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依頼を受けた撃退士たちの一部は、出発前に老犬がいる病院を訪れていた。
本来なら立ち会える状況ではないが、病院は入室の許可を出した。
「……覚悟して、入ってくださいね」
室内は騒然としていた。
血の臭いと腐臭が鼻につく、壮絶な状況だった。
数分後に、ようやく静かになった。
「薬で一時的に落ち着かせているだけです。……なんの解決にもなりません」
担当医は無念そうに唇を噛む。
だが、ノスト・クローバー(
jb7527)が欲したのはその、一時的なチャンスだ。
「俺達は君の誠意に答え、ご主人を助けたいんだ。思い出せることを思い浮かべて……俺に伝えて欲しい」
緑色の光纏を巻き付けた左手が老犬の額を擦る。
衰弱して霞んでいる老犬の目に、ほんの一瞬だけ光が戻った。
『……道外れの、草の先……宝箱の、化け物……腹に、囚われた』
断片的な言葉が伝わってくる。
『主人は、この爺を裏切り者と……このままだと、主人の心に、悔いが……』
犬の目線がノストからリョウ(
ja0563)、緋野 慎(
ja8541)へと順に移る。
『頼む。』
ノストが思考を拾った瞬間、まるで聞いていたかのように緋野が「任せろ」と答えた。
「だから、ちょっと待ってろ。絶対、死ぬなよ!」
緋野の後に、リョウ(
ja0563)も続く。
「その忠義と覚悟、確かに託された。君の主人は必ず連れ帰る」
ノストも言う。
「酷なことを言うようだが、俺達がご主人を連れて帰るまで……生きるんだ」
……撃退士が立ち去ったあと、老犬は再び激痛に挑む。
最期を正しく終わらせるための、時間制限付きの作戦が始まった。
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夜の山は暗く、冷たく、そして静かだ。
撃退士たちは暗視装置や術、懐中電灯の明かりで暗闇に対処しながら、草を分け入って進んでいた。
老犬が持ち帰った地図で大まかな位置は得ている。
進行方向は南から北へ。
陣形は横一列。各々の間隔は10m程度を維持している。
高移動力を有する撃退士は外側の担当だ。
敵を発見次第、速やかに集合できるようホイッスルも用意されている。
(犬の容態を考えるとあまり時間も無いな、はてさて……間に合えば良いがね)
懐中電灯の明かりで闇をくり貫きながら心中で呟くのは、隊列の中央を務める天風 静流(
ja0373)だ。
天風の両隣にはそれぞれ、アマリリス(
jb8169)とフローラ・シュトリエ(
jb1440)がいる。
彼女たち二人は明かりを用いず、ナイトビジョンで視界を確保している。
(初依頼ですからちょっと緊張しますね〜)
天風の右方、アマリリスは足下で草を踏み倒しながら思う。
(まあそれはそれとして、騎士の名に恥じぬ行動をしたナイトさんには、騎士の末裔として報いたいですね)
天風の左方、フローラ・シュトリエ(
jb1440)も目的は同じだ。
(時間がないのだから、手早く見つけたいわね)
方位術で進行方向に誤りがないか確認しつつ、暗闇を進む。
フローラの隣で、ノストも帰り道を暗記しながら捜索に参加している。
そして左方の端を担当する緋野は、高い移動力を生かして広範囲を捜索していた。
(勇敢で賢くて、優しいわんこだ。……安心しろ、主人は必ず助ける。絶対、絶対死ぬなよ!)
