突入した撃退士たちは、自らが対話を望む入学辞退者に視線を送った。
その意志が彼らに伝わり、緊張が走る。
「一斉に話をするつもり?」
黒ローブの女が難色を示す。
「聞いていないと不安?」
尋ねたのは新井司(
ja6034)だ。
「聖女様の教えは君の反論がないと揺らぐものなの?」
「……ふふ、いいえ。彼らに与えた聖女様の言葉は絶対のものよ」
「ならば、我にも聞かせてみよ」
フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)が前に出る。
「光栄に思え、貴様の話し相手は我がしてやる。貴様等の言う楽園とやらはどのようなものだ」
他の撃退士たちは、視線を結んだ入学辞退者たちに歩み寄っている。
全体に説くなら今しかない――女は、両手を広げて叫んだ。
「選ばれし存在である聖女様が作る国よ! あの方が世界を統べれば世界は楽園になる!!」
「ふはははは!!」
フィオナは、声高らかに嘲笑した。
「ご大層な文句を並べ立てるからさぞやいいものかと思うたら……ただの選民思想ではないか」
「なっ……」
「たわい無い。案外、楽に片が付きそうだ」
壁の隙間から、新しい風が吹き込んでくる。
●傷心
俺の前にやってきたのは、穏和な撃退士だった。
「こんにちは! やな。久遠ヶ原学園の撃退士、亀山淳紅や」
亀山 淳紅(
ja2261)は、にへっと笑い、俺に着席を促してくる。
「君の名前と君のお話……聞かせてもらってもええ?」
……俺は、ひとまず自己紹介から始めた。
それからアウル覚醒前の、友達との平凡な日々について話した。
「幸せやったんやね」
亀山に言われて、俺は頷いた。
「……でも、事故で大事な友達を殺めた。……事故の瞬間は今も思い出せない」
身体が、勝手に震え出す。
「気が付いたら、助けてって、こっちに、あいつの手が、伸びていて」
吐き気がして思わず口を押さえる。
亀山は背中を擦ってくれた。
「胸が痛いんやな。苦しい、に押しつぶされそうな感じやね」
俺は細い息を繋ぎながら耐える。
まだ話は終わっていない。
「それで、どうしたん?」
この人になら言える気がした。
聖女様には「辛いなら言わなくてもいい」と遮られた話を――
「見殺しにしたんだ……手に掛けただけじゃなく……」
助けることも、助けを呼ぶこともできなかった。
「誰かに許して欲しかった……」
「……そうやったんやな」
亀山は俯く。
少し経ってから「でもな」とはっきりと告げられた。
「君の考えに一つ、大きな訂正をいれたい。他人に許されることに意味は無いよ。君を許すことができるんは……亡くなったお友達だけなんやから」
わかっていた。
「それがどんな形であれ、人を殺めた。その事実の重さは楽園に行ったって消えへん。重くて怖くて苦しくて、悩んで吐いて死にたくて……でも逃げたらあかん。その重さは奪ってしまった友達の未来の重さなんやから。……ごめんな。君がいっちゃんわかってることやのにな」
涙を流しながら、首を何度も縦に振った。
「自分は……いや、学園におる皆は、君のことを癒すことも許すことも全部理解することもできん。でもほら、皆頑丈やし」
彼は、にしし、と白い歯を見せてきた。
「隣に重い荷物背負って、一緒に立って笑って怒って喧嘩して、迷って歌って一緒に歩くんはできる……ここから先は
君が選ぶべし! やね」
許しはない。
でも選んでみたい道は、ようやく見つかった。
●拒絶・妹
「お前の兄は心配性だな」
天野 天魔(
jb5560)さんは、お兄ちゃんを気にしている。
確かに、今のお兄ちゃんは……。
……でもお兄ちゃんは私の、世界でたった一人の味方だ。
「お願い、お兄ちゃんを苦しめないで」
天野さんは、鼻で笑った。
「笑える冗談だ。兄を一番苦しめているのはお前だろう、少女」
……ああ、やっぱり。
