●洋館前
夕暮れの中、その朽ちた洋館は正しく不気味な様相を見せていた。
「……うう、怖いなー」
天谷悠里(
ja0115)が、その愛らしい顔に恐怖を滲ませ、呟いた。帰りたいが、そうも言っていられない。そんな様子だ。
「悠里ちゃん、これ」
桐生直哉(
ja3043)が、念のために持参したラピスラズリのお守りを取り出す。依頼人が幽霊なんてことはないだろうが、一応用意したものだ。
それを見て、天上院理人(
ja3053)が鼻で笑った。
「ふっ、お化けなど本当にいるはずないだろう」
「あたしも同感だ。そもそもオカルトっつーのは非科学的なんだよ。どうせメンドくせぇディアボロの仕業だろ」
淡々と言う地領院恋(
ja8071)だが、その手にはすでに直哉から貰ったお守りと、なぜか『防犯ブザー』があった。
「はは、ご……ゴーストなど、そそそそそんなものいるわけないではないか、はは!」
「それ、卓上塩をもって言うことなのかな?」
十字架のペンダントに卓上塩(!)まで準備しているラグナ・グラウシード(
ja3538)を見て、小首を傾げるのは高峰彩香(
ja5000)だ。彼女の方は不気味な洋館を前に、至って平然としている。
「しかし、依頼人不明ってえのは解せないですね」
「そうね」
比較的冷静に洋館を観察するのは、蒼波セツナ(
ja1159)と点喰縁(
ja7176)だ。特にセツナは、興味深そうに洋館を見つめていた。
怖くない組を先頭に、一行は割れた窓から洋館内に侵入した。今にも抜け落ちそうな床が、足を進める度にギシギシと軋む。それぞれが持参したライトの明かりが、薄暗い中をボウッと照らし出した。
「わわっ、これ下手しなくても抜けるよね」
「まあ、足を取られるなどという間抜けはいないだろうがな」
言いつつ、彩香と理人は危険そうな場所に素早く目を走らせた。
依頼書の情報に従い、メンバーは二階へとやって来る。真っ直ぐ伸びた廊下に、二つの扉。ドアの色が違う。赤い扉と黒い扉だ。
さて、どちらで儀式を行うか……
事前の打ち合わせ通りに、一行はそれぞれの部屋を調べ始めた。ペンライト、懐中電灯、ランタン型ライト――それぞれの明かりが、密室の中を照らし出す。
真っ先に奇妙なことに気付いたのは、縁だった。
「こりゃ、どういうことですかい……?」
赤の部屋と黒の部屋。埃の上に残された足跡が、両方の部屋にあったのだ。
「た、確か……殺された人たちは、どっちかの部屋で儀式をしたんだよね……?」
赤色のドアの影から部屋の中を窺っていた悠里が、ビクビクしながら言った。
「……そのはずよ」
スッと眼を細め、セツナが呟く。――と、そのときだった。
「みんな、こっちの黒い部屋に来てくれ!」
突然の呼び声に、皆が黒い部屋に集まる。ナイトビジョンを装備した直哉が、ボロボロの壁をジッと見つめていた。
「血の跡だ」
直哉の声に、皆はそれぞれ顔を見合わせた。どうやらこちらの黒い扉の方が、ディアボロが現れるという部屋のようだが――
……なら、どうして赤い部屋の方にも足跡が?
それぞれの疑問を抱えつつ、メンバーは儀式に取りかかった。
●二階廊下(待機組)
始めるよー! という明るい声が、黒いドアの向こうから響く。いつでも突入できるように、待機メンバーはそれぞれの武器やランタン、卓上塩(!)を構えた。
「はははは、い、いつでも私はいいぞ! もし窓から敵が来ても、だ、だだ、大丈夫だ!」
いや、卓上塩を持って言われても……
待機メンバーが内心でつっこむ。ラグナ自身は小天使の羽を用意しているつもりだが、実際にその手にあったのは卓上塩だった。
「……それにしたってぇ妙ですね」
縁は独り言を呟くように、同時に深く思考に沈んだ様子で、
「両方の部屋に足跡……心霊スポットってえ話からすると、他にも肝試しに来た人たちがいて、赤い部屋の方で儀式をやったって考えるのが道理でしょうが……」
「……でも、赤い部屋の方では被害者は出ていないみたいね」
セツナもまた、己の思考に深く沈む。そもそもこの依頼自体が、あまりに不気味な依頼だった。黒魔術師を自称しているセツナとしては非常に興味を引かれるが、それとは別に何かがおかしいと思う。
(そういえば、ここは心霊スポットだったわね……)
ちくりと何かが脳裏をよぎるが、それがなんなのかまでは分からない。
そのときだった。
「は、はははははははははははは……」
待機組の最後尾、窓からの襲撃を警戒していたラグナが、ふいに引きつった笑い声をあげた。
