●井戸周辺
敵、殲滅を確認。
思いのほか順調に終了した戦闘だったが、撃退士たちの胸中に達成感はなかった。
その理由は、現場にある朽ちた井戸の存在だ。
薄暗い林の中にぽつんと存在する井戸。その前にはハイヒールがポツンと置かれている。
「自殺ですか……」
やや物憂げに呟いたのは、袋井雅人(
jb1469)だった。記憶を失い、しかし数々の仲間と共に困難を乗り越えてきた彼にしてみれば、どうして自殺などという思いが強かった。
「生きていればいいのに……生きてさえいれば……」
「天魔による被害者は出ていないんです。生きている人を守れたことを喜びましょう」
「十郎太君の言うとおりよ、雅人君。あんまり思い詰めちゃだめよ」
優しげに声をかけるのは、醜い傷跡とは裏腹の穏やかな表情を浮かべた樋熊十郎太(
jb4528)と、幼い容姿に似合わぬ包容力のある笑みを浮かべた月白優光(
jb5124)だった。その背後では、石動雷蔵(
jb1198)が無言のまま帽子のつばを指先で引き下げている。十郎太、優光、雷蔵――それぞれ大事な人を亡くしている彼らだからこそ、思うところがあるのだろう。
「……うぅん……これは、ほんとに自殺でしょうかぁ……」
月乃宮恋音(
jb1221)がぽつりと呟いたのは、そのときだった。
え? と全員の視線が恋音の方を向く。突然の注目に、恋音は思わず顔を真っ赤にしながら、
「……い、いえ……そのぉ……ちょっと、変ですねぇって……」
「確かに、少し妙だな」
翡翠龍斗(
ja7594)が追認する。戦闘の時くらいしか目を開けない龍斗だったが、しかしなぜか今、その目はうっすらと開かれていた。
「自殺する場合、6メートル以上の高さが必要だというが、この井戸は良くて2メートルだ」
一同の背筋を、寒気にも似た違和感が走る。だれともなく、メンバーは井戸の中をのぞき込んだ。
「確かに……妙っちゃ、妙だよな……」
向坂玲治(
ja6214)が、持っていたペンライトで井戸の中を照らし出す。
暗い井戸の底で横たわる死体。わずかに開かれた口が、何かを言うことはない。
が、しかし――
「ね、ねぇ……龍に……じゃなかった、翡翠さん……? もしかして、これ……」
草薙胡桃(
ja2617)はわずかに声を震わせる。死者の無言の声を、彼女は聞いた気がした。
自殺でないとしたら……殺人?
撃退士たちは、互いに顔を見合わせた。
●聴取・容疑者組
わずかに時間を進ませる。井戸周辺の調査をした撃退士たちは、それぞれの役割分担ごとに別れた。大きく別けると、『人』を調べる組と『もの』を調べる組だ。
「とりあえず、警察には死体がディアボロ化するかもしれないから様子を見ると伝えました」
「……関係者の方に……事情が聞きたいと連絡したですよぉ……」
十郎太と恋音の言葉に、胡桃と雅人は頷いた。この4人が、主に『人』を担当する組だ。役割分担では、十郎太と恋音が関係者からの事情聴取を行い、胡桃と雅人がその間、他の容疑者を観察することになっている。もちろん、撃退士にそのような権限があるわけではないが、その辺りは上手く誤魔化した。それよりも、殺人事件をこのままにしておけないという思いが強い。
しばらく屋敷の正面で待っていると、避難の為に離れていた屋敷の主人、執事、娘夫婦が戻って来る。メンバーは彼らに撃退完了と、そして『出現したディアボロに関係する可能性があるため、念のために関係者の事情を聴取しているようにしている』という事を伝えた。
主人がわずかに嫌そうな顔をしたが、娘夫婦に諭されて渋々と承諾する。
「……ここからですね」
「はいです」
内心の緊張をそれぞれにこやかな笑みで隠し、雅人と胡桃が呟く。
主人、執事、娘、娘婿――犯人は、誰だ?