地上を行く彼らの頭上へ時折、光が降り注ぐ。
闇の翼で滞空する、シャロン・リデル(
jb7420)が放った光玉の明かりだ。
「別れは必ず訪れるものですが、こんな形でのお別れは誰も望んでいませんわ」
――もう手遅れだというのならせめて、最期の一時を一緒に。
「そのためには迅速な救助と退治、ですわね」
シャロンは地上の仲間と探索範囲が被らないよう、移動を繰り返して探索を行う。
「ッ!」
何かを見つけた。
一見ただの岩のようだが、新たに光の玉を放って確認する。
間違いない、箱だ。
高度を落とし、阻霊符を展開する。
箱が動き出した。
当たりだ。
ホイッスルを唇に挟み、シャロンが仲間に発見を知らせた。
合図に反応した撃退士たちが急行する。
リョウは木の幹を駆け上り、枝から枝へと飛び移って最短距離を最高速で駆け抜けた。
「――アレか」
正体を見抜かれた人食い箱が触手をしならせ、毒と思しき紫色の液体を吐き出していた。
木の枝に着地したリョウは、携帯電話のGPS機能を立ち上げて仲間を呼び寄せる。
その、移動を中断したリョウの足下で何かが走る。
天風だ。
木陰に身を隠す寸前、彼女は敵にチャクラムを投じる。
その直前、人食い箱も毒針を放った。
チャクラムは敵の胴体に、毒針は天風が盾にした木にそれぞれ突き刺さる。
その攻防の間に人食い箱の背後から光が接近していた。
断続的に輝きを放ちながら速度を上げて近づいてくる。
佐藤 七佳(
ja0030)だ。
敵の背後に到着した七佳は腕を振る。
その動きに、彼女の指先から伸びるワイヤーが反応した。
同時に、遁甲の術で身を隠しながら急接近していた緋野も奇襲に加わった。
ワイヤーに後頭部を、クローで背部を裂かれた人食い箱が悲鳴を上げる。
他の撃退士も続々と集合した。
耳を澄ませば、かすかに声が聞こえてくる。
――助けて、と。
懐中電灯の明かりがサーバントの腹部に集中した。
透明な体壁を叩く少年の姿が見える。
事前に写真で確認した『騎士』の主人に間違いなかった。
彼の背後で、他の子供たちはぐったりしている。
「作戦開始だ。時間が無い、手早くいくぞ」
敵から見える位置に移動したリョウが光纏を解き放ち、自身の瞳を朱色に染めた。
次いで、黒い光の柱が立ち上り、敵の目を奪う残影がリョウの全身を包み込む。
リョウが注意を引きつけている間にアマリリスとフローラが敵に接近する。
アマリリスは鎚。フローラは剣。
左右からそれぞれ、サーバントの巨体に斬りかかった。
「せめて最期を看取ってもらう為にも、早く返してもらうわよ」
人食い箱がフローラの声に反応した瞬間、頭上から血色の槍が降り注いだ。
闇の翼で滑空するシャロンが、敵の射程圏外から放った魔法だ。
「彼らは返してもらいますわよ。覚悟なさい!」
波状攻撃を受けた人食い箱が反論するように咆哮した。
リョウに毒針が吐き出され、近くのアマリリスとフローラには触手による鞭打ちが実行される。
同時に行ったせいか、攻撃の精度が低い。
リョウとフローラは飛び退くことで回避に成功し、アマリリスも盾で鞭を受け止めていた。
「騎士百合はそう簡単に手折れませんよ!」
アマリリスが叫ぶ傍らでリョウが敵との距離を詰めた。
リョウは自らの影を伸ばしてサーバントの触手を縛り、さらに全力で触手を引っ張った。
これで二本の触手が、敵の正面で真っ直ぐな『一本の触手』になる。
刹那、腹の底に響くエンジン音が唸りを上げた。
天風が掲げるチェインソウが月光を跳ね返して雄々しく回転する。
敵目掛けて鋭く走り寄った天風が、影に縛られていた触手を切り裂いた。
これで少年たちが囚われている腹部への接近を妨げるものはない。
緋野が快足を飛ばして懐に飛び込み、クローを装着した拳で透明の檻を攻撃した。
彼の頭上で、頭を垂れた人食い箱が、ニィッ、と笑う。
その不穏な気配を、緋野の野生動物じみた感覚器官が察知した。