「き、ききき、気のせいだとは思うのだが……だ、だだだ、誰か……今、私の、か、かか、肩に触ったか……?」
『え……?』
ちなみに窓からの敵を警戒していたラグナの立ち位置は、四人の最後尾だ。その位置関係上、彼の肩に触れることが出来る者など誰もいない。
残りの三人は、ゆっくりと背後を振り返り――
しかし、ラグナの背後には誰も何もいなかった。ラグナにそのことを告げる。
「う、うむ……ま、まあ、あれだな……き、気のせい! 気のせいだな! うん、気のせいに決まっている!」
爽やかに笑いつつ、ラグナは自分の肩に向かって塩を振り掛けまくった。どれだけ自分をしょっぱくする気だろうか。何気にもう泣きそうだった。
「……うう、早く帰りたい」
一方、怖いものがダメな悠里も、だいぶいっぱいいっぱいの様子だった。もし、このとき誰かがその肩をいたずらに叩けば、悲鳴を上げてしまいそうなほどだ。
ポン。
そう、このように……。
「……」
悠里の身体が、一瞬にして凍り付いた。気のせいだろうか。かすかに、自分の肩を誰かが叩いたような気がする。
ちなみに言うと、悠里の位置はドアのちょうど前だった。彼女の役目は、まず突入するときにドアの隙間から部屋の中にライトを放り込むことだ。現在はラグナの方を振り返っているため、背後には誰もいない。というか、他の三人は全員視界に入っている。
気のせいだ……気のせいだと思う……なのだが……
「っ!」
いよいよ耐えきれなくなり、彼女は大きく息を吸い込んだ。
●黒い部屋内(儀式組)
わずかに時を巻き戻す。黒い扉の部屋の中では、今まさに儀式が進んでいた。
真っ暗闇の中を、彩香から二番手を託された恋が壁伝いに進む。ナイトビジョンのおかげで視界は良好。生命探知に引っかかるものも何もない。……のだが。
「怖くない怖くない怖くない……」
恋の手には、ハンマーと共に防犯ブザーが堅く握りしめられていた。
まもなくして、恋の手が三番手の直哉の肩を叩く。こちらもナイトビジョンを装備しているため、暗闇でも足取りは軽かった。そうそうに部屋の隅から隅へと進むと、
「頼んだ」
「っ! なぜそんなに強く叩くんだ!」
思いのほか強く肩を叩かれ一瞬ムッとした理人だったが、さすがに今は気を散らすときではないと気を引き締めた。ナイトビジョンで残りの距離を確認する。
「あと、五歩だ」
理人の声に、彩香、恋、直哉の三人はわずかに腰を落とした。それぞれ警戒する。
「あと三歩……二歩……」
そして、何もない部屋の角に向かって理人が手を伸ばした――
その瞬間だった。
『いやーーっ!』
ふいに響く悠里の悲鳴。何事だと、儀式組がとっさに駆け出そうとする。
が、しかし――
「理人! 後ろだ!」
直哉が、彼には珍しい鋭い声を放つ。
もしこのとき、ほんの少しでも何かが違っていたら運命は変わっていただろう。直哉がそれに気付くのが遅れていたら、恋が星の輝きを準備していなかったら、あるいは四人目がディバインナイトの理人でなかったら、間違いなく違った運命になっただろう。
しかし撃退士たちは、その運命に勝利した。
星の輝きが、理人の背後から大鎌を振り下ろそうとしていた死神の姿をした敵をひるませる。瞬転、理人は振り返りざまに防壁陣を展開すると、握りしめた剣でもって相手の鎌を正面から受けとめた。
鋭い金属音。間髪入れず、残りの隅からにじみ出るように三体の影が出現した。
「みんな、敵だよ!」
待ってましたとばかりに彩香が待機組に向かって叫んだ。阻霊符、展開。同時に扉がけたたましく開かれ、その隙間からランタンが投げ込まれる。
撃退士としての本分――すなわち戦闘が、ここに幕を開けた。
「軽いな!」
大鎌を受けとめながら、理人が笑みを浮かべる。その背後から、もう一体の死神が迫っていたが――
「直哉!」
任せろ、と直哉。すでにその身からは闘気が解放されていた。滑るように踏み込んだかと思うと、その足が二度霞む。敵が押し戻され、直哉は素早く理人と敵の間に身体を割り込ませた。ちょうど、互いの背中を守る形だ。互いの顔に笑みが浮かぶ。
一方、メンバーの半数がいっぱいいっぱいの状態の待機組ではあるが、戦闘となれば負けてはいなかった。部屋の中央に投げ込まれたランタンと、さらにそれを追いかけるように虚空を走った炎が、暗闇に覆われていた部屋を明るく照らし出す。浮かび上がるのは、死神のような姿の敵だ。おどろおどろしい風体だが、すでに何名かの冥魔認識によって、その正体が明らかにされていた。