●現場・捜索組
わずかに時を巻き戻す。聴取・容疑者組が主人たちを待っていたその頃、『もの』を調べる組の4人――龍斗、優光、玲治、雷蔵もまた、それぞれの役割分担に従って別れた。
屋敷捜査の為に屋敷の方に向かう玲治、雷蔵を見送り、龍斗と優光の二人は改めて井戸周辺の調査をはじめる。
現在、撃退士全員の共通認識としてあるのは、自殺にしてはあまりに不自然と言うことだった。高さ2メートルの井戸では、身を投げたところで死ねるとは思えない。奇跡的な確率で落ちた場所に石があり、それに後頭部をぶつけたと考えられないこともないが……
「あら? あらら? 2メートルって、結構高いわねぇ」
真横に死体があるにもかかわらず、優光がほわんとした声を上げる。最も、その目までは笑っていなかったが。
一方、龍斗は死体の指先を触り、死後硬直の具合を確かめていた。どうやら、昨日の夜に死亡したということは間違いなさそうだが……
「とりあえず、おかしなところはあまりないな」
「そうね。お腹のところが少しこすれているけれど、飛び込むときに擦れたとしたら普通よね」
背中なども見てみるが、特におかしなところはない。確かに、井戸に身を投げ、運悪く石に頭をぶつけたと言われればその通りだろう。
「いや……待てよ……」
そこでふと、龍斗の脳裏に違和感が走る。龍斗はおもむろに、死体が枕にしている石をわずかに持ち上げた。
「どうしたの、龍斗君? あら、これって……?」
血の跡の残っている石。しかしその下の枯れ葉には――血の跡がない。
優光はスッと目を細めると、どこからともなくデジカメを取り出した。
一方、現場組と別れた玲治、雷蔵の捜査組もまた、屋敷の調査を進めていた。
「そうか、特に屋根におかしなものはないか」
きゅい、とヒリュウが一鳴きする。ヒリュウに頼み、屋根の方を探ってもらっていた雷蔵だったが、屋根の方での収穫はないようだ。あとは屋敷周辺だが……
先入観を持たないように気を付けつつ、雷蔵は自然体で屋敷の周りを探ってゆく。そのまま裏口の近くまでやって来た、そのときだった。
「これは……?」
草むらの中に落ちている『あるもの』を発見する。特に血の跡が付いているわけではないが――
「一応、とっておくか」
雷蔵は『それ』を袋に入れ、しまい込んだ。
対して、屋敷内の捜査をしている玲治はというと――
「あまりおおっぴらにはしたくないからな」
物陰から物陰へと忍びつつ、屋敷の中を探ってゆく。意外にも手先が器用な玲治は、こういう調査にうってつけだった。台所、玄関、部屋と調査を進めてゆく。と、そのときだった。
「こりゃ、被害者の携帯か?」
女性ものの携帯電話を発見。おそらく被害者のものだろう。玲治はすばやく携帯電話の着信履歴を見ようとした。ここにきっと手がかりがあるに違いない。――のだが。
「Q.E.D、証明終了……って、マジかよ!」
思わず玲治は顔を引きつらせた。
「電池切れ!?」
玲治は急いで充電器を探し始めた。
●聴取・容疑者組
若干一名が充電器を探すために奔走し始めたのと、ほぼ同時刻。
執事、娘婿の事情聴取を終えた十郎太、恋音の聴取組は、とりあえずここまでの情報を整理していた。
「……うぅん……これは厄介ですねぇ……」
ぽつりと呟かれた恋音の言葉を、十郎太が拾う。
「そうですね。執事さんが被害者らしき女性を見たのが8時ちょうどくらい。その時間にいなかったのは娘婿さんみたいですけど……」
