「ああ、あのヒゲか」
事件を聞いたフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)の第一声である。
ヒゲ面が博徒に給料を全部取られて学園に泣きついてきたのは、ついこの間のことだった。
「……つくづく運の無い奴だな」
言葉では同情していたが、フィオナの笑みには愉悦が若干混じっている。
●
「やっと来やがった!」
学園の撃退士が現場に転送されると、応援を要請した二人の撃退士は瞬時に後退した。
「来てくれてありがと。ギリギリだったわ」
撃退士たちが見つめる先には「ヒヒヒッ」と肩を揺らしているヒゲ面がいる。
剣と包丁の切っ先がゆっくり、撃退士たちの方へ向く。
「そこのヒゲ。我の声が聞こえて理解できるなら、その包丁を置け。理解出来ぬなら……是非も無い」
「ヒッヒヒイヒヒ」
ヒゲ面が不敵に笑ったのを受けて、フィオナも笑った。とても楽しそうだった。
「突然他の人に切りかかる……ね」
敵意を察した暮居 凪(
ja0503)の魔具を、白色の数式が覆う。
「仕掛けてくるのであれば敵と認識してしまうけれど。良いのかしら?」
刺すような視線を受けても、ヒゲ面は笑いを止めない。
「凪」
「もちろん、加減はするわよ?」
「言わずともわかっている。我は拳だけでいく――それを伝えたくてな」
フィオナがキュッ、と拳を握りながら前に出る。
この面子の戦力で本気で殴り合えば、ヒゲ面は死んでもおかしくない……そういう判断だ。
「我を単一のジョブに当てはめようとする事自体が間違いだ」
拳で天使を殴ったこともあるので、説得力抜群である。
「ひとまず、私はそれぞれの動きを見守る事を優先するわ。私の出番が無い方が世の中は平和よ」
……自分に出番があるときは、何かを終わらせるときだから。
暮居はその言葉を心中に留めていた。
二人が話している横で、御堂・玲獅(
ja0388)とミズカ・カゲツ(
jb5543)はヒゲ面の包丁をじっと観察している。
「包丁を手に取った後から、となると矢張り包丁が怪しいですね」
「おそらく元凶でしょうね。触らないよう注意します」
ミズカ、御堂の順に発せられた言葉に戸蔵 悠市(
jb5251)も同意する。
「……妖刀という物を持った事があるが、あれと似たような物か」
ゆらゆらと揺れる包丁の切っ先は人魂のようだ。
「彼が人を傷つけてしまう前に取り抑えねばな。意志無きまま撃退士の力を振るうなど許してはならん。手加減はするが、容赦はしない」
淡々としているが、戸蔵の口調には強固な意志が滲んでいる。
「戦うとなると包丁だけでなく、剣にも注意が必要です。……何れにせよ、無事に救出できる様に全力を尽くしましょう」
愛刀の中の一振りである直刀、『鋭雪』を手にミズカがヒゲ面を見据える。
――ヒヒッ、と。
両肩が不気味に揺れていた。
●
説得が不可能とわかるや、フィオナは風を切ってヒゲ面に接近した。
瞬時に肉薄した彼女は両足を大きく開いて身体を沈ませ、小さなテイクバックからアッパー気味に拳を穿つ。
ヒゲ面の足が浮き、がんっ!! と装備が鈍い音を吐き出した。
「拳闘術か! 愉快愉快!」
ヒゲ面は手にした剣と順手に構えた包丁を神速で振り回した。変則的だが、時雨である。
フィオナは直感を生かして回避するが、態勢を崩す。
「回避も上等! だが、拳はつまらん!」
愉快と退屈、相反する言葉を並べたヒゲ面はよだれを撒き散らしながら別の撃退士を狙う。
「刀の娘ェ! その刀はぁっ、いいものだぁあ!」
唸りを上げる烈風突がミズカに迫る。
元より回避行動を心がけていたミズカは横に跳んでやり過ごした。そのまま攻撃に転じることもできたが、一度距離を離す。
反撃を誘われているかもしれない、と疑ったためだ。
「待てぇえいっ!」
「させません」
ヒゲ面が返し刃で飛燕を放つ。
飛刃の射線に白蛇の盾を掲げた御堂が割り込んだ。
「おおぉっ? どれ!」
刃を弾いた御堂に興味を持ったヒゲ面は烈風突で距離を消し、それが防がれた後も盾を斬り付ける。
堅牢な防御を誇る御堂の守りはびくともしない。
「ヒヒッ、良い盾だ!」
盾の裏側で御堂が唇をきつく引き結ぶ。
その御堂の背後――数メートル後方の位置で戸蔵が光纏を解き放つ。刹那、雪の結晶が彼の周辺を舞い散った。
戸蔵の足元にフェンリルの幼体が出現している。
「――ゆけ」
フェンリルの前足を蒼輝の氷爪が覆う。
御堂の盾を斬り続けているヒゲ面目掛け、フェンリルが一息に距離を詰めて爪を振るう。
「おぉっ!?」
ヒゲ面の肩から血飛沫が、口から驚愕が漏れる。
フェンリルは着地と同時に反転、自らを捕捉しているヒゲ面を正面に一度身体を沈ませ、
咆哮っ!!
