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淡い藍色の空が闇夜を溶かす。どろり、と夜の色を溶かしていく陽光を見るにはまだ早い時間に撃退士らは山間のトンネルへと足を踏み入れる。
『<――トンネル>』
随分寂れた場所に在る所為か、トンネルの名前は削れ落ち、読みとれない。
「やれやれ、朝は弱いんだけどな」
欠伸を噛み砕き、眠たげな眼を擦った平山 尚幸(
ja8488)は銃器を握りしめ共に行動する仲間の顔を見遣る。
ぼんやりとトンネルの入り口を見上げた志堂 龍実(
ja9408)の目は寂しげに細められる。
「棄てられた犬……か、本当は普通の子だったんだろう……」
黒い瞳を伏せる。一見クールにも見受けられる彼はその実、情に熱い。だからこそ、其処に存在する犬の事を思って、胸を痛めたのだろう。
じゃり、と土を踏みしめる。桐ケ谷 クラン(
ja4837)は小さく伸びをした。まだ朝にも届かないその時間。闇にまどろむのを隠さずに彼はマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)の横顔を見つけた。
彼女の任務への忠実な想いと相対して明るい雰囲気を纏っているクランの首でシルバークロスのペンダントが揺れた。
「都市伝説ねぇ…。全く、人騒がせなワン公だ。わざわざこんな時間に出てこなくていいのに」
どうせならば、もっと眠気が無い時間が良い。――嗚呼、何て言っても聞いてもらえない事など分かっているのだが。こんな時間であるならば眠くて何もできやしない。
――その逆側。丁度出口辺りで高峰 彩香(
ja5000)は首を傾げる。
日中に付近に到着していた彼女はこの近くでその都市伝説のもとになり得る物が無かったかと周囲を散策してきたのだが、特に見つからずそれを疑問に思っていたのだった。
「何かを探してる風ってのは何かあるのかな」
――何か。彼女らが討伐するディアボロ。都市伝説だとひそやかに噂される其れは何かになぞられた物語なのだろうかと首を傾げる。この世界に蔓延る都市伝説は常に何らかの物が噂となる。考えるよりも先ずは動け。全ては行動になぞられる。彩香の金の瞳がす、と細められる。
その何か、を見つけられないかと未だ暗い空の下、彼女は周囲を見回した。
「何で、夜明けなのかなあ?」
周 愛奈(
ja9363)は首を傾げる。その言葉に彩香も頷いた。何故だろう。其れが何かのヒントになるのか。其れは解らずじまいだが、愛奈は眠たげながらもぐっと拳を固める。
「――何でかは解らないけれど、危険なディアボロを放っておく訳にはいかないの」
愛ちゃんも手伝うよ。幼い少女であるというのに何故もこう頼もしいのか。黒霧 風斗(
ja0159)は共に行動する年若い少女の背中をじっと見つめた。
「都市伝説、何か元があると思ったんだけど」
「幽霊、って割には、人間じゃないんだねぇ」
考察を続ける彼女らに神喰 茜(
ja0200)は不思議そうに眸を瞬かせる。人を襲う獣。こんな都市伝説と言えば口裂け女しかり『そう言った』人間的な恐怖が絡むものなのだが、全くもって人が絡まない。真に怖いのは生きた人間だと言う。其れが何であるのか、茜らには分からずじまいだった。
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二手に分かれた彼らはゆっくりと獣の咆哮響くトンネルへと足を踏み入れる。その咆哮は呼び声か。誰かを探す様に、朝と夜の溶けあう時間に彷徨う黒き犬。
「――何かを探している様……と言いますが、何を探しているのでしょうね」
嗚呼、そんなこと考えてはいけない。思索した所で其れがディアボロであるということには変わりないのだから。
飼い主を探しているのでは、と簡単に思いついた。そうだとしたら、救えないし、救われない――
目を凝らしてトンネル内の様子を尚幸は探った。車がぶつかり拉げた非常通路の手摺。