「……は、はい……そ、それならぁ……ハイヒールの事とか、言わないはずですよぉ……」
十郎太と恋音はふむと思考に沈む。そもそも執事の証言自体、信用できるかどうかも怪しい。
「……や、やっぱり……私、シンパシー使うですよぉ……」
「撃退士としての能力を、ですか?」
「……あ、あんまり、使いたくないですけどぉ……」
恋音という少女には、能力使用に伴う弊害があった。それ以前に、彼女の気質によるものだろうか、人のプライベートを暴き立てるような能力の使用にためらいがある。とはいえ、それよりもこのままにしてはおけないという気持ちがあった。
前髪に隠れている彼女の目に、決意の光があることに気付いたのだろう。十郎太は傷に覆われていない右目を穏やかに緩めると、
「あなたはとても優秀です。俺は今まで、これほど頼もしい仲間に出会ったことはありませんよ」
「……え……?」
一瞬、呆然とする恋音だったが、即座に何を言われたのか理解すると、
「……ッ……!」
少女の顔が、林檎のように真っ赤に染まった。
「美少女名探偵誕生、ですかね」
十郎太は漏れかけた笑い声を噛み殺すと、紳士的な笑みを浮かべ、次の容疑者を呼ぶ。
容疑者からの事情聴取――残り2名。
さて、一方の容疑者の監視をしている胡桃と雅人はというと――
「へえ、そうなんですか?」
「うん、そうなんです。それで龍にぃ……じゃなくて翡翠さんったら……」
一見すると、緊張感のない談笑を続けているようだった。その証拠に、近くにいる主人が、イライラした様子で睨んでいる。
しかし、実はこれも作戦のうちだった。こちらのスキを見せることで、犯人を泳がせるための演技だ。二人をよく知った者が見れば微妙にぎこちないのだが、何も知らない者ならば十分に欺せるだろう。
そして、それは成功する。
ふいに、ふらりと娘婿が部屋を出た。
「すいません、草薙さん。ちょっとトイレに行ってきますね」
「気をつけてくださいです、袋井さん」
その言葉が、互いへの合図だった。
部屋を出た瞬間、雅人は即座にナイトウォーカーとしての能力を解き放った。音もなく気配もなく、闇そのものとなったかのように娘婿を追う。
廊下を進んだ娘婿は、そのまま裏口から外へと躍り出た。しばらく辺りを5分ほどうろうろし、結局、何もせずに屋敷へと戻る。
それらを草むらで見つめていた雅人もまた、屋敷内に入ろうとして――
「……今のは誰だ?」
「っ!」
突然の声に、思わず雅人は振り返る。そこにいたのは……
「……石動さんですか。驚かさないで下さいよ」
ヒリュウを連れた雷蔵がそこに佇んでいた。スキルが時間切れになっていたため、雅人に気付いた雷蔵が声をかけたのだ。
「それより今のは?」
「娘婿さんですね。特に何もしなかったみたいですけど」
「……いや、もしかしたら」
そこで雷蔵は『あるもの』を取り出した。
「軍手……ですか?」
それは、何の変哲もない軍手だった。特に血の跡があるわけでもなく、強いて言うなら枯れ葉の欠片のようなものが付いているだけだ。
「これ、どうしたんですか、石動さん?」
「そこで見付けた」
きゅい、とヒリュウが顔を草むらに向けた。
「もしかして、娘婿さんはこれを探してた……?」
雅人は怪訝そうに眉根を寄せた。
さて、一方の部屋に残った胡桃はと言うと、彼女固有の鋭敏聴覚を使い、様々な音を拾い上げていた。別室で事情聴取を受けている娘の声。イライラしている主人の歯ぎしりの音。そして「充電器だ!」という喜ぶ声。
ん? 充電器?