フェンリルのそれはただの威嚇にとどまらず、相手の能力を減少させる効果を持つ。
しかし、ヒゲ面は負けじと同等の声量で吠え、威嚇を跳ね返した。
ひるみこそしなかったものの、フェンリルは焦れるように喉を震わせていた。
「……驚いたな。力量を少々見誤っていたようだ」
ヒゲ面の地力にやや面喰った戸蔵だったが、戦意は萎えない。
「ますますその力、意志無きまま振るって貰う訳にはいかなくなった」
「ひっひっ、ひっ!?」
癇に障る引き笑いをしていたヒゲ面の背後。
忍び寄っていたミズカが容赦なく、脳天に峰打ちを叩き込んだ。
ヒゲ面がの身体が壊れた人形のように痙攣する。
「っ!」
御堂が抜け目なく光纏を飛ばした。
発動させたのは攻撃でも回復でもない、生命探知だ。
広範囲に光纏の網を張り巡らせ、周囲や包丁の様子を探る。
心配していた野次馬の存在はない。
だが、疑っていた敵の本体の反応もない!
「……包丁にも?」
ない。ヒゲ面の身体にも付着していない。
「峰打ちとはまたぬるい技をぉっ!」
動きを止めていたヒゲ面が再び動く。
それなりに攻撃を受けているはずだが、まだまだ元気だった。
なかなか堅い。
「倒れるまで殴れば済む話だ」
フィオナがヒゲ面に再度接近戦を挑む。
「二度と退屈などとは言わせん。沈め」
根に持っているかどうかは不明だが、超笑顔で顎狙いのわりと本気パンチ。
アッパーではなく、顎と意識を刈り取る半殺しフックだった。
――が、ヒゲ面は上体を反らしてこれを避けた。
「それを食らったら愉しみが終わりそうだからなぁ!」
攻撃の隙間を埋めるようにフェンリルも飛び掛かる。
皮一枚で避けられた後、ミズカも連撃に参加する。再び薙ぎ払いで隙を作ろうとするが、当たらない。
「フヒヒ、いっそう目も身体も馴染んできたわ!」
撃退士たちが手加減しているのを差し引いても技術の高い回避術だ。
「ふむ……」
ミズカは「守りに重きを置いた」というヒゲ面の情報を思い返す。
いつかは命中するだろうが、命中させたところで防御も厚い。
「……ならば」
斬撃に終始していたミズカが初めて掌打の構えを取る。
「ほっ? ……ヒヒ!」
彼女が攻撃を繰り出す瞬間、ヒゲ面は回避をやめて丹田に力を込めた。
ミズカの放った掌打は厚い防御の向こう――内部へ衝撃を伝導させていく。
「おほおぉっごっ……ふ!」
たたらを踏むように後退するヒゲ面は、それでも笑った。
「いい技だ、ひひっ、ひひいヒひっ!」
前進するミズカは返す刀でヒゲ面の包丁を狙う。
「おっと!」
弾き飛ばされる寸前、ヒゲ面はひらりと身体をひるがえして逃げた。
「ひっひっひ、残念「やはり、その包丁かい」っ!?」
おどけた調子の声に、別の声が重なる。
包丁の刃に糸が絡みついていた。
糸を繰るのは上空より舞い降りたノスト・クローバー(
jb7527)だ。
実は公園より少し距離を離れた場所に転送してもらい、蜃気楼を使いながらずっと空中に留まっていたのだ。
「伏兵っ……上からか!」
「完全に無警戒だったみたいだね。フェンリル君の威嚇が効いていなかったからバレるかなと思っていたけど」
「ひひひっ、そういう手もあるか……だが、甘い!」
むんっ! とヒゲ面が力強く腕を振るう。
すると、包丁が火花を散らせながら糸の輪から抜けた。
「惜しい」
だが、本体が健常でなければ十分に弾き飛ばせそうな手応えはある。
包丁が元凶なのも間違いなさそうだ。
「それにしても、ヒゲ君は不幸の星の元にでも生まれたのかねぇ……」