タイヤ痕、ライトがちかちかと目を刺激する。
此処で昔事故が無かったかを調べてきた彼だが、最近は犬に襲われたんだ、という事例が多く過去の事件は埋もれてしまっているように思えた。
「暗いな……」
周囲を見回しながらも龍実はナイトビジョン越しに一つの黒い生物を捉えた。
其れはクランも一緒。
「でも、まあ、躾のなってねぇワン公にはお仕置きが必要だな……」
人を襲うとなれば其れは変わる。レイピアを握りながら彼はゆっくりと前を向く。嗚呼、其処に居るのはうち捨てられた惨めな犬。
「愛ちゃんは皆のお手伝いをするよ」
微笑んだ幼い少女の手には携帯電話が握られていた。先に犬に出逢ったら直ぐ様に対応できる様に、という物だ。
ふわり、と彼女の周囲に漂う淡い光。まるでそれは蛍の様に、周囲を漂う。
元から動物好きである風斗は犬の事を思うと、胸を痛める。誰にも喋らずにはいるが埋葬するために来た。何かを探しているならば、見つけてあげたいとも思う。
けれど、このまま朽ち果てるなら――
「今日で下らない都市伝説も終わりだ」
頷く。彩香の調べてきた情報の中には見つからない伝承。もしかすると本当にただ、捨てられた可哀想な犬なのかもしれない。日中に訪れたトンネルの内部は早朝になるとこうも雰囲気が変わって見えるのか。
ペンライトで照らされた光が、何かを捉えた事に茜は顔を上げる。眸を細めて太刀を握りしめる。さあ、切ろう。
常の少女の笑みが、戦に飢える戦士に変わる。剣鬼たるその姿。
赤い首輪を揺らしながら犬が牙をむく。その闇にも溶けそうな黒い体。
息をのんだクランはレイピアで犬の素早い右手を防ぐ。
「ッ――、犬の癖に中々やるなっ!」
もしもディアボロでなければ相棒にして遣りたかった。嗚呼、それは称賛。
なんという称賛だろうか、否、それは称賛に隠した残酷な言葉。
ならなければ、よかったのにね。
犬は吠える。
鎖が犬の体を抑え付けた。マキナの金の瞳が細められる。犬が何かを探していたも、犬が何かを得ようとして居ても、其れであっても彼によった理不尽が、不条理が、誰かを苛むと知っているから。
ならば、其れを退けよう。全て、亡き者に。渇望する、強さを。終焉を。
「援護は任せて――ッ!」
目の前の黒い犬よりも一回りは小さな犬が図鑑から生み出される。
犬の体へとまとわりつく幻想犬は愛奈が生み出した物だった。
少しでもいい、前衛の助けになれば。彼女の望みは前衛の助けとなること。
「ッ、動きが、早い!」
急に動くその犬に龍実はレイピアを構えなおす。戦場は困惑していた、ぐるりと周囲を囲まれた犬の唸り声がトンネルの中で木霊する。
大きく響き渡る声に眉間に皺を寄せながら斬る。
「動きが早くたって――!」
学ぶより慣れろ! 全てを穿て。少女の炎と風が犬の体を弄ぶ。
彩香の金の瞳に映り込む炎が、赤が。風が、青が。二対が喰い込んでいく。
弾丸が、撃ち抜かれる、何度も何度も。弾丸が喰い込む、犬の脚から溢れる血に犬が仰け反った。
「食らい殺せ「喰」ッ!」
その首に放たれるは尚幸の弾丸。撃ち出す弾丸の軌跡に胸が躍る、言葉はにやける口元を押さえて、彼は絶えずその量の手から弾丸を発射させた。
唇に浮かぶ笑みは嘲笑。近づく足音に反応し、彼は剣を振るう。
「方天画戟の一撃で沈むがいい」
さあ、何処まで足掻けるのか、黒い犬の姿を見て、風斗は笑う、笑う。
電撃が走る。愛奈の援護に黒き大きな犬は唸り声を上げる。
彼女の元へ走り出すのを龍実が抑えた。切りこまれるその斬撃。
――一閃。
燃え上るその想い。
犬の怯みに撃ちこまれた弾丸が犬の自由な動きを奪っていく。
炎と風の二対が犬を翻弄する。金の瞳が湛えたのは只、戦いの色。
彩香は唇を噛む。防ぎようのない鳴き声に頭がぐらりと揺れた気がした。
踏み込む、息を吐く。振るう剣から放たれるは鬼切。
茜の瞳が細められる。鳴き声に耐えたその体で、切りこんでいく。
さあ、此れで崩れろ――!!