「これ……向坂さんの声ですか……?」
なぜ彼は充電器なんか探しているだろうと胡桃が首をかしげた、そのときだった。
『な、何するんですかっ!』
ふいに別室から、娘のものと思しき怒声が聞こえてきた。
何事だっ! と主人が席を立ち、別室へと向かう。慌てて胡桃と執事も後を追う。
別室。そこでは、必死に謝りながら娘の額に手を当てている恋音が居た。
「私の娘に何をする、貴様ら!」
主人が罵声と共に、娘を引き離す。
その罵声に心痛めつつも、恋音は――
「……あ、あの……」
「みんな、分かったぜ!」
しかし恋音が何か言うより早く、捜索組の玲治が飛び込んできた。彼は発見したのだ。犯行時間の数分前に、被害者の携帯に誰が電話をしたのかを。
それは――
「なあ、どうしてあんな時間に被害者に電話をしたんだ、娘さん?」
娘?
十郎太、胡桃の目が娘に向けられるが――
「……ち、違うですよぉ……」
消え去りそうな恋音の声に、一同は一斉に彼女の方を見た。
額に触れた相手の過去を探る能力――シンパシー。それによって、すでに恋音は娘が犯人でないことを悟っていた。
「……あ、あの……実は……」
訳が分からず混乱する主人、執事、娘に、恋音は自分たちが何をしているのかを打ち明けた。正確には口べたな彼女の代わりに十郎太や玲治、胡桃がほとんどを説明したのだが、とにかく殺人だと思って独自に捜査していることを話す。
「それで月乃宮さん、どうして彼らに本当のことを?」
十郎太の疑問に、恋音は娘が犯人ではないことを話した上で、
「……あの……娘さんに、聞きたいんですけどぉ……昨日の夜、誰かに携帯電話を、貸しましたよねぇ……?」
「え、ええ。主人に」
「おいおい……ってことは……」
玲治は被害者の携帯を見た。電話したのは――娘婿?
「すみません、皆さん!」
次の瞬間、部屋に血相を変えた雅人と雷蔵が駆け込んできた。
「少し目を離した隙に、娘婿さんが居なくなってしまって!」
「……すまん、見失った。今、ヒリュウに探させてる」
「それじゃあやっぱり、娘婿さんが犯人なの……?」
胡桃の言葉に、怪訝そうにする雅人と雷蔵。胡桃たちはいきさつを説明した。
「まさかそんな……あの人がお母様を殺すだなんて……」
顔を真っ青にする娘。主人や執事の顔も青い。
一方、撃退士たちの顔も穏やかではなかった。
「とにかく探しましょう」
十郎太の声に、恋音、胡桃、雷蔵、玲治、雅人の各員は頷いた。胡桃の鋭敏聴覚によって屋敷内には居ないことを確認すると、外に出るべく裏口へと向かう。
しかし彼らの足は、いくらも行かないうちに止まることとなる。なぜなら――
「龍斗君、やりすぎよ」
「襲いかかってきた以上、容赦はしない」
そこで佇んでいたのは、現場組の優光と龍斗だった。さらに、二人の足下には完全に気絶している娘婿の姿まであった。
「それで、どういう状況なの、今って?」
優光の問いに、メンバーはそれぞれの情報を打ち明ける。
「なら、犯人は娘婿だな」
真っ先に声を上げたのは龍斗だった。なぜ? と眉根を寄せる一同に、龍斗は目を閉じたまま、石の下の枯れ葉に血の跡がなかったことを告げると、
「つまり、血が乾いた後に石が動かされたということだろう。状況から考えて、それが出来るのは最初に井戸に入ったこいつだけだ」
「なるほど……」
十郎太が後を引き継ぐ。
「地上で後頭部を殴って殺し、遺体を井戸に投げ入れる。あとは第一発見者を装って井戸に入り、すばやく被害者の頭の下に石を挟めば自殺に見えるということですね」
「……問題は、動機ですけどぉ……」
一同は、完全に気絶している娘婿を見た。半日は目覚めそうにない。
どうやら、後は本職の人に任せることになりそうだ。
一同はわずかに頭を振った。朽ちた井戸から、聞こえる声はない。