「ひひひっ、こやつ、幸薄いのか?」
「何かに操られているのも間違いなさそうだね。仕事には割と慎重なヒゲ君らしくもない」
唐突な世間話――と見せかけて、ノストは前触れなくひょいっと手をかざし、磁力掌で包丁を引き寄せる。
「ぉぉいっ!? なんだその技はっ!?」
「……無理か。残念」
ふぅ、と吐息したノストが首を横に振る。
同じタイミングで、ヒゲ面に聖なる刻印を発動させていた御堂も無念そうに首を振った。
「効果なし……ですね」
やはり、ヒゲ面を殴ってどうにかするしかないらしい。
「可能な限り大きな怪我はさせないようにするよ。まぁ、ある程度の傷は撃退士ならば仕方ないよね?」
にっこり笑うノストの横で、フィオナも微笑しながら拳を鳴らしていた。
「重体まででしたら治療できますので、心置きなくどうぞ」
御堂の発言が二人の笑みを強めたのは、もはや仕方ない。
相手がヒゲ面なのが、全部悪い。
「あ、ないとは思うけど、俺が錯乱したら遠慮しないでいいからね。俺も容赦しないから、ね」
「了解よ。できるだけ包丁の破壊を狙うけど、無理そうなら意識を奪われた人の身体を狙うわ」
暮居の返答にノストは満足そうに頷く。
「ヒヒっ、そう簡単に行くかな?」
余裕の引き笑いは、次に撃退士たちが見せた行動に鳴りをひそめる。
「ぬっ?」
ヒゲ面の左右と背後をノスト、ミズカ、フェンリルが固める。
そして前方からフィオナが再びインファイトを挑む。
「包囲陣か!」
零距離でフィオナの拳と敵の二刀流がせめぎ合う。直線と弓なりの曲線が重なるたびに剣戟と火花が咲き乱れる。
フィオナの拳がヒゲ面を捉えて押し出された先には、周りを固める撃退士たちがいる。
フィオナの接近戦を邪魔しないよう、距離が離れたときだけヒゲ面に攻撃が飛ぶ。
「これはどうだい?」
ノストが鞭状に伸ばした光纏で拘束を狙い、ミズカとフェンリルは刀と爪を振るう。
仮にフィオナが被弾した場合は、回復の準備をしている御堂がすぐに動くつもりでいる。
さらに、
「うぬっ!?」
隙あらば、暮居が雷光のリングから雷球を包丁目掛けて射出する。
もしも包囲が破られた場合は、暮居がコメットで足を止める予定だ。
「これは……」
敵が気付く。八方塞がりだ。
「この程度で笑えなくなるのか?」
「ぬかせっ!」
フィオナの右ストレートを強打で薙ぎ払ったヒゲ面が向きを変え、目を見開いて疾走する。
「突破すればよいだけのことよぉっ!」
標的に選ばれたのはミズカだった。
回避重視の立ち回りに終始している彼女ならば力技で突破できる――敵の判断は敵にとって吉か、凶か。
「――――」
軽やかに舞い続けていたミズカが、此度の戦闘にて初めて足を止め、剣を構えた。
両者が視線を結ぶ。
ミズカの双眸の深奥、そこから湧き上がった覚悟が見る見る間に彼女を覆う。
刹那、敵は心中で評価を改めた。
裂ぱくの気合いと共に両者が剣を合わせ、それ以上の速度で戻る。
二度目の剣閃は先のものより疾く、三度目は遥かに疾く。
「おぉ……おぉっ!」
気が付けばヒゲ面の肉体を繰る敵は全力で複数回攻撃を仕掛けていた。
荒死の発動を悟ったミズカは刀をわずかに引く。
愛刀『鋭雪』を掻い潜ったヒゲ面の剣が腹部の肉を絶ち、腰骨まで到達する。
ぐ、とミズカの口から苦悶。
されど、彼女は脇を締めて傷口を封鎖、ヒゲ面の刀を体内に拘束した。
しまった、と敵が悔いたときにはもう遅い。ミズカが力を抜かない限り、刀はもう抜けない。