ディアボロ。撃退士にとっての敵だ。
「はははは、ディアボロなら! ディアボロならああああ!」
滝のような涙を流しながら、ラグナが突入を開始した。
時を同じくして、ラグナの脇をすり抜けるように、光り輝く糸が手前右のディアボロに向かって伸びた。縁の絡繰之糸だ。
死神の身体に幾重にも巻き付く糸。その端を握りしめ、縁が言った。
「グラウシードさん、後はお好みにしてやってください」
「援護は無用と言いたいが、今回ばかりは感謝する! 私はもういっぱいいっぱいなんだ! 覚悟しろ、ディアボロ! リア充獄殺剣っ!」
涙を流しながら爽やかな笑みを浮かべるというちぐはぐな表情のラグナだったが、その剣筋は本物だった。縁の繰り出す糸によって動けなくなったディアボロなど、もはや歴戦の剣士とっては的にすぎない。
敵、一体撃破。撃退士たちの攻撃はさらに続く。
女性陣サイド。ともすると暑苦しい様子の男性陣に比べ、若干一名を除いて、こちらの攻撃は打ち寄せる波のように優美だった。
「幽霊じゃないけど、退治といきますか!」
炎と風。その二つを纏った剣を、彩香は鋭く敵に突き込んだ。
間髪入れず、ドアのところに陣取ったセツナの唇と喉が二重の旋律を奏でる。
「――」
朗々と詠われた詩が、敵に断罪を突きつける。裁きは速やかに執行され、幾重の影の腕が反撃しようとしていた死神を拘束、その場に押しとどめた。
「……ううう、私も怖いばっかり言ってられないよね」
そこにさらなる追い打ちをかけるのは、ラグナほどではないとはいえ、目尻に涙を浮かばせた悠里だった。ついさっき、自分の肩を叩いたのは誰だったのか? その疑問を追い払うかのように、みんなより年上だもん! と何度か呟くと、身に秘めた力を解放する。かわいらしい彼女の雰囲気とは裏腹に、その力が作り上げたのは鋭いナイフだった。
宙を駆け抜けた刃が、ディアボロを穿つ。それと同時に、再び彩香が攻撃に移った。まさしく波状攻撃。この集中攻撃を逃れる術はない。
敵、二体目撃破。残り二体。
ちなみに、女性陣の中で唯一語られなかった恋はというと――
「アハハハハッ! 殴れりゃ怖くねェんだよ、お前らなんかァッ!」
彼女の性質によるものか、あるいは何かの反動か、すでに完全なる狂戦士と化していた。高笑いを響かせながら、戦鎚を思い切り振りかざす。そのまま恋は、直哉が先ほど蹴りつけたディアボロを、真横からぶちのめした。
三体目撃破。残り一体。
もっとも、その一体の命運もすでに決まっていた。
理人と直哉。仲が良いのか悪いのかいまいち理解しがたい二人だが、その呼吸は笑ってしまうほどに揃っていた。緑色の光を纏った剣撃と、銀色の光を纏った蹴撃が、連続して閃く。
そして――
「ふっ、終わりだ」
四人目を務めた理人が、五人目として現れたディアボロの胴体をなぎ払った。
●エンディング
西の空に、わずかに残っていた夕日が沈む。敵四体を殲滅し、さらに周囲に他の敵がいないことを確認し、儀式組の四人はほうと息を吐き出した。
「でもさ、結局依頼人が誰なのか分かんないままだったよね?」
ふと、彩香が思い出したように呟いた。直哉もまた、それに呼応して、
「やっぱり、ディアボロに殺された人が依頼人なんて事はない……よな?」
『……』
そこで、なぜかそれを聞いた待機組の四人の内、ラグナと悠里の二人がガタガタと震え出した。
怪訝な顔をする儀式組。そういえば、と彼らは思い出す。儀式中に響き渡った悠里の悲鳴。いったいあれは何だったのだろうか?
「何かあったの?」
きょとん、とした表情でたずねる儀式組の彩香に、待機組の縁もよく分からないといった様子で、
「いや、たぶんお二人の気のせいだと思うんですけど……」
――誰かに、肩を触られたらしいんですよ。
その言葉に、思わず何人かが動きをピタリと止めた。誰とは言わないが、防犯ブザーを握りしめる者もいた。
「さ、さささ、さあ! 依頼も終わったのだから、は、はははは、早く帰ろうではないか!」
「そ、そうだよね! は、早く帰ろうよ!」
「あ、ああ。そうだな」
ラグナ、悠里、恋の三人がそそくさと踵を返した。マイペースな様子で後に続くのは縁と彩香だ。理人と直哉は、憎まれ口をたたき合いつつ互いの労をねぎらっている。
そして最後に残ったセツナは、わずかに背後を振り返ると、
「……もしかしたら、本当に『五人目』がいたのかもしれないわね」
その言葉に、応えるものはいなかった。