなんだ? それも小さい頃の出来事とか‥‥?」
「いや、特に何かあったという記憶もないんだけど、どうもダメだったんだ。幼少期、育った孤児院では高所に登る経験もあまりなかったな」
佳澄はそれ以上追求しなかったが、ひりょは穏やかな笑顔の裏で考えていた。
(‥‥それよりも、もっと心が辛かったからかな)
その光景は、彼の心に仕舞われたままである。
「星杜くん」
「トラウマか〜」
続けて振られた焔は、ゆっくりと記憶を漁るように呟いた。いつもと変わらぬ笑顔のようでいて、よく見ればその目は日の経った魚の様に濁っていた。
「鯖の味噌煮が‥‥トラウマ‥‥かな‥‥」
「サバ?」
佳澄と同様に、周りのものも皆きょとんとした。
焔は死んだ目のままで、独り言のように語る。
「鯖の味噌煮の味と香りが‥‥とても嫌な体験と関連づけされてしまってね‥‥」
「そういえば、星杜くんの鯖の味噌煮って、食べたことないかも」
佳澄に限らず、彼と交流のあるものならば知っているだろうが、彼の特技は料理で、趣味は餌付けである。
「もともと得意料理だったし好きな料理だったし‥‥克服できると良いのだけどね‥‥」
ガスマスクをつけてなら調理自体はなんとか、と焔は言った。
「嫌な事と鯖の味噌煮はまったく別のこと! ってなれたら一番良いんだけどねぇ‥‥」
焔は『嫌な体験』については語らなかった。
ただし、それはトラウマから逃げているという事ではなく。
(けがれなき佳澄ちゃんの耳に入れるのは憚られるからね‥‥)
なお気になる人は、過去の報告書を漁ってみると何か発見があるかも知れない‥‥。
●
「じゃあ、最後。日菜子ちゃん」
「ああ。‥‥私は幼少の頃、蛇型のディアボロに丸呑みされたことがあってな‥‥」
それ以来、は虫類は大の苦手なのだという。
「直前にアウルに覚醒したこともあって大事には至らなかったが、それがなければ万一に生き残ったとしても、トラウマ以上の傷を刻んだだろうな」
しかしその時の出来事は、今の日菜子を形作る大事なピースになってもいる。
そして、そう語りながらも日菜子は、大きな目を開いて話を聞く佳澄に対して後ろめたさを感じていた。
炎を恐れるという佳澄に、彼女は自らの炎をぶつけてしまった事があるからだ。‥‥もちろん、やむを得ない形ではあるが。
「日菜子ちゃん?」
「‥‥なあ、春苑」
触れられたくない心の傷。それは今日ここに集まった全員が抱えている。
だからこそ。
「それは、本当に治療する必要があるモノなのか?」
「‥‥え?」
トラウマに立ち向かう。克服する。それは己の心身をすり減らす行為だ。
その辛さがわかるからこそ、日菜子は敢えて聞いた。
「料理とはなにも火や包丁を使うものとは限らないし、これまでもそれを避けながらも、日常生活を送ってこられたのだろう?」
傷に触れないようにして生きていくというのも、立派な選択肢だ。
「確かにネ‥‥ミーも話をしただけで、まだ手の震えがとまらナイ‥‥精神安定剤の服用が必要ネ」
と、勇太。
「日菜子ちゃんは‥‥」
佳澄は、問い返した。
「また蛇のディアボロが出てきたら、どうするの?」
「同じ状況になれば、二の足を踏んだりはしないさ」
即答した後で、日菜子はつと視線を逸らした。
「だがそれは‥‥『更に強い恐怖』があるからだ」
光の中、跪く少女。仰向けに倒れる少女。
拳を振るった自分。力が足りない故に、力に頼るほか無かった自分。
幼い記憶を塗りつぶすほどの、彼女の本当のトラウマ。
「根性とは、何もない空間から生まれ出るモノじゃない」
日菜子は再び佳澄を見据えた。
「それでももし克服したいというのなら、是非ワケを聞かせてくれないか?」
「あたし、自分がすごく弱いんだって、最近分かったの」
恥ずかしそうに、佳澄は言った。
「強くなりたいって、ずっと思ってたけど‥‥楽な道があったら、そこに逃げちゃう人間なんだ、って。でも、それじゃあダメでしょ? また日菜子ちゃんや星杜くんたちに、迷惑かけたくないもん」
「春苑‥‥」
「強くなる為には、立ち向かわなくちゃ」
「そうだね」
悠人が頷いた。
「俺もそう思うよ」
「それに、あたし‥‥もうすぐ二十歳になるんだよ」
あと二ヶ月ほどである。
「大人になったら、料理くらいきちんとできるようになりたいもの!」
「いいんじゃないのです?」
ゾーイが言った。
「あたしもそうですけど‥‥自分と向き合うきっかけは、そう何度もあるわけじゃないと思うのです」
「佳澄ちゃんの『こわい』が聞けて‥‥克服したいっていう気持ちが聞けて、よかったよ」
そう口にしたのは、焔。
「俺にできる事は協力したいと思うし‥‥他のお友達もそうなんじゃないかな」
その言葉には、ひりょが頷いた。
「辛い事って、確かに乗り越えるのは自分だけど、一人で乗り越えようとすると凄く辛くて、苦しくて‥‥。でも不安なときに、そっと寄り添ってくれる人の存在は凄く大きいんだよな」
ひりょは、己の経験と重ね合わせつつ、そう振り返る。
「簡単なことから少しずつハードルをあげて‥‥達成できたことがあったら、皆で喜んで。そうして一歩ずつ踏み出していく。そんな感じな気がする」
「もちろん、私も協力は惜しまないつもりだ」
追いかけるように、日菜子も言った。「動くコトしか能のないこんな私でもよければ、だが」
佳澄は、華が咲くような笑顔を見せた。
「ありがとう、皆」
「テレビでさ、お母さんが遠くで働く子供にお弁当を作る番組があって、俺は好きなんだけど‥‥」
焔の目に生気が戻っている。
「そんな感じで、佳澄ちゃんが何か手作りの食べられるものを作って送るまでを目標に、挑戦してみない?」
「で、出来るかな」
「最初は簡単なものから始めてみたらいいんじゃないかな?」
「うん、前にもちょっと教えたけど、刃物や火を使わない料理もあるからね〜」
*
佳澄は、トラウマ克服へ向けて動き始めた。
次にこのメンバーで会うことがあれば、その時は今よりちょっと強くなった自分でいたいと、そんな願いを胸に秘めて。