荒死の反動が敵の機動力を奪った瞬間、ミズカが片手で放った薙ぎ払いが決まる。
「見事」
その致命的な隙を逃すフィオナではない。
「骨の数本は授業料だろうさ」
ヒゲ面の左腕――包丁を握っている肘を左手で握り締め、がら空きのボディに渾身の一撃を捻じり込む。
「ぐえげぇ!?」
ヒゲ面の身体が見事な放物線を描き、公園の茂みへ飛んでいく。
ふぅ……と、死活で痛みに耐えていたミズカが傷口から刀を抜いた。
すぐさま御堂が治療を施す。
上半身を茂みに突っ込ませ、尻を天に向けているヒゲ面が動かないのを確認してから、撃退士たちは近くに弾き飛んでいた包丁に注目した。
「妖刀包丁、なのかな? ……あまり締まらない感じだね」
「……天魔の反応はありません」
とはいえ、無関係ではないのは確かだ。
御堂の生命探知の結果を待ってから、フィオナは包丁に魔力を伴った拳で重い一撃を叩き込んだ。
「道具の分際で嘗めた真似をするからこうなる」
しかし、包丁に妙な動きはない。
フィオナの一撃を受けても折れなかったこと以外に、不審な点はない。
「氷結晶で凍らせようか」
「よければ使ってください。よく振って放てば凍らせやすくなると思います」
御堂が、ノストにソーダを手渡す。
「ありがとう。……怪しいものには触らないのが吉、と」
結晶の中に閉じ込めた包丁をじっくり観察してみるが、やはりただの包丁にしか見えない。
戸蔵も思案顔でしばらく見つめていた。
「どんな由来があるものにせよ、人を害する物になった時点で『道具』としての価値は消失しているだろう。……直接触れずに回収できたわけだし、門木先生の所に持ち込んで研究してもらってはどうか」
戸蔵の提案には全員が同意した。
「原因は探っておかないとね。――天魔が関連している可能性と、そうでないケースがあるかしら」
ずっと話を聞く側だった暮居が、顎に指を置いて考える。
「技を見せろ、としきりに言っていたわよね。技を見たがると言えば、その身を武に捧げた者。もしそうなら――人よりも、天よりも、魔よりも純粋なのかもしれないわ」
「ってことは何か、こんだけ大立ち回りやったその『原因』様は悪くないってことかい?」
いつの間にか、依頼人二人が近くに来ていた。
「邪な存在では無い、とまでは言わないわよ」
金髪の撃退士が、納得した様子で暮居に頷いている。
「ん、んん……な、なんだ?」
気絶していたヒゲ面が動き始めた。
茂みから上半身を引っこ抜いて、撃退士たちの方を向く。
「あれ? お前ら……」
どうやら正気を取り戻しているらしい。
腕組みをしていたフィオナが容赦なく、言葉の刃で斬りつける。
「防御に重きを置いているらしいが、錯乱して元のジョブの立ち回りが出るようでは、まだまだ甘い」
「この前の麻雀女じゃねぇか。いきなり湧いて出て偉そうなこと――ん、いてぇ……?」
ヒゲ面の顔が肩に向く。血が出ていた。
次いで、フィオナの拳を受けた腹を擦った瞬間、絶叫が響いた。
心構えがなかった分、痛みが激しかったらしい。
御堂が治療を始めても、苦しそうなのは変わらない。
「……入院した方がよろしいかと」
御堂の見立てを聞いて、戸蔵が依頼人の女撃退士に尋ねる。
「彼は既婚者だったな? 本人に謝る必要は感じないが、奥方には謝罪しなければならん。連絡先はわかるか?」
「いらないと思うわよ。この人、奥さんから着信拒否されてるし」
戸蔵、絶句。
●
何はともあれ、包丁も回収して依頼達成である。
御堂が最後に癒しの風で回復したため、負傷者はヒゲ面だけで済んだ。