攻撃を続けようとしていた彼は即座に全力で離脱する。
緋野が退避するのと、人食い箱が濃密な毒霧を吐き出したのはまったくの同時だった。
頭部が宝箱になっているのも腹部が透明になっているのも、全て罠なのだ。
しかし、毒霧の噴射は一瞬で終わる。
敵の背後より、七佳がワイヤーを用いて敵の根源に直接アウルを叩き込んだからだ。
敵から一時的に行動の自由を奪う技である。
円形の多重魔法陣が積層された糸を繰る七佳が、無感情に呟く。
「人を捕らえるには効果的な手法だけど、犬を逃してしまったのが敗因ね」
七佳が敵の動きを止めた今が、絶好機だ。
「少年、離れろ! 切開する!!」
武器をダガーに持ち替えたリョウが疾走しながら叫ぶ。
「すぐに助け出す。君は中から他の子たちにも被害がいかない様に協力してくれ!」
外側から離れるように警告した後、リョウは跳躍した。
宝箱と胴体の継ぎ目に短剣を突き立てて、そのまま敵の身体にしがみつく。
そして再度、短剣で継ぎ目に攻撃を加えていく。
リョウだけではない。
緋野とアマリリスも敵の腹部を集中攻撃していた。
シャロンも上空から魔法を放つ。
その最中、七佳の技で動きを止めていた敵が動き出した。
それを、反撃に備えていたフローラが妨害する。
精霊を想起させる雪の結晶が敵の全身に――とりわけ、閉じられていた宝箱の口に纏わりついていた。
触手を失い、毒を吐き出すこともできなくなったサーバントにはもう、どうにもできない。
「返せ」
サーバントの身体に刃を食い込ませながら、地上で誰かが言った。
「返しなさい」
直後、
「 「 「 返せぇぇぇえええ!!!! 」 」 」
撃退士たちの光纏が夜の闇を灼いた。
冷気で縫い付けられていた宝箱の口と、少年たちを閉じ込めていた檻が同時に開く。
激痛を嘆く悲鳴が轟き、撃退士たちの手が体内へ伸びた。
体力温存のために戦況を見守っていたノストが全速力で駆け寄る。
上空にいたシャロンも急降下して接近した。
ノストが二人の少年を、シャロンとリョウがそれぞれ一人ずつ抱き上げて、速やかにサーバントから離れる。
全員が必死だった。
しかし、サーバントも必死だ。
捕えていた活きの良いエサを取り戻すべく、毒針を大量に吐き出す。
敵の気を引くためにフローラが攻撃を仕掛けていたが、狙いは子供たちだった。
リョウは木の幹を連続で蹴り上げ、立体機動による回避行動を取る。
あらかじめ毒への耐性を高めておいたシャロンは身を呈して少年を庇った。
二人を庇うノストの背後では、アマリリスが庇護の翼を展開して射線に割り込んでいた。
「後ろの心配はしなくて平気ですよ〜。その子たちの離脱に集中して下さいな〜」
少年たちを抱えた三人は無事、サーバントの射程圏外へ離脱する。
「げ、撃退士……なんだよな?」
子供たちの中で意識があるのは一人だけだった。
「私が二人、運びますわ」
ノストはシャロンの申し出に礼を言って、少年を一人預ける。
そして意識のある少年を――ナイトの主人を肩に抱え直した。
「わ、わわっ! なにすんだよ!」
「俺達はナイト君から聞いて、ここへやってきた」
ノストが老犬の名前を出した瞬間、少年は形相を変えた。
「あんな裏切り者の話なんかすんな!!」
……。
「な、なんだよ」
異様な雰囲気に少年が尻込みする。
ため息混じりに、シャロンが話しかけた。
「現実ってとても残酷ですの。真実は自分の目で確かめて下さいませ」
「……? え、わっ!」
少年は、シャロンに真意を尋ねることはできなかった。
ノストが走り出したせいだ。
「痛い! いーたーいー! っで!?」
暴れる少年の頭を、ノストが容赦なくはたいた。
「ナイト君の為に俺は走っている、邪魔だけはしないでくれ」
ノストは全速力で山を下る。
一方、シャロンとリョウは負傷者を気遣いながら下っていく。
「あちらのことは任せるとして、人食い箱の討伐もキッチリしないとね」