「考えてみろ? 貴様の兄は家族に捨てられた上に妹という重荷まで背負わされているのだぞ? お前は兄を頼ればいいが兄は誰にも頼れん。そんな兄の辛さを想像した事があるか、少女?」
この人は、私たちの弱さを暴く人だ。
「その辛さが故、兄は楽園に逃避した。弱り目に甘言で付け込んでからの選民思想は、洗脳の基本だぞ?」
正直に言えば、私は聖女様とやらを信じていない。
でも、今のお兄ちゃんには必要な存在だ。
「平時ならお前の兄はこんな稚拙な詐欺に騙されなかった。だがお前の重さに耐えかねて楽な方に逃げた」
……知ってるよ。
「お前の兄は聖女を信じているのではない! 信じたほうが楽だから信じたと思い込んでいるのだ! そして、そこまで追い詰めたのは兄を省みず、ただ兄に依存し続けたお前だ、少女!」
「……私が全部悪いって言うの?」
「家族とは一方的に守り守られる関係ではない! 支え合うものだ! お前が真に兄の事を思うのならば兄の決定を盲目的に受け入れるのではなく、一人の人間として独立し、兄の間違いを正すべきだろう! それともお前は聖女と共に兄を、お前だけを守り続ける奴隷にするつもりか?」
「……でも、その役目がなかったらお兄ちゃんはたぶん壊れてたよ」
私は、何故か笑っていた。
自分でもわかる、すごく嫌な笑い方だった。
「否定するのは誰にだってできるよ。でも私もお兄ちゃんも、そこにしか逃げ道がなかったんだよ」
「お前のエゴで兄を食い潰すつもりか?」
「私だけじゃない。お兄ちゃんもそれを望んでた。……天野さんには理解できないかもしれないけど、私は私なりにお兄ちゃんを守ってた。お兄ちゃんが間違いに気付くまで支えるつもりだったよ」
私は笑うのをやめて、天野さんに言う。
「たとえ弱くても間違っていても、私たちのことは私たちにしかわからない……」
話が途切れて、嫌な時間が流れた。
「……俺が言いたいのは終わりだ。後は自分で選べ、少女」
「何を?」
「聖女の下で兄を呪縛し続けるか、兄を解放するかをな。後者を選ぶなら学園で立ち方を教えてやる。そして一人で立てるようになったら今度はお前が兄を支えてやるといい」
……楽園か、学園か。
やっぱり私は、選べない。
●拒絶・兄
僕は、新井司と対峙している。
妹から遠ざけられた僕はひどく機嫌が悪い。
妹の同意もあって個別の対話を了承したけど、心配でならない。
「本当に、妹が大事なんだね」
「他の家族は僕らを捨てた……妹だけは守る。聖女様も認めてくれた」
「でも、そうやって周りを拒絶する君たちを心配する人もいるのよ」
「あんたのことか?」
「ううん。本音を言うとね、私は違う。君が選んだ選択だもの。留めるつもりはあまりないのよ」
「だったらどうしてここへ来た!」
「学園の中に、君たちのことをものすごく気にしてる子がいるのよ。入学辞退の連絡を入れたとき心配されなかった?」
「あの人か……」
「……馬鹿だと思わない? 赤の他人のこと、ずっと気にして。論より証拠、聞いてみる?」
新井は携帯電話を取り出し、差し出してくる。
「……いいや、いらない。どうせ打ち合わせ済みだろ」
「そうかもね。でも、それをいったら聖女様とやらの言葉も用意できる気がしない?」
携帯電話を引っ込めて、新井は息継ぎを一つ。
「狩谷や私たちだけじゃない。赤の他人でもお節介を焼きたがる連中が、学園にはたくさん集まっているの」
「……馬鹿馬鹿しい」
「そうね。でもさ、そういうのといると、移っちゃうのよ、馬鹿って」
新井は自嘲気味に肩を竦めた。
「そういう馬鹿が学園に多いのよね。自分のことで精一杯の筈なのに、それでも尚なにかを抱えようと必死になって、馬鹿たちが互いに寄り集まって手を差し伸べ続けて。そうやってあの学園は出来ているの」
……ほんの少し思う。
もしも新井の言うことが本当なら、馬鹿たちと自分は似ているのでは?