放たれる弾丸にくつくつと湧き上がる笑み。血だらけの犬の遠吠えが孕むのは彼らの行いへの怒りか、それとも――
この危険な黒き犬。その姿を吹き飛ばす様に弾丸が、放たれる。
「さあ、魔弾をくらいな」
犬の喉を潰す様に、抉る弾丸。犬の肢体よりも黒い瞳は何を映すのか。その犬の心中か、はたまた、他のモノか。
尚幸の目は何を見つめるか、過去の事件の中にこの犬の飼い主が含まれているのだろうか?もしかするとこの早朝に捨てられた子なのかもしれない。誰かを望んで、誰かを待って。ずっと待ち続けても迎えは来ないと、この犬も分かっているというのに。
叫ぶ犬の声すらも虚しい。響く鳴き声に刺激される鼓膜が、痛む。
何より身体から力が抜ける感覚がした、嗚呼、何て惨めな犬なのだろうか。鳴き声に込められたのは祈りか。迎えに来て、迎えに来て、寂しいよう、犬はそう言っている気がした。
ちかちかと視界を狂わす様な電灯に風斗は眼を細める。傷を負った腕を押さえながら後退した彼は叫ぶ。その得意とする戦術を犬の眼前に晒しながら。
「ッ、行くぞENGRAVE奴のアギトを食いちぎれ!」
方天画戟 から離した指先が、銃の引き金を引いた。BERETTA92FS ENGRAVEから撃ち出される弾丸。
抉る、二対の弾丸が犬の肢体をふらつかせた。
「飼い主を、探しているんですか……」
静かに、マキナの声が犬へと響く。咆哮を上げ彼女へと襲い来る犬の声は寂しさをは孕んでいる様にも思えた。
彼女の孕む炎は魂されも滅ぼし焼き払う終末の炎。幕引きの一撃を。
「捨てられた、そうだとしても――関係ない人を狙うのは許さない」
さあ、一閃せよ。龍実のレイピアが夜の闇の様に暗い其の体を切り裂く。
――終わらせましょう。
マキナの拳が叩きつけられる。彼女の金の瞳が細められる。嗚呼、せめて。せめてこの犬が何を探したのかだけは。
小さく唸り声を上げた犬に少女は目を細める。
言葉は繋がらないと知っているけれど、其の体が何処に向かうかは分からないけれど。
「何を、探していたのですか……?」
その問いに応える物などない。ただ、『待ち人』を望んだ犬は静かに横たわる。
その場に、虚しいほどにやせ細った亡骸を晒しながら――
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どろりと闇を溶かす陽光はその姿をもう晒していた。トンネルから出て端道に犬の亡骸を抱えながら八人は立っている。
穴を掘る、其れから、埋葬を行おう。
心優しい撃退士らの姿を見つめながらも小さく欠伸を噛み砕く。喉に通したコーヒーが無理やり脳の回転をよくしようと舌先にほんのりと苦みを残していた。
「あーあ……、もう朝じゃねぇか」
鳥の囀りが鼓膜を擽る。眠い、と伸びをしクランは隣で眠気を堪えている尚幸を見遣る。
「さーて、もう一回寝よう」
「嗚呼、帰ったら寝るとしよう」
二人の眠気は最高潮。なん立って夜中から朝にかけての仕事だったのだ。一仕事終えた今、その眠りは心地よいものだろう。
「……輪廻に導かれ新しい生を受ける事を祈る、じゃあ、またな」
その言葉を残して風斗は歩む。ゆっくりと、その死の後、行く先を思って。痛かっただろう?そう言って駆け寄って埋葬を行う彼の笑みは優しかった。
空を見上げる。こんな物が罪滅ぼしになるなんて、思っては居なかった。
「けど、君が少しでも楽になりますように……」
その犬が何を待っていたのか、何を思っていたのかそれは分からないけれど龍実は、唯、祈る。
――少しでも幸せであれば、と。
俯きながらも捜し物を与えてあげれれば、とマキナは独り思う。彼女と同じように茜も何処か落ち着かぬように周囲を見回していた。
愛奈はそんな茜とマキナを見つめ、大きな黒い瞳を輝かせる。
「探してた物、愛ちゃんたちで探せないかな?」
「何かを探してたんだね……何を探してたのかな」
少し、気になるけれど。茜は口元にうっすらと笑みを浮かべた。其処に在るのは優しさ。何かを探す様にうろつく犬。もしそれが自身を捨てた元飼い主だったら、と彼女は笑った。
「忠犬っていいよね」
諦めきれないくらいに唯、主人を愛する。何て素敵なのだろうか。
嗚呼、空耳だ。何処かで、飼い主を呼ぶように優しく犬が、泣いた気がした。
朝に彷徨うは黒き犬。まるで何かを探す様に、ただ、静かに――