要救助者の離脱を確認した後、フローラが再びサーバントを雪の結晶で縛り上げた。
体内から少年たちが救出された今、もう遠慮はいらない。
全員による波状攻撃の後、緋野が暗闇の中で拳に炎を宿らせた。
「倍返しだ!」
開放された炎が緋の閃光となり、敵を貫く。
その派手な攻撃とは真逆に、天風は静かに力を溜めていた。そして全身に力が巡るのを感じた瞬間に動く。
祖父から伝承された瞬撃を、溜め込んだ光纏と共に炸裂させる。
仕上げに、激痛に喘ぐサーバントの意識を七佳の技が再び刈り取った。
「迅雷の如き一閃、」
超高速で敵へ迫る彼女から、無慈悲な一撃が下る。
「これで終わらせるわ」
移動の運動エネルギーを乗せた七佳の「魂斬」が、敵を討った。
●
少し時間を戻して、場所を病院に移す。
ノストと少年が到着すると、病院関係者は何も言わずに診察室へ通した。
室内は静かで、消毒液の臭いがした。
途中で事情を聞いた少年は無言だった。
老犬の前に立ったノストが、呼吸を乱したまま少年を降ろす。
「君が守りたかったご主人を連れて帰ってきたよ」
ナイトから反応はない。
ノストが意思疎通を試みるが、何も伝わってこない。
「……。あとは、俺の出番ではないね」
ノストは診察台を離れて、壁際まで下がった。
「うそだよ」
取り残された少年は、力なく首を振る。
「うちの犬は、こんなに痩せてない。もっと太って、……怠けてて」
だが、首輪には見覚えがある。
少年が涙を膨らませた瞬間、老犬の身体が痙攣した。
「いけない! 下がって!!」
「……や、やだ! ナイトぉ!!!」
もう何度目になるかわからない激痛に、彼は――。
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――そして現在。
サーバントの討伐と他の少年たちの護送を終えた撃退士たちも、件の診察室へ足を踏み入れた。
ノストは相変わらず壁際に立っていて、少年は診察台の前で獣医と共に立っていた。
「間に合いはしたよ。……いま、逝ったところだ」
ノストの説明を受けた撃退士たちの視線が、少年へ注がれる。
「……もう、散歩に連れて行くの、嫌がったりしない」
彼の声は濡れていた。
「ボール遊びも、い、いく、いくらだってやる……から、おきて……おねがい」
切れ切れの声をどうにか繋いでいる少年に、緋野が近付く。
「このわんこが頑張ったのは、伝えるためだ」
少年の肩に手を添えて、続ける。
「私は大丈夫だから自分を責めないで、って、伝えるためだ。だから苦しくても生きて、再会する事を選んだんだ」
リョウも近付いて、少年の背中に手を添えた。
「――声を掛けて抱き締めてやれ。君の、忠実な騎士に」
そっと背中を押されて、少年がナイトに近付く。
少年は名前を呼んで、細くなってしまった身体に手を添えた。
……冷たかった。
「っ、う、うああああぁぁ」
愛犬を抱き締めて、声を引き絞って、少年は泣いた。
大声で泣いた。
「お、おれ、今日のこと、ぜ、ぜったい、ぜったい、わ、わすれない」
泣きながら、誓った。
「そ、それでいつ、いつか、な、ナイトみたいになるよぉ……り、りっぱに、なるよぉ……っっ」
果たされた再会は無駄ではなかった。
少年はこの日を、このときを、生涯忘れない。
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サーバントは討たれて、少年も救い出された。
だが、撃退士たちは思う。
少年に地図を配ったのはいったい、何者なのか。
「……だめだったのかぁ」
救助成功を自室で知った青年はパソコンの前で残念そうに呟いた。
「いい感じだったんだけどな。宝探し」
――まぁいい、と彼は微笑する。
「また何か考えますよ。次はどんなひとたちを狙えばいいですかね……天使さま」
どこか遠くで、犬が鳴いている。