「ねえ。君の描く楽園とは違う姿かもしれないけど、学園もちょっとした、楽園だと思わない?」
……。
でも、俺には妹が……。
「妹にも、訊いてみたら?」
僕は新井が目配せした方向へ振り向く。
妹と撃退士が、こっちへ来る。
●兄妹
「……話、終わったの?」
妹が不機嫌なのはすぐにわかった。
「お兄ちゃんは、どっちがいい? ……私はどっちでもいいよ。お兄ちゃんが良いと思う方を選べばいいと思う」
投げやりな口調に思わず胸が詰まる。
そのときに確信した。
――このままじゃだめだ。
――そして妹をだめな方へ向かわせたのは、俺だ。
「……お兄ちゃん、泣いてるの?」
妹を抱き締めながら涙が止まらなかった。
「学園へ行こう……」
俺は変わらないとだめだ。
妹にも、俺以外の「馬鹿」の助けがきっと必要だ。
「わかった。お兄ちゃんが行くなら、私も行く」
「すまん……」
俺が無力に歯噛みすると、妹はすぐに言った。
「いいよ。家族だもん」
妹に慰められている俺を、『先輩』たちが見守っている――。
●無気力
雫石 恭弥(
jb4929)。
それが彼の名前らしい。
綺麗な名字だ。
女の性だろうか――『綺麗』にはどうしても興味が湧いてしまう。
「俺は楽園を頭ごなしに否定するつもりはない。……ただ、どうしても聖女の言葉に引っかかるところがある」
優しい考え方。
まるで、乙女のよう。
「初めに聞きたい。『頑張らなくていい』とは彼の死を背負う必要はないという解釈であっているか?」
彼に、頷いてあげた。
「そうか。なら言わせてもらうがそれはおかしい。お前は頑張らなくてはならないし、お前が彼の死を背負うべきだ」
……。
「背負う必要が有るのはお前が彼を救えなかったからではない、お前にとって彼が大切な人だからだ」
……。
「人の死は俺達ぐらいの年の奴が背負うにはあまりにも大きすぎるし、それが心を壊しかねない……でもな、大切な人からも目をそらされて、やがて彼の命の証も失われていく……それではあまりにも彼が報われないだろう!」
「勝手なことを言わないで」
喋るのは嫌だけど、黙っていられなかった。
「失う重さ、知らないくせに」
「そんなことはない! 俺も……この間初めて依頼で人を死なせてしまった。でも俺はそのことを絶対に忘れない。彼らがどのような想いで立ち上がり、何を遺そうとしたのかを忘れない!!」
「想い……?」
「そうだ! 彼は何を想って生きてきた? 何を遺そうとしてきた?」
……。
「もし、久遠ヶ原に来るんだったら俺は頑張らなくていいなんて絶対に言わない。……だが、お前の話は聞くし、お前が頑張るんだったらお前が壊れないように俺が支えてやる!」
頑張らないのを頑張るか。素直に頑張るか。
あの人なら……どちらを選ぶかしら。
「……。無駄を嫌うあの人なら、素直に生きるわね」
私の考え方や口調は、合理的だった年上の恋人から移ったものだ。
そのせいで喋るのも考えるのも嫌だったけど……それも、終わり。
「無駄な水分消費も今日で最後にするわ」
「前に進めるなら、涙も無駄ではないだろう」
涙を流す私を、雫石が支えてくれた。
●承認
赤く、真っ直ぐな目をした人だ。
緋野 慎(
ja8541)という名前らしい。
「君、一人だけ生き残ったんだって?」
そう。
爆発事故でみんな死んだのに、私だけが生き残った。
その辺りの事情を、私はひとつずつ語る。
聞き終えたあとに、緋野さんは教えてくれた。
「俺は君と似た境遇の人を知っているよ」
「……本当?」
「うん。その人は凄く苦しんで悩んで、押し潰されそうになった時もあるって言ってた」
そっか。
私だけじゃ、ないんだ。
「君も同じくらい辛い思いをしたんだと思う……辛かったね」
……。
「でも、だからこそ許せない」
……来た、と私は思った。
「甘い言葉に唆されて現実から目を背け、偽りの楽園へ逃げようとしている君を、俺は許せない」
この人は強い。私とは違う人だ。
「君は自分だけが生き残った理由が知りたいって言っていたね。聖女様のために楽園を造る……それが君の生き残った理由?」
「わからない……でも……私は楽園を作って、死んだ人たちの、ために……」
「……違う。そんな事の為に生き残ったんじゃない」
緋野さんが、私の肩を掴んだ。
「ちゃんと真実と向き合うんだ。逃げずに戦え! その先にこそ、未来があるんだ」
「う、うぅぅ……」
本当はわかっている。
楽園を作ったとしても、あの人たちは戻ってこない。あの事故は無かったことにならない。
「私……戦えるかなぁ……死んじゃった人のことも背負って生きるくらい、強くなれるのかなぁ……っ!」
「俺の知っている人は、未来を掴んだよ」
「そ、そのひとに、会える?」
「紹介するよ。……さあ、俺達と一緒に学園へ行こう」
●妄信
いったい、この女――フィオナとかいったか――こいつは、なんだというのか。
いくら説いても揺るがない。
いつの間にか、私はムキになってしまっていた。
「……口惜しい」
私が無力なせいで聖女様の良さが伝わらない。
聖女様のように語れないのが悔しくてたまらない。
「あの人は私に光をくれたのに。不幸な私を、光だけで満たしてくれたのに」
「ふむ、不幸か。……いい事を教えてやろう。世は常に光と影がある。光があるからこそ影が出来、影があるからこそ光を認識できる」
「……影ですって?」
「幸福と不幸も同じこと。相反するものの経験を交互にすればこそ、その価値を知ることが出来るのだ」
「圧倒的な光の前に影なんて生まれない! 聖女様は永遠に幸せを導ける!」
「永遠の幸福などあるものか。幸福が続けば、やがてそれはタダの日常と化すだけだ。……幸せを幸せと感じられぬことがどれだけ不幸なことか。貴様の聖女様とやらはそんなこともわからぬ蒙昧か」
「違う! 聖女様は全てをわかっている! 世界も私のことも!!」
「……よく考えよ。貴様もある意味で聖女に謀られたのだからな」
「そんなことないわ! あのお方の救済こそ全てなのよ!?」
叫びすぎて息が続かない。
頭が朦朧とする。
「一つ聞きたい、楽園は何を持って救済としているんだ?」
……誰か来た。
「楽園でこいつは救われない。人は幸せだけで生きられない生き物なんだよ」
スーツ姿の撃退士だ。傍らに、無気力を許されていた女子が立っている。
「一つ良い事を教えてやるよ」
今度は赤い目の奴だ。
聖女様に生きる理由を与えられていた女子が、そばに居る。
「聖女とか救世主とかってのはさ、自分がそうだって言った時点で失格なんだよ。あんた最初っからアウトなんだよね」
「……黙りなさい」
「甘い言葉で誘惑し、偽りの楽園へ導こうとするお前の何処に真実がある? 言ってみろ!」
「黙れって言ってるでしょう!」
「俺達は未来を切り開くために戦っているんだ。それを奪おうとする奴を、俺は許さない!」
「黙れぇえ!」
よく見れば、私の周囲に全員がいる。
だから私は苦しくても吐き気がしても、あの人のために叫ぶしかない!
「聖女様の言うことは絶対正しい! だから私の言うことも正しい! 絶対ったら絶対なのよぉ!!」
私が叫んだ瞬間、豪っ! と風が吹いた。
風の中心でフィオナが、全員の視線を集めている。
「どうするかは貴様等の自由だ。だが、あえて言っておく。人として生きたくば、我等と共に来い」
やめて。
「我が保障しよう」
やめろォ!!
「学園の者達は、決して貴様らを拒絶せぬ」
……っ、嗚呼、聖女様。
不甲斐ない私をどうか、お許しください……。
●
心折られた瞬間、女は瞬く間に敗走した。
彼女に手を差し出した王は、残された輝きに気づく。それは、鈍く輝く白銀の輪。
後に振り返れば、この事件も楽園と学園が繰り広げる戦いの序章であった。
時は流れて、四月――
「ご入学、おめでとうございますっ!」
あのとき活躍した撃退士たちと共に、両手を広げた狩谷つむじは満面の笑みで新しい仲間を迎えている。